2019年3月24日日曜日

20190323 対話形式2007年10月頃のこと

地下鉄神保町駅近く喫茶店にて

A「その後、歯科技工学校に行くことになったとお聞きしましたが、調子の方はどうですか。」

B「ええ、おかげさまでどうにかやっています。こうした専門学校は初めてであり、また、今まで歯科のことはよく知りませんでしたので、とても勉強になっていると思います。その中で歯科理工学という科目があるのですが、この科目では、鋳造の原理も教わるのですが、これがなかなか面白いのです。といいますのは、以前に研究した地域学・民俗学において和歌山・紀州の地域性を考える一つの要素・基軸として、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸に着目しましたが、この銅鐸がまさしく鋳造によって作られているのです・・。ですから、その技術原理を知りますと、経時的な銅鐸意匠の変化を技術的な視点から考えることが出来るようになると思うのです・・。その意味で、この科目はとても面白いと云えます・・(笑)。」

A「ああ、銅鐸ですか、そういえば、たしかに以前私が和歌山に訪問した際も、君は熱心に銅鐸のことを説明していましたね・・。」

B「ええ、銅鐸の形式別の出土分布などを考えてみますと、何と云いますか、その当時の地域における文化の伝播の方向性のようなものが分かるのではないかと思うのです。その意味で、和歌山、紀伊半島におけるそれは、まさに典型的であると云え、県庁所在地がある和歌山市を中心とする紀北地域では、比較的小型で、装飾性もあまり高いとは云えないタイプの旧式の銅鐸の出土が相対的に多く、それが有田、御坊、みなべ、田辺と地域を南下するに随い、大型の装飾性が高い、新式の銅鐸が多くなり、また出土数全体も多くなっていくのです。
そして、そのピークがみなべ・田辺の周辺地域であると云え、そこからさらに南下して、上富田町が今のところ紀伊半島、ひいては本州での銅鐸出土の最南端となり、そこから現在の42号線、あるいは昔でいうところの大辺路で、ぐるっと半島の東側に周って新宮まで行き、ようやく破砕した状態での銅鐸が一つ出土しているのです・・。しかし、この銅鐸は後世の平安時代の遺物と一緒に出土していますので、弥生時代当時から、この地で祀られていたものであるかどうかは不明であるのですが・・。」

A「ふーん、なるほど、そうでしたか・・。そのように考えてみますと、昔から紀伊半島の南端地域は、人が入ることが憚れる何といいますか、神聖な土地であり、また、そこに自然崇拝や神道、仏教などが混淆して熊野信仰が生まれたのでしょうね・・。その意味で、たしかに今、君が説明してくれた紀伊半島での銅鐸の出土分布は興味深いかもしれません・・。」

B「はい、数年前に熊野参詣道高野山が世界遺産に登録されましたが、こうしたことを併せて、その淵源を考えてみますと、これがなかなか古いのではないかとも思われてくるのです・・。また、同じく、当地域における古墳についても、その分布を考えてみますと、なかなか興味深く、これまでで分かっている県内の古墳は、全体で1000基近くあるとのことですが、その7~8割が紀北の和歌山市周辺にあるのです。これを、さきの銅鐸の出土傾向と重ねて比較してみますと、もちろん単純には云えないのかもしれませんが、概ね、社会構造の変化に伴う、地域における中央集権化の様相といったものを示しているのではないかと思われるのです。」

A「なるほど・・。そういえば以前、君が案内してくれた海岸から突き出た半島状地形の頂上部に築かれた古墳で「ここは紀伊半島、ひいては本州最南端の現存している古墳です。」と説明されていましたが、あの古墳は紀伊半島のどの辺りに立地しているのですか。」

B「ああ、上ミ山古墳のことですね。あの古墳は本州最南端の串本町と温泉で有名な白浜町の間にあるすさみ町に立地していまして、しかも、あの古墳の造営様式は、県内での古墳が集中する和歌山市周辺で多く見られるものとは異なり、それはむしろ熊本・肥後のそれに近いのではないかとも考えられています・・。」

A「へええ、それはなかなか面白いですね・・。私は熊本の古墳もよく分からないから何とも云えませんが、その背景には一体どのような歴史・経緯があったのでしょうかね・・。」

B「ええ、そのあたりもさらに検証して考えてみると、なかなか面白いのではないかと思います。また、それに関連して、先日購入した書籍に面白いことが書かれていまして、先生は6世紀の継体天皇の御代に九州北部で生じた磐井の乱はご存じだと思いますが、それで、その筑紫君磐井の墳墓とされる岩戸山古墳周辺地域に特異的に見られる石人石馬もご存じであると思うのですが、この地域特有とされる石人石馬が、これが何と!鳥取県の石馬谷古墳からも、一つだけですが出土しているのです・・。それで、この共通項から遡った地域を考えてみますと、それは古代朝鮮半島南東部にあった新羅ではないかと思われるのですが、これは未だ仮説、いや一応、歴史的背景などは考えてはいるのですが、現段階では空想と云えます・・(笑)。」

A「・・なるほど、古代の山陰地域と朝鮮半島南東部にあった新羅との関係性は記紀にもいくつか記載がありますし、また、磐井の乱が勃発した経緯にも新羅が出てきますので、たしかに、そこには中央集権化・国家統一が為される以前の、古代における何らかの交流関係・交易ルートのようなものが示唆されるのかもしれませんね。そして、その伝で、さきの本州最南端の上ミ山古墳を考えてみますと、どのような仮説が考えられるのですか。」

B「・・ええ、これについては未だ仮説ではあれ説明を可能にするほどの周辺知識を得ていませんので、おいおい書籍を読みつつ考えていきます。そして、また仮説を思い付きましたら、お聞き頂ければと思います・・。」


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に焦点を当てた勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
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