2018年11月30日金曜日

20181129 ベートーベンの第九交響曲と阿波踊りに共通・通底することディオニソス的?

昨日来の風邪は、いくらかはよくなりましたが、やはりまだ風邪気味であるといえます。さて、そうした中、本日は所用のため博多に出向いておりますが、やはり博多は九州第一の都会であり夜になっても街全体が明るいです。ともあれ、そうした街並みを移動のために歩いていますと、さまざまな建物、店、看板などから、その街の個性・特徴のようなものを感じとることが出来ます。

また、このようにして、ある地域・街の個性・特徴などを看取しようと試みるのは、社会学者や民俗学者がよく行う手法であると云え、あるいはフィールド・ワークを研究方法として用いる文系学問領域にて共通する手法であるのかもしれません。

さて、そのような視座から、今現在離れている徳島について考えてみますと、以前の記事においても述べましたが、徳島県は日本で、アジアで初めてベートーベンによる第九交響曲が全楽章演奏された場所とされています。この第九交響曲は、元々18世紀半ば頃にはじまる疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)の時代のドイツの思想家・詩人であるフリードリッヒ・フォン・シラーの『歓喜に寄す』という詩を題材として作曲されたものですが、この詩いや、同時代の時代精神自体が、疾風怒濤と評されるほどに、理性に対する感情の優越を主張するような傾向を持っていました。また、そうした視座を得ることにより、しばらく後のドイツの哲学者・思想家であるフリードリッヒ・ニーチェがおそらく、その著作『悲劇の誕生』にて『ベートーベンの第九交響曲はこのうえなくディオニソス的な楽曲である。』と述べていたことが了解され得るのではないかと思われます。【*この著作が『悲劇の誕生』であったかどうかは確信がありませんが、ニーチェがその著作の何れかにて、そうしたことを述べていたことは、大分以前の記憶ではあるものの、間違いではありません。興味のある方は是非、ご確認してみてください。】そういえば、古代ギリシャの文化に精通していたニーチェによる、さまざまな文化のディオニソス的、アポロン的といった類型分類は、かなり大雑把に述べますと、ディオニソス的とは不可視とも云える陶酔的、情熱、内面にある、未だカタチを有さない混沌としたエネルギーに満ちたものであり、他方アポロン的とは、理知的・造形的であり可視化・洗練されたものといった感じが強いものと云えます。

その上でベートーベンの第九交響曲が『このうえなくディオニソス的な楽曲である』という評価は、確かに納得出来るのではないでしょうか?さて、そうした特徴を持つとされる楽曲がアジア、日本で最初に全楽章演奏されたのが丁度100年前(1918年)の徳島県であり、またその同じ県では、阿波踊りの際の『踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損』といったフレーズ、そして、この祭りの際のよく分からない熱気(情熱と言い換えても良いかもしれない)からは、洋の東西の違いはあるものの何かしら共通・通底するものがあるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

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2018年11月29日木曜日

20181118 惰性や中毒と意地の違いから思ったこと・・

師走まで間近のこの時期に風邪をひきました。くわえて本日は雨模様の一日であり、気温もあまり上がらず、さらに本日はいくらか帰宅が遅くなったことから、ブログ記事作成などせずに、早く就寝した方が良いと考えていましたが、案の定、PCを立ち上げネットに接続してみますと、どうも新しい記事の作成をはじめてしまいます・・(苦笑)。

ここまで書き続けても、この先特に良いことが確実にあるというわけでもないのに、何故、私はこの行為を続けてしまうのでしょうか?そして、ここまで来ますと『継続は力なり』というよりもむしろ、惰性あるいは中毒といったコトバの方が適切ではないか?とも思われるところですが、それでも同時に、そこにはいくらかの努力もあると思われることから、惰性や中毒に付随する後ろめたさのようなものはなく、記事作成の後には、既に慣れて麻痺してしまいましたが、わずかに達成感のようなものもあります。

とはいえ、現在においては、この達成感のために記事作成を行っているというわけでもなく、半ば意地のようなもので継続している部分も少なからずあると云えます。そして、そのように考えてみますと惰性や中毒と意地の本質的な違いは、あるいは傍から見れば同一に見えるある行為の基層にあるマインド・セットにあるのではないかと思われました。おそらく、こうしたマインド・セットといったいわば精神の状態は、外からは分からず、いや、本人でも分からないことも多々あるのではないかと思われます・・。そして、それ故に自身のブログについて、さきに述べたが如く『ああでもない、こうでもない』といった意見を何の衒いもなく書くことが出来るのかもしれません・・(笑)。

ともあれ、そのようなことを書いていますと、自然と脳裏に浮かぶのは、コトバ・言語とそれが示す対象の関係です。このことは以前にも何度か書きましたが、何であれ、文章で何かを書き続けるに際して、かなり重要であるように思われるのです・・。

このことは昨今、自分がよく分からない体系の言語を聞き、用いざるを得ない時によく感じることですが、その意味で自身はコトバ・言語と、それが示す実態を深くまで認識・把握している体系なり分野などはあるのだろうか?とも思うところですが、しかし、こうしたことも、おそらくさきの惰性や中毒と意地の違いのように、本人ではよく分からないことであるのかもしれません(笑)。

あるいはそうしたことを出来るだけ上手く表現するためにブログ記事の作成を行っているのかもしれません・・。
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2018年11月28日水曜日

20181127 合理的でないことの価値・・創造性?

A「どうですか、最近は何か面白いことはありましたか?」

B「・・ええ、どうでしょうか・・毎日が面白いと云えばそうですし以前、医療法人に勤めていた時と比べますと、その扱う分野が一つだけではないというのが、新鮮であるかもしれませんね・・。まあ、それでもこの年齢で今まで知らなかった分野のバックグラウンドをある程度まで知るのは相当難しいとは思いますがね・・(苦笑)。」

A「はあ、やはりそういったところが大変なのですか・・。それでもBさんの専門分野はたしか歯科の材料でしたよね・・時々は、その分野の先生方とは会われることはあるのですか?」

B「ええ、それは『なくもない』といった感じです・・。また、時折は出向いた先の先生方にご挨拶に伺うこともありますが、大体はメールや電話でのやり取りですね・・。それでも、そうしたやり取りで、何と云いますか、新たな考えや最近の動向などを知ることが出来ますので、そうした交流はかなり大事であると思いますね。」

A「まあ、そうした事情は自分ひとりではなかなか分かりませんし、また、ねつ造するわけにも行きませんので、さまざまな情報を収集するうちに蓄積されたもの、あるいはそれら情報が重なり合いピントが合ったところが、その実際の様相を示しているのではないでしょうかね・・。」

B「ええ、そうですね。また、そうしたことは対象が何であれ、大体同じであるように思います。つまり、何と云いますか、帰納法のようなものではないでしょうか?そして、面倒であるのかもしれませんが、そのNを増やすことにより、より精確な平均値あるいは標準的な像といったものを得ることが出来るのではないでしょうか?」

A「ああ、それはそうかもしれませんね・・。また、それと関連してBさんも同意されると思いますが、歴史などはまさにそういったものであると思います。つまり『これさえ知っておけば大丈夫!』というものがないのです・・。こうした考えは学校の勉強のようなものとは相矛盾するようでして、丁度この辺りで重要になってくるのが、その人の個性といいますか向き不向きのようなものであると思います・・。」

B「ええと、それは『これさえ知っておけば大丈夫』というものがなくとも自然に続けてしまう勉強なり活動に対するそれぞれの方向性といったものでしょうか?」

A「・・そうですね。多分、そうした活動の方向性・傾向に、その人の個性といったものは現れると思いますので・・。そして、これから先の時代は、さまざまな周辺機器を利用して、それを最大限にまで伸ばす、活かすことが大事であるように思います。そして、おそらく、そうした人間の活動に対しては人工知能もしばらくは追いつくことが出来ず、あるいはそうしたものは、今後、創造的となった人間と人工知能を備えた機器との『いたちごっこ』の様相を示すようになるのではないでしょうか・・。」

B「ああ、たしかに人間の人間たる所以は『創造』が関連しているのかもしれませんね。そして、そのように考えてみますと、これまで継続的に作成しているブログも一応、創造であるのかもしれません・・(笑)。」

A「うん、公表する文章を書く、そして、それを続けるというのは、そこまで簡単なことではないと思いますし、それに、そうした精神状態をある程度の時間、持ち続けることも、まあ簡単ではないと同時に、あまり合理的であるとは思えませんね・・(笑)。それでも、何かが内面に生じるまで、その合理的でない活動を続けてみるというのは、事後から見ると、しばしば、そして、いくらかは創造的ではあるのかもしれませんね・・。それでも、このあたりの兼ね合いに関しては、おそらく、どんな哲学も宗教も合理的な解答を用意していないのではないように思いますね・・(笑)。」

B「ええ、多分それは人工知能が人間を対象とした哲学や宗教を創造し、さらに、それを多くの人々が信じるようになるまでは、起きないように思いますが、しかし、そうした事態が実際に生じたら、その後の人間はどうなってしまうのでしょうか・・?あるいは平和で安定した社会にはなるのかもしれませんが、同時にそこからは科学や芸術の進化発展といった創造性はあまり望めない、ある意味、去勢されたような社会になってしまうのではないかと思います・・。」

A「・・ええ、たしかにそうかもしれませんね・・。そして、ですから先ほどの「いたちごっこ」を、たとえ、その行為が合理的ではないと知りつつも自然に続けてしまうような本能に裏打ちされたとでも云える内から湧き起こる気力が大事ではないかと思うのです・・。」


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2018年11月26日月曜日

20181126 書籍からの抜粋引用ばかりで記事を作成しない理由・・歴史意識を磨く意味?

おかげさまで昨日投稿分の記事(主に書籍からの抜粋引用)もまた、比較的多くの方々に読んで頂きました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。そしてまた、本日も、書籍からの抜粋引用を以て投稿記事にしようと、つい先ほどまで考えていました。たしかに、この手法にて記事作成・投稿を行うのであれば、かなり長期間にわたって比較的容易に記事作成を継続することが出来ると思われます。しかしながら、この手法に一たび慣れてしまいますと、自身で文章を作成することが困難になってしまうおそれがあると考え、本日も含めて以降、出来るだけ自身の文章にて記事作成を行い、そして時折、挿話的に書籍からの抜粋引用を用いるのが当ブログ本来の目的である自身の文体の獲得・文章能力向上のためにも良いのではないかと思われました。そのため、当ブログにて書籍からの抜粋引用の方が比較的楽しく読むことが出来ているという皆さま、まことに申し訳ありませんが、以上の理由により、今後も出来るだけ自身の文章にて記事作成を行わせて頂きます・・。

さて、昨日投稿分記事にて抜粋引用した作品は、戦争小説に分類されるものの、その記述は、主人公の回顧的な独白により物語が進行するわけですが、この独白の仕方がきわめて独特であり、当引用部末尾にもわずかにありましたが、作中にて主人公が経験する出来事が同じく主人公の読書経験の記憶と結びつけられることにより、ハナシの時代背景が古今東西に飛ぶことから、その筋についていくことが困難に感じられることがあります。しかし他方で、こうしたハナシの進め方は、さきに述べた手法としての書籍からの抜粋引用と同様、かなり長い物語とすることも出来るのではないかと思われました【実際の記憶と読書の記憶の掛け算か・・】。

くわえて、少し前の著述家の多くは、こうしたことをあまり痛痒を感じることなく、自然に出来ていたのではないかと思われます。このことを異言しますと、一つ一つの述べるところの意味が深く、さらに、それらの結節の仕方が自然で洗練されているといった感じであると云えます。あるいはまた、帰納法にて用いるピースの一つ一つに味があり、同時にそれらはインターネットで簡単に入手できるような知識ではなく、さらにその組み立て・構成にセンスがあるといったところであるとも云えます。

こうした視座から、昨今作られた我が国のさまざまな文学作品、映画などについて考えてみますと、どうも過去に作られたものと比べ、全体的に深みがなく、何と云いましょうか、史実への忠実さといった意味での重厚さが乏しいのではないかと思われるのです。あるいはそれはPCやCGといった、さまざまな映像制作技術の進化発展により、作中にほんのわずかに登場する小道具などに特にこだわらなくとも、ある程度のものは作成出来てしまうといった事情があるのかもしれませんが・・。

これは映画など映像においては如実に看取出来ることですが、おそらく昨今の小説などに関しても、もとにある戦争体験者による著作(たとえば大岡昇平、山本七平など)を後代の著述家がその記述をコピーし、さらにコピーしていくといった間に、著述全体がボケてくるといったことが生じているのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうしたコピーに次ぐコピーをしている時代は、多くの場合、実際の戦争体験を持たないで済んでいる平和な時代であるとも云えることから、理想的であるのかもしれません。しかし、そのコピーに次ぐコピーを行っているまさにその時、何らかの間違い、勘違いのようなことがなかば必然的そして無意識的に生じ、内面より次の戦争の準備をしていくことになってしまうのではないかとも思われるのです。そして、それ故に、たとえ直接的な経済的利益に結びつく可能性はかなり低くとも、歴史意識を磨く意味、そしてまた、歴史全般が研究として不断に為される価値といったものがあるように思われるのです。

その意味において、昨今のエンターテイメントのようなもの(のみ)として映画・小説などが歴史を扱うことにより、特に我が国の場合、どうも変な方向に行ってしまうことが多いようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

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2018年11月25日日曜日

20181125 昨日投稿記事【書籍からの抜粋引用】が多くの方々に読んで頂いたことから・・【主に書籍からの抜粋引用 大西巨人著 『神聖喜劇』第一巻pp.543-546

一昨日投稿の書籍からの抜粋引用部は、その後、現在に至るまでかなり多くの方々に読んで頂けました。また、それは自身が作成する記事と比べてもかなり多いことから、多少複雑な思いもなくはないですが、ともあれ、これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。くわえて、この記事と関連があるのか分かりませんが、記事投稿後、いくつかの方面の先生方よりご連絡を頂きました。とはいえ、こうしたことを関連付けて考えてみますと、その後の記事作成が変に力んでしまうこともあり得ることから、とりあえず書くだけは書き、あまり気には留めず、記事作成を継続していこうと思います。

さて、一昨日のような書籍からの抜粋引用による記事投稿が比較的多くの関心を持って頂いたことから、今後しばらく、このフォームにて記事作成をして行こうと思います。そして本日は、これまでに何度かブログ記事にて取り上げ、また、一度その文章を記事として抜粋引用させて頂いた大西巨人著『神聖喜劇』(第一巻)からにします。

光文社刊 大西巨人著 『神聖喜劇』第一巻 pp.543-546
ISBN-10: 9784334733438
ISBN-13: 978-4334733438


『わざわざこの場まで出かけてきた二人の上官がひきつづき事態を傍観している理由も、私に明快でなかった。彼らの意図は何か。もしも彼らが彼らの臨場という事実の威圧によって大前田の火を吐く舌端を牽制しようと欲したのであったならば、それはすでにみごとに失敗したと見られるべきであろう。もはや彼らは、積極的に介入しなければならぬのではないか。だが、昼食喇叭の余韻をさえぎって発言したのは、村上少尉でも山中准尉でもなく、またしても大前田軍曹であった。

『お通夜にでん行ったごたぁる顔を拵えて、うんともすんともぬかさんが貴様たちも、これで少しはわかったろうな。おれだけが、うんにゃ、おれたちだけが、日本軍だけが、あってあられんごたぁるめずらしいことをしよるなんち思うなよ。なんぼチャンコロちゅうても、敵もそげん甘うはない。貴様たちの目にゃ、「日本勝った、支那負けた」で、戦争は万事すらすらっと行きよるごと見えとるかもしれんばってん、―またそれじゃけん、いまは勝ち戦の日本だけが、あってあられんごたぁるめずらしいことをしよるごと目立っとるかもしれんばってん、殺し合い取り合いぶっ壊し合いの根比べともなりゃ、チャンコロも隅にゃ置いとかれんぞ。あぁ、おれはこの目で現地を見て知っとる。なかなかどうして隅にゃ置いとかれるもんか。新聞やラジオやらで「残敵」、「残敵」なんち言い触らすとばっか聞いとったら、まるで支那の軍勢は残り少のうなってしもうたごと貴様たちは思うとろうが、聞くと見るとじゃ大違いよ。それにまた赤のゲリラ部隊は、あっちでもこっちでも執念深う出たり入ったりしとる。もう五年もかかり切りでやっとるちゅうとに、いっちょも片付いとりゃせんじゃろうが?その上に今度は毛唐が相手よ。毛唐とチャンコロとどっちが余計隅に置いとかれんか、知れたことか、「毛唐。」、「毛唐。」ちバカにして、あんまり嘗めてかかっとりどもしょうもんなら、いつか日本も太えまちがいをするとじゃなかろうかねえ。・・・なんせ南方じゃ、あってあられんごたぁるめずらしいことが、いろいろありよるじゃろうなぁ。ありよるにちがわんじゃろうなぁ。』

南方戦線に関して独白調で感慨しながら天空をもろに仰いだ大前田の満面に、正午の光があざやかな膜を張った。その光の膜が不意に歪んで罅割れて、得体の知れぬ悍ましい薄笑いが音もなく現れた。七、八秒あと、薄笑いと光の膜とを諸共に振り捨てた大前田の真顔に、ふたたび帽の庇に隈取る影が下りた。彼の垂れていた右腕が右横へおだやかにしなやかに持ち上げられるのを私は見ていたが、たちまち彼は、そのたなごころで右外股を一打ち丁と打った。

『いまは「日本勝った、日本勝った、米英負けた」ととんとん拍子で運んどるごたぁって、結構なことよ。この調子で、今年の夏か秋にゃカリフォルニア州はサン・フランシスコへんに敵前上陸するちゅう話もある。十一月三日の明治節ごろにゃアメリカもイギリスもお手上げじゃちゅう話もある。そのとおりに行きゃ世話はあるめいが、どうじゃろうか。「ほんとにそうなら、うれしいね」じゃなかろうか。おれにゃようはわからんが、お隣の支那さん一つさえ、六年がかりで持て扱うて、埒は明いとらんちゅうとに、遥か太平洋の向こうの大きな国を二つも相手にしといて、置いた物を取るごとそげん気安う見縊っとると、当てがはずれるかもしれん。勝ち戦のうちはぇぇ。ばってん、まだこれまでのところは、こっちから手近な先様の田舎出店を二つ三つたたき潰しにかかっとるちゅうだけで、アメリカ本店、イギリス本店をぐらりとでもさせたとじゃない。万が一、日本が負け戦になってみろ。いんにゃ、日本が負けてしまうことはなかじゃろう。まぁ仕舞いにゃ勝つじゃろうが、万が一、途中で形勢が悪うなって、敵が内地に攻め上がちゅうごたぁることになってみろ。日本人大ぜいが毛唐の軍隊からどげなあってあられんごたぁるめずらしい目に会わせられるか、考えるだけでも、おれはぞっとする。味方が負け戦になって敵が攻め入って来りゃ、否も応もなしに必ずそげな目に会わせられるとじゃ。そげんことになってから、なんぼあわてふたいめいても吠え面かいても、もう間に合やせん。上つ方か耶蘇教坊主か何かのごと聖人ぶるかして、「日本の戦争は、そげなあってあられんごたぁるめずらしいことをしよるとでありますか。」なんちゅう美しい寝言を言うたりしとったら、反対に自分たちが敵から思う存分そげなことをされにゃなるめえぜ。こっちが勝ち戦のときにゃやらかすことを、敵も勝ち戦のときにゃやらかすまでよ。そげな美しい寝言は、味方が味方にむかって言うはずのもんじゃない。味方が敵にむかって言うはずのもんじゃ。さもなきゃ味方が敵から言われるはずのもんじゃ。そうして何をどげん言おうと言わりょうと、とどのつまり「勝ちゃ官軍、負けりゃ賊軍。」ちゅうわけぞ。それが戦争よ。・・罷りまちごうて、もしも日本が負け戦にでもなろうもんなら・・・。』

しかし大前田は、語を中絶した。彼は、左手を帯剣の柄から放ち、その手の平で、面上のほとんど出てはいないであろう汗をぬぐい取るように額から顎までを一度ねんごろに撫で下ろすと、ここの太陽の下に不存在の何物かを見つめるかのように、この上なくむごたらしい何事かを思い描くかのように、薄目を作って、眉を顰めた。そのあやしげな面体で、数秒時間の沈黙を彼は守った。大前田の饒舌の内容よりも、むしろその憑かれたような止めどのなさが、今更に私は気味が悪くなってきていた。その話題の野放図な飛躍発展に反して、彼の声色は、―書き抜きの棒読みのような孤独な穏便な有様からわずかに変化していたけれども、―甲高くも荒々しくも上っ調子にもなっていなかった。そのくせ、そのおしなべて単調な地味な声音の長ったらしいつながりには、ある超現実の気違いじみた熱気が立ち籠めているようであった。癇癪を起したドストエフスキーが不断の彼は片言でしかしゃべられないドイツ語を流暢にあやつって啖呵を切っているというような図が、なぜか私に連想せられていた。』

2018年11月23日金曜日

20181123【書籍からの抜粋引用】岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.307-311【ナショナリズムについて】

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.307-311

『『ナショナリズム』というときわたしがまっさきの考えるのは、人間を昆虫と同じように分類できるものと考えて、何百万、何千万という集団をひとまとめに、平然と「善」「悪」のレッテルを貼れるときめてかかる考え方である。

だが、その次に考えるのはーそしてこの方がはるかに重要なのだがー自分を一つの国家あるいはこれに似た何らかの組織と同一視して、それを善悪を超えた次元に置き、その利益を推進すること以外はいっさいの義務をみとめない考え方である。ナショナリズムと愛国心ははっきり違うのだ。

二つの言葉はふつうきわめてあいまいに使われているから、どんな定義を下してみても異論が出るだろうが、ここには二つの異なったというより対立する概念が潜んでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式に対する献身的愛情であって、その場所や生活様式が世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。

ところがナショナリズムのほうは権力志向と固く結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。

この言葉の対象を、ドイツや日本をはじめとする悪評高い明白なナショナリズム運動に限るなら、こんなことはすべてわかりきっている。ナチズムのようにわれわれが外から観察できる現象をつきつけられれば、誰もが同じようなことを言うだろう。だが繰り返して言えば、ここで「ナショナリズム」という言葉を使うのは、ほかにうまい言葉がないからで、わたしの考えている広い意味のナショナリズムとは、共産主義、政治的カトリシズムシオニズムユダヤ人差別、トロツキズム平和主義(パシフィズム)といった運動ないし風潮まで含むのである。それは必ずしも一政府一国家への忠誠心であるとは限らず、まして自分の祖国への忠誠心である必要もない。それどころか、その対象になる組織が、かならずしも現実に存在する必要さえないのである。

具体的な例をいくつかあげるなら、ユダヤ世界、イスラム世界、キリスト教世界、プロレタリアート、白人種といったものも、すべて熱烈なナショナリスティックな感情の対象になりうるのであって、こういうものが実在するかどうかは大いに疑わしく、どれをとっても万人が認める定義など存在しないものばかりである。

ここでもう一度、ナショナリスティックな感情が純粋に消極的なものでもありうることを強調しておいてもいいだろう。たとえばトロツキストのばあいにしても、彼らは単にソヴィエト連邦の敵になっただけなのであって、これに類するそれ以外の組織に忠誠心を抱いたわけではない。ここ事実の意味を理解してもらえば、わたしがナショナリズムと呼ぶものの本質も、ずっと明確になる。

ナショナリストとは、威信競争という観点からしか考えない、すくなくともまずそれを考える人間なのである。積極的なばあいも消極的なばあいもあるーつまり後押しするために精神的エネルギーを使うこともあれば、引きずりおろすことに使うこともあるわけだが、いずれにしてもその考えはつねに勝利か敗北か、栄光か屈辱かといった思想を軸に回転する。ナショナリストは歴史を、それもとくに現代史を、大きな勢力の果てしない興亡としてとらえる。そして彼の目には、あらゆる事件が、自分の陣営は上り坂にあり憎むべき敵は下り坂にある証拠だと見えるのである。

だがさいごにもう一つ大切な点は、ナショナリズムを単なる成功礼賛と混同してはならないということである。ナショナリストは、いちばん強いものの味方をするという単純な原理は採らない。逆に、いったん自分の立場を決めたあとは、それが事実いちばん強いのだと言い聞かせて、客観的情勢がどれほど圧倒的に非であろうと、この信念を固守することが出来るのである。ナショナリズムとは自己欺瞞をふくむ権力願望なのだ。

ナショナリストたるものは例外なく、どんな目にあまる不誠実な行為でもやってのけるがー自分より大きなものに殉じているという意識があるためにー自分はぜったい正しいという不動の信念を持つことも出来るのである。』

2018年11月21日水曜日

20181121 1130記事を過ぎて思うこと、自分の才能、取り柄とは・・

当ブログの総投稿記事数はつい先日1130記事に到達し、年内の目標である1150記事も目前とまでは行きませんが視野に入ってきたとは云えます。そして、もしも、このまま1日1記事の投稿ペースを維持すれば、来月半ば前には1150記事に到達することも出来るように思われます。年内に無事1150記事に到達しましたら、いくらかは記事を作成、投稿しますが基本的には、しばらく記事作成を休もうと思います。

この時点においては未だ尚早であるのかもしれませんが『ブログは1000記事を越えてからが本番だ。』といった意見がありますが、これに関して自身は、その後100記事以上を越えていることから『ブログの本番とは何か?』については多少理解出来たのではないかとも思われるところですが、実際のところは何一つそうした感覚はなく、ただただ毎日何かしら書き続け、その中で時折、比較的多くの方々に読んで頂ける記事、あるいは、ある程度の期間にわたって読み続けて頂ける記事が出てくるといった感じです・・(笑)。

とはいえ、目標としていた1000記事の後に、さらに100記事以上作成し続けることが出来たことに関しては『まあ、そのくらいのことは出来るのだな・・。』といった感覚、そしてまた、体力と時間さえあれば2000記事くらいまでは続けることが出来るような感覚は自然に生じてくるようです・・。しかし、それでも自身にこうした文章を作成する才能があるとは、どうしても思われないのです・・(苦笑)。

そして、ここで『才能』というコトバが出てきましたが『では、私の才能あるいは取り柄は一体何であろうか?』と考えてみますと、他者評価による整合性を得ることが出来ていないため明言することは差し控えますが『やはり歴史や文学などをさまざまな手法を用い他者に対し口語ベースで語ること』ではないかと思われるのです・・。

これに関しては、おそらく、いくらかの素地のようなものはあり、そしてそれ以上に、その後の師匠筋が良かったのではないかと思われます。ともあれ、そのようなことから、私が自分の『才能』を生かしつつ努力し続けることの出来る職に就くことが出来るとすれば、その職は、何らかの医療専門職学科にて、その専門職領域と関連する歴史、文学などを複合させた教養科目を担当することではないかと思われます。くわえて、それと同時にさまざまな材料による試料の作成、そして就職支援などで、わずかではあるかもしれませんが寄与することが出来るようにも思われます。そして、こうした職をいくつかの大学にて(季節毎に)クロスアポイントメントで行うことが出来るようになれば、大変面白いのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

しかし、何れにせよ社会の成立そしてその発展のためには、もちろん科学技術は極めて重要であるのですが、それと同程度に、こうした『歴史や文学』もまた重要であることを、本格的に忘れかけてきているのが現在の我が国社会であり、また、それをどこかで認めているからこそ、昨今、さまざまなモノガタリ・アニメなどでタイムループ・転生ものが流行するのでしょうが、しかし、それらモノガタリ・アニメは、本当の『歴史や文学』を面倒くさい、堅苦しいものとして踏みにじり続けてきた我が国の社会が、その代替として生み出し、興隆したものであることから、それらから『歴史や文学』のエッセンスを学ぶことはおそらく不可能ではないかと思われるのです・・。

また、そうした状況に対し開き直り、そして半ばヤキになっているのが、昨今の我が国に見受けられるさまざまな国粋風の文化・活動ではないでしょうか?・・・いや、しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは幕末期、昭和初期からも、現在と類似・同様の構造が見えるのではないかとも思われてきますが、さて、如何でしょうか?

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20181121 徳島在住以降初めての新たな著作の読了から思ったこと・・

昨日乗っていた夜半の大阪発徳島行のバス車内にて、去る9月23日に徳島への転居以来はじめて購入し読み続けていた書籍(上巻)を読了しました。この著作は上下巻ものであり、本日より続きの下巻を読み進めていこうと思いますが、同時に徳島にて初めて新たな書籍を読了したことは、多少嬉しく感じます。

これは単なる個人的な偏見であるのかもしれませんが、書籍などを読みに際しては、あまり人口の多くないゆったりとした環境よりも、多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来るように思われます。また、私はかねてより書籍を読むことは、どの地域に在住していても続けていたことから、読書時の環境については、それなりに考えてきたと云えますが、面白いことに、昔からあまり変わらない自分の習性として、首都圏に入ると書籍を読むスピードが有意に速くなります。

そして、この感覚あるいは現象をこれまで繰り返し感じてきたことから、さきに述べた『多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来る』といった考えに至ったと云えますが、しかし他方で、自分の場合、より多くの書籍を読んだのは和歌山在住時であり、また(自分なりに)気合を入れてさまざまな書籍・論文等を読んだのは鹿児島在住時の頃でした。

そこから、あまり人口密度の高くない地方都市在住の時期であっても、それなりに多くの書籍を読んできたとは云えるのですが、ここで現在と異なることは、明確な目標の有無、そしてその目標への道程から、つかの間、自分を逃避させるための何かの存在といったことになります。つまり、当時の自身は目標を意識している時も、そこからの逃避をしている時も読書をしていたということになります。そして現在においては、自分で思い定めた学位の取得といったある程度重い目標はなく、それ故、そこからの逃避もまた必ずしも不可欠ではないことから、現今における読書は、見方によれば、自分のニュートラルな本質を示しているとも云えるのかもしれません・・。

それでも、仕事上での必要性以外で、毎日何らかの書籍は少なくとも何頁かは読んでいますが、徳島在住以降の全く新たな書籍の読了は、今回のこの著作であり、また、私見としてはこの著作同著者前作の『サピエンス全史』と同様、かなり面白く感じられ、特に頁が進むにつれて、読み進む速度が増し、そして夜半いや真夜中といっても良い24時少し前の高速鳴門あたりのバス車内にて、この著作を読みおえた時は何やらよく分からない感慨が生じました(笑)。さらにそのすぐ後に、このバスが高速鳴門の停留所にとまり、ドアが開きますと、何やらベートーベンの第九交響曲のサビが聞こえてきました・・。書籍を読了した直後の余韻に耽っていた自分は、当初これを幻聴ではないかと思いましたが、よくよく考えてみますと、以前にもバスがこの停留所に停まった時も、同じ曲が流れていたことが思い出され、そこから、これは幻聴でなく、映画『バルトの楽園』で知られる坂東俘虜収容所がこの付近にあったことに因む選曲であることに気が付かされました・・。あまり知られていることではありませんが、我が国で最も著名と云っても過言ではないクラシックの楽曲ベートーベンの第九交響曲が日本で、いやアジアで初めて全曲演奏されたのは、ここ徳島県の鳴門市(かつては板野郡)であるのです・・。くわえて、それは今から丁度100年前、第一次世界大戦が終結した年(1918年)のことです。

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2018年11月19日月曜日

20181118 照葉樹林文化の縄文、弥生時代の共通、連続性と銅鐸

一昨日投稿分の記事にて述べた『照葉樹林文化』の中に柑橘類の栽培といった特徴があり、それにより、一昨日、昨日投稿分記事はまとめることが出来ます。

さて、以前に当ブログにて述べたことですが『照葉樹林文化』は中国南部、東南アジア北部地域そして西日本、朝鮮半島南部にて多く見受けられる生活文化であり、さきの柑橘類の栽培の他にはすぐに思い付くものだけでも、養蚕、漆の利用、味噌・納豆など大豆を原料とした発酵食品、蒟蒻といったイモの中に含まれるマンナンという成分を固めた食品、芋・穀類と肉・魚などを交互に積層し発酵させた『なれずし』の存在、喫茶の習慣、餅など粘性の強い食品の愛好、小豆に邪霊を祓う力があるといった考え、鵜を用いて漁業を行うこと、などが挙げられます。

また、水稲耕作も照葉樹林文化に含まれるのですが、水稲耕作は,この文化体系の中においては、さまざまな知識・技術が複合・集約化された高度なものであり、そこから、その年代的な起源は比較的新しいと云えます。

しかし、であるからといって日本列島に水稲耕作が縄文時代晩期頃より波状的にもたらされたのと同時期に照葉樹林文化もまた我が国にもたらされたというわけでもなく、それ以前より雑穀、イモ類などの栽培は広く行われており、その中でも特に植生、気候風土がその文化発祥の地に近く、且つまた当時、列島内にて人口密度が希薄であった西日本は、その文化を受容するに好適であったと考えられます。

つまり、水稲耕作の列島流入以前より、我が国の縄文時代文化に紐付けされる照葉樹林文化が既に存在し、また、それ故に、類似あるいは同一の生活文化に属する水稲耕作も比較的容易に受容そして融合することが出来たのではないかということになります。

そして、こうした事情を背景として据えることにより、弥生時代の西日本水稲耕作社会における青銅祭器である銅鐸に、縄文土器に見られるものと同じ紋様が認められることの意味合いといったものを理解することが出来るのではないかと思われます。

しかし、その後、弥生時代から古墳時代への移行は、このような比較的平和裏と思しき背景でなく、もう少し血腥いものであったことを、さまざまな遺跡・遺物は示し、また、さきの銅鐸も、そうした様相を示す遺物の一つであると云えます・・。

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2018年11月18日日曜日

20181117 柑橘類について思ったとりとめのないこと・・

以前在住していた和歌山では、この時季になりますとスーパーなどの野菜、果実売り場にて蜜柑が多く置かれるようになります。それは普段柑橘類をあまり購入しない私でも自然に手を伸ばし購入するほどです。また、和歌山における蜜柑については以前にもブログ記事にて取り上げましたが、現在在住している徳島もまた、全国的に知られている酢橘をはじめ、蜜柑や柚子などの柑橘類の栽培が盛んです。

おそらく和歌山と同様、徳島も柑橘類の栽培に適した自然風土であるのだと思われます。とはいえ、もう少し視野を広げてみますと、同じ四国内においては、これまた蜜柑、伊予柑で有名な愛媛県があり、また高知県は柚子の栽培で知られています。

柚子のような比較的酸味の強い柑橘類は、どちらかというと沿海部ではなく、内陸部のいくらか標高が高い場所の方がよく育つように思われます。また、ここまで書いて思い出されたことは、以前、当ブログにて和歌山県の飛び地として取り上げた和歌山県東牟婁郡北山村では『じゃばら』という柑橘類が多く栽培されていることです。その果皮・果実には花粉症などアレルギーに対する抑制物質が多く含まれているとのことであり、これは私が和歌山在住の頃はあくまでもローカルなハナシであったのですが、現在では首都圏のスーパー(比較的高級な)においても、その加工品(ポン酢、飴、ジュース、果汁・・)が販売されており、これに関しては多少隔世の感があると云えます・・(笑)。

ともあれ、この北山村も内陸部の比較的標高の高い、中山間地域と称されるところであり、この地にて栽培される『じゃばら』もまた柚子と同様、酸味の強い柑橘類です・・。自身の味覚の記憶を頼って書きますと『じゃばら』の方が柚子よりも若干柑橘類特有の苦みのようなものが強かったように思われます・・。感覚的ではありますが、おそらく、この苦みのようなものの中に、さきのアレルギーに対する抑制物質が多く含まれているのではないかと感じられます。

また、さきに述べた愛媛県と豊予海峡・豊後水道を挟んだ対岸の大分県においては『かぼす』の栽培が盛んであり、さらに九州各県においては、それぞれ地域特有の柑橘類が存在すると云えます。

そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、蝶の幼虫は、その種類毎に食べる葉の種類も異なり、揚羽蝶は柑橘類、特に蜜柑の枝に卵を産み付け、孵化した幼虫はその葉を食べるというということです。

そうしますと、柑橘類の栽培が盛んな西日本各地に揚羽蝶も多いということになり、またそこから平家の家紋が揚羽紋であったことが想起されます。

治承寿永の乱の頃において平家は勢力基盤の多くが西日本にあり、他方源氏は関東地方を主とする東国を地盤としていたことから、平家の揚羽紋の発想は自然であると云えます。
また、ここからは多少蛇足になりますが、平家の最盛期を築いた当時、氏の長者であった平清盛が安芸国(現在の広島県廿日市市)の厳島神社を氏神として崇敬しましたが、後世、この地の野球球団が平家と同じ赤色を基調として、また同じくこの地から出たロックバンドの2001年にリリースされたミリオンセラー楽曲の題名が『アゲハ蝶』であったことは、何かしら因縁めいているとも思われるのですが、さて如何でしょうか?



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2018年11月16日金曜日

20181116 ある地域の生活文化について述べようとして・・

以前に何度か当ブログにて述べたことではありますが、世界の様々な生活文化の中で、何らか・いくつかの要素が共通し、ある地域に見受けられることがあります。その卑近な例を一つ述べますと『箸を用いて食事を摂る文化は東アジア特有である。』といった感じです。

とはいえ、おそらくは蒸気・内燃機関の進化発展に端を発し、特に近代以降、国際的な人々の往来が盛んになり、その結果、人に付随するさきの生活文化も混淆し、そこから更に新たな生活文化の相が形成されているのが現代であると云えますが、それらの始原・オリジナルでは、ある地域においてのみ特有である生活文化が、まさしく土着のままで地域に根差していました。しかしあるいは、その状態もまた、さらに以前の時代における人々の往来による各種生活文化の混淆の結果、形成されたものであるのかもしれませんが、それでも、それは殆どの場合、蒸気・内燃機関の進化発展によりヒト・モノの輸送効率が急激に改善された後と比較しますと、より始原・オリジナルに近い状態を示していると云えます。

その意味において、我が国の近代化は19世紀後半以降であり、また、それ以前までの我が国の歴史、生活文化は始原からの有機的・緩徐的な文化の蓄積によって形成されており、対して19世紀後半から現在に至るまでの我が国の歴史そしてそれに付随する生活文化はジェット・コースターのように乱高下、あるいは活発に変化しているように思われます。また、そうであるからこそ、現在においてもなお、福沢諭吉、夏目漱石等からはじまり竹山道雄、丸山眞男、山本七平、大岡昇平、会田雄次、三島由紀夫、司馬遼太郎等の我が国社会に対する文章化された思想・思いなどを『生きたもの』として我々が知覚することが出来るのではないかと思われるのです・・。

しかし他方、彼等、近代以降の思想家・著述者等の文章を、まさに『生きたもの』として読むことが出来、さらに、それぞれの思想にピントを合わせて現在の我が国社会を眺めてみますと、そこから映ずるものは一体どのようなものであり、また、どのようにコトバにて表現され得るものなのでしょうか・・?

本来はこのようなペシミスティックな考えを述べるつもりではなく、この19世紀後半までの比較的ゆっくりとした歴史の積み重ねにより形成された我が国の地域における生活文化は、戦後しばらくまでは、おそらく地域に濃厚に残存しており、また、こうした身体感覚として認識出来る残存した生活文化と民俗学の書籍をある程度読み込むことを融合させることにより、その地域の生活文化そしてまた歴史をも深くまで知ることが出来るようになるのではないかと思われます・・。

もちろん、そのようなことは好きでなければ出来ませんし、いや、それ以前に、これまでの我が国のお家芸であった表層的な認識・真似による対外的な優等生ぶりが通用しなくなってきているのが(皮肉なことであるのか)各種機器の進化発展が著しい『現代』であるのかもしれません・・。

今回本当に述べたかったことは東アジア南部の主に内陸部を中心とした生活文化『照葉樹林文化』のことであり、不思議なことに、こうしたことは、首都圏在住時では感じることが出来なかったのですが、ここ徳島ではごく身近なものとして感じられるのです・・。こうした感覚は、読書の結果得たものなのでしょうか、それとも所与のものであるのでしょうか?

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2018年11月15日木曜日

20181115 歯科衛生士・歯科技工士のダブルライセンスのスタンダード化【案】

昨今、少子高齢化が加速する我が国においては各業種、より知識および材料集約的と云える医療・介護系業界参入への試みが多く見受けられる。また同様の情勢を他面より観察すると、高等教育において将来の就職、安定した生活を考慮し、医療分野に進むことを希望する高校生が増加している。この状況を背景として特に国内都市部において看護をはじめ医療系大学・学部・学科の新設が目立ち、また、医療専門職としての看護師の地位は、数十年前と比較し、確固としたものになったと云い得る。くわえて昨今より、在宅医療の更なる拡充も試みられ、その流れから今後、医療・介護職の更なる連携強化が必須と云える。それは歯科医療においても同様であり、就中、健康寿命の延伸にも寄与する『口腔ケア』そして、その実施の担い手である歯科衛生士の役割、および他の医療・介護職種との連携は極めて重要であると云える。しかしながら他方、歯科衛生士は慢性的な人材不足であり、これは歯科衛生士免許取得後の就職先の殆どが、零細企業とも云える歯科医院であり、さらに雇用主の歯科医師との関係という不確実な要素により、そのキャリアが多く決まってしまうといった事情に基づいていると考えられる。それ故、歯科衛生士の人材不足は今後も継続するものと考えられる。加えて、もう一つの歯科医療専門職である歯科技工士は、その業務内容の辛さから、以前よりなり手が減少し続け、更に近年のさまざまな切削加工技術(CAD/CAM、3-Dプリンターなど)の進化発展により、その職務内容も大幅に変容し、既存のカリキュラムでは現在の歯科技工業務に対応することが困難になりつつあると云える。こうした背景により、近年においては少なからぬ歯科技工士養成校が閉鎖・廃校に追い込まれている。しかし同時に我が国では歯科技工士法が存在し、海外にて安価に作成された歯科技工物【義歯・金歯など】は違法である。こうした問題を抱える歯科医療業界の現状であるが、これをいくらか改良する施策として、同じ基礎科目を複数持つ歯科衛生士・歯科技工士の養成課程を融合し、四年制ないしは五年の修学年限にて歯科衛生士と歯科技工士双方免許の受験資格を取ることを目的とした新たな学校【おそらく大学組織が適切】を設置することが挙げられる。歯科衛生士・歯科技工士のダブルライセンス取得により、歯科治療を行う歯科医師にとっては新たな心強いパートナーとなり、また社会からは確固とした医療専門職として認知され、そして治療を受ける患者さんからは安心できる歯科医療従事者と認識され、さらには今後縮小していく労働力人口に対しても、いくらかは寄与するものと考えられる。とはいえ、こうした意見は既存諸組織においては日常業務の大幅な変更を余儀なくされることから未だ多くの賛同を得るには至っていない。ともあれ、以上の件、あまり表立って取り沙汰されることはないものの、我が国将来の歯科医療を考える際、それなりに変革を要することであると思われますが、さて如何でしょうか?
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20181115 昨日新たな記事の作成、投稿を行わなかったことから思ったこと・・

昨日は帰宅が遅く、また飲酒をしていたため、新たな記事の作成は行い得ませんでした。とはいえ、記事作成を行わずに安んじて床に就くことが出来ることは、かなり心地よいものであり、そこから『多少無理をして毎日のように記事を作成することはないかもしれない・・。』とも思われた次第ですが、それでも、やはりこのように記事作成を始めている自身がいるのです・・(苦笑)。【これもある意味、絶対矛盾的自己同一であるのかもしれません・・。】

もちろん、こうして記事を作成している時は、常時気分が良いわけではなく、むしろ、よく分からない衝動によって書き続け得ていると云えます・・。とはいえ、さすがに1000記事を越えてしばらく経った昨今にまで至りますと『果たして、この衝動はどこまで記事作成を続ければ恒常的に止むのだろうか?』とも考えるに至るわけですが、しかし同時に、いくらか都合が悪いことであるのか、ある面、ある時において自分は、たしかにこの記事作成を楽しんでもいるのです・・(笑)。

そうしますと、自然、記事作成が全く楽しくなくなれば、新たな記事の作成をすることもなくなるのでしょうが、この程度まで事態を呑み込むことが出来るのであれば、その後は、多くの場合と同様、その『程度』が具体的な問題であることが理解されるのです・・。

この『程度』は必ずしも毎日である必要はないのでしょうが、同時に、ある程度頻繁に新たな記事を書き続けていないと、自身がブログ記事のような公表を前提とする文章を作成する際のスタンスを忘れてしまうように思われるのです・・。そして『今後どの程度まで継続すれば、そのスタンスを完全に近く自身のものとすることが出来るのだろうか?』とも思うところですが、それも、とりあえずは書き続けて行く他になさそうです。

こうした感覚は、以前に抜粋引用した井筒俊彦著『意識と本質』内の「脱然貫通」のように体感を以て感知することが出来るものなのでしょうか・・?

その意味では、おそらく以前に比べ、こうした体の感覚に真摯に耳を傾けることが少なくなったように思われます・・。

また、そうであるからこそ、久しぶりに山道を歩いたり、都内にて比較的長距離を徒歩で移動しますと、より自身の内側の感覚に対して率直とも云える文章を作成することが出来たのではないかと思われます・・。また、大変興味深いことに、やはり、そうした記事の方が多くの方々に読んで頂けているのです・・。そして、こうした現象を身体レベルにまで近く自分のものとすることにより、緩徐的に「脱然貫通」のようなことが生じ、次いで、時に応じて適切と思しき文章を作成する際のスタンスを引き出すことが出来るようになるのではなかかと思われます。

さて、そこでハナシは変わりますが、徳島への転居後、早や3ヶ月が経ちました。こうしたことをすっかり忘れるほどにさまざまなことがありました。また、こちらへ転居した頃は夏の暑い盛りであり、丁度、阿波踊り直前の時期でした。その後、季節は夏が過ぎ、秋から冬になろうとしていますが現在に至るまで、おかげさまでどうにか記事作成を継続することが出来ています・・。その記事更新の詳細な頻度の設定については保留にしますが、もうしばらく、来年の2月あたり、具体的には1200記事に到達するまでは、あまり考えずに出来るだけ毎日に近く記事作成を継続してみようと思います。

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2018年11月13日火曜日

20181113 意図的に記事作成を簡単にしない理由・背景・・1200記事到達までの目途

これまでほぼ毎日とまではいきませんが、それに近い程度の割合でブログ記事の作成を行っていますが、作成、投稿された記事のほとんどは、その場にて即興で作成されたものであり、予め意識的に構想を練って作成したものは、かなり少数であると云えます。

こうした記事作成の手法を採っていますと、記事の出来、不出来のバラつきが大きくなるようであり、それら記事の閲覧者数の違いによっても、如実に示されるように思われます。

また、そうであれば『もっと簡便に記事作成が出来る手法があるのではないか?』と考え、たとえば、以前に投稿した多くの方々に読んで頂けた記事をコピペし、その言い回しや文章の進め方、構成などを変化させることにより、既投稿記事とほぼ同じ内容を持ちつつも、新たに作成したと思われるような記事を、比較的容易に作成出来るように思われ、またこれは実際、技術的に可能であると思われるのですが、何故か、これまでに行ったことはありません。その理由は、あまり考えたことはありませんが、ただ、そうしたことを行ってしまうと、自由意思に基づき作成しているこのブログ記事の作成が、何らかの不自然な意図を持ってしまう可能性があることを危惧しているからであるようにも思われます。

くわえて、これまでの経験から、当ブログを継続的に読んでくださっている方々の中には、そうしたことを当然の如く見抜く方々もいると思われますので、消極的な意味からも、こうした容易(安易)な手法を採ることに躊躇をおぼえるのではないかと思われます・・。

さて、概ね以上のような背景にてブログ記事の作成を行ってきましたが、意外に記事作成は出来るようであり、また、その中でも時折は継続して読んで頂けるような記事が作成されることもあり、直近であれば、去る11月9日投稿分の『『野良犬』であった自分が思ったこと・・』は投稿4日後の本日に至っても、滴下する水の如く、少しづつではあれ、その閲覧者数は増え続けています。

そしてまた、その具体的内容を述べることは差し控えますが、さきの投稿記事に対しての反応とも思われることが、ここ数日間生じているようにも思われますので、やはりその意味からも、さきに述べたような、安易とも云えるような記事作成手法を採ることは控えた方が良いように思われるのです・・(笑)。

とはいえ、もう少し多く、記事作成を休む日があっても良いとも思われ、無理のない具体的な目標としては年内に1150記事あたりまで到達することが出来、そして来年2月中に1200記事まで到達出来ればと考えています。そして、1200記事まで到達した際にあらためて当ブログを続けるか止めるか考えてみようと思います。

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2018年11月12日月曜日

20181112 喜ばしくない経験の価値と生活至上主義的の拮抗?

おかげさまで、去る11月9日投稿分記事『『野良犬』であった自分が思ったこと・・』は、かなり多くの方々に読んで頂き、また現在においても少しづつではありますが、その閲覧者数は増加しています。

そこでは触れていませんでしたが、この『野良犬』であった時期を精神的に支えてくださったのは文系分野での知人の方々も同様であり、特にイヤミな態度を取ることもなく、2012年以来、半年毎に開催される勉強会に呼んでくださったのは文系院時代からの知人、先生方であり、また以前と同様、落語や演奏会に呼んでくださり、さらに必要な時には速やかに推薦状を作成・ご送付くださったのは文系分野の師匠でした。

おそらく、こうした接点もなく、ただただ日々の仕事をこなしていたのであれば、どこかで力尽きていたのではないかとも思われます・・。また、もちろん、こうした状況は決して自分が望んだものではありませんが、しかし一方で、こうした経験を経ることなく、ある程度安定した生活を手に入れることが出来るのであれば、こうした経験をしない方が良いとは全面的には思うこともまた出来ないのです・・。

これは二律背反・矛盾するような心情ですが、しかし、さきの記事にて述べたような喜ばしいとは云えない経験を経ることにより、我々の精神は、それを乗り切った時に、それ以前と比べて、少しは良いものになることが多いと思われるのです・・。おそらく、こうした考えは陳腐と云えるほどに古く、さまざまなイニシエーションの儀式の背景にある考えのその基層にも、こうした考えがあるのではないでしょうか?

しかしながら、現在の我々の社会では、こうした喜ばしくない経験を出来るだけ避けようとする傾向があり、また、それらをクレバーに避け、ハイ・コストパフォーマンスに生きることが良いことであるとされる、ある意味、合理的ではあるものの、精神の進化発展の機会・契機を削ぎ落としたとも云える考えが一般化しているように見受けられます。

また、おそらくこれは我が国全般に確固とした言語化された宗教・思想・哲学がなく、何と云いますか生活至上主義的であることから生じると思われるのですが、さきのイヤと感じられる経験を全面的に排除しようとする強い傾向があり、その結果『井の中の蛙』さらには『夜郎自大』となり徐々に国際競争力も先細って行ってしまうのではないかと思われるのです・・。

それ故、昨今、我が国において盛行を見るナショナリズム(国家主義)的活動・言動からは『愛国主義はならず者の最後の避難場所云々』よりも、より端的にこの『夜郎自大』の方がよりアジア的であり適当であるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

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2018年11月11日日曜日

20181111 先日『野良犬』の記事が多くの方々に読んで頂けたことから【対話形式】

A「先日投稿のブログ記事を読ませて頂きましたが、あれも大分奮っていたように思いますが、どうでしょうか?」

B「ええと、それは直近に投降した『野良犬』に関する記事ですか?』

A「ええ、それです。一体そういったことを書かせるような出来事でもあったのですか?」

B「いえ、そうでもありませんが、以前に行っていた首都圏の歯科医院、大学歯学部、歯科大学をまわるような活動をしていますと、不図そんなことを思うのです・・。また、おかげさまでにて、あの『野良犬』の記事は、かなり多くの方々に読んで頂いておりますので、それなりに興味を持って頂いているのだと思います。」

A「ええ、表立った裁判沙汰にはならないにせよ、大学でそうしたことはしばしばあるとは聞いていますし、また、実際にそれで人生を滅茶苦茶にされたという自覚があるのでしたら、やはり何らかの方法でそれを主張されるのは、少なくとも咎められることではないと思います・・。」

B「ええ、私も基本的にはそのように考えているのですが、それでも、そうしたことをあまり大ぴらには主張し難いのが、我が国の社会ではないでしょうか?しかしまた、先日の『野良犬』の記事を作成していた際に思い起こされたことがありまして、それは、2010年の丁度この頃に師匠が退職されて私は鹿児島に残るべきか否か、周囲の方々に相談させて頂いたのですが、その際、伺ったアドバイスで、都内、千代田区にある古くからの歯科大学が来春2011年より、これまで博士課程に出願することが出来たのは医師・歯科医師のみであったのが、他分野にて修士課程を既に取得か取得予定の者も出願することが出来るようになったというのがありました。このアドバイスを伺った時点で出願期限までに若干余裕があったことから、これにはかなり迷い、また、前年、2009年11月には兄が亡くなっていましたので『鹿児島を離れて実家に戻るべきではないか・・?』とも何度か思ったのですが、他方で、以前にも当ブログにて書きましたが、研究室は師匠が去られた後、翌年の2011年には准教授の先生も定年退職される予定であり、さらに研究室の先輩院生等は『師匠のいなくなった研究室にいても・・』とのことで、学位取得後、早々に研究室を離れ、開業する方向にて動き出していました。そうしますと、研究室に残るのは助教の先生お二人と事務係の方お一人そして院生の私と計四名のみとなっていまい、研究室が担当している『歯科理工学』の講義・実習の遂行が覚束なくなってしまうことを、さきの准教授の先生に実験室の万能引張圧縮試験機の前で説かれました。しかし、であるからといって『院生として鹿児島に残るべきである。』とまでは明言されませんでしたので、私は迷ってしまい、結局あまり思慮深い【打算的】とは云えない、鹿児島残留の方向に舵を切ったわけです・・。これは現在においても良い選択であったのか、悪い選択であったのか、よく分かりません・・。何せ人生の中でこのようなことはありませんでしたし、参考にすべき類似の事例も知りませんでしたので・・。」

A「・・そのあたりの事情は以前に伺ったことがありますが、その2010年に鹿児島への残留を決めた理由は、その何と云いますか『義侠心』のようなものなのでしょうか?」

B「いえ、そのあたりはそこまでご立派なものばかりであるとは思いませんし、どちらかといえば惰性のようなものも少なからずあったのではないかと思いますね・・。ですから、それを『評価しろ!』というのは、ちょっと違うのではないかと思うのです・・。それでも、そうした事情によって何といいますか『あまり表出されることのない犠牲』を強い続けて、後になって用済みのモノのように扱う国や組織などはあまり栄えて欲しくはないですよね・・(笑)。」

A「え、そうしますと、Bさんはその用済みのモノのように扱われたといった認識を持たれているのですか?」

B「ええ、そこが大変に難しいところでして、個人個人で考えてみますと、実に親身に対応して頂けたという記憶もあるのですが、組織あるいはこの場合、そのおおもとは省庁が指示を出されたのでしょうが、その際に、こちらのことは何一つ考えていなかったように思われますので、そのことが、今現在思い出してみても暗鬱として、次いで怒りが沸々と湧いてくるようにな感じになるのです・・。まあ、それでも以前と比べますと、コトバにて、こうして割合平静を保って云えるくらいですので、かなり良くはなっているのですけれどもね・・(笑)。」

A「多分、そうしたことは忘れた方が楽であるのかもしれませんが、しかし、そこで忘れてしまったら、また同じようなことが自分に生じた場合、無自覚になってしまったり、あるいは周囲にてそうした事態が発生した際に何も云えませんからね・・。その意味でも記憶は大事なのでしょうが、しかし我が国の場合、イヤな記憶は酒で溶かすといった風潮があるように思われます・・。そして、そうしますと、臨在感・その場の空気によって支配されるような組織、国となっていくのでしょうかね?」

B「いえ、そこまではよく分かりませんが、それでも、あの時期のコトはあまり頻繁には思い出したくないのが本音といったところですね・・(苦笑)。ただ、同時に、それでも何かがあった際に思い出さざるを得ない『記憶』そして、その感覚に対する率直さは大事であると思いますけれども・・。」

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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前掲著作の筆頭執筆者である師匠による歯科材料全般、あるいは個別・複数の歯科材料に関しての勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験より、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外、他分野の研究室・法人・院内等 勉強会・特別講義のご相談承ります。

勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス
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数年前より現在までに日本列島各地・特に西日本にて発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。




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2018年11月10日土曜日

20181109 『野良犬』であった自分が思ったこと・・

久しぶりに都心部、都内で活動しみますと、徒歩での移動距離が長いことに驚かされます。以前の首都圏在住時では、こうした徒歩での移動を日常としていましたが、現在ではそれが少し辛く感じられます。そこから、やはり慣れ・習慣は大事であると痛感しました(笑)。

また、そうした中、夕刻、診療を終えた院の先輩である歯科医師のクリニックを訪問して、一日の診療後の少し疲れた感じで、こちらも同様に活動の疲労のなかで会話をしておりますと、面白いことに意外と面白いアイデアが浮かんでくることもあり、また、そうでなくともハナシ自体は概ね弾むと云えます。この先輩は当り前ですが、私の兄弟子にあたり、学位取得後、大学に残ることも考えており、もしも2010年の出来事がなければ、私同様、もう少し人生が変わっていたとも云えます・・。ともあれ、この2010年の出来事により、この先輩歯科医師を含む我々は『野良犬』となり、先輩は学位取得後すぐに開業され、同様に私は某医療法人に勤務していました。

医療法人の勤務と云っても、その実態は周知活動という名の営業であり、それまで、こうした外回り営業を行ったことのなかった私はかなり苦戦し、また、それなりに恥もかきましたが、その際に大変お世話になったのは、さきの先輩歯科医師をはじめとする先生方でした。おそらく、こうした方々がいなければ、私は未経験の営業活動など出来なかったものと思います。また、これら先生方に共通する特徴として云えることは、ある程度以上に学究肌であることです。先生方は歯科医院を運営されながらも、ごく普通に研究を続け、学会発表をされていたり、専門書籍の執筆などをされています。

こうした共通する特徴は、単なる偶然であるのか分かりませんが、私としては、その中に何らかの(究極的には説明できる)理由があるのではないかと考えます。また、こうしたことは、是非、機会がありましたら、皆さまご自身で経験されてみると良いのではないかと思われます・・(笑)。

これを異言しますと、本当に『野良犬』であった私に対して、エサ(援助・発注)をくださった方々は、兄弟子(先輩)であり、同じ分野にて研究されている先生方であったり、何らかのご縁で知遇を得ることが出来たいずれも学究肌の先生方であったということです。こうした経験は是非、研究者・事務職として長く大学におられる方々、中央省庁にて大学行政などを担当され、就中、2010年、私(たち)に(突然)生じた出来事の処分を決められた方々には是非とも経験して頂きたいと思います。

ちなみに、ここまで書いていますと、不思議なことであるのか、あるいは必然であるのかフランツ・カフカによる『審判』という小説が思い出されるのです・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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*他分野につきましても院内・法人内等 勉強会・特別講義のご相談承ります。

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