2023年9月28日木曜日

20230927 我が国の宗教について(試作文章)

我が国の宗教は、西洋や中東の一神教であるキリスト教やイスラム教とは大きく異なる特徴を持っています。我が国の神道は多神教であり、神社では大抵複数の神を祀っています。

こうした多神教を視座として眺めますと、我が国の神道には同じ多神教ではありながらも、ギリシャの古代宗教やインドのヒンドゥ教などと共通点もあるものの独自の特徴を持っていると云えます。

その最も顕著な違いは、ギリシャの古代宗教やヒンドゥ教の神々が具体的な肉体を持ち、目に見える存在として祀られていたのに対し、我が国の神道では、神々の存在は概して抽象的であり、その具体性が相対的に希薄であることです。

確かに我が国の記紀神話には多くの個性を持った神々が登場しますが、それらの肉体的な実在性はギリシャ神話やイリアスやオデュッセイアなどに登場する神々と比較しますと希薄という印象を受けます。

また、19世紀から広まった進化論の視座からは、キリスト教以外の宗教、特に多神教などは原始的な段階に留まった宗教とされ、これが時間の経過とともに、一神教へと発展していくといった、いわば西欧中心的の見解が一般的なものでした。

しかし、この考えは後に徐々に否定され、現在では一神教のみが優越であり、多神教が未発達な原始的宗教であるという見解は精確ではないと云えます。

とはいえ他方で、我が国においては、宗教に関しては、特に知識階級の無関心が著しいことが、たびたび指摘されています。この無関心は実業界やジャーナリズムにおいても明らかであり、多くの人々が日常生活において宗教について、ほとんど関心を持っていないと云えます。

そして、この宗教に関する無関心は、我が国の宗教と一神教の宗教との間に大きな違いがあることが原因になっているのではないかと考えます。

我が国の土着的な多神教の伝統は、本質的に、西欧諸国が奉じる一神教とは異なった価値観や宗教観に根差しており、そのため知識階級や一般の人々が宗教についてあまり関心を持たない、あるいは持ち得ないといった傾向があるのではないかと考えます。

しかしながら他方で、この宗教に対する我が国の知識階級の無関心は一神教と多神教を比較する際に重要な視点を提供す
るものと云えます。

何故ならば、宗教への関心の有無や強弱は、その国や地域の文化や社会を考え、そして理解する上で大きな鍵となり得るからです。具体的には、宗教が個人や集団の価値観、行動、意思決定にどのような影響を与えるのか、宗教的な儀式や信仰が社会の構造や文化に、どのように組み込まれるのかといった問題は、現実の政策決定などに際して重要なことであるということになります。また、おそらく多くの海外の報道機関や調査機関などの組織は、我が国に対しても、こうした視座からも眺め、そして考えているものと思われます。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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