2017年4月10日月曜日

20170409 文章の作成により分かってくること・・

昨日投稿の記事は投稿翌日の割りには多くの方々に読んで頂いたようです。

こうしてみますと、同じ自身が作成した記事ではあるものの、それらを読んでみた際の面白さとは、自身が感じる以上に違うものであるのかもしれません・・。

とはいえ、自身が作成した記事間における面白さの相違とは自身ではイマイチよく分かりません・・(苦笑)。

これがもう少し分かるようになれば、より多くの方々に読んで頂ける記事が作成出来るのかもしれませんが、一方そこで変な欲心を出すようになるのもまた如何なものかと思われますので、とりあえずは、そうしたことをあまり考えず、今後も記事作成を継続しようと考えています。

さて、昨日投稿記事は主に学問分野毎に認められる服装、格好の特徴、傾向について書きましたが、これに関しては、その後、さらに地域性などを加味して考えてみますと、もう少し面白いことが分かるかもしれないと思われましたが、こうしたことも、今後折を見て観察し、考えていこうと思います・・(笑)。

また、ここまで書いて不図気が付いたことは、現在私は首都圏に在住し、仕事は概ね東京でありながら、そこで多く目にする、いわゆる先端的あるいは凝った格好、服装の方々に対し、あまり以前程の興味を示さなくなったことです・・(むしろ全体的な傾向などについては興味を持つようになったといえます)。

そのことから「これは一種の精神的な老化現象ではあるまいか?」と続いて思いましたが、その他の書籍についての興味などは、微妙にその嗜好などは変化はしているものの、特段減衰はしていないと自覚しておりますので、これは格好、服装に対しての興味に限局しているのではないかと思われる次第です。

そして、それがどのような原因により、何時頃生じた変化であるかとは、さきに述べたブログ記事間の面白さの相違のようにイマイチよく分かっていません・・(苦笑)。
(これも今後追々考えてみます・・。)

このように、あくまでも自身のことであり恐縮ではあるのですが、文章の作成を通じ、これまで、あまり意識していなかったことが意識上に顕れ、明示され、何と云いますか疑問、問題意識といったものを持たせてくれるところが文章作成ひいては創造全般の持つ面白い要素の一つではないかと思われます・・。

そして、それは試料作製からはじまる、さまざまな実験においても同様、類似の過程、経路を有しているのではないかとも思われるのです・・。

また、それに加え、そうであればこそ、そうした創造の際の視座を得、またそれを吟味、洗練させるため、過去の歴史、思想といったものを外部の道具ではあるものの、同時に血肉化された自家嚢中の道具として用いることが出来るようにする意味があるのではないかとも考えられます・・。

とはいえ、これらは本来上記のような目的意識に始原を持つものではないのですが・・(苦笑)。

むしろそれは、どちらかと云うと、内発的、能動的な、ある種の内奥より発する、やむにやまれぬ欲求といったものに基づくものであると思われるのです・・(笑)。

また、それはまさしく自身がこれまでに作成している一連のブログ記事について云えることでもあるのですが・・(笑)。

しかしながら、そうは書きましても、現在に至るまで『自身の文体を得た』という実感はありませんが・・(苦笑)。

ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

人工知能による加筆修正☟
昨日投稿した記事は、投稿翌日としては比較的多くの方々に読んで頂けたようです。こうして振り返ってみますと、同じ自身が作成した記事であっても、その「面白さ」の感じ方には、どうやら自分が思っている以上の差異があるのかもしれません。しかし、その違いがどこから生じているのかについては、正直なところ、自分自身でも明確には把握できていないのが現状です。もしこの点がもう少し見通せるようになれば、より多くの方に読まれる文章を書くことも可能になるのでしょうが、一方で、そうした意図が前面に出過ぎることにも、どこか違和感を覚えます。したがって当面は、過度に意識することなく、書き続けていくことが適当であろうと考えています。さて、昨日の記事では、学問分野ごとに見られる服装や身なりの傾向について触れましたが、この点については、地域性といった要素を加味することで、さらに興味深い示唆が得られる可能性があります。この点も、今後の観察の対象としておきたいところです。また、ここまで書いていて一つ気づいたのですが、現在、首都圏に居住し、日常的に東京で仕事をしているにもかかわらず、かつて関心を持っていたような、いわゆる先端的あるいは凝った服装に対する興味が、以前ほど強くなくなっていることに思い至りました。一瞬、それを精神的な老化の兆候ではないかとも考えましたが、書籍への関心などは依然として維持されていることを踏まえると、この変化は服装という対象に限局したものと考えるのが自然でしょう。もっとも、その変化がいつ、どのような契機によって生じたのかについては、これもまた明確には分かっていません。このように振り返ってみますと、文章を書くという行為は、自身の内側にありながら、これまで意識されていなかった事柄を浮かび上がらせ、それを問いとして提示する働きを持っているように思われます。言い換えれば、書くことそれ自体が、一種の認識の生成過程であるとも言えるでしょう。そして、この過程は、試料作製から始まる各種の実験においても、ある種の類似性を持っているのではないかと感じられます。さらに言えば、こうした創造的営為においては、過去の歴史や思想といった蓄積を、単なる外部の知識としてではなく、自身の内に取り込まれた「道具」として活用できるかどうかが重要になるのではないかとも考えられます。もっとも、これらの営為は、当初から明確な目的意識に基づいて始まるものではありません。むしろ、それは内発的で、どこか抗いがたい衝動に近いものに導かれているように思われます。そしてそれは、これまで書いてきた一連のブログ記事についても同様です。とはいえ、現在に至るまで、いまだに「自身の文体を得た」という実感はありません。


去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」

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