もちろん、それ以前の和歌山での記憶も、和歌山市と南紀白浜とで、それぞれ記憶がありますが、それらは総じて鹿児島のほど、強烈なものではありません。とはいえ、おそらく、記憶とは、強烈であればあるほど良いというわけでもなく、また私の場合、和歌山、南紀白浜での記憶があったため、さらに西南方向にある鹿児島での新たな生活も、そこまで大きな心身への負担を伴わずに、どうにか馴染むことができたのではないかと思われます。
また、昨日の投稿のブログで「鹿児島での記憶は人に関するものが多い」と述べましたが、これは鹿児島の中心市街地と言える天文館を歩いていると、かつての記憶が思い起こされました。また、それは必ずしも自分が歩いている天文館にまつわるものだけではありませんが、「・・ああ、そういえば、そうだったなあ・・。」といった、いわば、隠れて見えなくなっていた在住当時の記憶が、突如現れるといったことが多いと言えます。
さらに、人との対話から「ああ、そういえば、あの時はそうだったなあ・・」といった具合に想起されることもあり、その記憶を対話の場で話して、当時の様子がさらに鮮明に思い出されることもありますが、割合として多いのは、先に述べたような、市街地を歩いている時などです。
ともあれ、先日の鹿児島訪問でも、そのようにして、記憶が度々想起され、また、そうした記憶のことを本日ではありませんが、またいずれ、当ブログ記事で述べたいと考えていますが、しかし、ここまで書いていて、不思議あるいは面白いと思われたことは、想起された記憶の内容が、いずれも実際に自らの経験であることを疑わないことです。
つまり、それらの記憶はいまだ反省や考察を経ておらず、いわば即自的な記憶であり、また他方で、それが自らの、より具体的な記憶の素材になるということです。そして、この想起されて間もない記憶は、その後に為されるさまざまな検討、考察において極めて重要なものとなり、そこから、この段階における、ある種の「愚直さ」ともとられかねないほどの「率直さ」すなわち、現象と、それに対応する言語の精確さのみに注意を集中した態度が重要になるのではないかと思われます。
そしてまた、こうした「率直さ」とは、おそらく、社会におけるさまざまな文化現象が洗練、発展するにつれて、多くの場合、それに伴い、社会におけるスノッブ的な傾向が強化され、徐々に「率直さ」のような態度がダサく、カッコ悪いものと見なされることが多いのではないかと思われます。
とはいえ、そのようにして、社会において現象とそれに対応する言語の関係が、あまり考慮されなくなりますと、やがて、誰もが自信をもって自らの言葉で表現することが困難になっていくのではないかと思われます。
そして、このこと、つまり現象と言語の対応関係については、鹿児島を主とする九州での在住期間によく悩んでいた記憶がありますので、私にとって九州、鹿児島への訪問は、先述の現象と言語との関係における率直さをあらためて考えさせる契機となる一面があると言えます。
現象と言語の対応関係の精確さについて、私もそこまで意識しているわけではありませんが、しかし、それがあるからこそ、ある程度、現実での現象と言語とを調和させることが可能になり、そしてまた、そこから歴史や、その蓄積から抽出される思想などへと結実することもあると思われるのです。
そして、その意味において、今世紀に入ってから昨今に至るまでの我が国の各種文化は、先の「現象と言語の対応関係の精確さ」の欠如を望んでいるようにも見え、またそれは思いのほかに成功しており、現今の我が国社会全般では、「Y本のお笑い」でよく聞かれる語彙や言い回しが盛んに流通しているのではないかと思われます・・。
どちらにせよ、私の場合、鹿児島を訪れると、自らの言語の使用方法や、その言語の現象への対応関係などについて考えさせられますが、その意味で、あるいは九州の言霊・気風の方が、日本語本来の性質(Genius)を現在により精確に伝えているのではないかと考えさせられ、また、そこから谷川健一が述べていた、琉球や鹿児島の島嶼部などの謡が、我が国の詩や文学などの起源となったという説もまた、そこまで荒唐無稽なものではないと私は考える次第です。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
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