2016年12月26日月曜日

20161226 いくつかのストーリーに共通すると思われることについて・・

本日の首都圏もなかなか寒い一日でした・・。
そして、昨日もブログ記事の更新を行ったため、本日に関しては「特に無理をして書く必要もないのではなかろうか・・?」と思った次第ですが、書きはじめた手前、やはり何かしら続けて書く方が精神衛生的にも良いのではなかろうか・・?と続けて思った次第です・・(苦笑)。

そういえば、12月はじめに投稿記事数が500に到達してから、ほぼ20日近く断筆を試みた(笑)わけですが、その後、現在再度書きはじめるのは、特に苦痛ではありません。

ただ、問題となるのが、ブログ記事のネタであり、これはその場その場の想念に尾鰭を付けて書けば良いのでは?と考えた時期もありましたが、どうもそればかりでは、記事の内容が深化し辛いようです・・。

その意味において、比較的初期のブログ記事の方が内容としては深いものが多かったのではないかと考えます。

とはいえ、現在もまた、それなりにさまざまな著作は読んでおりますので、やり方、考え方次第では、今後更なる文体の洗練、内容の深化を図ることができるのではないかといった期待もまたあります・・(笑)。

そして、そのためには、やはりまた、ある程度文章を書き続けなければならないのかもしれません・・。

このようなことを記しておりますと、以前読んだアルベール・カミュ著「シューシュポスの神話」を思い出します・・。

また、シューシュポスで思い出すのは、これも以前読んだロバート・グレイヴス著の「ギリシャ神話」にてトロイア戦争終盤で木馬の詭計を考案したアカイア勢の将オデッセウスは、このシューシュポスの息子であると記されていたことです。
たしかに、人も神々も怖れぬその豪胆、大胆さ、詭計の巧みさとは、二人に共通する性質であるといえますので、この記述に妙に納得した記憶があります。

そしてまた、二人ともその豪胆、大胆さによって苦難に身を投じることになるのです・・。

そして、そのように記しておりますと、今度はつい先日に共有した動画「アギーレ/神の怒り」(1972年西ドイツ映画)を思い起こさせます・・。

そして、私はそこに関連するものとしてジョセフ・コンラッド著「闇の奥」冒頭からの抜粋引用を示しましたが、これらの断片的なストーリーには共通する何かがあるのではないかと思われるのです・・。

無論それらに共通する性質を自身が保持しているということではありません。

しかしながら『明瞭ではありませんが、共通して認識することができる抽象的な観念』といったものが存在するのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうした観念といったものは明瞭に言語化することはネット上での保身とは異なる意味・次元で危ないことではないかと最近不図思いました・・(笑)。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。





2016年12月25日日曜日

20161225 興味の循環らしきものについて・・

以前、かなり興味を持っていたが現在ではかつてほどの興味を感じないものといったものがあります。

最近何故か、そのことを考えてみたところ、おそらく古墳についての興味とは、かつてほど持っていないかもしれないと思うに至りました。

しかし、そうした時期(ある事物に対し興味が減衰する)とは、過去に他の興味においても類似した現象がありましたので、一概にその時期・状態が永続・継続するものばかりでもないと思われます。

つまり、ある程度の期間で見れば、潮の満ち引きから生じる潮位の高低差のようなものではないかとも思われるのです・・。

そして、これを前提としてハナシを進めます。

かつて西日本在住時は書籍などで特徴的な古墳、遺跡の存在を知ると、機会を設け実際の見分に出向いたものでした。

大抵の場合、その見分とは、かなり精神的に高揚するものであり、なかんずく、それがあまり整備されておらず、周囲に草木が生い茂っているような状態であればあるほどに、その高揚の感覚とは(かなり)大きいものであったといえます・・。

そして、その高揚感を再び得るために更に書籍文献をあたり、そして他の古墳、遺跡の見分に出向いたものでした・・(笑)。

そのように想起してみますと、上記のような行動の連鎖により、古墳、遺跡そして古代に対する興味とは継続することが出来ていたのではないかと思われるのです。

無論、現在なお古代に関する書籍を読むことはありますが、その読む際のスタンスとは、かつてそうした見分を定期的に行っていた際のものと異なり、実際に存在する古墳・遺跡の案内書としてよりも、古代史の文献資料として読んでいるような感覚が強いように感じられます・・(苦笑)。

つまり、それら古墳・遺跡を身近なものとして感じることが出来なくなっているのかもしれません・・。

では『現在は何かに対して、かつての古墳・遺跡に対するような興味を持っているのか?』と問われた場合『よく分からない・・。』と返答するのではないかと思います・・。

これはもう少し考えてみる必要があるようです・・。

さて、先日、当ブログにても示した映画「大魔神」を何気なく観ておりますと山中の大魔神の遥拝所(主人公たちの潜伏先)に描かれている壁画が福岡県在の竹原古墳のそれにそっくりであることに気が付きました(あの時代の映画の美術班とはなかなかスゴイものであったのかもしれません・・)。

竹原古墳の壁画とは、かつて金関丈夫谷川健一が、それぞれ大変興味深い論考を記しておりましたが、史実としては金関丈夫の記した内容がより適当であるように思われます。

しかし、それよりもあらためて、かつての解剖学者(金関丈夫)には、とんでもない博識の方がいたことを思い知らされます・・。

また、そのことから興味が促され宮崎市定著の「アジア史論」を読んでおりますと、ここでもまた竹原古墳を生んだ古代九州について考える際の大変興味深い考えが記されておりました・・。

しかし、さきにも述べたように歴史とは、こうした文献を通して学ぶのと同時、やはり実地見分を行わないでいると、多少味気ないものになってしまうのではないだろうか・・?

このことは以前読んだ森浩一の著作にも記されておりましたが、実際にその通りであると現在痛感しております・・(苦笑)。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」











2016年12月24日土曜日

20161223 501回目の投稿 創造性を生む文化的土壌としての議論の重要性

直近の500回目の記事投稿からしばらく経ちました。
そして、本日新たに記事を作成することにしました。

さて、500回の記事投稿の後「何か大きなことが起きるか?」と多少思いましたが、残念ながら、明らかにそれが原因であると断定できる出来事は生じませんでした・・。

生じたといえば500回目投稿直後の晩はなかなか寝付けなかったことぐらいです(これは何故であろうか?)。

また、その後の毎日においても自身の考えなどに大きな変化が生じることもなく、どちらかというと平穏に過ぎていったのではないかと思います。

また「猛烈に何かを書きたい!」といった心境が生じることは特にありませんでした・・。

ただ、ほぼ毎日ブログ記事を投稿していた時期に比べ、500記事到達後は書籍を深く読むことが出来るようになったのではないかと思われます・・。

それは、この時期(500記事到達後)、直近に読了した長編小説「楡家の人びと」を再読、また再読しましたが、以前に比べ、純粋に楽しんで読むことが出来たという自覚から判断した次第です。

また、他のこの時期に読んだ書籍においても同様の自覚、感想を持ち得ました。

そうした自覚、感想から、今後のブログ記事作成は、書籍を読むことを楽しむことの出来る程度の頻度にて作成していくのが良いのではないかと思いました・・(笑)。

また、その頻度を高める何かしら具体的な方策を得ることが出来ましたら、ブログ記事の文体、内容において漸進的な変化が生じてくるのではないかとも思われます・・。

しかし、であるからといって、以前のほぼ毎日ブログ記事を更新していた行為が、無駄ということではなく、むしろ、そうした経験、時期、段階とは必要であったのではないかとも、さきに述べた自覚、感想と同程度、あるいはそれ以上に持ち得ました。

しかしまた、それ(必要性云々)は、特に「何のため」というものではなく、ただ「自身の文章をより明瞭に記す」という、いうなれば、自己満足の充足を目指す類いのものであるということが出来ます(苦笑)。

そうしますと、上に記した一連の内的現象とは、一面において、まさしく「自縄自縛」と評することが出来ると思います・・(苦笑)。

とはいえ、そうした能動者の自己満足の充足行為全般に対する他者による判断、評価基準の「選択」こそが、かなり難しいものであり、そこには形而上的な思考つまり哲学といったものが要求されるのではないでしょうか・・?

そして、その意味において、現代とは「普遍的な知識の普及、定着」では、おそらく過去のどの時代に比べても、より高い水準に達しているといえるのかもしれませんが、さきに述べた形而上的思考、哲学に関しては、それ(「普遍的な知識の普及、定着」)と反比例とまではいきませんが、おそらく過去のどこかの時代の方が、より高水準であったのではないかと考えさせられるのです・・。

また、ここまで記していて不図思うことは、さきに述べた能動者の自己満足の充足行為に対する他者による判断、評価基準の選択」に形而上的な思想・哲学が介在されなくなると、ある種の相互作用の結果、能動者・評価者共に虚無的あるいは野狐禅に堕し「後の世」に対し誇れる、評価され「得る』ような文化を創造することが徐徐に『面倒』になってくるのではないでしょうか・・?

しかし、であるからといって、強烈な何かしらの(父権的な)権威の強化および必要性を希求するのではなく、ただカタチだけではない対話・議論を行うことが出来る文化的土壌(それは歴史が培うものではあるのですが)が社会一般において存在すれば、どうにかなるのではないかと思います・・。

いうなれば、血の通った対話、議論が可能な文化的土壌とは、さまざまな創造的な行為を行う際の弾性、靭性を付与するものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復旧を祈念しております。













2016年12月5日月曜日

20161205 500記事到達(達成感はあまりないです・・(苦笑)。)

今回の記事投稿によって総投稿記事数が500に到達します・・。

このブログを始めたのが昨年6月であったので、ほぼ1年半つまり540日程度で500記事ということになりますので、10日のうち9日は記事を投稿し続けてきたということになります・・。

これは到達までの期間が早かったとは云えませんが、とりあえずキリの良いろころまでは達したというような幾分アイマイな達成感らしきものはあります・・。

とはいえ、この達成感とは、明瞭なものではありません・・。

明瞭な達成感とは、登山にて山頂に至った時、あるいは学会発表を終えた時、一つの実習を終えた時などの方が余程、明瞭且つ強いそれを感じることが出来ていたように思います。

その理由とは、この500記事という目標自体が自らで定めたものである為であるのかもしれませんが、ともかく「よく分からないまま、ここに至った」と評しても良いと思われます・・(苦笑)。

それ故「果たしてこの程度で良いのであろうか?」と思う反面もありますが、一応ここまで至ったということで、かねてよりの企図に従い、今後一週間程度は意識的な断筆を試みるつもりです。

そして、その断筆の期間に、あるいはその達成感といったものが内面より涌出してくるのかもしれません・・(そうであれば良いのですが、そうしたことはあまり期待しないでおきます(笑))。

また、昨日久しぶりにお目に掛かった師匠とハナシをさせて頂いておりますと、何といいますか鹿児島在住時での(良い)記憶が甦ってくるようです・・(笑)。

それで思い出されるのは、さまざな研究、実験指導と共に、登山の記憶です。

鹿児島での登山は師匠のお供で始めたことであり、それは面白いことに和歌山におけるフィールド・ワークの記憶とも結節するのです・・(笑)。

その意味において、それら在住期間を通じ、いつの間にか私は西日本の自然環境に対し、親近感を抱くようになっていたと云って良いと思います。

いや、あるいはそれは「(勝手に)魅入られた」と表した方がより適当であるのかもしれません・・(笑)。

これは、以前のブログ記事にて記しましたがErdgeist・地霊といった存在に因るのではないかと考えております・・。

また、こうした考えを「非科学的」、「現実的でない」とするならば、何故我々は各地の寺社を参拝するのでしょうか?

おそらく我々の祖先とは、おそらく現代の我々よりも多く自然に接し、また、その不思議なチカラを目にしてきたものと考えます。

その結果として、何かしらの事物から神聖さを感じ取り、それに対し境界を設け、社殿を建立してきたのではないかと思います・・。

もし私も含め現代の我々が、一般的に、そうしたことを感じ取れないのは、その神聖さを「感知する能力」が減衰してきたことに大きく因るのではないかと思いますが、如何でしょうか・・?

また、それを別言すると、そうした神聖とされる事物の存在を、自身よりも神聖な存在と認めることが困難な社会になってきたからではないかとも云えるのではないでしょうか?

そして、首都圏とは、その意味において先端であるといって良いと思います・・。

さて、そこで思うことは「人間の創造性に対するこうした存在の影響」です。

その具体的なメカニズム・作用機序は分かりませんが、私見としては、少なくとも我が国の場合、そうした神聖とされる存在が地域に「生きたものとして」残存している方が様々な創造性に対しては良い影響をもたらすのではないかと考えます。

これは我が国におけるノーベル賞受賞者の出身地域から類推してみますと納得することが出来るのではないでしょうか・・?

それ故、地域における自然とは、その意味(人間の創造性)においても大きな価値があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

【煎じ詰めると、当たり前かもしれませんが、それ(神聖さ)は社殿の壮麗さ、祭りの盛大さなどといった所謂カタチとは異なる次元に内在するものではないかと思われるのです・・。しかし、首都圏におけるそれは、それを(いまだに)見誤っているのではないかと思われることが度々あります・・。】

さて、読んで頂いている皆様のお蔭でここまで到達することが出来ましたどうもありがとうございます!

500記事に相応しい名文とはなりませんでしたが、今後もまた(しばらく期間を置いて)何かしら書き続ける所存ですので、どうぞよろしくお願いします!!

さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被害を受けた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。




















2016年12月4日日曜日

20161204 自身の性質・性状からの積極的な発露について・・

A「本日久しぶりに焼酎(黒霧島)を飲みました・・。

その酒精あるいは他の何かの影響によるものか、また何かしら記してみようと思い立ち現在こうして記事作成をはじめた次第です・・。


時間も時間ですが、明日(既に本日(20161204)ですが)は休日であるため、大丈夫であると思います。


さて、かねてよりブログ記事にて記したとおり、私はやはり文系の人間であると思います。


それは理系の方々が話す内容をどうにか自身の理解している「歴史の流れ・モデル」に置き換えて理解しようとするところに示されるのではないかと思います・・。


そして、そうである場合、手持ちの運用可能な「歴史の流れ・モデル」が多ければ多いほど理解可能な事象は増加してくるものと考えます。


これに関して私はおそらく、ある程度持っているのではないかと考えますが無論、未だ手持ちのカードが「多い」とは云えません・・(苦笑)。


とはいえ、一応やってきたことはやってきたという自覚もまたありますので、それが私のほんのわずかな自信あるいは自覚の根源であるのでしょうが、これは自身の継続してきた読書、対話の量からすれば、自然と身に着く程度のものであると云えます・・。


そうしますと、そこで大事なことは「それを継続する意志を持ち続けてきたか?」ということになるのではないかと思います・・。

しかし、それも私の場合「それ以外に自身の持つ積極性を活かす術を知らなかった」ということになると思われます・・(苦笑)。


あるいは「それ以外の身の処し様が出来ない」と、ある程度深刻に悩んだことによるものと考えます・・。


おそらく、この自身の積極性(読書、対話そして、それらを統合した研究)の継続が為されていなければ、生きることもツマラナイと思っていたでしょう・・。


それ故、自身の場合(あくまでも)ネガティブ・ケイパビリティー優位の我が国社会において自信を持つことの困難さをおぼえ、また、その価値観からどうにか逃避し、且つあまり他者から非難されない道を選んできたものと考えます・・。


そして、現在継続して作成しているブログ記事もまた、大きく見れば、そうした自身の性質・性状からの発露であると見做すことが出来ます・・。


それ故、この一連のブログ記事においては、たとえ今後500記事に到達した場合といえども、その根源が「発露したい」という積極性によるものである為、繰り返し、このネガティブ・ケイパビリティー優位の我が国社会においては自讃・称揚に値するものではないとも思われるのです・・(苦笑)。


しかしながら、一方において、こうした「変な人間」が、もう少し大学、アカデミアにいれば、それはそれで「創造性」に関しては」面白い効果もまたあるのではなかろうかとも、いささか手前味噌ながら思うのですが、さて如何なものでしょうか・・?


そして、今回もまた興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。


さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」







2016年12月3日土曜日

20161203 「史跡の発見に関連する感覚」と「500記事到達間近」の類似性・・

本日は事情により早めに記事を作成、投稿しようと思います。
先日悪石島の「ボゼ祭り」動画を共有しましたが、この動画とは、その内容に加え、周囲の自然の音(鳥、虫など)に興味をおぼえました。

「そういえば、現在、こうした音が聞こえる自然環境にいないなあ・・。」といった感じです。

また、それが影響したものか、つい先日みた夢は、樹々植物が茂り日光の透過もまばらな山道を歩いている光景でした・・。

実際のそうした経験とは、鹿児島在住時の登山において得ています。またそれは、和歌山在住時のフィールド・ワークにて書籍に記載されている史跡を自身で検分するために、現在はほぼ人跡未踏とも思える山道を歩いた経験とも類似しております。
そうした時は「これで本当に道は合っているのだろうか?」と戸惑いながら歩いたものです・・(笑)。

また、実際に間違っていることもありましたが、その道の先に史跡を見つけることが出来ると、それはそれでなかなか嬉しいものでした・・。

そして、それで思い起こしたのは、和歌山県のある古墳のことです。

この古墳は何故か分かりませんが、あまり書籍に載っておらず、その存在を確かめようと、ある初夏の週末に記されている書籍を手に探しに出ますと、如何なる案内もなく、ただ書籍掲載の地図を頼りにしばらく歩くことになりました・・。

そして、これ(古墳)を探す道程の状況とは、さきに記した夢の中でのそれに類似しておりました。

また、こうした案内もなく(幾分昔の)書籍にのみ記された古墳等の史跡を発見した時の感覚とは、さきに記したようになかなか興奮するものです・・。

しかし、そうした経験を他者に話してみても、往々にして、あまり共感されないところが良いのだか悪いのだかよく分からないところです・・(苦笑)。

いや、それ以前に案外こうしたことは大仰に話す必要はないのかもしれません・・(笑)。

さて、そしてハナシが変り、今回の記事投稿により、投稿総記事数が498となり、500記事到達まで残り2記事となります。

そして、こうしたこともまた、あまり大仰に話す必要はないのかもしれません・・(笑)。

また、今現在500記事まで到達しているわけでもありませんので、むしろ、こうしたこと「今」記す必要はなく、ただ、現在のブログ記事を書く上でのネタとしては、さきに記した「史跡の発見に関連する感覚」と類似している可能性を示という意味においては悪くないということです・・(苦笑)。

とはいえ、その一方で、その間(「史跡の発見に関連する感覚」と「500記事到達間近」)に類似性が認められるのであれば、その類似性を知覚するさらに普遍的な意識、自我(ほぼ無意識、超自我に近いものかもしれない)の存在に対し言及することが出来るかもしれません・・。

そして、それは書いている本人にとっては多少なり意味があり、また、これを読んで頂いている方々もまた(ある程度)共感、納得できるのであれば、それなりに意味があるのかもしれませんが、これに関しては、その判断が難しいところです・・(笑)。

ともあれ、こうしてハナシは循環するのです・・(笑)。

何れにしましても、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





20161202 500記事到達後の断筆および自信について・・

A「本日は若干帰宅が遅くなりましたが、それでも時期が時期であるため、本日分のブログ記事を作成しておかねばと思います。

どちらかというと渋々、今現在(23:10)記事作成に取り掛かりました・・(苦笑)。

さて、昨日投稿した記事もまた、思いのほか多くの閲覧者数を得ることが出来ました。

これを読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。

また、それに加えて、昨日記事投稿直後の反応もまた大変面白く、考えさせるものでした・・。

そこまで(記している私が思いもよらない程)深く読んで頂けるのでしたら、私も毎回のブログ記事作成の意欲が湧いてくるというものです・・(苦笑)。

しかし、あと数記事投稿して500記事に到達したならば、以前書いた通り、一度、意識的な断筆を試みる所存です・・。

であるからといって、何か大きな変化が起きるとは考えてはおりませんが。

しかし、その一方において、自身の文章作成に対する「思い」といったものは、多少なりとも測ることが出来るのではないかとも思います・・。

そして、その「思い」を自身が認識して、はじめて何かしらの内面における変化といったものは生じるのではないでしょうか・・?

我々は一般に、無意識で「何らかの環境」を当たり前、所与のものとして、その環境の中にいる時は、それが持つ意味、影響力について考えることは困難であるように思います・・。

そして、その環境から抜け出た後、はじめて、その意味、影響力などについて考えることが出来るのではないでしょうか・・?

また、こうしたことを記しておりますと、不図思い起こされることは、以前ブログ記事に書いた煮物などで火をかけている時は具材に出汁はあまり浸透しておらず、より浸透するのは火を止めた後の冷却の過程であるということです・・。

そのように考えてみますと咄嗟に「この時期、季節に冷却というコトバは穏やかではないな・・」と思うのですが「そうであれば記事作成を継続するのか?」ということになりますが、何れにしても、500記事作成の後、一旦ある程度の期間、断筆を試みることは、少なくとも、これまでの人生でなかった面白い試みであるとは思いますので、これは是非行いたいと考えております・・(笑)。

しかし、そのようなことを(笑)で書くことが出来るということは500記事作成においても未だ余裕があるとも推察されますが、たしかに未だ現在、全てを出し切ったという感覚はありません・・。

これは自信過剰からくるものではなく、ごく自然な思いの表出であるといえますので、むしろ、これまでのブログ記事作成が過剰に「偽りの自信」に作用することの方を私はおそれます・・(おそらくそれはないと思われますが・・)。

また、自信というものも本来は内面から涌出するものであると思うのですが、残念ながらこれに関しては未だ「源泉を掘り当てた」といった感覚は得ておりません・・。

とはいえ、その一方で「何か分かった・・」という感覚とは幾つか得てはきているとも考えております・・。

これは私がそうして得た感覚の「取り扱い」を間違ってきたことに由来するのであろうか・・?

しかしながら、私見となりますが、特に夏目漱石の著作の面白さの多くとは、その一種の「自信の無さ」を述べているところに共感できる何かが認められるからではないかと考えます。

そして、それ故にか、彼は近代日本を悲観し、そして結果的に歴史とは、その通りになってしまった・・といって間違いではないように思われます・・。

また、それと同じ意味にて、太平洋戦争の敗戦という大きな痛手を被った世代の多くの著述家が、現代の日本社会を憂慮、危惧しつつ世を去っていったことに対し少なからぬ興味をおぼえるのです・・。

また、彼等世代を目の上のタンコブとし、それが去った後に跳梁跋扈する方々とは、果たして後世から如何なる判断が為されるのであろうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


















2016年12月1日木曜日

20161201 500記事に到達したならば・・昨日の続き主に「邪視」

A「今回の記事投稿にて500記事到達まで残り5記事を切ることになりますが、あまりそういった実感といったものはありません・・(苦笑)。

また、たとえ500記事に到達したとしても、その後自身がどうすれば良いものかとは考えておりません・・。

そうしたことは、実際に500記事目の投稿を終えた後になり、自然と内面から涌出してくるのではないかと考えております・・。

とはいえ、この程度まで継続的な記事の作成を行ってきたのであれば1週間程度の「意識的」な断筆を試みることは、それはそれで面白い実験ではないかとも思われるのです・・。

そして1週間経た後、猛烈に何かを書きたいと思うか、あるいは、そのまま自然に何も書かないで大丈夫であるかとは、自身の性質の一つを知る上において、ある程度有効であると考えます。

これまでに何度かブログ記事において記してきましたが、おそらく私は文章を記すことが、少なくともキライではないと考えます・・・。

しかし一方において、自身が記すことの出来る内容、主題とは、ある程度限定されるということも、これまでの記事作成において知り得ました(あまり知りたくなかったのかもしれないが・・)。

また、それは、記事を投稿した直後において示される反応の一つである、過去に投稿した直近記事と類似した主題、内容を持つ記事の閲覧者数が増加するということにより否応なく知覚されるのです・・(苦笑)。

しかしながら、そうした反応も含めて示される全般的な反応とは、基本的に悪意に基づくものではなく、何といいますか「もっと書け!」と励まされているように思われるのです・・(笑)。

そうしたことの直近の具体例を示しますと、昨日投稿した「シンボル、フィギュア、祖霊像などについて」を投稿した直後、4カ月近く前に投稿した「20160810」の閲覧者数が増加し、そこから、この記事を直近投稿記事のコメントとして追加した次第です・・。

両記事を読んで頂きますと、その関連、類似性に納得できるのではないかと思います。

とはいえ、そうした反応が速やかに為されるのは、少なくとも現在のAI、人工知能では、なかなか難しいのではないかと思われます・・。

こうした文面表層に示されない文脈、コンテクストの関連、類似性などの知覚とは、また、ある種複雑なものであると思いますので・・。

恥ずかしながら、両記事を記した本人が、そうした反応により、その関連、類似性を知り得たくらいです・・(苦笑)。

それ故、この反応とは、ブログ記事を閲覧して頂いている方々によるものであると考え、また同時に、そうした方々とは、文章の読解(自身の悪文も文章と見做して(笑))のセンスが、少なくとも私よりも上等であると思われます・・(苦笑)。
(そうであるからといって何も自慢にはなりませんが・・(笑)。)

そして、ここまでは認めますが、しかしながら・・では、そうした関連、類似する主題、内容を持つ記事をほぼ無意識で4カ月の間隔を空けて記すことは可能であるか?と問うた場合、おそらくそれは意識的には可能なのでしょうが、そうしますと、それは企図されたものとなり、果たして閲覧して頂いた方々が反応を試みるに足るものとなるのでしょうか・・?

・・いささかヤケクソ気味の答弁、抗弁とも聞こえましょうが、しかし我々人間の創造性の原初的な発動とは、こうしたほぼ無意識による「やり当て」に近いものであり、また、そうであるが故にそうしたものに対して、これまた原初的な反応が為され、結果的に、更なる創造性が惹起、発動されるのではないでしょうか・・?

ヤケクソにはじまり、いささか希望的な観測でもありますが「創造のはじまり」とは、そのようなものであると私は考えます・・。

また、昨日投稿の「シンボル、フィギュア、祖霊像などについて」をもう少し考えてみますと、いかめしい顔(笑顔でない)を持つ男性像が現れる大隅の大人弥五郎どん、悪石島のボゼ、東北のねぶた祭り、なまはげ・・の持つ意味とは、その根源においては、おそらく邪視による破邪の効果を狙ったものではないかと思われます・・。

(そういえば南方熊楠の論考で「邪視(Evil eye)について」というのがありました・・。)

また、私見ではありますが、こうした邪視による効果を願った祭祀全般とは、我が国の辺縁地域に比較的多く認められるのではないかと思われます・・。

それは、辺縁であるが故に古い祭祀形態、観念が残存したことによるのか、あるいは当初より、それら地域には、邪視が効果を持つという祭祀、民俗文化が定着、継続し易い文化的土壌がかねてより存在していたことによるものであるかは分かりません。

とはいえ、昨今の首都圏を中心に見られる女性にとって都合の良い笑顔の男性がもてはやされるご時世であるからこそ、一方において、こうした祭祀、民俗文化の持つ意味、価値を再考してみることは、少なくとも、あながち悪いことではないように思われるのです・・。

また、ここまで記して不図思ったことは、これら地域とは、人口の男女比において比較的女性の方が高い比率を示しているということも、あるいは何か関係があるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




20161130 シンボル、フィギュア、祖霊像などについて・・

先日不図見かけた書籍の頁に木彫の大分ディフォルメされた人物像(木像)らしきものの画像が載っていました。
その木像が何時の時代の、どの地域のものであるかの説明は見ませんでしたが、その作風からして南太平洋の何処ではないかと思われました・・。

また、日本におけるこうしたものについては、これまでに幾分か見てきたこともあり、大体の時代および地域の見当をつけることは出来ると考えます。

私見となりますが、それら古の観念に基づき製作された何らかのシンボル、フィギュアとは、現在の我々をも強く惹き付ける何かがあると思います・・。

そして、さらにその中で特に惹き付けられ、心に引っ掛かるものとには、もしかすると、そこには相応の理由があるのかもしれません・・。

そのような理由に基づき、ある古の製作物の来歴等を調べておりますと、その途上において、思いもよらぬ考えが浮かぶ、あるいは現代において見知っている他の何かとの関連を突如、示唆(その多くは明示まで強烈ではない)されることがあります・・。

また、その感じとは夏目漱石著「夢十夜」内の「第三夜」のようであるともいえます・・(そこまで強烈ではないが・・)。

私はこの短編の中に、ある種の人間内面における普遍性を見出します。

ともあれ、ハナシを戻し、そうしたことが自身の内部で、ある程度頻発していた時期に、それら考え、関連性が「何故」浮かんできたのか?とは考えず、ただ、その更なる根源、源泉への遡上を専ら書籍・文献の捕集を通じ試みていたように思われます・・。

こうした作業においては、能動・積極性の方がより有効であると云えます。

とはいえ、これを現在考えてみますと「何故、当時はそうした考え、関連性が頻繁に脳裏に浮かんできたのか?」ということの方が、より不思議、重要なことであるように思われるのです・・。

また、それと同時に、そうした経験の蓄積、複合化により、我々人間とは、何かを『知った』と思い至るのではなかろうかと思います・・。

その意味において、翻って考えてみますと、当初に挙げた古に製作されたシンボル、フィギュアとは、その時代、地域の人びとが「知った・知っていた」考えを具現化したものであるといえます。

そして、それらを現代の我々が見た時に直観的に感じることとは、そこに地域的な繋がりが存在するのであれば、やはり、そこには何らかの意味があり、また言語による概念化を試みる価値(時代を貫く何か)があると云えるのではないでしょうか・・?

そして、特に自国の歴史、文化等においては科学、客観的な認識、概念化と同時に、こうした一種の「同一化」を試みることを通じ、内面から理解する必要性があると思われるのです・・。

また、この「同一化」を生じさせる契機として古来より認識されていたものが「眼」およびその周辺であったのではないかと考えます・・。

ハナシを再び冒頭に戻し、これら古の観念に基づいて製作されたシンボル、フィギュアとは、世界中遍く、両目周辺を強調し、さらにその表情に笑顔が少ないといった特徴があると云える。

多くのそれらは「祖霊像」と認識されているが、たしかに最大公約数的に、その見解とは間違っていないと考えます。

また、我が国における古いその典型とは福田型邪視紋銅鐸であるといえます。

そしてまた、現代においてそれに比定されるものとは「ゴジラ」ではないかと思われますが如何でしょうか・・?

また、その間には「大魔神」といった、より「祖霊像」に近い存在もありましたが、そうしたもの(シンボル、フィギュア、祖霊像)は、往々にして変化なしの直球とは、受け入れられないことが多いのかもしれません・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。





2016年11月29日火曜日

20161129 「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「能動・積極性」の微妙な兼合い、関係

A「ここ最近また一段と気温が冬めいてきました・・。
この時期になりますと、どうも書籍を身を入れて読むことが出来なくなるのかもしれません・・(苦笑)。

そのためか、先日読了した「楡家の人びと」以来、これといった著作に出くわすこともありません。

しかしながら週末には大体書店に出向き、何かしら探しておりますので、今後またしばらくしますと、自然と次に読むべき著作に出くわすのではないかと、前向きに考えております・・(笑)。

しかし、そうしたことを意識的に見ますと、この書籍などを読み「面白い!」と感じる源泉とは、一体何であろうか?と思うに至ります・・。

おそらく、この感覚とは変化し続けるものであるのでしょうが、それと同時に、各々場面の状況においても、ある程度、有意な影響を受けているのではないかと思われます・・。

また、それと同時に、昨今、いや、かねてより「書籍を読むことは大事である」といった意見は巷に流布され、また、そうした傾向が社会において生じ続けております。

しかしながら、さきに記した「書籍を面白いと感じる源泉とは何であるか?」という疑問に即し考えてみますと、同じくさきに記した「書籍を読むことは大事である」という社会傾向とは、各々場面の状況として果たして必要であるのか?と思ってしまうのです・・。

つまり「書籍を読むのが本当に好きであるのならば、わざわざ社会の傾向により読書などを促される必要性はない」ということです・・。

また、それに加え、その時々で、自身が面白いと思う書籍を探すことの方が、より一層能動性に即した行為ではないかとも思われるのです・・。

しかしその一方において「書籍を読むことは大事である」という社会傾向の継続により(本当に)書籍を読むことが好きな人が徐徐に増加していくのかもしれません・・。

これは今現在の自身が、この社会傾向により恩恵を受けているとは感じられないことから、幾分斜に構えて見てしまうのかもしれません・・(苦笑)。

いや、あるいはここにもまた、以前投稿したブログ記事にて記した「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「能動・積極性」の微妙な兼合い、関係といったものがあるのかもしれません・・。

そして、ここで思うことは、感覚的な私見とはなりますが、様々な行為・行動をとる上で「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「能動・積極性」の双方共に重要であったとしても、特に我が国社会においては全般的に古来より「ネガティブ・ケイパビリティ―」優位ではないかと思われるのです・・。

そして、おそらくそうしたことが、国家間の様々な文化・風習・制度の相違の根源に近い部分に横たわっているのではないでしょうか・・?

しかしながら、こうしたことはかねてより云われており、陳腐なことではあるのかもしれませんが、同時に「書籍の選択」を背景の文脈として思ったこととしては、古今類例があるのでしょうが、それなりに意味があり、また、たとえ、なかったとしても物笑いのタネにはなりますので、それなりの意味はあるものと信じ、書き続けます・・(果たして本当そうであるのか?)(苦笑)。

さて、では何故、国々の間において「ネガティブ・ケイパビリティ―」あるいは「能動・積極性」優位の社会が形成されてきたのかと考えてみますと、その理由とは単純に「その辿ってきた歴史にある」ものと考えられます・・。

そしてハナシがここに至りますと「唯物史観」「構造主義」といったコトバが脳裏に浮かんできて、さらに続いて「下部構造が上部構造を決定する」といったコトバもまた浮かんできます。
しかし果たして、こうしたハナシ(歴史、文化などの比較)とは、そこまで公式化出来るものであろうか?とも考えさせる、あるいは疑問を生じさせる「きっかけ」こそが、能動的な書籍の選択、そしてそれに続く読書の意味ではなかろうかとも考えさせられるのです・・。

とはいえ、そうであるからといって我が国社会が全般的に「ネガティブ・ケイパビリティ―」優位であると考えることに対しては未だ(能動的な)疑問を抱けないのが現状であるといえます・・(笑)。

しかし、それも決して悪いことばかりでもないのですが・・それでも悪いところが以前(昭和時代)に比べ目立つようにはなってきているのかもしれません・・。

そうしますと、これは「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「能動・積極性」よりさらに奥、基層にある何かの変化、劣化によるものであるのでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んでいただき、どうもありがとうございます。

さきの熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震より被災された地域の諸インフラの早急な復旧、そしてその後の復興を祈念します。」











2016年11月28日月曜日

20161128 色々とハナシは飛びますが・・生命力の「燃焼」の程度

先日投稿したブログ記事にて2013年9月、鹿児島からの帰郷時における原宿付近での出来事を記しました。

そして、現在ではその出来事にある行動を採ることは困難であるように思われます・・。

むしろ、現在となっては、何故、当時(2013年9月)は、そのような行動をスムーズに採ることが出来たのか?の方が不思議に思われるのです・・。

そう思い返してみますと2013年当時の私と、現在2016年の私の間には大きな相違があり、さきのブログ記事に記した状況における対応、反応に限定して云えば別人になってしまったと表してみても決して言い過ぎではないと思います・・。

また、こうしたことをわざわざ(掘り返してまで)言語化、文章化することとは、どこかしら若い頃の悪行を自嘲・自慢半分半分で語るオジサンを連想してしまい、2013年の行為、現在の(そのことを言語化、文章化する)行為、共に我がことながら、あまり感心することは出来ません・・(苦笑)。

では何故、現在私がこの過去の「愚行」を再度ブログ記事の題材としているかのかと考えてみますと、それは、過去の自身(の特に行動)が理解出来ないことは、それが夢や架空の出来事でないのであれば、かねてより当ブログ記事にて歴史(過去の実際の出来事)の重要性を力説、標榜している私としては「灯台下暗し的な盲点」として認識されることにより、もう少し、その意味を考えてみた方が良いと思われるからです・・。

それ故、ハナシは元に戻し、具体的に2013年9月と現在の私の間には如何なる「相違」が認められるのでしょうか・・?

この問いに対し即座に感覚的に思い起こされる、一連のブログ記事にて用いてきたコトバとは「D2病」です・・。

端的に云えば2013年9月の私とはD2病の真っ只中にあり、それに対し現在の私とは、少なくともそこから大分寛解しているのではないかと考えます。

そして、それが両時期の間に見られる顕著な相違であり、また現在では理解不能な程の断層を生じさせる要因であるとも思われるのです・・。

とはいえ、ここで不思議に思うことは、2013年9月の出来事も現在と同様、自身の経験・記憶でありながら、何故、前者に関しては、その行為を行わしめた背景である、当時(2013)の精神、心の現実性を感覚的に内面から理解することが出来ないのであろうか?ということです・・。

そして、そのような状況を異なる視点から考え、さらに説明可能なコトバの抽出を試みますと、そこに「憑き物」「憑依」「Obsession」といったコトバが浮かんできます・・。

また、上に示したこれらコトバも以前投稿したブログ記事にて述べたことがありますが、そうしますと2013年当時の私は何かに「憑かれていた」とも表することが出来るのではないかと思います・・。

では、何に憑かれていたのかと考えてみますと、これもまた以前のブログ記事にて述べたものではありますが「Erdgeist」つまり「地霊」のようなものではなかったのだろうかと思われるのです・・。

また、この考えから更に歩を進めてみますと、この2013年の状態が、これもまた以前ブログ記事に記しましたが、「ハレ」(ハレ・ケガレのハレ)の状態であったのではないかとも思われるのです・・。

さらに加え、それはまた「躁的状態」ともまた、大きな関連性があるのではないかとも思われます。

以上、2013年9月の自身に対し思ったことを述べましたが、この後の反動とはかなり大きなものであり、自身の生命力に少なからぬ危惧を抱く結果となりました・・(苦笑)。

もしも(一定、有限の)生命力の「燃焼」の程度に差があるとすれば、この時の私とは、相対的に見て(著しく)強く燃焼していたのではないかと思われるのです・・。

そして、再びそうした状態になった場合、今度は上手くヒット・ポイントをずらし、持続可能性を維持することが出来るのではないかと、これまでのブログ記事作成での経験を通じ何やら得たような感じがしなくもありません・・(苦笑)。

しかし、実際のところは本当にそうなのであろうか・・?

また、これも畢竟、主観的仮説の積重ねであるといえば、そうであるので・・(苦笑)
とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年11月27日日曜日

20161127 「ネガティブ・ケイパビリティ―」と「積極性」「能動性」何れが先行するものであるか・・?

A「本日の首都圏は一日中グズついた天候でした・・。
また、気温も上がらず、あまり自身の活性も上がらなかったように思います・・。

さて、先日投稿したブログ記事にて「ネガティブ・ケイパビリティ―」について記しましたが、こうしたものとは、まさに本日のようなあまり活性の上がらない時に、その価値が認められるのかもしれません・・。

自身の活性の上がっている時とは、おそらく他の多くの方々もまた、活性が上がり、ブログ記事の作成を含め、何かしらの行為をするのに適していると考えられるからです・・。

あるいは、そうした活性が上がるのが他の多くの方々と異なる場合もまたあるかもしれませんが、一般的に考えてみれば、前者のようになることが多いのではないかと思われます・・。

しかし、そうであるからといって「ネガティブ・ケイパビリティ―」のみが重要である考えるのはおそらく間違いであり、さらにその深層、基層においては、何らかの「積極性」「能動性」がなければ、さまざまなことを継続することは困難であるものと考えます・・。

あるいは、当初はイヤイヤであっても、何かしらの行為を継続することを通じ、自身のより根本(深層、基層)の性質に適した「何か」を発見することが出来るのかもしれません・・。
さらにまた、それは消極的努力の継続により、自身の深層、基層にある積極性、能動性に働きかける何らかの「鉱脈」を見つけるに至るのかもしれません・・。

そして、そのように考えてみますと、消極的努力と積極性、能動性では何れがニワトリ・タマゴの先行するものであるかと考えるに至りますが、私見では、積極性、能動性の方が、各個人の内面奥に(当初より先行して)存在し、それを探し当てるための行為の継続に必要な性質が消極的な性質を持つ「ネガティブ・ケイパビリティ―」といったものではないかと考えます・・。

また、そのように考えることにより、これまでどうにか継続的に作成してきたブログ記事のことが腑に落ちる、納得することができるのです・・。

もっとも、これはあくまでも私見であり、他の方々の場合においてはまた、状況が異なることもまたあろうかとは思いますが・・。

しかしながらハナシを自身のことに戻し続けますと、自身行為の継続に必要な「ネガティブ・ケイパビリティ―」とは、ブログ開始当初より一定したものではなく、それは(間違いなく)ブログ記事閲覧者の皆様がいたことにより、保持あるいは増加することが出来たといえます・・。

つまり、全くの孤立無援の状況の中で、消極的な努力(ブログ記事の作成)を継続することは、自身にとって困難もしくは「無理なハナシ」であり、どうした経緯によるものか、読んでくださっている皆様に助けられて継続することが出来ていると表して良いと思われます・・(笑)。

また、考えてみますと、こうしたことは何もブログ記事作成に限定されるものでもなく、世の様々な行為において、こうした背景とは遍く存在するのではなかろうかと思われるのです・・。

しかし、そうであるからといって、それに寄り添うのではなく、寄り掛かることは、如何なものかと考えますので、今後とりあえず500記事までどうにか記事を作成し続けたいと考えております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





20161126 着想が訪れない、浮かばない時には・・鹿児島からの帰郷時の出来事

本日のブログ記事投稿により投稿総記事数が491となり、目標とする500記事まで残り10記事を切ることになります。
これに対し特に感慨らしきものはなく、今後もしばらく、この調子にて投稿し続けるつもりです・・。

とはいえ、本日もまた作成記事の主題は決まらない状態にて作成をはじめ、今現在何を書こうかと、その着想が訪れるのを待っている次第、状態です・・(苦笑)。

しかし、着想を待つとはいっても、確実に着想が訪れてくれるわけでもなく、特に本日に関しては、その着想がなかなか湧かず、訪れず、多少困った状態であるといえます・・(苦笑)。

こうした状態においてこれまで採ってきた手段とは、書籍からの抜粋引用であるのですが、500記事到達が目前にあるといっても良い現状において、その手段を用いるのも、如何なものであるかと考え、今現在そうした思いを記している次第です・・。

また、こうした自身の意識の状態、流れを記すことにより記事の着想が多少は湧く、訪れ易くはなるのでしょうか・・?

これまでのところ、こうしたことをある程度記していると、何かしらの記事主題に至る着想が自然に(この自然というものが実に曖昧であり、現在のところ、それ(自然およびそのメカニズム・作用機序)を言語化することは難しい)湧く、訪れるのですが、その自然なるものを言語にて記す、語ることを試みることにより、あたかも逃げ水のように、その(着想の)光明が遠ざかっていくものであるのかもしれません・・。

しかし、そうであるとしても、ここで言語による表出を諦めてしまうと、もとの木阿弥であり、逆にそうであるからこそ、ここで踏みとどまり、言語による表出の継続を試みる必要・重要性性があるのではないかと思われます・・。

そして、ここにブログ記事作成の継続のある程度重要なカギがあるのではないでしょうか・・?

もちろん、作成記事の着想を得るとは、何らかの主題、ネタが自身の中に言語化可能な程度に顕現、明示されることであるのですが、あるいはそれと同時に、現在のような着想が思い浮かばない状態においては、そうした意識の状態、流れを記すことによってもまた、さきに述べた着想とは「異なった経路」ではあるものの、結果的には記事の主題を得たのと、ほぼ同様の状態となるのではないかと思われます・・。

とはいえ、そうした状態にて記した文章が果たしてある程度(この概念も曖昧ですが)の同意を得ることが出来るかどうかとは、また別問題ではあるのですが・・(苦笑)。

そうしますと、これはどちらかというと、単に内心の満足を得るための方便であると採ることも出来ますが・・(苦笑)。

しかしながら、そもそも、これまでに作成したブログ記事とは、以前、周囲の方々に勧められはしたものの、その作成および継続とは、全面的に自身の能動性に委ねられたものであり、何らの義務によるものではありません・・。

それ故、今回の手法により作成された記事もまた、それが内心の満足を得るためのものであったとしても、それは本質的には以前の手法により作成されたものと、そう大きな相違はないのではないかとも考えられるのです・・。

そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、その脈絡がよく分かりませんが以下のことです・・。

2013年9月に自動車(軽・鹿児島ナンバー)にて鹿児島より帰郷の折、東京に入り305号線・明治通りにて原宿を抜け走行していると、左側に東郷神社が見えたため、速度を少し緩め、神社を向いて軽く会釈をしたところ、後続の外国製SUV車にけたたましくクラクションを鳴らされ、追い抜かれました・・。

その直後、私は何を思ったか、このSUV車を追いかけ、追いつき窓を開け顔を出し、思い切り運転席の方を睨み「コラーッ!」と叫んでおりました・・。

現在考えてみますと、おそろしくバカなことをしたものであり、また、ここにその内容を記すのも(大分)気が引けるのですが、その意味において、当時の私とは、やはり多少おかしかったのではないかと思います・・(苦笑)。
(また、そうであるからといって現在はおかしくないとは言い切れないが・・(苦笑)。)

とはいえ、今現在なお、そうした気持ち自体とは、内心にて持つ限りにおいては、そこまで悪いものではないとも考えますが・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島県周辺にて発生した大地震にて被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年11月26日土曜日

20161125 ネガティブ・ケイパビリティ― 消極的能力・消極的受容力について・・

A「本日も若干帰宅が遅くなりました・・。

さて、昨日投稿のブログ記事に関連して思うことはネガティブ・ケイパビリティ―というコトバであり、これは和訳すると消極的能力、消極的受容力といった感じになるものと思われます・・。

そして我が国の通史的な傾向として、多くの史家、研究者等が指摘するものに上に示したコトバとも関連があると思われる「受容性」が挙げられます・・。

この「受容性」については、今更帰納法的に様々な具体的史実・事実を取り上げるまでもないと考えますが、たしかに我が国の持つ通史的な傾向の一つとして、この性質(受容性)が挙げられるものと考えます。

今までの自身のブログ記事においては、どちらかというと、内面からの「能動性」に多くの価値を払ってきたのではないかと思われますが、しかし、その能動性が如何にして、その場その場の現実に適合、噛み合い、駆動させる形で発露されるのであるかと考えてみますと、実はそこに、こうした消極的能力、消極的受容力の価値があるのではないかと考えさせられるのです・・。

そして、その意味において、多くの試練ともいえる苦行的なもの全般の持つ価値があるのではないかと思われます・・。

しかしながら、おそらく我が国においては総じて、そうした試練、苦行的なものに「のみ」価値を払う、認めるようになり、それ(試練、苦行)をさらに締め付けたり、解放したりといった「制御」(人知に関わる)の部分に関しては概ね、その出来具合が不明な個々の精神をも含めて大らかに扱い、あるいは専ら「神の見えざる手」に委ねているのではないかと思われるのです・・。

また、これにに関しては「いじめ」についても本質的には同様な考えが我が国社会の基層に根強く存在するのではないかとも思われます・・(良い悪いは抜きにして)。

そして、そうした古来よりの人間社会をも包括した我が国の自然観、社会観とは、人間と自然を切り離す傾向が強い欧米的な価値観とは本質的いや最終的にはソリが合わないのではないかと思われます・・。

しかしながら、明治から現代に至るまでの我々の近現代史とは、反動的な傾向を持つ時代(それはいつの時代にもあった)もありましたが、それは概ね段階的な社会の欧米化であったのではないかとも思われます・・。

またそれは国内地域においても時代により濃淡があるのではないかと思われます・・。

そして、そうした視座から現代の我が国の社会を眺めて見ますと、なかなか興味深い光景が広がっているのではないかとも思われるのです・・。

また、それはさておき、ここまで記してして、今回のブログ記事投稿により総投稿記事数が490に到達することに気が付きました・・。

そうしますと500記事まで残り10記事ということになりますが、全くそうした感慨もなく、おそらく500記事に到達しても、何かしら書き続けることになるのではないかと思います・・(苦笑)。

そしてそれが私なりの深層からの能動性により惹起せられた消極的能力、消極的受容力といったものではないでしょうか・・(苦笑)。

いや、案外これが大事であるのかもしれない・・(笑)。

何れにせよ、今後も気負うことなく、思ったことを記し続けようと考えております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございました。

さる熊本、山陰東部そして昨今の福島周辺にて発生した大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」






2016年11月25日金曜日

20161124 文章の率直さと、その持続・・循環論法、トートロジー?

本日は帰宅が若干遅くなりました。
また、天候の方も昨日の天気予報通りとなり、首都圏では珍しい11月での降雪となりました・・。
降雪とはいっても、決して嬉しいものではなく、私は概して寒い季節が好きではありません・・。
とはいえ、こうした傾向とは特に昔からという訳でもなく、かつてはむしろ夏の暑さを冬の寒さよりも毛嫌いしていたように記憶しております・・。
しかし、同時にその時期とは、まさしく夏の盛りに屋外にて盛んに運動(部活動)をしていた時期でもあり、むしろ暑さの耐性に関しては当時の方が強かったのではないかとも思われます・・。
こうしたことも考えてみるとなかなか不思議なものです・・(笑)。
また、そのように考えてみますと、現在継続して作成している一連のブログ記事の文章、文体とは、現在に比べ比較的文章がよく浮かんでいたと思われる以前の時期(2012~2013)に比べ、果たして上達しているのであるか?という疑問に結び付いてくるのです・・。
しかし、以前の文章がよく浮かんでいた時期とは同時に、あまりにもその記す内容が率直に過ぎ、その意味において、ある種の賢明さを欠いていたのではないかと思われるのです・・(苦笑)
【もともとそしてまた現在においても賢明さは少ないかもしれないが・・(苦笑)】。

そして、私見ではありますが、そうした(率直過ぎる)文章を記すことが出来る期間とは、あまり持続するものではなく、さらに、それらをSNSなどで公表するという行為は、かなりの危険を伴うものであったとものと思われます・・(苦笑)。

また、その詳細な様相の変化を記すことは現在の私には難しいのですが、これを異言すると、上記のような率直過ぎる文章での発露とは、感覚的には、定量入った水タンクから最大限に開栓した状態にて内部の水を放出するようなものであり、そのことから、持続しないのではなかろうか?と思われるのです・・。

その意味において、これも私見且つ感覚的なハナシではありますが、現在記している一連のブログ記事とは、内容の率直さにおいてはかつて程ではないものの、ある大きな一つの主題に対して、様々な視点から記述を試みているといった感じを受けることが多く、これが時折面白く感じ、また何よりも継続的なブログ記事作成に少なからず寄与しているのではないかと思われるのです・・。
しかし、その一方において否応なく認識することは、自身が記すことの出来る内容、主題の有限性であり、世の中には私がいくら頑張ってみても記すことが出来ない内容・主題の存在です・・。
とはいえ、こうしたことは嘆いてみてもどうにもなりませんので、自身は自身の掘れるだけの範囲を出来るだけ丹念に掘り続ける以外ないものと思われます・・。
そして、そうこうしているうちに、何かしらの機運に恵まれたならば、そこから生じ得る自然な変化らしきものが訪れるのではなかろうかと思われるのです・・。
そのためには、自身が適当な目標として定めた500記事到達までは、このようにブログ記事を作成し続けるほかはないものと考えますが・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」


2016年11月24日木曜日

20161123 呉爾羅(ゴジラ)から思ったこと・・生贄・人身御供

A「首都圏および関東地方においては本日夕刻より雨が降り始め、これが明朝にかけては降雪に変化するのではないかとのことです・・。

ここ最近若干この季節にしては温暖と思える日が続いた後、突如こうした天候、気温になるのは、正直あまり嬉しいものではありません・・。

とはいえ、その一方で少し嬉しかったことは昨日投稿したブログ記事が投稿翌日ではあるものの、少なからぬ閲覧者数を得たことです。

興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます・・。

そして、本日はそうした状況に促され、ブログ記事作成をはじめた次第といえます・・(笑)。

さて、以前もブログ記事にて記しましたが、ここ最近映画(DVDを含む)を観る習慣を無くしておりましたが、昨日、何を思ったか、かなり久々に映画作品をDVDにてレンタルして観ました。

その映画は1954年(昭和29年)に公開されたモノクロ版の「ゴジラ」であり、この作品は、以前何処かで観た記憶がありましたが、最近色々と話題になっておりますので、その元祖、原点を観てみようと考えた次第です・・(笑)。

さて、この作品からの所感、感想とは、先ず、出演されている俳優陣(エキストラを含む)の顔、身体の動きが21世紀の現代と随分異なるのではないかということです。

次いで、作中内のセリフの背景に古来よりの我が国の民俗を(強く)感じさせるということです・・。

一番目につきましては、各々作品をご覧頂いて判断されるのが良いと思います。

また、二番目につきましては、具体的には、ゴジラが当初「大戸島」(架空の島、伊豆七島あたりがモデル?)の漁船を沈め、また不漁が続く状況にて村の古老が
「これは古い言い伝えにある呉爾羅(ゴジラ)の仕業に違いない・・」といったところ、島の女性が「また爺様のゴジラがはじまった(笑)」と返し、それに対し古老が「古い言い伝えをバカにしていると、今にお前ら「あまっこ」(女性)を呉爾羅(ゴジラ)の生贄として差し出さなければならなくなるぞ!」と怒気を含んで言い返していたところです・・。

こうしたやりとりとは、現在では(おそらく)あり得ないのでしょうが、おそらく昭和20年代においては(地域によっては)自然なものであったのではないかと思われます・・。

あるいは、それは1933年(昭和8年)のアメリカ映画「キングコング」の舞台設定とも類似する部分があるとも思われますが・・。

何れにせよ、科学知識が発展する以前、さまざまな自然現象の作用機序が分からない状態において超自然的、人知では解決不能と思われる災害現象が発生した場合、広く我々人類とは、その現象を支配する存在を何かしら見立て、それに対し様々な種類の祈願・祈祷を試み問題解決を図ってきたようです・・。

そして、その中の一つが人身御供つまり生贄です・・。

以前、私はそうした祈願・祈祷の一つである「雨乞い」について調べたことがありましたが、そこでもこうした種類のハナシには少なからず出くわしました・・。

とはいえ「雨乞い」において何かしらの生贄を捧げる場合とは、概ね一地域にて数段階に種別される「雨乞い」手段・方法の中でも、最終段階近くにて用いられる、いわばとっておきの手段・手法であることが多かったです。

そして、そうした意味からも、この映画内状況(大戸島の漁村)での呉爾羅(ゴジラ)による被害の大きさが示されるのではないかと考えられます・・。

また一方、私は今年公開された「シン・ゴジラ」は観ておりませんが、作中にこうした民俗あるいは土俗性と結び付ける要素は見受けることは出来ないと考えております・・。

とはいえ、そうした要素とは作中に描かなくとも困ることはありません。

しかし、そこで危惧されることは、かつて我々もまた、こうした祈願・祈祷の手段・手法を採っていたことを忘れてしまうことにより、今後、未知の災害現象が発生した場合、(忘れてしまっているので)再び無意識的な歴史での記憶に則り、現代では常識から考えて無意味ともいえる生贄・人身御供を捧げるような始末になるのではないかということです・・。

時折、我々にはそうした傾向が強くあるのではないかと思うことがあります・・。

それ故、さきに記したゴジラ作中内、大戸島の古老の怒気を含んだコトバに関心を持った次第でもあります・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部での大地震および昨今の福島周辺における地震にて被災された地域の早期の復旧そして復興を祈念しております。」








2016年11月22日火曜日

20161122 本日発生した地震から思ったこと・・「歴史の価値」とは・・

本日早朝に福島周辺を中心として再度、大規模な地震が発生したとのことでした・・。今年に入り熊本、山陰東部、そして今回の福島周辺と、大規模な地震が幾度か発生しておりますが、これで打ち止めとなって欲しいものです・・。

そして上記一連の大地震にて被災された地域の早期の復旧およびその後の復興を祈念します。

また、それと多少関連するかもしれませんが、そこから思い起こされたことは、昭和18年(1943年)から4年連続(鳥取、三河、南海×2)にて発生した一連の大地震のことです・・。

これら大地震とは、我が国において、ある程度周期的に発生しているとのことですが、今回の一連の大地震に加え2011年3月11日に発生した東日本大震災とは、さきに記した昭和18年からの一連の大地震と周期的に何かしら関連があるものか分かりませんが、何れにしても、現在の情勢とは、これら地震以外においても不安感を惹起・助長する要素が散見されるものと考えます・・。

また、そのように考えてみますと、どうもその「周期」というものに対し興味をおぼえるのです・・。

私はこれまで記したブログ記事にて歴史上の出来事を記す際「こうした出来事とは周期的に生じているのではないか?」と幾度か述べてきましたが、これは特に理系学問分野で使われる厳密な意味での「周期」といったものではなく、どちらかというと、記した内容理解促進のための便宜的な語の選択であり、一方、歴史とは、その本質において「周期」(循環して生じる現象の繰り返し)ではなく、あるいは歴史学とは、繰り返し反復されない出来事、現象を科学的に取り扱う学問であるともいえます・・。

また、それに加え思うことは、たとえ歴史が周期的にある出来事、現象が循環して生じるものであったとしても、それを我々が認識、概念化(内面化)することにより、それ(広く概念化・内面化された歴史)が予防接種、ワクチンの様な役割を果たし、未来に生じる出来事、現象を改変(良くも悪くも)することが出来ているのではないかということです・・。

そして「学問」としての、いや「認識される歴史」の一つの大きな価値とは、そうしたところに存するのではなかろうかと思われます・・。

故に歴史を軽く扱うことは避けた方が良いと考えるのです・・。

とはいえ、その一方において、これら認識される「歴史の価値」とは、世界的に見て「地域性」らしきものがあり、我が国のように四季がある程度明瞭に巡り(循環し)、また大地震が周期的に生じるような自然風土の環境においては、自然環境からの影響による周期的な循環を打破・分解するような概念・内面化された歴史観は成立し難く、むしろ、そうした自然環境に慣れることにより、ある意味、逆転した意味にて、そうした自然環境を馴致したという認識を得るに至るのではないかと思われます・・。

そして、こうした考えが以前ブログ記事にて記した和辻哲郎著「風土」における我が国をも包括する「モンスーン型文化風土」であり、また同時に、それはベン図において、大きな重複領域を中尾佐助の生活文化分類における「照葉樹林文化」と共有するのではないかとも思われます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


そして、繰り返すようではありますが、これまでに生じた大地震(熊本・山陰東部・福島)により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。







2016年11月21日月曜日

20161121 「研究の進化・深化・未来そして「語るに落ちる」・・

本日の首都圏は夕刻より雨が降っております。
また、現在は小降りにはなってきておりますが、このまま明日早朝までは降るとのことです・・。

さて、昨日投稿の記事により総投稿記事数が485に達しました・・。

そして500記事到達まで残り今回の投稿記事含め15記事ということになりますが、ここに至ってまた、不図考えたことは以下の通りです。

「たしかにその通りではあるのだが、その一方で、あまり芳しくない出来と思しき記事も中には少なからず存在するものと考えられる・・これらに関しては、それら記事を削除するよりも、そのままにし、更なる記事の投稿を以て、実質的な意味で500記事到達にすれば良いのではないか、そして、それ以前にとりあえず目標としている、全体としての500記事到達を目指す方が先決はあるまいか・・?」

と考えるに至り、勇気をもって棚上げし(笑)以降、記事作成を続けることにしました・・(笑)。

そういえば、先日の「楡家の人びと」読了以来、大きな著作、長編には手を出しておりませんが、先週末に不図、朝永振一郎著の「量子力学と私」を読んでおりましたら、ついつい引き込まれてしまいました。

無論、そこに記されている専門的な概念、用語などは分からないものが数多くありましたが、それでも我が国の量子力学の黎明期である昭和初期(大学にその研究を教えることが出来る先生がいなかった)に著者を含む若い知性等が文字通り泥縄式に様々な手法を試み、互いに切磋琢磨し、徐徐にその学問(量子力学)を我が国に確立していく様が感じ取れ静かな興奮をおぼえました・・。

また、それと同時に今現在の未知の分野に挑んでいる方々も、おそらく表層からはあまり分からないのでしょうが、この著作に記されているのと類似した状況にあるのではないかと思います・・。

また、これが文系学問における研究となりますと、ハナシは多少異なってくるようであり、何と言いますか「自身が研究している内容に世の中の動きが追いかけてくる」といったところがあるのではないかと思われます・・(笑)。

このようなことを記しますと「それは単なる勘違い、迷信である!」と仰る方々が少なからず出てくるのではないかと思います・・。

また、自身も他者の研究にて、そうした現象を何度か認識、発見する以前は、概ねそのよう(勘違い、迷信)に考えておりました・・(自身もそうした錯覚(?)らしきものを感じたことはあります・・(笑)。)

そして、こうしたことを記しておりますと「何か世の中の重大な秘密を漏らしているのではないか?」といった幾分誇大妄想的な考えが湧いてくるのですが(笑)、果たしてこれは、そこまで重大な「秘密」であるのでしょうか・・?

あるいは単なる勘違い、迷信といったものであるのでしょうか?
ともあれ、それは何れであっても構いませんが、ただ思うことは、々人間とは、何かに継続的に無心に打ち込んでいる時に得ている不可知の感覚により、半ば無意識的にではあるのかもしれませんが、一時的に少し先(未来)の集合的無意識の世界への視野が開かれるのではないでしょうか・・?

しかしながら、これを記していて不図思ったことは、こうした感覚を得ることは、何も文系学問に限らず、理系学問においても同様に生じており、また、さきに挙げた著作「量子力学と私」に描かれている内容の一側面も実はそうしたものではないかということです・・(笑)。

「語るに落ちる」とは、こうしたことかもしれません・・(苦笑)。

ともかく、そのように考えが落ち着いてきますと、私は「文系学問とは・・・」と、その重要性や特徴を述べながらも、次第にその内容が広がり、文系のみに適応する内容ではなくなるといった傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。

これは、よく云えば内容に普遍性があるのか?あるいはベッタリとして特徴がないということになるのか分かりませんが、しかし、それでもこうした考えを文章として記しておくことは、未来の笑いのタネを提供するかもしれないという意味においては、わずかに有益であるものとします・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


さる熊本、山陰東部の大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」



2016年11月20日日曜日

20161120 伝統・文化 「肌あるいは骨身に知る」

これまでに幾つかの地域にて在住した経験から、それら地域での文化、価値観と、現在住んでいる首都圏のそれとで異なっていると感じたことが少なからずあります。その中の一つについて、先日ある機会により思い起こしましたので、それを記そうと思います。
首都圏あるいは我が国を代表する伝統芸能として「歌舞伎」が挙げられます。そして、特に首都圏などの都市部においては「歌舞伎」の観劇とは、どちらかというと高級な趣味とされているのではないかと思われます・・。またそれに伴い、歌舞伎役者もまた、どちらかというと、通常の俳優、役者とはまた異なった種類の有名人として認識されているのではないでしょうか?こうした価値観に対し、首都圏以外での在住経験のない頃は、特に疑問を持つこともなく、ただ、当然・所与のものとして受け入れてきました。しかし、これまでに住んだ幾つかの地域での生活、日常会話などにおいて時折、そうした自身が所与の、当たり前の価値観としているものについての相違が認識されることがありました。その中で印象的であった一つが「歌舞伎」についてです・・。

A「君の実家はたしか千葉県の市川市のようですが、何故幼稚園から中学校まで東京の学校に通っていたのかね?」

B「ええ、やはり同じ公立校とはいっても都心部の学校の方が色々と進んでいると云われていましたし、また、祖父母の家がそちらにありましたので、当時千葉県の市川市に住んではおりましたが、実際に育った場所は、その半分は都心部であるといっても良いのではないかと思います・・。まあ、それでもあくまでも出身は千葉県ではありますが・・(笑)。
しかし、それら都心の公立校においては、私のような生徒は少なからずいましたので、そこまで珍しいことでもないように思いますが・・。」

A「ふーん、B君の祖父母は東京の人なのですね、それでその方々は東京には何時頃から住んでいたのですか・・?」

B「父方は明治以降に上京してきたようですが、母方は明治以前から、つまり東京が江戸であった頃から住んでいたようでして、聞いたハナシに拠ると日本橋人形町あたりで商家を営んでいたようです・・。ですから、祖母などは現在考えてみますと着物の着方から様々な趣味に至るまで、江戸からの文化を受け継いでいたのではないかと思います・・。」

A「・・・そうですか・・それで、その江戸からの文化の趣味とは、具体的にはどのようなものですか?」

B「ええと、そうですね・・祖母は歌舞伎の観劇が随分と好きな方でして、私も幼い頃連れられて何度か観に行った記憶もあります・・。」

A「はああ・・歌舞伎ですか・・それが東京での伝統的な江戸文化なのですか・・?」

B「まあ、現在では様々な地域、地方で興行されるようですが、そういっても良いのではないかと思いますが・・。」

A「しかし、君、歌舞伎とは元々、なんだね、君も知っているとは思うけれども、あまり良いとされる文化ではなかったし、現在でもそれは基本的には変わっていないでしょう・・?梨園といったって、あれは要するに疑似皇室みたいなものではないかと思うよ・・。まあ、昨今は、マスコミの話題作りの一環で随分もてはやされてはいるようですがね・・。」

B「はあ、なるほど・・・しかし、ここ***では、そうした観劇文化自体があまり盛んでなかったことから、そのようにお考えになるのであって、江戸、東京においては、そこそこの歴史があり一般的に伝統芸能と認識されているものと考えますが・・。」

A「・・ふうむ、まあ、たしかに、此処には昔からあまり観劇といった文化自体があまり盛んではなかったし、また歌舞伎といっても、地方巡業に来るような旅芸人一座の一種として認識されているのかもしれないね・・。それでも東京では歌舞伎が立派な伝統芸能とされているのがよく理解できないね・・。」

B「しかし、地方巡業でしたら相撲なども行いますけれど、あれはかつて盛んに行われた地域の村相撲などとは、また別のものとして認識されますよね・・?」

A「いや、相撲は歌舞伎とは違うよ、あれこそまさしく伝統ではないかね・・?だから、村相撲には村相撲の良さみたいなものがあって、大相撲にはまた別のそれがあるのだと思うのだが・・。」

B「それでしたら歌舞伎もそれと同じように考えれば良いのではないでしょうか・・?」

A「まあ、それは理屈としてはそうなのかもしれないが、実際にそうした文化を肌身に知らないと、いくら君が力説・説得したところで、こちらは納得できないよ・・(笑)。」

B「ええ、それは仰る通りであると思いますし、またそれ(肌あるいは骨身に知ること)が文化そしてそれを認識する価値観にて不可欠なことであるとは思いますが・・。
かといって、これ以上、この話題では、あまり有意義な進展は望めないようですね・・(苦笑)。」

こうした経験とは、実際には往々にして、もう少しナマグサイものでしたが、それこそ数多くあります。しかし、現在では貴重な経験をさせて頂いたと考えています。

少なくとも、都心部の文化、価値観が「絶対」ではないということは肌あるいは骨身に知り得ました。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本の大震災、山陰東部での大震災により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。







2016年11月19日土曜日

20161119 根源的な変化と継続的な文章の作成の関係について・・

これまでに480記事以上を既に投稿しているため、本日に関しては特にブログ記事の作成、投稿を行わないでも良いのではないかと不図考えましたが、あとになり500記事到達を前にして書けなくなる可能性も否定できないため、とりあえず何か書きはじめようと思いたちました・・(苦笑)。

しかし、このような、いい加減ともヨコシマともいえる考えに基づき書きはじめてみても、何かしら書いておりますと、それなりに主題、テーマは思いつくようです・・(笑)。

さて、そういえばここ最近は映画をレンタルDVDをも含め観ていないことに気が付きました・・。

以前の鹿児島在住時は週末によく映画をDVDにてレンタルして観ておりましたが、その後からは不思議なことに、その習慣がほぼなくなっておりました・・。

しかしそれは「日常の生活が映画よりも面白いからである」といった考えには結び付きません・・。

それとは異なる次元にある、自身の根源的な「欲求」において何かしら変化が生じたからではないかと思われます・・。

また、こうしたことは、ある程度の年齢になりますと、頻繁に生じることはないように思います。

そして、変化が生じた後になると、むしろ変化以前の状態、嗜好を不思議に思ってしまうようなところもまた、あるのではないでしょうか・・?

そして、このような現象を「憑き物が落ちた」と表するのではないでしょうか?

そのように考えてみますと、現在、どうにかブログ記事を継続的に作成を出来ている状態とは、「何かに憑かれているのではない!」と断じ切るのは困難であるように思います・・。

加えて、昨春に強烈に感じた「文章を書くことが出来ない!」という思いは、さらにそれ以前の、ある程度文章を書くことが出来ていた時期と比べた結果であり、それは正直なところ、精神的な圧迫・苦痛を伴うものであり、漠然とした生命力の枯渇を感じさせる自身としては極めて恐ろしいものでした・・。

そして、その当時に比べますと、現在の状態とは、どうにかブログ記事として継続的に文章の作成が出来ていることから、かつてほど強烈な危機感(生命力の枯渇)を感じさせる状態ではありません・・。

とはいえ、あくまでも、これまでの継続的なブログ記事作成とは、その次(大学での研究支援、コーディネーターなどの職に就くこと)に目標を据えた、創造力の枯渇を防ぐためのものであり、その目標とは今現在、残念ながら達しておりません。
あるいは、今後それを達した場合においても、何かしらの方法に依り、こうした文章の作成そして発信を継続したいと考えております・・。

そして、それは、克己心といった積極的・前向きな性質のものではなく、どちらかというと、自身の鹿児島在住時における週末の散歩のように、自身の精神衛生を保つための消極的、防御的な性質のものであると判断されます・・。

しかし、そこで面白いと思うことは、こうした消極的・防御的な手段に拠って積極的といえる創造性の保持を図っているということです・・(笑)。

とはいえ、こうしたことは、さまざまな運動などの練習目的においてもいえるのでしょうが、このように、その「流れ」をこれまでの文章の流れにより書いてみますと、なかなか面白いものであると感じると同時に、命題、反対命題の止揚・揚棄により(創造的な)新たな統合された意見を得るといった考えにも一脈通じるのではないかと思われることです・・(笑)。

しかしながら、これもまた一つの仮説ですので、その実相とは、今後更なる検証を通じ判断していくのが良いのでしょう・・。

また、最後に不図思ったのは、もし今現在のブログ記事の継続的な作成が、何かに憑かれて為し得ているのであるとすれば、それは一体何に憑かれているのでしょうか・・?

あるいは、それは単に自己の行ってきた結果、自然に付随するものであると判断しても良いものであるのだろうか・・?

また、そうであると判断出来る自信とは、どこに由来するのであろうか・・?

しかし、現時点の自身としては何れでも構わず、とりあえず500記事まで作成するのみではあるのですが・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部での大地震により被災された地域の今後の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。










2016年11月18日金曜日

20161118 惰性・日常、無意識化による変化が上達?

昨日投稿したブログ記事は投稿翌日にしては閲覧者数が伸びました・・。

また、正直これまで500記事近くブログ記事を投稿してきましたが、一体どのような記事が、より多くの閲覧者を得ることが出来るのか、未だ現在イマイチよく分かりません・・(苦笑)。

とはいえ、たとえそれが分かったとしても、そうしたことをねらい記事を書く、書き続けるのも、あまり面白くないのかもしれません。

もし、そうしたことを自分なりに理解、意識していたとしたら、ここに至るまで記事作成、投稿は出来なかったのではないかとも思われます・・(笑)。

そして、そのように考えてみますと、案外と上手い具合にここまで書き続けることが出来たのではないかとも思えるのです・・(笑)。

それに加え、これまでのブログの炎上が生じることがなかったのも、幸運であったのかもしれません・・。

いや、あるいはこれは単に、これまで作成したブログ記事が衆目を集めるに至っていない、つまり、あまり面白くないことによるものであるのかもしれませんが・・(苦笑)。

しかし、これ(面白くない)は意外と良いことであったのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、何れにせよ、そうした思いにあまり振り回されることなく500記事に到達できることが現在の目標であるといって良いと思います・・。

また、記事作成に関しては、今回もそうであるように、感覚的に半分以上惰性にて作成している感がありますが、実のところ、この「惰性」あるいはもう少し聞こえの良い表現を用いますと「記事作成の日常化(無意識化)」により、これまでどうにか記事作成を継続出来ているものと考えます・・。

そのように考えますと、如何なる種類の訓練であれ、何かしらの行動、行為の日常化(無意識化)こそが、その継続そして上達への大切な要素ではないかと思うに至ります・・。
(意外と命題、反対命題の生成過程に似ているのかもしれない。)

しかし一方「下手の考え休むに似たり」ともいいますが・・(苦笑)。

もとい、では現在継続して作成しているブログ記事以外、これまでに私は如何なる行動、行為を日常化(無意識化)してきたのかと考えてみますと、それは書籍、文献を読むことではないかと思われます・・。

これに関しては特に自信といったものはありませんが、多少の断続はあるものの、おそらく20年以上は継続してきたと思われます・・。
(しかし、それは努力というよりも、欲求といった側面の方が強いと考えますが・・。)

そして、それがこれまでのブログ記事作成の基盤であったのならば、もう少しは継続することが出来るのではないかと思われるのです・・。
(何せ20年以上と1年半ですから・・(笑)。)

とはいえ、これもあくまでも希望論であり、実際のところは直近の未来においてすら、何が生じるか分からないといった状況にて毎回記事作成を行っているのが現状であるといえます・・(苦笑)。
(しかし、そのような中でこそ、ある行動、行為の日常化(無意識化)といったものが進行し、第二の天性のように精神に定着していくのかもしれない・・?)

そして、そうした(不安定ともいえる)状態にて、ほぼ毎日記事を作成し、ブログの更新を行ってきたことに、どのような効果があるか、あるいはどの程度の変化が望めるかとは、まったく見当がつきませんが、何かしらの効果、変化といったものは精神の深層において生じているのではないかとも考えることが出来る、あるいは考えたいと思う部分が(少なからず)あるといえます・・(笑)。

まあ、それでも、それ(のみ)を期待しつつ毎回記事を作成しているわけではありませんが・・(苦笑)。

それに加え、これまでの習慣を支えている何かしらの精神的要素が何時まで継続するかも分かったものではありませんし・・(笑)。

そして、ここまで書いて不図、思い起こしたのはゲーテの「ファウスト」にてファウストが聖書のヨハネによる福音書の冒頭部を訳している以下の記述です・・。

「こう書いている。
「初めにことばありき!」
ここでわしはもうつかえる!
だれかわたしを助けて先へ進ませてくれないか。
わしはことばというものをそう高く値ぶみすることはできない。
わしは霊の光に正しく照らされているなら、別に訳さなくてはならない。
こう書いてある。
「初めに意味ありき!」
ペンが先走りせぬように
第一行をよく考えよ!
一切を作り出すものは意味だろうか。
こう書いてあるべきだ。
「初めに力ありき!」
しかしこう書きつけているうちに、もうこれでは済まされないと警告するものがある。
霊の助けだ!不意に思いついて
安んじてこう書く。
「初めにおこないありき!」」

では、ことばを用いて何かを記すことは「おこない」なのであろうか?
あるいは、あくまでもそれも「ことば」なのであろうか?
と、考えてしまいました・・(苦笑)。

ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しております。











20161117 継続的な着想、(循環論法・トートロジー)、弁証法について・・☆☆☆

総投稿記事数も480に到達し、500記事まで残すところ20記事未満となりました。

そこで少し前を振り返ってみますと、直近の適当な区切りであった450記事到達から現在に至るまでは思いのほか早いものであったと思います。

そして、このままのペース(1日1記事)にて書き続けることにより来月12月初頭の500記事到達が予測されます。

とはいえ、この先如何なることが生じるか分かりませんので、とりあえず500記事到達までは「継続的な着想」が枯渇しないように書き続けようと考えております・・。

さて、その「継続的な着想」ですが、これは昨日投稿のブログ記事にて扱った「循環論法」あるいは「トートロジー」(これも以前ブログ記事にて扱った)と深く関連するものであり、さらにこれらは特に文系学問分野における思考方法に類縁関係を持つのではないかと考えます・・。

その一方において、文系学問分野における思考法として即座に思い浮かぶのは「弁証法」(ヘーゲル以降)ですが、この弁証法において定義される命題、反対命題もまた、その各々(命題・反対命題)の生成過程を考えてみますと、おそらくさきの「循環論法」「トートロジー」に拠るものが多いのではないかと考えられます・・。

そして命題・反対命題であれ、それらの生成過程とは、その次の段階ともいえる弁証法による議論よりも、内面性が強く、明らかにされることが少ない、無意識のうちに生成が為される部分が多いのではないかと思われます・・。

「循環論法」「トートロジー」とは、本質的にそうした性質を帯びていると私は考えます。

そして我々は日常において、そうした思考の回転(「循環論法」「トートロジー」)の様相を言明、記述の何れであれ、明示しようとはあまり考えません・・。

むしろ、そうしたことを試みるのは「変」であるとされるのが通常ではないでしょうか・・(笑)。

また、この点について、我々日本人とは、相対的にその傾向が強いのではないでしょうか?

それ故、我々には「常識」といった感覚はありながら、議論により構築された汎用性を持つ「哲学」といったものに未だ持つに至っていないのではないかとも考えられます・・。
あるいはそうしたものが苦手であるのかもしれないです・・。

これを別言すると、個別的ともいえる思考の回転(「循環論法」「トートロジー」)と「弁証法」の議論の間に大きな溝がありながら、論理的な議論に対し何らかの知的な理解を示さなければならない場合においては、感情的な能力ともいえる「共感」の(名人的ともいえる)駆動により、どうにかその場をやり過ごすことが多いといった感じです・・。

これはたしかに一種のユーモアではあるのかもしれませんが、そればかりではやはりダメであると思います・・。

とはいえ、それでも「循環論法」「トートロジー」といった議論、思想のタネともいえるものが大事に扱われないのは、それらが持つ一種の悩んでいるような感じ、暗さとも見られる鬱屈した感じからではないでしょうか・・?

そうしたものよりも、それを表層的なユーモアにていじり倒す方が余程「見ていて」気持ちがいいことは間違いありませんが・・(笑)。

しかし、それだけでいいのでしょうか・・?

あるいは、実のところそれが(我が国における)適当な価値の配分であるのでしょうか・・(苦笑)。

また、国民性とは、こうしたところにも表れるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


さる熊本における大地震、山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。

2016年11月17日木曜日

20161111 「楡家の人びと」から「迷路」「神聖喜劇」などの長編について・・☆☆

A「昨日は風が強く、またそこそこ寒いなか、屋外にいる時間が長かったためか、風邪をひいてしまい、今現在多少頭が重く、体全体が気怠い感じがしております。

それ故、本日の記事更新は止めにしようと考えましたが、これまでに培った習い性とは、意外と強いものであるようで、こうして本日分の記事作成に取り組んでいる次第です・・(笑)。

また、面白いもので、一旦記事作成に取り掛かりますと、多少頭の重さ、気怠さも忘れるか、軽減されるようであり、こうしていくうちに、何かしらの主題が見つかるのではないかと思われます・・。

さて、先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は、残すところ第三部のみとなりましたが、これは明日早々に購入し読んでみようと考えております。

そして、おそらくこの調子にて読み進めますと、来週中には全巻読了に至るのではないかと思われます。
そうしますと、また久々に野上彌生子著「迷路」以来の長編読了ということになりますが、この比較的新しい読書記憶に基づき、両著(「楡家の人びと」、「迷路」)を比較してみますと、後者前者に比べ思想的あるいは内面の情緒的な記述の分量が多く、そのことにより、著作内容の理解が多少困難となり、また、そのことから読み進む速度においても相違が生じるのではないかと思われます・・。

あるいは、これはあくまでも私見ではありますが、各々著作に対象年齢を設けるとすれば「迷路」の方が、多少その年齢層が高くなるのではないかとも考えます。

また、そのような視点にて考えてみますと、我が国の長編小説の一つの金字塔?ともいえる大西巨人著「神聖喜劇」は一体どのような扱い(対象年齢)となるのでしょうか・・(笑)。

この著作に関しては端的、一言にて感想を述べることが困難であり、ただ「面白く、大変勉強になると思いますので機会、興味がありましたら、是非読んでみてください。」といった感じになります・・。

また、私も機会がありましたら、この著作全巻をもう一度読み、そして、その面白いと思われる部分をタイムリーに抜粋引用してみたいとも考えております・・。

しかし「迷路」にても、そうした傾向はあると思われますが、特に、この著作(「神聖喜劇」)に関しては、そうしたことを行っていると「何かしら問題が生じるのではないか・・」といった危惧もまたありますが・・(苦笑)。

そして、その危惧を含めて、この著作を大変魅力的なものにしているとはいえますが・・。

また、何といいますか、我が国の社会、歴史の深層、古層からの問題点を作中にて抉り出し、あからさまに提示しているという意味において「神聖喜劇」、「迷路」とは類似した要素を持っているともいえます。

とはいえ、前者の方がより強烈であるとは思いますが・・(笑)。

そして、そこから正直なところ「神聖喜劇」は女性向けの著作ではないと考えます。

また、そのよう考えてみますと、不図疑問に思ったことは、加藤周一著「日本文学史序説」下巻にて野間宏著「真空地帯」という「神聖喜劇」と類似した主題を扱った著作に関して割合長く述べられているのに対し「神聖喜劇」には一行も触れられていないのは、一体何故であろうか・・?ということであり、これは単純に双方の出版年度によるものなのでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

先日の博多駅前の道路陥没事故の復旧、さる熊本での大地震、山陰東部での大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」



2016年11月16日水曜日

20161116 循環論法・堂々巡り・変化について・・☆☆

A「昨日から、この時期にしては比較的温暖な日が続いたと思います・・。

ブログ記事の作成も480記事に到達し、今後も500記事到達までは、とりあえず現在の1日1記事投稿のペースにて継続していこうと考えております・・。

しかし、500記事到達前の現在、心配するのもおかしいのかもしれませんが、それでもここ最近不図思うことは「今後500記事に到達した場合、その後、このブログ記事作成はどうなるのであろうか?」ということであり、単純に記事作成を全く止めるということは、現状では逆に難しいのではないかとも思われるのです・・。

無論、書く題材がないということでしたら仕方がないのかもしれませんが、以前もブログ記事に記した通り、ブログ記事いや、こうした文章といったものは、少なくとも自身にとっては、書き続けることにより、何かしら書くことが出来ているのではないかとも思えるのです・・。

それ故、500記事到達後、記事作成を止めた場合、自身が記事を書かないでいる状態を(半ば生理的に?)許容できるのか?とも考えてしまうわけなのです・・(苦笑)。

とはいえ同時に500記事とは、自身にとってそこそこ大きな区切りであると考えますので、その(500記事到達)後、たとえブログ記事作成を継続する場合においても、記事作成のペースは500記事到達以前に比べ、多少、投稿の間隔が長くなるものと考えます・・。

また、そうしたことをも含め、果たしてこのブログを作成している自身とは多少なりとも良い方向に進んでいるのであろうか?とも時折考えてしまうのです・・(苦笑)。

以前はそのようなことをあまり考えませんでしたが、500記事到達が可能に見えるようになった昨今、そうしたことを考えるようになったことは、なかなか面白いことであり、また同時にそこから一種の不安感らしきものをおぼえることがあるのです・・。

しかしながら、ハナシを元に戻しますと、未だ現在500記事まで到達しておりませんので、とりあえずは、そうした迷い、不安感などについては考えず(しかし一方、それ自体はブログ記事の題材にはなるのですが・・(苦笑))500記事到達まで残りの20記事あまりを作成していこうと考えております・・。

そして「ハナシは全てその後」と割り切って考えた方が諸事都合がいいのではないかと思います・・(笑)。

ここまで記しており、不図思ったことは、まさしくこうした想念とは「循環論法」なのではないかということであり、また、それは往々にして「堂々巡り」ではあるのでしょうが、それでも、こうしたことを繰り返していくなかで、おそらく用いる言語・コトバのわずかな変化により、それまでの想念、考えのニュアンスもまた若干変化し、そして、それが上手い具合に行けば、言語化された納得出来る解決というものを得ることが出来るのではないかとも思われます・・。

しかしまた、そうしたことには、ある程度客観的な評価も必要ではあると考えますが・・。

そして、進化であれ退化であれ、変化自体を惹起するものは、既存要素内部のわずかな変化であり、そこから生じる全体への伝播、影響が、少なくとも「変化」全般の一側面であるといえるのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」