2016年8月22日月曜日

20160822 素戔嗚から菅原道真まで・・

昨日記した記事における「大魔神」とは、その造型モデルが古墳時代の埴輪であることは周知の通りであり、またそのことは以前、ブログ記事においても記したのではないかと思われます。

そしてその埴輪の起源について考えてみますと、それはつい先日投稿した記事「山椒・ミカン科・蜜柑・・」内にて記した垂仁天皇の御代であったとされております(日本書紀)。

日本書紀によると、それ以前の時代においては天皇崩御に際し人間が殉葬されていたとのこと(不思議なコトにその証拠はあまり発見されていない)ですが「それは野蛮である。」ということで、出雲に出自を持つ野見宿禰の言を取り入れ、人間の代わりに土製の人形(埴輪)を充てることにしました。

そして、これを機に野見宿禰は苗字(?)を野見から土師(はじ)に改めるように命じられ、またその一族が、さらに後代、菅原と苗字を改め、そこから学問の神様菅原道真が出ました・・。

ちなみにこの野見(土師)宿禰とは、それ(埴輪作成)以前より土器作成を司ってきた一族ではあるのですが、それと同時に我が国の相撲の祖であるとされております・・。

土器作成を司る相撲の祖とは、なかなか面白い組み合わせであると思われるかもしれませんが、これはその出自たる出雲族の祖とされる素戔嗚(すさのお)について考えてみますと意外と納得させられます・・。

といいますのは、素戔嗚(すさのお)は、高天原にて田の畔を破壊したり、溝を埋めたりといった土にまつわる悪行を行い、それら(他にもありますが)が原因で高天原を追放された後、出雲にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したりと、いわば土いじり、格闘といった双方の要素を兼ね備えていると思われますので・・(笑)。

しかし、そこから時代がくだり、菅原道真までになりますと、古来より一族(野見、土師)が持つ(技術、力技的)要素が希釈され、専ら学問分野においてその名が知られるようになるというのは、なかなか示唆的なことではないかとも思われます・・(笑)。

とはいえ、菅原道真の学問分野における名声とは、一面において、さきの技術、力技的といった男性的な要素に対し、何かしらの変態、転移が生じることにより得られるのではなかろうか・・?とも考えさせられ、また、そのように考えてみますと、妙にハナシの筋は通るのです・・(笑)。

さらにまた、こうしたことを記しておりますと、このハナシの筋道とは、古代より現代に至るまで続く我が国の(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像(?)を示しているのではなかろうか・・?とも考えさせられます・・。

そしてそれは時代精神の変化に伴い、それらが持つ原初的要素(技術、力技的)と洗練された要素(学問、詩歌)とのピークの変化(上下?)を示しながら光源氏、源義経そして最後は近代に至り西郷隆盛あたりで終息したのではないだろうか・・?と考えさせられますが、さて、如何でしょうか・・(笑)。

また、ここまで記しておりますと、不図、岩波書店刊・バートランド・ラッセル著「幸福論」の一節あるいは西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」というコトバを想起しました・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。