2019年5月19日日曜日

20190519 いくつかの著作について思ったこと

昨日、本日と徳島は風の強い日が続き、あまり外出日和とは云えなかったと思われます。
さて、その後2件、書籍からの抜粋引用ですが、新たな記事投稿をしたことから、総投稿記事数は1183に到り、残り17記事の投稿にて1200記事へ到達します。

特に明確な理由はありませんが、1200記事まで到達することが出来れば、あまり後悔することなく、これまでの継続的な記事作成を止めることが出来るように思うのです。とはいえ、そこに至るまで残り17記事程度ありますので、あまり楽観視も悲観することもなく、もうしばらく(1200記事に到達するまで)記事作成を続けていければと考えています。

また、先月から新たにはじめたアメーバブログは、ブロガーでの1200記事到達後も、もう少し続けてようと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

さて、先日来の「翔ぶが如く」は依然第五巻を読み進めており、第五巻では明治新政府の行った官製倭寇とも云える台湾出兵が、清国そして国際社会からの非難に遭い、その後、良い結末に至らず幕引きに到りました。また、ここで第三巻末からたびたび登場する宮崎八郎という肥後国出身の青年が出てくるのですが、おそらく当時は、こうしたエネルギーを持て余している若者が割合多くいたのだと思われます。そして、そうした時代精神と共通するところに、先日から何度か取り上げている中江兆民による「三酔人経綸問答」の背景があると云えます。

いや、あるいは明治初期の新政府は、大隈重信が「書生政府」と評していたように、さきのような元気ある在野の若者と政府の姿勢との間にあまり違いがなかったのかもしれません。そして、良くも悪くも、その後の分水嶺となる出来事が西南戦争であったとも云えます。

こうした国を挙げて全面的に新たなことを行う時代は、その時代の様子を眺める人間からしますと大変興味深く、面白いものであるのですが、しかし同時にそれは、その後20世紀に入り日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争そして太平洋戦争開戦と徐々におかしくなっていく過程の端緒とも云える時代ですので、そこには既に若干苦いものもあるのです・・。

また、ここまで書いていて思い出しましたが、先日、ブロガーの記事の方へはじめてコメントが付きました。三年以上記事作成を行ってきましたが、はじめての出来事でしたので驚き「さて、コメントにお返事をしようか。」とも思いましたがネット上にて会ったことのない方にそうしたことをするのも気が引けるため、とりあえずそのままにしています。

そのため、この場にてお返事を書かせて頂きますと『野上弥生子著の「迷路」は、我が国の昭和十年代を知るために大変興味深く、面白い著作であると思いますので「慎吾のノート」までお読みになったのでしたら、もうすぐではあると思いますが、是非、最後までお読み頂ければと思います。また、個人的には特に垂水多津枝、阿藤三保子の作中の言動、考えが新鮮に感じ、興味深く思いました。』といった感じになります。

そういえば、昨日ブログ記事として抜粋引用しました小泉信三著「共産主義批判の常識」内の記述は、同著者による他の著作においても見られるものであり、また、それは感覚的ではありますが、何かしらスポーツの審判の判定を聞いているような感じを抱かせます。

それを約言しますと、身体性を持たせたコトバの運び方、文体といったことになると思われるのですが、そのことは著者である小泉信三を考えるうえで、なかなか重要なことであるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

~書籍のご案内~
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ISBN978-4-263-46420-5

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~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
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20190519 中央公論新社刊 中公クラシックス 小泉 信三著 『共産主義批判の常識』 pp.96-98より抜粋

『残るところは唯物史観に対する批評である。

人間はたしかに自分で自分の歴史を作るが、それを謂わば真空の内に創造するのではなくて、明日は、必ず昨日の終点である今日の歴史的現実から出発して、その上に築かれる。その与えられた現実そのものは、純然たる自然的条件以外のものは、それ自身人間の作り出したもので、天空から突如として落下したものではない。この意味において自分が作り出したものによって拘束せられ、またそれによって促進もされる。そういう意味において、当然歴史的経過は自由でなく、また偶然でない、といえる。そうしてその「与えられたるもの」の中、生産交通の方法技術、更に広く経済的事情、一般は、極めて重要な地位を占むべきものであるから、このことを強調したものと解すれば唯物史観は史学上争い難き貴重の理論を含んでいる。

ただ、歴史的経過は自由でないということは、ただ一つの行路のみが必至的であり、それ以外は一切不可能だという意味に解すべきではない。もしの歴史的因果の系列が絶対的に変更し難いものとして、将来に向って既に決定しているという意味において、必然的であるならば、一切の人間の努力、従って社会的運動は全く無意識であり、よし歴史は人間の心意を通じて経過するとしても、それがかかる絶対的の意味において必然的であるならば、それは宛も「朝日よ、昇れ」、「四季よ、循れ」といって努力するにも等しいことになるであろう。

マルクス及びマルクス主義者は、革命理論家たるとともに革命実践家たるものである。実践は、厳格な意味の必然とは両立しない。実践は、常に価値ある目的のためにする行為であり、そうしてもしもその行為がなければその目的は達成せられぬという可能性の容認がなければ、全然無意識に帰するものであろう。

そうして見れば、謂わゆる共産主義必然論には、多くの誇張または希望的観測が含まれていると謂わねばならぬ。資本主義社会の発展は、境遇の相同じき被傭者階級を膨大せしむること、生産を大経営に集中せきむること等によって、社会主義の実現を促し、もしくは可能ならしめると見らるべき事情を造るという点において、社会主義に対する或る可能性(possibility)を示すということは慥かに言える。進んで、ひとり可能であるのみならず、或る蓋然性を示すともいうことが出来よう。ここに社会運動の理由がある。


しかしこれが言い得る極限であって、それ以上進んで、共産主義は必然であるということは、政略的揚言か希望的観測に陥るものであって、経験科学の領域内にないてこれを承認せしむべき根拠はない。たしかにマルクスもいう通り、人間は勝手気儘に歴史を作るのではなく、与えられたる材料をもってこれを作るに相違ないけれども、かくして作られる歴史としては、幾多の可能の途が開かれている。その幾多の途の実現公算は同一ではない。その或るものは他のものに比べてより多くの蓋然性を持つ、とまではいうことが出来る。経験科学の領域内において吾々の言い得るところはここに止まり、それ以上に出ることは出来ぬ。』

小泉 信三著『共産主義批判の常識』 (中公クラシックス) pp.96-98より抜粋引用 ISBN-10: 4121601769
ISBN-13: 978-4121601766

20190519 中央公論新社刊 中公クラシックス 陸奥宗光著『蹇蹇録』pp.228-230より抜粋

『この日両国全権の会合終わりおのおの退出ののち、余は明日談判上予め打ち合わせておくべきことあるにより、特に李経芳を留め両人対坐して要談を始めんとしたる際、人あり怱卒戸を排して入り来たり、ただいま清国使臣、帰途、一暴漢のため短銃をもって狙撃せられ重傷を負いたり、暴漢は直ちに捕縛につけり、と報告せり。余も李経芳も事の意外なるに驚き、余は李経芳に対し、この痛嘆すべき出来事に就ては吾儕力のおよぶ限りは善後の策を講ずべし、足下は願わくは速やかに帰館し尊父の看護を尽くされたし、といい別れ、余は直ちに伊藤全権の遇所に到り相伴い清国使臣の旅館に往きこれを慰問したり、李鴻章遭難の飛報、広島行在所に達するや深く聖聴を驚かし奉り、皇上は直ちに医を派し下関に来たらしめ、特に清国使臣の傷痍を治療することを命じ給い、また皇后よりも御製の繃帯を下賜せられると同時に看護婦を派遣し給う等、すこぶる御待遇を与えられたり。かつ翌二十五日、特に左の詔勅を渙発し給えり。

朕思うに清国はわれと現に交戦中にあり。然れどもすでにその使臣を簡派し礼を具え式によりもって和を議せしめ、朕また全権弁理大臣を命じこれと下関に会合、商議せしむ。朕はもとより国際の成例を践み国家の名誉をもって適当の待遇と警護とを清国使臣に与えざるべからず。すなわち特に有司に命じ、怠弛するところなからしむ。而して不幸危害を使臣に加うるの兇徒を出す。朕深くこれを憾みとす。その犯人のごときは有司はもとより法を按じ処罰し仮借するところなかるべし。百僚臣庶それまたさらによく朕が意を体し、厳に不逮を戒めもって国光を損ずるなからんことを努めよ。

聖旨正大公平にして事理明確なるは、敵国使臣して感泣せしめたるべく、またわが国民をしてすこぶる痛惜の観念を起こさしめたり。この事変の全国に流伝するや、世人は痛嘆の情余りてやや狼狽の色を顕し、わが国各種公私の団体を代表する者と一個人の資格をもってする者とに論なく、いずれも下関に来集し清国使臣の旅館を訪いて慰問の意を述べ、かつ遠隔の地にあるものは電信もしくは郵便によりてその意志を表し、或いは種々の物品を贈与するもの日夜陸続絶えず、清使旅寓の門前は群衆市をなすの観あり。これ一兇漢の所為は国民全般の同情を表せざるところたるを内外に明らかにせんと欲するに出ずるものなるべく、その意ものより美しといえども往々いたずらに外面を粉飾するに急なるより、言行或は虚偽にわたり中庸を失うものもまたこれなしとせず。現に日清開戦以後わが国の各新聞紙はもちろん、公会に私会に人々相集まれば清国官民の短所を過大に言いふらし罵詈誹謗を逞しゅうし、ひいては李鴻章の身分に対してもほとんど聞くに堪えざる悪口雑言を放ちおりたる者が、今日俄然として李に対しその遭難を痛惜するにおいて往々諛辞に類する溢美の言語を出し、はなはだしきは李が既往の功業を列挙して、東方将来の安危は李が死生にかかるもののごとく言うに至り、全国いたるところ李の遭難を痛嘆するよりは、むしろこれによりて生ずる外来の非難を畏惧するごとく、昨日まで戦勝の熱に浮かされ狂喜を極めたる社会はあたかも居喪の悲境に陥りたるがごとく、人情の反覆、波瀾に似たるは是非なき次第とはいえ、少しく言い甲斐なきに驚かざるを得ず。李鴻章は早くもこの形情を看破したり。その後彼が北京政府に電報して、日本官民の彼が遭難に対し痛惜の意を表するは外面を飾るに過ぎずといえりと聞けり。余は内外人心の趨向するところを察し、この際確かに善後の策を施さざれば、或は不測の危害を生ずるやも測り難しと思えり。内外の形勢はもはやいつまでも交戦を継続するを許さざるの時機に迫れり。』
蹇蹇録』(中公クラシックス)
ISBN-10: 412160153X
ISBN-13: 978-4121601537