2016年5月30日月曜日

20160530 いくばくかの自信らしきもの・・マトリックス

夜半に帰宅し、ブログの閲覧者数を見ておりますと、直近に投稿した記事に対し、類似あるいは強い関連性を持つ記事を様々な手段により提示してきているのではないかと考えさせられることが多々あります(私はおかしいのだろうか?)・・。

こうしたことは概ね私が考えるよりも上等のものであり、何となく遊ばれているような感じを受けることがあります・・(苦笑)。

また、これまで私はある程度の期間(明らかに)自身よりも優秀な方々に(多く)接してきたと思います・・。

そうした状況にて、かろうじて私が自信を維持できた主な理由とは、おそらく歴史、人文社会科学的な知識全般における、いくばくかの自信ではなかろうかと思います・・。

そして、それがなければ私はどこかで自信をなくし、挫折していたでしょう・・(苦笑)。

さらに、それは新たに研究を始めた学問分野における理解のための有用な道具あるいはマトリックスともなりました。

その意味において他の方がどう考えようとも、私は根っからの人文社会科学、文系の人間であると思っております・・(笑)。

また、私がそうなった主な理由、原因とは、様々な段階における周囲の環境に因るものが大きかったと考えております・・。

そして、こうしたものは、そのかなり大きな部分が「運」というものに依存しているのではないかとも最近思います。
また、一方において「これは必然であった。」と考える私もおりますので、この点においては未だに自身の中で確たる結論は出ていないようです・・(苦笑)。

それに加え、私にとって大変勉強になったのは、以前も当ブログに記した指導教授、教員といった方々によるものばかりでなく、私よりはるかに年下であり且つ私よりはるかに優秀な方々(男女問わず)によるものも少なからずあるのではないかとも思います・・。

一般的に特に我が国の男性の多くとは、自身よりも優秀な年下の方々(特に異性)に対して、どうにかして、それこそ卑怯な手段を用いても自身が優位に立たなければ気が済まないような傾向を有する方々が少なからずいらっしゃるのではないかと思いますが如何でしょうか?
(具体例としてSTAP細胞事件)
果たしてそれは自然なことなのでしょうか?

しかし、私はそのようには考えません・・むしろ、それは本当に醜いことではないかと考えます。

とはいえ、彼等、彼女等に対し、ただ理解を示すようなゼスチャーをとることもまた、同様に害悪であるとは考えますが・・。

実際に自身が感に堪えない、その才能を強く感じた時などは、それが若年・異性を問わず『正直な対応』をすることが良いのではないかと思います・・。

そして、そうであっても、そうしたことが続いたとしても、自身の内部に確たる自信を有する何かしらの分野があれば、それで良いのではないでしょうか?

私の場合、それはさきに述べたように歴史、人文社会科学的な知識あるいは見識ではないかと思います・・(笑)。

これもまた、様々な理系学問分野におけるそれと同様、なかなかその修練には時間、能動性を要するものであると思いますから・・。

しかし、私が危惧し反感を持つことは、こうしたものが簡単に自己のものとすることが出来るといった昨今流行の「心得違いな」考えであり、また、それを助長しているような現今我が国の社会です・・。

こうした現象とはニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」
マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
あるいはホセ・オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を否応なく想起させ暗澹たる気分にさせてくれます・・。

とはいえ、先月の熊本での大地震によって被災された地域の諸生活インフラの早急な復旧そしてそれに続く力強い復興を祈念いたします。

また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」







2016年5月29日日曜日

20160529 「Obsession」20200419加筆

おかげさまで昨日初めて、当ブログの1日の閲覧者数が1000人に到達しました。

さて、昨日、久しぶりに神保町に行き、古本屋の店頭にて何気なく目に入った「少女怪談」という様々な作家による短編集をパラパラと立ち読みしていますと、期せずして、その中の森村誠一による「青の魔性」という作品を読み入っていました・・。


私は特に「少女が好き」という傾向を持っていませんが、この作品の内容は、それが少女でなくともハナシのスジにはそこまで支障がないと思われます。


ともあれ、その上で、この作品の内容に関しては、何となく「分かる」といった感じを受けました。


そして、当作品冒頭部にて描かれている『憑りつかれる』といった感覚は、物理的現象としては認識し難いものの、良くも悪くも実際に存在するのではないかと思われます。


また、こうしたことを書くと「この人は少しおかしいのではないだろうか・・?」と思われる方々もいらっしゃるのではないかとも思われます・・(笑)。


しかしながら一方で、それはプラスな意味合いでは、自分以外の誰かから『元気をもらう』あるいは『癒される』などと普通に言い表される現象の逆をも含めたものであると考えていただければ、多少は納得していただけるのではないでしょうか?


また、私個人の経験に即して考えてみますと、良い意味でのそれは、私の九州在住時においても生じていたのではないかと考えています・・。


そして、現在の私は、まさに、そのことにより、これまでブログ記事の作成を継続することが出来、さらには生きている(生かされている)のではないかとも思われるのです。

いや、あるいはまた、そうした現象をどうにか客体化・対象化して認識するために、これまで一連のブログ記事作成を行っているのではないかとも思われます・・(笑)。

そして、こうした現象をマクロレベルにて考え、さらに歴史を遡上して考えてみますと、我が国が倭国と呼ばれた時代、女王が統治する邪馬台国というクニが、九州あるいは畿内の何れかに存在していたことが実感を以って感覚的にも理解・認識できるのではないかとも思われるのです・・。


その意味において、以前数回当ブログにて引用したローレンス・ヴァン・デル・ポスト「The seed and the sower」に記されている我が国の特質についての記述は、かなり興味深いものであると云えます。


とはいえ、そうであっても、こうしたことは畢竟、単なる思い込み・迷信の類であると批判される方々も少なからずいらっしゃるのではないかとも予想されます。


そして、そのような批判がなされた場合、私は『ええ、たしかにそうであるかもしれませんが、しかし、そこで私と同様な経験を彼の地ですることになれば、私以上に敬虔にそうしたことを信じるようになるかもしれませんよ・・。』と返答とすると思います・・(笑)。


ともあれ、この『憑りつかれる』と表現される内容も前述のとおり様々であり、それが生じた時の自身の心持、就中、邪気の有無がかなり精確に反映され、後になり自身に返ってくるのではないかと思われるのです・・。


そして、そういった、いわば単純且つ原始的な観念こそが様々な神話そして道徳的意味合いを持つ神話、さらには地域、国レベルの倫理、道徳観念の基礎あるいは枠組みへと変化そして精製されてゆくのではないでしょうか?


しかし、それでも現在記しているこの記事は、実際問題として、幾分迷信的ともとられ、また自身の今後、保身においても何かしらおかしな影響をおよぼしかねないと考え、投稿することを多少躊躇しておりましたが、それでも、どうしたわけか、この記事を投稿することにしました・・(笑)。


『他方では女友達のいるときの祖父を、理解していなかったにしても、理解するかもしれないと予感していたにすぎない。予感が私のなかで実現したのは、はるか後になって、私自身がひとりの女の眼のなかにすべてをみ、その一刻が世界の全体よりも貴重だと思われるような瞬間を、経験した後でのことである。その経験は、事の善悪について語ることを、全く無意味にみせる・・』
岩波書店刊 加藤周一著「羊の歌」-わが回想ーp.9より抜粋
ISBN-10: 4004150965
ISBN-13: 978-4004150961


さきの熊本での大地震によって被災された地域の諸インフラの早急な復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

また、ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

皆様のおかげでここまで書き続けることが出来ております。
そして最後にゲーテ曰く『迷信的であることは詩作の妨げにはならない』しかしながら、私は詩人ではありません・・(笑)。






          




加藤周一著「言葉と戦車を見すえて」筑摩書房刊pp.87‐89より抜粋20160528

昨日夕刻来の広島にて生じた出来事は以下の抜粋引用部を私に想起させた。

「無条件降伏のその日から、万事が変わったことは周知のとおりである。
占領は夏にはじまったから、開襟シャツの司令官がフロックコートの天皇と並んで写真を撮り、それを新聞雑誌に発表した。米国の営利雑誌はその下に註釈して「もと神」と書いたのである。

日本側では註釈を翻訳する時に、もとの表現の辛辣な諧謔味をとり除いた。

そこには、開襟シャツの大柄な外国人とその傍に立っている昨日までの「御真影」とを対照させた写真に対する、日本側の困惑がよく表れていた。しかし、おそらく天皇のために怒る者は殆どいなかったし、昔の臣民の中で、何等かの激しい反撥を表明する者もいなかった。

反応はおどろく程穏やかであった、しかしそれは写真の効果が浅かったということではけっしてない。おそらく天皇の「神性」を否定しようと考えた占領軍が予期したよりも、その影響は大きかったのである。余りに深い反応は、直ちに表面に出てくることができない。

対照の妙にこっけい味を感じる余裕のないことはいうまでもないとして、怒りや反撥をおぼえるよりも、日本側はその写真が発表されるようになった事態の意味を理解するために努力しなければならなかったのである。

永遠なるものは何もないということ、人間以外の何かがわれわれの世界を保障しているのではないということ、したがって「すべての文明はほろびる」ものであり、況や極東の島国の秩序はいつでも変わり得るものにすぎないということ、変われば前の世界に通じていたことが、後の世界では通じなくなるだろうということ、要するに自分達の永遠だと信じてきた世界の相対性を理解する急な必要があったのだ。

しかしこの場合に、世界を変えることではなく世界のかわることが問題であったということほど、決定的なことはない。

私は敗戦による一種の革命が唯外部から起こり、まったく内側から支えられていなかったというつもりはない。しかし大部分の国民にとって、外部からの変化として受けとられたという事実を強調しておく必要があると考える。

何故なら、歴史的意識は、おそらく一つの世界をその内側からくずし、別の世界を築きあげようとする経験の蓄積を通じてしか獲得されないものだろうからである。


その時現在の権威は来たるべき権威によって否定される。現在の世界の中心は、次の世界の中心が発見され、ひそかに強められ、その影響の範囲を拡大して後に、はじめて除かれる。


1789年に旧制度は仏国民の心のなかで死んでいたのだ。しかしそれは1945年の日本の状況ではなかった。来たるべき権威は予想されず、次の世界の精神的中心が何処にあるのかわからないうちに、永遠と信じられた、または仮定されていたーしかし、どういう違いがその間にあるのだろうか、ー旧来の権威、秩序、生活の規準となるべき権威の大部分は動揺し、くずれ、失われたのである。占領軍が期待し、また国内の民主的勢力が望んだのは、天皇の絶対的権威が否定されることであった。しかし実際に国民の大多数の中で否定されたのは、天皇の権威ではなく、権威そのものであった、歴史的相対主義のかわりに、現在目の前のどういう価値も信用しないという現象が起こるのは、当然の成り行きであったろう。

民主主義の一面は、敗戦後十年の間に、深く抜き難い根を下ろしていったが、それは一面においてであり、具体的な個々の場合においてであって、また、おそらく選良の多数には、未だそういうものとしてしか民主主義は受け入れられていない。


むしろ逆に天皇を中心とした世界の崩壊が作り出した権威一般に対する不信用の態度は、民主主義そのものにも向けられていると考えなければならない。事がそのように運んだ理由は、むろん敗戦の事情だけではなく、また民主主義の原理そのものとも関連し、殊にその原理が現在世界で遭遇している大きな困難、すなわち「二つの民主主義」という言葉によって要約される矛盾と関連している。


「二つの民主主義」の対立は、いずれかの形での民主主義の経験の浅い国ではーそれは何も日本に限らないがー当然のことながら、文化的伝統と国家的経験の基準からよりも、純粋にイデオロギー的な対立として扱われる傾向がある。

しかしそれがイデオロギー的対立として扱われる限り、第一に、解決は困難であり、したがって第二に、議論が煩雑とならざるをえない。その結果は、第三に、一般の知的大衆が民主主義に対するほんとうの関心を失うのである。いわゆる「敗戦の虚脱」の根本的条件は今でも変わっていないと思われる。」

言葉と戦車を見すえて
ISBN-10: 4480092382
ISBN-13: 978-4480092380
加藤周一 

























































2016年5月28日土曜日

バートランド・ラッセル著 堀秀彦・柿村峻訳「怠惰への賛歌」平凡社刊pp37‐41より抜粋20160527

伝統的な教育制度のあるフランスやイギリスのような国々では、知識を功利的にみる見解は、ほんの一部分に拡がっているにすぎなかった。
例えば、大学には、中国の古典は読むが、近代中国を創造した孫逸仙の著書を知らない中国語の教授が今なおいる。
また、文章が純粋である著書が書くものに限った古代史、換言すれば、ギリシャではアレキサンダー、ローマではネロに至る歴史は知っているが、もっと重要な後世の歴史は、それを述べる歴史家が文学的に劣っているから、知ろうとしない人がいる。
しかし、フランスでもイギリスでも、古い伝統は絶えていき、ロシアや合衆国のような近代的な国では、全くなくなっている。
例えば、アメリカでは、教育委員会は、大多数の人が、商業通信文に使う語は、全部で千五百字を出てないことを指摘し、それに基づいて、これ以外の語は一切、学校の課程から除くべきだと提唱している。
基本英語は、イギリスの案出にかかわるものだが、もっと進んで、どうしても必要だという語彙を八百語に減らしている。言葉は美的価値を持ち得るものだとする考え方は亡びていって、実際的な知識を伝えるのが、言語の唯一の目的だと考えるようになって来ている。
ロシアでは、実用上の目的を追求することがアメリカよりも熱心である。というのは、教育機関で教えることは、教育や政治の面で、或るはっきりした目的を果そうとすることに限られているからである。しかしただ一つの例外は、神学に見られる。即ち、聖書は、誰かは固有のドイツ語で研究しなければならないし、少数の教授たちは、ブルジョア形而上学の批判から傷つけられないように唯物弁証法を守るために、哲学を勉強しなければならない。
だが正統派の基盤がもっともしっかり定まると、このささやかな逃げ口も閉ざされるだろう。
どの方面をみても、知識は、それ自身だけで善いものとみなされず、また一般的にいって、ひろく情味豊かな人生観を生み出す方法としては考えられず、単なる技術の一要素とみなすようになって来ている。
こういうことは、科学的技術や軍事上の必要がもたらした社会の大きな統合の一端のあらわれである。
昔より今は、経済上または政治上の相互依存が強くなって来たので、社会的圧迫がふえたから、誰でも、その隣人に役に立っていると思われる方法で生活せざるを得ない。
非常な金持のための学校や、伝統が古いために動かすことができないような学校(イギリスにおいて)は別として、すべての教育機関は、好き勝手に金をつかうことは許されないが、技術を授け、忠誠心を吹きこむことで有用な目的にかなったことをしていることを、国家に納得させなければならない。
このことが、強制的な兵役、ボーイスカウト、政党の組織及び新聞を通じて政治的な情熱の伝播を引き起こす結果となったその運動の重要な要素である。
私たちは、なかまの市民を以前よりかえってよく知っており、私たちに道徳心があるなら、彼らのためになり、どんな場合でも、彼らも私たちのためになることもするようにさせたいという念願を前よりも強くなっている。
誰であろうと、ぶろぶらして人生を享受している人を思い浮かべるのもいやである。その享楽の性質がどんなに品がいいものであろうともそうである。ひとはすべて、(何であろうと)偉大な事件を推し進めるために何か為すべきだと思う。
多くの悪人がその事件を妨げる働きをしており、それを止めなければならないから一層そう思われる。したがって、どんなものにせよ、私たちが大切だと考えることえお求めてたたかう助けとなるような知識でない知識は何によらず、獲得する心のゆとりは、私たちにはない。
 教育に対してせまい功利的見解をするいいわけはたくさんある。大体、暮らしをたて始めない内に、あらゆることを学ぶ時間はない。それで確かにいわゆる「有用」な知識が甚だ役に立つ。その知識が現代世界を作ったのである。それがなければ、機械も自動車も鉄道も飛行機もできていなかったはずだ。さらに近代の知識は、おしなべて健康えお著しく増進したが、同時に毒ガスで大都市を滅ぼす方法も発見した。私たちの世界を前の時代と比較してわかる著しい特徴は、どれもいわゆる「有用」な知識から生まれている。今までのところ、どの社会をとってみても、この知識は不十分なので、教育はたゆまずそれを増進していかなければならないことはいうまでもない。
伝統的な文化教育の多くが馬鹿げていることも認めなければならない。少年たちは、ラテン語やギリシャの文法を修得するために何年も費やしているが、結局(そのごく少数の人の場合を除けば)その言葉で書いた著作物を読む能力もないし、或いは読む気もない。どんな点からみても、近代語や歴史の方が好ましい。それらは遥かに役に立つばかりでなく、遥かに少ない時間で、より多くの教養を与えてくれる。


  • ISBN-10: 4582766765
  • ISBN-13: 978-4582766769
  • 柿村峻

    2016年5月26日木曜日

    20160526 日差しと精神

    テーマの重複などは多くあるかもしれませんが、とりあえず当ブログにて300記事以上投稿し続けることが出来たことは良い経験になったと思います。

    今後どの程度まで記事作成を継続することになるかわかりませんが、もう少し記事作成を継続してゆきたいと考えております。


    そういえば最近は首都圏においても気温が上昇し、日中は「暑い」といってもいい日もありました。

    しかし暑さに関していいますと、やはり鹿児島の夏の暑さはなかなかのものであり、何といいますか日光の強さが首都圏のそれとは多少異なるのではないかと思います・・。

    そして、そこで想起するのは夏目漱石著の「三四郎」に登場する、三四郎と同郷の研究者である野々宮宗八(寺田寅彦がそのモデル)が、こうした光線の強さについて研究していることに加え、同作中、冒頭部に近いところにて三四郎が汽車にて九州から北上するにつれて乗車してくる女性の肌の色が徐々に白くなってくるといった記述です・・(笑)。

    これはおそらく熊本市に在住経験のある夏目漱石の多少なりとも実感を伴った描写ではないかと思われます。

    一方、熊本の南隣の県に在住した経験を持つ私は、九州の方々に見られる肌の色の濃さとは、概して健康的であり、それは往時以来我々日本人の美的感覚に適うものではないかと思います。

    また、もしかすると、私はその南国的ともいえる日光の下に身を置いてきたお蔭で現在こうした記事を書くことが出来ているのではないかとも割合本気で思います・・。

    とはいえ、そうしたことを記述すること自体、私が多少精神に失調、変調をきたしているということに因っているのであらうか・・(苦笑)?

    (しかし私の精神とは正常であると当たり前のように思っている。また、それが当然であると思っている(笑)。)

    それはともかく、この日光と精神の失調との関連を匂わせているのがジョセフ・コンラッドの「闇の奥」作中にて主人公のマーロウがアフリカに旅立つ前の健康診断を受ける際に医師から「(変にならないためには)カッカしないで日光にあたらないように気をつけなさい。」という助言を受けるという記述ではないかと思います。

    あるいはもしかすると、この助言とはある程度までは正しいのかもしれません・・(苦笑)。

    ともあれ、以上の記述も含め、いくつかの異なる場所にしばらくの間住んでおりますと、様々なことから「自分は多少おかしい(普通ではない)のではないか?」と感じることが時折あります。
    (これはおそらく経験されている方々は少なくないと思います。)

    そして、それがどの程度まで「科学的な意味で」正しい見解であるのかよくわからないうちに、その場所に適応してゆくのではないでしょうか? 特に適応力に富んだ若い時分においては・・。

    また、その意味において、さきに記したことを異言しますと、私が「現在」ブログ記事を作成し続けることが出来ているのは九州、鹿児島在住時に得た感覚、日常感が現在の首都圏におけるそれと合致させることが困難であるところから生じる内部応力(葛藤?)のようなものに起因しているのかもしれません(笑)。

    しかし、もしかすると文章を書く、書き続ける力の根源には、観念と現実が接する文字、文章の世界における水平線、地平線が一見合致、接しているように見えながら、よくよく見ると全く合致、接していないといった状況から生じるディレンマといったようなものがあるのかもしれません・・(苦笑)。



    とはいえ、ここまで興味深く記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
    また、九州・熊本の大地震にて被災された地域における早期の復旧そして今後の復興を祈念しております。」







    金関丈夫著 大林太良編 岩波書店刊「木馬と石牛」pp.59‐61より抜粋20160525

    『日本のいわゆる金石併用時代の青銅器文化に、中国地方の中央を境界にして、東西二つの文化圏があった。東は銅鐸の文化であり、西は銅剣、銅矛の文化であるということは、今ではあまねく知られている。また出雲地方が、この西の文化圏にあったということについても、明らかな証拠がある。現に出雲大社の宝殿には、この地方から出土した銅矛の実物が蔵されている。
    この二つの異なる青銅器文化圏の意義をどう考えるかということは別として、弥生式の時代に、出雲地方が北九州を中心とする一つの優勢な文化圏にあったということは、またたいへん面白いことではないかと思う。
    「古事記」によると「ムナカタ」氏が祭祀したという筑前の宗像神社の祭神の一人「イチキシマヒメ」というのは、宗像三女神のうちで、後世に創らせたものであったが、この「イチキシマヒメ」の「イ」は単なる接頭音であり、「チキ」とか「ツク」とかに語源がある。
    私の考えでは、この「チキ」「ツク」などという語と、筑紫の「ツク」また九州の地名に多い「ツキ」例えば秋月、古月、香月、杵築、「シキ」例えば伊敷、一色、「スキ」例えば臼杵、指宿、「チキ」例えば市来、加治木、「チカ、シキ」例えば値賀島、志賀島などとは関係があり、これらの音で表されている名を冠した一つの強力な海洋部族があったかと思う。
    出雲地方へ北九州の青銅文化をもたらし、出雲の海辺の一角に定着して「杵築」の地名をのこしたのも、恐らくこの一族ではなかったか。
    こんなことをいうと、大社関係の方々にしかられるかもしれないが、大社の祭神はいまはオオナムチノミコトということになっているかもしれないが、これは近世以後のことであって、古来スサノオノミコトと信ぜられていたのである。
    ところがさきの宗像の三神は、天安河原でうけひをしたときに、スサノオノミコトのものざねから生まれたので「乃ち汝の子なり」とアマテラスからスサノオにおしつけられたという。すなわち宗像の三神はスサノオノミコトの子だということになっている。
    この説話のおこりは、おそらく「イチキシマヒメ」の祭祀者がスサノオノミコトを祭祀する部族と接したときに生まれた、よくある妥協の思想から成立した話であろう。大社にはスサノオと共にイチキシマヒメが祭られたことがなかったとはいえないと思う。
    出雲の部族が、古代においては日本海をまたにかけたたいそう発展的な海洋族を含んでいたことは、「古事記」の記事や、「風土記」の国引きの伝説からもうかがわれる。
    若狭路から琵琶湖に入ったと思われる「イツクシマヒメ」も、両部思想のお陰で安芸の厳島と同様弁天様になったが、島の名の竹生には「チク」の語源をとどめている。
    これらも日本海から近畿に入ったのであり、出雲族の越の国々との交通の遺物であろう。京都の出雲路というのも同方面から侵入したこの部族の故地であろう。
    竹生島の「チク」は滋賀の「シカ」にも関連があろうかと思う。
    出雲神話に南方説話の影響の多いことなども、私の以上の考えを支持するもののようである。
    近年鰐淵村の猪目洞穴で発見された弥生式時代の貝輪などにも、南海産のテング貝で作られたものがあった。
    土俗の方からいっても、中海のソリコブネのような船が南方につながることは、早くから人々に云われており、その他にも色々と面白い事実があるようだ。
    佐陀神社の神事の海蛇が南海から暖流に乗ってきたものであることも、この際見逃し難い。
    以上はただ旅中、不備な資料を基にした私の思いつき出会って、詳細はもっと深く考えなければならないが、請われるままに仮に発表したのである。』
    新編 木馬と石牛 (岩波文庫)
    ISBN-10: 4003319710
    ISBN-13: 978-4003319710
    金関丈夫 

    2016年5月25日水曜日

    20160524 社会が巧妙に仕組んだワナ、創造性について・・

    先日のブログ記事にて記した「燃え尽き症候群」とは、今考えてみますと私にもそれに類するものがあったのではないかと思われます・・。

    そして、それは学位取得後の時期であると考えております。

    その当時はアタマの中ではさまざまな考えが浮かぶのですが、それを上手く言語化、文章化することがまったく出来ないといった状況でした・・。

    そうした状況がある程度継続すると、多少なりとも精神に失調をきたすのではないかと思われますが如何でしょうか?

    ともあれ、そうした状況を経て現在、少なくとも以前よりかは(ある程度)楽に文章が書けるようになったのではなかと思われます・・。

    そして、それは遅々たる、漸進的な治癒、寛解の過程を経た結果であり、同時に今後また如何なる状況に遭遇することになるかはわかりません・・。

    しかしながら、あの文章がまったく出ない時期とは、私にとって心身共になかなか辛いものでした・・。

    そうした時期のさなか、周囲の複数の方々の勧めに従い、ブログ記事を書き続けたことは、現在になり考えてみますと、やはり効果的であったのではないかと思います。

    こうしたことから考えてみますと、どのような効果、重みによるものであるか分かりませんが、少なくとも私にとって2013年初秋に取得した「学位」とは、一面において「呪い」のような効果があったのではないかと思われます・・・。

    また、現在において、こうしたことを過去の出来事として記すことが出来ているのは、その「呪い」が解けたことによるものであるかはよくわかりません・・。

    しかし、とにかく何かしら自身の書くことが出来ることを書き続けることにより、大げさに云いますと現在の私とは「生きている」ことができているのではないかとも思います・・。

    それ故、今後博士課程に進むことを検討されている皆様、現在では「足の裏の米粒」と評されるその結実たる学位ではありますが、これには一面において、こうした(多大なる)負(?)の効果がある可能性もまたどうぞ認識して頂きたく思います・・。

    もしかすると、これは社会が巧妙に仕組んだワナであるのかもしれません・・(笑)。

    とはいえ、その反面において、新しい事物の発見、学問的な創造性とは、こうした危険、ワナの先に存在、あるいはその展望が開けるのかもしれません・・。
    そしてそれはそれで一方においては魅力的なことではないかとも思われますが如何でしょうか(笑)。

    また、私は私が提示することが出来る新しい事物およびそれらの関連性を提示し尽したなどとは考えておりませんが、それでも自分なりに何かしら新しい要素を吸収しつつ、そこから何かしら提示し続けることを現在なお望んでおります・・(笑)。

    そして、その様式が私の場合、たどり着いたこのブログであり、また文章ということになるのかもしれません・・。

    さて、このようなことを平気が記す私とは現在なお精神に失調をきたしているのでしょうか(笑)?

    あるいは、もしかすると、このようなことは自明のことであり、上記のことはいわば冗長であり、また単に私の理解の鈍さを示しているだけなのかもしれません・・(苦笑)。

    とはいえ、ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

    また、先日の熊本の大地震により被災された地域における生活インフラの復旧そして今後の復興を祈念しております


    2016年5月23日月曜日

    20160523 ブログ記事作成および韓国岳について

    これまでに投稿したブログ記事が300に到達しますと、何と言いましょうか「燃え尽き症候群」のようなものがやってくるのではないか?と勝手に考え300記事目は軽く流すように作成、投稿しました。

    そしてさらに久しぶりに書籍からの引用抜粋を行いました。
    岩波文庫版、トーマス・マン著の「魔の山」からの抜粋ですが、この著作は作中のこうした会話が何とも言えず面白いと思いますが、読んでいただいた皆様はどのように思われたでしょうか?

    また、この著作に興味を持たれた方々、一度読んでみては如何でしょうか?

    ともあれ、さきに記した「燃え尽き症候群」らしきものは、そのおかげでか、特に感じられず、現在もこのように新しいブログ記事を書いている次第ですが、ここで少し思うことは、ブログを書く際において大事なのは導入部ではないかということです・・。

    この部分さえどうにか書ききれば、自ずとテーマ、主題が定まり、またそれに付随し関連する小ネタ、知識そしてさらにそれらと関連する小ネタ、知識などがほぼ自動的に湧いてくるようです・・。

    そのように考えてみますと、これは登山にも少し似ているのかもしれません・・。

    鹿児島在住時、週末に登山に行きますと、一週間の疲れが残り、はじめはかなり辛いのですが10~15分程度歩いておりますと、徐々に体が軽くなってきて、足取りも軽やかになってきます・・。

    そして、ここまで記していて不図想起したことは、鹿児島在住時に登った霧島にある韓国岳という山のことです。

    この名称はなかなか面白いと思い、その由来を周囲の方々に聞いてみますと「この山の頂上に登ると、はるか北方に韓国が見えると云われたからだ。」と聞かされました。

    しかし「さすがにそれは違うのでは?」と考え、郡元にある大学図書館に行き、その由来を調べたところ8~9世紀頃にかけて、この地域一帯には豊の国(現在の大分県)の住民が多く移住し、そしてその住民の多くは玄界灘の向こう側に出自を持つ人々が多く、それに伴い、上記のような山の名前が付けられたのではないかとのことでした。

    こうした地名、山の名などは関西に多く、また関東においても少なからず見受けられます。

    おそらく当時、半島からの移民とは、先端の文物を知るものとして移住先の住民から歓迎されたのかもしれません。

    とはいえ、では何故、当時、豊の国(現在の大分県)には半島に出自を持つ方々が多く、そして何故、彼らの多くが薩摩・大隅の国境付近に入植することになったのかとはJR九州の肥薩線、日豊本線が乗り入れる隼人駅近くの隼人塚に行ってみると何となくわかるのではないかと思います・・。

    そしてまた島津氏が薩摩・大隅(あるいは日向の大部分も)治めていた時代に為された人配(にんべ)の起源などは、こういったところにあったのではないだろうかと考えさせられます・・。

    また、北隣のクニのこととなりますが、先月の熊本での大地震により被災を受けた地域における諸インフラの早期の復旧そして復興を祈念いたします。
    そして、ここまで興味を持って読んでいただいた皆様どうもありがとうございます。




    2016年5月22日日曜日

    トーマス・マン著 関泰祐・望月市恵訳「魔の山」上巻 岩波書店刊pp.449‐452より抜粋20160522

    「ベーレンスとヨーアヒムとは二人とも、べらべら口から出まかせにしゃべりつづけるハンス・カストルプを、恥ずかしくないのだろうかというように見つめた。しかし、ハンス・カストルプは話の内容に熱中していて、照れるどころではなかった、彼は絵をソファーの上方の壁にあて、このほうがずっと光線のあたりぐあいがよくないかとたずねた。そのとき女中が盆に湯とアルコールランプとコーヒー茶碗をのせて持ってきた。顧問官はそれを喫煙室へ持って行くように命じてからいった、

    「それでしたら、あなたはほんとうは絵よりも第一に彫刻に興味をお持ちになるべきだったでしょう。・・いや、そこのほうが光線がよくあたりますとも。そんな明るみへ出せる作品だとお考えでしたらな。・・・つまり、造形美術にです、これはもっとも純粋に、専門的に人間一般を対象としていますから。しかし、湯が蒸発してしまわないうちにどうぞ」

    「そうですね、造形美術」とハンス・カストルプはほかの二人と隣りの部屋へ移りながらいったが、絵をもとの壁へかけることも、下へおくことも忘れ、額縁の下をつかんで隣りへ持ちこんだ。「ほんとうですね、ギリシャのヴィーナスとか競技者とかいう彫刻には、人文的なものがもっとも鮮明にあらわれていて、ほんとうはああいうのがほんもので、ほんとうに人文的な芸術なんでしょうね、よく考えてみると」

    「しかしあのかわいいショーシャについていうと」顧問官はいった、「あれはどっちみち絵画むきでしょうね、フィディアスにしても、名前のおわりがモーゼふうのもう一人の彫刻家にしても、彼女のようなご面相には鼻じわをよせたでしょうよ、私の想像では。・・・いったいどうなさるんです、そんな下手くそな絵をなぜまた苦労して持ちあるかれるんです?」

    「ありがとう、僕はこの絵をしばらくこの椅子の足へ立てかけておきましょう、しばらくここでもしっかり立っていますから。しかし、ギリシャの彫刻家たちは顔にはあまり関心を持たなかったのではないでしょうか。かれらには体が問題であって、そこがたぶん人文的なところだったのでしょう。・・・ところで、婦人の造形性、これは脂肪でしょうか?」

    「脂肪ですとも!」と顧問官は、壁にはめこまれた戸棚を鍵であけて、コーヒーの道具を取り出しながらきっぱりと答えた。それはトルコふうの筒状のコーヒー挽きと、長い柄のついたコーヒー沸かしと、挽いたコーヒーと砂糖とを入れる二重容器とであって、どれも真鍮製であった。「パルミチンに、ステアリンに、オレイン」顧問官は脂肪の成分を数えあげ、ブリキ缶からコーヒー豆をコーヒー挽きのなかへ入れ、ハンドルをまわしはじめた。「こうして私は初めから最後まで自分でやるんです。ひとしお風味がよろしいので。―あなたはいったいなんだとお考えでしたか?不老長寿の仙薬とでもお考えでしたか?」

    「いいえ、僕も知ってはいたんです。しかし、そう聞かれると、やはり不思議な気持がするんです」

    三人は喫煙室のドアと窓のあいだの隅に陣どり、東洋ふうの彫りのある真鍮板がはめこまれている籐のテーブルをかこんで坐った。コーヒーの道具は、タバコの道具とともにそのテーブルにのせられていた。ヨーアヒムは絹のクッションをいくつもおいてあるトルコふうの長椅子にベーレンスとならんでいたし、ハンス・カストルプ小さい脚輪のついた肘掛椅子に腰かけて、ショーシャ夫人の肖像画をそれへ立てかけていた。床には華麗な絨毯が敷かれていた。顧問官は、長柄のついたコーヒー沸かしへ砂糖をすくいこみ、それへ湯をそそぎ、アルコールランプの火の上へかけて煮えたたせた。やがてコーヒーは円い茶碗に注がれて褐色に泡立ち、すすると強いあまり味がした。

    「それに、あなたの造形性もです」とベーレンスはいった。「あなたの造形性も、造形性といえるのでしたら、もちろんこれも脂肪です」とベーレンスはいった。「あなたの造形性も、造形性といえるのでしたら、もちろんこれも脂肪です、婦人の脂肪ほどではありませんが。私たち男性の脂肪は、一般に体重の二十分の一にすぎませんが、婦人のは十六分の一を占めています。この皮下脂肪組織がなかったら、だれもアミガサダケそっくりの姿になりましょう。年をとるにつれて脂肪がなくなり、だれもが知っているあまり美しくないくたくた皺ができます。脂肪がどこよりもぎっしりついているのは、婦人の胸と腹と太腿で、要するに、私たちの気持ちを少しでもわくわくさせる場所です。足の裏も脂肪が多くて、くすぐったいです」

    ハンス・カストルプは筒状のコーヒー挽きを両手でひねくっていた。コーヒー挽きは、セット全体がそうであったように、トルコ製というよりもインドかペルシャの製品らしく、真鍮のにぶい色の地から明るく浮きでている彫りの様式がそれを暗示していた。ハンス・カストルプはその彫りがなにをあらえあしているかがわからずにながめていた。それがわかると思わず顔を赤くした。「さよう独身者むきの道具ですよ」とベーレンスはいった。「だから私は鍵をかけて保管しているんです。女中には目の毒になるかもしれませんから。あなただったらそれほど危険はないでしょう。私はこれをある婦人患者からもらったんです、ここに一年ほど滞在の栄をたまわったエジプトの王女から。ごらんのようにどれにも同じ模様がくりかえされています。こっけいでしょう、ねえ?」

    「そうですね、かわっていますね」とハンス・カストルプは答えた。
    「ハハ、僕はもちろん心配ないですよ。それに、考えようによっては、厳粛で荘重なこととも考えられるですから。—コーヒーセットにはやはりあまりしっくりしないでしょうが。
    古人はこういうものを棺にといどきつけたそうですね。
    むかしは淫猥なものと神聖なものとは、いくぶん同じだったのですね」「いや、その王女はというと」とベーレンスはいった、「これはどうも前者がお好きだったようです。
    それに、私は彼女からとても上等のシガレットをもらいましたよ。
    飛び切り上等のシガレットで、第一級の機会にだけ奮発することにしています」。そういって壁の戸棚からけばけばしい色の小箱を取り出して客にすすめた。
    ヨーアヒムは踵をあわせて辞退した。
    ハンス・カストルプは一本取りだして、そのすごく長くて太いシガレットを吸ってみたが、金色のスフィンクスがついていて、ほんとうにすばらしい味であった。」
    魔の山
    魔の山
    ISBN-10: 4003243366
    ISBN-13: 978-4003243367




    20160522 ほぼ即興にて作成 コトバについて

    A「ブログ記事が300を越えましたが、特に大きな心境の変化などはありません・・。

    もう少し何かしらそういったものが生じても良いのではないかとも思いましたが、残念ながらといいますか、面白いことにといいますか、少なくとも今現在ではそのような感じです・・。

    そこで、もう少し何かを書いてみれば、そうした変化を感じとることが出来るかもしれないという、いささか賭博者にも似た心境にて、この文章を書き始めることにしました・・(苦笑)。

    それ故、現在記しているこの文章とは、書き始めた段階において明確な主題、テーマを特に定めておりません。

    また、以上のような宣言に基づき文章を記した場合、一体どのような方向に文章が進んでゆくのかというのも、また考えようによれば面白いことであるのかもしれません・・(笑)。

    とはいえ、このように自身が文章を記す際の状態をあたかも第三者的な視点にて記すというのもまた、かなり困難ではないかとも思われます・・。

    それは単純にその時間、空間が重複しているからではないでしょうか?

    それに対し、これを過去のものとして対象化して書くことには上記ほどの困難さはないものと思われます。

    そして、この困難さの要因とは、前記の
    「それ故、現在記しているこの文章とは、書き始めた段階において明確な主題、テーマを特に定めておりません。また、以上のような宣言に基づき文章を記した場合、一体どのような方向に文章が進んでゆくのかというのも、また考えようによれば面白いことであるのかもしれません・・(笑)。」
    と記したことにより端を発しているのではないかとも思われます。

    少なくとも、それを記した者が、文字、言語およびその意味に対し、一般的な意味である程度正しい認識を持っているならば・・・。

    そのように考えてみますと、こうしたコトバというものには何かしら自己の内面の精神?あるいは考え方の傾向などを規定するような性質があるのではないかとも考えさせられます・・。

    そして、昔の人々はおそらく現在の我々よりも、コトバに接する機会が相対的に少なかったために、コトバに対して鋭敏な感性を持っていた,、いや保持していたのではないかと考えさせられます。

    また言霊というコトバおよび概念も、おそらくそうした環境により自然と発生したのではないかと思われます・・。

    その意味において、現在とは、コトバに対する感覚が特に都市部にて、それが氾濫しているが故に摩耗しているのではないかとも考えさせられることがあります・・(これはとても深刻なものであると思うことがあります)。

    そして、そうしたことは、おそらく「そこで」書かれる文学、小説などに対しても少なからず影響を及ぼしているのではないかと考えさせられます・・。

    さて、ここまで書いていて不図我に返り「そういえば、この文章とは、当初何を書くか定めずに書き始めたものである。」ということを思い出しました・・(笑)。

    つまり、書き始めて、何か主題らしきものに遭遇(?)し、書き進めてゆくうちに当初の宣言を忘れ、その代わりにさきの遭遇した主題、テーマについて書いているという現象を認識したということになります・・。

    そして、このことは多少こじつけ気味ではありますが、夏目漱石の「現代日本の開化」にて、たしかベルクソンからの引用で類似した考えが示されており、またそれに加え、小林秀雄がどこかで「ヒトは創造的である時、決して自己の客観視を許さない。」といったことを述べておりましたが、これらには何かしら上記のことに対し関連性があるのではないかと考えさせられます。

    しかし、それはさておき、ここまで興味をもって読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

    また、先月の熊本を中心とする大地震にて被災された地域の生活諸インフラの早期の復旧そしてそこからの復興を祈念しております。」


    20160521 300記事到達・・

    今回作成投稿する記事が丁度300記事ということになります。ブログ記事の作成を始めたのが昨年6月であるため、概ね1年程度で300記事に到達したということになります。
    そうしますと、概ね5日のうち4日程度の割合にて記事を作成投稿してきたことになります。また、上記程度の割合にて文章を作成してきたことは、これまでの私の人生においてありませんでした。その意味において今回300回目のブログ記事を更新できることはなかなか嬉しく思います。

    しかし傍から見ますと「随分地味なコトで嬉しく思うものだ。」と感じる方々もおられるのではないかと思われます・・(苦笑)。しかし他方で、私はこれまでにある程度、自身が従事した専門分野における書籍を読んできたものと考えています。また、それ以上にそれら専門分野とは直接的には関連のない様々な分野の書籍をも読んできたとも考えています。そして、それらは自身にとってインプットといっていいものであると認識しています。


    このインプットとは咀嚼・消化し更に表出(アウトプット)することにより強く自身のものとして定着するのではないかと最近思います。

    そして、それらのインプットの組み合わせ、そして表出(アウトプット)の傾向などがヒト一人の様々な意味での精神的傾向、性格などを特徴付ける大きな要因となるのではないでしょうか?

    また「教養」といったものも、そうした過程により徐々に獲得されてゆくのではないかと思われますが如何でしょうか?

    一般的に書籍などを読まなくとも、生きていく上においては大きな支障はなく、むしろ、そういったものは生きてゆく上においては何も意味がないだけでなく、むしろ邪魔なものであるといった考えも表には出しませんが、根強く我々の社会全般にて共有されているのではないかと思いますが如何でしょうか?

    それ故、最近「反知性的」というコトバをよく聞きますが、こうした考えは今現在「だけ」特にそうした傾向が認められるものではなく、古来より遍く存在しており、むしろ、それがあまりにも一般的であったために、これまでに「反知性的」というコトバが社会批判的な文脈として用いられてこなかったのではないかと思われます・・。

    そしてそれはまた、我が国における極めて強い現世的、此岸的な傾向とも強い関連性があるのではないかと考えさせられますが如何でしょうか?

    また、こうした傾向とは、おそらく我が国について実地に研究し、生活をした経験を持つ者であるならば、概ね認識しているのではないかとも最近よく考えさせられます(具体例としてSTAP細胞、現象の事件の発生、経緯、顛末に至るまで・・)がこれを読んで頂いている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

    さらに加えて、こうしたことは時代遅れ、過去の概念として認識されがちな「アジア的停滞」といったコトバとも何かしら関連があるのではないかと考えさせられます・・。

    ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、先月の九州、熊本における大地震にて被災された地域のより早期の復旧そして復興を祈念いたします。




    2016年5月21日土曜日

    20160520 ブログ記事作成のやりがいとは・・

    A「これまでに投稿したブログ記事の閲覧傾向を見ますと、その時々によって何らかの傾向が存在するのではないかと考えさせられます・・。

    そして、よく読んで頂いている(多くの閲覧者数を得ている)記事とは自身の作成したものの中では、なかなか上手く書けている方であるのではないかと思われます・・。

    とはいえ、そうしたものを含め、概ね私がこれまでに記したブログ記事とは、その時々(下書き作成時も含め)に浮かんだ考えを記したものであり、特に前々から構想を持っていたというようなものではありません。

    そして今後、私がそのような記事(大きな構想による記事)を作成することになれば、その閲覧者数とは大きく増加したりするというようなこともまたあり得るのでしょうか・・?

    そういえば、大きな構想による文章といえば、小説、論文などが、その代表的なものであるとして挙げられるのではないかと思います。

    では、小説などは一体どのようにして書かれているのだろうか?と最近何故だか考えてみることがあります・・。

    このことは決して今後、小説を書いてみたいということにはなりません。

    しかしながら、これまでにある程度ブログ記事作成を継続してきたことにより、そうした興味、関心あるいは疑問を「ある程度身近なものとして」感じることが出来るようになってきたのかもしれません・・。

    そうした意味において、少なくとも、これまでに行ってきたブログ記事作成とは、私にとっては有意義であり、また閲覧して頂いている方々の中でそれら記事を読むことにより、何らかの新しい発見あるいは興味、関心の対象が生じたのであれば、それは記事を作成した者にとって望外の僥倖といっても良いと思います。

    また、それは私に限定していえば、これまでのブログ記事の継続的な作成を可能ならしめた主たる要因とは、長い期間、様々な研究活動、自身の能動的な探求的行動に従事してきたことであると考えます。

    少なくとも、あの期間、時間がなければ、間違いなく、これまで継続して記事を書くことは出来ませんでした・・。

    また、そのことを言い換えますと、それらの期間、時間とは私のインプットが為されたものであるといえます。

    それに対し現在継続し作成している一連のブログ記事がアウトプットといえるのではないかと思います・・。

    そしてそのアウトプットがそれを読んで頂いた方々によって評価されるということはやはり大変うれしく、記事を作成した甲斐、ひいてはそのインプットの期間、時間が少なくとも無駄なものではなかったものと実感できます・・。

    ともあれ、今後どの程度の期間ブログ記事の更新を行うか分かりませんが、いずれにしても、ここまである程度連続して記事を更新してきたこと、そしてそれを為す気力、勇気を与えてくれた閲覧して頂いている皆様から、新しい自覚あるいは自信らしきものが得られたのではないかと思います・・。

    そして、それは今後、どのようなものに、そしてどのようなカタチで生かされるのであろうか?ということは自身にとってなかなか興味深い疑問です。

    とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます!

    そして、九州・熊本の大地震にて被災された地域における生活諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。








    2016年5月20日金曜日

    20160519 マトリックス(母材)としての文系的な教養・・

    これまでにある程度自身のブログ記事の作成を継続してきて思うことは「自分が書き続けることの出来る記事の主題、題材とはある程度限定している。」ということです。


    たとえば自身のかつての専攻分野であった歯科理工学に関する記事のみを主題、題材とすれば、おそらく現在まで記事更新の継続は出来なかったのではないかと思います。


    しかし、そうであるからといって私が歯科理工学をキライ(になった)というわけではありません・・。


    それはただ、さきのブログ記事にて示したように、インプットとアウトプットの均衡上、残念ながら歯科理工学分野においては、これまで継続した程度のアウトプットをするだけの「この分野におけるインプットがない。」ということになるのではないかと思います。


    あるいは私にとっての歯科理工学とは、それを表出し易い環境に置かれることによって「のみ」これまでインプットしてきた内容が活性化、表出することが容易になるといった性質のものであるのかもしれません・・。


    これは以前抜粋引用したエルンスト・ユンガーの記述とも、あるいは多少類似しているのかもしれませんが、どうお考えになりますでしょうか?


    また、そうした視座にて考えてみますと、私にとって、これまでに様々な環境にて学び、研究した「ごった煮」的な文系学問分野の知識、情報あるいは(極めて個人的色彩が強い)体系とは、何かを理解、把握するためのマトリックス(母材)的なものであるのかもしれません・・。


    そして、こうしたことはおそらく諸個人においても同様の傾向を持つのではないかとも思いますが如何でしょうか?


    また、さらにこのことを敷衍しますと、これまた以前ブログ記事にて記した「理系的知識の礎としての文系的知識」あるいは「科学技術の基盤としての原初的観念」などといったことにも親和性を持つのではないかと?も考えさせられます・・。


    そして、こうしたことをマクロレヴェルにて考えてみますと、現今理系学問分野の更なる興隆をはかる(私としては大変素晴らしいと思う)施策が為されるとしても、その土壌たる文系的なものが肥沃でない限り、それは強い意味での持続可能性あるいはより良い結実に至ることが困難となるのではないかと考えさせられます・・・。


    また、こうした考えも「つまるところ」文系学問偏重主義者(笑)による屁理屈であろうと考えるのであれば、とりあえず、文系学問あるいは文系的な教養を重視する教育政策といったものを局地的、実験的に採用してみるというのも、それを検証してみる意味においては価値がないというわけではないと考えますが如何でしょうか・・? 

    また、それに併せて、少なくとも昔の我が国には、そうした恐竜のような世界規模の研究者がいたことは決して忘れてはならない事実であると私は思います・・。


    しかし、そこで思うことは、そうした「普及させることが極めて困難」であるとこれまた以前のブログ記事にて示した「文系学問あるいは文系的な教養」を「どのようにして教え、普及させるか?」ということです。


    そして、究極的に、こうしたところから、良い悪いを抜きにして、地域、国毎の様々な傾向らしきものを看取することが出来るのかもしれません・・。


    しかし一方において、そうした地域、国毎の傾向に対し「ある統一的な基準」に拠り評価、判断することもまた慎重に考えた方が良いのではないかとも考えさせられます・・。」

    また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。そして、今回の九州、熊本での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその先の復興を祈念しております。

    2016年5月19日木曜日

    20160518 最近不図思ったこと・・三重県県名の由来など・・九州御出身の著述家・研究者

    作成したブログ記事が300記事に近づいてきましたが、その閲覧者数においては特に大きな変動は認められず、概ね1日300~500人となっています。
    最近は特に新しい書籍を読むこともなく、これまでに何度か抜粋引用した加藤周一著の「日本文学史序説」そして野上彌生子著の「迷路」を再度読み返しております。
    そして、そうした状態がしばらく続き、また何か新しい著作、書籍が読みたくなるのではないかと思います。
    今度は以前少し書きました山田風太郎著の「昭和前期の青春」を読んでみたいと考えておりますが、さて、どうなることでしょうか・・。また、つい先日、銅鐸のことを少し記しましたが、かつて銅鐸、弥生時代関連の書籍を集中的に読んでいた修士課程在籍時、同じく谷川健一著の「青銅の神の足跡」を何度も読み返していたことを想起しました。
    谷川健一の著作は、これまでのブログ記事においても何度か抜粋引用させて頂きましたが、現在読んでみても、大変興味深く読むことが出来ます。
    そして、その著作「魔の系譜」とは、我々日本人の精神の深層をかなり鋭く、深く抉っているのではないかと思われます・・。
    私見としては、この著作とは、現在の我が国であるからこそ真剣に読むに価するのではないかと考えます。
    ちなみに谷川健一は熊本県南部の水俣市の御出身です。
    そして、それにつられて想起したことは、以前ブログにて記しました同志社大学の森浩一とは、たしか大阪府の御出身であるのですが、さらにその先の出自とは大分県であると氏がその著作内にて記していたことですこのように考えてみますと、案外と私は九州御出身、出自を持つ研究者、著述家を無意識ながら好んで読むような傾向があるのかもしれません・・(笑)。また、九州といえば、私は金関丈夫を想起しますが、この方の著作はその記されている内容の背景にある広大な分野に渡る、膨大な学識、見識に感動すら覚えます・・(笑)。今後我が国には、こうした研究者は出てこないのでしょうか?また、それで思い出しましたが、現在話題となっている三重県の「三重」の語源とは、日本武尊の東征からの帰路、伊吹山周辺にて遭難し、足が腫れ上がり「我が足、三重に曲がりなして、いたく疲れたり」といった記紀(たぶん「古事記」のみであると思われますが・・)の伝説、記述より由来していると知ったのは、たしか金関丈夫氏の著作からではなかったかと思います・・。また一方、谷川健一は、この記述された「足が腫れ上がった」という状態、症状から、これを当時伊吹山麓に在住していた精銅、水銀、鉛(中央構造線のあたりには何故だか水銀(丹)を産出する場所が多い)を扱うことを生業とする人々が排出する有毒ガスに因るものではないかと考察していたことを記憶しております。これもまた、かなり実証的且つ、いかにも神話的であり大変興味深い説であると思います。そして、金関丈夫の視点は谷川健一と若干異なり、ギリシャ神話のオイディプス(ギリシャ語にて「腫れ足」の意)のハナシと関連付けて考察されておりましたが、これもまた大変興味深い説であると思います。また、こうした東西の様々な神話を関連付けて考察するような傾向とは、南方熊楠あるいはイギリスのロバート・グレイヴスにも同様に見受けられるのではないかと思われます。さらにここまで記していて不図、大学院在籍当時に伺った、お師匠が若い時分、スーパーカブにて吹雪の中、東海地方から近畿への帰郷の折り、伊吹峠を命からがら走破したという上記の神話に近い武勇伝を想起しました・・。
    ともあれ、今回のブログ記事はこのあたりで一度区切らせていただきます。

    ここまで読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

    そして、先月の熊本の大地震にて被災された地域における諸生活インフラの出来るだけ早期の復旧そして、そこからの復興を祈念します。

    2016年5月18日水曜日

    20160517 情報について

    A「冒頭より私事にてはじまります。

    本日は特に帰宅が遅く23時過ぎ頃でした。

    また、なかなか疲れてもいて「今日のブログ記事作成は止めておこうかな・・?」などとも不図思いました。

    しかしそれと同時に、本日は多少朝早く出勤したためか、電車がすいており、無理せずに座席に座ることが出来た為、ブログのネタ帳に何かしら書き込むことが出来ました。

    その内容とは「情報について」です。

    その時のうろ覚えの記憶のままに記しますが、日本国内において本格的にラジオ網が普及し始めたのは、関東大震災の後、大正末期から昭和初期頃であったと思われます。

    そしてその後、満州事変、5・15事件、2・26事件、ノモンハン事件と太平洋戦争開戦への道を歩んでゆきます。

    このような時代の様々な側面における社会の世相を扱った著作、学術書、映画などを読んだり、観たりしますと「コトバによる情報が波及し易い状況が作られると、その影響により、社会において、何かしら変動が生じ易くなるのではないか?」と考えさせられます。

    そして、そうした状況を作り出すものがラジオであり、テレビであり、そして現今のインターネットといったいわゆる情報媒体ではないかと思われます。

    このように、ヒトは、多くの情報を入手出来る状況に置かれると、自身の状態を、その情報に基づき、相対的に考えることが出来るようになり、それに伴い、それまでに考えることのなかった様々な疑念、考えが生じるのではないでしょうか?

    それがそれまでの権威の否定であれ、再確認であれ、とりあえず変化は生じます・・。

    そのように考えてみますと、様々な情報が多く飛び交う都会とは、同時に、様々な意味における変化が激しいということと強い関連があるのではないかと思われます。

    まあ、当たり前といえば当たり前ではあるのでしょうが・・。

    そして、多くの統治機関、施政者側は、こうした情報およびそれを発信する機関、組織を自身の(安定した)権力基盤を脅かすものと見做し、これらに対し、弾圧、懐柔などを試みたりすることは、歴史的に見て、ある程度普遍的なことであるのではないでしょうか?

    また、それと同時に古代ローマ帝国以来、特に欧米にて顕著に見られた「分割して統治せよ」といった統治概念なども、おそらく前記の考えと親和性が強いのではないかと考えさせられます。

    そして、さらに、よくよく考えてみますと、この「分割して統治せよ」とは、国、地域といった大きな領域のみならず、洋の東西問わず、大小さまざまなレヴェルの組織などにおいても、統治者、施政者側は、半ば無意識ながらも、自身の安定した統治を行うための重要な方策、術策として(現在なお)用いられているのはないかと考えさせられますが如何でしょうか?

    九州・熊本の大地震にて被災された地域の早期の復旧そして復興を祈念いたします。
    また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」





    2016年5月16日月曜日

    20160516 物理と神話の間にあるもの 其2 私見として

    A「先日から続けて書いているテーマである「理系学問の礎としての神話的なもの」について、自分なりにもう少し考えてみたことを記します。

    幾度か当ブログにて記しておりますが、私は大学院修士課程にて地域学という、民俗学に近いような功利的な視点から見ると、かなり「反時代的」な研究を行っておりました・・(苦笑)。

    その理由とは、関西、和歌山、南紀での在住経験を通じ、私が「母国である日本のことを何も知らない!」と強く認識したことに因ります・・。

    そうした研究を自分なりに手探りして行っている際、当時の研究フィールドである和歌山県、かつての紀伊国とは、国内有数の銅鐸の出土地であることを知りました。

    そして、同時に不思議なことに、私の南紀での在住時代、偶然ながら幾度か、これら銅鐸が出土した地域に足を踏み入れていたことを知りました。

    そして、そうした偶然(?)導かれるようにして、ある程度、銅鐸関連の書籍を読み自分なりにその概容を把握、理解するに至りました・・。

    また、この時は同志社大学の森浩一という方の著作を集中的に読んでいた記憶があります。
    (日本の古代史に興味をお持ちの皆様、この森先生の著作は大変面白く、勉強になるものが多いと思います。)

    そして、銅鐸の出土地の様々な特徴(地形、出土銅鐸の形式、埋納の仕方、現在の地名、近くに存在する神社などの特徴、現在遺されている様々な民俗等)について考えてみたのは良かったのですが、肝心の鋳造物である銅鐸の「鋳造」に関してが、イマイチよく分からないままで難儀しました・・。

    そして、鋳造に関しては概ねそのままの状態にて、修士課程を修了し、その後、歯科技工学校に入学してみますと、そこでは歯科技工士の熟知すべき科目の一つとして「歯科理工学」が存在し、さらにかつては「歯科鋳造学」なる学問もまた存在していたことを知り、この科目の講義、実習などの際、自分なりにあれこれと勝手に考えて、見当違いなことを多々していたのではないかと思います・・(苦笑)。

    この時お世話になった皆様、申し訳ありません・・。

    とはいえ、この銅鐸によって点火された、よく分からない情熱により、私は歯科理工学分野の大学院(修士課程、途中からは博士課程)に進むことになり、そこでは歯科鋳造の研究とは、概ねやり尽されていることを知り、当時(現在でも)最先端の歯科材用であるジルコニアについての研究に従事することになりました。

    また、この時師事したお師匠とは、そうしたこと(様々な歯科材料の歴史)に対しても該博な知識、見識を持たれており、時折私が発するおかしな質問に対しても、適切且つ深遠な返答を日常的、平易なコトバでされておりました。

    また、同じく、ここで金属歯科材料を主に研究なさっていた先生にも同様、特に金属歯科材料および英論文読解に関してはかなりお世話になりました。

    つまり、地域学を研究する際に、地域(和歌山、紀伊国)を知る一つの有力な手掛かりとなるものとして選んだ、弥生時代の鋳造にて作製される祭器である銅鐸への好奇心、探求心から、歯科理工学(これは理系学問と見做して良いと思います。)に進むこととなり、それが、紆余曲折を経て、歯科用ジルコニアとその前装用陶材との接着強さの研究に従事することになったわけです・・(ここは(笑)ではありません・・(笑)。

    そして、このように考えてみますと、こうした私個人の学問的遍歴の中からも、案外と、さきに述べた「理系学問の礎としての神話的なもの」が看取されるのではないかと不図思った次第ですが、これを読まれた皆様はどのようにお考えになるでしょうか・・?

    また、最近の考古学の知見によりますと、巨大、装飾化する以前の段階の銅鐸の鋳型が「熊本県・熊本市」にて出土(それ以前は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町、神埼市の吉野ヶ里遺跡にて古型、小型の銅鐸おび、その鋳型が発見され話題となった。)されたとのことです・・。

    こうした出土、発見とは、私からしますと、かなりスゴイことであると思うのですが・・。

    ともあれ、こうしたことを考えてみますと、弥生時代の古代の人々とは臼杵・八代構造線そしてそれに続く、連なる中央構造線の存在をどのようにしてか体得、認識していたのではないかと考えさせられるのです・・。

    しかし、それはそうであれ九州・熊本での大地震により被災された地域の諸生活インフラの早期の復旧そして、それに続く復興を祈念いたします。

    また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」

    2016年5月15日日曜日

    20160515 物理と神話の間にあるもの・・

    先日のブログ記事にて「物理、歴史、哲学などは、古来より男性の領分であり、現在においても何かしら、そうした影響とは遺っているのではないか?」と記しました。

    そのことを後になって考えてみましても、やはりそうした性差による傾向とは実際に存在するのではないかと思われましす・・。

    そして、そのような前提に立って考えてみますと、神話、伝説あるいは民話のような物語の体系が、国、地域レベルにおいて存在、共有されていることが、後世の物理ひいては理系的な考えが発展する素地となったのではないかと考えられます・・。

    また、ここまで書いていて、フレイザー著の「金枝篇」に記されている「様々な原始的概念に基づく呪術が科学技術の発展の礎となった。」ということが想起されました。

    たしかに中世ヨーロッパにおいて興隆した「錬金術」とは、後世同地においてそれ(錬金術)が科学技術として進化したことと関連性があるのではないかとも考えさせられます・・。

    そして、そうしたことを我が国において適用してみますと、道教、陰陽術、そして真言、天台諸宗などの雨乞いの呪術、術式などが挙げられるのではないかと思います・・。

    これら呪術、術式とは、国内各地において驚嘆されるものとして記憶され、また、在来、土着のそれと混淆し物語、概念化され、近現代に至るまで保持されたものが少なからず存在したではないかと思われます。

    そして、こうした経緯を示唆するものが、各地に遺された様々な祭祀、伝承、民俗であると云えます。

    また、近代直後(明治以降)より我が国の辺境ともいえる地域から、その後、世界的規模にて活躍する科学者が数多く出てきたことの背景には、前記のことと強い関連性があるのではないかと考えられますが、如何でしょうか?

    その後、西洋的な科学技術の知識、学問体系が主に学校教育、各地に殖産された産業、工業を通じ、我が国において全国的に浸透した結果、前記の近代直後の我が国の科学技術への進化の礎となった「前近代的な宗教、神話等を背景に持つ様々な概念」が徐々に駆逐、忘却され、それに伴い1930年代あたりから、よく分からない戦争の時代に突入してしまったのではないかとも思われます・・。

    そして、ここが大事であると思うのですが、この時代の周辺においても「表面的」には、歴史を大事にして、持ち上げている様な風潮が「強く」存在していたということなのです・・。

    その一つが、おそらく当時流行した「国体明徴化運動」ではないかと思われます・・。

    そして、そうした現象とは現在の我が国においてもまた見られるのではないかと思いますが如何でしょうか?

    今回の大地震により、九州・熊本で被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧・復興を祈念いたします。

    また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

    2016年5月14日土曜日

    20160514 神話・物理学・心理学・歴史について

    一般的に物理、歴史、哲学などは男性が得意とする科目であるとされています。

    また、物理学者の寺田寅彦は「物理学を理解するにはギリシャ神話を理解する必要がある。」といった意味のことをどこかに記していました・・。

    その意味とは、おそらくギリシャ神話の物語のスジが様々な物理法則の骨子、基盤となっているということではないかと思います。

    また一方において、心理学者の河合隼雄は「心理学(欧米の)で用いられる概念の多くは、その骨子、基盤をギリシャ神話から引用している。」といった意味のことをどこかで述べていました。

    さらに加えて、我が国をはじめ、世界各地にて、その昔、古代と云われる時代においては、その国、地域で語り継がれてきた「神話」こそが歴史であり、またそれが、支配者の統治権を自他に対し、正当化、正統化するものであったと、小林秀雄が何かで述べていました。

    上記のわずかな事例から、総括を行うこと、また、それらを論拠とすることは早急であるとは思いますが、自身のこれまでの(わずかな)経験から考えてみますと、おそらく神話を含めた過去の様々な出来事を(概ね)時系列的に大きな物語と成し、さらにそれを概念化するといったことは、世界各地において、概ね普遍的に男性の受け持ち、職分であったのではないかと思われます。

    そして、それは統一国家が形成される以前、多くの地域国家が並存していた時代において、その各々(地域国家)において、神話もまた各々ガラパゴス的に存在、並存していたのではないかと思われます・・。

    そうしたことを我が国に適用してみますと、統一国家が編纂した古事記、日本書紀と同時に国内各地に風土記が存在してことから、上記の状況が過去において存在していたことではないかと考えさせられます・・。

    また、その(各風土記)内容とは、決して統一国家の賛辞に終始しているわけではありません。

    それに加え、そうした地域毎の神話とは、風土記に収録されたもの以外にも、おそらく数多く存在し、それは、柳田國男が我が国の妖怪について述べたことと類似し、統一国家の価値観によって徐々に地域の神(神々)から妖怪に転落し、それは同時に神話から民話(地域の物語)への変化でもあったのではないかと考えさせれます。

    そのように考えると、近代以降の我が国の理系立国とは、期せずして、その基盤が国内各地に各々存在していたのではないかと考えさせれるのです・・。

    一般的に理系学問とは、普遍性が重要ではあるのですが、その「基盤」とは、明確には認識し難いのかもしれませんが、案外、さきに述べた局地的な神話と同様、地域性といったものがあるのではないかと考えさせられます・・。

    その意味において、現今為されつつある理系立国的な施策とは大変良いものであるとは思いますが、その基盤として、ホンモノの普遍的、局地的な歴史、伝統、文化を「尊重」することもまた案外、重要なことなのではないかと考えますが如何でしょうか?」

    九州・熊本の大地震から早や一カ月が経とうとしております。被災された地域の出来るだけ早期の復旧・復興を祈念いたします。

    また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。





    20160513 昨今の宣伝文句について・・

    A「これまでしばらく継続してブログの記事を書いておりますと、やはり多く読まれる記事とそうでないものが出てきます。

    こうした記事による閲覧者数の違いとは、どのような原因により生じたのかと考えてみましたが、その明確な原因とは、記事を書いている私自身もイマイチよくわかりません・・。

    あるいは、書いた記事を投稿した時点において、その記事とは、半分私のものではなくなっているのかもしれません。

    実際のところ、最近は概ね夜半において新たに投稿するブログ記事を作成するのですが、その段になるまで、前日に記したブログ記事の内容を想起することが難しいこともあります・・(苦笑)。

    そうしたことかた「私の頭も大分ボケてきたな・・・」と思うこともありますが、ある程度の数の記事を作成し続けていると、そのようになるのかもしれません。

    ともあれ、そうした前日に投稿した記事内容を忘却している状態から、それを眺め、そしておもむろに最新の投稿記事作成をはじめる次第なのですが、そうした段になると、今度は面白いことに、記事作成がスムーズに行く日と、そうでない日があります。

    これまでに作成した記事のなかで閲覧者の方々から見て「これはやっつけで作ったな・・。」と思われるものも少なからずあるのではないかと思います・・。

    そして、そうした評価とは妥当であるものが多いのではないかと思われます・・(苦笑)。

    しかし一方、言い訳じみてしまいますが、たとえそれ(それら)が実際に「やっつけ」であったとしても、同時にそれらは少なくとも(自分なりに)努力して作成したものであるということも云えます・・。

    であるからといって、そうした記事を「面白いと思ってください!」と私が考えること、あるいは望むような評価の方向に扇動、誘導するような行為とは、僭越なものであり、少なくとも他者に読んでいただくような文章を書く上において、そうした行為とは控えた方が面白いのではないかと思います。

    とはいいながら、現在首都圏などで随所に見られる宣伝文句、あるいは売り出し中の書籍とは、どうもその控えた方が面白いと思われることを、意識的に行い、その効果、売り上げを狙っているのではないかと思うことが多々あります・・。

    うしたいわば斜に構えた考えの所以とは、私がある程度年齢を重ねたからなのでしょうか(笑)?

    しかし、そのように考えてみますと、私はおそらく少年と呼ばれる時代の頃から、少なくとも書籍に関しては「敢えて」流行のモノから遠ざかりたがる傾向があった(ある)ようにも思われます。

    その理由はよくわかりませんが、ただ書籍などは本質的に「自分」が面白く思い、興味を持ったものを選ぶものであるとは、その当時からある程度は思っていたのではないかとも思われます・・。

    そしてまた、結局、その延長線上で様々な分野に行くことになってしまったのではないかと思います・・。これは今になって考えてみますと、良かったのか悪かったのかよくわかりません・・(苦笑)。

    しかし一方、これまでにブログ記事を継続して投稿し続けることが出来たのもまた、一つに、上記の認識を半ば無意識ながらも保持し続けてこれた結果ではないかとも思われます・・(笑)。

    また、そうであるならば、今後もある程度はブログ記事を作成し続けることが出来るのかもしれません・・よくわかりませんが・・。

    それでも一つ思うことは、幼い頃からより多く物理などに興味を持つ機会を得て、工学部などに進み、そして大学院修士課程くらいまで行っていたならば、現在よりかは多少は安定した生き方になっていたのではないかということです・・(苦笑)。

    そういえば、このことは以前に記しましたが、現在国内多くの工業大学、工学部においては、修士課程まで進むことが一般的になっております。

    の工学部をはじめとする理系学問分野に多く見られる「6年間学業を修める」という意味で、それは、いくつかの医療系の職種を養成する大学学部、学科とも類似、似通っているのではないかと思います。

    では、なぜ医療系のそれの方が「世間一般、日常的な視点」から見て、より高い価値が認められる、払われるのでしょうか?

    また、これは以前私が専攻した学問分野にいると「強く」そのことを感じさせられました・・。

    医療系の大学学部、学科とは、人の命を左右する「医療人」を養成することから、その価値が高いというのは、そうした疑問に対してよく聞かれる返答であると思うのですが、果たして、そうした返答とは「ある種」の工業大学、工学部など理系学問分野の方々が、ある種の医療系学問分野の方々に対し納得できる返答なのでしょうか?

    また、この点において私はどちらかというと局外者に近いと思われますので、書かせていただきますと、その実際とは、多少込み入ったものなのではないかと思います・・。

    そして、現在の様々な情勢、時世とは、そういった込み入った点が徐々に明瞭になりつつあるのではないかと思われますが、これを読んでくださった皆様はどうお考えになるでしょうか?

    ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
    今後ともどうぞよろしくお願いします。」

    また、九州・熊本での大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧・復興を祈念します。




    2016年5月13日金曜日

    20160512 効率的な文章作成とその内容の濃さ、深さについて・・

    残りあと10記事未満の投稿で私のブログ記事の投稿数は300に到達します。
    300まで記事数が到達すると「果たして何かが生じるのか?はたまた、何も生じないのか?」とは今現在において分かりません。

    しかし、そのように考えてみますと100、200記事に到達した際にも特に大きなことは何も生じませんでしたので、次の300記事においても、おそらくそのようなものではないかと思われます・・。

    では300記事の次に400記事に到達した場合においてもそれは同様なのでしょうか?
    そして、そうであるのならば、何故私はここまでブログ記事の更新を継続してきたのでしょうか?

    無論、当初このブログをはじめた理由とは、これまでにも記した通り、様々な意味において功利的なものではなく、単に「何かしらまとまった文章を(再度)書けるようになりたい!」といった単純且つ切実なものでした。

    そして書籍の抜粋を含めた記事を継続し投稿してきた結果、たしかに以前より容易に、ある程度まとまった文章を書くことが出来るようになったのではないかと思います・・(いや、果たして本当にそうなのであろうか?)。

    では、これまでの一連の作成、投稿してきたブログを閲覧することにより、その過程とは何かしら認識、理解できるものなのでしょうか?

    こうした疑問に対し、自身の見解を述べますと、おそらく昨年春‐秋にかけての対話形式の記事の方が最近投稿した一連のそれに比べ、その内容が深いものが多く、相対的に優れているのではないかと思われますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

    しかし一方、ブログ記事作成に要する時間とは、最近投稿したものの方が昨年春‐秋に作成した一連の記事よりも概ね、短時間にて作成されております・・。

    こうしたことから考えてみますと「少なくとも、以前に比べ「効率的」に文章を書くことが出来るようになったのではないだろうか?」とはいうことが出来るのではないかと思います・・。

    では「効率的」に文章を書くとは、一体どういうことなのでしょうか?

    そして、それはさきほどの文章内容の深さ、濃さとは無関係なのでしょうか?

    感覚的な私見としては、何かしら関係があるのではないかと思われますが、同時にそれは、他の何かの要因により左右されているのではないかと思われます。

    では「その他の何かの要因」とは、一体どのようなものなのでしょうか?

    おそらくそれは一つではなく、また抽象的には「自身の総合的な状態」といったものではないかと思います。
    また、そうした状態を維持、保持することが、文章を書く上において、なかなか重要なことではないかと思います。

    そして、その文章を記すのに適した具体的な「自身の総合的な状態」とは、究極には個別的なことであり、それ故、自身にしか理解できないのではないかと思います・・。
    そして、そうしたことをもしも普遍的に言語化できるのではあれば、それはそれでスゴイことなのではないでしょうか・・?」

    今回の九州、熊本での大地震にて被災された地域の今後早期の復旧・復興を祈念しております。また、ここまで興味を持ってブログ記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
    そして、今後ともどうぞよろしくお願いします。








    2016年5月11日水曜日

    20160511 D2病に至るまでの過程・・

    以前より数度記した大分県の臼杵にまつわるハナシとは、その後、野上彌生子著「迷路」を読むことにより、何となくその因果を自身の内部において整理、納得されたような感じを受けます。

    こうしたことも、考えてみますと、なかなか不思議なことではあるのですが、同時にそれは「ある種の必然ではなかったのだろうか?」とも考えさせられます・・。

    そこでハナシを少し遡りますと、私が2009年夏にはじめて大分県の臼杵に立ち寄ったのは、当時、愛媛県松山市に在住していた親戚に「おい、美味しい魚を食べさせてあげるから、こっちに来てみたらどうか?」と云われ、それに対し二つ返事で了承したことが原因です・・。

    そして丁度その直前、当時専攻していた学問分野の九州内での夏季支部会が福岡県柳川市で開催され、それに出席させていただくことになりました。

    2009年とは、私が鹿児島に移った年であり、また、その支部会とは、私が初めて参加するこの専攻分野における「学会」らしきものでした・・。

    また、この支部会には北部九州で開催されるそうした集まりらしく、玄界灘を挟んだ隣国の大学の方々も多く出席されておりました。

    そうしますと、自然、発表する演題の内容も共通語である英語を用いることとなり、そこで私は初めて参加者の資格として、英語にて発表される学術的な発表を聴く機会を持つことになりました。

    そこでは、普段日本語を話されている先生方同士が日本国内であるにも関わらず、英語にて演題発表、質問、議論される様子を間近で見て、かなりの知的興奮を味わったことが(鮮明に)思い出されます。

    また、そこで発表された演題の一つが、当時私が取り組みはじめていた研究内容に近いこともあり、そのことにより、多少なりとも、その意味、内容を理解することが出来たことから、そうした感覚(知的興奮)を得ることができたのではないかと思います・・。

    その影響からか、支部会後、柳川から松山に行く際の電車、フェリーの中において資料として持参していたバインダーに挟んだプリントアウトした関連英論文を電子辞書を用いて読んでおりました・・(苦笑)。

    実際このようなことを今現在になり想起してみますと、恥ずかしく思わないこともありません・・(笑)。

    しかし、開き直るわけではありませんが、こうしたことを何も変と思わずに平気で、よくわからない情熱らしきもので為させてしまうことこそが、大学院というところの良さではないかと思われます・・。
    (そしてそれが進行するとD2病となる・・(笑)。)
    とはいえ、少なくとも「それ」は私にとっては極めて有益であったように思われます。

    また後年、そのような方々を自分が見受けることにもなりましたが、それはどちらかといえば、感情に理屈の衣を着せた非難ではなく、賞賛やら激励に価するのではないかと思いますが如何でしょうか?

    以上、これまで大分県の臼杵にまつわるいくつかのハナシの前段階を想起したものを記してみました。
    機会があれば、さらにそれ以前を想起してみたいと考えております・・。

    そしてまた九州関連となりますが、
    今回の熊本での大地震にて被災された地域における出来るだけ早期の様々な生活インフラの復旧、そしてその後につながる復興を祈念しております。

    また、ここまで興味を持ってこの記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
    そして、今後ともどうぞよろしくお願いします。



    2016年5月10日火曜日

    20160510 インプットとアウトプットそして節理?について・・

    A「これまでに書いた一連のブログ記事は、このままのペースで作成してゆけば、近いうちに300記事に到達します。

    そして、この300記事とは、まだ先のハナシにはなりますが、それ以前の一つの大きな節目であった200記事と意味合いが多少異なるのではないかと私は考えております。

    それは、200記事に到達までに記した記事とは、その半分以上が書籍からの抜粋引用であるのに対し、そのあとの300記事までの100記事とは、出来るだけ自身の作成した文章をもって構成しているという点においてです。

    とはいえ、このブログを作成し始めた主な要因とは、周囲の方々から偶然にも同時期にブログの作成を勧められ、また、私自身も「文章を書きたい」と思っていたにもかかわらず、その意欲が実際の行動に結び付くことが困難であると悩んでいたことに因ります。

    そして、ブログを書き始めてからも、なかなか自身の文章を継続的に書くことが困難であり、また、その状況とどうにか妥協するために、面白いと思った書籍の抜粋引用を充てることにした次第です。

    しかしながら、このことを現在になって考えてみますと、書籍の抜粋引用といった、いわば当時採った苦肉の策とは、なかなか良かったのではないかとも思えます・・。

    何故ならば、それ(書籍の抜粋引用)とは、少なくとも現在記している、この記事のネタにはなっているとは思いますので・・(苦笑)。

    また、それに加え、様々な書籍の文体をキーボードを通し書写するという「行為」とは、自身の文体を獲得する上において、なかなか有効な鍛錬、訓練となった(なっている)のではないかとも思います。

    それ故、今後もまた自身の文体が分からなくなった、認識、把握し難くなった場合、ブログ記事として公開するかしないかは別として、こうした「行為」をするのではないかと思っております・・。

    さらに、これは既に何度か記していることではありますが、ブログ記事を読んで頂いている方々からの実際の明確な言語を用いた伝達手段によるもの、あるいはそうでないものを含めた様々な反応こそが「自身のコトバで記事を書き続けたい・・」という「気持ち」を持ち続け、そしてどうにか現在に至るまで書き続けることができている主要な原因です。

    とはいえ、現在の状況とは未だ300記事にまで到達しておりませんので、今後また何か心情の変化などが生じる可能性もまたあります・・。
    しかし、それでも、とりあえず300記事までは書いてみようと考えております。

    そして、その時、その後に一体どのような精神的な光景が見え、あるいは自身内面の変化を感じ取ることが出来るのか分かりませんが、それでも私とは、こうしたことに関しては、おそらく人並み程度には経験しているのではないかと思われます・・(苦笑)。

    そして、昨年春頃に感じ取った「自身の文章が書けなくなっている!」という認識とは、一面において、そうした前述のような経験(の内容)を上手く整理、表出してこなかったことに多く因るのではないかと私は思います。

    また、同時にそれは、これまでに自身が経験させていただいたものの(質・量)に対応するものであるとも考えます。

    つまり、このことはインプットとアウトプットの関係にも似たものであると思いますが、世の中には、一見ではなかなか分からないようではありますが、こうした「節理」らしきものが様々な宗教文化を問わず、分布、存在するのではないかと思うことがあります・・。

    しかしながら、こうしたことを合理性、功利性をもって(全て)覆い被せることができるのではないかと「心得違い」を起こしてしまったことが、現在社会にて見受けられる様々な問題の大きな原因ではないかとも思われます・・。」

    熊本での大地震にて被災された地域における出来るだけ早期の復旧・復興を祈念いたします。

    また、ここまで興味を持ってブログ記事を読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。
    今後ともよろしくお願いいたします。

    2016年5月9日月曜日

    20160509 ラーメン、中華そばについて・・

    おかげさまで本日、ブログの全期間の閲覧者数が70000人に到達しました。

    これも記事を読んでくださっている皆様のおかげです。
    どうもありがとうございます。

    本日、首都圏は午後より雨が降っております。

    この時期(5月はじめ)の雨で、不図思い出したのは、昨年の丁度今頃、ゴールデンウィーク明け(5月12日)の夕刻前に所用のため、当時在住していた大阪府堺市から、自動車を運転して、さらにそれ以前に住んでいた和歌山市に出向いた時のことです。

    その時もおそらく雨が降っていたと記憶しております。

    和歌山に到着し、所用を済ませ、市内を走っておりますと、不図、昼食をまともに食べていなかったことを思い出し、久しぶり(3年振り)に和歌山在住時によく通っていた市内にある中華そばで有名な食堂に立ち寄ることにしました。

    店の前にある駐車場に運良く停めることが出来、店内に入ると、なつかしい香りと共に「いらっしゃい」そしてしばらく間を置いて「久しぶりね!」と、お店のおばちゃんに元気よく声をかけられて、驚くとともに、何ともなつかしい気分になりました・・。

    それ以前にこのお店に最後に行ったのは2012年の初秋でしたので、おばちゃんの記憶力に驚異の念を抱くと同時に感嘆した次第です・・。

    また、2012年初秋に何人かで連れ立って入店した際は、往時の和歌山在住時のノリそのままであったので、さらに以前の記憶を呼び起こし易かったのではないかと思います。

    それ故、2015年の時点で私を憶えていただいたことは、大変嬉しく感じました・・。

    ちなみに、このお店の「中華そば」とは、一般的にいう和歌山ラーメンとは異なり、麺が中太麺であり、スープも特に濃厚であり、独特の一度はまるとクセになる味、旨味があり、これと一緒にご飯と漬物(黄色い沢庵)を食べること(これを「セット」という)を当時の私は大変好んでいました(笑)。

    そして、以前のブログにて記した夢に出てきた和歌山ラーメン(中華そば)とは、まさしくこのお店のものなのです。

    加えて、一般的にラーメンとは、若い人々の食べ物であると思われがちですが、ここの中華そばとは、お店に行くとお分かりになると思いますが、老若男女問わず(特に地元の方々)召し上がっています。

    これは「ジャンパーとタキシード」といわれる和歌山の地域性によるものであるのかどうかは分かりませんが、何れにしても、こうしたところにも地域性の一側面とは顕現するのではないかと思われます・・。

    また、鹿児島在住時によく行ったJR宇宿(ウスキ)駅、市電脇田駅近くのお店のラーメンとは、鶏ダシの白湯スープの極細麺であり、これは現在首都圏で割合多く見られる同系のラーメンよりも(はるかに)美味しいのではないかと私は今現在なお思っております・・。

    「鹿児島だけに、これはダシに用いている鶏が違うのだろうか?」などと不図思ったことがありましたが、実際のところ、どうであるかよく分かりません・・。

    ともあれ、様々な作業で荒れた手を用い、実験などのことを頭の片隅に置き、このお店のラーメンを食べることは、週末の登山、散歩そして温泉と同様、鹿児島在住時における幸せ、そしてゼイタクな時間であったと考えます・・。

    そして福岡市在住時も週末の夜によく近場のラーメン屋によく行きました。

    博多とんこつラーメンとは首都圏においても高名ではありますが、実際本場で食べるそれは首都圏にて食べるそれ(博多とんこつラーメン)と、どうも何かが違うのではないか(結局それは水ではないであろうか?)と、いつも思うことです。
    こうしたことは単なる私の思い込みであるのでしょうか?

    九州は本日夜半より明日一杯雨が降ると聞きます。
    今回の熊本での大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧、復興を祈念いたします。

    そういえば、先日電車の中で不図、熊本美人、肥後猛婦というコトバを思い出し、それと同時に福岡御出身の俳優であり絵本作家でもある米倉斉加年が書かれた「多毛留」という絵本を何故だか想起しました・・。
    ここまで興味を持ってよんで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
    お蔭さまで閲覧者数が70000人に到達いたしました。
    今後ともどうぞよろしくお願いします。





    2016年5月8日日曜日

    20160508 書籍・出版物に関して(対話形式)

    A「先日読了した野上彌生子著の「迷路」はかなり読み応えがあり、面白かったですよ。
    もし、機会があればBさんも読んでみては如何でしょうか?」

    B「はあ、そのことはAさんのブログで書かれていましたので、少し調べてみて面白そうでしたが、最近の私はまたハンナ・アーレントの「人間の条件」を読んでみようかと考えております・・。
    あの著作に関しても、今現在の我が国であるからこそ、興味深く読むことができるのではないかと思います。」

    A「ああ、たしかに、あの著作は今だからこそ、面白く読むことができるのかもしれませんね・・。
    残念ながら私は「人間の条件」はきちんと読んだことはありませんが、その概要はたしかBさんからお聞きしていたと思いますので・・。
    私も機会があれば、今後また、ああした人文社会学分野の名著をもう一度読んでみようと思いますが・・。」

    B「ええ、もし機会があれば、是非読んでみてください。
    ああした著作で述べられている内容の多くは、現代も含め、様々な時代に当てはめて考えることができると私は思うのです。
    しかし一方、面白いことに、我が国の社会においては、そうした著作がもたらす観念、考えが社会一般において蓄積されることなく、良くても一過性の流行のようなものとして、忘れ去られてゆくような傾向が強いのではないかと思います・・。
    そして、こうしたことは、多くの出版物が刊行されるという我が国の特徴と何かしら関係があるのかもしれません・・。」

    A「・・ええ、たしかにそこに何かしら関係があるのかもしれません・・。
    そして、そのことに対し、下世話に考えてみますと、おそらく、我が国においては、書籍などといった文化的な事物であれ何であれ「とにかくそれが生活のタネになればそれで良い」といった、ある意味穿った考えにより(徹底的に)貫かれているのではないかと考えさせられます・・。
    また、そのことは我が国一般に見られる極めて此岸、現世重視の傾向とも親和性を持つのではないかとも思います・・。
    とはいえ、こうした傾向とは、近代以降においてより一層拍車が掛かり、そしてその延長上たる現在とは、多少その行き詰まり感が見えはじめているといったところではないでしょうか・・(苦笑)」

    B「ええ、それは私も同意できます。
    また、一つに、そうであるからこそ、先ほどの著作を読み直してみたいとAさんに云ったのではないかとも思います・・。
    それに加えて、先日書店に行った際に「嫌われる勇気」といった書籍がベストセラーとして取り上げられていました。
    この著作は、海外の心理学者によって書かれたものであるのですが、こうした著作とは「果たして我が国でどのように取り上げられ、受容されるのであろうか?」と不図考えてしまいました。
    といいますのは、明確な規範、倫理意識らしきものがなく、同時に極めて現世利益を希求する傾向の強い我が国においては、それは「必ずしも良いものではない。」と私は考えるからです・・。
    我が国の場合、兎にも角にも「空気」至上主義なのです。
    また、このようなことを云ったり、書いたりすると「世間知らずの上から目線」として非難されるのが現今我が国の社会一般であるのですが、では、その非難される方々は「果たして我が国の社会の歴史について、通り一遍以外の見識、知識を持っているのか?真剣、真摯に書かれたそれらに関する著作を能動的に読んだことがあるのか?」と心ならずも思ってしまうのです・・・。
    そして、さらに、そうした非難される方々の権威ともなる御用著述家、学者が出てくることもまた、さきほど示した我が国の現世志向性を示しているのではないかと思われます・・(笑)。
    また、そうしたことにより生成される状況とは、結局のところ、感情的な水掛け論に終始し、少しも良い結論が出る、止揚されることなく、時代の経過と共に、これもまた忘れ去られてゆくというのが、実状といったところではないかと思います・・。」

    A「ええ、そうしたことは私にっても耳のイタイハナシではありますが、たしかに、そうした傾向とは、少なからずあると思います・・。
    また、同時に、そうしたことは我が国を何かの対象として考える機会を持った諸国は、先刻承知しているのではないかとも思います・・。
    その意味で我が国とは、まあ扱い易い国であるのかもしれません・・。
    そして、そうした扱いによって、我が国の社会組織において問題が発生しても、それはそれを仕組んだ外国に対する強い抵抗、抗議には至らず、内部の組織抗争に終始するということもまた、先刻承知であるのではないでしょうかね?
    まあ、良くも悪くも我が国日本とは和、輪のクニであり、内部完結しておかないと気がすまないのかもしれません・・(苦笑)。」

    B「ええ、そうしたことは、たしかに他の先進諸国とは多少異なるのではないかと考えさせられます。
    そして、それは、近年寿命により相次いで亡くなっている太平洋戦争を経験された方々の多くが最後の最後まで危惧していたことではないかと思います・・。
    我々は、こうして愚痴をいうより他がないのは大変残念ではありますが、まあ、それでも、過去に記された名著と考える著作を様々な方々に提示すること、できることには、何かしら意味があるのではないかとも思います・・。」

    A「ええ、そうですね。
    では、私はこの一連のやり取りを個人特定の要素を除き、ブログの記事にしてみます・・(笑)。」

    今回の熊本での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、復興を祈念いたします。


    20160507 音声言語と文字言語が混淆する相・・?

    A「これまでに作成、投稿したブログ記事は280以上となり、もうじき300記事に達するのではないかと思われます。

    また、現状において、自身の作成した記事が全体の半数以上であり、このままのペースで自身の文章にて記事を作成し続ければ、300記事あたりで200記事程度にはなるのではないかと思います。

    それに加え、過去(昨年の夏~秋)に記した対話形式のブログ記事のいくつかは、記した本人が申すのもおかしなハナシではありますが、おそらく現在よりも色々と深く考えて記していたのではないかとも思われます・・(苦笑)。

    しかし一方、それら記事の読み易さにおいては、おそらく、半分ルーチン化している、ここ最近に作成したブログ記事の方が多少、優れているのではないかとも思います・・。
    これらを読んでくださっている皆様は如何お考えになるでしょうか・・(笑)?

    とはいえ、このブログとは、当初、多くの閲覧者数を狙ったものではなく、また現在なお基本的にはそうであると考えます。

    しかし、自身の作成した記事を投稿することにある程度慣れた現状においては、やはり自身の発信した文章、記事内容が「より」多くの閲覧者を得ることができるということは「多少なりとも痛快であると思う」というのもまた正直な感想です・・(苦笑)。

    そして、そうした状況とは、ある程度(おそらく100記事程度)記事を作成した頃から徐々に認識し、強く思うようになり、そのために、とりあえず、ブログ記事の内容よりも、(とりあえずは)その記事数、つまりブログ開始当初においては「質より量の方が重要」であると考えるようになり、出来るだけ継続して記事の更新を行うようにしました・・。

    何度か当ブログ記事において、当初、自身の文章にて記事を作成することは、大変面倒くさく、困難であったと記しておりましたが、以前から読んでくださっている方々からの面白く知的な反応、自身によるいくらかの工夫などにより、どうにか以前よりかは面倒、困難さを感じずに、散文的(?)な文章を書くことができるようになったものと感じております。
    この、私としては「進化」と捉えたい変化とは、いうなれば「日常的なハナシコトバと、頭の中で意識的に構築される性質、傾向が強い書きコトバ、言い換えると自身の口語と文語あるいは音声言語と文字言語の層が互いに近づき、接することにより生じた」のではないかと考えます・・。

    そして、こうした経験とは「文章を作成することを常とする職に就かれている多くの方々は経験されていることではなかろうか?」と不図考えましたが如何でしょうか?

    そして、こうした経験がある程度(どの程度?)普遍的なものであれば、それは普遍性を有するもの、一般的な事実(法則に近いもの)であると認識され得るのではないでしょうか・・?

    そして、そうであれば、たとえ過去において類似した意見、見解を述べられた方がいらっしゃったとしても、それは「私としては」新たな発見、知見であり、また読んでくださっている方々が、そのことを私のブログ記事により新たな知見として認識していただいたのであれば、「多少なりとも記事を書いた意味があった」ということになるのかもしれません・・。

    とはいえ、もちろん私はこれまでに読んだ書籍を全て諳んじているわけではありませんので、こうしたことも畢竟、どこかの書籍で読み、あるいはどこかで語り、時間の経過に伴い、うろ覚えになっいたことが、自身が、それと符合、適応する経験を持ったことにより、心の深層から、そうした観念が浮上、明瞭化されたのではないかとも思います。

    そしてそれ故に、読書およびそれに伴う議論が、極めて有効であり、大事であるかを教えてくれるのではないかと思いますが如何でしょうか?

    そして、私の場合、本格的にそうした経験あるいは訓練を積んだのは、大学院修士課程の時期であったといえます・・。
    また、その当時に抱いた、抱くことができた、言語化しにくい、おぼろげながらも、ある大きな包括的な観念、考えとは、その後には持つことが困難であり、またそれが一般的なのではないかと考えております・・。

    こうしたことは学問、研究分野によって多少異なるかもしれませんが、この記事を読んで頂いている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

    今回の熊本の大地震にて被災された地域における諸インフラの復旧、好天、適温の継続、そして今後早期のハートオブ九州(熊本)の復興を祈念いたします。

    また、ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
    皆様のおかげでここまで書き続けることができております。
    今後ともどうぞよろしくお願いします。」