2023年9月15日金曜日

20230914 株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会 pp.101-104より抜粋

株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会
pp.101-104より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061495755
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061495753

 スターリニズムの支持者は、本当はそれが嘘であることを知っている。しかしだからこそ、彼らはそれを信じるふりを止められない。実質と形式のこのねじれた関係は、コジューヴが「スノビズム」と呼んだ態度と同じものである。

スノッブでシニカルな主体は、世界の実質的価値を信じない。しかしだからこそ、彼らは形式的価値を信じるふりを止められないし、ときにはその形式=見かけのために実質を犠牲にすることもいとわない。コジューヴはこの「だからこそ」を主体の能動性として捉えていたが、ジジェクは、その転倒はむしろ主体にはどうにもならない強制的なメカニズムだと述べている。人々は無意味だと分かっていても切腹を行い、嘘だと分かっていてもスターリニズムを信じる。そしてそれは嫌でも止められないのだ。

 ジジェクの理論によれば、この逆説は人間心理の原理に関係している。したがって彼の著作を読むと、「だからこそ」の転倒は、ギリシャ哲学からヒッチコックやコカ・コーラまで、あらゆる時代のあらゆる場所で確認されるように記されている。

 しかし筆者の考えでは、そのような普遍性はいささか疑わしい、ここでその詳しい根拠を述べる余裕はないが、ただひとつ。「イデオロギーの崇高な対象」のシニシズム論が、そもそも、ドイツの批評家、ペーター・スローターダイクが83年に出版した「シニカル理性批判」のうえに作られていることには注意しておきたい。スローターダイクが検討したシニシズムは、あくまでも20世紀の現象である。彼はつぎのように記している。 

 第一次世界大戦は、近代シニシズムの転回点を意味する。大戦によって旧来の素朴に対する腐食・分解が本格化する。たとえば戦争の本質や社会秩序、進歩、市民的な価値、要するに市民文明全般の本質についての素朴な見地が崩れてゆく、この戦争以来、ヨーロッパ諸大国を覆うこの散乱した分裂症質の風土が晴れたためしはもはやない。[中略]すべての『肯定』はこれ以後『されどなお』でしかなく、それとて底のほうでは潜在的な絶望によって浸食されている(注41)。

 第一次世界大戦の経験とその結果訪れたヨーロッパの荒廃は、啓蒙や理性に対する19世紀的な信頼を徹底的に壊してしまった、筆者の考えでは、ジジェクのシニシズム論は、彼自身の主張とは異なり、人間の普遍的原理というより、むしろこの戦争の結果生まれた「20世紀の精神」の分析として精緻にできている。これはある意味で当り前で、というのも、彼が頻繁に参照するフランスの精神分析医、ジャック・ラカンの理論そのものが、じつはその同じ大戦の経験から導き出されたものだったからである。たとえばラカンはフロイトのなかでも晩年の仕事(死の欲動や反復強迫)に注目していたが、それらはまさに第一次大戦中から戦後にかけて生み出されたものだ。さらにまた、フロイトに加えて彼に影響を与えたハイデガーの哲学やシュールレアリスムの運動も、すべて同じ時代に生まれている。したがって、前述のようなジジェクの分析は、じつは、第一次大戦によって生まれた現実(冷戦期のイデオロギー)を、同じく第一次大戦によって生まれた理論(ラカン)で説明する試みだったことになる。ここで具体的に紹介できないのが残念だが、ジジェクの様々な文化批評や社会批評は、このような距離を取って読めばきわめてよく練り上げられている。彼の著作では、ほとんどの現象がシニシズムの転倒により説明されるのだが、じつはそれは過ぎ去った20世紀、私たちの社会がまさにシニシズムに支配されていたことの反映なのだ。