2023年11月13日月曜日

20231113 中央公論社刊 石津朋之著「リデルハートとリベラルな戦争観」pp.220-223より抜粋

中央公論社刊 石津朋之著「リデルハートとリベラルな戦争観」pp.220-223より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4120039153
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4120039157

リデルハートの大きな功績の一つは、核兵器を用いたアメリカとソ連の冷戦構造の下で、誰よりも早く非通常戦争、そしてゲリラ戦争の可能性に気付いていた事実である。これは、彼が第一次世界大戦でのイギリスの国民的ヒーロー、「アラビアのロレンス」と親交が深かったこととも関係している。リデルハートは、「戦略論」のなかでゲリラ戦争について次のように述べている。

 戦争とは組織化された行為であり、混乱状態のなかで継続することは不可能である。しかしながら、核抑止力は巧妙なタイプの侵略に対して抑止力として機能し得ないし、それゆえ、抑止力を発揮できない。核抑止力がこのような目的に対して不適切であるため、巧妙なタイプの侵略の生起を刺激し、助長する傾向にある。筆者の金言「平和を欲すれば戦争に備えよ」のリデルハート自身の修正である「平和を欲すれば戦争を理解せよ」に必要な敷衍を加えると、「平和を欲すれば戦争を理解せよ。とりわけゲリラ方式と内部攪乱方式の戦争を理解せよ」となろう。

 この問題をさらに広範かつ深遠に取り扱った著作が、クラウゼヴィッツより一世紀後に登場したが、それがT・E・ロレンスの「知恵の七柱」である。同書は、ゲリラ戦理論に関する名著であるが、ゲリラ戦の攻防上の価値に焦点を当てたものである。

「アラビアのロレンス」として知られるトマス・エドワード・ロレンスは、オクスフォード大学で考古学や中世の十字軍史を学んだ後、大英博物館の中東遺跡発掘調査に参加したが、第一次世界大戦が勃発するとイギリス陸軍情報将校、そして同外務省「アラブ局」の一員として、ドイツの同盟国であるトルコの後方を攪乱する目的で、トルコの支配下にあったアラブ民族の反乱を指導し、その独立運動に献身した人物である。

 第一次世界大戦におけるロレンスの活動については、当時、イギリス国民の士気を高めるためのヒーローの存在を求めていたイギリス政府の思惑のため、そして、その後のロレンスに対するリデルハートの過度な思い入れのため、過大に評価されているのが実情であろう。周知のように、ロレンスを主人公としる映画「アラビアのロレンス」は今日にいたるまで戦争映画の傑作の一つとして高く評価されている。実際、2007年末にイギリスで放映されたテレビ番組「アメリカ映画の名選100点」では第7位にランクされていた。また、ロレンスの著書「知恵の七柱」やその要約版ともいえる「砂漠の反乱」は邦訳されており、そのほかにも彼の評伝が日本語で多数出版されている。著者は個人的に戦車の発展や機甲戦理論に興味があるため、イギリス南部の町ボーヴィントンをしばしば訪問する。ここには「戦車博物館」があるからであるが、この博物館の近郊にロレンスのコテージ「クラウズ・ヒル」があり、ここには今日でも多くの観光客が訪れている。

「アラビアのロレンス」
ロレンスはその著「砂漠の反乱」のなかで、「アラブ人たちがなぜファイサルとともに戦いを続けているかと考えてみれば、彼らの目的はただ一つ、アラビア語を話す人間の住む土地からトルコ人を立ち去らせることにあるのだ。平和な自由を求める理想を彼らをして銃をとらせているのだ。トルコ軍が穏やかにアラビアから立ち去れば、戦いは終わり、血を見る必要もない。立ち去らなければさらに説得の試み、それが無駄なら戦わねばならぬ。その時において初めて、血を見ることになるのだが、人命の損失は最小限に留めねばならぬ。なぜなら、アラブ人は自由を得るために戦うのであり、死んでしまったのではせっかく得た自由を楽しむことができないからだ」と述べている。

 またゲリラ戦争の戦略としてロレンスは、例えば「メディナをおとしいれてはならぬ。あそこをあのままにしておいてやること、本当にかろうじてという程度にである」と述べているが、こうした記述から、なぜリデルハートがロレンスの示した戦略概念に共感を抱いたかが理解できるはずである。 
 リデルハートが高く評価したロレンスの活動であるが、そもそも「アラブの反乱」の目的は、当時のオスマン・トルコ帝国内のアラビア語地域と呼ばれていたところからトルコ人を追い出すことであり、彼らの殺害そのものはまったく無意味なことであった。ロレンスにとっては、犠牲は小さければ小さいほど都合がよいのである。そして、こうしたゲリラ戦争では「重心」を作らないことが重要となってくる。ロレンスが的確に表現したように、砂漠におけるゲリラ戦争はあたかも海上での戦いに類似したものであり、そこでは兵力の温存で損害の最小化が重要とされ、いわゆる「ヒット・エンド・ラン」といった方策が用いられたのである。