2020年12月26日土曜日

20201226 社会思想社刊 森浩一企画・編集 田中幸人著「日本の遺跡発掘物語7 古墳時代Ⅲ(西日本)pp.256-238より抜粋

 社会思想社刊 森浩一企画・編集 田中幸人著「日本の遺跡発掘物語7 古墳時代Ⅲ(西日本)pp.256-238より抜粋

ISBN-10 : 4390602470
ISBN-13 : 978-4390602471

竹原古墳は、北部九州の福岡県鞍手郡若宮町の諏訪神社の境内にある。この古墳には九州の装飾古墳の中で特異なことが二つある。その一つは、それら九州の装飾古墳群の中で位置的に北限にあるということである。近年、さらに北の宗像古墳群の中から桜京古墳(同県玄海町)がみつかったため、最北端ではなくなったが、桜京古墳が貧弱な同心円しか描かれていないのにくらべ、装飾の進展性や規模からいって、竹原は、王塚古墳とならび北部九州の代表的な装飾古墳であることは誰も異論がないであろう。

 その二は、古墳の図柄が特異なことである。九州の装飾古墳の装飾文様は、北上するに従って幾何学文様から具象的図柄へと変化していくのが特徴である。南部の熊本県・緑川・白川・菊池川水系の古墳群が、同心円、三角文あるいは直弧文を主体とする幾何学文中心であるのにくらべ、北上するに従って、馬、鳥、船、波など具象的図柄が加わっていく。筑後川水系になると珍敷塚(福岡県吉井町)や鳥船塚(同)、五郎山古墳(筑紫野町)のように図柄は互いに組合され被葬者を黄泉国へといざなう世界観のようなものを現す物語的要素を帯び始める。そして、王塚や綾塚(京都郡)に至っていっそう複雑化し、そしてこの竹原へくると完全な具象絵画が完成するのである。もっとも、その展開は、畿内の高松塚古墳(奈良県高市郡明日香村)が発見されるまでの流れではあるが、九州独自の装飾古墳文化の中では、この竹原古墳は具象的図柄の極点ということができる。

さて、竹原古墳は、この古墳を特徴づける図柄の意味と、奇妙な因縁のもとで発掘された。昭和31年のことである。

 古墳のある諏訪神社は、毎年春になると村相撲が開かれる。この年、春祭りの土俵を補修しようと氏子たちが境内の南側の崖に鍬を入れようとしたところ、羨道入口付近の天井石にぶつかたのが発見の事始めだった。それまで諏訪神社が前方後円墳(前方の部分はほとんど短く円墳に近い変形)の上にあるとは村人はもちろん氏子たちの誰も気づいていたものはなかった。古墳に関する伝説も所伝も伝っていなかったのである。

開けてみっくり。そこには異様な”怪獣”が見事な筆致で三つも描かれていたからである。発掘がスタートした時、地元郷土史家の清賀義人(故人)をはじめ地元の福丸高校、中学の先生や生徒の手で遺物集収などが行われた。しかし調査するにつれ、それまでの日本の古墳発掘史上例のない壁画が出るに及んで、町教育委員会は県に連絡、あわてて森貞次郎氏(九州産業大学)が派遣され緊急調査が行われたのだった。