2017年2月3日金曜日

20170202 ひらめき、読書、読解能力の低下について・・

A「昨日は特に理由があったわけではありませんが、記事作成を休みました。

とはいえ、このところ再度ほぼ毎日記事作成を行ってきましたので、ここで一休みするのも悪いことではないと思われます・・。

本日は若干帰宅が遅くなったことから再度記事作成を止めておこうと考えましたが、二日間連続で休むのもいささか気が引ける部分もあり、今現在このように書いております・・(笑)。

昨日は記事作成を休み、またPCの起動すらしませんでしたが、それでも思った以上の記事の閲覧があり、またその閲覧されている記事も多岐に渡っておりました。
また、それらの間に特に関連性らしきものは看取することができません・・少なくとも今現在までにおいては・・(笑)。

あるいはしかし、後日それらの間に何か「アッ!」と思わせるような関連性あるいはそれらを結節する何かしらの観念が思い浮かぶことがあるのでしょうか・・(笑)?

そのように考えてみますと、かつて(自分なりに)盛んに研究に従事していた時期、そうしたことを人との対話などにおいて惹起され、あるいはまた、そうした観念の涌出とは朝の時間帯に突如として生じることが比較的多かったことが想起されます・・。

そこから比べますと、たしかに現在とは、その当時に比べ「ひらめき」に関しては大分疎遠になっていると考えられます・・(苦笑)。

加えて「ひらめき」が比較的盛んに訪れるのは日常的に書籍、文字を多く読んでいた時期であったともいえるのではないかと考えます・・。

その意味において今現在は読み進めている長編小説といったものはなく、既読著作の再読といった感じであることから、さきに述べたような感じを受けるのかもしれません・・。

そうしますと「さて、今度は何を読んでみようかな?」と考える次第ですが、これに関しても特に昨今は「徐徐に読んでみたくなる」といった感じであり、以前のようにたて続けに長編、学術書を読むといった芸当は出来なくなってきております・・(苦笑)。

また、たしかにこの点に関しては読書、読解能力の衰頽、低下を感じますが、その一方、こうした(しょうもないかもしれない)アウトプット(ブログのこと)に関しては過去に比べ盛んに出来るようにはなってきておりますので、案外これはこれで釣り合いが取れているのではないかとも思われるのです・・(笑)。

あるいは、これも単なる「言い訳」なのでしょうか・・(苦笑)?

そういえば先日久しぶりに会田雄次の著作を幾つか手に取って断片的に読んでみましたが、それらに書かれてあることの多くは現在の我が国にこそ適用することができるのではないかと思いました・・。

また、こうした過去の保守派の論客、知識人とされる方々が書いた文章、著作とは概して、現在そのように自他共に認める(そのような立場の)方々に比べ、書かれた行間から感じられる迫力、説得力が大きく異なるように思われるのです・・。

そして、こうした差異がある程度広く肯定されるものであるならば、その理由とは何であろうか?と考えてみますと、それは「経験」ではないかと思われます。

また、それは我が国の近現代前期(1868~1945)をさらに二分割(1868~1906・1907~1945)した際の前半・後半それぞれの時代精神の差異にもある程度いえるのではないかと思われますが、如何でしょうか?

「ヒトが制度を作り、その後は制度がヒトを作る」おそらく我々日本人とは、制度を以てヒトを作るということに関して、特に近代以降、あまりその手腕を発揮できていないのではないかと思われますが、これも如何でしょうか?

何れにせよ、太平洋戦争を経験された方々の著作一般とは、我々日本人が如何なる民族であるのかよく考えさせてくれます・・。

とはいえ今回もここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。

昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島周辺での大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」