2023年12月24日日曜日

20231223 株式会社新潮社刊 新潮選書 高坂正尭著「歴史としての二十世紀」pp.49-53より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 高坂正尭著「歴史としての二十世紀」pp.49-53より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106039044
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106039041

当時、西欧で流行った社会的ダーウィン主義について触れておく必要があります。ダーウィンの「種の起源」が1859年に刊行されて以来、それが実際の社会現象を説明するとき、人々の間で「適者生存」の法則として流布します。告白すると私は「種の起源」を読んだことはありません。皆さんも読んだことがない人がほとんどではないでしょうか。問題はまさにそこにあります。ダーウィンの難解な自然選択説は、あらゆる種はだんだんと進化して今に至っているというシンプルな趣旨にまとめられ、それが様々な事例に当て嵌められました。

 19世紀後半、誰もが本を読めるようになり、新聞や雑誌が大量に発行されるようになります。それは大変結構なことですが、「種の起源」を読まなくても、それについての記事の中で辻褄の合わないところ、矛盾点も意識しつつ「自然選択」という仮説を導きました。しかし、そんな考察は全部はしょって、俗流ダーウィニズム的考え方が欧米だけでなく日本でも取り上げられるようになりました。なぜなら、大衆が社会の主役となり始めた19世紀末、「生存競争」と「適者生存」の二つは人々の間で生じる葛藤や軋轢、貧富の拡大をうまく説明しているように感じられる。便利な言葉だったからです。

 当然のことながら、それは国家間の関係にも適用されます。国と国との間の競争も「線存競争」だから、みんな頑張れ、というものですが、国民を一つにまもめるのに都合がいい話です。戦争は、国家間の「適者生存」が行われる究極の「生存競争」ということになります。19世紀末から20世紀初めにイギリスで出版された。「ナィンティーン・センチュリー」という季刊誌がありました。それを紐解くと、100年前の人間が戦争をどのようなイメージで捉えていたかがわかります。

「戦争における勝利は、道徳的美徳を持った者に与えられる王冠である。」

「戦争とは、一国が他国と戦争して、最も物理的に優れた者が生き残る場である」

「現代においては、最も効率を高める者が生き残る」

「戦争は、何か神の意思にかなっているかということを決める、裁きの場である」

最近ではまずお目にかかれない、力みまくった言葉が並んでいます。

フランスやドイツも、似たようなものだったでしょう。こういうのもあります。

「もちろん戦争は犠牲を必要とする。しかし、人間は犠牲を好んでする動物だから、自然界で生き残ってきた。ある世代の人間がどのように犠牲を払うかによって、次世代の運命が決まってくるのだ」

読んでいると、私も子供時分に同じような話を聞きましたから、三分の一くらいそうかもしれないという気分になってきます。それでもさすがにひどいと思うのは、たとえば、1898年にアメリカがフィリピンで戦争したとき、

「殺せ、殺せ、もっと殺せ、そうしたら、もっと良い世の中が現れるだろう。」

「戦争は、その国家の線存競争として、優秀な者が生き残るテストの場所である」

とあります。こういう雰囲気だと、軍人でなくても、戦争に勝たないといけない。という気分になります。ダーウィンに罪がある訳ではありませんが、彼の理論は曲解され、国家側の「適者生存」と「生存競争」に勝ち抜くのが戦争だ、ということになって、結果的に見なひどい目にあったのが、第一次世界大戦なのです。

冷徹な第二次大戦の指導者

 第一次大戦前のかわいらしい政治家の時代から様変わりして、四半世紀後、第二次大戦では権力意志の強い政治家が自ら戦争を指導しました。唯一の例外は日本です。チャーチル、ルーズベルト、スターリンはみな立派な政治家ですが、冷徹な打算で動いているようなタイプの人間です。

 彼らは、戦争を軍人たちにまかせませんでした。その点で、第一次大戦のドイツのように、軍事作成が政治に優越してしまうことはなかった。

 ルーズベルトなんで相当に人が悪い。日本が攻めてくるのを知っていながら、先に手を出させたようなところがあります。それくらい度胸が据わっていないと、世界戦争などできないのかもしれません。チャーチルも軍部を掌握するため、正しい戦略を主張してくる軍人のアドバイスには従うのですが、作成が成功したらあっさり首を切ります、そんなドライで冷淡な感覚が政治をやる上で必要ですが、お友達にはなりたくない。

 第一次大戦と比較して、第二次大戦では防禦能力より、攻撃能力で決着がつきました。簡単に言うと、軍事力に優っていた方が力ずくで相手をねじ伏せたようなところがあります。しかしながら、第二次世界大戦が終わる頃から、それと矛盾するような動きもでてくる。たとえば、ルーズベルトは、政治家として軍事作戦を指導したにもかかわらず、ソ連に対して甘すぎるのです。ソ連がポーランドを支配下に置くのを認めてしまう。あるいは、無条件降伏を求めなければ、日独も態度を軟化したかもしれませんでしたが、最後までそれで押し通した。イギリスはバルカン半島から東ヨーロッパに攻め上がろうと提案しますが、ともかくドイツを負かす方が先だとそれを却下しました。その結果、冷戦期、東欧はソ連の影響下に置かれてしまいますが、このような非合理的な判断の事例をみると、ルーズベルトが、戦後どんな国際秩序を形作るべきか考えていたとは、思えないのです。

 合理性を欠いていたのには、いくつかの理由があります。一つは大衆の時代に大戦争という妙なことをするためには、人々の頭を狂わさなければいけない。ビスマルクのように勢力均衡ばかりしていたら、誰も熱狂しません。「侵略的な黄色い猿は、叩き潰さなければいけない」というような、日本に対する人種的偏見に満ちたアメリカの宣伝を読み返すと、震えがきます。そんな奴らには、無条件降伏でも突きつけるしかないということなのでしょうが、これくらい激しい口調でないと、大衆社会の主役である国民は付いてこなかったのです。

 このように、大衆社会においては戦争を合理的に指導することは不可能になりました。さらに、世界全体を相手にするので、どんなに冷静沈着な指導者でも作戦が立てられません。そして、極め付けが最後に現れた原子爆弾でした。これは人類がコントロールしようがない兵器が誕生したことを示しました。そこから遡ってみると、第一次世界大戦の政治家や軍人の誤りも、やむを得なかったと思わないわけでもない。軍事力が増大する中、政治家が弱気に、軍人が強気になったとしても、人間の過ちとしては十分ありうることではないでしょうか。