2017年9月3日日曜日

20170903 昨日の続き・・読書の傾向から思ったこと・・

A「休日ということもあってか、昨日投稿分の記事は思いのほか多くの方々に読んで頂けました(47)。

また、この記事においては読了した書籍内容に対しての感想はあまり書かず、主に書籍の種類による読み易さ、およびその効果といったことを書きましたが、本日はこれに対する補足を少し書いてみようと思います。

さて、ある程度学術的な内容の書籍、論文などに関しては比較的明瞭にその書籍が頭脳・感性のうちの頭脳の運動を促すものであると認識することが出来るのでしょう。

一方で、たとえばある程度史実に沿い、時代考証が為された小説・物語の体裁の著作であれば、それは頭脳・感性双方の運動を促すものとなり、そして継続的な読書により、そうした体裁あるいは文体に慣れていきますと、徐々に感性の運動の方が優位となり、それに伴い感性的なものとして作中にて述べられているさまざまな知見・考えなどを吸収・受容することが出来るようになるのではないかと思われます・・
(これは実際に書いてみますと、自身の筆力の不足もさることながらなかなか微妙で伝わり難い感覚であるのかもしれませんが・・)。

私事にて恐縮ですが、自身に関しては、さまざまな歴史小説、物語などの読書を通じて初期の段階における歴史・人文社会科学知識全般を得てきたと云えます・・。

しかし、こうした知識獲得の仕方とは必ずしも(学校教育的に)効率的なものではなく、それ故にか、学校の成績に関しては悪い方ではなかったですが、ずば抜けて良いというわけでもありませんでした・・(無駄なことをよく知っているといった評価が多かったように思います・・(苦笑))。

そうしたことから、このかなり非効率的な自分の勉強(?)方法およびそれを敢えて行ってしまう変に頑固な性格を呪うこともありましたが、その後20代にてさまざまな良い先生方に出会うことを直接的な契機として、こちらの方の才能に関してはどうにか、こうしてある程度の期間、ブログ記事を書き続ける程度までは開花したのではないかとも思われるのです(・・はたしてそれは開花なのであろうか?)(笑)。

いや、何れにしましても、それはさきの先生方からして頂いたことに比べれば、あまり大したことではないといえますが・・(苦笑)。

ともあれ、自身はこのあまり大きな緊張を心身に対して強いらない緩やかな感性方面の経路からの比較的長期間にわたる知識・知見の流入にて、これまでどうにかやってきたのではないかと思われるのです・・。

このことは、特に卑下することもありませんが、一方でもちろん自慢に値するものなどでもありません・・。

単純に自身の元々の性格・性情がそうした方面に進ませ、そしてある程度どうにかなってしまったということになります・・(苦笑)。

しかし、ここに至るまでに失ってきたものもまた少なからずあるようにも思われますので、結局のところそれは、プラス・マイナス差し引きゼロであったのかとは、今現在はよく分からないところです・・(笑)。

とはいえ、今後もまた何かした面白い書籍を見つけ読んでみようと思いますが・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」


20170902 『銃・病原菌・鉄』上下巻読了・・読書の種類について思ったこと・・

A「本日さきほど先日来より読み進めていた著作を読了しました。

これは上下巻各々400頁程度といった、それなりに読み応えのあるものでしたが、同時に長編文学作品などと比べますと、その読了後の感覚はやはり異なると云えます。

しかし、どこが異なるのかとは今現在上手く言語化出来る自信はありませんが、強いて書いてみますと、それは本日読了した通史的な著作とは、頭脳に対しての負担をより強いるのに対し、感性(情感?)に対しての負担はそこまでないものと云えます。

また、これは、昨日投稿したブログ記事にて書いたことでもありますが、そうした種類の著作(感性よりも頭脳を使わせる)を読んだ直後における能動的な活動に対して抑制的な影響をもたらすのではないかと思われます・・。

とはいえ、そうした著作の読書が能動的活動に対して徹頭徹尾、抑制的な影響しかもたらさないというわけでもなく、それはおそらく筋肉でいうところの持久力に富む遅筋の発達を促すものであり、特に体力のある若い時期において、こうした種類の著作に数多く触れておくことは、後に続く青年期以降の知的活動全般を励起、活性化するといった効果があるのではないかと思われます・・(とはいえ、それはわざわざ意識して行うことでもないと思われますが・・)。

一方で、どちらかというと読み易い文学作品などに関しては、頭脳よりも感性により働きかけるといった効果をもっているようであり、これは特に日常的に頭脳を使う文章を扱っている方々からすれば、表層的なコトバのお遊び程度の認識であるのかもしれませんが、しかし、こうした言語の用い方の方がおそらく言語それ自体としては古来より正統な用い方であり、そして今後もまたそうであるのです・・。
【ここの視座を掘り返してみるとかなり深いのではないかと思われるのです・・。】

それ故、小説、物語特に古典などをあまり価値のないもの、あるいは科学的ではないと考えている理系学問分野全般の方々は、御自身が能動的な興味を持って読み込むことが出来る一つの著作、一人の著者といったものを書店での立ち読み等を通して見つけ、それを継続していますと、保証は出来かねますが、いずれ少なからぬ確率にて、何かしら面白い(小さくても・新しい)発見をすることが出来るのではないかとも思われます・・。

何れにしましても、こうしたことは行ってみても特段損をすることはありませんので、また、もうじき読書の秋ということもありますので、試みては如何でしょうか・・(笑)?

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂いて、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」