2020年2月21日金曜日

20200220 歴史像をパズルのピースとして考えると

ここ数日間は、かなり移動が多く、さらに明日からもまた移動です。普段はあまりこのようなことはブログ記事として書きませんが、本日は、記事題材が速やかに浮かばないこと、そして、この移動のことが割合強く感じられることから、こうした書き出しとなりました・・(苦笑)。

いや、本来であれば本日は、新たな記事作成など行わず、明日のためのも休んでおこうとも考えていましたが、PCの前に座り、ブログ画面を開き、しばらく既投稿記事の再投稿操作などを行っていますと、このまま終えるのもどうもバツが悪くなり、こうして記事作成を行っている次第です。とはいえ、このまま作成したとしても2:00前には就寝としたいことから、今回作成の記事は、あまり手の込んだものにはならないと云えます・・(笑)。

さて、現時点でのブロガーでの総投稿記事数は1247記事であり、今回を含め3記事の新規投稿により、1300記事まで残り50記事となります。また、それは、これまでのペースにて行いますと、今月中には比較的余裕を持って達成可能であるように思われます。そのため、もう少し目標を高く定め、今月中での総投稿記事数は1252記事を目標とします。この程度でしたら、特に無理をすることなく、達成可能であると思われますので・・。

他方で、先日来から読み進めている岩波書店刊 岡義武著「国際政治史」は220頁を過ぎ、残り80頁を切り、また、そこで描かれている世界情勢は、第一次世界大戦の終結後、平穏な時代はあまり長く続かず、早くも1920年代から世界各地で新たな戦乱に向けて沸騰しつつある状況と云えます。

この時代については、多くの興味深い著作が刊行されており、また、そうした著作をいくらかは読んできたという自覚があることから、それなりに知っていると考えていましたが、当著作での記述は、これまで自身が読んだことがなかった、考えなかった視点にて歴史の流れが描かれていることが度々あり、大変興味深く読んでいると云えます。また、こうした歴史を扱った書籍を読む大きな楽しみの一つは、こうした新たな認識を、あたかも、パズルのピースのように獲得し、それを用いて、これまでとは違った歴史像がイメージ出来るようになることであると云えます。

また、これは、先日の投稿記事である『見える歴史像の倍率と分かり易さについて』とも大いに関連するところであり、今後、機会を見つけ、さらに書き連ねてみようと思います。しかし他方で、こうした歴史像に対して「倍率」や「パズル」などをたとえとして用い、述べた著作は、これまでに読んだ記憶がないことから(忘れているだけかもしれませんが・・(苦笑)。)このたとえを用いることにより、歴史像、あるいは歴史そのものに対する認識が、より理解出来るものになった方々がいらっしゃるのでしたら、それは眠気の中、ここまで当記事を作成した私にとって望外の僥倖と云えるのかもしれません・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


2020年2月18日火曜日

新潮社刊 夢野久作著 『死後の恋』内 『いなか、の、じけん』 内『郵便局』 pp.211-217

『鎮守の森の入口に、村の共同浴場と、青年会の道場が並んで建っていた。夏になるとその辺で、撃剣の稽古を済ました青年たちが、歌を唄ったり、湯の中で騒ぎまわったりする声が、毎晩のように田圃越ごしの本村まで聞こえた。
 ところが或る晩の十時過の事。お面お籠手の声が止むと間もなく、道場の電燈がフッと消えて人声一つしなくなった。……と思うと、それから暫くして、提灯の光りが一つ森の奥からあらわれて、共同浴場の方に近づいて来た。

「来たぞ来たぞ」「シッシッ聞こえるぞ」「ナアニ大丈夫だ。相手は耳が遠いから……」
といったような囁きが浴場の周囲の物蔭から聞こえた。ピシャリと蚊をたたく音だの、ヒッヒッと忍び笑いをする声だのが続いて起って、また消えた。

提灯の主は元五郎といって、この道場と浴場の番人と、それから役場の使い番という三つの役目を村から受け持たせられて、森の奥の廃屋に住んでいる親爺で、年の頃はもう六十四・五であったろうか。それが天にも地にもたった一人の身よりである、お八重という白痴の娘を連れ、仕舞湯に入りに来たのであった。

親爺は湯殿に這入ると、天井からブラ下がっている針金を探って、今日買って来たばかりの五分心の石油ランプを吊して火を灯つけた。それから提灯を消して傍の壁にかけて、ボロボロ浴衣を脱ぐと、くの字なりに歪んだ右足に、黒い膏薬をベタベタと貼りつけたのを、さも痛そうにランプの下に突き出して撫でまわした。

その横で今年十八になったばかりのお八重も着物を脱いだが、村一等の別嬪という評判だけに美しいには美しかった。しかし、どうしたわけか、その下腹が、奇妙な恰好にムックリと膨らんでいるために、親爺の曲りくねった足と並んで、一種異様な対照を作っているのであった。

「ホントウダホントウダ」「ふくれとるふくれとる」「ドレドレ俺にも見せろよ」「フーン誰の子だろう」「わかるものか」「俺ア知らんぞ」「嘘こけ……お前の女だろうが」「馬鹿云えコン畜生」「シッシッ」

というようなボソボソ話が、又も浴場のまわりで起った。しかし親爺は耳が遠いので気がつかないらしく、黙って曲った右足を湯の中に突込んだ。お八重もそのあとから真似をするように右足をあげて這入りかけたが、フイと思い出したようにその足を引っこめると、流し湯へかがんでシャーシャーと小便を初めた。

元五郎親爺はその姿を、霞んだ眼で見下したまま、妙な顔をしていたが、やがてノッソリと湯から出て来て、小便を仕舞ったばかりの娘の首すじを掴むと、その膨れた腹をグッと押えつけた。
「これは何じゃえ」
「あたしの腹じゃがな」
 と娘は顔を上げてニコニコと笑った。

クスクスという笑い声が又、そこここから起った。
「それはわかっとる……けんどナ……この膨れとるのは何じゃエ……これは……」
「知らんがな……あたしは……」
「知らんちうことがあるものか……いつから膨れたのじゃエこの腹はコンゲニ……今夜初めて気が付いたが……」
と親爺は物凄い顔をしてランプをふりかえった。
「知らんがナ……」
「知らんちうて……お前だれかと寝やせんかな。おれが用達ようたしに行っとる留守の間に……エエコレ……」
「知らんがナ……」
 と云い云いふり仰ぐお八重の笑顔は、女神のように美しく無邪気であった。

親爺は困惑した顔になった。そこいらをオドオド見まわしては新らしいランプの光りと、娘の膨れた腹とを、さも恨めしげに何遍なんべんも何遍も見比べた。
「オラ知っとる……」「ヒッヒッヒッヒッ」という小さな笑い声がその時に入口の方から聞えた。その声が耳に這入ったかして、元五郎親爺はサッと血相をかえた。素裸体のまま曲った足を突張って、一足飛びに入口の近くまで来た。それと同時に、「ワ――ッ」「逃げろッ」という声が一時に浴場のまわりから起って、ガヤガヤガヤと笑いながら、八方に散った。

そのあとから薪割用の古鉈をひっさげた元五郎親爺が、跛引き引き駆け出したが、これも森の中の闇に吸い込まれて、足音一つ聞こえなくなった。

その翌朝の事。元五郎親爺は素裸体に、鉈をしっかりと掴んだままの死体になって、鎮守さまのうしろの井戸から引き上げられた。又娘のお八重は、そんな騒ぎをちっとも知らずに廃屋の台所の板張りの上でグーグー睡っていたが、親爺の死体が担ぎ込まれても起き上る力も無いようす・・・そのうちにそこいらが変に臭いので、よく調べてみると、お八重は叱るものが居なくなったせいか、昨夜の残りの冷飯の全部と、糠味噌の中の大根やなっ葉を、糠ぬかだらけのまま残らず平らげたために、烈しい下痢を起して、腰を抜かしていることがわかった。

そのうちに警察から人が来て色々と取調べの結果、昨夜からの事が判明したので、元五郎親爺の死因は過失から来た急劇脳震盪ということに決定したが、一方にお八重の胎児の父はどうしてもわからなかった。

初めはみんな、撃剣を使いに行く青年たちのイタズラであろうと疑っていたが、八釜屋の区長さんが主任みたようになって、一々青年を呼びつけて手厳しく調べてみると、この村の青年ばかりでなく、近所の村々からもお八重をヒヤカシに来ていた者があるらしい。

それでお八重には郵便局という綽名がついていることまで判明したので、区長さんは開いた口が塞ふさがらなくなった。
すると、その区長さんの長男で医科大学に行っている駒吉というのが、ちょうどその時に帰省していて、この話をきくと恐ろしく同情してしまった。実地経験にもなるというので、すぐに学生服を着て、お八重の居る廃屋へやって来て、新しい聴診器をふりまわしながら親切に世話をし初めた。母親に頼んで三度三度お粥かゆを運ばせたり、自身に下痢止めの薬を買って来て飲ませたりしたので「サテは駒吉さんの種であったか」という噂がパッと立った。しかし駒吉はそんな事を耳にもかけずに、休暇中毎日のようにやって来て診察していると、今度はその駒吉が、お八重の裸体の写真を何枚も撮って、机の曳出に入れていることが、誰云うとなく評判になったので、流石の駒吉も閉口したらしく、休暇もそこそこに大学に逃げ返った。そうすると又、あとからこの事をきいた区長さんがカンカンに怒り出して、母親がお八重の処へ出入りするのを厳重にさし止めてしまった。

「お八重が子供を生みかけて死んでいる」という通知が、村長と、区長と、駐在巡査の家うちへ同時に来たのは、それから二三日経っての事であった。それは鎮守の森一パイに蝉の声の大波が打ち初めた朝の間の事であったが、その森蔭の廃屋へ馳けつけた人は皆、お八重の姿が別人のように変っていたのに驚いた。誰も喰い物を与えなかったせいか、美しかった肉付きがスッカリ落ちこけて、骸骨のようになって仰臥していたが、死んだ赤子の片足を半分ばかり生み出したまま、苦悶しいしい絶息したらしく、両手の爪をボロ畳に掘り立てて、全身を反り橋のように硬直させていた。その中うちでも取りわけて恐ろしかったのは、蓬々と乱れかかった髪毛かみのけの中から、真白くクワッと見開いていた両眼であったという。
「お八重の婿どん誰かいナア
 阿呆鴉か梟ふくろかア
 お宮の森のくら闇で
 ホ――イホ――イと啼ないている。
 ホイ、ホイ、ホ――イヨ――」
 という子守唄が今でもそこいらの村々で唄われている。』

『死後の恋』 夢野久作傑作選 (新潮文庫)

ISBN-10: 4101206414
ISBN-13: 978-4101206417


2020年2月16日日曜日

20200216 最近の読書から「大掛かりな歴史の皮肉」

本日の徳島市は気温はそこまで低くなかったものの、終日風の強い一日でした。報道によりますと、今年の徳島での春一番は数日前に吹いたとのことであり、そこから、本日の強風についても、おそらく同様の気象状況から発生したのではないかと思われます。

また、当ブログにつきましては、その後、おかげさまで順調に記事の更新が為され、あと55記事の投稿により1300記事に到達する状況となりました。この55記事とは決して少ない数ではありませんが、これまでの記事作成経緯から考えてみますと、そこまで困難とは云えないことから、来る6月22日に迎えるブログ開始から丸5年までに、どうにか達成したいと考えています。

また、さきに述べましたように、ブロガーでの記事投稿は、順調に為されていますが、それらのアメーバ・ブログへの再投稿は、あまり順調に行われておらず、今後、機会を見つけて徐々にそれら記事を移し替えていきたいと思います。

さて、現在読み進めている岡義武著「国際政治史」は、ようやく200頁過ぎにまで至り、第一次世界大戦が終結し、パリ講和会議の開催そして大戦中に生じたロシア革命による欧州全土における緊張、そして、その一応の安定化といった状況が描かれていますが、この大戦後の敗戦国ドイツへのフランスを主とした周辺諸国の戦後処理には、なかなか峻烈なものがあり、ある意味、こうした事情があったことから、その後のナチス党の台頭さらには政権掌握も為し得たと云えます。

こうした歴史の流れからも、ある種「大掛かりな歴史の皮肉」といったものを看取することが出来ますが、しかしながら同時に、当時の当事者達としては、どうしてもそのような選択しか採り得ない経緯・背景もまた、あったのだと云えます・・。

そして、そのように考えてみますと「たとえ過去の歴史を詳細に知ったとしても、未来は変えることが出来ない。」といった、ある種の無力感・絶望感を覚えるわけですが、そうであっても、そうした歴史を知る人々が社会で徐々に増え、そして、何らかのカタチで発信し続けることにより、わずかではあれ、未来の方向性に対して影響を与えることが出来るのではないかとも思われるのです・・。

その意味で、インター・ネットを基盤とする現代の情報社会は、悪いものであるとは考えません。ただ、ここで大事になると思われることは、金銭・経済的なもの以前にある「何に価値があるか」を各々で考え、そしてお仕着せでない、能動的な議論を通じ、その相違点や共通項を見出していくことであるように思われます・・。

ともあれ、今後も当著作を読み進めていこうと考えていますが、250頁あたりにまで至りましたら、過日投稿のブログ記事にも書きましたユヴァル・ノア・ハラリによる「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」を購入し、読んでみようと思います。












20200215 先日の投稿記事が再度ランク・インしたことから思ったこと

先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インしたことを記しましたが、その翌日もまた、再度、順位が上がってのランク・インとなりました。こうしたことは、これまでになかったことから少し驚かされました。また、以前にも書きましたが「当記事の閲覧者数はあまり伸びないのでは・・。」と考えていたことから、これもまた不思議に思われるところです・・(笑)。

とはいえ、これまた以前に幾度か書いたことではありますが、自信の作成したブログ記事として比較的多くの方々に読んで頂いている場合であっても、そこからの効果や影響といったものは、これまで感じられたことはなく、そこから「おそらく当ブログ記事による周囲への効果は、大体その程度なのだろう・・。」と思うに至るわけです・・(苦笑)。

しかし、他方で、当ブログ記事が「その程度」のものであるからこそ、あまり傍目を気にせずに、現在に至るまで(好き勝手に)記事作成を継続出来ているようにも思われます。そのため、ブログ記事による効果や影響といったことは、少なくとも自身の場合、あまり考えない方が、継続的な記事作成のためには好都合であるように思われます・・(笑)。

さて、先日の投稿記事にてモテない、ロスジェネ云々といった、どちらかと云えば自虐的とも受け取れることを(苦笑)を書きましたが、他方において、大変充実していたと感じられる時期もあり、とりわけ、和歌山在住の修士課程院生の頃は、それまでの人生で最も多くさまざまな分野の書籍を読み、議論をしていたと云えます。そして、特に、ここでの議論の経験があるからこそ、対話形式でのブログ記事が作成出来ていると云えます。また、この頃は、自身が変わっていてもイジめられることもなく、いや、当時については、周囲にいた方々の方が自身などよりも変わっていたのかもしれません・・(笑)。ともあれ、ここで書籍を読む習慣が身体化され、そして必要であれば精読するような習性も、ある程度、身に付けたことから、現在に至るまで、その時々に必要とする文献、そして自身の興味に基づいた文献をも読み続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。

そして、当ブログについて考えてみますと、どうにか、ここまで記事作成が為されている要因として、さきに述べた経験と共に歯科生体材料学分野にいた時の経験そして記憶が、かなり大きなウェイトを占めると云えます。それは換言しますと、鹿児島在住時の経験・記憶であると云えますが、これについては「この時期のことを書きたい!」と比較的強く思う反面で、未だに自身でも理由が分からないのですが、それにブレーキを掛ける力が発動され、今に至るまで思うように書けないでいます・・。しかし、今後、この時期のことををスムーズに書くことが出来るようになる内面での変化を待ち、これを題材として、新たなブログ記事を作成していきたいと考えています・・。

また、感覚的なハナシではありますが、さきの和歌山在住時の経験は、ブログ記事を継続的に作成するための、どちらかと云えば技術的要素としてのウェイトが多く、他方で、鹿児島在住時の経験や記憶は、もちろん、さきの和歌山と同様、技術的要素も少なからずあるのですが、それと同時に、当ブログ継続のための推進力となる内面・精神的要素については、かなり多く、ここでの経験や記憶に依拠しているように思われるのです・・。

そうしたこともあり、この時期のことを記事題材としたいと考えているのですが、さきに述べたように、どうもここで抑制がかかってしまうのです・・。しかし、今しばらく書き続けていますと、また何らかの変化が生じるとも思われますので、性懲りもなく、続けようと思います・・(笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。










2020年2月13日木曜日

20200213 先日投稿の記事がランク・インして思ったこと・・

本日の徳島は気温が20℃まで上がり、春のような1日でした。また、この陽気は今週中は続くとのことですが、来週になりますと、また冬日に戻るとのことです。このようなことを書いていますと、不図「三寒四温」というコトバを思い出しましたが、このコトバはおそらく、丁度、今の時季を指すものであるように思われます・・。

くわせて、先日の投稿記事にも記しましたが、陽も以前に比べ長くなり、そうしたことから、季節が徐々に春へと推移していることがうかがわれます。

さて、おかげさまで、先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インとなりました。正直なところ「この記事の閲覧者数はあまり伸びないだろう。」と考えていたため、これには多少意外の感があります。そしてまた、「こうした内容の記事も寛容に受け入れて頂けるのであれば大変ありがたい。」というのが、このランク・インに対する率直な感想と云えます・・。

ともあれ、こうした内容の記事を書く自身ではありますが、子供の頃から変わっている、あるいは周囲から浮くことも少なからずあるためか、たびたびイジメられました・・(苦笑)。そしてまた、おそらく今後もそのような感じではないかと思われます・・。また、イジメられる悪影響としては、なかなか自然に自信を持てなくなることであるように思われます・・。

以前に比べますと、そうではなくなりましたが、それでも、権柄ずくな態度をされたり、こちらの意見を全く聞かずに勝手に罰ゲーム的に何かを押し付けてくるようなことをされますと、かなり腹立たしくなるのと同時に凹み、滅入ってきます・・。

また、それに加えて、イジメの後遺症によるものか、自然に自信があるように振舞えないことから、小中高から現在に至るまで異性にモテないことも、現在まで尾を引いていると云えます・・(苦笑)。

とはいえ、このようにモテなかったことから、いくつかの分野での知識や経験を積むことが出来たとも云えますので「自分にとってどちらが良かったのか?」と問うてみますと、「これはこれで良かったのではないか・・?」と思える時もしばしばあると云えます・・(苦笑)。

そしてまた、こうした「メゲない」のか「いいかげん」であるのか分からない(多分、これらはかなり親和性があるのではないかと思います・・(笑))自身が、ロスジェネ世代のど真ん中であることは、偶然であるのか、あるいは何らかの必然であるのか、これもまたイマイチよく分かりませんが、面白いところであるようにも思われます・・。

さらにここで、ロスジェネ世代と書いていて不図、岩波書店刊行の、だいぶ以前に読んだ記憶のある「きけわだつみのこえ」という著作が思い出され、少しだけ目頭が熱くなってきました・・(苦笑)。

20200213 創造や生産のジレンマについて・・

当記事を含めて、残り58記事の投稿により、総投稿記事数が1300に到達します。本日から毎日1記事の投稿を行いますと、来る4月の半ば前には達成出来る目算が立ちますが、さすがに毎日の投稿はキビしいと思われるため、出来るだけ毎日に近く続けていこうとは思いますが、それでも2日に1記事程度の更新となっても、そこまで悪くはないように思われます・・。

さて、昨日は文章が書けなかった時期のことについて書きましたが、この時期は現在思い返してもみても暗く、鬱々とした日々であり、またそれは、現在においてもなお、完全に晴れているわけではないのですが、いつか、これが晴れ渡る日は来るのでしょうか・・(苦笑)。

しかし、あるいはまた、こうして暗く、鬱々とした気分を現在に至るまで、いくらか引き摺っているからこそ、ブログ記事の作成を継続することが出来ているとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。

何故ならば「人は完全に安楽・快適な状態になると、そこから逃れるための創造をしなくなるからだ。」とも云われるからであり、これに関しては多少悔しくはあるものの、全くの的外れではないように思われます・・(苦笑)。

しかしながら、他方で、より多くの創造をするように、外部からの働きかけ・圧力によって出来るだけ安楽・快適な状態にならないように仕向け続けていると、遅かれ早かれ、いつか内面に破綻が生じるのではないかと思われます・・。

そして、おそらく、こうした一種の創造性や生産性についてのジレンマのようなものは、古来から存在し、あるいは、こうした様相・メカニズムについて、より良い解決をはかるための仕組みが、宗教であったり、さまざまな思想であるようにも思われます。

また、こうした宗教や思想が、何処で、どのようにして発生し、その後どのように伝播・発展していったかについて考えてみますと、さまざまな国や地域における宗教や思想といった所謂、形而上的なものに対する親和性・相性のようなものが分かるのではないかと思われます。

そして、それに対して、さきの創造性や生産性についてのジレンマをより具現化したものと云える、国・地域における支配・被支配の構造、そして、それらの歴史についてを重ね合わせて考えてみますと、宗教や思想といったものが、どのような条件下において繁茂し、また逆に、衰弱・枯死してしまうのか、ということが、ある程度理解出来るのではないかと思われるのですが、さて、その意味で、現在の我が国は、いかなる状況と云えるのでしょうか・・(笑)?

いや、あるいは我が国は元来、宗教や思想といったものからは縁遠く、古くからのリジッドな支配・被支配の構造が現在に至るまで続いているのでしょうか?こうしたことは多少本を読んだ今になってもイマイチよく分かりません・・(苦笑)。とはいえ、であるからこそ、やはり歴史は面白いのだとも云えるのかもしれません。






2020年2月12日水曜日

20200212 文章が書けなかった時期について

現在読み進めている岡義武による「国際政治史」は、半ば過ぎまで至り、この調子にて読み進めれば、来月初旬あたりには読了することも出来るのではないかと思われます。

他方で、当ブログに関しては、先日、2月9日の投稿により、総投稿記事数が1240に到達し、来る6月22日のブログ開始から丸5年の日迄に50数記事を新たに投稿することにより、5年間で1300記事を投稿してきたことになります。

しかし、これを達成するためには、今後2~3日に1記事の新規投稿を要するため、現在の自身にとっては、そこまで簡単であるとは云えません・・(苦笑)。しかしそれでも、以前の全くといって良いほどに文章を書けなかった時期と比べますと随分良くはなっていると云えます・・。

この全く書けなかった時期のことについて、もう少し詳細に思い出してみますと、それ以前はSNSなどを通じて普通に書くことが出来ていたことから、このいわば断層のような時期に一体何があったのだろうかと思うに至ります・・。

具体的に、その時期は2015年後半あたりからであり、この時期のことは思い出してみますと、未だに喉を絞められるような感じになり、おそらく当時は精神的に危機的な状況にあったのではないかと思われます。そして、その同時期から当ブログをはじめたわけですが、このブログがなければ、さきの危機的状況をどうにか乗り越えることが困難であったのではないかとも思われます。

そしてまた、こうした、おそらく内面の葛藤から生じる危機的状況を乗り越えるためには、それまでの全ての経験といった内的資産を燃料として投入する覚悟がなければ、乗り越えることは困難ではないかと思われるのです。そうであっても、自身の場合、この時期は精神的に衰弱しきった中、どうにか書籍からの抜粋引用を主とした記事作成を行っていた状態でした・・。

また、自身の文章による記事を作成してみても、作成した記事は徒に嫌悪感を齎すのみであり、こうした自分の作成した記事を読み返したくない時期も、ブログをはじめて、ある程度安定して記事作成を行う頃になってもしばらく続き、具体的に2016年は、全般を通じ、そうした時期であったと記憶しています。

とはいえ、現在になり、当時、2015後半~2016年周辺に作成した記事を読み返してみますと、そこには文章表現としては稚拙と思われるものが多くあるものの、そこで述べられていることには、何と云いますか、現在にも繋がる「自身の考えの核」と云えるものがあるように感じられるのです。

そのように考えてみますと、この弱り切っていた時期にも、それなりの意味があったのかもしれません。またそれは、その時期から現在に至るまで、どうにか、このブログ記事の更新を通じ、前進しているという感覚を持ち続けることが出来たから、そのように考えることが出来るのかもしれません・・。

とはいえ、今後、何に導かれて当ブログを継続出来るのか分かりませんが、来る6月22日までは、どうにか続けて行きたいと思います。そして、その時の自分は当ブログの更なる継続について、どうのように思うのでしょうか・・。

現在の自身としては、とりあえず5年間継続することが出来たのであれば、そこで止めても問題はないようにも思えるのですが・・(笑)。














 

2020年2月11日火曜日

20200210 スランプの時にはどのような記事を作成すれば良いのか・・

ある程度の期間、継続的にブログ記事を作成していますと、滑らかに文章が出てくる時期と、そうでない時期があることに気が付かされます。おそらく、そこには何らかの原因があるとは考えますが、それが一体何であるかについては、未だによく分かりません・・(苦笑)。


以上のことを踏まえ、おそらく今現在の私は、そうでない時期、つまりはスランプに近い状態にあるのではないかと感じられています・・(苦笑)。

また、そうした状態であるならば、特に無理をして記事作成を行う必要もないと思われるのですが、他方において、以前と比べますと比較的容易にこうした文章を作成することは出来るようになり、また、こうしてある程度書き連ねて行きますと、興に乗ると云いますか、離陸滑走する飛行機のようにフワッとどこかで宙に浮かぶと云いますか、あるいは、何らかの主題らしきものを見出し、それに沿ってどうにか書き進めることが可能になるようであり、そしておそらく、その推進力の役割を果たしているのが、通常はあまり意識していない「文体」ではないかと思われます。

とはいえ、この「文体」についても、未だ現在「自分の文体を獲得した!」と十全に意識出来たことはなく、ただ、その進歩?については、かつて自分が作成した文章の加筆修正を行う際、以前と比べ、あまり考えずに比較的無造作な感じで出来ることが、その進歩らしきものを示しているのではないかとも思われるのです・・。

そして、面白いことに、この無造作に文章の加筆修正を行っている時に、何となく、自分が手作業で研磨などの仕上げ作業を行っているような感覚を持つのです・・(笑)。この感覚もまた、ここ半年程度の比較的最近のものであり、この感覚は未だ自身の中で普遍化し得るものであるかどうか不明ではありますが、文章として著しておけば、後になり、この感覚の自身にとっての普遍性を検討することも出来ますので、とりあえず、書いておくに越したことはないと思われる次第です・・(笑)。

とはいうものの、こうした感覚が、文体の確立に関係があるのか、もしくは文章力の向上を示しているのかについては、精確には分かりかねるところですが、そうであっても、文章の加筆修正が手研磨と同程度の感覚に至るということは「文章の身体化」とも評することが可能であることから、少なくともブログ開始当初の自身と比べますと、いくらかは進歩したのではないかと思われるのです。

そしてまた、今後のいくらか面白いであろうと思われることは「こうした作業を続けてゆくと、次はどのようなことが生じるのか?」ということであり、さらに続けて「その生じることは、これまでに読んだどの著作の記述に類似するのか?」ということです・・(笑)。

文体の獲得に関しての記述は、これまでに何度か読んだ記憶がありますが、概してそれらでは「比較的明瞭な経験」とのことでした。私は、自身を鋭敏な人間ではないと考えていますが、同時に、こうした「明瞭な経験」を見過ごすほどに鈍感でもないと考えています。そうしますと、今後、何かの拍子に「文体の獲得」という明瞭な経験をするのであろうと思われるのですが、果たしてそれは何時のことになるのでしょうか・・(笑)。

ともあれ、文章があまり滑らかに出てこない、こうしたいわばスランプの時期には、上記のような自身に対する懐疑・疑問といったものを書いてみますと、一ブログ記事程度の文章にはなり、また、そこに共感し得る何か、さらには普遍性らしきものがいくらかでもあれば、それはそれでブログ記事としては、そこまで悪くはないのかもしれませんが、同時にそこには、いくらかの記事作成者の甘えといったものもあると云えます・・(苦笑)。



















2020年2月9日日曜日

20200209 ブログ掲載情報についての対話形式

A「まだ寒い日が続いていますが、風邪などをひかずに元気で過ごしていますか。」

B「ええ、おかげさまでどうにか元気でやっています。また、ここ最近は少しだけ、陽が長くなってきたようにも思います。あと1カ月もしましたら、多少は春めいてくるのではないでしょうか?」

A「うん、そうですね・・。それで、先日、君のブログには色々と宣伝が出ていると聞いたのですが、それらは何か経緯・理由があってそのようなことをしているのですか?」

B「ああ、ブログに載せているいくつかの情報についてですね・・。もちろん、それらには色々と経緯がありまして、中でも医歯薬出版株式会社様が刊行している書籍については、2年以上にわたり掲載させて頂いています。もちろん、先方会社様には了解を頂いています。それと、当ブログでの情報掲載とは関係ないとは思うのですが、この書籍は、専門書に分類されるものであるにしては奇跡的にと云っても良いほど長期間に渡って売れ続け、重版され、さらには改訂版も刊行されたとのことで出版社の方も大層驚いていました(笑)。
ですので、私のブログが、そうした現象に対して何らかの寄与があったとは思いませんが、それでも、自分のブログで取り上げさせて頂いている書籍がこのようになることは、やはり少しは嬉しいとは云えますね・・(笑)。」

A「・・ははあ、そんなことがあったのですか・・。そうした事情は通常ご自身では、なかなか分からないことだと思いますので、君のブログでの情報掲載の効果であるかは分かりませんが、それはたしかに嬉しいかもしれませんね。それと他のブログ掲載情報については、何か変わったことは起きたりしたのですか?」

B「いえ、他の掲載情報も、何と云いますか、成り行きで掲載させて頂くようになった次第でして、あまりそれらについての効果などは直接的には聞いたことがありません・・。ただ、つい先日、出張で出向いた首都圏の電車内の広告で、私のブログに情報を掲載させて頂いている一つの大学のポスターが割合大きく貼りだされていましたので、これには少し驚きました。とはいうものの、こちらの大学につきましては、それ以前から首都圏での電車内や駅構内でポスター広告を見たことがありましたので、まあ、おそらく、その流れの延長線上にあるものだとは思いますが・・。」

A「へええ、そんなこともあったのですか・・。しかし、その例では効果のほどはイマイチよく分かりませんね・・(笑)。あと、ここ最近は政治家の方の情報を掲載されているようですが、それは一体どういった経緯なのですか?」

B「・・ああ、それにつきましても、さきと同様、成り行きで掲載させて頂いている次第です。東京方面に出張に行きますと、以前からお世話になっている大学や開業されている歯科医師の先生のところへご挨拶に伺わせて頂くようにしているのですが、その話題の中で、私のブログが出てきたことがありまして、そこからの流れで掲載させて頂く流れになった次第です・・。とはいえ、これは特に悪いことではありませんし、一応、私も歯科には全く縁がないというわけではありませんので・・。」

A「ああ、そういえば、ここ最近の君のブログに掲載されていますが、おそらく、ご実家のクリニックの動画でしょうか?あれも歯科関連ですからね・・。しかし、Bさんは現在、あまり歯科とは関係のないところにいるわけですよね・・。」

B「・・ええ、以前から時折そういったことを云われることがあります。そして、たしかに私の実家は歯科関連のクリニックを運営しています。また、何代か遡ってみますと、その中には医師、歯科医師といった方々が少なからず見受けられ、また大学に残り医学部の教授になられた方も何人かいます。しかしながら、皆が皆、そうした医学研究者や開業医になっているわけでもなく、人文社会科学分野の研究者になった方々も複数いますので、私は学位こそは歯科生体材料学で頂いてはいますが、その本質はどちらかと云うと人文社会科学系であると云え、あるいは、多少大風呂敷を敷かせて頂きますと、自身の存在によって、その背景全てを統合しているのではないかとも思えるのです・・(笑)。しかし、それでも人から「医師や歯科医師になれなかった。」というような意味のことを云われますと、以前は結構凹んでいました・・。しかし、ここ5年くらいでしょうか、かなり幅が広いと云える人文社会科学系分野で、ある程度専門的なことが分かるようになることは、必ずしも医師や歯科医師になることと比べても、そこまで簡単ではないということが分かるようになりました・・。もちろん、それは自分自身についての省察のみではデータ不足であり、周りのそういった方々を見て、また、それら方々の述べるところを聞いてみて、そのように考えるに至ったわけですが・・。とはいえ、おそらく、特にこういった意見については、極めて此岸的傾向が強く、ある種攻撃性が強いとも云える我が国社会では、拒否され、さらなるイヤミを云われるのがオチなのでしょうが・・(苦笑)。しかし同時に、そうしたイヤミを云うような視座は、本当の何代にもわたる人間の営みや性質、傾向といったものへの観察や視点を欠いた、いわば近視眼的な視野に立つものであり、またそれが現代の我が国社会にて主流を成す考えであると云えますので、まあ、仕方がないのかもしれませんが、しかし、それでも、私は少なくとも、自分の考えが全面的に間違っているとは、どうしても考えられませんね・・。」

A「うーん、なるほど・・。全面的にそのご意見には肯定は出来ませんが、まあ、そういった長期間の観察に基づく意見については、我が国ではどうもベタな紋切型になってしまう傾向があり、その内容についての興味深い、血の通った議論が為されるといったこともあまりないようですので、その見解の是非については留保させて頂きます。ただ、そのBさんのご意見も大変興味深かったとも云えますね・・。」

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
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20200208 見える歴史像の倍率と分かり易さについて

先日から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、漸く全体の半分程度にまで進み、扱っている時代も19世紀後半から20世紀代に至り、自身が比較的「知っている」と思える時代に入ってきたことから、若干、読み進む速度が上がったようにも感じられます。

とはいえ、当著作は、直近に読了した同著者による「転換期の大正」と比べますと、いくらか読み進むのに手間取っていると云えます。これは、それぞれ著作を理解しつつ読み進めるのに必要とする背景知識について、自身が双方について同程度の背景知識を持っていないことに因るのではないかと考えます。

また、それに加え、双方著作で、扱う歴史それぞれの抽象度が異なることも、理解しつつ読み進める速度に、何らかの影響を与えているのではないかとも思われます。扱う歴史の抽象度が異なるということは、たとえてみますと、顕微鏡を用いて、ある物体を観察するに際しての「倍率」が異なるということに近いのではないかと思われます。

当然ではありますが、一言で「歴史」と云いましても、その動態的な様相を構成するものは過去から現在を通じ、主として我々人類であり、これを対象として「倍率」が高いということは、極限では、歴史に意識・無意識を問わず参画している、ある個人を対象とすることになると云えます。そして、この、いわば高倍率にて歴史の様相を描いたものが、伝記・評伝あるいは同時代人による日記・手記のような著作であると云えます。

こうした高倍率にて歴史を描いた、あるいは特定の個人や、ごく少人数を視座とした歴史像を眺めてみますと、その歴史像そして、そこから見出される物語に、比較的容易に入り込む・感情移入することが出来るのではないかと思われます。また、それは、そうした視座からの眺めが、読み手である我々の日常的な視座とも、大きく異ならないからであるように思われます。

これを異言しますと、歴史を舞台として、個人や少人数集団を軸として描いた演劇や映画やドラマや小説、そしてマンガなどが、古今東西を通じて多い理由は、読み手である我々が普遍的に、そうした視座から生じる世界観に比較的容易に入り込み、感情移入が出来るからであり、そしてそれは、読み手である我々の日常的な視座とも、隔絶とは云えないほどに、大きく異ならないからであるということになります。

つまり、歴史を対象とした観察においては、倍率を高くしますと「歴史を生きたある個人」の描写といった性質が強まり、そこから、読み手としては具体性が高まり、理解し易くなるのではないかということになります。

反対に、歴史を対象とした観察における低倍率とは、それなりに抽象的な世界であると云え、これをある程度、自分なりに理解し、さらに、さきの高倍率での観察歴史像とも、齟齬なく、関連付けることが出来る歴史観を持ち、そして、その言語による論理的な説明が出来るようになるためには、ある程度の期間の努力が必要であるのと云えます。

そして、こうした背景事情を敷衍したものが、まさしく、当記事冒頭に述べました、先日読了の岡義武による「転換期の大正」と比べ、現在読み進めている同著者による「国際政治史」が、多少読み進めるのに手間取っている原因として述べた「背景知識の程度」にもつながるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
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2020年2月3日月曜日

20200203 対話形式「創造的活動が行われる場所について」

ブロガーにて現時点で公表している記事数は1237記事であり、あと63記事を作成投稿することにより1300記事に到達します。そして、今後、毎日のブログ記事作成を前提としますと2か月程度にて1300記事の投稿を達成出来ることになりますが、さすがにこれは困難であると思われることから、2日に1記事の投稿として考えてみますと、4ヶ月程度、つまり5月末頃までには、どうにか到達出来る見込みがつきます。とはいえ、2日に1記事であっても、現在では難しいと思われますので、その中間、2.5日に1記事程度の更新頻度にて、今後、来る6月22日まで記事作成を進めて行こうと思います。

そして、本日は「善は急げ」とのことで、新たに対話形式にて記事を作成していこうと思います。

A「最近もまた色々と本を読んでいるようですね。」

B「ええ、ここ最近は夜行バスに乗る機会が度々ありまして、そうした時はどうも上手く寝付けないことが多いため、どうも本を読んでしまいますね・・(苦笑)。しかし、そうしますと、向うに着いた後がなかなか大変でして、ここ最近は、そうしたよく分からない疲れのようなものがいくらか溜まっているようにも感じられますね・・。」

A「ふーん、夜行バスで読書ですか・・。私はあまりそうした機会は、これまでにありませんでしたね。しかし、その本を読む程度の座席スペースが確保出来るような夜行バスでしたら、寝ることもそんなに難しくはないようにも思われますが。」

B「ええ、実際によく寝れることもあるのですが、それでも何だか緊張して目が冴えてしまうことの方が多いように感じられます。また、それは夏目漱石の「三四郎」冒頭部で、主人公の三四郎が名古屋にて宿泊した時のような感じを薄めたようなものではないかとも先日の夜行バスの中で不図思いましたね・・(苦笑)。」

A「・・いや、しかし、あれは三四郎が一人でなかったから緊張したのでしょう。なので夜行バスの車内とは、また趣が大分違うようにも思われますが・・。」

B「ええ、まあ細かく分析してみますとたしかにそうですが、自分の感覚としては、そうしたものがあるように感じられるのです・・。」

A「なるほど・・まあ、詳細な状況よりも、そこから生じる感覚という意味では似ているということなのでしょうね。それで最近はブログに書かれている以外で何か面白い著作を見つけましたか?」

B「いえ、それがあまりないのです・・。最近読み進めている岡義武による『国際政治史」は、大変面白いのですが、そこで描かれている時代については、そこまで知識がありませんので、それなりに苦労しつつ読んでいます。しかし、こうした時にスマホはとても便利ですね。夜行バス車内の決して十分に明るいとは云えない読書灯の下で読書をしつつ、分からないコトバが出てきますと、一先ず栞を頁に挟んで本を閉じ、スマホで検索し、そのコトバの意味が大体分かりましたらスマホを傍らに置き、再度頁を広げ読み始めるわけですが、思いのほか私は、こうした少し暗い閉鎖的な空間での作業といったものが好きなのかもしれません・・(笑)。」

A「それは何だか面白いですね。たしか何かで読んだ記憶があるのだけれど、「大東亜戦争肯定論」で有名な評論家で作家の林房雄は、通常では普通の家に住んでいるのだけれど、文章を書く時は、真っ直ぐには立てないような狭い屋根裏部屋の中で書いていたということですが、これに通じるような何かがBさんにはあるのかもしれませんね・・(笑)。」

B「いえ、おそらく、そんな大層なものではありませんが、しかし、こうした作業を苦役としてでなく、割合好んで継続出来るような人々の多くは、何と云いますか、こうした場所に閉じ込められる・幽閉されるといった経験を持っている方々が多いのではないかとも思われますね・・。」

A「・・うん、実際、そうした典型例とも云える監獄にて著作を書いていた人も多いですからね。そうしますと、文章での表現を比較的得意とするような所謂、思想犯が多い時代は同時に作家・著述家が多く現れる時代であるのかもしれませんね・・(笑)。・・いや、あるいはニワトリ・タマゴの順番が逆であるのかもしれません・・(笑)。」

B「ええ、仰ること大体は理解出来ていると思います。また、おそらく文章表現のみならず、我々の創造的な作業の多くは、こうした比較的暗く、孤独な環境で行われるようなものではないでしょうか? また、そこから思うことは、おそらく現在の我々の社会は、こうしたギャップから何かが創造・生じるといった原理の様相を忘れ、何やら似非西洋的・浅知恵的な合理性で物事を判断するような癖が固着し、現在に至っているのではないかと思われるのです。」

A「・・ええ、それも何となくですが理解できますね・・。そしてこの先には、もっと明るい考えを自然に創造出来るような時代がやってくるのでしょうかね・・。」

B「どうでしょうか・・。しかし、それがどちらであったとしても、私は押付けではない教養教育と、手を用いる実習教育の双方が大変重要であるように思います。」

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。



2020年2月2日日曜日

20200202 ブログへの反応から思ったこと、および最近の読書から

これまで、ある程度の期間、ブログ記事の作成を行ってきましたが、当初の2年ほどは、しばしば直接・間接にて当ブログのことをくさすようなご意見を頂くことがありました。また、これは現在においても、なくはないと云えますが、それでも、当初の時期と比べますと、どうしたわけか減っているように感じられます。

他方で、当ブログに対し、褒めるとまでは行かなくとも、肯定的なご意見を頂くといったことも滅多になく、これまで1、2度ほど、そうしたことがあったと記憶しています。これは、当ブログを読んで頂いている方々が減少したことから、それに伴い、反応も少なくなってきたとも考えられますが、当ブログの閲覧者数は、開始後3年目がもっとも多く、その後、徐々に減少し、現在の水準にて落ち着いてきていますので、その考えは精確には当て嵌まらないと思われます。

ともあれ、記事閲覧者数の多寡ではなく、否定・肯定のいずれであれ、記事に対して少なからず反応があるということは、必ずしも、記事作成の継続のために、そこまで重要ではないと思われますので、端的に、あと70記事程度を今年の6月後半あたりまでに、どうにか投稿出来ればと考えています。

さて、つい先日から読み始めました岡義武著「国際政治史」は、その後も頁が進み、本日までで、全体の4分の1程度まで読み進みました。この時代のくだりもまた大変面白く、具体的には、19世紀前半のナポレオン戦争後の欧州を主とした世界情勢については、これまであまり概説的な著述を読んでいなかったことから、かなり新鮮な感じを受け、また同時に、トーマス・マンによる「魔の山」の社会背景様相がさらに深化して理解出来たようにも思われました。

その一方で、昨年暮れに購入した梶田昭著「医学の歴史」を少し手に取って読んでみたところ、これもまた興味深く、とりわけ、同著11章の「西欧医学と日本人」の、我が国における西欧医学萌芽期(江戸時代後期~)の記述が大変新鮮であり、今後、機会を見つけて、これに類する他の著作をあたってみようと思います・・(苦笑)。

とはいえ、経験上、あまり手を広げすぎるのも良くないと考えることから、とりあえずは、さきのブログにて述べましたように岡義武著「国際政治史」を半分程度まで読み進め、次いでユヴァル・ノア・ハラリによる新著「21 lessons :21世紀の人類のための21の思考」を並行して読んでみようと思います。しかし、さきにとり挙げましたあまり意図せずに読み始めた面白い著作も大事にし、そして機会を見つけてある程度集中的に読んでみたいと考えています。

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20200202 最近の読書から思ったこと・内容と著者の文体から

先日来から読み進めていました岡義武著「転換期の大正」を、つい先日、移動中の電車内にて読了しました。次いで同著者による「国際政治史」を新たに読み始めましたが、こちらは扱っている時代が以前に読んだポール・ケネディ著「大国の興亡」と概ね同様であることから、時折、意味が分からない言葉が出ては来るものの、それらの意味を調べつつ、比較的スムーズに読み進めることが出来ていると思われます・・。

また、当著作も、先日読了の「明治政治史」上下巻、「転換期の大正」同様、大変興味深く、特に著者である岡義武氏のテクニックであるのか、あるいは癖であるのか分かりませんが、著述にしばしば、そこに記されている人物についてのエピソードが挙げられているのですが、これが大変にセンスが良いと云いますか、秀逸であるように思われます。

後日、興味深いと思われた、こうした記述を当ブログに抜粋引用してみようと思いますが、その前にとりあえず、現在読み進めている「国際政治史」をもう少し読み進めたいと思います・・(苦笑)。また、ここまで書いていて不意に思い出されたことは、以前に、当ブログにてユヴァル・ノア・ハラリの新著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」を次に読んでみたいと述べていたことです・・(苦笑)。

おそらく、自分からの読み易さとしては、後者の方が優れていると思われますが、折角ようやく「国際政治史」の著述の間(ま)・文体に乗ることが出来るようになってきたと感じられることから、当著作を半分程度まで読み進みましたら、様子を見て、後者の方に手を出してみようと思います・・(笑)。

つい先日、日本近現代史についての著作を読み終え、そこから間を置かず主に16世紀以降の欧州を舞台とする国際政治・歴史についての著作を読み始めますと、やはり当初は相当に面食らうと云えますが、同時に両著とも、同じ著者によって書かれていることから、用いられている言葉・タームは、それなりに違うものの、その歴史著述の運びなどは、当然と云えば当然であるのかもしれませんが類似しており、そこから、何とか日本近現代からウェストファリア条約以降の欧州社会に飛び移ることが出来ているのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、こうしたことは書籍を読み進める上ではそれなりに重要であり、専門書はもとより、それは小説などの所謂「物語を読ませる」性質のものであれば、より一層重要であると云え、あるいは、こうしたことを人々に感じさせることの出来る文体を、どうにか体得することが出来るのであれば、それなりに苦労をしてみるのも悪くはないのかもしれません・・(笑)。

また、そこから思ったことですが、ここ数日は以前に投稿したブログ記事の加筆を行い再度投稿してきましたが、これはこれでやってみますと、色々と考えさせられて面白く、また、過去の自分(の文体)を、ある程度まで客観視することが出来るようにも思われることから、今後も継続して行きたいと思います。そして、案外、こうした過去の投稿記事への加筆作業の過程において、また、新たな記事作成の契機ともなるような、ひらめきを得ることが出来るのではないかとも思われるのです・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2020年1月26日日曜日

20200125 「言語と事物の関連性」の明瞭化・深化について思ったこと

おかげさまで1月23日投稿分記事の『手紙形式:クラシック楽曲と映画について【20200123】』がアメーバブログにて20位にランクインしました。これまでにも、何度か投稿記事がランクインしたことがありましたが、今回のランクインは、これまでで最も順位が高いことから、少し高揚しました・・(笑)。これを読んでくださった皆様どうもありがとうございます。

また、当ブログ開始から5周年を迎える、来る6月22日までに66記事の新規投稿があれば、総投稿記事数が1300に至り、同時に、それまでの5年間で10日のうち7日以上、記事作成を行ってきたことになります。そうしますと、今後、6月22日に至るまで、5日のうち2~3日程度、記事作成を行う必要がありますが、どうにか達成してみたいと思います。

これまで、約4年半にわたりブログ記事の作成を継続してきましたが、以前と比べて容易に記事作成が出来るようになったわけでもなく、また、記事内容については、当初の方がいくらか深みがあったようにも思われます。他方で、書かれた文章の読み易さについては、以前と比べますと、いくらかは上達したようにも思われます。これは、書く内容の深みが減衰してきた分、それを表現するための文章も単純化することが出来、いくらか適切な文章を(容易に)書くことが出来るようになったとも見て取れるのですが、これについては、今後、更なる高水準での均衡(文章の読み易さと深みの)を目指していきたいと思います。
また、それらを書いてきた自分については、人文社会科学系と歯科生体材料学分野双方にて研究活動を行ってきた経験があるからこそ、これまでブログ記事の作成を継続することが出来たと考えています。

しかし、多くの閲覧者数を得ている、所謂トップ・ブロガーの方々の多くは、こうした経験など経ずとも、多くの閲覧者数を得ておられることから、上記に述べたことは「本当にそこまで大きな意味・必要性があったのか?」と思われるところではあるのですが、少なくとも自分については、双方分野での研究活動により、単に文体の表層に留まらず、その背景にある「言語と事物の関連・結びつきが明瞭化・深化」され、具象・抽象何れの表現対象であっても、著される文章の明確さ、解像能がいくらかは向上し、これまでの継続に至ったものと認識しています。

これを異言しますと、表現の対象と、その表現に用いる言語との関係性が、研究活動を通じてある程度、書き手にとって明確になりますと、それに伴い、書かれた文章表現の解像能も自然と向上し、読んで頂く方々が増え、そこから書き手の精神が励起し、ここまでのブログ継続に至ったということになります。
とはいえ、このことは、そこまで単純なことではなく、また容易く一般化出来ることではないと思われますが、ここで多少大風呂敷を広げさせて頂きますと、この「言語と事物の関連・結びつき」の明瞭化・深化こそが、その言語を使う国・地域の興廃を決する大きな要素になるのではないかと思われるのです。これは、さまざまな時代の著述物をいくらか読み、あるいは具体的な著作としては、ジョージ・オーウェルによる「1984年」のニュー・スピークに関してのくだりを読んでみますと「あながち嘘ではないのかもしれない・・。」とも考えさせられるところですが、さて、皆様はどのようにお考えになるでしょうか・・。

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。







2020年1月24日金曜日

20200123 手紙形式:クラシック楽曲と映画について

早速のお返事どうもありがとうございます。
また、興味深いクラシック音楽に関しての情報どうもありがとうございます。
大変勉強になり、また肯く部分が多くありました。

さて、私がクラシック音楽を好んで聴くようになった契機は、先日ご一緒させて頂いた**先生からの影響であり、また**先生も、映画にて用いられているクラシック楽曲に関しては該博といって良いほどの知識をお持ちであると云えます。

ともあれ、私の場合は、その後、自分で稼ぐようになりますと、映画作品を観て、その中で気になる楽曲に出会いますと、さまざまな方法で、その楽曲の題名、作曲者等を調べてはCDを購入していました。サントラ盤がある映画ですと、これは簡単ですが、そのような作品ばかりでもありません。また、当時はインターネットも現在ほど普及していなかったため、それらを探すのは、それなりに苦労した記憶があります・・(苦笑)。

そうした中で、クラシック楽曲の映画での用い方が秀逸であると思われた映画監督が、今となってはベタではあるかもしれませんが、スタンリー・キューブリックでした。さきのメッセージにおいて示しましたが、同監督の最後の作品となった「アイズ・ワイド・シャット」の冒頭にショスタコーヴィチによるオーケストラのためのジャズ組曲第2番が用いられていましたが、こうした組み合わせのセンスは、現在他の映画監督で比肩する方はいらっしゃるのでしょうか。

また、そこまで有名とは云えない同監督による作品「バリー・リンドン」は、その映像の美しさと、用いられている楽曲の組み合わせにより「あるいは本当に当時の様子を撮影した映像を見ているのでは」と感じさせられるほどでした。とはいえ、この映像・楽曲双方にこだわった作品にも、ケチをつけられないわけでもなく、映画の時代背景であった18世紀中頃には、この作品で多く用いられたシューベルトによるピアノ三重奏曲第2番変ホ長調第2番は存在しなく、この楽曲は19世紀前半に作曲されたものです。

この異なった時代の楽曲を映画に用いることに反対したさらにこだわるスタッフが製作チームから脱退したという話をどこかで聞いたことがありますが、こうしたことは、おそらく、現在の我が国ではあまり生じ得ない現象と云えるのではないでしょうか。

とはいえ、やはりこの「バリー・リンドン」は映像美と楽曲の組み合わせにおいて突出した作品であるように思われます。また、映像であれば、リドリー・スコットの出世作となった「デュエリスト・決闘者」もまた、かなり美しいと云えます。この作品は「バリー・リンドン」の後の時代、さきのピアノ三重奏曲第2番変ホ長調第2番の作曲者であるシューベルトと同時代(ナポレオン戦争の頃)を舞台としたものであり、また、この作品の原作は、私が一時期耽読といって良いほどに読んだジョセフ・コンラッドによるものであることを、後に知りました。このように映画とクラシック楽曲を通じて、色々と繋がったり考えが浮かんだりすることは、なかなか面白く、興味深いと思われますので、引き続き、自分なりに続けようと思っています。また何か面白いと思った考えが浮かびましたら、メッセージ差し上げます。いまだ寒い日が続きますので、どうぞご自愛専一でお過ごしくださいませ。


2020年1月20日月曜日

20200120 昨日の続き、久しぶりの対話形式

A「最近また歴史についてのブログ記事を書いているどうですね。」

B「ええ、ここ最近何となく記事を書いていましたら、自然とそちらの方向に行くようになりました。これは正直なところ書いている自分でも、多少不思議に思うところです(笑)。」

A「うん、何かしら書いているうちに導かれるようなことは、ごく普通にあると思いますので、それはそれで良いのではないでしょうか? また、その書かれている内容についても、そこで扱っていた、馬の冑ですか?について、私はあまり知りませんが、その背景にある云わんとすることは、概ね同感できますね。」

B「はあ、そうですか!そう仰って頂けるとありがたいです。また、さらに言わせて頂きますと、博物館あるいは、そうした歴史に属するモノについてを扱った写真集のような著作の意味合い、価値といったものは、そういったところにあるのではないかと思います・・。

A「うん、博物館で古代に作られたものなどを見ますと、私は少し放心したような状態になることがあるのですが、おそらく、この放心に近い状態において、私の精神は、現在を生きている自分と、その目の前に置かれているものとの間にある遠大な時間を超えようと、あるいはそのものと繋がろうとしているのではないかと思うのです・・。無論、こうした試みは簡単に達成出来るわけではありませんが、それでも、いくらか書籍を読んで調べたりしていますと、よく分かりませんが、何かが繋がったと感じることも時々はあるのです。そして、歴史を学ぶということは、この決して多くはない実感を得るために行っているとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。」

B「ああ、それは私も同感です。銅鐸などを見ていますと、何故この時代の人々はこうしたデザインにカミのようなものを見出したのだろうか?などと漠然と思い。また他方で、それを作成した鋳造技術について「これが出来るまでに何回失敗したのだろうか・・?」などと、まあ少し邪な考えが湧いてくることがありますが、そうしたことを、関連する書籍なども読みつつ繰り返し行っていますと、ある時、その銅鐸のカタチや紋様から現在の我々が持つ感覚とも繋がる「何か」が不図脳裏によぎることがあるのです・・。そして、さきほどAさんが仰ったことは、おそらく、私にとっては、こうした現象が相当するのではないかと思われるのです・・。」

A「・・なるほど、それはたしかに全く違う感覚であるとは云えません・・。あるいはかなり似たような感覚であるのかもしれません・・。また、当然ではあると思いますが、それは継続的なインプット、刺激によってはじめて生じるということが、とても重要であるように思いますね・・。そしてまた、おそらく、何であっても、勉強や研究というものは、こうした背景の地均し、あるいは耕すという意味があるからこそ、重要であるのではないかと思うのですが、これは今後、人工知能が発達してきますと、一体どのようになっていくのでしょうかね・・(笑)。」


2020年1月19日日曜日

20200119 昨日の続き、歴史の理解・認識について

さて、昨日投稿分の記事にて「歴史の理解・認識」について書きました。その主旨は、歴史など手に触れたり、見ることが出来ない、所謂「抽象的」なものに対しては、それについて書かれたさまざまな著作を読み続け、油絵の重ね塗りのようにして、その様相を理解・認識していくといったものでしたが、それと同時に、その歴史と同時代に作成されたさまざまな物を通じた理解・認識もまた、重要であると云えます。

そして、それら双方による理解・認識を通して、はじめて明瞭・クリアな歴史像を得ることが出来るように思われます・・。たとえば、具体的なハナシとしては、和歌山県和歌山市の紀ノ川北岸に立地する大谷古墳から、我が国では出土が珍しい戦闘時の馬に装着する「馬冑」というものが出土しています。この「馬冑」は、古来から馬を用いる文化を持っていた北東アジアを淵源とするものであり、中国北部や朝鮮半島の古墳墓からも出土、さらに墳墓内壁画での描写、副葬品陶俑での表現などが見受けられます。

我が国における「馬冑」の出土は、さきの和歌山県、その他は福岡県、埼玉県の古墳からの3例のみであり、また、それらの時代はいずれも5世紀代とされています。また同時に、この時代は、記紀が伝えるように朝鮮半島内部での国々の争いに、ヤマト朝廷が派兵していた時期でもあり、そこから、おそらく上記3古墳の埋葬者は、この朝鮮半島への派兵に強く関与していたと考えるのが妥当と云えます。

つまり彼等は、ヤマト朝廷の朝鮮半島派兵に従って渡海し、現地にて「馬冑」を入手したのではないかということです。とりわけ、さきの大谷古墳に関しては、5世紀後半期に在地豪族である紀氏に属する紀小弓また、その子である紀大磐が朝鮮半島での軍事活動に従事したという記録があることから、その信憑性は高いと云え、あるいは大谷古墳に前記二者(紀小弓・大磐)のいずれかが埋葬されていなくとも、同時期に朝鮮半島派兵に従った紀氏に連なる誰かが埋葬されているとも考え得ることから、さきの「馬冑」の出土と、その背景にある記録されている歴史像は、整合性を持ち結節することが出来ると云えます。

そして、そのようにして抽象的な歴史像と同時代における作成物を重ね合わせますと、そこには、単に抽象的とは云いきれない、具体的なイメージを伴った歴史像が形成され得るのではないでしょうか。また、こうしたことは、歴史を扱ったマンガ・映画などにおいてはその評価をも左右する極めて重要な要素であると云えます。とはいえ、欧米で製作された歴史を題材とした映画と、我が国のそれを比較しますと、我が国の場合、製作された時代が現在に近づくにつれ、その描写が「必ずしも妥当とは云えない」といった作品が多くなっているという印象を受けます。あるいは端的に、我が国の歴史を題材とした映画作品は、全体的に過去と比べ、背景となる歴史への考証が必ずしも適切に為されていないといった感じを受けます。

この意見には、おそらく異論を持たれる方々も少なからずいらっしゃるとは思いますが、それでも、いくらか、そうした作品を読み、観てきた私からしますと、どうしても、そのような印象を受けるのです・・。さて、皆様、こうしたことについて、どのようにお考えになるでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。



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20200118 最近書店に行き思ったこと、歴史の理解・認識について

所用のため、今年に入り既に何度か首都圏を訪問していますが、その度に時間を見つけ大型書店に足を運んでいます。こうした書店に行き、多くの書籍が並んでいる書棚を徘徊し、背表紙や表紙を眺めていますと、さまざまな記憶が惹起され、そしてまた同時に「自分はこれら書籍に書かれている殆どのことを知らない・・。」といった挫折感あるいは圧迫感のようなものをも感じさせます。「書店に行くとお腹が痛くなる」といった割合よく聞く現象は、あるいはこうしたところにも原因があるように思われます・・(笑)。

さて、とはいうものの、書店に行く度に、こうした挫折感・圧迫感を軽減するため、興味を持った書籍を購入していますと、さまざまな面で大変になりますので、昨今は自分なりに選んで購入しているつもりではありますが、それでもやはり徐々に増える一方であることから今後、近いうちに機会を見つけて書籍の断捨離・整理をした方が良いのかもしれません・・(苦笑)。

また、先日来から読み進めている岡議武著「転換期の大正」はさらに頁が進み、300頁少し手前まで読み進みました。ここに記されている時代は、1918年に第一次世界大戦が休戦にて終わり、パリ講和会議ワシントン海軍軍縮会議の開催となり、国内では第一次世界大戦の極東地域における事象と云えるシベリア出兵米騒動寺内正毅内閣の総辞職、尼港事件、(立憲)政友会の原敬を首班とする内閣の成立そして、その暗殺、他方で、元老・藩閥など維新エスタブリッシュメント等による影響力の低下と、時代潮流が大きく変化し、また、その意味においてこの大正期は、表題の通り、明治以降、近現代日本の転換期あったと云えます・・。

これまで当著作を読むことにより、また少し我が国の近現代史についての理解・認識が深まったように思われ、また、同時にそれは、これまでに読んだ北杜夫著「楡家の人びと」前半部、そして石光真清著・石光真人編「石光真清の手記・誰のために」とも時代が被ることから、今後、これら著作再読の際は、以前よりもいくらか深く読むことが出来るのではないかと思われました。

そして、通常、目に見えるカタチでの表現を採らない歴史への理解・認識といったものは、おそらく、こうした比較的長い期間をかけた反復的な活動を通じ、油絵の重ね塗りのようにして、自分なりの、その時代に対する理解・認識のカタチといったものが形成され、そして、深化していくのではないかと思われます。

しかし、その一方で、歴史認識においては、さきに述べた方法と同程度に重要であり、そしてまた、その方法との補完関係にあると云える方法が、歴史上に登場するさまざまな具体的存在のカタチ・機能そしてその背景にある意味を理解することであると考えます。

おそらく、前者のいわゆる文字によって著された歴史と、後者の具体的な存在によって表される歴史の双方が関連し合い、まさしく適切に配されることにより、ピントが合い、明瞭な歴史像に対しての視野を得ることが出来るのではないかと思われます・・。

そういえば、先日立ち読みした、ユヴァル・ノア・ハラリの新著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」はかなり興味深く感じられ、現在読み進めている著作を読了しましましたら、次はこれを読んでみようと考えています・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
日本福祉大学
オープンキャンパス

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新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

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2020年1月12日日曜日

20200112 書かれた文章の位相について思ったこと

かれこれ約4年半にわたってブログ記事の作成を行っています。その間、毎日1記事の投稿を行いますと、1643記事ほどになりますが、現在までの自身の投稿記事数は1229であり、そこから大体10日のうち7日程度の割合で記事を作成・投稿してきたことになります。そのように考えてみますと、思いのほか多く作成・投稿してきたとも思われますが、今後、6月に迎える5年目までには、もう少しその率を上げていきたいとも考えています。

そして、つい先ほどまで、しばらくの間、これまで作成してきたブログ記事を眺めていましたが、自身のブログは、読んだ書籍・観た映画などについて扱った記事が相対的に多く、それに対して日常生活について扱った記事は少ないと感じられました。さらに、ここからは私見になりますが、自身の場合、読書・映画などを主たる題材としてきたからこそ、これまでの間、記事作成を継続することが出来たのではないかとも思われるのです。

これは多少不思議にも思われることであるかもしれません。何故ならば、日常生活を題材とした方が、より、抽象的もしくは観念的と云える書籍・映画などを題材とした記事作成よりも容易に行うことが出来ると(普通は)考えられるからです。

このことは、ブログ記事作成当初、自分なりに悩んだところであり、現在、考えてみますと、初期に多く作成した対話形式の記事は、いわば、その悩みや迷いが結晶化したものであるとも云えるのです・・(苦笑)。また、これは今もって言語にて精確に表現することに対しての困難さを覚えますが、則物的・具体的な文体にて日常の出来事を述べることと、そうした即物的な世界観からいくらか離れ、接した書籍・映画などを題材とした抽象的・観念的とも評し得る内容を述べることの間には、それぞれで著された文章全体の位相が異なるように思われるのです・・。そして、過去の自身は「とりあえず抽象的・観念的なことを自分なりに精確に言語化してみることが自身にとっては重要ではなかろうか・・。」と考え、現在なおも右往左往している状態と云えます・・(苦笑)。

そして、この即物的・具体的そして抽象的・観念的な文章、いや、その文章のさらに基層にある認識・想念の明瞭化そして活性化こそ、極めて重要であり、また、これはおそらく我々の身体感覚と強く関連しているのではないかと思われるのです・・。

しかし他方で、上記に述べたような内容を、当ブログ開設以前の時期に、自身が文章として述べることが可能であったかと考えてみますと、おそらく、それは困難であったと云えます。当時の方が体力は明らかに優れていたはずであるのに・・。

そのように考えてみますと、身体感覚と体力とは、必ずしも随伴、あるいは同一視されるものではなく、あるいは、旺盛な体力は、一面においてセンサーとしての身体感覚をいくらか鈍麻させるような性質をも持っているのかもしれません・・。

そして、年齢と共に体力がいくらか衰えてきますと、はじめて、それまで無意識に近い領域にて考えていた、認識していたことを文章として言語化することが可能になる素地が生成され、そこから、意識・無意識による何らかの修練(多分、文章の作成や更なる読書であるように思われます。)を経て、抽象的・観念的にして、いくらかの人々が読んで納得・理解して頂けるような文章を作成することが出来るのではないかと思われるのです。

とはいえ、無論、現在の自身がそれらが出来ているとは考えていませんが、また、畢竟それも一つのルート(理解可能な抽象的・観念的文章作成のための)ではあるのかもしれませんが、それを文章化しておくことも、また一興であるとも思われますので、ここに記しておきます・・(笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。