2015年8月30日日曜日

谷川健一著「沖縄」講談社刊pp.83-86より抜粋

これまでひとわたりみてきた沖縄社会の持つ全体性は、当然のことながら沖縄学にも反映している。
私たちが沖縄に関心を抱く理由と、沖縄「学」に関心を抱く理由とは、さしてちがったものではない。
これはあたりまえのことでようでありながら、学問分野の細分化と研究の進歩とは、それをしだいにわからなくさせているのである。
全体性の回復が見失われてくるとき、沖縄学は危機に差し掛かったということができる。
柳田の沖縄学に対する態度は「」において明瞭である。柳田の自叙伝である「故郷70年」を見ると、柳田が上野の美術学校の講堂に招かれてこの講演をしたときは上原勇作をはじめ薩摩藩出身の陸軍のお歴々の大将などを前にして、なかば抗議のような形で琉球のために弁じたと述べている。
だからこそ、その講演の内容は、薩摩藩とそれに続く鹿児島県出身の役人や商人の非を鳴らすことからはじまっている。
「沖縄最近の窮状の、主たる原因は社会経済上の失敗である。誤りまたは故意に巧んだ人間の行為が、積もり積もって此痼疾を為したことは事実である。
しかも其誤りを敢えてした者は、現に今最も多く苦しみ悩んでいる人でないのみならず、彼等の親たち友人ですらも無かったのである。」
薩摩藩出身の名士たちがどのような思いでこの講演を聞いたか想像できるほどの激越な調子がそこに籠められている。
この講演は大正13年になされ、あくる14年に啓明会講演記録集として出版された。
柳田がこの講演の末尾で吐いた言葉、すなわち「国家百年の大計の為に、民族結合の急務を説こうとする人々は、我々は、無識であってはならぬ。
且つ手前勝手であってはならぬ。」其過失を免れたいばかりに、我々は新たにこういう学問の興隆を切望して居るのである。」という沖縄学の基本的な考えを、伊波普猷は、沖縄人の立場から追求しつづけた。
その一例が「南島人の精神分析」と題する小文である。
この論文の変っているところは、沖縄人に郷土研究をすすめ、沖縄の人々の性格が、どのような歴史的原因によって形成されたかを知ることで、その不安定な情緒を除去する手段に役立てようと考える点である。
伊波によれば、南島人の中にみられるヒステリー症状は、薩摩藩の抑圧や収奪から受けた痛ましい心的障害が内攻し潜在した結果にほかならぬ。
ヒステリー患者にその苦悶の原因を自由にさらけ出させて宿痾を根治する方法を、沖縄の社会に適応しようと考えるこの着想は一見奇抜であるが、沖縄の受けた社会的傷痕が、ほとんど精神障害の域まで達していることを指摘した点で重要であると思う。
そして伊波負普猷のとりあげた問題のはるか延長上に、フランツ・ファノンの歩いている姿を想定することはさほど不自然ではない。
ファノン―このマルチニック島生まれの精神病理学者は、その専門をメスにして、自己の属する民族の意識の深部をあえて切開したのである。
沖縄の社会的傷痕と民衆の不幸を、情熱をこめて冷静に分析する一人のファノンが今日ほど待たれることはない。さて伊波の直弟子である比嘉春潮(1977年没)は、伊波が手をつけた薩摩と琉球の関係を、いっそう精細な形で掘り下げた(私が会ったときの比嘉は87歳の高齢でなお健在であった。) この謙抑で功をほこらぬ老翁が、薩摩ならび鹿児島人の悪辣むざんな収奪ぶりを述べるとき、幼い時から胸の底に燃えた火が半世紀を経ても消えることがないように激越に語り、あげくのはては絶句し、涙をながす。この老翁の温容と情熱に接して、私は沖縄のもっとも純粋な精神の眼のあたりにみる心地がするのがつねである。その証拠となるものが、木耳社版叢書「わが沖縄」第一巻で初めて公開された比嘉春潮の青春時代の日記である。この日記は、ひとり比嘉の人格形成をみるにとどまらず、明治末年の沖縄知識人の思想と心情の位置を知る上に、きわめて貴重なものである。その批判は鋭く、今日でも異様なほどの新鮮さをみせている。彼の日記を読んで、沖縄の社会が半世紀を経てふたたび元に戻ったような気がするのは私ばかりではあるまい。
沖縄―その危機と神々 (講談社学術文庫)
沖縄―その危機と神々 (講談社学術文庫)

ISBN-10: 4061592238
ISBN-13: 978-4061592230
谷川健一

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