2015年10月14日水曜日

加藤周一著「日本人とは何か」講談社刊pp.19-22より抜粋

われわれは何を望むか。それはまだ形をなしていないと私はいった。これは事実の問題であって、それ以上何をつけ加えていうこともない。
われわれは何を望み得るか。これは可能性の問題であって、私は私なりに意見をいうことができるだろう。
私の意見はさしあたって二つである。

第一、過去の日本人は、一方で造形的な感受性と趣味の鋭敏さを実証し、他方で工業技術の発展に能力を示した。
しかしその二つのものを結び合わせることはできなかった。多分われわれはその結合を望むことができるだろう。
われわれを勇気づける徴候は、すでに建築の一部にあらわれている。そこでは鉄やコンクリートで建てる技術と、伝統的な美的感受性とが融和している(ただし伝統的な感受性との融和であって、木造建築の形との融和ではない。木造建築の形がコンクリートの材料と融和するはずのないことは、わかりきっている。融和するはずのないものを無理にむすびつくった世にもぶざまな建築の典型的な例は、東京九段のその名も軍人会館という怪物である)。建築の成功は、たとえ小部分での成功のようにみえても、おそらくその意味するところが大きい。なぜなら建築はそこで人間が働き暮らす場所であり、またすべての造形美術の母体でもあるからだ(彫刻はその柱や欄間から、絵画はその壁から、次第に独立して出て来たものにすぎない)。すべての創造的な時代は、何よりもまずその建築に時代精神の形を見出していた。
たとえば紀元前五世紀のギリシャ、紀元後八世紀の日本、十二世紀のフランス等。
建築が精神の問題でなくなったのは、現代的な病のいちばん重い症状の一つである。
建築に調和を発見するということは、おそらく、単に日本の問題であるばかりなく、現代の世界の問題の核心にも触れているのである。
第二、過去の日本人は開国によって近代的な国家をつくりあげることに成功したが、それは技術的な開国であり、つくりあげた国家は技術的に近代的であったにすぎない。
十九世紀半ばの技術的(物質的)な開国に対し、現在二十世紀の半ばに、おそらくわれわれは思想的でもなく日本歴史の上ではじめて明瞭に人権を保証した憲法である。
人権宣言のいまだ嘗てなかった社会で西洋の近代思想を問題にするのは、極端にいえば学者の道楽にすぎなかった。
ところが思想は他の何であり得るとしても本来道楽の対象ではあり得ないはずのものにはならないだろう。
現にこの鎖国は、外国思想との交渉の問題になるよりもはるかに手まえで日本人の精神的構造そのものにおける鎖国的特徴としてあらわれていた。
今はその詳細に立ち入ることはできない。
しかしとにかく戦前の日本に育った日本人のほとんどすべてには共通のある精神的特徴がある。
その特徴を簡単にいえば、まず心理的な段階では、閉鎖的であること、思想的な段階では、ものの考え方の普遍的でないことである。
思想的な段階では話が面倒になる(という意味は、決して問題があいまいだということではないが)。
心理的な段階では、たとえば外国で何年間か日本人旅行者の反応を観察すると、容易に話がはっきりする。
一定年齢以上の日本人旅行者の反応と、著しくちがっている。しかもその特殊性は、性別、教養、知能の程度、個人的な性格の差などとは、おどろくべきことに、ほとんど全く関係していない。そうではなくて、ただ精神的鎖国の結末と関係しているのである。
若い日本人にそういう特殊な反応がほとんどないのは、単に若さの問題ではなく、育ってきた環境の閉鎖性が少なくとも心理的には崩れはじめているからであろう。
私は精神的鎖国の原則が、すでに憲法で崩れ、その心理的影響が、青年において崩れはじめていると結論したいと思う。
しかしもちろんその結論から、思想的開国までゆくのは遠い道である。人権宣言にもとづく憲法とおそらくは生活様式の推移から来る心理的な開放性、―この二つの条件だけから、精神的開国にのぞむときに、われわれを勇気づける現実的な根拠にはなり得る。そしてすでに現れはじめているそのような条件を維持し、拡大し、われわれの望みを空想に終わらせないためには、どうしても平和が必要だということになる。
戦争、戦争の準備、戦争を予定した措置のすべては、人権を冒す最大の理由であり、多かれ少なかれ民主主義をその原理において侵害するものである。
そのことに疑の余地はない。
その意味でわれわれは平和を望むことができるだろうし、その理由は単に原爆の被害が忘れられないということばかりではなく、日本の軍国主義的権力の人権に対する加害が忘れられぬということでもあり得るだろう。
人権に対する加害は同時に精神的鎖国を導く。
ところがをいか
開国の必要は、外国の思想の輸入などということとは全く無関係に、偉大な地方的文化にして普遍的な価値の世界へ引き入れるかという望み以外のものではない。
日本人とは何か―さしあたって何であるかわからぬ。
しかしやがて技術文明のなかに人間的な感覚の「形」を導き入れるという重大で決定的な仕事に熱心なあまり、平和をねがわずにはいられない一国民になり得るでもあろう国民である。われわれはそのような歴史を負い、今も活気にみち、自分の能力のほんとうの使いみちを探しているのだ。
(「現代倫理講座」筑摩書房1958)
日本人とは何か (講談社学術文庫)








ISBN-10: 4061580515

ISBN-13: 978-4061580510


加藤周一著「日本人とは何か」講談社刊pp.113-117より抜粋20151012

私は過去五六年の間、なかば西ヨーロッパで、なかば東京でくらし、彼我の知識階級の関心の対象には、目立った違いがほとんどないという印象をうけた(同じ対象を扱い方には、むろん多少の違いがあるが、それもヨーロッパ諸国相互の間での違いが、日本との違いよりも常に大きいとは限らない)。しかし唯一の例外は、宗教とそれに関連した問題に対する態度である。
日本では知識階級の無関心が著しい。
ということはあらゆる個人的接触の機会に経験したし、また日刊新聞を含む一般ジャーナリズムの上でも、容易に指摘することができる。
一方外国人にとっての日本は―といっても、日本に特殊な関心を持つ例外的な少数にとってということになるが―伝統的な仏教文化と「天皇制という軍国主義的な宗教」によって知られる国である。
そのことと、日本の知識階級の宗教問題に対する無関心とは、著しい対照をなしている。
しかも宗教的問題に対する関心が西欧の知識階級にくらべて、日本の知識階級には少ないというだけでなく、宗教的感情または信仰そのものについても日本の大衆は宗教の影響をうけることが少ない、ということが日本人の観察者のほとんどすべてによって強調されてきたのである。
観察の大部分は統計によらず、観察者自身の個人的経験により、たとえば文部省の「宗教年鑑」に見られる各教団届出信徒教の示すものとは、まったく別の微妙な問題を語っている。信徒総数は、その大部分が習慣による純粋に形式的所属を表しているに過ぎない。同様に仏壇の有無、葬式の仏式か否かは、仏教の信仰と殆どまったく関係がないだろう。
神前結婚は、大部分の男女にとって神道との何等の精神的関係をも意味しない。
そういう条件のもとで、宗教の儀礼的な面を統計的に扱っても、その結果は大衆の宗教感情、その政治・道徳・文化等への影響について、殆ど何ものも教えない、従って日本側の信頼すべき個人的な観察者が、現在の日本人は信仰が薄い、宗教から何等の重大な精神的影響を受けていない、と考える点で誰も一致しているということは、注目すべき事実なのである。一方外国人の側には、今の日本人の心理について、少なくとも宗教に関する限り、殆どすべて一致した誤解がある。
すなわち、日本人は今も宗教的感情に豊かで、宗教の影響が日本人の文化や生活に少いはずはないと考えているのだ。
彼我の意見の相違が、日本に関してこれ程確然と分かれている例はおそらく他にないだろう。問題が微妙で、長い生活を通してでなければ容易に捉え難いからかもしれない。
たとえば宮沢俊義氏は、カトリック教徒田中耕太郎氏の最高裁判所長就任が、日本で殆ど問題にされなかったということにレモン・アロン氏がおどろいたということ、またキリスト教徒の片山哲氏が総理大臣になった時、そのことに注目したのが占領軍司令部だけで日本側では誰も注意しなかったということなど二三の例を挙げて、大臣や「最高裁判所長官が神道であろうと仏教であろうと回教であろうと、キリスト教であろうと・・大部分の日本人はその点に何の関心も持たない」といっている(「日本文化通信」一九五六年四月)。
また桑原武夫氏は中谷宇吉郎氏との対談で、「日本の自由過剰」を制限するために、宗教を持ち出すということについて、「しかし日本人はもとから宗教心がないんですからね。
これを復活さそうなんといっても、無理だと思います」といっている。「日本人はもとから宗教心がない」という言葉は、大衆との広い接触を持ち、多くの問題について判断の正確な桑原氏の口から、全く気軽に、特別の検討を必要としないで意見として、自然に出てくることのできるものなのである(「文藝春秋」一九五六年八月号)。

また殊に仏教国日本の「坊主ども」について、三好達治氏は「もうとっくの昔に無意味な存在となりきっている」と断定する。金龍山浅草寺が堂宇を新築し、「仏教浄土さながらの象徴的聖域とやら何やら」といっても、「法主以下誰もそれを信じていないのがまるまる見とおしである」。
しかも、誰も信じていないのは金龍山浅草寺だけではなく、「全国津々浦々百万の実例がおよそ大同小異である」というのだ(「文學界」一九五六年八月号)。仏教の知識階級への影響に至っては、零に等しい。アーノルド・トインビー吉川幸次郎両氏の対談には次のような問答がある。トインビー氏「・・・学生が仏教を信じないというのでしたが、仏教の教えによる無意識的な影響も受けてはいないということでしょうか」吉川氏「無意識的にも日本の大学の学生は仏教の影響を受けていないと思います」(「中央公論」一九五六年十二月号)。法律学者も詩人も仏文学の専門家も中国文学者もこの点においては、おそらく日本に関する他の問題について大いに意見を異にするであろうにもかかわらず、まったく一致している。
田舎ではどうか。
きだみのる氏は「部落には宗教はない。宗教の屍があるだけだ」と断定し、次のような注目すべき観察をした。
それは村のお彼岸会であり、檀家たちがお経を聞き、読経料二百円ずつ出した後で、きだみのる氏が住職や総代たちと酒を飲んだ時に考えたことである。
「彼岸の今日の儀式、費用、それらはすべて今日の部落の生活の現実に対して何の意味も持ってはいない。
住職も部落の連中も懲罪の場としての地獄も亡霊の存在も信じていはしない。
住職は生活のためにそれを信じている振りをしているかも知れない。しかも他のものは全く意味をもたない伝統の歯車のまにまにこのような儀式を行っているのだ」と(「群像」一九五六年十一月号)。
田舎では、仏教も天皇崇拝も、まだほんとうに生きているという考えは、日本人の観察者の中にも少なくない。
しかし、そういう観察者の大部分は都会の住人であって、部落の人々にとってはよそ者である。
部落の事情をほんとうに理解することがむずかしいのは、外国人にとって日本の事情を理解することが困難なのと似ているかもしれない。
外からの観察者にとっては、田舎に宗教がみえ、内からの観察者にとっては宗教の屍がみえる。
ということは、田舎には都会よりも、宗教殊にその信仰ではなく、その儀式的な面がよく保存されているということなのであろう。「住職は生活のためにそれを信じている振りをしているかもしれない。」―ときだみのる氏はいう。
それを見破るためには、氏のように長い間部落に住みこむ必要があるだろう。
調査票を配布して、回答を集めるやり方で、それを見破るのは、むづかしい。

ところが政治・社会・文化現象の全体にとって、宗教が何らかの影響をもつか、もたぬか、もつとすればどういう影響であるかは、信じているのか、信じているふりをしているのかということによって、決定的に左右されるはずである。しかもそれだけではなく、この信じるのでもない、信じないでもない、「信じるふりをする」という態度のうちには、宗教と関連しての日本的なものの典型があらわれているかもしれないのである。

「日本人とは何か」
「日本人とは何か」
ISBN-10: 4061580515
ISBN-13: 978-4061580510
加藤周一