2016年7月23日土曜日

20160722 エルンスト・ユンガー、ロバート・グレーヴス、ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインについて・・

心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックといった人間の心、精神における現象(?)と理系学問分野における様々な物質の相変態・相転移の現象が類似しており、さらにそれがエルンスト・ユンガーがその著書「労働者・支配と形態」にて述べている「技術と人間の結びつきとは間接的である方が良い。」ということに何かしら関連があるのではないだろうか?といった内容を先日のブログに記しましたが、これは現在になり考えてみますと、我々人間にとって奥が深い主題であるのかもしれません・・。

また、そのように考えてみますと、エルンスト・ユンガーと同時代の異なる戦場にいたイギリスの詩人ロバート・グレーヴス著の岩波書店刊「さらば古きものよ」からも同様に、上に記した内容に近い要素が何かしら看取されるのではないかと思いましたが如何でしょうか?

私見とはなりますが、この当時(20世紀初頭~第一次世界大戦)のイギリスをはじめとする西欧社会の歴史的背景、価値観を知るうえでこの著作はかなり有益であるのではないかと考えます。

とはいえ、この著作とはトーマス・マン著の「魔の山」ほど著名でもありませんので、この著作とは少なくとも我が国においては「隠れた名作」という評価が適当であるのではないかと思います・・。

また、当著作文量は上下巻に分かれていますが、おそらく「魔の山」の6・7割程度であると思われます。

興味を持たれた方々、是非一度手に取って読んでみてください・・(笑)。

あるいは、時代的にもタイムリーであるのかもしれません(そうでなければ本当に良いですが・・)。

そして、ここまで記していて、不図思い出したのが、ほぼ同時代人のオーストリア・ハンガリー帝国に出自を持つ哲学者ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインです。

彼もまた前掲二者同様、第一次世界大戦の激戦に身を置いた一人であり、その著作「論理哲学論考」内の思索の多くは、戦地での勤務にて為されたということです・・。

たしかに、この二者(エルンスト・ユンガー、ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン)には相通じるものがあるように思えますが、如何でしょうか?

おそらくヴィトゲンシュタインの方が普遍的、科学的な現象面により注視し、端的には理系的な発想、著述の色彩が強く、そのことから、理系学問優勢の我が国における両者の知名度の相違を決しているのかもしれません・・。

さて、ハナシは変わって、今回投稿する記事により投稿記事数が365となりますが、特にこれといった変化はなく、また同時に今現在そういったものを望んでいるわけでもありません・・。

しかし、次回の投稿により、閏年である今年を挟んだ一年分の記事数として適当な366記事となります・・。

とはいうものの、おそらく次回(明日)の記事投稿においても特に何かが生じるということもなく、ただ自身のケジメとして「ああ、一年一カ月程度でようやく一年分として適当な記事数を作成したな・・。」ということになり、ある程度の達成感を感じる程度ではないかと思います(笑)。

ちなみに明日記す予定の記事とは今現在においてもこれまでと同様何も考えておらず、またその時になりはじめて考えると思われます・・(笑)。

そして、その意味において、明日が休日(土曜日)であることは、まことに好都合であるとは思います・・(笑)。

しかし、一体何時になると私の文体における相変態・相転移らしきことが生じるのでしょうか?(笑)。

あるいは、こうしたことは突如生じるといったものではなく、徐々に生じ、進行してゆくものなのでしょうか?
とはいうものの、そういしたことに実感が伴わなければ判然としませんので、もしかすると、以前記したように私とは(少なくともこうしたことに関しては)相当鈍感であるのかもしれません・・。
また、これはあくまでも可能性のハナシではありますが・・(苦笑)。

ともあれ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、さる四月の九州、熊本を中心とする大地震により被災された地域の出来るだけ速やかな復旧そしてその後の復興を祈念しております。