2016年11月27日日曜日

20161126 着想が訪れない、浮かばない時には・・鹿児島からの帰郷時の出来事

本日のブログ記事投稿により投稿総記事数が491となり、目標とする500記事まで残り10記事を切ることになります。
これに対し特に感慨らしきものはなく、今後もしばらく、この調子にて投稿し続けるつもりです・・。

とはいえ、本日もまた作成記事の主題は決まらない状態にて作成をはじめ、今現在何を書こうかと、その着想が訪れるのを待っている次第、状態です・・(苦笑)。

しかし、着想を待つとはいっても、確実に着想が訪れてくれるわけでもなく、特に本日に関しては、その着想がなかなか湧かず、訪れず、多少困った状態であるといえます・・(苦笑)。

こうした状態においてこれまで採ってきた手段とは、書籍からの抜粋引用であるのですが、500記事到達が目前にあるといっても良い現状において、その手段を用いるのも、如何なものであるかと考え、今現在そうした思いを記している次第です・・。

また、こうした自身の意識の状態、流れを記すことにより記事の着想が多少は湧く、訪れ易くはなるのでしょうか・・?

これまでのところ、こうしたことをある程度記していると、何かしらの記事主題に至る着想が自然に(この自然というものが実に曖昧であり、現在のところ、それ(自然およびそのメカニズム・作用機序)を言語化することは難しい)湧く、訪れるのですが、その自然なるものを言語にて記す、語ることを試みることにより、あたかも逃げ水のように、その(着想の)光明が遠ざかっていくものであるのかもしれません・・。

しかし、そうであるとしても、ここで言語による表出を諦めてしまうと、もとの木阿弥であり、逆にそうであるからこそ、ここで踏みとどまり、言語による表出の継続を試みる必要・重要性性があるのではないかと思われます・・。

そして、ここにブログ記事作成の継続のある程度重要なカギがあるのではないでしょうか・・?

もちろん、作成記事の着想を得るとは、何らかの主題、ネタが自身の中に言語化可能な程度に顕現、明示されることであるのですが、あるいはそれと同時に、現在のような着想が思い浮かばない状態においては、そうした意識の状態、流れを記すことによってもまた、さきに述べた着想とは「異なった経路」ではあるものの、結果的には記事の主題を得たのと、ほぼ同様の状態となるのではないかと思われます・・。

とはいえ、そうした状態にて記した文章が果たしてある程度(この概念も曖昧ですが)の同意を得ることが出来るかどうかとは、また別問題ではあるのですが・・(苦笑)。

そうしますと、これはどちらかというと、単に内心の満足を得るための方便であると採ることも出来ますが・・(苦笑)。

しかしながら、そもそも、これまでに作成したブログ記事とは、以前、周囲の方々に勧められはしたものの、その作成および継続とは、全面的に自身の能動性に委ねられたものであり、何らの義務によるものではありません・・。

それ故、今回の手法により作成された記事もまた、それが内心の満足を得るためのものであったとしても、それは本質的には以前の手法により作成されたものと、そう大きな相違はないのではないかとも考えられるのです・・。

そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、その脈絡がよく分かりませんが以下のことです・・。

2013年9月に自動車(軽・鹿児島ナンバー)にて鹿児島より帰郷の折、東京に入り305号線・明治通りにて原宿を抜け走行していると、左側に東郷神社が見えたため、速度を少し緩め、神社を向いて軽く会釈をしたところ、後続の外国製SUV車にけたたましくクラクションを鳴らされ、追い抜かれました・・。

その直後、私は何を思ったか、このSUV車を追いかけ、追いつき窓を開け顔を出し、思い切り運転席の方を睨み「コラーッ!」と叫んでおりました・・。

現在考えてみますと、おそろしくバカなことをしたものであり、また、ここにその内容を記すのも(大分)気が引けるのですが、その意味において、当時の私とは、やはり多少おかしかったのではないかと思います・・(苦笑)。
(また、そうであるからといって現在はおかしくないとは言い切れないが・・(苦笑)。)

とはいえ、今現在なお、そうした気持ち自体とは、内心にて持つ限りにおいては、そこまで悪いものではないとも考えますが・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島県周辺にて発生した大地震にて被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




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