2017年2月12日日曜日

20170211 昨日投稿の記事からの試み・・対話形式

A「どうしたわけか昨日の閲覧者数はこれまでになく増加しました・・。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

それらの中で一つでも「面白い!」と感じられる記事があれば幸いです(笑)。

さて、昨日投稿記事もまた思いのほか、多くの閲覧者を得ることが出来ました。
それ故、後になり関連する動画を急きょ探し共有した次第です・・(笑)。

しかし一方、本日作成分の記事に関しては、今現在その主題が定まっておりません・・(苦笑)。

毎回とはいえませんが、多くの場合、こうした状況から書き出し、そしてある程度の文量をスジを持って書くという作業とは、これまでのブログ記事作成経験により、多少向上したのではないかとも思われます・・(笑)。

また、不思議なもので当初記事作成において多く用いてきた対話形式とは、現在となっては、どうもその様式を以て書くことが難しいのではないかと思われるのです・・。

しかし、これはおそらく単なる『思い込み』ではないかと思われますので、以下にその挑戦として対話形式にて書くことを試みます・・(笑)。

A「昨日の記事はなかなか面白く読ませてもらいましたよ
特にヴェルヌの「海底二万里」が我が国における幕末期を舞台にしているという指摘は当たり前かもしれないけれども、文章にて指摘されるとまた面白い視点が浮かび上がってきますね・・。」

B「はあ、それはどうも恐縮です・・
世界史的な通説では潜水艦を含む現代の戦争に用いられる多くの兵器が広く用いられるようになったのは20世紀初頭の第一次世界大戦であると云われていますけれども、さらにそれらの元祖といえるものは、実は1860年代のアメリカ合衆国南北戦争に多く登場していたと云われていますので、その時代、つまり幕末期でもある1860年代あたりを舞台として潜水艦の活躍?威力が示される物語が書かれたことには、それなりに歴史的な意味合いがあるのかもしれない・・と考えた次第です(笑)。」

A「なるほどねえ・・。
そのように考えてみると幕末維新の多くの戦闘に用いられた兵器の多くが南北戦争の後、処分に困った兵器であったことにも何かしら歴史的な意味合いがあるのかもしれませんね・・(笑)。
つまり当時、南北戦争の終結によって大量の余剰兵器を売りさばくための市場を欲していなければ、幕末期の幾多の戦闘も、その勝敗がどちらのものになっていたか分からないということになるのですが、しかし一方、それら兵器を用いた近代戦の戦場を若年において経験した薩長土肥あるいは幕府側将兵の多くが後年日清日露両戦役において戦場での指揮を執ったということもまた、同時に一つの歴史的な意味があるのかもしれません・・。」

B「ええ、そうですね・・。
その意味において我が国は運が良かったのか、近代戦の初期の段階に滑り込み、それをどうにか自身のモノとすることには成功したのではないかと思います。
また、日露戦争(1904~1905)においては、そうした1860年代の諸戦争に示された近代戦の特徴、傾向といったものが、より一層明瞭化、洗練され、その様相とは欧米各国の観戦武官、記者等により国元に報告され、約10年先の第一次世界大戦(1914~1918)にて応用されることになるのです・・。
しかし司馬遼太郎曰く「日露戦争の当事者であった我が国とは、その後から、どうもおかしな方向に行き始めた。」とのことなのです・・。
さらに、その後に勃発する第一次世界大戦の戦禍を我が国は殆ど全く被らなかったことから、それらを経験した国々との間に戦争、戦闘に対する観念、思想にズレが生じ、それが紆余曲折を経て太平洋戦争(1941~1945)の開戦、そしてそこで経験するさまざまな戦禍の遠因になったとも考えることが出来るのです・・。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しています。」