2021年6月5日土曜日

20210605 ツイッター連携記事への反応から思ったこと(文章に対する身体感覚に近い理解について)

 ここしばらくの間、昭和20年8月15日(終戦・敗戦記念日)周辺の出来事が書かれた文章をいくつか引用し、ブログ記事としてきましたが、おかげさまで、これら記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

とはいえ、こうした記事の投稿を続け、さらに現在のリアル・タイムのニュースなどを見聞きしていますと、よく分からない感じにて消耗するようであり、昨日は夕刻頃より少しグッタリとしていました。また、書籍からの引用記事が主であれ、一週間以上、しばらくの期間、継続的に記事投稿を行ってきたことによる疲労もあったのかもしれません。

そこから、本日も新たな記事作成を行わず、早めに休もうと考えていましたが、当ブログと連動しているツイッターにて、大変興味深い反応があったことから「何かしら記事を作成しておこう・・」と思い立ち、先ほどから記事作成を行っている次第です・・。

そういえば、ここで「作成」と云う言葉を用いましたが、これは手書きであれ、キーボード入力であれ、共通して用いることが出来る言葉と云えますが、キーボード入力での文章作成の場合「書く」という言葉は適切ではないと云えます。

他方、先日来から用いているメモランダムに文章を書き、記事(の下書き)を作成している時は、まさしく「書く」という表現が適切と云えます。そして、そこで大変興味深いと思われることは、手書きにて文章作成をしている時は、あまり滞ることなく、手が動き続け、ともかく、何かしらの文章を作成出来ていることです・・。この点、現在のキーボードによる文章の入力は、スピード的に手書きと比べ、大分遅いと云えます。

手書きでの文章作成は、紙とペンという、昔ながらの道具を用いての作業であり、他方のキーボードによるPCでの文章作成は、その用いる道具の実在性というのでしょうか、そうしたものが、未だイマイチ身体感覚としてシックリ来ていないのではないかと思われるのです・・。

またこれは、同じ文章を読むに際しても、実在の紙媒体のものを読まないと、イマイチ理解した気にならないというのと、何かしら類縁関係にあるのではないかと思われます。

さて、そこで、さきに述べましたツイッターでの興味深い反応について書いていきますと、それは一昨日の平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」投稿直後に、5年前の2016年に作成・投稿し、そして去る4月19日に当ツイッターにて連携した照屋佳男著「コンラッドの小説」pp.117-119に「いいね」が押されていたことです・・。

これは、少し後になって気が付きましたが、正直、ここまで深く当ブログを読んでくださっている方がいらっしゃることに感激と共にある種の畏怖をも覚えました・・。

しかし、であるからといって、そこから当ブログの文章が急激に良くなるということはなく、それもまた、こうしてブログ記事の題材となってゆくのです・・(苦笑)。

ともあれ、こうした反応を得た体験を後になって想起出来るように、それを記事として書いたことにも、わずかではあるかもしれませんが、価値のようなものがあるのではないかとも思われるのです・・。

そして、ここで大事なことは、さきに文章作成の手法についてで述べました「身体感覚にてシックリきているかどうか」であると思われます。

つまり、両著作引用部各々の主旨・主張を、しっかりと身体感覚(に近いもの)として理解出来ていないと、そうした反応を(即座に)することは困難であると思われるのです・・。

また、こうしたことを述べますと「そうした主張は衒学的ではないか?」という批判を受けるかもしれませんが、しかしながら、本当の円満な博学・博識とは、たとえ周囲の人々(特に女性・・)から疎まれようとも、少しおかしくなっている衒学的な期間を通じて辿り着くことの方が多いのではないでしょうか・・(苦笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


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