2021年8月2日月曜日

20210801 人の才能が分かることと、内面での葛藤について・・

去る7月24日投稿分の「【架空の話】・其の67 【モザイクのピースとなるもの】」のなかで、登場するS教授について「S教授には若手の後継研究者とされる存在はなく、むしろ、その研究室で学位を取得すると、その先は、それぞれ、より御自身の素に近いと思われる分野に進んでいくといった、何やら不思議な傾向があるように見受けられた。」といったことを述べましたが、これは、私の歯科理工学分野の師匠を思い出し、モデルとしたものであり、たしかにその弟子筋の先生方を思い返してみますと、今現在、同じ研究分野に残っているのは皆無ではないもののごく少数であり、他の多くの先生方は違う研究室に在籍されているか、開業医・勤務医になられているかの何れかであると云えます。

しかし、今現在、研究室にはいないからといって、活性が低くなっているかと云うと、そうでもなく、それぞれ、やはり御自身の得意とするところを活かし、ご活躍されておられると聞き及んでいます。そして、ここまで書いていて思い出されたことは、何らかの行動により、その人の才能が分かるといったことが時折ありますが、これを初めて感じたのは在鹿児島の頃でした。あるいは当時、ストレスにより少し過敏になっており、他者の行動の一つ一つが気になっていたのかもしれません。ともあれ、それと同じ頃に「何かこの人はスゴイな・・」と感じ始めるようになったということには何らかの関連があるように思われ、そして、それを生じさせているものは「内面での葛藤」であると思われます。

この「内面での葛藤」は、当時はもちろん、今現在も未だなくなっておらず、また以前にも書いた憶えがありますが「内面での葛藤」があるからこそ、当ブログもまた続けることが出来ているのだと云えます。そしてさらに、その先を少し想像してみますと、若年期から継続してきた「内面での葛藤」が青年期から壮年期に至り徐々に減衰してゆき、そしてそれが減衰しきるまでに、自分なりの創造の経路・手順を築き、自分のものにしておくことが、男性の場合は特に重要になっていくのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そして、この「内面での葛藤」の異なる面での顕われとも云える「才能への感覚」の方は、特に芸術的なものというわけでなく、日常生活の延長にて感じ取れ、またそれらは少し考えてみるとスゴイことであると分かり、ここに、その具体的内容を書き記してみたいと思ったのですが、それは決してマズイ内容ではないものの、書いてしまうと個人特定がされてしまう恐れもあることから、ここでは書くことは控えることにしました・・

また、不思議なことに、そうした「才能への感覚」はそれまでになかったことから、あるいはこうした感覚は、その頃(30代半ば)の年齢に達すると自然に生じてくるようなものであるのでしょうか・・?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


順天堂大学保健医療学部
順天堂大学医療科学部

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


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