2020年3月11日水曜日

20200311 文章化について思ったこと

オリジナルのブログ記事作成の為には、経験や刺激といったものが不可欠と云えます。また、毎日生きていますと、それなりに経験や刺激を得ますが、それが日常化していきますと、それらの中にある、記事の主題・軸となり得る「新奇の要素」を見出しにくくなり、そこから、新たな記事作成が困難になってくると云えます。

また、新たな経験や刺激を得たとしても、それをそのまま即座に文章化して記事とすることは、これまでの経験上、自身の場合は避けた方が良く、それよりも、ある程度の時間を経て、得た経験や刺激が内部にて、こなれてくることにより、他の要素と関連付けた文章として展開することが可能になり、そして、ある意味、気化や蒸散に近いようなカタチでの文章の作成が可能になるのではないかと思われるのです。

おそらく、作成する文章の目的によっても異なるのでしょうが、現在、自身が継続的に作成しているブログなどの場合、さきにも述べた通り「経験や刺激の即座の文章化」は必ずしも賢明でなく、それよりも、多少時間をかけてでも、経験や刺激を抽象化した文章を作成する方が、ある程度の期間の継続を望む場合には、適切であるのではないかと思われます。

とはいえ、この経験や刺激を抽象化した文章の作成は、多くの場合、作成文章を「他の何か」に関連付ける必要性があることから、これはこれで面倒であるのですが、ブログ記事に限らず、それでも継続していくことにより、この「関連付け」の背景(概念)操作がスムーズに出来るようになり、また、そうしてボンヤリとではあれ、構成された背景の様相を文章に移し替えることが出来るようになっていくのではないかと思われます。

また、この文章の移し替えの作業がスムーズに出来、さまざまな経験や刺激そして考えを適切に文章化することが出来るようになることが所謂「文体の獲得」であると考えますが、その意味で自身の場合、未だそこには至っていないように感じられます・・。

しかしながら、やはり当ブログ開始当初と較べますと、いくらかは文章化出来るようになってきたとも思われますので、もうしばらくは続けてみようと考えています。

そして、最後にこうした文章をここ数回書いているのは、未だ現在あまり深くまで理解出来ていないと感じられる伊達千広(宗広)による「大勢三転考」を読み進めていることが要因ではないかと考えられます・・(苦笑)。

その意味において、あまり強い経験や刺激ではないものの、読書もまた、それなりに継続的なブログ記事作成の為には重要であるようにも思われます。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
日本福祉大学

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20200310 内面の動きとコトバそして透明人間?

精確には、どのような理由によるものか分かりませんが、特に季節の変わり目は、スムーズな記事作成が困難と感じられる日が多いと云えます・・。ここ最近投稿した記事を眺めますと、去る2月初旬以降の投稿記事の多くは、あれこれ苦心して作成していた記憶が残っています・・。そこから3月に入りますと、それに多少拍車が掛かり、本日に至っては「さて、どうしたものかな・・。」と感じつつ先程、記事作成を始めた次第です。

他方で、投稿記事数の方は、今回の記事投稿によって1258に至り、1300記事到達まで残り40記事に迫ろうとしています。そして、その為にも、たとえスムーズには行かなくとも、毎回の記事作成が重要であると云えるのですが、その視座から、これまでを振り返ってみますと、書籍からの抜粋引用も時折はありますが、それでも、ここまでよく続けてきたとも感じられるのです(笑)。

そしてまた、現在のようなスランプ状態においては、こうした感慨をも題材として記事を作成することは、頻繁でなく時々であれば、そこまで悪いことではないようにも感じられます・・(苦笑)。

さて、ここ最近は、先日投稿の記事にて述べました「三寒四温」が、もう一段階温暖化して巡って来ているように感じられます。そうしたことから、あるいはブログ記事の作成などにおいては、暑さ寒さ何れであっても、安定している時期の方が適しているのかもしれないと思われますが、たしかに冒頭に述べましたように、季節の変わり目は記事作成に苦慮し、頭を抱えていた記憶が多く残っています・・。

そして、そこから夏に近づいてきますと、徐々に活性が上がり、何と云いますか「勢いに乗って」記事作成が出来るようになるのです・・。また、次に寒くなってきますと、精神も収縮し、文章の内向的な傾向は強くなり、そして悲観的内容の記事をより多く作成するようになると云えます・・。

無論、それ一辺倒ではありませんが、それでも、たしかにそうした傾向は存在し、そこをどのように自分自身を御し、記事作成を継続することも、なかなか面白いところであるのかもしれません。また、ブログ記事の作成に関しては、とりあえず、御する自身を知るためにも、当初ある程度の期間の継続が必要であると考えます。また、おそらく、この期間が思いのほかに長く、毎日の投稿であっても、数か月~1年程度は掛かるのではないかと思われます・・。そして、そこから先も決して記事作成が簡単になるわけではありませんが、他方で、それに慣れることにより、幾分かの不安定さは残りますが、どうにか「安定した継続」と評することが出来る状態になると云えます。

また、さらに、そこから2年程度継続しますと、記事作成は当初期と比べますと、多少スムーズになりますが、体質のようなものの変化が生じ、より多くの時間で、ブログのことを半ば無意識下においても考えるようになり、また、面白いことに、内側から生じるコトバが、ブログでの文章のコトバと近似してくるのです・・(苦笑)。

しかし、ここで重要と思われることは、それ以前は内面のコトバが明瞭に聞こえていたのか。あるいは、内面の動きに精確にコトバを当て嵌めて考えていたのか。であると云えますが、実のところ、この継続期間において、徐々に自身の用いるコトバが内面での動きと連動することが出来るようになり、そして、本来目に見えず、形状化し難い内面での動きに対し、しなやかなコトバの衣を被せ、内面での動きを言語によって(ある程度精確に)表現することがどうにか出来るようになったのではないかと思われるのです。これにつきましては、全身に繃帯を巻いた透明人間の姿を思い起こして頂きますと、その様相を理解して頂けるのではないかと思われました・・(笑)。

また、ここまで書いていて不図思い起こされたことは、こうしたことは、現在読み進めている伊達千広(宗広)著「大勢三転考」での記述とも関連があるのではないかと云うことです。つまり、本来目に見えず、形状化し難い「歴史」に対する理解の仕方は、現段階においてはコトバを用いる以外になく、また、その方法は、さきの内面とコトバの連動とも同様・類似したメカニズムといったものがあるのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。