2016年4月30日土曜日

20160430 熊本について、およびブログの文章について★★★★

今回の九州・熊本にて生じた一連の地震により被災された皆様の様々な生活インフラが出来るかぎり早期に復旧、復興されることを心より祈念いたします。

先日、不図、熊本県熊本市に出自を持つ木下順二が何かに記していた「その昔の熊本士族とは、川(白川?)の土手に生えている草という草の類を、各々その持ち区分を定め、それを食べ尽すという伝統があった。」という内容を想起しました。

こうした伝統とは、南隣の国に在住していた私が想像する当地(熊本)の伝統、文化、風習と合致するものであり、また、森鴎外の「阿部一族」とは、この地の出来事であることもまた、私としては同様にそれらと合致するものでした。

さらに「石光真清の手記」もまた、多く当地を舞台とした大変興味深い歴史資料ではないかと思います。 

これらの書籍と併せて、ここ最近私のブログに頻出する野上彌生子著の「迷路」などを読んでみますと、熊本と大分で背景とする地域文化が異なるものの、当時の我が国社会の一側面が活き活きと脳裏に浮かんでくるのではないかと思いますが如何でしょうか?

A「これまでにある程度の期間ブログ記事の更新を継続して行ってきましたが、一般的にブログの記事とは、自明のことではありますが、その読み手を不特定多数に設定しております。


そうした事情から、ブログ記事の文章とは、ある特定の学問分野を専攻している方々を読み手として想定したような文章を書くことは望ましくないとも考えられます。


その一方において、ブログ記事を作成する場合、ある程度、その読み手、対象を想定する必要性があるともいわれます。


こうしたことには、矛盾があるのではないかとも思いつつ、記事の更新を継続して行ってきた結果、どうにか作成したブログ記事が300に近づいてきました。


これは、単純に読んでくださる方々がい続けてくださったお蔭であるといえます。
どうもありがとうございます。


まだ300記事までに20記事以上ありますが、今後も出来るだけ更新し続けようと考えておりますので、これまで興味を持って読んでくださっている皆様、今後もどうぞよろしくお願いします。


とはいえ、ここまでの記事更新により、私の書く文章、文体とは、多少なりとも向上したのでしょうか?


そして、もしもこれまでの一連のブログ記事の更新により、文章、文体の向上が認められないのであれば、それは生産的な行為と見做されず、ひいては無意味なものとされるのでしょうか?


しかし、それと同時に「人間とは様々な経験を積まねばならない。」とも広くいわれます。


このことは「人間とは本質的に経験したことしか理解、認識できない。」ということが前提にあるのではないかと考えます。


そして、その経験を通じての物事の理解、認識とは、我々の五感あるいは六感を通じてもたらされます。


その意味において、何らかの訓練、修練を必要とする学問、スポーツとは、類似、共通したものであるということができるのではないでしょうか?


また、こうしたことを具体的に考えた場合、未経験という同じ条件にて、同じ訓練、修練を積んだ場合においても、その上達の程度とは、人により随分異なってくることが多いのではないかと思われます。


では、こうした現象とは、何故生じるのでしょうか?

おそらくそれは、当人の「やる気」それに伴う「努力」などといった精神的な要素に大きく依存しているのではないかと思います。


そして、さらに具体的に、それ(精神的な要素)とは、現今において経験しつつある訓練、修練に対し結節し易い、あるいは動機付けともなる「過去において何かしら類似した経験を持つ」ということが大変重要なのではないかと考えられます・・。


このことは、自身の経験から、ある程度妥当性を持った意見ではないかと考えます。


さらに、こうしたことは、巨視的に見て、様々な文化、文明の発展の仕方などにおいても同様なことがいえることではないかと考えられますが、如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月28日木曜日

20160427 口語と文語そしてそれらの表出について・・

九州、熊本では雨が降ると聞きます。
被災された地域の皆様がこの雨に脅かされることがないこと、そして早期の様々な生活手段、設備の復旧、復興を祈念いたします。

A「ブログ記事の更新を続けて、あと一月少しで一年経ちます。
ここまで継続して自発的に文章を書き続けてきたのは、今この時点においても最長記録であると思います。

このブログが今後どこまで続くかわかりませんが、そうしたことはあまり考えず、とりあえず記事を書き、更新し続けようと考えております。

さて、文章を書くことに関しては、現在継続しているこのブログが自身最長ではあります。

一方、何かしら学問的な知識に基づき、複数の人々に対し、ある程度一方的に話すような経験とは、今思い返してみますと、それは大学院修士課程において初めて経験したのではないかと思います・・。

この時は、空いている講義室を用いて、数人が代わる代わるで自身の研究、専攻内容を講義形式で発表しあいました。
同じ大学院研究科であっても、各々専攻内容が異なると、その研究内容はなかなか分かるものではなく、それはまさにタコツボ状態であるといっても良いと思われます。

そうした状態において、互いの研究内容を講義形式で発表しあい、その後、研究内容が異なることから生じる様々な疑問をぶつけ合い議論することは、今考えてみますと、かなりためになったのではないかと思います。

そして、その議論により得られた耳学問、見識をさらに深めるため、また図書館、書店などに入り浸るようになり、そこで得られた知識、学識を確認し、さらに深めるために、また議論をすることにより自身の研究内容および周辺分野に対する見識、学識もまた深まっていったのではないかと思われます・・。

またおそらく、その当時の上記の一連の活動とは、書かれた文章に対しても、少なからず影響を与えたのではないかと思います。
そして、その結果が、現在継続し記している一連のブログ記事、文章であると考えることができますが、そのように考えた場合、それは果たして適切、適当ともいえる上記の経験からの所産であるのでしょうか?

そうしたことは、イマイチ自身ではよくわかりませんが、おそらく適切、適当と認識するより若干劣る程度であると考えた方が適切、適当であると思います・・(苦笑)。
そして、それと同時に、このブログ記事が現在の私の話し言葉と書き言葉、口語と文語が交わる場所であるとも考えることができます。

そして、それは前述の経験から大きな影響を受けているということになりますが、同時にそればかりではなく、その後の博士課程における経験からもまた、大きな影響を受けているのではないかと思います・・。

ここで最も大きな影響を受けたと考えられることは、ある程度外国語(英語)の論文等の文章を読解そして自身もまた書かざるを得なかった、発表せざるを得なかったということではないかと思われます・・。

そして、その副産物とは、その当時から、英語の小説、また当時の専攻分野とは異なる分野の英語で書かれた論文等を、ある程度読むことができるようになったことではないかと思います・・。

とはいえ、工学部などをはじめとする理系学問分野の大学院修士課程においては、英語で書かれた論文を多く読み、あるいは報告、発表するような環境であるため、上記の私の一連の経験とは、あたりまえではありますが、一般化されうるようなものではないとも考えております・・(苦笑)。

となりの芝生は青いなどとよくいわれますが、私としては、理系分野の工学系、特に基礎物理などの分野に強く、そして漠としたあこがれを抱いてしまいます・・(苦笑)。」

ここまで興味を持ってブログ記事を読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月27日水曜日

20160426 概論と各論・演繹と帰納そしてそれらの調和

A「先日必要に迫られ、かつて専攻した分野の用語辞典を引っ張り出しました。

そして、不図脳裏に浮かんだ、以前学んだものの、現在は意味が分からない、ある用語の意味を調べたところ、不思議なことに辞書引きの最中、その用語の意味が段々と思い出され、辞書引きを終えた時には、その項目を読む前にその大体の意味が思い出されておりました・・。

こうしたことは、不思議であるかもしれませんが、多くの方々もまた似たような経験をされているのではないでしょうか?

また、そこで大事であると思われることは「既にその用語をどこかで学んでいた」ということではないかと思います。

それがなければ、おそらく、その意味を辞書引きのさなかに想起することはなかったのではないかと思います。
また、同時に、かつて学んだことがなければ、それはたしかに「より」不思議、神秘的な出来事であったと思われます。
ただし、それは「思い出す」「想起する」とは、異質なものであるともいえます。

ともあれ、そのようなことから、一面において「学ぶ、研究する」とは、そういったもの、つまり、意識したことを無意識化することではないかと思いますが如何でしょうか?

そして、こうしたことは何も学問、勉強に止まらず、日常生活の様々なことがらについても同様にいえるのではないかと思います・・。

また、それに加え、昨今、その重要性が増していると思われる「専門知識」とは、そのような過程を経て学び、研究することにより得られた「知識の体系」であるのではないかと思われます。

その意味において、特に人体という人類において普遍性を有する分野を扱う医学分野における知識および知識体系とは、その典型であるのかもしれません・・。

また、一方において、歴史などといった古くからの文系学問における知識、知識体系とは、人体、医学などにおけるような普遍性を持つ要素が相対的に少ないため、典型的な専門知識として認識され難いのかもしれません・・(それが現今我が国における文系学問分野軽視の原因ともなっているのではないかと思われます)。

また、同時に、それらの学問(医学に代表されるような理系学問と古くからの文系学問)を教授、学ぶ上での方法論においても、そうした違いがあるようにも思われます。

つまり、理系学問分野における序論、概論よりはじまり各論に至り、適宜その反復を行うことにことにより、その学識を深めてゆくというような、いわば演繹的な方法・・。

その一方、文系学問分野において多く見られる各論ともいえる個別的な事柄の探求を通じ、その研究分野における概論、全体像を把握しようとするような、帰納的な方法といった違いに、何かしら関連性があるのではないかと思われます。

それらは、無論、双方共に重要ではあるのですが、それらの基本的な方法論の相違とは、ひいては、様々な事柄に対し得られる認識の相違そしてさらに、相互の無理解などにも至ることが多々あるのではないかと思いますが如何でしょうか?

そしてここまで書いていてウンベルト・エーコの「薔薇の名前」の作中人物のコトバ「全体性の中に個別性があり、また個別性の中に全体性があることこそ、世界の調和が示されるのである。」といったことを想起しましたが、これもまた、何かしら上記のことに関連があるのではないかと思いましたが、如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、熊本の地震で被災された地域の皆様の暮らしが早期に復旧、復興されることを祈念しております。

2016年4月25日月曜日

20160425 最近小説、物語などについて思ったコト

このたびの熊本、九州の地震にて被災された地域の方々が早期に平穏な暮らしに戻られることを祈念しております。

A「現在読み進めている野上弥栄子著「迷路」とは、昨年12月1日に投稿した私のブログ記事において、はじめてその名前が出ました。

その後、実際この著作を購入し、読み始めるまで4カ月程度の時間差がありましたが、大変面白いことに、閲覧されたブログ記事を見ておりますと、それに気が付いておられる方(方々)もいらっしゃったようです・・・。

このような発見をしますと「よく読んでいただいていて光栄です。」と思うと同時に「ウカツなことを書けないな・・。」といった多少コワいような感じをも受けます・・(苦笑)。

とはいえ、それが誰であるかはわかりませんが、そうした反応により私はブログ記事の作成を継続していることができております。
どうもありがとうございます。
お蔭さまです。

また、昨今の記事投稿により300記事に手が届きそうな状況にもなってきました。

最近は帰宅が若干遅くなることも間々あるため、ブログ記事の作成、投稿をかなり面倒に思うこともあり、そして本日もまたそうした状況であったのですが、上記の発見をしたことにより、また何かしら記事を書くことに決め、ここに書いている次第です・・。

現在読んでいる上記著作下巻は100頁近くまで読み進みましたが、繰り返すようではありますが、大変面白く、また現在の我が国の状況において読んでみると、さらにその面白さが増すように思います。

その一方、現今様々な小説が多く新刊、刊行されております。

そしてまた、私の知らない著作もかなり多くあると思いますので、断言することは出来かねますが、おそらく小説、物語に関しては過去、昔に記されたものの方が端的、単純に面白いのが多いのではないかと思います。

れに加え、少なくともひと昔前までの著述家とは、自身の作品に対し、あまり「これこそ自身の最高傑作だ!」ということは、あまり書かない、言わなかったのではないかと思います・・。

そして、著者にそこまで言わしめた原因とは一体何であるかと考えてみるのもまた、現在の我が国あるいは世界規模での何かしらの傾向、特徴なりを考える上において少しは参考になるのではないかとも思います・・。

さらに、その「最高傑作」とされる小説と対比される海外の小説としてジョージ・オーウェルの「動物農場」、「1984」が挙げられていることに対し、私は「それはいくらなんでも違うのではなかろうか?」と考えさせられます。

そして、その主要な原因とは、まさしく、その著者が「これこそ自身の最高傑作である!」と様々な意味においていえるということに象徴されるのではないかと思います。

おそらくジョージ・オーウェルの「動物農場」、「1984」を記す際のスタンスとは、どちらかといえば「止むに止まれず」といったものではなかったのではないかと考えさせられます(少なくとも自身の最高傑作であるというような陽性なスタンスは取れないのでは・・)。

また、たしか太平洋戦争中の日本軍戦闘機をめぐり意見の対立が見られた相手側である日本アニメの雄がジョージ・オーウェルの「動物農場」を過去にアニメ化していることもまた何だか面白く思われます・・。

とはいえ、少なくとも、一口に警世的な含みを持つ著作とはいっても、その「警世」なるものというのも、様々な種類、ニュアンスがあるということはいえるのかもしれません・・。

また、どのような小説、物語が、どのように受容されるかにおいてもまた、一国あるいは地域の情報リテラシー、文化水準、民度などとはある程度理解されるのではないかとも思われますが如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月24日日曜日

20160424 薩摩武士について

先日神保町で比較的程度の良い野上弥栄子著「迷路」下巻を見つけましたので、購入しました。

これは今現在あまり読んでいませんが(50頁程度)それでも今後の展開が楽しみです・・。

また、それに加え同日、以前専攻していた分野の書籍、ノート等を探していた際に橋川文三著の「西郷隆盛紀行」を見つけました・・。

籍の整理などをしている際によくあることですが、そこでしばらく読んでしまいました・・(笑)。

この書籍においては著者と島尾敏雄との対談が大変面白く、ここでも著作内文章を抜粋引用したい誘惑にかられましたが、止めておきました・・。

もし、西郷隆盛に興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、この著作には示唆するものが少なからずあるのではないかと思います。

また、それに加え、この時、鹿児島出身の作家である海音寺潮五郎の著作「田原坂」(短編集)を大分前に読んだことを思い出しました。

これは西南戦争を実際の父祖の体験したコトとしている同著者が記したものであることから、当時の鹿児島(薩摩)の風土が強く伝わってくるように思います。

うした風土の一つとして、当時19世紀後半における薩摩の武士社会とは、おそらく、たとえば東海、関東などにおけるそれとは、随分異なっていたのではないかと考えさせられます・・。

また、そのようなことから、現在においては同じ武士、侍などといった名称が様々な宣伝文句などにて用いられておりますが、その実態とは、地域あるいは当時の藩などによって、随分異なっていたのではないかと思います・・
以上のような見地に立つ場合、もう少し厳密な定義が必要ではないかと思うことがあります・・(笑)。

つまり、ほぼ絶滅してしまった過去のもの(アメリカ合衆国におけるネィティブ・アメリカンのように・・・そういえば、入植者である白人が、滅ぼしたネィティブ・アメリカンの文化を自家嚢中のものの様に扱うことは、なかなか興味深い現象です・・。)ではありますが、その対象たる「武士、侍」とは、日本国内諸地域において、その認識される内容に、かなりのバラツキがあった(ある)のではないかと思います・・。

私見とはなりますが16世紀の九州内での争乱、関ケ原の合戦から幕末、西南戦争において勇猛さを誇った薩摩武士とは、かなり大雑把にいいますと、辺境であったがゆえに、鎌倉期に流入した関東武士、鎌倉御家人的な要素が強く残存し、それに加え、古来より勇猛で名高い在来の隼人文化が混交したものであり、同時にそれぞれ(鎌倉御家人、隼人)のオリジナルに近い姿を留めたものではないかと考えさせられます・・。

そして、それは我が国の江戸期に代表されるような武士(文治的な施政者)とは大きく異なるものの、同時にそれは始原に近い武士の姿をより多く留めたものであったのではないかと考えさせられます・・。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月23日土曜日

20160423 和歌山の中華そばから考えたコト

今回の熊本、大分の地震で被災された地域における様々なインフラの早期の復旧を望み、また同時に被災された皆様に対し、十分な医療が為されることを願っております。

A「先日久しぶりに夢を見ました。
見た夢の内容とは、在和歌山時代によく通っていた「中華そば」のお店で数人と食事をしている夢でした・・(笑)。

この時期に何故、こうような内容の夢を見たということの解釈はなかなか難しいですが、それでも私にとって和歌山の「中華そば」とは、夢にまで出てくる程の価値を持っているということは事実であると認めます・・。

在和歌山時代は週末の夕刻、夜半などによく、連れ立って「中華そば」を食べにいっていた記憶があります。

多くの和歌山の「中華そば」のお店には、さばの「早すし」がテーブル上に積まれており、それと一緒に「中華そば」を食べるというのが、当地の慣習であり、私個人としては、この慣習とは、一つの優れた「地域における食文化」であると、疑いの余地なく信じております。

しかし、それを首都圏などで「これはいい!」と思い、同じことをしようとすると、それは「どうも違うのでは・・?」と思ってしまいます。

それは、その土地に根差した「中華そば」であるからこそ、この食文化(中華そばと早すしを一緒に食べること)が優れたものとして認識されるのではないかと私は思うのです・・。

また、それと同時に、局地的、地域性が強いものがあまり良いものでなく、全国的、普遍的な価値を持つものばかりが良いものであるという認識、見解もまた「どうも違うのでは・・?」と思ってしまいます。

現在、様々な理由から、自身が生まれ育った都道府県、地域から出たがらないような傾向が社会において強くなってきたように思われます。

首都圏、東京のものが何でも最先端(日本の中で)であり、それに伴い、殆ど無意識ながらも地方由来の文物を軽く見る傾向とは、何だか我が国が古来より諸外国と応対する時の基本的な姿勢とよく似ているのではないかと思うことがあります・・(苦笑)。

その昔、大和朝廷において、国内辺縁地域の出身力士による相撲を神事として行っており、また、周辺諸国からの定期的な贈り物に対し、鷹揚に構えているように見え(せ)ながらも、それらに対し相当の興味、好奇心を持っていたものと思われます。

こうしたことは、後の江戸時代の南方辺縁に位置する藩においても類似、同様のことがいえ、その藩からさらに南方に位置する島々を実質的に服属させ、その文化、習俗をことさらに自藩に属する異国、異文化由来(風)のものとして、当時のヘゲモンである幕閣に示しておりました。

そして、そういったこととは、現在の我が国におけるハーフ、外国人タレントに対する認識、扱いなどと、その基層部において何かしら類似、共通する要素があるのではないかと思われます・・。

とはいえ、こうした文化と同時に、国粋的な傾向を持つ文化も併存しており、それらが時代毎の権力者達の持つ背景文化に対し、何かしら少なからぬ影響を与えていた(る)のではないかと思いますが、如何でしょうか?

そして、そうした傾向の淵源とは一体どのようなものなのでしょうか?

また、それは我が国においてのみ特有なものなのでしょうか?」

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。


2016年4月21日木曜日

20160421 野上彌生子とglobeのヴォーカリストおよびウスキについて

A「先日来より読んでいる「迷路」の著者である野上彌生子とは大分県の臼杵市御出身であることは以前ブログ記事にて記しました。

そして最近、大分前から私がよく聴いていたglobeの女性ヴォーカリストが同じく大分県臼杵市出身であることを知りました。

また、この御二方は遠縁にあたるかもしれないとのことで、これもまた「何たる偶然!」です(笑)。
ちなみに私が大分県臼杵市に立ち寄ったのは2009年夏であり、鹿児島在住時のことです。

この時、所用により近くまで行ったため、当時親戚が住んでいた愛媛県松山市を訪ね、数日間滞在し、帰路は松山から八幡浜までJR予讃線で行き、そこからフェリーにて豊後水道、豊予海峡を渡り、臼杵港に着き、そこからJR日豊本線にて当時在住んでいた場所の最寄り駅である宇宿(うすき)に帰着しました。

また、奄美大島には「宇宿」と書いて「うしゅく」と読む貝塚で有名な場所がありますが、元々は「うすき」も「うしゅく」も同じような音あるいは意味として認識されていたのかもしれません・・。
そして、このことはたしか金関丈夫氏の著作内において、取り扱われたものがあったのではないかと思います。
その著作中において「特に「しゅく・すき」とは、元来南洋由来の航海民、海洋民族のコトバであったのではないか?」と記されていたと記憶しております。
たしかに、それらの地名の場所は共通して沿岸部(かつてのを含む)に位置します。

また、これは関係ありませんが、私が前出globeの曲をもっともよく聴いていたのは、南紀在住の頃でした・・。

この当時は、毎日の暮らしの中で、現在考えてみるとぜいたく過ぎるほどにキレイな海の景色を眺めていたと思います・・。

そう書いていますと「おそらく昔の人々は白良浜の延長上にある権現崎そしてその近くに浮かぶ円月島といった一連の景観に何かしら神秘的なものを感じていたのではないだろうか?」と考えさせられます。

そして、そうであるからこそ、権現崎に熊野三所権現、火雨塚古墳などが造営されたのではないかと思います。」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

20160420 都市と地方について考えたコト

地震で被災した熊本、九州にて、今度は大雨が降るという天気予報が出たといいます・・。

この上なく辛い状況ではあるとは思いますが、被災された地域の方々が出来るだけ早期に安心して過ごすことが出来るようになることを切望します。

このようなことを軽々しく書くことは失礼であるのかもしれませんが、九州にて数年過ごしたことのある私としては、現実的に、自身が現地に行き、何かしらお手伝いできないこの状況においては、こうしたことを書くこと以外出来ませんし、また、そうした状況を歯がゆく感じます・・。

さて、首都圏にて暮らしておりますと、観光、旅行などで国内地方に行き、そこの魅力を味わうといった趣向、傾向(ばかり)が大変強いように思いますが、実際、それら観光、旅行などで取り上げられている地方に住み、生活したことがある私から見ますと、どうもそれは違うような感じを受けます・・。

一方、そうした地方に住まわれている方々からすれば、観光、旅行などで「お金」を落としていってくれる観光客、旅行者の方々はそれなりにとてもありがたい存在であるのかもしれませんが・・。

ともあれ、そうした地方に住み、その土地の昔ながらの因習などを含めた観光向けでない、ホンモノのその土地に根差した歴史、文化に否応なく接し、それらを受け入れなければならなかった人間にとっては、如上のような観光、旅行などのみによって、その地方、地域を知ったかのように考えてしまう状況とは、前述同様、大変歯がゆく感じます・・。

しかしながら、こうした感覚、認識を表出することは、都市部、首都圏在住の方々、地方の方々双方にとって、あまり都合の良いものではないために、あえて放置されるか、あるいは悪い場合になると、何かしら糾弾(別件逮捕的な)されるような場合も少なからずあるのではないかと思います・・。(同調圧力、社会凝集性)

そしてまた、こうした図式とは、特に我が国の場合、自身の国の歴史に対しても同様の傾向が認められるのではないかとも思います・・。

さらに、こうした傾向とは、インターネットが普及し、多くの人々が様々な知識を手軽に入手できるようになったことにより、より一層拍車が掛かったような感じをも受けますが、如何でしょうか?

そうしますと、本来、自他の文化をより深く知るための手段としての学問であった昔ながらの文系学問分野全般においても、さきと類似、同様の図式、傾向が強くなってゆくのかもしれません・・。

こうしたことは、もしかしたら、ニーチェが「ツァラトゥストラかく語りき」そしてオルテガ、ウェーバーが各々著作で述べている近代以降の社会の特徴と関連があるのかもしれません・・。

とはいえ、我々が日常的な生活する上において「効率性」とは、きわめて重要なものであることも事実であり、また肯定はするのですが・・。」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月19日火曜日

20160419 本箱の整理「羊の歌」

引き続き予断を許さない状況の熊本、九州ではありますが、早期にこの一連の災害、およびそれに付随する様々な二次災害が収束、復興に向かうことを心より祈念いたします。
熊本、九州の皆様、どうぞ御無事で。

A「さて、本日は朝電車の中にてメモを取ろうと試みましたが、案の定なかなか混雑しており、筆記が厳しい状況でありました。

しかし、その後、再度電車に乗る機会を得たことにより、何かしら思いついたことを記すことができました。

しかし、それらは断片的なものであり、未だ文章にして表すに足るものではないような感じを受けました。

とはいえ、一応その断片を記すと、我が国における外国文化の扱いについてといった感じです・・。

今後このトピックにてブログ記事を書くことがありましたら、本日ノートに記した内容が精製、文章化されたものと考えていただきたく思います。

また、それとは別に帰宅後、必要に迫られ、かつて専攻した学問分野の書籍、記した講義ノートを引っ張り出すことになりました。

これらは、本箱の奥に収納してあったため、取り出すことに大変難儀しましたが、面白いことに、この時、私のこれまでのブログにおいて何回か取り上げたことがある加藤周一著の「羊の歌」が一緒に出てきました。

「何たる偶然!」と驚き、また何故、これらの書籍、ノートと一緒にこの著作が出てきた(収納していた)のか、いささか不思議に思いました・・(笑)。

今後、ブログのネタに多少窮することになりましたら、あるいは時宜に適うと思われる文章を同著作内に見つけましたら、ここから適宜抜粋引用してみようと考えております。

また、それに加えて先日来より引き続き野上彌生子著の「迷路」を読んでおります。

これは現在二度目の通読となりますが、それでも色々と読み飛ばしていたり、誤解しながら読み進めている部分があることに気が付かされます・・(苦笑)。

そして、こうした理解不足、誤解などは書籍に対してのみならず、対人間においても同様に行ってしまっているのかもしれません・・。」

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月18日月曜日

20160418 「考える」とは・・

先日、熊本を中心として発生した地震は、現在に至るまで予断を許さない状況とのことであり、また被災された方々が出来るだけ早期に居宅に戻ることが出来、また同時に各インフラが復旧されることを祈念いたします。

そして本日夜半においても大きな地震が震源地をより内陸部に移し発生したとのことですが、特に付近におられる方々は大変不安、心配ではないかとお察しします。
どうぞご無事で。

本日も朝電車の中で色々とブログ記事について考えておりましたが、それらを筆記出来る状況ではないため、その内容を憶えていて、後で書こうと思いました。
しかし、その時々にて浮かんだ考えというものは、泡のようなものであり、その時に記しておかないと、どうやらあまり良くないようです・・(苦笑)。

そして、現在は、このようにして、朝電車の中にて考えていたことが突然想起することを願いつつ、この記事を記している次第ですが、残念ながら、なかなか思い出すことができません・・。

こうしたことは大変残念ですので、明日は何か工夫してみようと思います。

とはいえ、この「考える」という日本語の語源とは、一説によると「かむかえる・か迎える」といった感じで「何かしらの想念、観念などを自身の内部に迎え入れる」といったニュアンスがあるそうです。

とはいえ、そうした想念、観念を迎え入れるにしても、それを他者が理解可能な程度に言語化するためには、適切な言語あるいは表出、説明する際において有効と思われる類似した一般概念などの選択、および、そうした知識、見識が必要とされます。

それ故、コトバの奥にある想念、観念そして心、精神が本質的なものとして重要ではありながら、それを適切に表出するための手法、技術などもまた重要なのではないかと思います。

また、こうしたことは、他の様々なことにおいても応用できることではないかと考えます。

しかしながら、そうしますと、我々の多くは、徐々に、この手法、技術といったものに、より大きく心を捉われるようになり、当初考えた、望んだものとは異なる、何だかおかしな方向に行ってしまうこともまた少なからずあるのではないかと思います・・。

そして、そうした実際の生活において一見、所与、ア・プリオリとなって(しまって)いるようなことについて再度熟考させるために、昔ながらの文系学問分野全般といったものは存在意義を有しているのではないかと思いますが、如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。




2016年4月17日日曜日

20160417 肥後・熊本での「神風連の乱」について

先日発生した熊本での地震は、その後も揺れは継続し、現在においても予断を許さない状況であるとのことです。


熊本をはじめとする九州の皆様、とても大変であるとは思いますが、どうぞ、お気落ちなく、お元気で。


また、この地震のことに触れずにブログ記事を書くことは難しいと思いつつも、同時に私の書いた記事の内容により、何かしら地震被災地の方々に対し失礼があっても良くないと思い、新たな記事作成に対し躊躇しておりました。


とはいえ、やはり私は新たなブログ記事を作成した方が良いと考え、この記事を作成することにしました。


さて、以前も当ブログ記事にて少し触れましたが、今年2016年とは、明治9年つまり1876に同地、熊本にて発生した「神風連の乱」から丁度140年経った年です。


また、このことも以前、当ブログ記事にて触れたことではありますが「概ね70年程度の周期にて、世の中の様々な価値観が大きく変化する」という考えを、前の「神風連の乱」が発生した年と加味して考えてみますと、今回の熊本での天災である地震においても、何かしら深い意味合い、あるいは何かしらの関連があるのではないかと考えさせられます・・

しかしながら、実際、そういった意味合い、関連が存在するのかどうか「科学的」に判断することは困難であるとは思いますが・・。


また、様々な歴史的な出来事において、その当時の生々しい「時代精神」といったものが、各々歴史的出来事の本質を理解、把握する上において極めて重要な要素であると考えます。


そして、そうしますと「では、過ぎ去った時代の時代意識、同時代感をどのようにして理解、把握できるのか?」と感じる方々も少なからずおられると思います。


こうしたことにある程度、適切な解を与えてくれるものが、文学、日記、そして映画などを含む映像資料といった同時代に作成されたものをなるべく多く閲覧、読み込むことではないかと思います(無論能動的に)。


そして、そうした資料閲覧、熟読の後に発生するいくつもの想念、観念の結合、それらの間の反応などといったものが一つの哲学、思想が形成される過程の一側面ではないかと考えます。


また、インターネットにより、多くの資料の閲覧が即座に容易になったことにより、逆に、ある程度大きな想念、観念そして思想の形成が妨げられるか、その形成の過程に変形が生じる(生じてしまう)可能性があるのではないかとも思われます・・。


さらに、こうしたことは経年の蓄積により世論、民度、文化の質などに対し、結果的に大きな影響を与えるものではないかとも思います・・。

そして、それ故に一見いや、到底実利的、功利的とはいえない文系学問分野の重要性、存在意義といったものがあるのではないかと思いますが如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月16日土曜日

20160415 万世橋に建っていた銅像と野上彌生子について

A「これまでに色々と書いてきましたが、今の段階においては、自分を匿名的な存在と仮定して文章を書く方が進みが良いようです。

それとは反対に、自身が属する全てを背負って書く場合、文章を書く際に自身が感じる「圧力」らしきものが大きくなり、それに伴い、文章の進み具合も遅くなるのではないかと思います。

また、今現在、私の場合、文章の良し悪しなどよりも、量を書いてみる方が大事ではないかと思いますので、自身を匿名的な存在として書き続ける方が都合が良いのかもしれません・・。

とはいえ、書いているのは、あくまでも私自身ですので、その主題、内容の選択、推敲などに関しては、ある程度、自分なりにではありますが、緊張感を持っていた方が良いとも思っております・・(笑)。

加えて最近は比較的帰宅する時間帯が遅く、また、読書に関しても前に示しました野上彌生子著の「迷路」以外読んでおりませんので、あまり「これ」といった面白そうなブログのネタを思いつくことが少ないです・・。

これは跳躍の前の収縮であれば良いのですが・・(苦笑)。

そういえば、先日朝、総武線に乗っている際、秋葉原付近から外の風景を眺めておりますと、向こう側に中央線が走る神田川の見えるあたりで「ああ、そうえいえば、このあたりには昔、野上彌生子の出身地であり、且つその著作「迷路」の一つの主要な舞台でもあった大分を出自を持つ明治期の海軍軍人の銅像が立っていたなあ・・」と、不図、思い出しました。

一般的に大分とは、福岡、熊本、鹿児島などといった「いかにも九州!」といったイメージがある地域と少し異なり、あるいは同様に距離を置き、どちらかというと中国、四国文化圏の方に近いような印象があるのではないかと思いますが、如何でしょうか?

そのためか、かつて、この総武線と中央線が分岐するあたりに銅像が立っていた大分御出身の明治期の海軍軍人とは「九州男児」と評される、称されることが少なかったのではないかと思います・・。

また、こうしたことは大分、中津に出自を持つ幕末、明治期の高名な思想家、教育者においても同様であるかもしれませんが・・。

あるいは、その当時(明治時代~戦後)とは「九州男児」という地域を包括するような男性に対する名称、美称とは、少なくとも一般的ではなく、どちらかというと薩摩隼人、山坂達者、ぼっけもん、肥後もっこす、黒田武士などといった感じに、細分化した、より具体的な地域性を感じさせる名称、美称の方が一般的なものとして存在していたのかもしれません・・。

のように考えてみますと、この「迷路」の著者である野上彌生子女史は、おそらく間近で見たこともあろう万世橋のたもとに立つ同郷ともいえるこの海軍軍人の銅像に対し、如何なる思いを持っていたのでしょうか・・?

あるいは、何かの著作にそうしたことが記されてあるのかもしれませんが・・。」

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。








2016年4月14日木曜日

20160414 閲覧者数60000人到達

お蔭さまで昨日で全期間でのブログの閲覧者数が60000人に到達しました。
どうもありがとうございます。

そういえば、先月3月24日にて閲覧者数が50000人に到達いたしましたので、この直近10000人の増加とは、比較的早いペースであったのではないかと思われます。

今後も出来るだけブログ記事を更新してゆこうと考えておりますので、ブログを読んでいただいている皆様、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

また最近は、帰宅が若干遅くなることが多く、多少(かなり)記事を書くことを面倒に思うこともありますが、記事を書き続けることにより、何かしら面白いこともまた起きるのではないかと思います。

実際に、このブログを書き続けていることにより、私は何度かそうしたことが起きたものと考えております。

しかし、それ(面白いこと)が実際にブログ記事を書いたことによって生じたのかとは「科学的」に判断、判定することはできません。

しかし、この人の世においては「科学的」に判断されることばかりではないとも思いますので・・(笑)。
また、一方において、科学(人文社会科学も当然含めて)とは、大変重要なものであるとも思いますが・・。

そういえば、ゲーテは「他国語を理解していないということは、自国語も全く理解していないのと同じことなのだ。」といったような、大変耳の痛いコトバをどこかに記しておりましたが、そうした事情とは、科学と、前述の科学だけでは決して割り切ることのできない重要なものとの間においても同様の事情が存在するのではないかと思いますが、如何でしょうか?

さて、ハナシはまたブログに戻りまして、読まれている記事の動向を時折見ておりますと、投稿した過去の記事が深く読まれていることを感じることが間々あります。

そうした読んでいただいているのが国内外何れの方(方々)であれ、私の作成する記事とは、そういった反応に支えられ書き続けることができております。

駄文、悪文も(の方が圧倒的に)多いと察せられる一連の記事において、それは大変にありがたいものです・・。

さらにまた、ハナシは変わりますが、先ほど九州、熊本を中心として、大きな地震があったとのことですが、私の知る九州、熊本の方々皆様そしてその周辺の方々がご無事でいること、および、この地震による被害が出来る限り少ないことを心より祈念します。

「九州の皆様どうぞご無事で。」

色々とありましたが、同時に色々と経験させていただいた九州全土が私はとても好きです。
おそらく、今となっては、実際の自分の故郷である首都圏よりも、はるかに好きであると思います・・。

とはいえ、このようなことを臆面もなく書いていますと、さすがに恥ずかしくなってきましたので、このあたりでこの記事を終わりにいたします・・。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。


2016年4月13日水曜日

20160413 祝 閲覧者数 60000人到達

先日のブログにおいても記しましたが、概ね同一の時代を舞台とした小説、映画を複数読み、それと併行、前後して同時代を扱った専門書、学術書などを読みますと、その時代についての理解がより深まると思います。

また、そのような事情とは、様々な歴史、文化的な事物においても同様であると思います。

元々、関東地方、首都圏出身であった私についていえば、それは関西在住時に様々な遺跡、就中、古墳に対して、それが居住地の近隣に自然なかたちで存在することの衝撃が大きく、自分なりに強い関心を持った次第です。

正直なところ、私は南紀在住以前、母国、日本の古代について殆ど何も知らなかったのではないかと思います。

言い訳となりますが、それは自身の国の古代に興味を持つ「具体的なきっかけ」がなかったのではないかと思います。
24歳になるまで・・(苦笑)。

それが、転勤により住むことになった南紀で変化したわけですが、その変化とは、実際どのようなものであったのかと、明確に想起、あるいはそれを言語にて表現することは困難です。

ただ、かねてより文系の大学院(修士課程)に進みたいと望んでいた心情はそのままで、以前より興味を持っていたヨーロッパの歴史、文化に関する研究する大学院から、国内の地域、民俗などを研究する分野に、その希望する専攻を転じたということが、その内面の変化の大きさを示すものと思います。

繰り返しになりますが、こうしたことは、自分のことではありますが、不思議なことに「どのような環境、あるいは理由の蓄積により、こうした変化が生じたのか?」とは、明瞭に思い出すことができません。

とはいえ、もしそこで実家に近い首都圏のヨーロッパ文化を専攻とする大学院に進学していたとしたら、その後、一体どのようになっていたのでしょうか?

こうした「もしも?」とはあまり意味がないと思われますが、それに加えて、今となっては、あまりそうした想像を働かすことができません・・(苦笑)。

ともあれ、やはり私の場合、再び西に戻ったことは良かったのではないかと思います。

また、その後、さらに西に行くことになり、そして再び関東、首都圏に戻ることになりましたが、そうした途中の過程からか、本来であれば故郷ともいえる、関東、首都圏の事物に対し、変に斜に構えて見るクセがついたようにも思えます。

いえ、もしかすると、そうした傾向とは、何か他の過程によるものなのかもしれません・・。

そして、今後またどこか西へ移居することになっても、こうした斜に構えて見る姿勢とは、もしかしたら変わらないのかもしれません・・(笑)。

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。


2016年4月12日火曜日

20160412 書店新刊本コーナーにて思ったコト・・

先日駅近くの書店に立ち寄りましたら、ベストセラーのコーナーにカエルを登場人物とした物語風の作品が並んでおり、そこで、その作品に興味をひかれ少し読んでみました。

ほんの少し読んだだけですが、おそらく、この作品を読むのであれば、特に若くみずみずしい知性を持った方々にはトーマス・マンの「魔の山」、ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」あるいは大西巨人の「神聖喜劇」、野上弥栄子の「迷路」あたりを読んでみた方が面白く感じるのではないかと思いましたが、如何でしょうか?

さて、さきほどのカエルの物語とは、思想と現実の政治の間に生じる出来事を扱っていると云えます。

そして、そういったものとは殆ど多くの場合、そこまで簡単に描くことのできるものではないかと考えます。

その意味で、この作品とは、はじめから結論(正当とされる政治思想)ありきといった感じが強く、また、それに加えて、登場するカエル達の名前がどこかで聞いたことのあるような横文字風の名前がついていることに対し「どうもウケる層、読者層をピンポイントで定めているのではないか?」といった感じを多少覚えました・・。

こうした物語で横文字感覚のオシャレ感を漂わせるのは、私個人としてはどうも違和感をおぼえます・・。

また、こうした内容の物語としては竹山道雄の「ビルマの竪琴」の方が良いのではないかと思いますが、如何でしょうか?

加えて、加藤周一の「羊の歌」、大岡昇平の「俘虜記」、会田雄次の「アーロン収容所」などは、そうした物語ではありませんが、しかし、今の時代であるからこそ、これら作品が訴えかけるものを明瞭に感じとることが出来るのではないかと考えます。

また、防御、防衛といったコトバによって隠されながらも他者に対する攻撃性を基底に湛えた思想とは、あまり長く続けることが出来るような、持続可能性を持ったものではないように思われるのです。

特に我々日本人の場合、なおさらそうであるのではないかと思います。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。 

つい先日、1日の閲覧者数が過去最高を越えました。
お蔭さまです。

2016年4月11日月曜日

20160411 「迷路」「神聖喜劇」などについて

現在、野上弥栄子著の「迷路」を再読しておりますが、読みながら、その登場人物について色々と考えてみるのも小説を読む際の大きな楽しみの一つではないかと思います。

その点において、この著作の登場人物の多くは、そのモデルとなっている実在の人物、もしくは、この作品の登場人物がモデルとなっている後の時代の小説、映画のキャラクターなどが想起されます。

そして、そうした要素が多く見出され、またオリジナルに近い古い時代に書かれた始原ともいえる作品とは、やはり名作といっても良いのではないかと思います。

そうしますと、この「迷路」とは、少なくとも書かれた当時においては他にあまり類例を見ないタイプの長編小説であったのではないかと思います。

また「迷路」の少し後の時代を舞台とした長編小説として大西巨人著の「神聖喜劇」が挙げられますが、この作品の文体とは「迷路」と大きく異なります。

両作品ともに著者が北部九州出身であることは、私にとってはなかなか面白い発見であり、また、双方の文体における相異には、否応なく両著者の性差に、その主な原因を見つけようとしてしまいます・・(笑)。

とはいえ「神聖喜劇」の文体そして、その書かれている内容とは、極めて男性的であり、また同時に当時の普通、一般的な通念、世論が隠されも、誤魔化されもせずに堂々と書かれております。

それ故、この著作を一度精読してみて、過去の戦争において為された非道とされる行いについて考えてみますと、随分視野が広がるか、あるいは多少考えも変わるのではないかと思います・・。

そして、まさしくその意味において、この作品とは問題作であるのではないかと思われます。

また、そのように考えますと、この「迷路」も少なくとも上巻においては、前記と同様(問題作)ではないかと思います。

しかし、一般的にこうしたの問題作といわれるものは、概ね子供の時分に読んでも、意味が分からないことから、あまり意味はなく、またそれとは逆に、年齢を重ねた後に読むと、今度は目が疲れ、さらに真剣に内容を読めなくなることから、同様にあまり意味がないように思われます。
無論そうでない方々も少なからずいるとは思いますが・・。
とはいえ、やはりこうした問題作といわれるような作品とは、若いうちに、真剣に読めるうちに読んでおいた方が良いのではないかと思いますが、如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んでいただいた方々、どうもありがとうございます。

2016年4月10日日曜日

20160410 時代精神の認識について★★★★★

数日前に投稿したブログにより投稿記事数が260に達しました。また、それと関連するものであるかわかりませんが、昨日のブログ閲覧者数もいつになく伸びました。

これまでブログ記事を読んでくださっている方々に支えられ、記事を書き続けることが出来ましたが、ここ最近、過去に作成したいくつかの記事を読んでみますと、それらの中で、私が世間の動向(の一側面)をある程度理解しているのではないかと思わせるような内容も見受けられます・・(笑)。

とはいえ、無論、私はそうしたことを精確に理解しているわけではなく、単に読んでいる本、様々な場所にて得た直感、感覚に従い、記事を書き続けている次第です。

その意味において、現在再び読み進めている野上弥栄子著「迷路」とは、かなり面白く、また、そこに描かれている内容とは、現代の我が国の社会においても通じる要素が少なからずあるのではないかと思われます。

そのように書きますと、その著作内の現代社会に通じると思われる具体的な内容を抜粋したいという強い誘惑にかられますが、この著作につきましては、興味を持たれた方々がご自身で実際に読まれ、その指摘および判断をなさっていただきたく思います(私もまだ上巻のみしか読了しておりませんし・・)。

また、これも前掲著作を読んでいる際に不図思い出したことではありますが「一つの国が堕落、衰退してゆく過程とは、ほとんどの場合、上層部の方から堕落、腐敗してゆく」といわれております。

このことは、現在の様々なレベルの組織を考える上において、なかなか示唆するものがあるのではないかと思われます。

そして、おそらく様々な国々における歴史の変わり目、転換の契機とは、こうしたことが否応なく生じていると社会において広く認識されはじめることから生じるのではないか思われます。

また、我が国の場合、社会における同調圧力・凝集性が強いことから、ある程度の段階までは堕落・腐敗として(表立っては)認識されないのですが、一度そのような認識が社会において共有されるようになりますと、そこから一気に大きな変化に至る傾向があるのではないかと思います。

このことをたとえてみますと脆性材料における応力‐ひずみ曲線の特徴と類似したような特徴を示すのではないかと思いますが、如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。



20160409 周辺機器の進化と学問の価値との関係・・

A「ここ最近のブログの一日の閲覧者数は、以前とあまり変わらず、大体300~500人程度となっております。

以前用いていた対話形式の文体から現在の独白形式の文体に変えたことにより、多少閲覧者数に変化が生じるかと思いましたが、現在のところ特に大きな変化はありません。

ただ、これは気のせいであるかもしれませんが、閲覧された記事の動向を見ておりますと、以前に比べ、記事を深く読まれているのではないかと思うことがあります・・。

そして「深く読む」といいますと、現在再び読んでおります「迷路」上巻は100頁程度まで進みました。

今回のこの読書においては、以前あまり深く考えず読み飛ばしていた事柄、たとえば作中に出てくる現在では聞くことがない語句、事物の意味をインターネットなどで調べたりして読み進めています。

そうした、一種精読に近い読書、読解とは、多少面倒くさい反面、新たな疑問、発見などが出来、なかなか面白いものであるとも思います。

そういえば、以前より、インターネットなど情報技術の進化、普及に伴い、大学など高等教育機関での文系学問の意味、価値が大幅に減じた、減じるといった内容を何度か聞いたことがありました。

たしかにインターネットの普及以前であれば、さきに記した精読、読解の作業においては、図書館等を利用し、記載されている語句、事物の意味、背景を調べ、解釈し、読み進めてゆくのが一般的であったと思われます。

それがその後、PCあるいはその端末機器を広く一般的に使用することにより、かなり簡便にこうした精読、読解作業が概ね出来るようになったことは、たしかに「長足の進歩」であるとは思います。

しかし、そうであるからといって文系学問の意味、価値が減じたということにはならないと思います。

それは一般的に考えてみて、理系の分析機器が進化し、その操作が簡便になったからといって、理系学問自体の意味、価値が減じることがないのと同じことではないかと思います。

それ故、文系学問の場合、周辺機器の進化発展により様々な情報の入手が簡便になるからといって、その学問自体の意味、価値が減じると考えることには、そうした評価をくだす方々が当初よりその学問分野に価値を認めず『より根源からの能動的な興味』を持ちえないことから、そのような評価になりやすいのではないかと思います・・。

そして、こうしたことは私を含め、我々の多くが様々な事物に対し、そうした評価を比較的安易にくだしているのではないかと思われます・・。

また、それに加え、そうした評価とは、インターネットの普及により、個々人が、より一層、そうした評価を諸事物に対し、くだし易くなってきているのではないでしょうか?

その意味において、かなり原始的、単純であるのかもしれませんが、私は紙媒体の書籍およびその読解には何かしら(今現在不可知な)大きな価値、意味があるのではないかと考えています・・。」

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月9日土曜日

20160408 歴史の勉強?方法について・・

本日電車の中で野上弥栄子「迷路」上巻を読了しました。
この著作は、ここ最近読んだ書籍の中で出色の出来、面白さであると思います。

続けて、すぐに下巻に移りたいと考えましたが、とりあえず今月末くらいまでは待ち、それまで既読の上巻を再読、精読してみようと考えております。

そういえば、これまでに長編小説を読んだのは首都圏在住時に多いことを不図思い出しました。

「薔薇の名前」、「ドン・キホーテ」、「魔の山」、「ノストローモ」、「西洋人の眼に」、「神聖喜劇」、「さらば古きものよ」そして小説ではありませんが「日本文学史序説」といった比較的分量、文量の多い著作は何故か首都圏、都市在住である場合、特に苦に思うこともなく、移動時間、空き時間を利用し読了に至ります。

そして、こうしたことは、私の場合だけに適用することが出来ることなのでしょうか?

それはさておき、この「迷路」という著作は、大変面白い作品であると同時に、前に示したコンラッドの長編小説「西洋人の眼に」を少し想起させました。

そして、そのようなことを考えてみますと、私は大概の歴史についての勉強とは、学術書、資料等を片面に、そしてもう片面を小説、映画などといったものにより学んできたことを再認識します。

また、歴史の勉強がこのような複合的な手法によって為されるのであれば、もう少しその面白さが増し、伝わり、それに興味を持ち、専攻される方々が増加するのではないかとも思います・・。

私の場合、おそらく当初は偶然であったのでしょうが、その後、周囲の方々の教え、影響により、そうした手法を何となく身に着けていったのではないかと思います。

その意味において、私の師匠運というものは、かなり良いのではないかと思うことがあります(笑)。

そして、それは私の理系分野(歯学)の学問においてもまた、同様の傾向が認められるのではないかと思います。

さて、ここ数日間、前掲著作「迷路」(上巻)について書いてきましたが、その期間においてもブログ閲覧者の方々の中で、これまで作成した記事をかなり深く読まれている方(方々)がいらっしゃることが示唆されました。

こうしたことは大変ありがたく、それがブログ記事を書く意欲の主たる源泉となっております。

また、話は変わりますが、ここ最近「教養としての歴史」といった感じで様々な書籍が新刊、刊行されております。

そうした一連の書籍の中において、おそらく名著、良書も少なからず存在すると思います。

しかし一方、これら書籍をただマニュアル的に購入、読むのであれば、書店、古書店に足を向け、色々と立ち読みし、自身が内心から面白いと思える時代、歴史を舞台とした小説を購入し、それと併行して同時代を舞台とした映画作品などをDVDなどで観てみるのも前述の新刊本の読書に負けず劣らず面白く、勉強になり、また経済的であるのではないかと思いますが、如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月7日木曜日

20160407 インターネット検索と文系学問の意義について・・

インターネットにより様々な事柄を検索することが可能になり、特に文系学問の存在意義が疑問視されるようになりました。

それはおそらく、必要な知識、およびその概要がインターネットの検索により即座に理解、把握できるようになったことによります。

しかし、私見となりますが、自身の専攻、専門といったものをある程度真剣に勉強、研究してみますと、インターネット上に記載、示されていない事柄を発見することが往々にしてあります。

こうしたものの多くは、ある一つの事物に関してのものではなく、何かしら複数の要素、事柄の「関係性」についてであることが多いです。

また、そうした発見、指摘された「関係性」の内容が一般的に認められるものであるかどうかはわかりませんが、それらの中には、少数ではあるものの、新たな発見あるいは適切な指摘となる可能性を持ったものがあるのではないかと考えております・・。

そして、もしそうであれば、私であっても、そうした新たな発見、指摘ができるのであるから、他のみずみずしい知性を持った方々にとっては、より一層新たな発見、指摘の可能性があるのではないかと思います・・(笑)。

それ故、インターネットにより文系学問の存在意義がなくなるということは今後しばらくないのではないかと思います・・。

むしろインターネットとは、文系学問分野においても他の学問分野と同様、大変有効な補助器具、杖であるのではないでしょうか?

私は「インターネットによって文系学問の存在意義がなくなる」という主張に対し、それはそのように主張される方々の殆どが主体、能動的に文系学問に接した経験がなく、単なる創造的回避、処理の対象と見做していたことから、そのようにとらえるに至ったのではないかと思います。

また、本来学問とは理系、文系であれ、主体、能動的に取り組むものではないかと思います(無論面倒極まりない側面もまた少なからずあるとは思いますが・・(苦笑))。

それ故、こうした行為態度(インターネットにより文系学問が不要になる)には、何かしら本末転倒なものがあるのではないかと思います・・。

とはいえ、本質的にそれがキライな(好きでない)方々には何をいってもムダであるとは思いますが・・・。

また、あらゆる詩、文学などの存在意義も根源的には、そうした読み手側の主体、能動性に立脚し、そこを起点として、生きたものとして、それらの存在意義が駆動しはじめるのではないかと思いますが如何でしょうか?」

ここまで興味を持って読んでいただいた方々、どうもありがとうございます。

2016年4月6日水曜日

20160406 地域勢力、文化と中央政府について・・

日本占領軍(進駐軍)司令官マッカーサーを叱りつけた男、従順ならざる唯一の日本

日本ではじめてジーンズを着用した人物

以上は本日、電車の中で不図思い出した人物に関してのエピソードです。

おそらく、これを読まれている方々は、その人物が誰であるかお分かりになると思います。

この人物は、現在読んでいる小説「迷路」に登場してきてもおかしくない特徴を持った人物像であると思われたため、思い出したのではないかと思います。

また、この人物は私から見て様々な意味において大変カッコ良いと思います。

また、それと同時に上に示した二つのエピソードとは、お互いに矛盾する要素があるのではないかと思います。

それは、前者の行動、評価においては太平洋戦争敗戦直後の我が国全般が戦勝国アメリカ合衆国の代表に対し屈従を強いられる状況において、この人物が示した反骨的精神、態度そしてそれを為さしめた行動規範を示すものであると思われます。

そして後者においては、戦勝国アメリカ合衆国を象徴する衣服であるジーンズをカッコ良い、機能的、合理的な衣服として用いていたことは、この人物が、衣服をはじめとする文化的事物、実用物の選択においては、その判断の基準が前者のような行動に影響されていなかったことを示すのではないかと思われます。

こうしたことは一見リベラルな態度であると思われますが、もう少し考えてみますと、その姿勢には幕末の討幕運動に参加し、維新政府を築いた勢力においても何かしら類似、共通した要素があるのではないかと思われます。

幕末期における倒幕勢力は幕府を責める、攻める口実、建前として尊王、攘夷といった国粋的な主張を掲げました。

一方において、その主張の物理的な意味での説得力あるいは正統性の源泉となる軍事力においては欧米のものを機能的、合理的として認め、これを採用しました。

つまり観念的な要素については自国の既存の伝統、尊厳を保つような主張を掲げ、実際的な要素についてはより機能的、合理的そして有効と考えられる世界的、普遍的基準に則るというようなことではないかと思われます。

また、こうした行為態度とは、国際的な見地で現在の東アジア諸国において類似した現象を見受けることができるのではないかと思いますが如何でしょうか?

さて、明治維新以降、実際的な要素が大きくなり、西洋化が進展した我が国において、本音から尊王、攘夷といった主張を掲げ倒幕運動に参加してきた勢力は、そうした実際的側面つまり西洋化を基軸とする明治政府の方針に異を唱え、九州を中心として反乱を起こし、そして鎮圧されました。

こうしたことを考えてみますと、私は六世紀代の継体天皇朝における筑紫君磐井の叛乱を想起します。

こうした地域文化、勢力を主体とする中央政府への叛乱(?!)、そして中央政府による鎮圧とは、それが時代を通じ重なる毎、中央政府にとっては事態が都合良くなってゆくのでしょうが、同時にそれは地域の主体的、能動的態度を圧殺、扼殺するような側面もまた、あったのであったのではないかとも思います。

そうした歴史を辿ってきた現代の我が国中央政府が地域再生を主張することに対し、代々地域に根差してきた人々は果たしてどのような感想を持つのでしょうか?

あるいは、そうした歴史とは、我が国を含め統一国家全般が辿るべき一種の宿命であったのでしょうか?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2016年4月5日火曜日

20160405 Shuichi-Kato [A History of Japanese Literature] The Modern Years Vol.3 Kodansha international p.210

先日より読んでいる小説は現在上巻の500頁程度まで読み進みました。

この作品は私にとって久しぶりの長編小説ではあり、同時に、初めての女流作家の長編作品です。

また、ここ最近、新たな長編小説に挑戦することがありませんでしたので、私自身としても、新鮮な感覚であり、今後も何かしら機会がありましたら、こうした小さな挑戦を何かしら続けてゆこうと考えています。

具体的には、現在読んでいる作品の英訳を読んでみたく思いますが、これは大変高価でしたので、また夏目漱石の「三四郎」の英訳本を再読してみようと思います・・。

とはいえ、それ以前に現在よんでいる野上弥栄子著の「迷路」を楽しみ、そして読了を目指します。

ここで現在読んでいる著作の題名を示しましたが、この著作は以前も記しましたが、現在のような時代状況であるからこそ、より一層面白く読むことができるのではないかと思います。

また、このような、ある時代区分の歴史の流れに沿った長編、大河小説、あるいは出来るだけ史実に基づいた映画とは、歴史の勉強になるのではないかと思います。


Nogami Yaeko 1885- the daughter of wealthy brewer of Usukicho, Kyushu, went to Tokyo at an early age, graduated from Meiji Women’s High school, married the future No scholar Nogami Toyoichiro and, after becoming a pupil of Soseki, wrote many novels including MeiroThe Maze, 1936-56, interrupted by the War.
This novel gives a detailed picture of the Marxist movement, at whose stormy centre much of the action takes place, from the early thirties until the outbreak of the Pacific War.
As an interior history of a generation of Japanese intellectuals, the survivors of which were to play a dominant role in postwar literary and intellectual life, it stands alone.
Further, the choice as hero of an ex-minister of Bakufu and grandson of the Senior Counsellor Ii who devotes his life to No and in his old age directs scathing attacks on the Meiji imperial-bureaucratic state and the militarism of the thirties, allows the author to attack the Emperor system from two sides, from the standards of the Tokugawa system on one hand and the critical social thought of Maxism on the other.
For this reason too the novel has a permanent place in the history of modern Japanese thought.

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。


2016年4月4日月曜日

20160404 記憶と表出の間にあるもの・・

本日も朝の電車の中でブログ記事の内容について考えていたのですが、またもや実際にそれを書く段になってみるとキレイに忘れておりました。

そして現在、その内容を思い出そうとして、こうしてブログ記事を書き始めた次第です。

こうして何かしら書き始めてみると、それを思い出したり、また時によっては、以前考えていた内容よりも良いと思われる、感じられる内容が思い浮かぶこともあります。

では、そうした感じを抱くに至った時、何故それが以前考えていた内容よりも良いものであると認識されるのでしょうか?

そうしたことは一般的には、上手く論理立てて説明することは難しいのではないかと思います。

実際、以前考えていた内容の方も、うろ覚えになっていることが多いのですから、それらを比較することは難しいです。

しかし、それでも私はこうした直感とは、なかなか重要なものであると思います。

あまりそればかりに頼るのも如何なものであるかと思いますが、そうした直感、すなわち瞬時に押し寄せる多量の感覚とは、一体どのようなものなのでしょうか?
あるいはどういった原因によるものなのでしょうか

大体の方々は、過去にそうした経験をされることがあったのではないかと思います。

そして、そうした感覚とは、外国語の文章をはじめ、未知なる何かの理解において極めて重要なものであるのではないかと私は思います。

あるいはまた、同程度の頁数、字の密度といった性質を持つ複数の書籍において、比較的読み易いものと、そうでないものがあるといったことにも同様に関係があるのではないかと思います。

そうしたことは単純に好みの問題であると結論付けることができますが、では、その自身の持つ「好み」とは一体どのようにして生成されたものなのでしょうか?

私は、そこには、さきほどの直感、瞬時に押し寄せる多量の感覚の質に何かしら関係があるように思います。

また、こうしたことは科学的に解明することができるものなのでしょうか?

そして、そうであるとすれば、どのような実験手法により、その作用機序、メカニズムを解明そして証明することができるのでしょうか?


さて、ここまで書いていて井筒俊彦の「意識と本質」の抜粋内容を想起しましたが、その内容とは、ここで書かれた記事の内容と何かしら関連があるのでしょうか?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。




2016年4月3日日曜日

20160403 背景となる文化について・・

A「我が国をはじめ、主に欧米諸国以外の国々においては、何かしら欧米文化的な要素を自身の内部ないしは背景に持つことにより、その重要性を高めるような傾向があるように思われます。

また、そういったものは血筋、出生地、学歴などにおいてよく見られるのではないでしょうか?

それはアメリカ合衆国の亡くなった著名な某黒人歌手の動向(特に容姿について)においても同様に見受けることが出来るのではないかと思います。

ともあれ、こうした傾向とは、我が国においては特に都市部においては類例が多く、個々事例の価値を大体見当、評価することが出来るのではないかと思います。

その一方において、現在は事情が変化しているのかもしれませんが、地方の場合、こうした欧米的な文化要素が(一面において)過度に重視されているような傾向があるように思います。

また、そのような欧米的な文化要素とは、往々にして都市部においては既に過去のものとされたものであることが多く、そして、それに基づき独特の地方文化に発展する事例も少なからず存在するのではないかと思います。

そうした地方に流入した欧米文化と在来(地方)文化の混交により創造された地方独特の文化、事物が、首都圏などの都市部文化により発見、吸収され、そこ(都市部)から国内外に向けて(再)発信されることにより、それが全国的なものとして認識されることが我が国の様々な流行、文化事象において少なからず見受けられるのではないでしょうか?

そしてここまで書いていて想起する具体例とは

・欧米、海外文化を背負う、低音の心地よい声で話すコメンテーター的存在

・宮家を名乗り盛大な結婚披露宴を開催し祝儀を騙し取った詐欺事件 2003

・和洋折衷の物語背景を持つ欧米的な体型を持つ登場人物が活躍する海賊(?)マンガ

・明治維新直後に生じた国粋的な思想、神道に基づく思想から欧米、西欧的要素の排除を目指した反乱

もしかすると、これらの背景には、一見相反するようでありながら何かしら共通する心的傾向があるようにも思われますが、如何でしょうか?

そして、その場合、現在となっては半ば無意識的となった都市、首都圏文化こそが優越したものであると信じる首都圏住民の無邪気な傲慢さこそが大きな問題であるようにも思えます。

また、それに加えて、こうしたメカニズム、図式とは、国際社会あるいは国内における地方社会の内部においても同様に見受けることができるのではないかと思いますが如何でしょうか?」

以上のことは全て、私自身が感受、共感できる要素が内面に存在すると考えたため記した次第です。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。


2016年4月2日土曜日

20160402 野上彌生子著「迷路」について

小説などを読む際、その描かれているを状況を頭に思い浮かべながら読むことが一般的であると云えます。

現在読んでいる小説は、時代背景が昭和10年代の太平洋戦争以前であり、また、その地域的背景はいくつかありますが、主要なものは東京、九州の架空の街(大体わかりますが・・。)です。

こうした状況を思い浮かべる際に役に立つと思われるものが同時代の記録映画、あるいは舞台とした映画であると思われます。

そして私がこの小説を読む際によく参照、想起する映画とは「戦争と人間」です。

物語のスジも若干似ていなくもないと思いますが、文章による小説であるだけに、ある状況における各登場人物の思考、情感の描写などにより引き込まれてしまいます・・(笑)。

また、同時に、この小説においては、各登場人物の個性が、そこまで強烈に感じることがありません、夏目漱石の「三四郎」に出てくる広田先生、与次郎などのように・・。

「三四郎」では読み進んでいくうちに、あるセリフを読んだだけで、それが誰の発言、思考であるか、大体分かるような感じがあるのではなかと思いますが、現在読んでいるこの作品には、そうした要素は今までのところあまり感じることはありません。

とはいえ、こうした状況も今後さらに読み進んでいくうちに徐々に変わってゆくのではないかとも思います。

また、さきほど、この小説内の状況を理解するために映画「戦争と人間」を参照、想起すると記しましたが、同時にその登場人物の情感を描いている部分においては、なぜだかよくわかりませんが、少女漫画的な情景を想起してしまいます・・(笑)。

具体的なものとしては、アニメ化もされた大和和紀のマンガ「はいからさんが通る」のような感じです。

舞台となる時代が20年近く異なりますが・・。

しかし、小説などを読んでいて、こうした想起はメッタにしない私ではあるのですが、なぜ少女漫画なのでしょうか・・(笑)?小説の文章を読んでいて、自然とそのようになったのでしょうか?このことを多少考えてみますと、このマンガの物語背景において、この小説のそれ(物語背景)に近いものが少なからずあり、それがこうした想起に結び付いている原因となっているのではないかと考えました。それ故、この小説は上下巻1000頁超の長編ではありますが、日本の近代について具体的な物語を通して知りたいと思われる若い方々にとっては男女問わず面白く読むことができるのではないかと思います。
加藤周一著「日本文学史序説」下巻 筑摩書房刊 pp.423‐424より抜粋引用

『1885年九州の臼杵町で富裕な醸造業者の家に生まれた野上弥栄子(1885~1985)は、若くして上京し、明治女学校を卒業して、後の能研究家、野上豊一郎と結婚した(1906)。
漱石の門に入り、多くの小説を発表し、遂に「迷路」を書く(1936~56、その間に戦時中の中断がある)。
30年代初めのマルクス主義運動の渦中にあった主人公の青年とその周辺を詳細に描いて、太平洋戦争の前夜に及ぶこの小説は、一世代の日本の知識人の内面史として―彼らのなかで戦争を生きのびた人々こそは、敗戦後の文学的または思想的な世界で、指導的な役割を演じた―、おそらく比類のない作品である。
しかも「迷路」は、他方で、徳川幕閣の遺臣(井伊大老の孫)を主人公とし、生涯を能に託するその老人が、維新以来の天皇制官僚国家と、30年代の軍国主義権力を、痛烈無残に批判するその様を、実に活き活きと描き出す。すなわち天皇制を、一方ではマルクス主義の立場から、他方では徳川体制の立場から、挟撃して相対化し、批判するという仕組である。その意味でも、この小説は、日本近代文学史上の一つの記念碑と考えることができる。』







2016年4月1日金曜日

20160401 最近読んでいる小説について・・

先日より読み進めている小説は上巻の半分程度、300頁過ぎくらいまで進みました。

この作品は私がこれまでに読んだ物語、小説の中でかなり情感の描写が上手いのではないかと思われます。
これはやはり著者が女性であることに大きく因るのではないかと思います。

しかし、残念ながら、私は比較対象となる他の女流作家をあまり読んだことがありませんので、これに関しては今現在、漠たる思いの域を出ません。

また、そのことを小説文章の抜粋によって示してみようかと考えてもみました。
しかしこの小説、作品に関して、今後その文章を抜粋することはおそらくないと思います。

その理由とは、こうした長編小説のような作品に関しては、やはり興味を持たれた方々がご自分で読んでみることが、最も良いのではないかと自身の経験から思ったからです。

また個人的な意見となってしまいますが、この小説は英訳本が刊行されているのでしょうか?

もし刊行されているのであれば、原書(日本語)読了の後、久しぶりに英訳本の方に挑戦してみようかと思います。

(その後、アマゾンにて同著英訳本を探しあてましたが、これは大変高価であり、今後すぐに購入することは大変困難であると思われます・・。)

ともあれ、この作品の著者は、偶然ながら私が数度立ち寄ったことのある九州東部の街の御出身であり、また、私が九州在住時代におぼえ、好きになったある調味料の製造元がその御実家であることを知りました。
さらにまた夏目漱石の弟子であったとのことで、何かしら勝手な親近感を持つようになった次第です・・(笑)。

ちなみにこの著者は以前私が読んだ安彦良和のマンガ「天の血脈」にも脇役として登場しておりましたが、そのマンガ内でのキャラクターからは、どうもこの作品の著者として結び付けることは難しいような感じを少し受けます・・。

とはいえ、この「天の血脈」もまた大変面白いと思いますので、これも御興味がある方々、是非読んでみてください。

さて、ここまで書いてみますと、現在私が読んでいる作品が大体見当が付き、お分かりになったのではないかと思いますが、敢えて名前は明示いたしません。

ここまでご興味を持って読んでくださった方々、どうもありがとうございます。