2022年3月30日水曜日

20220329 中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.18-21より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.18-21より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600274
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600271

西アジア地域に対抗して絶えず反撥的に発展して来たヨーロッパ地域はもともと西アジア地域より分裂して発生したものである。この分離独立を完成した中心力は古代ギリシャの都市国家群であった。ヨーロッパの古代史的発展もまた、最初の国家形態として都市国家なるものを有し、しかしてこの都市国家は、その傍らに西アジア地域の先進文明を控えたる為めに、絶えずその刺激を蒙ること強く、都市国家的性格を比類なき高度にまで発揚するを得た。これギリシャ古典文明が他地域の古代に比して卓越せる所以であったのである。しかしてギリシャにおける都市国家的性格の強さは、一方においてその政治的大同団結を妨げる原因ともなった。ギリシャ都市国家群の指導者たるアテネもスパルタも遂にギリシャ民族の統一を完成してこれを大帝国に鎔鋳することが出来ず、ギリシャはその世界史的任務において、単にヨーロッパ地域を西アジア地域より分離せしめたるのみにして止まり、ヨーロッパの古代史的発展の完成は、更に西方に起りたるローマ民族の出現を待たねばならなかったのである。

 かつてギリシャの盛時、アテネの海上勢力を背景としてその指導の下に所謂デロス同盟が成立し、宛然たる海上帝国の観を呈したが、その範囲は東地中海に限られ、かつ継続すること幾くもなくして、同じギリシャ国家スパルタの反撃に遭い、脆くも雲消霧散してしまった。然るにこのギリシャ文明の余波を受けて更に西方、地中海中央に突出せるイタリア半島に勃興したのがローマ帝国である。ローマは初めフェニキア植民地カルタゴと地中海を隔てて相争い、先ず西地中海岸を平定して後、東地中海に向い、ギリシャ諸国及びエジプトを征服し、更にシリアを併合して、ここに東西地中海の大統一を完成した。ヨーロッパ地域の古代史的発展はギリシャに始まり、ローマによって達成せられた。しかしてローマはこの大統一を完成せる暁、もはや古の都市国家でもなく、人民共和国でもなく、宛として西アジアの古代ペルシャ王朝に擬する大帝国に変形していた。実年代をもってはかるならばローマ帝国の完成者ケーザルの時代は、ペルシャのダリウス大王に後れること約500年である。

 ヨーロッパ地域が大統一に向って驀進する時は、あたかも西アジア地域が既に古代史的発展を終って中世に入り、分裂的傾向の顕著に現われいたる時代である。この相異なる二つの減少の間には、何かしら必然的な相互依存関係が存在することを推察せしめる。恐らくそれは、両地域の中間に位するシリア地方の向背が鍵となっているであろうと思われる。即ちヨーロッパ地域は西アジア地域に向ってその領域を拡大し、従来は西アジア地域であった小アジア、シリア地方からエジプトまで含めて、その傘下に収め、西方に大ローマ帝国が出現すると同時に、旧西アジア地域は著しくその領域を縮小されたのである。領域の拡大はいよいよその内部における交通貿易を旺盛ならしめる反面、領域の縮小された地域では景気の下降、生産の不振が起り、それが商業の衰微とあんり、地方の分裂を招き、いよいよ景気の下降を招来するという悪循環に陥るのである。

 ヨーロッパと西アジアとは、この時にはシリアを支点としたシーソーの形となり、ヨーロッパが上がれば上がるだけ、西アジアが下降するという関係におかれていた。さりながら、両者を比較した時、文化の伝統の深さは勿論、同日にして語ることは出来ない。シリア、小アジアはもちろん、これに隣接するギリシャ、エジプトもまた古い文明の栄えて社会の発展の進みたる地域である。さればローマ帝国の内部においては、文明の潮流は東地中海より西地中海に向って動いた。しかして更に大いなる文明の動きは、西アジアの政治様式のヨーロッパ地域への輸入であった。原来はローマ共和国の市民代表者に過ぎざる歴代のケーザルは、西アジア地域と接触する間に、次第にその外貌を改め、王衣を着け玉座に上り、その実質もまた純然たる東方流の専制帝王と化した。東方の経済もまた、ローマ的古代市民社会を変質させて行った。ローマが政治力と軍事力とによって搾取した地方の金銀貨は、いったんローマに運ばれたが、それはやがて東方の物資を購入するために流出を続けた。東方における組織された大農地経営の生産物に圧倒されて、イタリアの小農、自作農は次第に没落して行ったのである。所詮、人為的な好景気は永続きしない。ヨーロッパは先進地域たる西アジアがかつて辿った運命に追従しはじめ、ローマ帝国は大ケーザルの出現以後約300年にして東西分治のことあり、漸く遠心的分裂的傾向を示し、この傾向は更に100年を経て、北方よりするゲルマン民族の侵入によって決定的なものとなった。東ローマ帝国が僅かにバルカン半島東西近傍を保って、ローマ文明の命脈を維持するを除き、帝国の領土は挙げて侵入者の占領割拠する所となり、四分五裂して、ここにヨーロッパ地域古代史の終焉を見るのである。時に西紀375年、西アジアにおける古代史の終末に遅れること約700年である。

2022年3月28日月曜日

20220328 株式会社blueprint刊 宮台真司著「崩壊を加速せよ」「社会が沈んで「世界」が浮上する」pp.179-181より抜粋

株式会社blueprint刊 宮台真司著「崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する」pp.179-181より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4909852093
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4909852090

日本は、1970年代後半以降の製造業一人勝ちのラッキーによる右肩上がりの継続が、新自由主義的方向へのシフトを妨げて旧自民党的な再配分政治を継続させ、チェルノブイリ事故が他人事に思えたラッキーが、1990年代以降の「食とエネルギーの共同自治」を妨げた。
 
 むしろ欧米の動きとは対照的に、1980年代半ば以降の日本は、一方でコンビニ化&ファミレス化に象徴される「市場依存」が進み、他方で日米構造協議の末に日本政府が応じた430兆円の公共事業に象徴される「行政官僚制依存」が進んで、共同体が空洞化し続けた。

 1989年から91年にかけて冷戦体制が終わり、グローバル化という資本移動自由化が進んだことで、91年のバブル崩壊以降の日本では、「社会の穴を辛うじて埋め合わせていた経済」が回らなくなり、社会の穴ー共同体空洞化ーが、ひたすら顕在化するはめになった。

 それが、英国の三倍、米国の二倍にも及ぶ高自殺率をもたらし、昨年(2010年)話題になった高齢所在不明問題や乳幼児虐待放置問題をもたらし、孤独死や無縁死をもたらすことになった。システム(市場と行政)がうまく回る「平時」を、永続するものだと自明視化したツケだ。

 丸山眞男の言葉を使えば、まさに「作為の契機の不在」だ。システムは自明ではない契機がたまたま噛み合うことで辛うじて回るに過ぎないのに、ここに川があり、あそこに山があるかの如く、また、太陽がいつも東から昇るが如く、単なる自然だと見做す傾向を意味する。

 システムは偶発的契機のセットが与える「ありそうもない秩序」であるがゆえに、システムが回らなくなった場合を想定して、「食の」「エネルギーの」「資源の」「技術の」「文化の」安全保障の観点から共同体自治を確保することが大切だが、日本には無縁な営みだった。

 震災は、被災者支援においても、市場と行政に依存し過ぎた社会の脆弱さを突きつけた。支援物資が集まっても配分に手間取る。義援金が集まっても支給開始が遅い。共同体自治に支えられた市町村や、市民自治に支えられたNPOが、欧米よりも圧倒的に脆弱なことが関係する。

 阪神淡路大震災後の仮設住宅では、極めて多数の自殺や孤独死が生じた。物資の配給や就労などの経済的自立だけでは、人は生きていけない。そのことを教訓として織り込んだ被災者の定住化政策ー共同体自治への包摂ーも、日本では全く議論の対象になっていない。

 共同体自治や市民自治の不在ゆえに困難な支援物資配分を、ツイッターでの交流が助けた。それもあって「空洞化した地域や家族の共同性をネットの共同性が埋める」という類の幻想が拡がっている。若手論者に多いこうした議論はそれ自体がシステムへの過剰依存ぶりを示す。

2022年3月27日日曜日

20220326【架空の話】・其の90 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑩】

医専大口腔保健工学科からの見学とのことから、結果的に、やはり技工室の見学により多くの時間が割かれ、その後、院内見学を一巡すると、時刻は17:00を過ぎていた。

CH院長は見学の途中で何度か診察や電話などの所用のために中座されたが、やがて戻って来ては、また設備や機器の説明を続けてくださった。おそらくは、元来が説明や話し好きの性分であるのだと思われたが、説明から続いた雑談で、国際情勢に関する話題やユヴァル・ノア・ハラリの著作などについても、ごく自然な感じで触れたため、人文系上がりの私としては、それらのハナシにかなり惹き付けられたが、今回の私の役回りは、あくまでもE先生の補助であることから、少なくとも、ここでは静かにしておいた方が良いと考え、黙っていた。

E先生の方は、技工室を含めた院内各所でさまざまな質問をされていたが、とりわけ、小児専用の治療スペースや、メンテナンス専用のマイクロスコープを備えたチェアが並んだスペースでは、いろいろと訊ねられていたが、おそらくこれらは、大学での職務であると同時に、御自身の開業などに備えてのことであったのかもしれない・・。また、さきの技工室にてE先生は技工士長のHDさんとも会話をされていたが、そこで共通して知っているHK教授の名前が挙がった。

こちらの教授は、E先生が学部に在籍されていた頃は歯学科におられて、後に口腔保健工学科が新設されると、そこに移り、教授になられた先生であり、また、専門分野が歯科生体材料学であり、研究、教育にくわえて、講演や執筆活動なども比較的活発にされていたことから、界隈では著名と云える先生であるが、この技工士長のHDさんの修士課程での指導教員が、こちらのHK先生であったということを聞いてE先生は驚いておられた。また、HDさんがこちらの医院に勤務するようになってからは、院内勉強会での講師としてHK先生を招いたとも聞き、こうした様子も、いかにも首都圏、東京といった感じを受けたが、ともあれ、こうした一民間医療機関が、先ほどのKA先生を顧問として招聘し、また、HK先生を院内勉強会での講師として招くといったCH院長の目的はよく分からなかったが、あとになり色々とお話を伺っていると、何となく繋がってきた。

CH院長は、さきのKA先生の門下であり、同時に、今回の出張初日に実験打合せのために訪問した**歯科大学のOBでもあった。また、こちらの院長の大変興味深いと思われる点は、臨床を日常とする歯科医師であるにもかかわらず、自分の専門領域のみに拘泥することなく、さまざまな分野の方々と積極的に交わるようしていることであり、これは、これまでの一連の会話を聞いていた分かったが、また、そうした一つの顕われが、さきの国際情勢やハラリの著作についての言及になったのだろうと思われるが、ともあれ、そうした話題の中で特に興味深く思われた医専大に関するトピックは以下の通りであった。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。








2022年3月26日土曜日

20220325【架空の話】・其の89 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑨】

14時半過ぎに院長室を後にした我々は、まず、同じフロアにある技工室に案内された。技工室は概ね20畳ほどの広さがあり、部屋中央には技工机6つが置かれ、歯科技工士スタッフが4人、それぞれの机にて何らかの技工作業を行っていた。また、空いている2つの机の一つは空いているとのことで、もう一つの方はスタッフが休日とのことであった。

また、技工室では、これまでに実物を見たことがなかった新型のPCに接続する切削加工機器や、医療機器としての認可を受けた3-Dプリンターなどが設置され、それらの用途概要についてはCH院長から説明を受け、また、詳細な説明については技工士長にして頂いた。

また、ここで驚かされたのは技工士長が比較的若い女性であったことであり、一連の説明を受けた後にE先生が、技工士長に対して、こちらの医院に勤務するまでの経緯を訊ねると
以下のような返答であった。

「はい、私はTMD大学の口腔保健工学科の学部を出て、さらにマスター(修士課程)に進み、そして歯科系企業であるY社に入社しまして、主に納入機器のメンテナンスや、技術営業などといった業務に従事していましたが、入社2年目に、納入機器のちょっとした不具合のメンテナンスのため、こちらの医院に訪れることになったのですが、その際、事前に上司の更に上司である取締役に呼ばれ「あそこの医院は、先端的な取組みも色々と試みているし、また、我が社の新規開発途中の機器についての臨床的アドバイスも色々と頂いていることから、出来れば熱心に取組んで欲しい。それと、現場で何か問題が起きたら、すぐに私の携帯電話まで連絡をください。」とのことで、そこから、会社上層部とも繋がりのある医院さまであることは分かりましたが、実際に訪問してみますと、置いてあるさまざまな設備には驚かされました。さらに口腔保健学科に在籍していた同期が歯科衛生士として、こちらで勤務していることが分かり、久しぶりに会って話しをしたところ「ここの医院では、色々と先端的な取組みが出来て、研究や学会発表などの活動に対しての理解もあり、支援もしてくれるとのことでこちらに決めた。」とのことであり、その後もメンテナンスや機器の操作説明のために、こちらを訪問させて頂いていたある時、先ほどの同期の歯科衛生士から「最近、ウチの歯科技工士さんが何人か定年退職されたのだけれども、まだ補充が見つからずに、院長は「この機会に歯科用CAD/CAMシステムやミリング・マシンを導入し、さらに、そうした一連の機器について、ある程度詳しい、若手の歯科技工士さんに来てほしい。」と云っていたから、もし、あなたが応募して採用されたら、すぐに技工士長になれるかもしれないわよ。」とのことで、それで、先のことを色々と考えまして、こちらに勤務させて頂くことにしたのですが、入職後に分かったことですが、この時、同期の歯科衛生士は、CH院長から「Y社からメンテナンスで時々こちらに来られる、あの歯科技工士さん、知り合いだったら勧誘して頂きたいのですが・・。」と頼まれていたということでした・・。」とのことで、こうしたことも、何やら「首都圏、東京ならでは」といった感じを受けたが、ともあれ、この技工士長HDさんによる機器についての説明や、そのほかのハナシはもう少し続き、時刻は15:32となっていた。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。















2022年3月25日金曜日

20220324 岩波書店刊 岩波現代文庫 ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.10-13より抜粋

岩波書店刊 岩波現代文庫ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.10-13より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4006003889
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006003883

過去数世紀において、戦争の目的とはなんだったのか?戦争は敵を打ちのめすために行われてきた。それは敵の敗北から利益を引き出し、こちらのー特定の結果を得るために特定の方法で行動するというー意図を、敵の意図を実現不可能にするような方法で戦術的・戦略的に実現するために行われてきた。その目的のためには、配置可能な兵力すべてを戦場に送ることができるようにしなければならなかった。最後には、こちらと敵のあいだで戦闘が行われた。他者の中立、つまりわが方の戦争が戦争が第三者に迷惑をかけない(しかもある程度かれらが利益を得ることができる)という事実は、こちらが自由に作戦を遂行するために必要なことだった。クラウゼヴィッツの「絶対戦争」でさえ、この制約からは逃れられなかった。

 「世界戦争」という概念が生まれたのは、ようやく今世紀のことである。それはポリネシアの諸部族のような、歴史のない社会をも巻き込むような戦争を指すものだった。原子力、テレビ、航空輸送の発明によって、そして多様な形態をもつ多国籍資本主義の誕生によって、戦争の不可能性をしめす条件がいくつか証明されることになったのである。

1 核兵器は、核による抗争に勝者は存在せず、あるとすれば地球という敗者だけであると万人に納得させるものだった。しかし、まず原子力戦争がエコロジーに反するものであると気づけば、ついで、あらゆる反エコロジカルな戦争は原子爆弾によるものと同じであり、結局いまやどんな戦争も反エコロジカル以外の何ものでもないと納得がいくはずだ。原子爆弾を投下する(あるいは海を汚染する)者は、中立の人びとにだけでなく、地球全体に宣戦布告することになる。

2 戦争はもはや敵対するふたつの戦線のあいだで起こるものではない。アメリカのジャーナリストたちのバグダッドでのスキャンダルは、規模の大きさからいえば、反イラク同盟諸国に生きる何百万というイラク・シンパのイスラム人のスキャンダルに等しい。かつての戦争では、潜在する敵対勢力は拘禁(あるいは抹殺)されたし、敵地にあって敵の利を説いた同胞は、戦後、絞首刑に処せられたものだ。しかし戦争はもはや、多国籍資本主義の本質そのものによって、正面衝突にはなりえない。イラクが複数の西欧企業によって武装したことは偶然ではない。これは成熟した資本主義の論理に適ったものであり、個々の国家による統制を免れるものだった。アメリカ政府は、テレビ取材班が敵の思惑に乗せられていると判っても、相も変わらず、共産主義シンパの頭でっかちの陰謀によるものだと信じていた。対照的にテレビ取材班のほうは、「新聞だ、おやじ、あんたには止められないさ」と言いつつ、裏切り者のギャングに輪転機の音を電話ごしに聞かせるハンフリー・ボガートよろしくヒーローを気取っていた。しかし情報産業の理論において、情報は商品であり、しかも劇的であるに越したことはない。メディアは戦争に笛を吹くことを拒絶したわけではない。メディアは単に、回転軸にまえもって転写されていた音楽を演奏している自動ピアノにすぎない。こうしていまや、補給路にはどんな敵が待ち構えていても不思議ではないという、あのクラウゼヴィッツでさえ受け入れられなかったであろう事態が戦争に生じている。

3 メディアが言論を抑圧されるときでも、さまざまな新しい通信技術が阻むことができない情報の流通を可能にするーそれは独裁者にも阻止できないものだ。このために活用される最小限の技術的基礎設備は、その独裁者にしても手放せないものだからだ。こうした情報流通は、伝統的な戦争においても諜報活動が果たしてきた機能を担っている。つまり奇襲攻撃をことごとく無効にする点においてであるーおよそ敵に奇襲をかけられない戦争などありえないはずだ。およそ戦争は敵に対して知恵をはたらかせるように仕向けるものだ。しかし情報はそれ以上のはたらきをする。絶えず敵に語りかけ(あらゆる軍事政権の目的は敵側のプロパガンダを阻止することにあるのだから)、自国政府に関して個別的に市民を意気阻喪させる(一方クラウゼヴィッツは、勝利の条件は全軍人の道徳的結果であると説いた)のである。過去の戦争はすべて、市民たちが戦争を正しいと信じ、敵を倒すことを願ってやまないという原理にものづくものだった。ところがいまでは、情報は市民の信頼をゆるがすだけでなく、敵の死よりもまず自分たちの心を痛ませるものとなっているーそれはもはや遠くのぶんやりした出来事ではなく、目に見える堪えがたい出来事なのだ。

2022年3月24日木曜日

20220323 中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.353-355より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.353-355より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600274
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600271

世界地図は西洋人の探検の進捗にしたがって次第次第に海岸線が正確に詳細に描かれるようになるが、世界中で最も製図の遅れた部分は大洋州と、それから北海道・カラフトの一角とである。日本の領土の辺陬が世界で一番知られない所であったという事実はそもそも何を物語るであろうか。それは取りも直さず、日本が世界の端になったのである。もう一つ言いかえると、世界文化の大きな動きの中で、日本はもう一度、世界のターミナルになったのである。事実、近世の日本は、まだ十分近世化していないで、多分に中世的な性質を残しているところへ、中国の近世と西洋の近世とが折り重なって流れこんだのである。むしろ、二つの外来の近世に影響されて、日本の近世は近世たり得た、と言ってもよい。

 ところで、この近世日本のターミナル文化と比較してみたときに、どんな相違がその間に見出されるだろうか。古代日本のターミナル文化は後世に素晴らしい傑作を残している。法隆寺や新薬師寺、東大寺の建築、仏像はいうも更なり、正倉院の御物、宮中伝来の雅楽など、燦然たる大陸文化の光輝を伝えている。もっともこれを古代というのは日本の立場からで、大陸からいえばせいぜい中世文化にすぎぬが、それにもせよ、大陸では既に滅亡して跡形ないものが日本にはほとんどそのままの鮮やかさをもって伝来し、時にはそのままの生命のいぶきさえ感じ取られることは実に驚くべき事実である。

 ところが近世の日本には、その雛型となった中国の近世も、西洋の近世も、別に誇るに足る傑作を残しておらぬのである。それは単に滅び去ったためばかりではない。たとい京都に南蛮寺が残っていたとしても、それはヨーロッパの田舎町の教会堂に比べることさえできぬ代物であったであろう。これはやはり受入れ当事者の地位によることである、古代日本においては大陸文化の受容者は主権者、貴族を中心としたグループであったので、権力と財力とを背景として、大陸の上流文化を根こそぎ移し植えたのである。その上に当時の中国は貴族時代で、文化も分散的であったため、あまりに容積の大規模なものは流行らない。長安の貴族の生活も、揚州の貴族の生活も、杭州の貴族の生活も、程度において大した変りがなかった。同様に日本の貴族の生活も中国のそれとあまり大きな逕庭はなかったのである。だから仮に法隆寺をそのまま、唐の長安へ持って行っても、決して最高級ではなかったであろうが、またさして見劣りもしなかったであろうと思われる。光明皇后の使った鏡は、楊貴妃の使った鏡とほとんど同じものである。

 ところが近世日本の権力者は、外国文化を輸入するよりも、流入を阻止するに努力した。これでは傑作のできるはずがない。日本の大名たちは化物の出そうな天守閣を背景にこしらえて、その下にただ在来の建築を大きく引き伸ばしたに過ぎない邸宅に住んで満足していた。明・清の北京宮殿を真似しようともせず、ベルサイユ宮殿を模倣しようとも考えなかった。甚だドライな野人だったのである。ただ幕府や諸大名の力で建立された黄檗山万福寺が、中国の近世を移植した唯一の例とでも言えようか。但しこれも大した上等品ではない。


2022年3月22日火曜日

20220321【架空の話】・其の88 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑧】

E先生と私は席から立ってCH院長を待っていると、すぐにドアが開いて、白衣を着た人物が二人入ってきた。一人目の人物がおそらく院長であると思われるが、その身長はあまり高くはなく、おそらく170㎝ほどであり、また体格については身長に比べ肩幅が広く、頭髪は若干額が後退気味ではあったものの、白髪は少なく、おそらく年齢は40代後半であるように思われた。そして、その人物が我々に「ええと、D先生からのご紹介の先生方ですよね。」と、ハリのある元気な声で訊ねてこられた。そこでE先生は「はい、こちらがD先生からの紹介状となります。」と返答されて、背広の内ポケットから、さきに預かった名刺を取り出し、D先生が記した面を上にしてCH院長に手渡した。

それを受け取ると院長は両面をきちんと確認してから、あらためて「・・了解しました。それで、こちらがK医療専門職大学のE先生で、そして、もう一方がK大大学院の**さんですね。」と訊ねられた。E先生と私はほぼ同時にハモりつつ「はい、そうです。」と返答し、続いてE先生が「本日はご多忙のところお時間を設けて頂き、どうもありがとうございます。それで、こちらはつまらないものではありますが、先生をはじめ医院の皆さまで召し上がってください。」と云い、私はそれを察して「かるかん」が入った蒸*屋の紙袋を二つとも静かに差し出すと、E先生は阿吽の呼吸のように、二つとも受け取り、そしてCH院長に渡しつつ「こちらはK名物の「かるかん」というお菓子です。二つありますので、よろしければ皆さまで召し上がって頂ければと思います。」と述べられた。すると院長は、受け取られた二つの紙袋を、丁寧に受け取ってから、もう一人の白衣の人物に渡しつつ「おお!「かるかん」は私もよく知っていますよ。Kの美味しいお菓子と云えば、これは外せませんからね。どうもありがとう!それと、この人はKの北隣の熊本県の出身でね、と白衣の人物の肩を片手で叩いて云った。すると、この「かるかん」の袋を受け取った人物は、我々にお辞儀をしてから「私はTOと申しまして、今年から、こちらの医院にて臨床研修医として勤務しています。本日は九州の大学からお客様がお見えになるということでCH院長から呼ばれました。院長は診療や所用にて中座されることもあるかもしれませんので、その際には、どうぞ私にお問合せ頂ければと思います。」とのことであった。するとE先生は早速「ははあ、TO先生ですか、どうぞよろしくお願いします。それでTO先生は熊本のどちらの御出身ですか?」と訊ねると「はい、市内のK大学K髪キャンパスの近くになります。」との返事であった。するとE先生は「・・ああ、あのあたりですが、じゃあ都会っ子ですね。それで、何故、こちらで臨床研修医をされているのですが?」と続いて訊ねると「ええ、大学が飯田橋のN歯科大学でして、実家の熊本でも大学病院以外のすぐれた臨床研修施設があったのですが、このまま実家の方に戻って臨床研修医になってしまうのは、どうも面白くないように思いまして、また、歯科医療においても訪問診療がこれからさらに重要になってくると思い、一般の外来診療と共に訪問診療にも注力している臨床研修施設をさがしましたところ、こちらの医院のことを知り、そうした経緯があって現在、臨床研修医として勤務しております。」とのことであった。

CH先生は、そこから「ええ、当医院では、かねてより訪問歯科診療にも力を入れていまして、まあ、これは私の専門でもある歯科補綴学分野とも直接つながるところですから・・。それに当院では今年度から私の指導教員であったKA先生に顧問として勤務して頂いていますので、**歯科医学会界隈での先生方には最近、本当に少しだけ知名度が上がったようにも感じられますね・・。」とハナシを繋がれたが、こうしたある意味、一介の民間医療機関に、さまざまな方々が引き寄せられている現象の背景にあるものの方に私は興味を抱いたが、E先生の方はCH院長やTO先生に「ああ、こちらのお隣のデスクにKA先生が居られるのですね。」といった雑談をされていた。

また、その雑談からこちらの医院には、さまざなな地方出身の若手歯科医師、歯科衛生士(Cさんの様に)そして歯科技工士が勤務されているとのことであり、とりあえずは医院内全般の見学をということになり、我々は持参の荷物を置き、ノートと筆記用具とスマートフォンだけを持ち、CH先生を先頭にして14:33に院長室を後にした。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。


















2022年3月20日日曜日

20220320 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」上巻 pp.181-183より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」上巻 pp.181-183より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309227368
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309227368

人々が信じなくなった途端に消滅してしまいかねないのは、貨幣の価値だけではない。同じことが法律や神、さらには一帝国全体にも起りうる。それらは、今、せっせと世界の行方を決めていたかと思えば、次の瞬間にはもはや存在しなくなったりする。ゼウスとヘラはかつて地中海沿岸では絶大な力を誇っていたが、今日では何の権威も持たない。誰も両者を信じていないからだ。ソ連はかつて全人類を滅亡させられるほど強力だったが、いくつかの署名によってその存在に終止符を打たれた。1991年12月8日午後2時、ヴィスクリ近くの国有の別荘で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの指導者がベロヴェーシ合意に署名した。その合意には、「我々、ベラルーシ共和国、ロシア連邦、ウクライナは、1922年に連邦結成条約に署名したソヴィエト社会主義共和国連邦の設立国家として、国際法の対象と地政学的現実としてのソヴィエト社会主義共和国連邦がその存在を終えることを、ここに確定する」とあった。それでお仕舞いだった。ソ連はもはや存在しなくなった。

 貨幣が共同主観的現実であることを受け容れるのは比較的易しい。たいていの人は、古代ギリシャの神々や邪悪な帝国や異国の文化の価値観が想像の中にしかないことも喜んで認める。ところが、自分たちの神や自分たちの価値観がただの虚構であることを受け容れたがらない。なぜなら、これらのものは、私たちの人生に意味を与えてくれるからだ。私たちは、自分の人生には何らかの客観的な意味があり、自分の犠牲が何か頭の中の物語以上のものにとって大切であると信じたがる。とはいえ、じつのところ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。

 意味は、大勢の人が共通の物語のネットワークを織り上げたときに生み出される。教会で結婚式を挙げたり、ラマダーンに断食したり、選挙の日に投票したりといった、特定の行動は、なぜ有意義に思えるのか?それは、親もそれが有意義だと考えているし、兄弟や近所の人、近くの町の人々、さらには遠い異国の住人までそう考えているからだ。では、なぜこれらの人々はみな、それが有意義だと考えるのか?それは、彼らの友人や隣人たちも同じ見方をしているからだ。人々は絶えず互いの信念を強化しており、それが無限のループとなって果てしなく続く、互いに確認し合うごとに、意味のウェブは強固になり、他の誰もが信じていることを自分も信じる以外、ほとんど選択肢がなくなる。

 それでも、何十年、何百年もたつうちに、意味のウェブがほどけ、それに代わって新たなウェブが張られる。歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとって人生で最も重要に見える事柄が、子孫にはまったく無意味になるのを理解することだ。

2022年3月18日金曜日

20220318【架空の話】・其の87 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑦】

E先生は、背筋を伸ばし、背広の襟を正してから「じゃあ、行きましょうか。たしか三階が医院オフィスでしたね・・。」と私に云いつつ、さきほどの親子連れが下りてきたェレベータ―の方へと行ってボタンを押した。私もE先生に続いて、すぐにやってきたエレベーターに乗った。エレベーター内には、おそらくは患者さん向けであろうと思われる勉強会のポスターが貼ってあり、その講師は、接触嚥下機能のリハビリテーション界隈では最近時折名前を聞き、また、補綴系専門雑誌での連載記事などによって知られるようになりつつある、いわば新進気鋭の先生であり、その所属は、さきほど、お茶の水駅に停車した電車内からE先生が示したTMD大学であったが、そのポスターにある勉強会の開催場所は地域の公民館となっていた。そこから、おそらく、地域の歯科医師会の先生方が発案、交渉して開催にまで至った案件であるように思われたが、それでも、そうした勉強会に、さきの新進気鋭の先生が(私からすれば)気軽に参加出来るような地域の環境は、やはり、Kとは若干異なるように感じられた・・。

ともあれ、エレベーターは我々が目指す医院オフィスの三階に着いて、E先生を先頭にして下りると、すぐに下足スペースとなっており、そこでスリッパに履き替えるようになっていた。また、その下足スペース以外には、オフィスなどによくある、毛足が短いタイプの暗色カーペットが敷かれていた。くわえて、エレベーターを下りてすぐ目に入る壁には当日の来客予定者が記されたボードがあり、そこにはK医療専門職大学口腔保健工学科助教 E先生、K大学大学院歯科生体材料学研究室**様と、我々の名前も書かれており、少し嬉しくなったが、E先生の方は、落ち着いた様子にて周囲を見回して、近くにいた事務スタッフと思しき方に「すいません、本日院長先生と14:00に面談のお約束を頂いておりますK医療専門職大学のEおよびK大院の**と申しますが、院長先生に来訪の旨をお伝え頂けますでしょうか?」と声を掛けたところ「あっ、承知しました・・。では、スリッパに履き替えて頂いて少々お待ちください。」との返事があり、一端すぐにオフィス・ルームへ戻り、そこから10秒もしないうちに再び出てきて「じゃあ、先生方どうぞこちらへ、現在、CH院長は診療中ですが、もうしばらくすれば空くとのことでしたので、どうぞ院長室で、お掛けになってお待ちください。」と、我々は院長室に通された。院長室とは云っても、当医院の敷地自体、そこまで広くはないことから、それはE先生がいるK医専大 口腔保健工学科の研究室と、どこか似たような感じを受けた。

その様子は、院長用ともう一つ、同じタイプの机が横二つに並んでおり、そして、その背後には本棚が三つ置かれて、それらには歯科医療分野をはじめとして、医療を主とした法律分野、そして組織運営・マネジメント分野での著作などが並べられていた。また、それら書籍の間には、認定証や記念品のようなものが、おそらくはバランスを考慮して、いくつか置かれていた。

こうした院長室の様子を眺めていたE先生は、手に提げていた鞄から、おもむろに持参してきたと思しき歯科学会誌を開き、しばらく頁を繰っていると「おお、そうか!ここの医院のことだったんだな・・。」と一人で納得された様子であったことから、その開いた頁を覗きこむと、そこには、昨日私が訪問した**歯科大学の教授であり、補綴系某歯科医学会の会長もされていたKA先生による寄稿文が載せられていたが、その名前の横に記載の所属が「**歯科大学**学講座主任教授」ではなく、単に「CH歯科医院」となっていたが、E先生は、この机の並んだ状態から、このことを類推されたのだと思われるが、そう、その片方の机の上には、学会長を務めた際の記念品や、その他国際学会などの際に受けられたと思しき賞状や飾り楯などが置かれ、その様子は、かなり凝縮した教授室といった趣と評しても良く、また、そうした、いわば学会での重鎮を迎え入れている当医院の院長が更に少し気になったものの、E先生の方は、早々に、我々にお茶を持って来てくださった、さきとは違う事務スタッフの方に「すいません、あちらに(机上や本棚の間に置かれた楯や記念品を指差し)にお名前があるKA先生ですが、こちらは**歯科大学のKA教授のことでしょうか?」と訊ねられていた。すると、スタッフはすぐに理解されたようで「はい、KA先生は今春に**歯科大学を定年退職されて、その後は当医院で週に四日間、本日は生憎お休みですが、医員兼顧問として勤務して頂いております。」との返事であった。その様子から、おそらく、この質問はこれまでに何度か受けられていたように思われるが、たしかに同業者であれば、これは少しは気になるところであるとは云えよう・・。

さて、E先生は、元来、こうした場ではあまり話さない方ではあるものの、さきのような背景事情を知り、またこれまでに見た医院内の様子を見た感じからか、私の方に向かって小さな声で「うーん何だか、ここの院長先生は面白そうな感じがしてきましたね・・。」と話されたが、その表情は全く変えずに、また視線も、全然関係のない方向を向いていた。

さきにも少し触れたがE先生は、どちらかというと直情径行で率直な方ではあるものの、こうした場面においては、このようなすっ呆けた態度も出来るのだなと少し驚いたが、E先生はそれには気付きも、構いもしない様子にて、出されていたお茶に手をのばした。そして私もそれに倣い、お茶を飲もうとすると、はじめにE先生が声を掛けたスタッフの方がこちらの方へ小走りでやってきて「今、CH院長が空きましたので、すぐ準備をして、こちらに参りますので、もう少々お待ちください。」と我々に伝えて、すぐに去って行った。

E先生は背筋を伸ばし、若干肩を張って「はい、分かりました!」と元気よく返事をして、我々はまた待つことにした。時刻は14:07であった。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。








20220317 緊張を強いる状況に対しては・・

先月末、東欧にて勃発した戦争は今もなお続き、そして昨夜には、我が国の主に関東・東北地方において大規模な地震が発生し、くわえて、二年前より続いているコロナ禍の状況もあり、あるいは世界規模において、現在と云う時代に生きている人びとは、ある種の「緊張」を強いられているのではないかとも思われます。

この「緊張」とは、どうも楽天的になれる要素が見当たらず、他方でまた、改良すべき問題点などが明確に分かっていない、いわば、どうにもならない時によく生じるものと思われます。そしてまた、そうした状態において、党派的な競争心がぶつかり合うと、その社会において競争的退行が始まってしまうのではないかとも思われます。

つまり、現在、我々の周囲のいくつかの状況は、我々に緊張を強いるものではあると云えますが、その緊張によるストレスから、何らかの攻撃性を外に向け、そしてまた、そうした動きが社会全体にて広がりますと、その社会自体が、いずれ、良からぬ方向に行ってしまうのではないかと思われるのです・・。

それ故、この緊張を強いられる状況を、どのように理解、解釈すれば良いのかと考えてみますと、そこで一つ有効であると思われたことは、そうした状況の中にある、自分が何らかの興味・関心を持ち得る要素を見出し、それについて、自分なりに調べてみることにより、おそらく、さきの緊張をいくらか和らげる効果があるのではないかと思われました。

つまり、この緊張をもたらす原因に対して能動的にのぞむことが効果的であると思われるのですが、この「能動的にのぞむ」ということが、まさに人によって得手不得手があり、たとえば、運動がある程度得意であると自らで認識していなければ、それ(運動)に対して能動的にのぞむことは困難であるように、自らの状況を構成するものの検討から、それに基づいた経緯のより大きな物語の作成なども、そうしたことにある程度慣れている専門の方々に委ねる方が良いのでしょうが、しかし、そこで重要であると思われることは、そうした専門の方々の意見を、自分なりに理解、解釈することであると思われます。

それを換言しますと、専門家の見解を自らの価値基準と併せて自分のコトバで説明できることが大事であると思われるということですが、そうした自分のコトバも、まさに議論などを通じて、徐々に培っていくものだと思われますが、かねてよりのコロナ禍もあってか、そうした「場」自体もヴァーチャルなものとしようとすることは、今のところ、何か間違っているように思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。








2022年3月16日水曜日

20220316 岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.11-13より抜粋

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.11-13より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003226216
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003226216

 作家はそもそも物を書くようになる以前に、すくなくとも多少は一生ついてまわる感情的な姿勢を身につけるはずである。言うまでもなく、作家である以上は自分の気質を律して、未熟な段階や偏った気質を脱するように努力するのは当然である。しかし若いころに受けた影響から完全に脱却してしまうなら、物を書く衝動自体の命を断ってしまうことになるだろう。

 生活費を稼ぐ必要を別とすれば、物を書くにはー少なくともそれが散文の場合ー大きく分けて四つの動機があると思う。その四つには作家によって程度の差があり、一人の作家についても、時に応じてその生活環境によって比率が変わるだろうが、以下にそれを並べてみる。

一、純然たるエゴイズム。頭がいいと思われたい、有名になりたい、死後に名声をのこしたい、子供のころに自分をいじめた連中を大人になったところで見返してやりたいといった動機。こういうものが一つの動機であること、それも強い動機であることを否定して格好をつけてみたところで、それはごまかしでしかない。その点では、作家といえども科学者、芸術家、政治家、法律家、軍人、大実業家ー要するに人類の最上層にいる人間と、なんら変わるところはないのだ。人類の大部分はそう自己中心的ではない。三十をこす頃になると個人的な野心など捨ててしまいーそれどころか、そもそも個人としての意識さえ捨てたのも同然になってー他人の生活のために生きるおうになるか、骨が折れるだけの労働の中で窒息してしまうものだ。

ところが一方には、少数ながら死ぬまで自分の人生を貫徹しようという決意を抱いている、才能のある強情な人間がいるもので、作家はこの種の人間なのである。れっきとした作家はだいたいにおいて、金銭的関心ではかなわかくとも、虚栄心となるとジャーナリスト以上につよく、自己中心的だと言っていいだろう。

二、美への情熱。外的な世界のなかの美、あるいはまた言葉とその正しい排列にたいする感受性、ある音とある音がぶつかって生じる衝撃、すぐれた散文の緻密強靭な構成、あるいはすぐれた物語のもっているリズムを楽しむ心。自分が貴重で見逃せないと思う体験を他人にもつたえたくなる欲望。こういう美的な動機にきわめて乏しい作家はいくらでもいるが、半面パンフれれっとや教科書の執筆者にも、功利的な理由とはかかわりなく自分が好きでたまらない言葉とか句があるものだ。あるいは、活字の組みとか、ページの余白のあけかたなどにうるさいといったばあいもあるだろう。鉄道の時刻表ならともかく、それ以上の本には、かならずなんらかの美的関心がはらわれているものである。

三、歴史的衝動。物事をあるがままに見、真相をたしかめて、これを子孫のために記録しておきたいという欲望。

四、政治的目的ーこの「政治的」はもっとも広い意味で用いる。世界をある一定の方向に動かしたい、世の人びとが理想とする社会観を変えたいという欲望。このばあいも、なんらかの政治的偏向がんまったくない本というのはありえない。芸術は政治にかかわるべきではないという主張も、それ自体が一つの政治的な態度なのである。

こうしたさまざまな衝動がたがいに矛盾せざるをえないこと、また人により時代によって変わるのが当然であることは言うまでもあるまい。性格とは大人になるまでに身についた状態だと解するなら、わたしは、四番目の衝動よりもさいしょの三つの衝動がつよい性格の人間である。平和な時代だったなら、おそらく凝った文章を書くか、単に事実を詳しく書くだけに終わって、政治的誠実などということはほとんど意識することさえなかったかもしれない。ところがそうはいかず、否応なしに一種の時事評論家になってしまったのである。まず、はじめは五年間、自分には不向きな職についた(ビルマで、インド帝国警察に勤務)。それから貧困と挫折感を味わった。その結果、生まれつき権威にたいして持っていた憎悪の念がつよまって、労働階級の存在をはじめてほんとうに知ったのである。それにビルマ勤務のおかげで、帝国主義の本質についても多少理解できるようになっていた。だが、これだけの理解では、まだほんとうの政治的な作家になることはなかっただろう。ところが、そこへヒットラーが登場し、スペイン戦争が起るといったことがつづいたのだ。



2022年3月15日火曜日

20220315 中央公論社刊 岸田秀著 「歴史を精神分析する」pp.48-50より抜粋

中央公論社刊 岸田秀著 「歴史を精神分析する」
pp.48-50より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122048753
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122048751

いずれにせよ、明治政府は、藩という自閉的共同体を潰して日本を欧米諸国に似せた近代国家にしようとし、はじめのうちは、めざましい成功を収めた。
 しかし、一神教の伝統がないということもからんでいるであろうが、近代的統一国家はどうも日本人の肌に合わず大きな無理があるらしく、わたしが言うように、いったん潰れた自閉的共同体が歪んだ形で復活するにつれて、日本は変な方向にずれはじめるわけである。
 たとえば、日本軍は日清日露の両戦役には勝利を得たが。昭和になると、何のためかよくわからずに、ずるずると日中戦争の泥沼にはまり込み、ついには工業生産力が十倍以上のアメリカと戦争をはじめ、大惨敗を喫する。この違いは、昭和になると日本軍部が自閉的共同体になってしまったことに起因するとわたしは考えている。

日清日露両戦役時代の日本軍の上層部は、薩長出身者が主流を占めていたものの、それぞればらばらな地方の下級武士階級の出身者が多く、軍部として一つの共同体を成しておらず、生まれたばかりの新しい日本国家に忠実であることができた。

ところが、昭和になると、陸士海兵を優秀な成績で卒業したエリートが軍部官僚となり、同窓生の関係や血縁のほかに相互の頻繁な通婚もあって一つの自閉的共同体を形成した。自平定共同体となった軍部は、すでに述べたように、もはや日本国家と国民のためではなく、軍部の栄光のために(陸軍は陸軍共同体の、海軍は海軍共同体の栄光のために)戦うことになり(しかし、そこに自己欺瞞が働いて日本のために戦っているつもりである)、とんでもない戦争をついやってしまうのである。 

中国戦線から撤兵しなかったのも、国益のためではなく、いったんはじめ、多大の犠牲者を出した戦争を大戦果をあげることなく中止するのは軍の面子にかかわると思ったからであろう。

とくに日米開戦後の中国戦線においては、たとえば阿南惟幾中将が強行した第二次長沙作戦のように、国の全体的戦略としては不必要なのにもかかわらず、太平洋戦争で他の部隊が華々しい戦果をあげるのを見て、「おれのところも何か手柄を立てたい」との功名心から遂行された作戦が多い。
 この第二次長沙作戦では、日本軍は六千名の無意味な損害を出した(これは、国のための国民のためには不必要なのにもかかわらず、官僚の権限拡大のため、退職官僚の天下り先の確保のため、めったやたらといわゆる公益法人をつくり、税金を無意味に乱費する現在の省庁とまったく同じ構造である)。
 また、大東亜戦争中の日本軍部ほど兵士の損耗を気にとめず国民の生命を軽んじた軍部は他に例を見ないが、それは、自閉的共同体は共同体の外部の人たちに無関心で、兵士や国民は外部の人たちだからであった。


2022年3月14日月曜日

20220314 株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン著 石塚雅彦・小林恭子 訳「チャーチル・ファクター」 pp.195-197より抜粋

株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳「チャーチル・ファクター」 pp.195-197より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4833421674
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4833421676

チャーチルはイギリス精神、つまりは不屈の魂そのものに生まれ変わりつつあった。あのふっくらと丸みのある頬、陽気さが漂う上向きの唇、実直そうな目を思い浮かべていただきたい。200年以上にわたり、ヨーロッパのどんな敵に対しても、荒っぽくも陽気な典型的イギリス国民として描かれるあの恰幅のいい紳士、ジョン・ブルがチャーチルに乗り移ったかのようだった。チャーチルは18世紀のナポレオン時代から出版物やプロパガンダで使われたこの典型的イギリス人像を思い起こさせる資質をふんだんに備えていた。

 ずんぐりとした体型、陽気で騒がしく、贅沢な暮らしを愛し、多くの人がうんざりするくらいの愛国心がある。しかしこの度を超えた愛国心こそ、第二次世界大戦の危機の最中において、最も必要なものだった。チャーチルのライバルとされた政治家ハリファックス、チェンバレン、外交官スタッフォード・クリップス、イーデン、アトリ―。彼らの愛国心はその域には達していなかった。

 当時、ほかのイギリスの政治指導者がトミー銃を手にし、その姿を写真に撮られていたらただではすまなかっただろう(実際に、今でも銃を手にして写真を撮られるのは政治家にとっては絶対の御法度とされている。銃に触ろうものなら広報担当者が金切声を出すだろう)。どの政治家も銃を持って様になるほどの威厳に欠けていたし、チャーチルのような個性、外見、カリスマ、切れ味を持っていなかった。

 戦時に国を主導し、深刻な不安感が広がるなかで国民を一つにまとめるには、政治家は、深く感情に訴える手法で「国民とつながる」必要がある。抗戦する理由を論理的に訴えるだけでは十分ではなかった。勇敢であれと強く勧めるだけでは不十分だった。

 国民を振り向かせ、励まし、焚き付ける必要があった。国民を笑わせ、さらに敵を笑えるようにできればなおよい。国民を動かすには、チャーチルは国民とイギリスの基本的な国民精神ともいうべきものを通じて、どこかで一体になる必要があった。

 ではイギリス人の主たる特徴とは何か。イギリス人たち自身にいわせればこういうことになろう。まずはどこかの国の人々とは違って、素晴らしいユーモアの感覚がある。シェークスピアが「オセロ」で酷い飲酒の歌をイアーゴやカッシオに歌わせてからというもの、イギリス人はオランダ人を泥酔させ、デンマーク人を酔い潰すほど酒が強いことを誇りとしてきた。イギリス人はまた、過度にやせている人には若干の不信感を持つ傾向がある(今やイギリスは世界第二の肥満体国だ)。そして一般的に、イギリス人は、自分たちの国は奇人、変人、変わり者の宝庫であると考えている。

 チャーチルの山高帽の下には、ユーモア、大酒のみ、肥満、変わり者という四つの特徴すべてが収まっていた。1940年時点でのチャーチルの役割を考えると、興味深いのは彼のこうした性格がそれだけ作為的だったのかという点だ。すべてが完全に無意識に自発的に発生したのだろうか?あるいは、チャーチルは本当に自己演出、情報操作の達人だったのだろうか?

公の場でのチャーチルの光り輝くような個性は、チャーチル本人とその関係者がつくった伝説であったという見方をする人は少なからずいる。ただひとついえるのは、チャーチルの不遜さ、時に棘のある機知といった性格はまさにジョン・ブルそのものであった。


20220313 地域を特徴付けるものの考察と日常経験としての読書の意味

これまでに作成した【架空の話】にて、苗字から、その方の出身地を類推する描写がいくつかありましたが、こうした興味自体は、以前、ホテルにてフロントとして勤務していた頃からあり、たとえば、ある地域からの団体宿泊客が来訪の際、その添乗員もしくは幹事の方から、宿泊客の名簿をお預かりすることが多く、その名簿を眺めていますと、ある同じ苗字が複数見つかることがあり、そして、そうしたことが続きますと、次第に「ああ、この地域には、この苗字が多いのか・・。」といった、ある種の抽象化を行うようになります。

一たび、そうした抽象化を覚えますと、今度は、それをホテル宿泊客以外の日常生活においても用いるようになり、あまり多くはありませんが、その方の苗字から、出身地域を見出したこともあります。さらに、これまた、いくつかの記事にて述べましたが、ある地域に在住し、しばらく経ちますと、その地域特有の顔貌の傾向の種類なども、ボンヤリとながら分かるようになり、それはまた、n数が増えることにより、そのボンヤリが、わずかに明晰化され、そして、より実感として、さきの苗字と同様「ああ、この地域には、こういった顔貌の傾向が多いのか・・。」といった感覚を得るに至りますが、それでも、こうした認識には総じて「完全」というものはなく、とにかく、具定例としてのn数を増やしていくことにより、その精度を徐々に上げて「完全」に近づけるのが最善であるように思われます。

さて、この「顔貌の地域性」ですが、それらしき感覚を覚えるようになったのは、これもまた南紀でのホテル勤務の頃であったと記憶しています。南紀白浜は、古くからの温泉地であり、また海水浴場もあることから、特に夏季での観光客が多く、また勤務ホテルに隣接する白良浜の一帯は、さらに人口密度が高く、その中を行き来しつつ、フロント業務を行っていました。また、この時季はホテルとしては書入れ時でもあり、あまり休日も取れず、たしか22日間以上の連続勤務もありました・・。とはいえ、こうしたことは、現在になって責める気は全くなく、また、当時の我が国の少なからずの企業は、実質的には、そのような感じであったのではないかと思われます・・。

そうした視点からすると、たしかに我々の社会は変化しているのだと実感しますが、ともあれ、ハナシを「顔貌の地域性」に戻しますと、その後、大学院生として今度は和歌山市内に在住、生活をしていますと、また、そうした関心が生じてきましたが、この時は「顔貌」に、その関心を集約させることはなく「他の地域を特徴付ける(説明し易い)事物を見出そう」と考え、その対象としたものが、当ブログにて何度か述べている銅鐸でした。銅鐸への関心自体は、それ以前の南紀在住時からあったものの、それはいわば漠としたものであり、地域を特徴付ける事物として認識はしていませんでした。とはいえ、後になって考えてますと、そうした方向性の志向や統合を受けていない、いわば「混沌とした知覚の状態」といったものが、さまざまな実験曲線でのプラトーのようにあるのではないかとも思われてくるのですが、ともあれ、こうして私は、日常的な経験から銅鐸を当地域を特徴付けるものと設定した次第ですが、その背景には(一応)日常的な経験として、銅鐸に関する記述のある書籍を読んでいたということがあります。そして、ここまで作成していて、日常的な経験として、あまり実生活には密着し過ぎないで、且つ、ある種の事実を記述した文章を読み続けることが、意外と重要であるように思われてきましたが、さて如何でしょうか。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。






2022年3月13日日曜日

20220312 地域にて特有の傾向やパターンについて・・

昨日は病み上がりの感が少しありましたが引用記事を2本、新規にて作成・投稿しました。そして、本日に関しては「記事作成をせずに何冊かの書籍を読み進めた方が・・」と考えていましたが、さきほど、当ブロガーでの閲覧者数を見たところ、かなり以前に投稿し、また、ここ最近ではツイッターでの連携投稿もしていなかった、いわば「半ば忘れていた」とも云える記事がいくつか閲覧されていたことから、本日に関しても、何かしら作成しておけば、後日、誰かに読んで頂けることもあるかもしれないと考え、気を取り直し、現在作成している次第です・・。

とはいえ、上述の「半ば忘れていた記事」が(何故か)閲覧されていることは、本日以外にも度々ありましたが、本日に関しては、その「半ば」が無い方がより適切と云える記事が読んで頂けていたことから、また少し新鮮に、こうした感覚を抱くのだと云えます。そして、そうした記事を具体的に示すことも検討しましたが、そうした記事を提示して、それが閲覧された理由などを考えることは、私としては多少面白いかもしれませんが、その過程をいくらかは興味を惹くようなカタチにて文章化が可能であるかと考えたところ、困難と思われたことから、これは実行せずに、その代替として先日ツイートした「こちらはまた手を加えて、新たな記事にしたいと」を実行しようと思います。

さて、国内であれ世界規模であっても、それまで慣れ親しんだ地域や場所から離れて他所に移り住み、そこでしばらく暮らしていますと、その地域や場所に住む人びとの顔貌や身体での特徴的な、ある種のパターン、もしくは傾向のようなものが認められるようになるのではないかと思われます。

そして、現在のように各種交通網が発達していなかった、つい200年ほど以前の社会においては、当然の如く、人びとの移動も現在と比較すると乏しく、そこから、より一層そうした地域にて特有の顔貌や身体的特徴のパターンや傾向を、強く認識することが出来たのではのではないかと思われます。

また、そのような認識の延長にあるものが、古語で大和朝廷側でない、いわば列島内東部での蛮族を示すコトバとしての毛人、蝦夷(えみし)といったものであると思われます。こうしたコトバは古語らしく直截的にその身体的特徴(毛が多い、エビのよう)を述べていると云えます。

そして、それら地域には、そうした身体的特徴が系譜のように、今なお続いているのではないかと思われますが、そこに、さきのパターンや傾向を関連付けることにより、ある方面からの、その地域の歴史の流れのようなものを認識することも可能であるように思われます。

しかしながら現代に至っては、人の往来も過去の時代と比較すると(概ね)活発であると云え、そこから、古来からの地域特有の身体的特徴なども認識し難い状況になっていると云えます。

自分の記憶から、あらためて、こうしたことを思い出そうとしますと、関西、九州、四国の何れであっても、それら地域の身体的特徴を真似することは困難であることから、地元の所作、コトバ使いなどをはじめとする、文化全般を真似ようと試みましたが、関東人によるそうした試みは、九州以外ではあまり歓迎されるものではなく、さらに、こちらもなかなか表面的な同化が出来ないことに苛立ち、次第に開き直り、そして、自前の人工的とも云える関東弁にて押し通すようになりました。

さらに、その結果として、それぞれ在住していた地域において、自分を「異邦人」であると強く認識するようになり、そして、それら在住する地域を殊更に客体化して見る姿勢が身に着いてしまったのではないかとも思われるのです・・。

しかし、このいわば自然に覚えてしまった習癖、あるいは視座のようなものは、出身地に戻ってからは、今度は、自分の出身地に対して向けられるようになっていましたが、私見としては、この経験が思いのほかに重要であったのではないかと、最近になっては思われるところです。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。







2022年3月12日土曜日

20220311 集英社刊 サミュエル・ハンティントン著 鈴木主税訳『文明の衝突』上巻 pp.292-297より抜粋

集英社刊 サミュエル・ハンティントン著 鈴木主税訳『文明の衝突』上巻
pp.292-297より抜粋

ISBN-10: 4087607372
ISBN-13: 978-4087607376

ロシアを別とすれば、旧ソ連の共和国のなかで人口が最大で最も重要な国は、ウクライナである。歴史上、ウクライナが独立国だったことは何度もある。だが、近代の大半はモスクワが政治的に支配する地域の一つだった。決定的な出来事は1654年に起きた。ポーランドの支配にたいするコサック人の反乱を指導したボグダン・フメリニツキーが、皇帝に忠誠を誓うことに同意し、その見返りとしてポーランドにたいする反乱の支援を受けたのだ。そのときから1991年までのあいだ、1917年から1920年の短い期間に独立共和国だった以外は、いまのウクライナにあたる地域は政治的にモスクワの支配下にあった。だが、ウクライナは異なる二つの文化からなる分裂国だ。西欧文明と東方正教会の文明をへだてる断層線がウクライナの中心部を走っており、しかもその状態は何世紀もつづいている。かつてウクライナ西部は、ときにはポーランドやリトアニアやオーストリア・ハンガリー帝国の一部だったこともあった。国民の多くは東方帰一教会の信者であり、東方正教会の儀式を行うが、ローマ教皇の権威を認めている。歴史的に、西部のウクライナ人はウクライナ語を話し、民族主義的な考え方をする傾向が強い。他方、東部のウクライナ人は圧倒的多数が東方正教会系であり、大部分がロシア語を話す。1990年代前半には、ウクライナの全人口の22%をロシア人が占め、ロシア語を母語とする人びとが31%を占めた。小中学校も、ロシア語で教育しているところが多数を占めた。クリミアは圧倒的多数がロシア人であり、1954年までロシア連邦の一部だったが、その年にフルシチョフがウクライナに帰属させた。建前のうえでは300年前のフメリニツキーの決意を認めたということである。

 ウクライナの東部と西部のちがいは、そこに住む人びとの意識にあらわれている。たとえば1992年末に、ウクライナ西部のロシア人の三分の一がロシアにたいする敵意に苦しんでいると答えたが、キエフでそう答えたのはわずか10%だった。東西の分裂が劇的にあらわれたのは、1994年7月の大統領選挙だった。現職のレオニード・クラフチュクは、ロシアの指導者と緊密に協力しあいながらもみずからを民族主義者と称していたが、西ウクライナの13州で勝ち、得票率が90パーセントを超えたところもあった。対立候補のレオニード・クチマは、選挙戦のあいだにウクライナ語の演説を練習し、東ウクライナの13州をクラフチュクに匹敵する得票率で獲得した。クチマは最終的に52%の得票率で当選した。事実上、1994年のウクライナの国民は1654年のフメリニツキーの選択をわずかの差で承認したことになる。この選挙は、あるアメリカ人の専門家によれば「西ウクライナのヨーロッパ化したスラブ人と、ロシア系スラブ人の考えるウクライナの理想像との分裂を反映し、それを明確にしさえした。それは民族の分裂というよりも、文化のちがいなのである」

 この分裂のために、ウクライナとロシアの関係には3通りの発展の可能性が考えられた。1990年代前半、両国のあいだには決定的に重要な問題が存在した。それは核兵器をめぐる問題であり、クリミア問題であり、またウクライナに住むロシア人の権利や、黒海艦隊や経済的な関係の問題であった。多くの人びとが武力衝突を予想し、そのために西欧の評論家のなかには、西欧はウクライナの核兵器保有を支持してロシアの侵略を防ぐべきだと主張する者もいた。しかし、重要なのが文明であるなら、ウクライナ人とロシア人とのあいだに武力衝突が起こることは考えられない。両者ともスラブ人で、大半が正教会系であり、何世紀にもわたって緊密な関係を保ち、両者のあいだの結婚もごく普通に行われている。大いに論争を呼ぶ問題をかかえ、どちらかの国にも過激な民族主義者の圧力がかかっているにもかかわらず、両国の指導者は努力を重ねて、こうした紛争の鎮圧におおむね成功している。1994年半ばのウクライナの選挙で、ロシア志向を明確にした大統領が選ばれたことにより、両国間の対立が激化する可能性は低くなった。旧ソ連の他の地域ではイスラム教徒とキリスト教徒のあいだに深刻な争いが起って、ロシアとバルト三国のあいだでも緊張が高まり、戦闘も勃発している一方で、1995年現在、ロシアとウクライナのあいだには武力衝突は事実上一度も起こっていない。

 二つ目の、もっと実現の可能性のある道は、ウクライナが断層線にそって分裂し、二つの独立した存在となって東側がロシアに吸収されるというものだ。分離問題が最初にもちあがったのは、クリミアに関してだった。クリミア共和国は人口の70%がロシア人であり、1991年12月の国民投票では、ウクライナのソ連からの独立にたいする支持がかなり高かった。1992年5月にクリミア議会はウクライナからの独立を宣言することを決議したが、ウクライナの圧力でその決議を撤回した。しかしロシア議会は、1954年のウクライナへのクリミア半島割譲を撤回すると決議した。1994年1月、クリミアでは「ロシアとの統合」を主張していた候補者が大統領に当選した。これによって一部の人びとが抱いた疑問は、「クリミアは第二のナゴルノ=カラバフやアブハジアになるのだろうか」というものだった。その答えは明確な「ノー!」だった。クリミアの新大統領が、独立を問う国民投票を実施するという公約をしりぞけ、キエフの政府と交渉したからだ。1994年5月、クリミア議会が1992年の憲法の復活を決議し、ふたたび難しい局面を迎えた。その憲法は、事実上ウクライナからのクリミアの独立を認めるものだったのだ。だが、このときもロシアとウクライナ双方の指導者が自制して、この問題が暴力に発展するのを防ぎ、二か月後にロシア寄りのクチマがウクライナの大統領に選ばれたことにより、クリミアの分離運動はおさまった。

 しかし、この選挙によって、ますますロシア寄りになりつつあるウクライナから西部が 分離する可能性がでてきた。ロシア人のなかには、それを歓迎する者もいるようだった。ロシアのある将軍はこう言った。「ウクライナ、というよりも東ウクライナは、5年か10年、あるいは15年のうちに戻ってくるだろう。西ウクライナなどどうにでもなれ!」だが、そのような東方帰一教会の影響下にありながら西欧寄りであるウクライナが存続できるのは、強力かつ効果的な西欧の支援がある場合だけだ。そして、西欧がそのような支援をするのは、西欧とロシアの関係が極度に悪化し、冷戦時代に似た状況になった場合だけだと思われる。

 三つ目のさらに可能性の高いシナリオは、ウクライナが統一を保ち、分裂国でありつづけ、独立を維持し、おおむねロシアと緊密に協力しあうというものだ。核兵器と軍隊の移転の問題が解決すれば、最も深刻な長期的問題は経済に関するものとなり、部分的に共有する文化と緊密な個人的関係によって、その問題の解決がうながされるだろう。ロシアとウクライナの関係が東欧にもたらすものは、ジョン・モリソンが指摘したように、フランスとドイツの関係が西欧にもたらすものと同じだ。後者が欧州連合の核をなすのとちょうど同じように、前者は正教会系の世界の統一に不可欠な核なのである。

2022年3月11日金曜日

20220311 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.281-283より抜粋

東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.281-283より抜粋
ISBN-10 : 4488010512
ISBN-13 : 978-4488010515
 

電灯・・・当時、愚かな連中は未来がすぐそこにあるように感じていた。エジプトで地中海と紅海を結ぶ運河が開通して、アジアに行くのにアフリカを迂回する必要がなくなった(迂回航路が不要になって、多くの正直な海運会社が被害を受けることになる)。万国博覧会が開催された。その建築物を見ると、オスマンによるパリの解体工事はまだ序の口だったと思われた。アメリカでは東から西まで大陸を横断する鉄道の敷設が完成しようとしていた。ちょうど黒人奴隷が解放されたところで、この下等民族が国全体を侵略して、ユダヤ人よりひどい性悪の混血の溜まり場に変えてしまうに違いない。アメリカの南北戦争で潜水艦が登場し、水兵は溺死ではなく窒息死するようになった。両親の世代が吸っていた立派な葉巻は貧弱な紙巻煙草に変わり、一分で燃えつきて喫煙者の愉しみは消え失せた。しばらく前からフランス兵士は金属の箱に保存されて傷んだ肉を食べていた。アメリカでは、水圧ジャッキで建物の高層階に人を運ぶ密閉された小部屋が発明されたという噂だった。-土曜日の夜にジャッキが故障してその小部屋に人が二晩閉じ込められ、水と食料どころか空気がなくなって死んでいるのが月曜日に発見されたというニュースさえすでに届いていた。

 生活はますます便利になり、誰もが喜んでいた。離れた場所にいながら会話できる機械や、ペンを使わずに書く機会の研究が進んでいた。偽造すべき原本というようなものがこの先も存在するのだろうか。

 人々は香水店のショーウィンドゥに見とれていた。ワイルドレタスの樹液には肌を若がえらせる効果があるとされ、キナの増毛効果が称賛された。バナナのポンパドゥール・クリーム、カカオ脂の乳液、パルマ・スミレの白粉、これらはいずれも色っぽい女性をさらに魅力的にするために発明されたものだが、今ではお針子娘も使っていた。多くの仕立て屋で彼女たちに代わって縫い仕事をする機械が導入されはじめたので、お針子娘は愛人になる用意ができていたのだ。

 新時代の唯一の興味深い発明は、座って用を足せる陶製の便器だった。

 しかしこの私にしても、こうした目に見える人々の熱狂ぶりが帝国の終焉を示していたことに気づいていなかった。万国博覧会でアルフレート・クルップは見たこともない巨大な大砲を展示した、50トンの重量があり100ポンドの砲弾が発射可能だった。皇帝はとても気に入ってクルップにレジオン・ドヌール勲章を授与したほどであったが、ヨーロッパ各国に売りつけようとしていたクルップから武器の価格表が送られてくると、なじみの兵器会社を持っていたフランス軍上層部から注文を取りやめるよう説き伏せられた。一方、プロイセン国王がこれを購入していたことは言うまでもない。

 ナポレオン三世はかつての判断力を失っていた。腎臓結石のせいで、乗馬どころか食事も睡眠も取れず、保守派と妻の言いなりだった。彼らは今でもフランス軍が世界一だと信じていたが、実際は40万人のプロイセン軍に対してせいぜい10万人の兵士がいただけだ(あとになってわかったことだが)。すでにシュティーバーはシャスポー銃に関する報告書をベルリンに送っていた。フランスではシャスポー銃が最新鋭の小銃だと考えられていたが、実際はすでに博物館行きになりつつある代物だった。しかも、フランスにはプロイセンのような情報組織ができていないというのがシュティーバーの自慢だった。


2022年3月9日水曜日

20220308 読書やブログ記事作成の継続によって見えてくるもの・・【身体感覚?】

ここ最近の記事投稿の様子を見たところ、今月2月に入ってからは6日まで連続にて新規の記事投稿を行っていました。そこで、ここ数カ月での新規投稿の様子を確認したところ、その前の先月2月もまた、これと同程度での新規の記事投稿を何回か行っていることに気が付きました。
自身としては、あまり頑張らずに当ブログを続けて行きたいと考えていましたが、あらためて、これまでの投稿頻度を認識しますと、以前の1000記事到達に至るまでの期間(ほぼ毎日)と同様とまでは行かないもの、期せずとして、また、我が事ではありますが、それなりに頑張ってしまっているようにも見受けられます。

しかしながら、以前にも当ブログにて述べましたように、概ねこの程度の頻度にて新規投稿を行わないと、来る6月22日(当ブログ開始から丸7年)までに当面の目標である1800記事に到達することは困難であると思しきことから、多少先が思いやられはしますが、またしばらく、出来るだけ毎日、何かしら足掻いて作成して行きたいと考えています。

また、残念なことではあるのですが、同じくここ最近は、東欧地域にて国家間の全面戦争が勃発し、世界規模での緊張が高まっているのが現状と云えます。私が生きている間にも、世界の何処かで何度か紛争や戦争は生じていましたが、感覚的には、今回の戦争は、一方から他方へのまさしく侵略であり、しかもそれは、かつて帝国主義の時代での世界分割にも参画していた、いわば古くからの強国の後継国によるものであることが印象的でした。しかし同時に、こうした出来事を契機として、あらためて、この国の我が国に対する、あるいは近年の東欧および中東地域での活動を、書籍などを通じて情報を得て行きますと、徐々にではありますが、それらの中から、共通するいわば連続性のようなものが見えてくるのです・・。

残念ながら、その共通する連続性のようなものは、未だ私の知識・見識が不十分であるため、判然と言語化することは出来ませんが、ともあれ、そうした「見えてくる」といった感覚が、歴史や、より実地に即したものと云える国際関係論などを学ぶ際にとても重要になってくるのではないかと思われるのです・・。

いうなれば、それは一種の身体感覚であるようにも思われますが、こうした感覚の育成においては、どうも我が国は苦手であるように思われるのです。他方において、これもまた身体感覚とも云える医科系の臨床技術などについて我が国は、いかなる文化的背景・文脈によるものか、古くから高水準を維持していると思われます。

そして、ここまで作成していて、不図、加藤周一による「今昔物語」について述べた文章が思い出されてきましたが、その文章は未だ当ブログに引用記事として投稿していませんので、後日あらためて、その文章を記事として投稿したいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。









2022年3月7日月曜日

20220306 昨日投稿記事の閲覧者数から思ったこと【耐性低下を補うもの?】

おかげさまで昨日投稿の記事は、投稿翌日の自身オリジナル記事としては多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、本日は新規での記事作成は止めておこうと考えていましたが、さきの閲覧者数であったことから、何かしら作成しておこうと考えをあらためて、さきほどからPCに向かっています。

昨日投稿の記事により、総投稿記事数が1725に到達していました。そうしますと、先日1700記事到達の際に次なる目標として定めた1800記事までの路程の四分の一にまで達したことになります。

これは、進捗状況としての評価は分かりませんが、ともあれ、このまま記事作成を続け、今月末には1740記事、来る4月末には1760記事、その先の5月末には1780記事、そして、当ブログをはじめてから丸7年となる6月22日には、当面の目標である1800記事まで到達することも、そこまでは困難でなく可能であるように思われます。

異言しますと「当ブログ7開始7年を迎えるまでに、目標である1800記事までの到達が可能」ということになりますが、これは粗く考えて、今後6月22日まで、1月に20+α記事作成することにより達成される目途が立ち得ますが、同時にこれは現在の私からしますと、達成可能ではあるものの、いささかキツイようにも思われます・・。しかし他方で、作成する記事のうち、またいくらかを書籍からの引用、あるいは先日不図思い付いたアイデアになりますが、これまでに作成した各々【架空の話】に、さらに何かしら別の挿話あるいは関連する書籍からの引用などを記事に組み込み、それらを新たな記事としてカウントすることにより、いくらかは、キツさが和らいで、そして達成の目途もより立ち易くなるように思われます。

さて、そのキツさですが、これは年齢の上昇と伴に、その耐性が明らかに低下しており、昨日の投稿記事にて述べた院生時代の講義や実習が重なった日などは、アパートに帰宅して玄関を入ってすぐの場所で、そのまま寝落ちしてしまったこともありましたが、たしかにこれは、前日からの準備なども含めて、また高温の炎を扱うことから、それなりに体力を消耗し、疲労を伴うものであったと云えます。それ故、当時の私はこの時期にだけ、エネジー・ドリンク*ッド・ブルと*カリスエットを1:5程度で割ったものを500mlのペットボトルに入れて持っていました。

そうしたエナジー・ドリンクを飲む習慣がない私からしますと、その効果は明らかにあったと思われますが、同時にその常用はあまりお奨めしません。その理由は、こうしたドリンクは体力を前借りするようなものであり、その後の疲労の具合がより激しいものになると感じられるからです。

他方で、さきに述べた耐性の低下を補うためには、やはり、何かしらの運動が良いのではないかと思われますが、これは現在のところ休日の散歩にて、大抵は5㎞以上、そして多い日には10㎞以上歩いていますので、これは継続しつつ、さらに走ることにより、新たな記事着想を得ることが出来るかもしれないことから、今後、もう少し暖かくなってきましたら、かなり久しぶりではありますが、また走ってみようかと考えています。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。