2022年3月16日水曜日

20220316 岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.11-13より抜粋

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.11-13より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003226216
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003226216

 作家はそもそも物を書くようになる以前に、すくなくとも多少は一生ついてまわる感情的な姿勢を身につけるはずである。言うまでもなく、作家である以上は自分の気質を律して、未熟な段階や偏った気質を脱するように努力するのは当然である。しかし若いころに受けた影響から完全に脱却してしまうなら、物を書く衝動自体の命を断ってしまうことになるだろう。

 生活費を稼ぐ必要を別とすれば、物を書くにはー少なくともそれが散文の場合ー大きく分けて四つの動機があると思う。その四つには作家によって程度の差があり、一人の作家についても、時に応じてその生活環境によって比率が変わるだろうが、以下にそれを並べてみる。

一、純然たるエゴイズム。頭がいいと思われたい、有名になりたい、死後に名声をのこしたい、子供のころに自分をいじめた連中を大人になったところで見返してやりたいといった動機。こういうものが一つの動機であること、それも強い動機であることを否定して格好をつけてみたところで、それはごまかしでしかない。その点では、作家といえども科学者、芸術家、政治家、法律家、軍人、大実業家ー要するに人類の最上層にいる人間と、なんら変わるところはないのだ。人類の大部分はそう自己中心的ではない。三十をこす頃になると個人的な野心など捨ててしまいーそれどころか、そもそも個人としての意識さえ捨てたのも同然になってー他人の生活のために生きるおうになるか、骨が折れるだけの労働の中で窒息してしまうものだ。

ところが一方には、少数ながら死ぬまで自分の人生を貫徹しようという決意を抱いている、才能のある強情な人間がいるもので、作家はこの種の人間なのである。れっきとした作家はだいたいにおいて、金銭的関心ではかなわかくとも、虚栄心となるとジャーナリスト以上につよく、自己中心的だと言っていいだろう。

二、美への情熱。外的な世界のなかの美、あるいはまた言葉とその正しい排列にたいする感受性、ある音とある音がぶつかって生じる衝撃、すぐれた散文の緻密強靭な構成、あるいはすぐれた物語のもっているリズムを楽しむ心。自分が貴重で見逃せないと思う体験を他人にもつたえたくなる欲望。こういう美的な動機にきわめて乏しい作家はいくらでもいるが、半面パンフれれっとや教科書の執筆者にも、功利的な理由とはかかわりなく自分が好きでたまらない言葉とか句があるものだ。あるいは、活字の組みとか、ページの余白のあけかたなどにうるさいといったばあいもあるだろう。鉄道の時刻表ならともかく、それ以上の本には、かならずなんらかの美的関心がはらわれているものである。

三、歴史的衝動。物事をあるがままに見、真相をたしかめて、これを子孫のために記録しておきたいという欲望。

四、政治的目的ーこの「政治的」はもっとも広い意味で用いる。世界をある一定の方向に動かしたい、世の人びとが理想とする社会観を変えたいという欲望。このばあいも、なんらかの政治的偏向がんまったくない本というのはありえない。芸術は政治にかかわるべきではないという主張も、それ自体が一つの政治的な態度なのである。

こうしたさまざまな衝動がたがいに矛盾せざるをえないこと、また人により時代によって変わるのが当然であることは言うまでもあるまい。性格とは大人になるまでに身についた状態だと解するなら、わたしは、四番目の衝動よりもさいしょの三つの衝動がつよい性格の人間である。平和な時代だったなら、おそらく凝った文章を書くか、単に事実を詳しく書くだけに終わって、政治的誠実などということはほとんど意識することさえなかったかもしれない。ところがそうはいかず、否応なしに一種の時事評論家になってしまったのである。まず、はじめは五年間、自分には不向きな職についた(ビルマで、インド帝国警察に勤務)。それから貧困と挫折感を味わった。その結果、生まれつき権威にたいして持っていた憎悪の念がつよまって、労働階級の存在をはじめてほんとうに知ったのである。それにビルマ勤務のおかげで、帝国主義の本質についても多少理解できるようになっていた。だが、これだけの理解では、まだほんとうの政治的な作家になることはなかっただろう。ところが、そこへヒットラーが登場し、スペイン戦争が起るといったことがつづいたのだ。