2020年6月29日月曜日

20200628【架空の話】・其の34

【架空の話】・其の34
これもまた興味深いハナシであり、たしかにそれらの根底には、コトバによってカタチを与えることを躊躇うような、地域性の原型のようなものがあるようにも思われた。さらに「執念」という意味においては、昨日・本日とハナシに出た「娘道成寺」も、かなりイイ線を行くのではないかと思われたが、これは口に出さなかった・・。また同時に、こうした検討や考察を自国の地域に対して行うことが出来るようになることもなかなか大事なことであるように思われたのだが、さて、如何であろうか・・?

さて、その晩はこうしたハナシを遅くまで続け、日が変わる少し前頃から順番で入浴し、歯磨きをして床に就いた。たった二晩のWでの滞在であったが、そこで見聞きした時間(時代)のスパンが長く、また、そのような経験は、これまでになかったことからか、就寝後はすぐにぐっすりと眠りにつくことが出来た・・。

ともあれ、こうした実体験を重ねることにより、おそらく、有機的な血の通ったとも云える地域の歴史の流れを認識することが出来るようになるのだろう・・。そして、それをいくつかの地域に対して行い、さらに、それらの共通する要素を抽出することにより、より広い領域での歴史の流れや大きな傾向といったものも掴むことが出来るようになるのかもしれない・・。

そしてまた、こうした認識を日本や極東そして東アジアなどを対象として行うことが出来るのであれば、それはそれで面白いものになるのだろう・・。また、こうしたはじめの認識を得られたという意味において、今回のWへの訪問は、意義深いものであり、また、それを提案し、案内をしてくれた兄の一種の慧眼には、やはり感謝すべきであろう・・。

翌朝も昨日同様、7:00頃に目を覚ました。この日は月曜日であったが、兄は会社に有給休暇を申請しており、朝食時のハナシでは車で大阪あたりまで送ってくれるとのことであった。元々、この時季は、あまり混雑しないと聞いており、帰路の切符は未だ予約していなかったことから、この提案には躊躇なく喜ぶことが出来たが、その具体的な経路に関しては、未だ検討していなかった。そこで、兄にその旨を伝えると、しばらく間を置いてから「うーん、そうかあ、じゃあ、車じゃないけれど、N海電鉄でS今宮まで出て、そこから環状線でO阪に行って、そこから東海道本線で新大阪に行き、そこで新幹線に乗るルートでいいかな・・。」と経路についての説明をしてくれたが、私としては、その内容が全く分からないことから「・・うん、新大阪まで行って、そこから新幹線で帰るので良いと思うけれど、少しお金が掛かりそうだね・・。」と多少心配そうに答えると「・・ああ、合計で多分15000円くらいになりそうだけれど、高速バス代から足が出そうな分くらいは俺が出しておくよ。」とのことであった。

そこで、朝食の後片付けをして、リビングのテレビを点けたままで出発の準備をしていると時刻は9:00を過ぎていた。兄の方も、あまり急ぐ様子はなく、自室でPCを操作したり、リビングで寛いだりしていたが「じゃあ、10:00前にはここを出ようか?」と訊ねてきた。その予定時刻には何らかの意味があると思われたことかた「うん、分かった。もうすぐ準備も終わるから・・。」と返答し、じきに荷物をまとめて部屋を出た。

兄の方は既に外出の準備は整っており、私が準備を終えて部屋から出てくるのをみとめると、テレビを消し、ソファの背もたれから上半身を起こし、そして、スマホをレザージャケットのポケットに入れ、傍らに準備していた小振りのデイパックを引き寄せて立ち上がった。それに比べると私の荷物は多かったが、昨晩よく眠れたせいか、あまり重くは感じなかった。

兄の家を出発したのは9:30過ぎであり、そこからしばらく歩き、N海W市駅行きのバスが出ている停留所に着いた。時刻は、出勤時間帯から外れていたため、他の乗客と思しき方々も多くはなかった。そこで数分バスを待ってから乗車すると、切符のようなものが出てくるシステムであり、その切符に番号が印字されており、その印字番号の区分により運賃が変わってくるといったシステムであった。

バスは市街地、JRW駅を通過し、10:00過ぎた頃にN海W市駅に到着した。この駅舎は現在改築中であることからか、どうも改札口が変則的な位置にあるように思われた。また、その様子から、長らく工事が続いているJR線の御茶ノ水や飯田橋駅の改札口が何となく思い起こされた・・。

ここではSUICAは使えるようであり、それで入場したが、兄の方も同様に、昔から使っているICカードの入ったパスケースを取り出していた。入場して列車の到着を待っていると兄が「区間急行というのに乗ると早いから、それを待とうか。」とのことであった。

やがて区間急行が到着し、生まれて初めてN海電車に乗車したが、どうも車内の雰囲気など全体的に、首都圏とは違う感じを受けた。こうした感じは上手くコトバで表現することが出来ないものの、それでも異郷で乗る、さきのようなバスや、この電車では、当初、こうした上手くコトバに出来ない違和感を感じることが多いのではないかと思われる・・。

くわえて、停車したり通過する駅名も、こちらではあまり聞かないような響きのものが多く、興味深く感じられた・・。そして、そうこうするうちに電車はS今宮に着いた。思いのほかに早く、時刻は11:30前であった。そこでJR環状線に乗り換え、O阪まで出て、そこから、さらに東海道本線に乗り換え新大阪に着いた。それでも時刻は12:00前であり、早速、新大阪駅構内のみどりの窓口にて学割証明書を提示して新幹線の自由席の切符を購入したが、思いのほかに安く済んだ・・。

そうして兄と新大阪駅構内の土産物売場を徘徊していると、以前にも何度か駅構内で目にした記憶のある「肉まん」を主に販売しているとお店を見つけた。そこで兄に訊ねてみると「ああ、これは関西方面では定番だよね・・。さっきも家で点いていたテレビでCMがやっていたよ・・。味は悪くないし、これを昼ごはんにするのも悪くないね・・。」とのことで、既に何人か並んでいるその店の前に並んで購入し、それを売場近くのフードコートのような場所で食べた。

その味は首都圏の肉まんとは若干異なるものの、大変美味しいと感じた。いや、これよりも美味しい首都圏の肉まんと考えてみるとI新號が思い浮かぶ程度であったが、あれはあれで、また、この肉まんと比較対象としては適切かどうか迷うところだ・・。

そして、食べながら兄にそのことを伝えると「・・うん、まあ、たしかにI新號の肉まんは、それだけで「ご馳走」ってイメージがあるけれども、この肉まんは、まあ云ってみれば、普段着の味だから、たしかにちょっと違うかもしれないね・・。」とのことであった。

新幹線の発車時刻は12:57であり、もうすぐでホームまで行かなければならないが、こちらはあまり頓着せずに、肉まんを食べて、土産物をいくつか見繕っていた。そして、兄が「あ、もうすぐホームに行っておいた方が良いんじゃないか?」と云ってきたのが12:45頃であった。そこで、私は新幹線に乗るべく改札口方面に行き、「それじゃあ、また。」と別れの挨拶を告げると「おお、じゃあ、またな!」といった、ごく軽い調子にて互いに別れ、私は改札口を入ってホームに向かった。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

*さすがに少し疲れましたので、数日間休ませて頂きます。

新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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