2022年5月31日火曜日

20220530 昨日からの続き「変化を生じさせる(抽象的な)もの」について

昨日投稿のブログ記事では、人文社会科学と自然科学分野との間にある、抽象的なもの、あるいは、抽象化されたものに対しての価値や意味合いの違いについて、少し触れて終わり、そして、この記事もまた、投稿翌日としては、比較的多くの方々に読んで頂けたことから、本日はそのさらに先を述べようと思います

それまで、概ね首都圏で育った私が、はじめに北海道に赴任して2年経ち、そこから陽光眩い南紀に転勤となり、そこで横溢な自然と、さまざまな文化事物の中で生活していますと、当初は首都圏に帰ることを願っていた自分に変化が生じてきたのですが、その原因となったものは当地域に昔からある神社であったり、草生して玄門が開口し、玄室までが見える横穴式石室構造の古墳などでの存在あったと思われます。これを換言しますと、それまでの人生では、生活の中で、1000年以上前に造営された玄室内部まで見える墳墓や、南方的とも云える鬱蒼とした社叢に抱かれた、古くからの神社があるという環境ではなかったことから、それらがごく自然に存在することに興味と云いますか、何か引掛り(フック)のようなものを感じたのだと云えます。

他方で、当時も夜勤明けや休日には、いくらか書籍を読んでいましたので、さきの「引掛り」の意味を解くためにであったのか、当時普及しつつあったアマゾンにて、関連すると思しき書籍を購入して読んでいますと、その中に、歌舞伎の演目「娘道成寺」として知られている「安珍清姫伝説」は、当地域が舞台となっていること、そしてまた、同伝説は平安時代に書かれた「今昔物語集」や「大日本国法華験記」にも記載があることを知り、そこから、また関連する著作を入手して読んでいましたが、しかし、そうした方向にいくに際しては、私のみならず、おそらく誰であっても、地域に古墳や古社が立地するという環境があれば良いというわけではなく、それらの存在と、それらについての記載がある著作を選択して読む行為との間には、まさに「抽象的な何か」があり、またそれは、当然ながら私が反応したものではあるのですが、しかしまた同時に、それが何に因って惹起されたのかと考えてみますと、おそらくそれは、当初より私の内部にあったものではなかったと思われるのです・・。つまり、その地域の環境にある「何か」に反応し、そうした行動に至ったと云えるのですが、この「何か」とは、当地域の自然環境に含まれる何らかの物質であるのか、あるいは、そうした微細ではあれ物理的な存在ではなく、当地域のさまざまな事物を日常生活の中で眺めている中で精神に作用を及ぼしたものか、判然としませんが、ともあれ、この地域環境と読書との間にある「何か」も、おそらくは人によって、その効果が異なるのではないかと思われます。また、こうした異郷に住むことにより生じる精神の変化とは、一連のブログ記事にも何度かとり上げているジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)による「闇の奥」(「Heart of Darkness」)との関連性をも想起せられるのですが、南紀在住当時は、この著作を知ることはありませんでした。この著作を知ったのは、次の和歌山市在住時でした。現在となっては、かつてほどではありませんが、当時は、この著作そして同著者による作品全般を好み読んでいて、その名残で、当ブログにも、いくつかの引用記事と、その作品をオマージュして作成した記事があります。

また、当作品との出会いについて述べたブログ記事もありますが、ともあれ、ここで述べたことも抽象的であり、また、内容的にはどちらかと云うと人文系寄りであると思われますが、次の作成の機会には、歯系院生であった頃の記憶から、こうした流れについて述べた記事を作成してみようと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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