2017年8月17日木曜日

20170816 昨日投稿分の記事に関連して スポットライト・ピント 実験的手法・歴史【視野の明瞭化】

A「本日の首都圏もまた断続的に比較的強い雨が降り、昨日同様、八月半ばとは思えない程に冷涼ともいえる一日でした。

そして、ここまできますと今年の首都圏に関しては冷夏と評しても良いのではないかとも思えてきます。

また、こうした天候の事情と関連してか、今年の日本列島を通過する台風とは『変な動き』が多く見受けられるとのことですので、これもまた近年時折聞くエルニーニョ現象による影響ではないかとも思われます。

夏季においては、暑過ぎるのはもちろん嬉しいことではありませんが、同時にここまで気温が上がらない夏らしからぬ日が続くのも、多少先が心配になってきます・・。

さて、ハナシは変わりまして昨日投稿分の記事は投稿翌日にしては多くの方々(33)に閲覧して頂きました。

また、その主題として取り上げた歴史を見る、考える際のスポットライトとは『視野を明瞭にする』という意味において、あるいはピントと換言しても間違いではないのかもしれないと思われます・・。

そして、それをさらに異言しますと、どの部位、倍率にてピントを合わせるかにより、得られる観察像(視野)が(ある程度)決定され、それに基づいて言語を以って推論され物語ることが可能な現象が徐々に明瞭になっていくといった実験を伴う手法とも通底するものがあるということです。

とはいえ、こうした手法により歴史を観察する際において重要なことは、他部位、倍率でのさまざまな様相、観察像の(様相の)傾向をある程度事前に認識しておくことではないかと思われます。

また、その代わりに一見汎用性、普遍性があるとも見える演繹法における前提から現象を推察、推論し、物語ることは、少なくとも歴史を観察する特に早期の段階においては避けた方が良いのではないかと思われます・・。

しかし、であるからといって歴史を観察する上において演繹法におけるような前提となる言説全てを忌諱すべきというわけでもなく、大事なことは、あくまでも、そうした前提を『あまりにも早急に用いない』ことではないかと思われます。

あるいは、比較的早期の推論の段階にて、そうした言説を用いる場合においては、あくまでもそれが『仮説』であることを明言すべきであるということです。

そして、こうしたいわば些細とも云える手続き的なことが、歴史を観察する上においても、実験を伴う手法を用いる場合においても同様に、スポットライト、ピントを共有、共通し合わせた状態での(有効ともいえる)議論を可能ならしめる要件ではないかと思われます・・。

また、それ故に、それ以前のごく初期の段階において自身の論敵に対し勝ち名乗りを挙げるような議論の仕方とは、児戯にもならないのではないかと思われますが、どうも我々日本人とは、どうしたわけか、こうした議論の仕方をことのほか愛好する習性があるのではないかと度々思うこと【特に昨今】があるのですが、さて、如何でしょうか?

また、これはどちらかというと自身に対する注意喚起であるかもしれませんが・・(苦笑)。

とはいえ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに生じた一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念しています。』