2020年10月11日日曜日

20201011 昨日と本日の紀伊田辺と北海道についての発見

現在読み進めている「羊をめぐる冒険」について、昨日の投稿記事にて取り上げ、その最後に当作品を面白いと仰っていた友人のことを書きましたが、この友人は和歌山県田辺市のご出身であり、大学院修士課程までを和歌山県で過ごし、その後、北海道にある大学の博士課程に進まれました。

この友人は、友人であると同時に先輩でもあり、現在でも「**先輩」とお呼びしています。
もっとも、私の方が遠回りした分、年齢は幾つか上ではありますが、先輩は先輩であり、また、もう一人、この先輩と同じ研究室の別の方(私と院の同期)と輪読会や勉強会をさせて頂いたのですが、この方が、冒頭の友人を常に「**先輩」と呼称していたことから、自然、私もそのように呼ばせて頂いているとも云えます・・。

ともあれ、修士課程院生の頃は、こうした比較的狭い交際範囲の中で生きていましたが、同時にそこでの生活は、自身にとって味わったことのない新鮮なものであり、はじめて自分が研究の現場に立ったと感じ得るような経験でした。

何せ彼らは本当にかつての著名な思想家や経済学者の著作を原書で読み、その意味や文脈について本気で熱くなり議論していたからです・・。

そうした経験を陽光に富み、温暖で種々食べ物も美味しい和歌山にて得ることが出来たことは、それなりに幸運であったのではないかと現在では感じられます。

ともあれ、冒頭の友人は、先輩であることから、私の周囲で初めて博士課程に進むことを決意された方でもあり、そして実際、北海道に渡ることになりました。また、その翌年には先輩と同じ研究室で、さきに述べた方も同じ北海道の大学院に進むことになりました。

そして私は歯科技工専門学校に進み、その後は以前に述べたとおりです。

さて、今回、何故、こうしたことをトピックとして取り上げたかと申しますと、それは、昨日投稿記事に「羊をめぐる冒険」のことを書き、そして、それにまつわる和歌山県田辺市出身の友人(先輩)を思い出したところ、どうしたわけか、本日のネットのニュースにて、合気道の創始者であり、先輩と同じく和歌山県田辺市出身の植芝盛平の記念館が田辺市に開館されたというニュースを見つけたからです。

先輩も植芝盛平が田辺市の出身であることはもちろん御存知であり、また、同じく和歌山出身の作家 津本陽による植芝盛平をモデルとした小説「黄金の天馬」を話題として盛り上がったこともありました。

そこで奇妙にも符合するのは、さきの先輩が和歌山県田辺市から北海道へ移り住んだことと本日、田辺にて記念館が開館した植芝盛平もまた、和歌山県の田辺から北海道に移り住んだ人物であるということです。

そういえば、以前、先輩との会話で「和歌山県はね、北海道へ移住する人が昔から多くてね。」といったハナシになったことがありましたが、山がちで耕作に適した平野が少ない和歌山を含めた紀伊半島では、大雨などで洪水が生じ、田畑が流されてしまうと、違う場所に移住するといったことが多く、さらに海寄りの地域では、古来から漁場を求めて各地を移動する漁民が多く住み、彼らもまた、定住にこだわる性質をあまり強く持たないため、これまた比較的容易に移住するといった性質を持っていました。また、そのおかげで現在の千葉県での醤油産業や漁業があるということは歴史的事実です。

ともあれ、そのようなことを書いていますと、面白いことに今度は矢玉四郎による絵本「はれときどきぶた」が思い出されます。また、漢字のもととなった古代中国殷の甲骨文字は当初、文字通り動物の骨に刻まれ、焼かれて占いに使用されていた、いわば、呪術用の文字であることも同様であると云えます・・。

いや、しかしそれよりも、それら出来事の間にある類似性や類縁性のようなものを、こじつけ半分でも見出すことが出来ることの方が重要なのであろうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




ISBN978-4-263-46420-5

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