2017年4月8日土曜日

20170407 ある程度の期間のブログ記事作成によって感じること・・

あまり意識して書いたわけではありませんが、昨日分の投稿記事もまた投稿翌日の割りには多くの方々に閲覧して頂けました。

さて、これまで継続してきたブログ記事作成により総投稿記事数600到達に徐徐に近づきつつあります。

これに対し、実感らしきものは湧きませんが、一方においてブログ記事作成の継続により時折強く感じることは、何かしら偶然ともいえない不思議と感じられる出来事が生じることがあります。

それは他者による自身のブログ記事に対する表層的、仄めかし的な言動、反応などといったもの(我々日本人とはこうした表現をことのほか好む・・(笑))ではなく、より必然的に深層から生じたと感じざるを得ないような出来事のことです・・。

そしてまた、こうしたこととは、以前投稿したブログ記事においても書きましたが、そうした出来事の具体的内容を言語、文章化することはあまり行うべきではないと考えます・・。

とはいえ、そうした出来事を通じ、一連のブログ記事が読まれている、あるいはわずかであるとしても、それらが何かしらの影響、効果を持っていると感じ得ることから、これまで記事を書き続けていることが出来ているのではないかとも考えるのですが・・。

ともあれ、そこで考えることは「では、こうした感知し得る影響、効果とは、ブログ記事を公開して閲覧されている方々がいることによって生じているのか?あるいはそれら影響、効果とは、文章を書き続けるという行為そのものに付随するものであり、それ故、公開の有無とは、感知し得る影響、効果に対し、大きくは関与しないのではないか?」ということであり、このことは、なかなか興味深いことであると考えます・・。

そして、自身がそのように考えるに至った原因とは、具体的には、2007年の修士課程修了の直後、さらに2013年の博士課程修了の直後もまた、そのような感覚を持っていたことが記憶されているからです・・。

また、さらにその詳細を述べますと、それら修了に至るまでに作成された文章とは、当ブログ記事のように公開されつつ作成されたものでないにも関わらず、さきの感覚を得たことは、要するに続的な文章の作成そのものに何かしらの影響、効果を生じせしめる要因があるのではないかとも考え得るということになるのです・・。

そうしますと、それらを感知し得る不思議な出来事とは、記事を閲覧された方々による直接的な反応ではなく、文章の継続的な作成を通じ、ある出来事を不思議なものとして自身が感知することが出来るようになった評するべきであるのかもしれません・・。
(一種の遷移、相変態?)

こうしたことは、おそらく当記事を読まれている方々においても、少なからず身に覚えのあることではないかと思われますが、その一方で、そうしたことは必ずしも科学的には解明されていないのではないでしょうか・・(笑)?

しかし、こうしたことの科学的な検証が為され『創造の為される一つのメカニズム』として開示されますと、それに基づいた逆算、検算式な行為を行うといった、いわば『マニュアルに沿った創造?』が為されるに至り、結果、原始以来我々が行ってきた手法による(到底)効率的とは云えない創造行為およびそれに付随する精神が駆逐されていってしまうのかもしれません・・(苦笑)。

果たして、こうしたことは悲劇であるのか喜劇であるのでしょうか・・(笑)?

とはいえ、今回もまたここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」