2023年1月7日土曜日

20230106 岩波書店刊 宮崎市定著 礪波護編「中国文明論集」 pp.82-85より抜粋

岩波書店刊 宮崎市定著 礪波護編「中国文明論集」
pp.82-85より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003313313
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003313312

中国の古代社会の頂点をなす漢時代において、塩鉄の専売が重大な事件として論議されたことは今更ら申すまでもない。しかるに三国以後、この塩鉄問題が決して重要性を喪失したはずはないのに、それが漢代のように喧しく論議されなくなったのは何故であろうか。私はこれを荘園経済との関係において説明したい。
 
 荘園経済は原則として自給自足が強化される。ただし普通には自給しえないのが塩と鉄とである。塩と鉄とは最も封鎖性の強い中世においても、代表的な商品であった。しかるにこの重要商品を廻って塩鉄商人の活動が大して中央政府当事者の眼に映らなかったのは、この商業が荘園経済の中に包摂されてしまったためではなかろうか。即ち荘園経済は単に生産面に特色を有するのみならず、流通面にまで食い込んでいたのではないか。というのは荘園所有者はその剰余生産物を売却し、必要物資を購入する時、これを特別の商人に依存せず、自らがその衝に当ったと思われるふしがあるからである。当時の商業は、相当の遠距離商業までも、荘園主によって営まれ、従って純粋の商人の活躍舞台が狭く、商業資本の問題は広義の荘園問題として取り扱われていたのであろう。
 
 しかるに唐末以来、荘園経済が崩壊し、隷民たる部曲が解放されて佃戸となり、佃戸は自家の経済に全責任をもつ。塩鉄の如き商品も彼ら自身の貨幣をもって購入する。そこに貨幣経済が盛行し、商人の活躍舞台が広まり、商業資本の横行する原因があった。
 独裁君主は自己の人民を商人に横取りされないためにまず塩の専売を実施した。以来千有余年にわたって塩法は中国社会を特色づける重要な一素因として作用した。
 
 鉄の問題は塩と違った行き方をした。簡便なコークスによる精錬法が発明され、それが潜在生産力として存在するため、政府は鉄に重税を加えて専売を行うことが不可能にとなった。もし政府が専売によって鉄の価格を高くすれば民間の潜在生産力は忽ち活動を始め、闇生産が蜂起するに違いないからである。従って鉄は概ね自由商品として放任され、その価格が安価であったことは、他種の生産に対して有効な助力を与えることになった、それは塩は中国社会のその後の停滞性を代表するが、鉄は中国社会の進歩性を象徴するものと言うことができる。
 
 それにしても日本の学者は、そろそろ中国の後進性論を清算してもよかりそうに思う。私の考えでは、世界史は各地域、各国民の文化それ自身の発展の経過とともに、その相互間の水準の差を明らかにしなければならぬと思う。そこに世界史の意義があるのである。私の目下の結論としては中国の文化はその開始の時期において、西アジアに比較してずっと遅れている。しかしその後次第にその後進性を取り戻して追いつき、宋代に至って、西アジアを凌駕して世界の最先端に立った。しかるにこの宋文化の刺戟によってヨーロッパ文化が進歩し、そのルネッサンスによってヨーロッパは中国よりも先行するに至った。しかし始めの中は祖の差は極くわずかなまおであり、十八世紀までは雁行の状態であったが、ヨーロッパに産業革命が起こると、中国は遥か後方に置きざりにされ、年とともにその間隔がいよいよ大となり、やがて中国はその半植民地と化したが、今度は植民地化する間に次第にその後進性を取り戻して、ヨーロッパ文化に追いつきはじめた、というのが相も変わらぬ私の見解なのである。