2016年7月21日木曜日

20160721 歴史から学ぶ・・【昨今の我が国について思ったこと】

ここ二日間ほど人間の精神における相変態・相転移について書いてきましたが、こうしたことは、ある程度大きく考えてみますと国・地域などによっても存在するように思われます。

たとえば、ある国が経験した大きな出来事(戦争・革命など)の前後において、その国の文化(の様々な面)が如何なる変化を遂げたかということを観察し考えてみますと、そこに最大公約数的に見たその国の精神における相変態・相転移の際の特徴、傾向などが見受けられるのではないでしょうか?

そして、こうしたことは様々な優れた著述家が既に述べられているので取り上げませんが、現在の我が国の状況とは、過去のどの時代に類似しているのかと考えてみた場合、もしかすると「白村江の戦い」の前の時代に似ているのではないかと思いましたが如何でしょうか?

しかし、であるからといって、今後絶対に戦争が勃発するというわけではなく、ただ古来より東アジア最大の国、中国(呼び名は色々ありますが)が熱を帯び膨張をはじめますと、それは否応なく周辺諸国に影響を与え、そこには多分に緊張が含まれるのではないかと思います。

そして、そこで生じた緊張とは、必然的にその国の同時代の精神あるいは集合的無意識などにも影響を与え、そして文化もまた変容してくるのではないかと思われます・・。

そして、こうした文化の変容は、特に都市部において容易に看取、観察することができるのではないかと思います。

また、特に具体的な個別の現象について記すことは控えますが、そこから1920年代~30年代の我が国社会の変容なども、同じようなモデルに則っていたのではないかと考えさせられます・・。

さらに、現代がさきに記したようなモデルに則っているとすれば、この時代(1920年代~30年代)を実際に生きた著述家等が概ね寿命により世を去った時代(現代)に社会の変容が生じているということもなかなか興味深いことではないかと考えさせられますが如何でしょうか?

そして、このように考えてみると「歴史から学ぶということは、少なくとも我々日本人にとっては、なかなか難しいことであるのかもしれない・・」とも考えさせられます。

さらに、ここまで記していますと、これまでの一連のブログ記事にて、その文章を抜粋させて頂いた様々な著述家の方々が現在の我が国に生きているとすれば、見るとすれば、彼等・彼女等は一体どのような感想を現在の社会に持つのであろうか・・?と考えてしまいます・・。

たしかに我々日本人とは19世紀半ば過ぎにいち早く西洋的な近代化を成し遂げ、当時膨張しつつあった西欧列強の植民地となることを免れ、また、その後の大敗を喫した太平洋戦争の後においても驚異的な復興を成し遂げ、世界に名だたる経済大国にはなりました・・。

それは、たしかに我が国民の、ある面での優秀性を如実に示すものではあるとは思います。

しかしながら他面において、それはあくまでも突貫工事的にある程度機能する組織等メカニズムを組み立てることの優秀さであり、その後の社会、組織における持続可能性、発展持続性を考慮したものではなく、むしろ、その後は、そうした組織等メカニズムに組み込まれ、あるいは単に生活を成り立たたせるための機構となり、持続可能性、発展持続性を保持するためのある種の熱意、精神(いや良心かもしれない・・。)を見事なまでに閑却するか、あるいはエピゴーネン的な換骨奪胎、再生産に終始してしまうような特質を持っているのではないかと不図考えてしまいます・・。

こういったことが単なる見当違いの妄想、杞憂であれば良いのですが・・。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、さる四月に発生した熊本での大地震による被災地での諸インフラの早急なる復旧そしてその後に続く着実な復興を祈念しております。