2023年5月16日火曜日

20230516 株式会社筑摩書房刊 森 浩一著「日本の深層文化」 pp.29-31より抜粋

株式会社筑摩書房刊 森 浩一著「日本の深層文化」
pp.29-31より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480064761
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480064769

倭人伝は、正しくは「三国志」魏書烏丸鮮卑東夷伝の倭人条の俗称である。俗称とはいえ、日本人にはよく知られた言葉であるので、以下は「倭人伝」とする。

「倭人伝」には、日本列島の北西部、とくに九州島の北西地域での中国人(帯方郡の役人)の見聞が記録されている。日本列島全域の見聞ではないけれども、三世紀代の貴重な情報がえられる資料である。中国歴代の史書のなかでも、日本列島のことえお地域に即して記述することに努め、それにある程度成功した貴重な史書であり、地理書でもある。

 ここで問題としたいのは、「倭人伝」では海での生業については、航海のことや漁労のことがくり返し述べられているのに、広い意味での農耕関係、とくに稲作についての描写がとぼしい。

「倭人伝」が描く時代は、厳密に時間との関係でいえば初期お古墳時代にさしかかっている気配はある。ただし人びとの生業や生活については、”弥生時代後期的な稲作を基盤とした社会”とみるのが通説である。だがこの通説は、考古学者がいだいている常識であって、「倭人伝」の記述からの結論ではない。以下検討しよう。

 倭地での帯方郡使の見聞は旅行の目的どおりの順で記事が作られている。まず朝鮮半島南部と九州島のあいだの対馬海峡にある対馬国が描写されている。この国(島)の記述は、地形や土地利用などが簡にして要を尽くしていることについては、ぼくは昔から指摘している。

 ”良田なく、海物を食べて自活し、船に乗って南北に市糴している”とある。

”良田なく”を読んで、”水田がないとか乏しい”とおもっては駄目である。この文は中国人の文章、前にふれたように中国でいう田には日本でのハタケも含まれている。いずれにしても、良田がないので”海産物で自活している。だがそれだけでは生活にはならず、船に乗って南の九州島方面や北の朝鮮半島方面に市糴している。”市糴は厳密には穀物の買い入れだが、ぼくはこの個所ではもう少し意味をひろげて交易とみたほうがよいと考えている。対馬国からさらに南の海中に一支国がある。中国の三、四世紀ごろの金石文(銅鏡に多い)には漢字の減筆がよくおこなわれている。例えば「仙」を「山」にしたり「鏡」を「竟」とするようなことである。その観点では、一支は壱岐の減筆とみられ、一支国は今日の壱岐島であろう。

 ここでは、”田地は少しあるが、田を耕してもなお食べるのに不足するから、やはり南北に市糴している。”このことは対馬島よりは農耕しやすいが、それでも盛んとはいえないという意味であろう。

 一支国(島)のあと末盧国(古代の松浦、唐津市を含む臨海の地域)や伊都国の記述になるが、農耕関係の記事はない。

 伊都国は福岡県前原市域とその周辺で、古代の日本側の史料にも伊斗、伊覩、怡土などと同じ地名が別の表記でよくあらわれ、確実に土地の比定はできる。

 注意を要するのは、「倭人伝」では伊都国の描写に費やした字数は112字で、地域描写では第一位である。このことは伊都の地名に都がついていることと無関係ではなく、新井白石が「古史通或問」で説くように、女王国の都があったとみてよかろう。伊都国王もいたが女王国の都でもあった。室町時代の京都に天皇と将軍がいたのに似ている。都だったから、主な記述が政治や外交についてのもので、農耕などの生業の記述はない。