2016年8月31日水曜日

20160831 過去と現在のギャップ

A「通常でしたら、職務のことについてブログ記事には記さない方針ではあるのですが、本日は少し書いてみようと思います。

本日は、実家周辺を廻ったのち、一度出社し、資料(しりょうと変換するとはじめに試料と出てくる・・(笑)。)をそろえた後、御茶ノ水に行き、そして飯田橋までJR総武線にて移動し、そこから徒歩にて半蔵門まで行き、地下鉄半蔵門線に乗り、渋谷まで行きました。

渋谷は相変わらずの大変な雑踏でしたが、これにも随分と慣れ、目的とする場所に着きました。

そして、この目的地にて伺ったお話しが極めて興味深く、途中、民俗学を専攻していた時の習性からか、これを録音したいという衝動に駆られました・・(笑)。

この時伺ったお話しとは、主に当地域の過去についてのことであり、その中には高名な歌人、作家等が出てきて、それはこれまでに読んだ、どの評伝等書籍に記されていないことであり、大変興味深いものでした(あたかも山田風太郎の開化物の小説のように)。

そして、それは、まさしく、かつてのこの地域の土着文化の記憶についてであり、また、それと同時に、それはこれまで私があまり扱ったことのない、東京(渋谷周辺)についてのものであったため、そのように感じたのではないかとも思われます・・。

面白いことにこうしたお話しをひとしきり伺うと、私は少し酔った、興奮したような状態になり、そこを辞し、そのままの状態にて再び渋谷の街の雑踏に呑み込まれ、歩きはじめました(そういえば、こうした状態とは、和歌山在住時のヒアリングの際は度々ありました。)。

そうした酔い、興奮が冷めやらない状態にてテレビ番組の収録にて、大物お笑い芸人を囲んだ人だかりに出くわし、その横を通ることになりましたが、それはあまり眼中に入らず、一瞥ののち、歩みを緩めず、そのまま通り抜けました・・。

そしてそのまま歩いていると、不図「こうした私の状態とは、もしかするとフェデリコ・フェリーニ監督の映画「ローマ」の狂言回しのようであるかもしれない・・。」と思いました・・。

この時に私が感じたのは、この渋谷という場所における過去と現在の強烈なギャップであったと考えます。

通常、我々は、そうしたことを日常生活において特に意識しておりませんが、上に示すような契機(過去と現在のギャップ)により、そうしたことを強く感じますと、その思いとは一時的にではあるかもしれませんが、人の心を支配するのではないかと思います・・。

あるいはまた、異郷在住時の不図した契機にて惹起される郷愁の念なども、それと類似する性質を持っているのではないかと考えられますが如何でしょうか・・?

そして、そこから下に示す筑摩書房刊・橋川文三著「ナショナリズム」からの一節です。

ISBN-10: 4480096876

ISBN-13: 978-4480096876
P.28
『このような形成過程からも想像されるように、郷土感情の方は人間のパーソナリティの内部に深く潜在しており、何かの折にふれて湧然とよみがえるという場合が多い。
ミヘルスの伝えているエピソードであるが、フランス軍に加わっていたスイスの傭兵隊は、しばしば異常な郷愁のパニックにおそわれ、算を乱して脱走、帰郷していったことがあるという。そのため、スイスの民謡のあるものを歌うことは、死刑によって禁止されていたともいう。』

我々の心とはなかなか面白いものです・・(笑)。
あるいはまた、こうしたことは、以前のブログ記事にて記しましたゲーテがローマ滞在時に法王庁の役人から聞いたという『人間は始終心の中に様々な考え、想念を持っていないと(意識が分裂していないと)おかしくなってしまう。』の意味合いにも通じる何かがあるのかもしれません・・。

しかし一方、様々な音楽、芸術といったものは、どちらかというと我々を感動させ、そして心を統一させるような性質がその根源にあるのではないかと思われます。

そうしますと、我々の意識とは、分裂しているぐらいの状態が日常生活をおくる上においては適しているのでしょうが、時には音楽、芸術などによって、その統一を図る習慣を持っていないと、時によっては重要なそうした心の状態(統一された)あるいはそれに至る方法を忘れてしまい、結果として、心そのものが荒廃、劣化してしまうのではないかとも考えさせられますが如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」