2017年6月29日木曜日

20170628 ブログ記事作成の継続と分かりにくさに対する耐性・・?

A「本日もまた、一旦帰宅の後、休んでから記事作成をはじめました。

さて、昨日投稿分記事も、思いのほか多くの方々(22)に読んで頂けました・・。

また、どうしたわけか、今月に入ってからの閲覧者数は有意に増加しており『大変ありがたい』と思う一方で『そこには一体どのような原因があるのだろうか・・?』とも考えさせられます・・。

とはいえ、ブログ記事の閲覧者数が有意に増加したからといっても自身の周囲に特に大きな変化が生じることもなく、そこから、昨今はどうも『日常での生活』と『ブログ記事の作成』といった二つのパラレルな世界を生きているといった感じすら受けることがあります・・(笑)。

そして
また、ブログ記事の作成とは、そういった、もしくはその程度のものであり、いやむしろ、記事を作成することにより、さまざまな変化などが生じる、感じ取ることが出来るのであれば、おそらく、自身の場合、現在まで記事作成を継続することが出来なかったのではないかとも思われます・・(苦笑)。

しかし一方、さきに書いた『二つの世界』とは、双方が全くかけ離れているわけでもなく、わずかではあれ、どこかで繋がっており、一方にある『ブログ記事の作成』という、いわば観念的、抽象的な『作業』の継続を通じ、他方にある『自身の日常での生活』に繋がる、貫通する『何か』を、その具体的なカタチとは分からないものの、無意識に近い意識にて探しているのではないかとも思われるのです・・(笑)。

そして、こうした作業の継続を通じ見えてくる『繋がる、貫通する何か』をボンヤリとではあれ認識出来るようになるまでは、ある程度の時間、期間を要するものであり、同時にさまざまな修行、練習、実験、研究といったもの全ては、本質的にそのようなものであろうと思うことから、逆説的にその分かりにくさ故に継続することが出来ているのではないかとも思われます・・(苦笑)。

その意味で、当然ではあるのかもしれませんが、自身は優秀、鋭敏といった性質、資質からは(かなり)かけ離れているものと考えます・・(笑)。

いや、そのように考えてみますと、あるいはブログ記事作成という地味な作業の継続に向く性質とは『分かりにくさに対する耐性』、さらには一種の『鈍感さ』らしきものではないかとも思えてきます・・(笑)。

※その一方で『濁った沼は深く見える』というコトバもありますが・・(苦笑)。

ともあれ、そのように考えてみますと、どこかで読んだ覚えのある我が国の作家群について述べた「長編を書くことが出来る作家は夏目漱石以降、首都からは生まれることが少ない」というコトバが何故だか思い起こされます・・。

もちろん、このコトバとは、あくまでも(ある程度の)傾向を指摘したものではあるのでしょう・・。

しかしながら、一般論として人工的な事物の進化≒便利さ、使い易さ、分かり易さであることは概ね納得することが出来ると思われます。

また、そうした人工事物の進化が相対的に多く見受けられる地域とは、地方であるよりも都市、就中、我が国の場合であれば首都ではなかろうかと思われます。

さて、そのように考えてみますと、現今巷で生じている出来事ともツジツマの合う何かが見受けられるのかもしれませんが如何でしょうか・・(笑)?

そして、今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。

昨年の2016年
、熊本、山陰東部、福島周辺地域を襲った地震により被災された諸地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧と、その後の速やかな復興を祈念しています。」