2016年8月3日水曜日

20160803 記憶を辿ってみると・・

本日首都圏も気温が上昇し特に日中はなかなかの暑さでした。
とはいえ、この暑さも和歌山、九州といった西南日本に比べればガマンできるものであり、あるいはその記憶があるからこそ、現在の首都圏の暑さをどうにか普通に過ごすことができているのかもしれません。

しかしながら、そうした個人の記憶とは一体どこまで辿ることができるのでしょうか?

三島由紀夫は「仮面の告白」の中で自身の産湯の経験を述べていますが、ああいった生誕時の記憶とは実際にあるのでしょうか・・?

私の場合はどんなに遡っても三歳くらいのものがウッスラと記憶に残っている程度です・・。

そして、その当時から書籍が好きであったようで児童書をはじめ家の蔵書を色々と手に取って読んでいた、あるいは読むマネをしていたようです・・(笑)。

小学生の頃には歴史マンガ、いくつかの出版社から刊行されている歴史全集、歴史小説などを好んで読んでいた記憶があります・・。

また、小学生の頃、社会科、歴史?の課題で「歴史新聞」といったものを各々作成しておりましたが、私はこれを作成するのが好きで、本当であるかどうかわかりませんが、何人かのご父兄から「面白くよくできている。」との評価を得ていたそうです・・。

中学生の頃は歴史と同時に現代文なども好きになり、いくつかの作文が褒められ、あるいは美術において人物画が褒められた記憶があります。

そういえば、ここまで記していて不図思い出したことは、中学校時代美術部に属し部長であったことです・・(笑)。

今となってはうろ覚えではありますが、確かにそうであった記憶があります。

この中学校は在校時は特に感じることはありませんでしたが、いくつかの先進的な取り組みが為されていたようであり、また現在においては東京都23区にて区立のはじめての中高一貫校として知られているようです・・。

そして、現在になり思い返してみますと、面白い先生が多くいたのではないかと思われます。

その中でも英語の先生は教え方が上手く、その後いくつかの場面にて英語に接することになってもあまり臆することがなかったのは、もしかすると、ここでの経験が根幹にあるのかもしれません・・。

とはいえ、英語で思い起こすのは、やはり大学院在籍時であり、当時は通常の学会発表でもなかなか苦労をして観察画像を撮ったり、試料から抽出した実験データをまとめ、そして原稿らしきものを作成し、さらに予演会にて様々なダメ出しを受け、さらにそこからスライドの修正、原稿の加筆修正を経て、どうにかそれらしきものを作成していました・・。

そして、これが国際学会などの英語での発表ともなりますと、より一層大変であり、師匠のそれを真似したり、類似の研究を行っている海外の研究者の表現を真似したり(コピペではない)して、どうにかスライド、読み上げ原稿を作成していた記憶があります・・(苦笑)。

また、現在は分かりませんが、海外留学の経験がない院生達の国際学会発表にて用いるスライド、読み上げ原稿の作成とは、概ね、さきに述べたような流れで作成されていたのではないかと思われます・・(笑)。

しかし、それだけでしたらまだいいのですが、ここから更に「(英語にて)質疑応答にも対応しなければならない」という大きな難問が待ち受けているのです・・(苦笑)。

おそらく、この難問をどうにか切り抜けるためには、ある程度類似した実験の論文等を読み込み、そして、それとある程度関連付けて自身の研究内容および結果の概要を、読み上げ原稿とは異なった流れで述べることが出来る必要性があるのではないかと思われます・・。

そして
、そういったことを何度か経験するうちに「あら不思議!」以前から読んでみたかった英国人作家の小説、英語で記された歴史書等が原書で読めるようになっていることを立ち読みの際に発見するのです・・(笑)。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震にて被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。