2023年8月8日火曜日

20230808 新思索社刊 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳 「影の獄にて」pp.40-42より抜粋

新思索社刊 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳 「影の獄にて」pp.40-42より抜粋
ISBN-10 : 4783511934
ISBN-13 : 978-4783511939

「ろーれんすさん」とハラは熱心に言った。懇願するようなその態度は、歴戦の特務曹長(原文のまま。前のところでは「軍曹」となっているが矛盾ではない、終戦のときか、またはそれ以前に、昇進していたのであろう。)と敵の将校というよりは、むしろ、学童とその先生といったふうにみえた。「これです。これですよ。あなたには、われわれ日本人がわかるという気が、私はいつもしていた。わたしがあなたを義務上、殴らねばならなかったときでさえ、殴っているのはこのわたしハラ個人ではない。私はしなければならないからしているだけだ、ということが、あなたならわかってもらえると思っていた。あなたは私が殴ったからといって、にくんだりはしない人だった。あなたがたイギリス人は公平で公正な人たちだと聞いている。わたしたちから見れば、どんな欠点があるにせよ、われわれはあなたがたを、公正な民族として尊敬の目で見てきました。わたしが死を恐れないことは、あなたもご存じでしょう。祖国がこういうことになった以上は、私は喜んで死にます。わたしは頭もそりましたし、浄めの水も浴び、口も喉もすすぎ、手を洗い、ながい死出の旅にそなえて水杯もすませました。頭からこの世の邪念を払い、躰からも俗念を清め、この躰はいつでも死ぬ用意ができています。心は、はるかの昔に死んだものとした以上いまさら死をいといません。これはあなたもよくご存じのはずです。ただ、ただ、どうして、私は、あなた方が付けたような理由で死ななければならないのか?他の死刑にならない軍人たちは犯さなかったが、私は犯した悪事というようなものがあるのでしょうか?わたしたちは互いに殺し合ってきました。むろんよくないことですが、しかし、要するに戦争だったのです。わたしはあなたを罰したし、あなたの部下たちを殺しました。しかし、あなたが日本人で、私と同じ地位と責任をゆだねられ、あなじ行動のしかたをする場合、たぶんあなとも、この程度に罰したり殺したりしたはずで、程度を越えていたとは考えません。私は実際、あなたにたいしては、わたしの同国人よりも親切にしたつもりです。

 また、あなたがイギリス人たちにたいしてはみな、他の多くの人たちにたいするよりも、親切にしてきたつもりです。信じなさろうとなさるまいと、わたしは軍紀や上官の要求よりも、はるかに寛大にしていたのです。もしわたしが、あのくらい厳格に苛酷にしなかったら、あなた方は精神が崩壊して、死んでいたことでしょう。なぜなら、あなた方の考え方は実にまちがっていたし、あなた方の恥もまた実に大きなものでしたから。わたしがいなかったら、ヒックス=エリスも彼の部下たちもみな絶望のあまり、あの島で死んでしまっていたでしょう。食糧と薬品を搭載した船が来なかったのは、わたしの罪ではありません。わたしはただ、捕虜をたたいてでも生かせ、たたくことで、もっと努力させることしかできなかったのです。それなのに、私は今、そのために殺されようとしています。わたしのどこがまちかっていたのか、わたしにはわかりません。わかるのは、われわれみんなが等しくまちがっていたという点だけです。もしもわたしが、他にまちがいを冒しているのでしたら、どうして、またなぜか教えて下さい。そうすればわたしは欣然と死ねるでしょう。」