2019年5月25日土曜日

20190525 時代の息吹を伝える「何か」

先日来から読み進めている司馬遼太郎著「翔ぶが如く」は第五巻終盤に差し掛かりました。宮古島島民遭難事件に端を発し、明治政府が初めて行った外征である台湾出兵はどうにかケリが着き、台湾からの撤兵となり、ここに徴募士族から成る部隊の兵士として参加していた宮崎八郎は郷里に戻り、学校(植木学校)を設立しますが、その後も各地に奔走し、政府要人との面談、情報収集にあたることになります。

さらにその後、主に九州において新政府に対する反乱の気運が高まり、そして肥後・熊本における神風連の乱が勃発することになります。あるいは別言しますと、この時代の我が国は、中央新政府による施策と、地方における旧来の保守的な秩序との葛藤により、各地に混乱の火種を宿しており、それらの中で発火点にまで達したものが明治初期における各地の士族反乱であったとも云えます。

ともあれ、また今後の展開が楽しみです。

さて、その一方で、先日来から何度かブログにて取り上げているウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」を購入しました。

前述のように長編小説を読み進めているさ中、他の著作に手を出すのは自身としてはあまり良いことではないと考えていますが、頁は開くとやはり面白いと思われることから多少読み進めてしまい、現在までに四十頁ほど読み進めてしまいました(苦笑)。

この「プラハの墓地」は、以前に読んだ同著者による「薔薇の名前」と同様、舞台となる時代に没入した独白文体が多いと思われますが、これがまた「薔薇の名前」と同様に秀逸であり、おそらくここに面白いと感じさせる「何か」があるように思われます。

またそれは「翔ぶが如く」が著者による解説と各登場人物の言動、行動の混合により物語が進行していくのと比較し、かなり「強烈」な印象を惹起させると云えます。それは何と云いましょうか「時代の息吹が直に伝わってくる」あるいは「(理知的・健康的とは云えない)躁的とも云える高揚感が伝わってくる」とでも評すれば良いのでしょうか。ともあれ平静に、こうした時代の息吹を文章にて伝えることが出来る技術は、一見簡単であるように思われるかもしれませんが、その背後にはかなり緻密な学識が必要と云えます。

一方、これが歴史のどこにも属していない架空の世界であるならば、著者の想像力により
さき(時代の息吹が直に伝わってくる)と一見類似したスタイルを保ちつつ、どのようにでも話を展開することが出来るのでしょうが、おそらくこれが我が国のマンガなどが得意とするところであるように思われますが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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2019年5月19日日曜日

20190519 いくつかの著作について思ったこと

昨日、本日と徳島は風の強い日が続き、あまり外出日和とは云えなかったと思われます。
さて、その後2件、書籍からの抜粋引用ですが、新たな記事投稿をしたことから、総投稿記事数は1183に到り、残り17記事の投稿にて1200記事へ到達します。

特に明確な理由はありませんが、1200記事まで到達することが出来れば、あまり後悔することなく、これまでの継続的な記事作成を止めることが出来るように思うのです。とはいえ、そこに至るまで残り17記事程度ありますので、あまり楽観視も悲観することもなく、もうしばらく(1200記事に到達するまで)記事作成を続けていければと考えています。

また、先月から新たにはじめたアメーバブログは、ブロガーでの1200記事到達後も、もう少し続けてようと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

さて、先日来の「翔ぶが如く」は依然第五巻を読み進めており、第五巻では明治新政府の行った官製倭寇とも云える台湾出兵が、清国そして国際社会からの非難に遭い、その後、良い結末に至らず幕引きに到りました。また、ここで第三巻末からたびたび登場する宮崎八郎という肥後国出身の青年が出てくるのですが、おそらく当時は、こうしたエネルギーを持て余している若者が割合多くいたのだと思われます。そして、そうした時代精神と共通するところに、先日から何度か取り上げている中江兆民による「三酔人経綸問答」の背景があると云えます。

いや、あるいは明治初期の新政府は、大隈重信が「書生政府」と評していたように、さきのような元気ある在野の若者と政府の姿勢との間にあまり違いがなかったのかもしれません。そして、良くも悪くも、その後の分水嶺となる出来事が西南戦争であったとも云えます。

こうした国を挙げて全面的に新たなことを行う時代は、その時代の様子を眺める人間からしますと大変興味深く、面白いものであるのですが、しかし同時にそれは、その後20世紀に入り日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争そして太平洋戦争開戦と徐々におかしくなっていく過程の端緒とも云える時代ですので、そこには既に若干苦いものもあるのです・・。

また、ここまで書いていて思い出しましたが、先日、ブロガーの記事の方へはじめてコメントが付きました。三年以上記事作成を行ってきましたが、はじめての出来事でしたので驚き「さて、コメントにお返事をしようか。」とも思いましたがネット上にて会ったことのない方にそうしたことをするのも気が引けるため、とりあえずそのままにしています。

そのため、この場にてお返事を書かせて頂きますと『野上弥生子著の「迷路」は、我が国の昭和十年代を知るために大変興味深く、面白い著作であると思いますので「慎吾のノート」までお読みになったのでしたら、もうすぐではあると思いますが、是非、最後までお読み頂ければと思います。また、個人的には特に垂水多津枝、阿藤三保子の作中の言動、考えが新鮮に感じ、興味深く思いました。』といった感じになります。

そういえば、昨日ブログ記事として抜粋引用しました小泉信三著「共産主義批判の常識」内の記述は、同著者による他の著作においても見られるものであり、また、それは感覚的ではありますが、何かしらスポーツの審判の判定を聞いているような感じを抱かせます。

それを約言しますと、身体性を持たせたコトバの運び方、文体といったことになると思われるのですが、そのことは著者である小泉信三を考えるうえで、なかなか重要なことであるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか。

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20190519 中央公論新社刊 中公クラシックス 小泉 信三著 『共産主義批判の常識』 pp.96-98より抜粋

『残るところは唯物史観に対する批評である。

人間はたしかに自分で自分の歴史を作るが、それを謂わば真空の内に創造するのではなくて、明日は、必ず昨日の終点である今日の歴史的現実から出発して、その上に築かれる。その与えられた現実そのものは、純然たる自然的条件以外のものは、それ自身人間の作り出したもので、天空から突如として落下したものではない。この意味において自分が作り出したものによって拘束せられ、またそれによって促進もされる。そういう意味において、当然歴史的経過は自由でなく、また偶然でない、といえる。そうしてその「与えられたるもの」の中、生産交通の方法技術、更に広く経済的事情、一般は、極めて重要な地位を占むべきものであるから、このことを強調したものと解すれば唯物史観は史学上争い難き貴重の理論を含んでいる。

ただ、歴史的経過は自由でないということは、ただ一つの行路のみが必至的であり、それ以外は一切不可能だという意味に解すべきではない。もしの歴史的因果の系列が絶対的に変更し難いものとして、将来に向って既に決定しているという意味において、必然的であるならば、一切の人間の努力、従って社会的運動は全く無意識であり、よし歴史は人間の心意を通じて経過するとしても、それがかかる絶対的の意味において必然的であるならば、それは宛も「朝日よ、昇れ」、「四季よ、循れ」といって努力するにも等しいことになるであろう。

マルクス及びマルクス主義者は、革命理論家たるとともに革命実践家たるものである。実践は、厳格な意味の必然とは両立しない。実践は、常に価値ある目的のためにする行為であり、そうしてもしもその行為がなければその目的は達成せられぬという可能性の容認がなければ、全然無意識に帰するものであろう。

そうして見れば、謂わゆる共産主義必然論には、多くの誇張または希望的観測が含まれていると謂わねばならぬ。資本主義社会の発展は、境遇の相同じき被傭者階級を膨大せしむること、生産を大経営に集中せきむること等によって、社会主義の実現を促し、もしくは可能ならしめると見らるべき事情を造るという点において、社会主義に対する或る可能性(possibility)を示すということは慥かに言える。進んで、ひとり可能であるのみならず、或る蓋然性を示すともいうことが出来よう。ここに社会運動の理由がある。


しかしこれが言い得る極限であって、それ以上進んで、共産主義は必然であるということは、政略的揚言か希望的観測に陥るものであって、経験科学の領域内にないてこれを承認せしむべき根拠はない。たしかにマルクスもいう通り、人間は勝手気儘に歴史を作るのではなく、与えられたる材料をもってこれを作るに相違ないけれども、かくして作られる歴史としては、幾多の可能の途が開かれている。その幾多の途の実現公算は同一ではない。その或るものは他のものに比べてより多くの蓋然性を持つ、とまではいうことが出来る。経験科学の領域内において吾々の言い得るところはここに止まり、それ以上に出ることは出来ぬ。』

小泉 信三著『共産主義批判の常識』 (中公クラシックス) pp.96-98より抜粋引用 ISBN-10: 4121601769
ISBN-13: 978-4121601766

20190519 中央公論新社刊 中公クラシックス 陸奥宗光著『蹇蹇録』pp.228-230より抜粋

『この日両国全権の会合終わりおのおの退出ののち、余は明日談判上予め打ち合わせておくべきことあるにより、特に李経芳を留め両人対坐して要談を始めんとしたる際、人あり怱卒戸を排して入り来たり、ただいま清国使臣、帰途、一暴漢のため短銃をもって狙撃せられ重傷を負いたり、暴漢は直ちに捕縛につけり、と報告せり。余も李経芳も事の意外なるに驚き、余は李経芳に対し、この痛嘆すべき出来事に就ては吾儕力のおよぶ限りは善後の策を講ずべし、足下は願わくは速やかに帰館し尊父の看護を尽くされたし、といい別れ、余は直ちに伊藤全権の遇所に到り相伴い清国使臣の旅館に往きこれを慰問したり、李鴻章遭難の飛報、広島行在所に達するや深く聖聴を驚かし奉り、皇上は直ちに医を派し下関に来たらしめ、特に清国使臣の傷痍を治療することを命じ給い、また皇后よりも御製の繃帯を下賜せられると同時に看護婦を派遣し給う等、すこぶる御待遇を与えられたり。かつ翌二十五日、特に左の詔勅を渙発し給えり。

朕思うに清国はわれと現に交戦中にあり。然れどもすでにその使臣を簡派し礼を具え式によりもって和を議せしめ、朕また全権弁理大臣を命じこれと下関に会合、商議せしむ。朕はもとより国際の成例を践み国家の名誉をもって適当の待遇と警護とを清国使臣に与えざるべからず。すなわち特に有司に命じ、怠弛するところなからしむ。而して不幸危害を使臣に加うるの兇徒を出す。朕深くこれを憾みとす。その犯人のごときは有司はもとより法を按じ処罰し仮借するところなかるべし。百僚臣庶それまたさらによく朕が意を体し、厳に不逮を戒めもって国光を損ずるなからんことを努めよ。

聖旨正大公平にして事理明確なるは、敵国使臣して感泣せしめたるべく、またわが国民をしてすこぶる痛惜の観念を起こさしめたり。この事変の全国に流伝するや、世人は痛嘆の情余りてやや狼狽の色を顕し、わが国各種公私の団体を代表する者と一個人の資格をもってする者とに論なく、いずれも下関に来集し清国使臣の旅館を訪いて慰問の意を述べ、かつ遠隔の地にあるものは電信もしくは郵便によりてその意志を表し、或いは種々の物品を贈与するもの日夜陸続絶えず、清使旅寓の門前は群衆市をなすの観あり。これ一兇漢の所為は国民全般の同情を表せざるところたるを内外に明らかにせんと欲するに出ずるものなるべく、その意ものより美しといえども往々いたずらに外面を粉飾するに急なるより、言行或は虚偽にわたり中庸を失うものもまたこれなしとせず。現に日清開戦以後わが国の各新聞紙はもちろん、公会に私会に人々相集まれば清国官民の短所を過大に言いふらし罵詈誹謗を逞しゅうし、ひいては李鴻章の身分に対してもほとんど聞くに堪えざる悪口雑言を放ちおりたる者が、今日俄然として李に対しその遭難を痛惜するにおいて往々諛辞に類する溢美の言語を出し、はなはだしきは李が既往の功業を列挙して、東方将来の安危は李が死生にかかるもののごとく言うに至り、全国いたるところ李の遭難を痛嘆するよりは、むしろこれによりて生ずる外来の非難を畏惧するごとく、昨日まで戦勝の熱に浮かされ狂喜を極めたる社会はあたかも居喪の悲境に陥りたるがごとく、人情の反覆、波瀾に似たるは是非なき次第とはいえ、少しく言い甲斐なきに驚かざるを得ず。李鴻章は早くもこの形情を看破したり。その後彼が北京政府に電報して、日本官民の彼が遭難に対し痛惜の意を表するは外面を飾るに過ぎずといえりと聞けり。余は内外人心の趨向するところを察し、この際確かに善後の策を施さざれば、或は不測の危害を生ずるやも測り難しと思えり。内外の形勢はもはやいつまでも交戦を継続するを許さざるの時機に迫れり。』
蹇蹇録』(中公クラシックス)
ISBN-10: 412160153X
ISBN-13: 978-4121601537

2019年5月18日土曜日

20190518 1180記事の到達

前回の記事投稿により、総投稿記事数が1180となり、残り20記事の投稿にて1200記事に至ることになります。また、4月からはじめたアメーバブログの方は、これまで閲覧者数はあまり伸びていないものの、読んでくださった方々からの反応を見ることが出来るという意味で、なかなか面白いと云えます。

さて、先日来より読み進めている司馬遼太郎著「翔ぶが如く」は、第5巻まで至りました。
第4巻では宮古島島民遭難事件により、さきに挫折した征韓論の代替として征台(台湾)論が
急きょ持ち上がり、そして実際に出兵に至るわけですが、この近代日本最初と云っても良い外地出兵は、そうしたことが不慣れであったことから、戦死者よりも戦病死がはるかに多いという結果に終わるのですが、それと同時に、こうした癖は太平洋戦争まで引き摺っていったとも云えるのかもしれません・・。

また、本日も日中、市街地の大型書店に出向き、いくつかのコーナーで書籍を物色していますと、先日の記事にも述べたウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」が再度気になり、手に取って読んでみますと、やはり大変面白いと思ったことから「「翔ぶが如く」を読了後に読んでみよう・・。」と考えるに至りました・・。ともあれ、そこで面白いと思うことは「何故、書籍を手に取りしばらく読んでいると「これは面白い!」という感覚を得るに至るのであろうか?」ということであり、こうした感覚は一体何に起因しているのであろうかということです。

私は立ち読みに関しては多少キャリアを積んできたと云えますが、高校生の頃までは、よく分からないなりに書店にて立ち読みし、単純に面白いと感じた書籍を読んできました。あるいは父親の書斎から面白そうな書籍を勝手に引っ張り出してきては読んでいました。

それが変わったたのは、おそらく、こうした書籍を題材として他者と話すようになってきてからと云えます。とりわけ文系の師匠からの影響は大きかったと云え、さきに出た「プラハの墓地」の著者であるウンベルト・エーコを知ったのも、この師匠を介してであったと云えます・・。

また、そうした視点にて現在記事を作成している自身の傍らにある書棚を眺めてみますと、文系分野の著作のうち民俗学、考古学分野以外の著作については、概ね、その影響の始源にあるのは、この師匠と云えます。

しかしまた、それは「この著作を読んでみなさい。」といったライトなものではあれ要請ではなく、世間話のように「この間読んだ「***」(書籍題名)はとても面白かったけれども、そういえば外国の著述家で**という人が似た主題を扱った「***」(別の書籍名)という著作が大分前にあったけれど、先日読んだものの方が新たな歴史的知見が加味されていて、あとは当時の社会状況も活き活きと伝わってきてとても面白かったですよ。」といった感じであり、それを聞き、私はあまりお金がないなりに神田の古本屋にて、そういった著作を立ち読みし「なるほどたしかに面白そうだ・・。」と感じて購入しては読んでいた記憶があります・・。

これは社会人になってからも同様であり、時折届く師匠からのハガキや、さまざまな論説の別刷りを読み、刺激を受け、そしてもう一つ、今世紀初頭から規模を拡大しつつあったと思われるアマゾンのお蔭により、決して書店が多いとは言えない地方にいながら私は大概の読みたいと思う書籍を手軽に入手することが出来ていました。

おそらく、こうした事情が複合的に作用して私は大学院に進むことを決めたと云えます。また、他にもいくつかの要因がありますが、それでも、先ず初めに人との出会いがあり「ああ、こんな世界もあるのだな・・」と感覚的に分かり、そしてそこから見える方向性、視野にしたがって能動的に書籍を読み続けていますと、そのうちに何かが変わるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・。

しかし、こうしたことは、個人個人で背景事情や好みの傾向が異なるため、普遍化することは困難であると思われますが、しかし、それでも各人のこうした行為の集積が今後の情報化する社会においては思いのほかに重要になり、また、その意味から高等教育の果たす意味合いも大きく変わっていくのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか。

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2019年5月12日日曜日

20190512 最近の読書から思ったこと

先月末から読み始めた司馬遼太郎著「翔ぶが如く」は第四巻まで至りました。前巻に続いて第四巻においては、征韓論の挫折による西郷等参議、そして、それを支持する主に薩摩系官員・軍人の大量辞職、その後、地方における不穏な状況の醸成、そこから前参議 江藤新平等を首魁とした不平士族による「佐賀の乱」の勃発そして鎮圧、江藤新平の捕縛となりましたが、その捕縛された場所が高知県の徳島県との県境である甲浦であったことに少し驚きました。おそらく、そこからさらに北上し紀伊水道を渡り、大阪まで行く考えであったのでしょうか。

また、他の最近興味深く思われた書籍は、以前読んだ「薔薇の名前」「永遠のファシズム」の著者ウンベルト・エーコによる「プラハの墓地」を書店にて何気なく手に取り立ち読みしたところ、大変面白く引き込まれそうでしたが、同時にこの著作は、それなりにボリュームがあり、現時点で通読することは困難であると考え、ひとまずのところ購入は控えておきました・・。

くわえて、先日、文系分野の知人から送って頂いた書籍、これもかなり興味深い著作ではあるのですが、しかし、これもまた通読、精読するには、ある程度時間を要すると思われることから、これも現時点では先送りしています・・。

また、この送って頂いた著作に関連して、以前にも当ブログで取り上げた森嶋通夫著「なぜ日本は没落するか」は、読んでいて感動をしたり、痛快な気分になる種類の著作では決してなく、むしろその対極にある著作と思われますが、しかしそれでも前世期末の時点で当著作は刊行されており、そこから現在に至るまでの我が国のさまざまな状況を鑑みますと「たしかにペンは剣より強いのかもしれないが、しかし、その効果、波及力に関しては、少なくとも我が国の場合、剣の方が即物的で分かりやすいのかもしれない。」あるいは「たしかに森嶋通夫、会田雄次、加藤周一、三島由紀夫、司馬遼太郎、村上兵衛といった今は亡き太平洋戦争を経験された方々が懸念されていた事態・状況になりつつあるのかもしれない。」と考えてしまうのです・・。

そして、こうした書籍を読むことによって生じる、ある種の絶望感・不快感のようなものは、出来るならば感じない方が幸せであるのかもしれませんが、しかし同時に著作内にて述べているところの多くは、おそらく公正であると考えることから、やはり我々は、こうした書籍、そしてその述べるところに対しても嗤わずに対峙して考える必要があるのかもしれません。また、おそらく社会におけるこうした感覚に対しての価値が、その後の社会の進む方向に思いのほか大きく影響を与えるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか。

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2019年5月5日日曜日

アメーバブログをはじめてから生じたこと【20190505】

先日からアメーバブログをはじめましたが、アメーバの方に直接ブログ記事の作成、投稿を行うことは未だ馴染まず、かねてから継続しているブロガーの方にて記事作成、投稿を行い、それをアメーバの方へコピペし、投稿しているのが現状です。

こうしたことからも「慣れ」や「習慣」は、なかなかバカに出来ないものだと痛感します。そして今後、1200記事あたりに到達し、そこからさらに記事作成を継続するという場合にはアメーバブログの方に直接記事作成を行っていこうと考えています。

また、さきに述べたアメーバブログでの記事投稿を始めて以来、どうしたわけか文系分野の知人および文系マインドを持っている方々からご連絡を頂くことが続いています。

彼等は概ね、本職の文系分野の研究者であったり、あるいはかつて文系分野の研究者であった方々であったりするのですが、彼等が作成した論説であったり、送って頂いた書籍はどれも大変興味深いものではあるのですが、それらを読み込むには、多少時間がかかりそうです。それ故、恐縮ではありますが、今しばらくお時間頂ければと思います。

くわえて、去る四月末から再び読み始めた司馬遼太郎著「翔ぶが如く」は、三巻にまで至り、明治六年の政変にて西郷隆盛が下野するくだりに差し掛かりました。今後の西南戦争に至るまでの経緯の描写が大変興味深いところですが、ここまでに自身が何度かブログ記事にて取り上げている陸奥宗光は登場していません。陸奥宗光の生涯を辿ってみますと、さきの明治六年の政変にはあまり関与しておらず、その後、明治八年に元老院議官に任命されています。そして、その後、西南戦争に際しては、主に土佐の自由民権派の反政府勢力と気脈を通じ政府転覆をはかったかどで逮捕され、下獄しています。また、この時、陸奥宗光が連絡を取り同じく下獄した土佐の反政府勢力に竹内綱と云う人物がおり、その五男が終戦直後に宰相を務めた吉田茂です。

このあたりの経緯については津本陽著「叛骨」上巻後半から下巻初頭あるいは、下獄に際しては山田風太郎著「エドの舞踏会」あたりが多少詳しく、特に後の著作は短編集としても面白く読むことが出来ると思いますので、興味のある方はお読みください。

また、明治初期の反政府運動、自由民権運動に参加し、下獄した人物の子供が養子に行ったとはいえ、その後、戦前期の外交官、外務官僚そして戦後すぐの外務大臣そして総理大臣を務めるといった社会背景からも我が国近現代史の動的な様相の一側面を見出すことが出来るように思われますが、さて如何でしょうか?

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