2018年7月29日日曜日

20180729 未来社刊 丸山 眞男著 『現代政治の思想と行動』pp.19‐21より抜粋引用

未来社刊 丸山 眞男著 『現代政治の思想と行動』pp.19‐21より抜粋引用
ISBN-10: 462430103X
ISBN-13: 978-4624301033
『政治は本質的に非道徳的なブルータルなものだという考えがドイツ人の中に潜んでいることをトーマス・マンが指摘しているが、こういうつきつめた認識は日本人には出来ない。ここには真理と正義に飽くまで忠実な理想主義的政治家が乏しいと同時に、チェザーレ・ボルジャの不敵さもまた見られない。慎ましやかな内面性もなければ、むき出しの権力性もない。すべて騒々しいが、同時にすべてが小心翼々としている。この意味に於いて、東条英機氏は日本的政治のシンボルと言い得る。そうしてかくの如き権力のいわば矮小化は政治的権力にとどまらず、凡そ国家を背景とした一切の権力的支配を特質づけている。例えば今次大戦に於ける俘虜虐待問題を見よう(戦場に於ける残虐行為についてはやや別の問題として、後に触れる)。収容所に於ける俘虜殴打等に関する裁判報告を読んで奇妙に思うのは、被告が殆ど異口同音に、収容所の施設改善につとめた事を力説していることである。私はそれは必ずしも彼らの命乞いのための詭弁ばかりとは思わない。彼らの主観的意識に於てはたしかに待遇改善につとめたと信じているにちがいない。彼等は待遇を改善すると同時になぐったり、蹴ったりするのである。慈恵行為と残虐行為とが平気で共存しうるところに、倫理と権力との微妙な交錯現象が見られる。軍隊に於ける内務生活の経験者は這般の事情を察し得るであろう。彼らにおける権力的支配は心理的には強い自我意識に基づくのではなく、むしろ、国家権力との合一化に基づくのである。従ってそうした権威への依存性から放り出され、一箇の人間にかえった時の彼らはなんと弱弱しく哀れな存在であることよ。だから戦犯裁判に置て、土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する。後者のような傲然たるふてぶてしさを示すものが名だたる巣鴨の戦犯容疑者に幾人あるだろうか。同じ虐待でもドイツの場合のように俘虜の生命を大規模にあらゆる種類の医学的実験の材料に供するというような冷徹な「客観的」虐待は少なくとも我が国の虐待の「範型」ではない。彼の場合にはむろん国家を背景とした行為ではあるが、そこでの虐待者との関係はむしろ、「自由なる」主体ともの(Sache)とのそれに近い。これに反して日本の場合はどこまでも優越的地位の問題、つまり究極的価値たる天皇への相対的な近接の意識なのである。しかもこの究極的実体への近接度ということこそが、個々の権力的支配だけでなく、全国家機構を運転せしめている精神的起動力にほかならぬ。官僚なり軍人なりの行為を制約しているのは少なくとも第一義的には合法性の意識ではなくして、ヨリ優越的地位に立つもの、絶対的価値体にヨリ近いものの存在である。国家秩序が自らの形式性を意識しないところでは、合法性の意識もまた乏しからざるをえない。法は抽象的一般者として治者と被治者を共に制約するとは考えられないで、むしろ天皇を長とする権威のヒエラルヒーにおける具体的支配の手段にすぎない。だから遵法ということはもっぱら下のものへの要請である。』