2016年3月3日木曜日

20160303 一芸に達するものは六芸に通じる・・?

A「どうも先日の風邪の影響からか、ここ最近思想系の書籍を読むのが億劫になってきました・・。
これはもしかしたら季節の変化などと関係あるのかもしれません()
また、そのように考えてみますと、これまでにもそうしたことは何度も起きていたのかもしれません・・。
そして、その結果として、あるいはそのようにして、私は様々な時代、地域の歴史等そして歯科系の学問をしてきたのかもしれません・・(苦笑)
また、そこから考えてみますと、ある一つの学問分野をある程度勉強して何かしら体系らしきものを理解、体得すると、それは他の学問分野においても応用を利かすことが出来るようになるのではないかと思います。
その意味において、私などはおそらくまだまだ未熟であると思いますが、それでも興味を持ち続けることが出来る学問分野がいくつかあるということは、まあ、あながち悪いことではないのと思います。
それに加えて、人間とは自然なかたちで学問を続けておりますと、大体そのような感じになるのではないでしょうか・・?」


B「・・まあ、私も自身の表看板の専門分野とは別にそういったものがありますので、今のAさんの意見はよくわかります・・。
また、たしか昔の中国の諺で「一芸に達するものは六芸に通じる」などともいいますので、とりあえず何か自身の専門といえる分野について、その体系を理解、把握すると、それは他のことにも応用できるようになるのではないかと思います。」


A「はあ、そんな諺があるのですね・・。
しかし現在の我々の社会とは、どちらかというと、そうした個人の技能、社会的役割を一つに集約したがっているのではないかと思うことがあります・・。
また、その六芸に通じた人物として、私はレオナルド・ダ・ヴィンチ、平賀源内、南方熊楠、金関丈夫などを想起します。
そのなかで、特に南方熊楠に関しては南紀、和歌山在住時に何度か田辺市内にある菩提寺に墓参したことがあります・・。
ちなみに、この同じ寺のすぐ近くの場所に、合気道の創始者である植芝盛平のお墓があることには少し驚きました。
加えて、この寺の境内から縄文時代早期(紀元前6000年頃)の貝塚が見つかり、そこで出土した土器の形式(尖頭、楕円文様、厚手)がこの時代のメルクマール、標識土器となっています。
そのように、和歌山県でも市内でなく、南紀に属する田辺市というあまり有名とはいえない場所にこうした不思議といえば不思議な偶然が重なっていることがどうも面白いのです()
また、ここまで話しておりますと、はじめてこのお寺に行った時のことを思い出しました・・。
あれはたしか初夏であり、セミの鳴き声が聞こえておりましたが、周囲の木々、緑のお陰で境内は少し涼しく感じました・・。
そして、そのことが周囲の自然環境、土壌を含めた植生の薫りをより強く感じさせました。
しかしながら、こうしたことは南紀、和歌山在住時は常にそうした環境の中におりましたので、知らず知らずのうちに、何かしら脳内いや精神に変化が生じたのではないかと思います・・。
それが良いものであるのか、そうでないのかは別として。
それでも私は今でも南紀、和歌山のあの濃厚な自然環境の薫りはキライではないです・・()。」


B「・・なるほど、それもまたAさんらしくコンラッドの「闇の奥」を彷彿とさせるような話ですね()
しかし、それよりも南方熊楠と植芝盛平の墓所が同じお寺にあることは少し驚きましたね・・。
・・ああ、それでもたしかこの二人が一緒に出て来る小説がありましたね。
津本陽の「黄金の天馬」でしたか?
この小説はたしかAさんが和歌山在住時に私が大阪に行く所用と休日が重なったため、和歌山に足を延ばした頃に読んだのではないかと思います・・。」


A「ええ、その小説でしたら私も和歌山在住時に読みました。
また、丁度その頃に読んだのでしたら、私にいってくだされば、菩提寺を御案内したのですが・・。
また、あちらの神社仏閣の多くは普通に存在しているようでありながら、なかなか深い歴史的背景を持っているのです・・。
こうした感覚とは多分関東、特に首都圏のそれらと大きな断層があるのではないかと思います・・。
そして、それに関連すると思うのですが、以前私のブログにおいて抜粋しました道成寺境内にて出土した近畿式の大型銅鐸についての記述、みなべ町の須賀神社のかつての社叢域内から同様形式の銅鐸が出土していることは、地域の歴史を考える上において何かしら深い意味があるのではないかと思います・・。
また、こうしたことはおそらく何も和歌山県に限ったことではないと思います。
しかし、こうした偶然らしきものを何度か自身が再発見、認識するようになりますと、少なくともその地域における歴史を貫通する何かがあるのではないかと考えるようになるのです・・。
そして私の場合、そうした時期にこれも偶然にコンラッドの「闇の奥」に出会ったこともまたどうも不思議に思うのです()。」


B「・・なるほどねえ・・。
帰納法による様々な事柄の積み重ね、統合によって見えるものはやはり不思議なものなのだろうね・・。
しかし、そうした一般的に考えれば面倒な方法とは、現在どうも廃れつつあるようですね・・。
私はそれでは、どうもいけないような気がするのですが・・(苦笑)。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」

20160302 歴史力・予言力と合理性?・・

A「相変わらずブログを続けているようですね。
あと、最近閲覧者数も増えたようで良かったですね(笑)。


B「・・どうもありがとうございます。
お陰さまで、最近閲覧者が増えましたが、しかし、これはこれでプレッシャーらしきものもありますよ・・(苦笑)。また、求職活動でも相変わらず動いておりまして、昨日も夜半に応募書類を作成し、一番近い24時間空いている郵便局まで行き、発送してきました・・。そういえば、ここ最近数ヶ月は応募書類を発送する際に心の中で「頼むよ神様、こんな人生だったんだ、どうか幸せな夢を見させてください・・」と心のなかでつぶやくようになりました(苦笑)。ともあれ、今後また何か動き、変化がありましたらお知らせいたします。」

A「・・・そうですか、わかりました。
そういえば、これまでBさんが作成した対話形式のブログ記事での登場人物で「これは私のことかな?」と思える人物が出てきますが、あれは何人かそのモデルの方々がいるのですか?」

B「ええ、そうです。私のブログ記事での登場人物は概ねA、Bですが、このうちの片方は私自身がモデルであり、他方には、そのモデルの方が何人かおります。とはいえ、この登場人物キャラクターとは、そのモデル一人一人から抽出したものではなく、毎回それらを適宜複合、合成したものとなっています。まあ、それでも、さきほどのAさんと同様、モデルとなっている方々は読んでいらっしゃれば「これは多分、私のことかもしれない・・。」となっているのではないかと思いますが・・。」

A「はあ、なるほどねえ・・。何だかそうしたキャラクターの表現、書き方とは「記紀」に描かれているスサノオ、オオクニヌシ、ヤマトタケルのようですね・・。それは編纂者から見て類似したような複数の人格を一人の人格にまとめ上げて物語の登場人物とすることです。しかしまあ、こうしたことは、おそらく世界各国の神話、伝承などにおいて類例が少なからずあるのではないかと思いますが・・。」

B「・・なるほど、それはこれまでに気が付きませんでした・・。また、たしかにそういわれてみますと、ほぼ無意識ではあったと思いますが、そうした要素はあるかもしれません。そうしますと、私はそれを知らずに「記紀」あるいは、その他の神話、伝承のような表現方法、書き方を採っていたということになるのですね・・(笑)。それに加えて、こうした経緯の可能性を示唆されると「そのようなことは、ある程度合理的に考えれば、大体共通した方法を採るであろうから、まあ当然といえるのではないか。」と考えるか、あるいは「そうした時間・空間を越えた共通、類似性の間には何らかの原因、あるいは関連性があるのだろうか?」と考えるかにより、その後の考えとは、ずいぶん変わってくるのではないかと思います。そして、一般的な意味における合理性に基づいて考えると、おそらく前者の考えに近いものに落ち着くことが多いのではないでしょうか?」


A「・・うん、まあ多分そうでしょうね(苦笑)。さきほど私も自分の思ったことをいったわけですが、それに対してBさんからそのような反応がくるとは思っていませんでした(笑)。
しかし、多分、おっしゃる通りこうしたことは案外重要ではないかと思います・・。
たしか柳田國男がそうした能力のことをどこかで「予言力」と書いていたように思います・・。「予言」といいますと非科学的であり「怪しい」と思われそうですが、それは過去の歴史に対する様々な深い理解、知識に基づいた、これから起こる出来事への理解および対応の仕方ともいえるのではないかと思います・・。我々日本人のこうしたことに対する認識、理解の仕方については、かねてより多くの研究者、著述家が記しておりますが、全体的な傾向としては、たしかにBさんの仰る通り、まあ、前者つまり合理性に基づいてなされているのではないかと思います・・。とはいえ、この「予言力」とは、前者的な考え方も重要でしょうが、おそらく後者的な考えを思考の熱により煮詰めることによって精製、生成されるのではないでしょうか?」

B「・・はあ柳田國男が「予言力」と記していたのですか・・。また、そうした考えとは、今現在の様々な情報が錯綜して存在している我が国であるからこそ特に重要であるのかもしれません。加えて、さきほどAさんが私のブログ登場人物キャラクターに関して指摘されたことは、一種の「抽象化」であると思います。そして「様々な歴史的出来事に対する抽象化の仕方の傾向」などにおいても国あるいは地域毎に特徴があるのかもしれません・・。」

A「・・ええ、そういったことは、たしかにあるかもしれませんね。また同じ国、地域などにおいても、時代が変わるとそうした傾向はまた変わってくるのではないかとも思います・・。これはブログの文章を書く際においても同様であるかもしれませんが、どういった深度あるいは高度から事象を眺めるかによって、眺望が異なり、それにより書く文章も変化してくると思いますので、時代、国、地域における「抽象化の仕方の傾向」の相違とは、そうしたことに因っているのではないかと思います。そして、そうした「眺望」が何故、その時代、その場所において成立したかということを考えてみるのもなかなか面白いのではないでしょうか(笑)?」

一連の私のブログ記事を読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。


20160301 「Deus Ex Machina」機械仕掛けの神

A「おかげさまで昨日(20160229)で全期間のブログ閲覧者数が40000人を越えました。
以前20160209で30000人を越えたばかりでしたので、この閲覧者数の増加はなかなか早いのではないかと思います。」

B「・・ええと、たしかAさんは昨年の6月にブログははじめたと聞いていましたので、それは大体8ヶ月程度で30000人そして9ヶ月あたりで40000人ということになりますから、直近10000人の増加とは、たしかにこれまでに比べると早いですね・・。」

A「先日来の風邪もあり、また、その他色々とありまして、ここ最近はブログの更新が多少辛かったです・・(苦笑)。とはいえ、記事を更新しないのもどうも気持ちが悪いので、とりあえず書いておりました・・。そして、これまでに何度か思ったことなのですが、文章の作成とは、当初においては質より量であるとよく聞きますが、私の文章、つまりブログの記事とはこれでいいのかと時折、不図思うことがあります・・。」
B「・・うーん、これまでにAさんのブログが炎上したりしないで、一応順調に閲覧者数が増加しているのですから、そのままの調子で続けて特に問題ないのではないかと思いますけれども・・。私としては、むしろAさんのブログに1日数百人の閲覧者がいること自体が未だに不思議なのですが・・(笑)。それでも時折は面白いと思う記事もありますけれども・・。それ故、閲覧者数といった周囲の状況が多少変わっても、そうしたことをあまり気にしないで、記事を書き続ければいいのではないでしょうか?」
A「・・まあ、それはたしかにそうなのですが、また、このようなことをBさんにいうのは「釈迦に説法」であるとは重々承知しておりますが、それでも自分の書いた文章が1日数百人の方々に読んでいただいているというのは、なかなか緊張するものです・・。あまりウカツなことも書けませんし・・。その点、書籍の抜粋とは、ある程度楽なのですが、そればかりを続けていると今度は自分の文章が書けなくなるのです・・(苦笑)。
ともあれ、そのようなことから時折「もしかしたら私は泳がされているのかもしれない・・」などといった漠然とした不安を覚えることもあります(笑)。
無論、こうした考えとは、自意識過剰の所産ではあるのですが、そのあたりもある意味、原始的な感情と理性との葛藤であるのかもしれませんね・・(笑)。それでも古代ギリシャの劇に出てくる機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)あるいは水戸黄門一行のようなものがこの先突然登場し、一気に状況が変わるといったこともないと思いますので、まあ、とりあえず今現在は記事を書き続けることが大事ではないかと思います・・(苦笑)。」

B「・・まあ、そうでしょうね。しかし、それよりも、今のハナシでギリシャ悲喜劇の機械仕掛けの神と水戸黄門を類似したものとして示したのは、なかなか面白いですね(笑)。
しかしながら、私が思うに、この両者とは、たしかに類似している要素もあるのですが、また同時に相違もあると思います。つまり、ギリシャ悲喜劇における機械仕掛けの神とは大体が劇終盤に突然登場し、大団円の方向に持ってゆくようなものであるのに対して、水戸黄門に象徴されるような我が国の時代劇におけるヒーローの多くとは、物語のはじめから登場しており、それが物語の事態悪化を好転させるということなのですが、これは、さきほどの機械仕掛けの神というよりもむしろ、トリック・スター的な要素の方が強いのではないかと思います。また、我が国のそうした民話、伝承的なヒーローとしてのトリック・スターとは、スサノオそしてヤマトタケルのあたりから連綿と続いているのではないかとも思いますね・・。とはいえ、こうしたトリック・スター的なキャラクターとは海外の神話、物語でも多く見られるとも思いますが・・。」

A「・・なるほど突然登場して事態を展開に至らしめる機械仕掛けの神に対して、当初から登場はしているが事態の要求により、突然別の側面を露わにして物語を展開に至らしめるトリック・スターということですか・・。たしかにそうであるかもしれませんね・・。
そして、そうしますと、どうも夏目漱石の「夢十夜」の第三夜を思い出しますね。
これはトリック・スターとはいえませんが、主題的には概ね、さきほどの筋に沿っているのではないかと思います・・。そうしますと、我々日本人とは、既知でありながらも、ほぼ無意識化されていたものが、何かの契機により突然姿を現し、物語を展開させる、あるいは何か重要なことを気付かせるといった主題が、それこそ無意識的ではあるのかもしれませんが、嗜好するような傾向があるのかもしれませんね・・まあ、あくまでも思いつきですが(笑)。」
B「・・ううむ、それはなかなか面白いかもしれませんね・・。あるいはそうしたことは、我が国の様々な文化、事象などにおいて、何か深い意味があるのかもしれません・・。
また、そうしますと日本人が歴史などの記憶を忘却の彼方に追いやるといったよく聞く傾向に対してもまた、異なった視点で見ることが出来るかもしれませんね・・。」

A「・・ええ、我が国の公的な近代以降の歴史の叙述とは、結局のところ欧米的な方法論によるものであると思います。無論、それはそれで大変重要、大事であるとは思います。
しかし、一方において、そうでない在来の方法論にて述べられた歴史もまたあるのではないかと思います。そして、それを理解しようと試みると、また異なった我が国あるいは他の国の歴史、文化に対する視座が出来て、それはそれで面白いのではないでしょうか(笑)?」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」