2017年8月24日木曜日

20170824 日常の会話から・・事物の抽象化能力の重要性について

大分前に投稿したブログ記事を何かの折にあらためて読んでみますと、そこに書かれている内容にてワザとらしく難解と思われるコトバを【あえて】用いているのではないかと感じられることが多々ありました。

昨今投稿された記事においても、時折はそうした傾向が看取されることもあるかもしれませんが、冒頭に書いた時期の投稿記事に比べますと、その傾向は収まりつつあるのではないかと思われます。

そして、それに関連して思い出されることは、世代が上の理系・文系の研究者の方々とアカデミックな場でなく、日常会話が為されるような場にて、ある種学問・研究に関連するようなハナシをしておりますと、何といいますか難解と思われるコトバを敢えて使わずに、たとえ話、もしくは何やらよく分からない抽象的なハナシになるといった傾向が往々にしてあるということです・・。

とはいえ、これはこれで大変面白く、そうしたものを記憶に留めておくと、後にある程度の量の書籍・文献を読んだ結果『ああ、あの時**先生が云っていた意味はこういうことだったのだな・・』と分かる(と感じる)こともしばしばあるのです・・(笑)。

また、そうした経験が比較的多いのは、私見としては文系学問分野ではないかと思われます。

おそらく(私の知る)理系学問とは、その学問としての性質上、具体性・論拠の明示(再現可能性の基礎となるもの)が強く要求されることから、文系学問ほどに抽象的に語る、あるいは考える必然性に乏しいのではないかとも思われます。

しかし、一口に理系といいましても、たとえば原理的な理論・現象を主として扱う分野になりますと、やはり高度な事物に対する抽象化能力が要求されるようであり、そこで為される会話とは、たとえアカデミックな場を離れていても、時として、ある種の高度な抽象性を見出せることが多々あるようにも思われます・・。

そして、何れの学問分野においても自身が驚き、そして到底敵わないと感じさせる対象が持つ特質とは、概ねこうした(事物の高度にして洗練された抽象化能力)ものであり、その意味において私は老若男女問わずさまざまなタイプの優れた方々を見ることが出来たのではないかと思われます。

そして今回も、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。


昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域における諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」




20170823 食育と夏場の体臭について首都圏から思ったこと

A「つい先日上巻を読了し、下巻を読みはじめた書籍も今日までに100頁以上にまで至りました(下巻全体の四分一)。

まだまだ先は大分長いですが、同時に思いのほか面白く読み進めることが出来ていますので、この調子にて読了に至ることが出来ればと思います。

さて、本日の首都圏は昨日と同様、日中気温が上昇し、本格的に夏らしい一日となったのではないかと思われます。

さて、以前にもブログ記事に何度か書いたことではありますが、こうした時季にしばらく街中を歩いておりますと、どうも九州在住時の記憶が想起されるようです・・(笑)。

また、それに関連して、つい先日気が付いたことは、さきに書いたような蒸し暑い環境にくわえ、周辺の自然の薫りが濃厚に感じられますと、私の場合、紀伊・和歌山での何処かの記憶が連想、想起されることです。

そして、このようなことをあらためて気が付いてみますと、目で見る視覚と同様、薫りといった嗅覚による環境の認識もまた身体レベルでの(包括的)認識という意味において、かなり重要ではないかと思われるのです・・。

また、この嗅覚による認識とは、近年その重要性が指摘されている『食育』とも、かなり密接な関連があるといえます。

しかしそれと同時に、ここで大変面白く思うことは、特に首都圏において(発汗の多い)夏場の男性の体臭をかなり忌諱するという傾向です。

そのため、男性用の制汗剤、香水などが多く開発、販売そして消費されているのでしょうが、そうした状況の下、この時候の満員電車に乗りますと、さきの体臭よりも男性用の制汗剤、香水あるいはその他香料などの香りの方が強く感じられ、それはそれであまり快適とはいえない環境であるとも云えるのです・・(笑)。

そして、一方において前述の近年その重要性が指摘されている『食育』とは、どうも(夏場の男性の体臭を忌諱する傾向と)本質的あるいは根源的に相矛盾するのではないかと思われるのです・・。

しかし、その反面において、衛生観念および、それに関連する技術の進化発展とは喜ばしいことではあるのでしょうが、どうも我々日本人の場合、そうしたモノあるいは観念を原初の姿から把握しないままで実用性に基づく応用に次ぐ応用を重ねるといった傾向があることからか、多くの場合、どうも変な方向に行ってしまうような傾向があるようにも思われるのです・・(苦笑)。

結句、現在の首都圏における夏場の体臭を忌諱する傾向とは、同じく電車内にて多く見受けられるスマートフォンでのゲームと同様、何やら人間の生来の感覚から逃げだそうとする傾向があるのではないかと思われ、あまり良いものであるとは考えることが出来ないのです・・。

まあ『程度の問題』ではあるのかもしれませんが・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」