2021年6月18日金曜日

20210618 株式会社 光人社刊 光人社NF文庫 比留間弘著「地獄の戦場泣きむし士官物語」 pp.299-300より抜粋

株式会社 光人社刊 光人社NF文庫
比留間弘著「地獄の戦場泣きむし士官物語」
pp.299-300より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4769820631
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4769820635

 (復員)船にのって、はじめて味噌汁を配給された。内地の味であった。

野戦では塩汁がつづいた。そのときは、となりで醤油汁を飲んでいるのを、匂いだけをかいでうらやましくて仕方がなかった。病院では、醤油汁であった。現地人のつくった味噌は、似て非なるもので、ショーガを漬けて食うぐらいにしか使えなかった。

 味噌汁の身は、乾燥野菜ではあったが、なんともいえない美味であった。だから、元気なヤツは、もっともっと食いたかったであろう。

 それに金鵄(タバコの名、むかしのバット)をもらった。これが現地タバコに比較すると、とんでもなくニコチンが強く、一本吸っただけで、目がくらくらし、気持がわるくなった。

 便所は、舷の外に張り出してあり、その作り方も仮設であるので、なんともあぶなっかしい。連続した便所の床には、大きな樋のようなものが通っており、一方から海水がポンプでジャージャー流れていた。常続水洗便所である。

 嵐になって、大きく舟がゆれ、雨風がひどく、舷側にぶつかる波しぶきが、たたきつけるように上がるときには、便所ごと海に流されそうで、とてもこれに乗って用をたす気にはならなかった。

 台湾沖を通過するとき、その嵐にあった。さすがに、このときばかりは、蚊帳をかついで船倉に逃げこんだ。舟は大きくゆれて、大部分の者は船酔いになり、それでなくても衰弱した病院船の乗客には、相当こたえたと思う。航海は約十日であった。

 入港地は、神奈川県の久里浜であった。港について、一晩、碇泊した。検疫のためであったと思う。

 その夜、殺人事件が持ち上がった。人の話を聞いてみると、殺されたのは軍医で、殺したのは、鍼医であった。なんでも、その鍼医は下士官で、その軍医の下ではたらいてきたが、軍医からつねづね、鍼などで病気は治らない。鍼医は医者ではない、とばかにされたり、いじめられたのを恨み、寝ているところを、頸動脈を刃物で切って殺したのだそうだ。

 寝首をかかれるとは、まさにこのことで、内地の山を見ながら死んだ軍医も気の毒なはなしだが、それまでの階級をかさにきて、部下をいじめたのがタネだったのは、これも運命か、自業自得の結果だったが、船に警察官が上がってきて、犯人をつれていった光景を思い出す。