2017年4月28日金曜日

20170428 最近よく眠くなること、および読んでいる著作について【抜粋引用あり】

先日の600記事到達から本日の記事投稿によって10記事作成したことになります・・。

この10記事とは案外早く感じ、あるいはこの調子で書き続ければ700記事への到達もまた、そこまで先ではないとわずかに錯覚を覚えるのですが(笑)、その一方で、やはりある程度疲労は蓄積しているようであり、先日の記事にも書きましたが、少し気が抜けるとすぐに眠たくなってきます・・。

また、そのように書いておりますと、不図思い出すのは、このようなことは以前にもあったということです・・。

それは鹿児島在住初年目2009年の暮れ頃であり、当時はどうしたわけか、常時眠くて仕方がない状態でした・・。

具体的には、電子顕微鏡で試料を観察しながら、いつの間にか意識が飛んでいたり、パソコンの前で何か作成している時もそうしたことが生じていました・・(苦笑)。

現在になり考えてみますと、それは同年11月に兄が亡くなっていたことが何かしら関係していたのではないかと思われますが、その詳細な原因とは今もって不明です・・。

また、そうしたことを思い出してみますと、今回のそれは前述2009年に経験したものに比べれば、大したことではなく、また、その原因とは継続的なブログ記事作成にあることは感覚的に理解できますので、これを改善するためには、ある程度記事作成の頻度を抑えることが効果的であろうとは自然に思い至るのですが、それでも、このように記事作成をほぼ習慣的にはじめてしまうことが、まさしく『分かっちゃいるけど止められない』といったところではないでしょうか・・(笑)。

とはいえ、そうした状態にて記事を作成しておりますと、不思議なことに比較的スムーズに文章は湧くようであり、ここまでの記事作成も割合速やかに為されております・・。

また、それは現在読み進めている夢野久作の著作の影響によるものであるかもしれません・・。

この著作もおそらく本日あるいは近日中に読了に至ると思われますが、その中で述べられている時代、地域の状況とは、おそらくある程度史実に沿った、近いものであり、また、さらにそこから既読の複数著作に思い至るわけですが、中でも中江兆民著『三酔人経綸問答』あるいは福沢諭吉著『文明論の概略』などは、この著作の時代、地域などの背景を理解する上において効果的であるのではないかと思われます・・。

また、それをさらに『地域』に重点を置いてみますと、大西巨人著『神聖喜劇』、野上彌生子著『迷路』などに描かれている世界にも相通じる部分が少なからずあるのではないかと思われます・・。

ちなみにこの夢野久作の著作とは『犬神博士』であり、その独特の文体から繰り広げられる世界観はなかなか面白く一読の価値があると考えます。
そこまで長い著作ではなく、比較的気軽に読むことが出来ると思いますので、興味のある方は読んでみてください。

では下に、この著作冒頭一部分の抜粋引用を示します。

株式会社KADOKAWA発行 夢野久作著 『犬神博士』 pp.10-11
『その次は何だ。エッ。犬神博士。
どう言う意味だ、それは・・。我輩は
大神二瓶という立派な姓名があるのだ。
その大神のアタマの大の字の横ビンタへ何で石ころをブッ付けた。
誰にことわって犬にしてしまった。我輩が犬を飼っているからと言うのか。
フーム。そうじゃない。吾輩の言う事が犬神さまみたいに適中ると言うのか。馬鹿にしている。
我輩の予言と犬神様の御託宣と一緒にする奴があるか。元来ここいらに犬神が流行るものか。
ナニ。俺がいるから流行らない。馬鹿にするな。そんなら犬神の故事来歴を知っているのか。
知らない。ソレ見ろ。知りもしないのにいた風な事を言うな。

ナニ。犬神の話を聞かせろ。ウン。知らなきゃあ話してもいい。元来犬神というのは吾国に伝わる迷信のうちでも一番下等なものなんだが、それだけにトテモ愚劣な、モノスゴイ迷信なんだ。主として中国、山陰道方面に流行したものだがね・・。

先ず或る村で天変地異が引き続いて起る。又は神隠し、駈落ち、泥棒、人殺しなんどの類が頻々として、在来の神様に伺いを立てた位では間に合わなくなって来ると、村中の寄り合いで評議して一つ犬神様を祭ってみようかと言う動議が成立する。

そこで村役、世話役肝煎役なんどが立ち上って山の中の荒地を地均して、犬神様の御宮を建てる一方に、熱心家が手を分けて一匹の牡犬を探し出して来る。

毛色は何でも構わないが牝犬では駄目だそうだ。牝は神様になる前にヒステリーになってしまうからね。

その牡犬を地均した御宮の前に生き埋めにして、首から上だけを出したまま一週間放ったらかして置くと、腹が減ってキチガイのようになる。そこでその汐時を見計らって、その犬の眼の前に、肉だの、魚だの、冷水だのとタマラナイものばかりをベタ一面に並べて見せると犬は、モウキチガイ以上になって、眼も舌も釣り上った神々しい姿をあらわす。
その最高潮に達した一刹那を狙って、背後から不意討ちにズバリと首をチョン斬って、かねて用意の素焼きの壺に入れて黒焼きにする。
その壺を御神体にして大変なお祭り騒ぎを始める。
ところでその犬神様に何でもいいから、お犬様のお好きになりそうなものを捧げて、お神籤を上げると、ほかの神様にわからなかった事が何でも中ると言うから妙だ。
天気予報から作の収穫、漁獲のあるなしはむろんの事、神隠しが出て来る。
駈落ちが捕まる。間男、泥棒、人殺しが皆わかると言うのだが、成る程考えたね。
人間だってそんな眼に会わせたら大抵神様になるだろうが。』

・・・たしかに我々日本人にはどうもこうした傾向があるように思われ、また、現代においても、そこからあまり進化はしていないのかもしれないと考えさせることがあります・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。