2020年5月30日土曜日

20200530 文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」pp.69‐71

文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」pp.69‐71
ISBN-10: 4163646701
ISBN-13: 978-4163646701

『一体「扇動」とは何であろうか。扇動は何も軍隊だけではなく、日本だけでなく、また現代だけのことでもない。「扇動」は外部から見ていると、何かの拍子に、何かが口火となって、全く偶発的にワッと人が動き出すように見えるが、内実はそうではない。「扇動」には扇動の原則があり、扇動の方法論があって、この通りにしさえすれば、だれでも、命令なくして人を動かし、時には死地に飛び込ますことが出来るのである。これは非常に恐ろしい力をもつ一種の誘導術であって、その術を完全に心得て自由自在につかえるものが、いわば二型(叱咤・扇動型)の指揮官である。

 原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起させ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーがある対象に向かうように誘導するのである。これがいわば基本的な原則である。ということはまず集団ヒステリーを起さす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起さす方法が、その方法論である。この方法論はシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」に実に明確に示されているので、私が説明するよりもそれを読んでいただいた方が的確なわけだがー実は、私は戦争中でなく、戦後にフィリピンの「戦犯容疑者収容所」で、「シーザー」の筋書き通りのことが起るのを見、つくづく天才とは偉大なもので、短い台詞によくもこれだけのことを書きえたものだと感嘆し、ここではじめて扇動なるものの実体を見、それを逆に軍隊経験にあてはめて、「あ、あれも本質的には扇動だったのだな」と感じたのがこれを知る機縁になったわけだから、まずそのときのことを記して、命令同様の効果をもつ扇動=軍人的断言法の迂説的話法に進みたい。

まず何よりも私を驚かしたのは「シーザー」に出てくる、扇動された者の次の言葉である。

市民の一人「名前は?正直にいえ!」
シナ「名前か、シナだ、本名だ。」
市民の一人「ぶち殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。」
シナ「私は詩人のシナだ、別人だ。」
市民の一人「ヘボ詩人か、やっちまえ、ヘボ詩人を八つ裂きにしろ。
シナ「ちがう、私はあの徒党のシナじゃない。」
市民の一人「どうだっていい、名前がシナだ・・・」
市民の一人「やっちまえ、やっちまえ・・」

こんなことは芝居の世界でしか起こらないと人は思うかも知れないーしかし「お前は日本の軍人だな、ヤマモト!ケンペイのヤマモトだな、やっちまえ、ぶら下げろ!」「ちがいます、私は砲兵のヤマモトです。憲兵ではありません」「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ」といったようなことが、現実に私の目の前で起こったのである。これについては後で詳述するが、これがあまりに「シーザー」のこの描写に似ているので私は「シーザー」を思い出したわけである。新聞を見ると、形は変わっても、今も全く同じ型のことが行われているように私は思う。
 一体、どうやるとこういう現象が起こせるのか。扇動というと人は「ヤッチマエー」「ヤッツケロー」「タタキノメセエー」という言葉、すなわち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは「扇動された者の叫び」であって、「扇動する側」(?)ではないーすなわち、結果であって原因ではないのである。

ここまでくればもう扇動者の任務は終ったわけで、そこでアントニーのように「・・動き出したな、・・・あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。というのは扇動された者はあくまでも自分の意思で動いているつもりだから、「扇動されたな」という危惧を群集が少しでも抱けば、その熱気は一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。もっとも、指揮者の場合は、大体、この「二型」が「一型」(教祖型)の仮面をかぶるという形で姿をかくすがー。

 従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。扇動されたものは騒々しいが、扇動の実体とはこれとは全く逆で、実に静かなる論理なのである。これは「シーザー」の有名なアントニーの演説を仔細に読まれれば、だれにでもわかる。そこには絶叫や慷慨はない。彼は静かに遠慮深く登壇し、まずシーザーの死体を見せる。そして最後をシーザーの「遺言書」で結ぶ。いわば「事実」ではじめて「事実」で結ぶ。この二つの「事実」の間を。一見まことに「静かで遠慮深い問いかけ」を交えつつ、あくまでも自分は「事実」の披露に限定するという態度をとりつづけ、いわゆる意見や主張を述べることは一切しない。』


2020年5月29日金曜日

20200529 1310記事への到達そして【架空の話】の20記事の投稿から

おかげさまで昨日、1300記事に到達してから10記事の更新となりました。そして、この積み重ねを10回続けると100記事になると考えてみますと、それはそれで面倒ではありますが、同時に「出来ないこともないかな・・。」とも思えてきます。さらに具体的には年内のうちに、どうにか1400記事まで到達出来れば良いと考えていますが、とりあえずは、来る6月22日のブログ開始丸5年を迎えるまでに、更に10記事追加して1320記事程度にはしておきたいと思います。

さて、これまでに【架空の話】を20回に亘り投稿してきましたが、こうした【架空の話】は、これまでに何度か作成しようと思いつつも出来なかったことであり、これは以前にも書きましたが、居地の移動と、今なお完全には収束していない新型コロナウィルス感染症による外出自粛により、何らかのスイッチが入って書くことが出来たと云えます。

そして、面白いことに、書いた後になってみますと「何故、これまで書くことが出来なかったのだろうか?」とも思えてくるのですが、一方で、これまでに自身の経験に基づいた対話形式の記事は、ある程度は作成してきたと云えます・・。そして、それら記事(対話形式の)は感覚的ではありますが、実際の記憶と仮想の割合が、およそ7:3程度であり、記憶の方が主であると考えますが、ここから仮想の率を増加させ、そしてストーリーを持たせ、ある程度継続的に記事を作成することが、これまで出来なかったのです・・。



こうして書いてみますと、本当に何でもないことであるのかもしれませんが、自身にとっては、この記憶と仮想の比率の変化(逆転)および、ストーリーを持たせて書き続けることと、これまでに作成した対話形式の記事との間には、越え難い隔たりがあったのだと云えます。そして、それが外的な要因(転居・外出自粛)によって動揺し、何かに突き動かされて出来てしまうということは、自身にとって幸運であったのか、あるいはそうでなかったのか、未だ分かりませんが、こうして【架空の話】を20記事作成出来ましたので、今後も引き続き作成していきたいと考えています。そして、これまで読んで頂いている皆さま、出来ましたら今後ともどうぞよろしくお願いします。

加えて、これまた、おそらくは自意識過剰の所産でしょうが、思いのほかにエライ方々も、一連の【架空の話】を読んでくださっているのではないかと思われることがありました。そして、もしも読んでくださっているのであれば、医師や歯科医師や看護師をはじめ各種医療技術者の大幅な養成人数の増加(大学・学部・学科の新設、定員の増加等)を是非、検討して頂ければと思います。

さて、つい先日(5月25日)私の住む千葉県も、去る4月7日から続いた緊急事態宣言が解除され、昨日、久しぶりに都心部の大型書店に出向くことが出来ました。以前と比べて来客者数は少なかったように見えましたが、私の方はいくつかのコーナーで立ち読みし、また、新たに面白そうな著作をいくつか見つけることが出来、久しぶりに、ある種の高揚感を味わうことが出来ました・・(笑)。

それ故、たしかにオンラインのアマゾンは、大変便利で重宝させて頂いてはいますが、自身としては、現実の書店もまたアマゾンに負けず劣らず重要な意味を持つものであることが、これまた期せずして、今回のコロナ禍によって再認識された次第と云えます・・。



*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2020年5月28日木曜日

20200527【架空の話】・其の20

【架空の話】
丁度、城を過ぎたところの交差点で右に曲がり、そのまま直進し、小さな橋を渡ると、さらに右折し、堀川沿いの道を少し走り、左に曲がり、すぐに再度左折すると、右前方の方に、それらしき店が見えてきた。ここで兄は「しめた!一つ空いているぞ。」と店の専用駐車場に駐車することが出来た。その時、時刻は10:50を少し過ぎた頃であった。

開店時間前であるにも関わらず、店の駐車場はこれで一杯になり、また店の前には、既に10人程並んでいた。店の方は、首都圏のラーメン屋とは趣が異なり、またkのラーメン屋Tに近いところもあったが端的には「街の食堂」といった感じが適切であるように思われた。やがて11:00の開店時刻になると、赤い庇の下の出入り口には、紫地に白で屋号の一文字が染め抜きされた暖簾が掛けられ、列を作って待っていた我々は、店の方によって順次座席に案内された。

この時兄は、店の方から尻上がり気味のイントネーションで「あ、どうもー」とあいさつされていたため、兄が常連であることが察せられた。また、兄の方も気さくな感じで「ああ、どうも、またご馳走になります。」と笑顔で云いながら、店内に設置されてる学食などによくあるタイプの自動給茶機で二つ緑茶を淹れて、こちらのテーブルまで持ってきてくれた。私はそうした学生時代では見られなかった兄の自然な振舞いを見て「ははあ、社会人をしばらくやっていると、こんなことが普通に出来るようになるのか・・。」と感じたが、また同時にそれは、兄がやりたくないと云っていた会社での営業の仕事によって、身に着いたものであるようにも思われた。

そして、この店もまた、メニュー(品書き)が古風であり、当初は食堂として出発していたことが、ここからも理解出来た。中でも面白かったのは、品書きにあった「しのだ」とか「けいらん」は、それまで見たことがなかったことから兄に聞いてみると「ああ、「しのだ」は刻んだ油揚げが具のうどんのことで「けいらん」は文字通り具材が玉子のうどんだけれど、出汁が餡かけなんだよ・・。」と、さも当り前のように答えてくれた。そこからも、兄がこの店の常連であることが看取された。また、このお店の客層で面白いと思ったことは、駐車場に停めてある自動車のナンバーから、主に北隣の大阪各地から観光のように、このお店に来ている方々が一定数いて、それと同時に、普段着姿の地元の老若男女と思しき客が多くいることであり、そこから「ラーメンは若い人の食べ物」といった首都圏のいわば、住み分けされた価値観によって成立している食文化とは異なる「地域独自の何か」があるように感じられ、またそれは、運ばれてきたラーメン(中華そば)を食べてみて、さらに強く思った。何となれば、このラーメンはどうちらかと云うとコッテリとして、濃厚な味わいであったからだ。つまり、このようなコッテリとしたラーメンは首都圏では、若者が主たる客層であるが、このお店では、食べ盛りの孫と、その祖父母が皆で同じ中華そばを食べているのである・・。

こうしたことは「単に選択肢が少ないからだろう・・」と構造主義的に考えることは面白くなく、それよりも「何故、この地域では、このお店では、地元の老若男女がやってくるのだろうか?」といった疑問を設定しつつ、地域のさまざまな文化を眺めている方が余程面白いのではないかと思われる・・。くわえて、その後、しばらく経て思ったことは、私のような東の人間からすると、そばやうどんなどの出汁の違いによって象徴されるように、Wを含めた西の方では、全体的に味付けはあっさりしていて、それに対し東の方では、ここぞとばかりに料理に醤油を多用して、味全体が濃くて塩辛いといった先入観らしきものがあるが、こと、味覚の一種とも云える、動物性脂肪の嗜好に関しては、東より西の方が強く、また、その食品としてのこだわりについても、同様ではないだろうかということである。

ともあれ、ここでの中華そばは充分に満喫し、また店の前の列は途切れることなく続いていたことから、我々二人は食べ終えるとすぐに店を出て、駐車場を後にした。運転しつつ兄は「どう、美味しかったでしょ?」と少し自慢気味に聞いてきたが、確かに美味しかったため、肯定すると「うん、ほかにもWラーメンで有名なお店はあるから、それはまた明日にしよう。」と云い、続けて「あ、そうだ、面白いものを見せてあげるよ。」と云ってW市役所すぐ近くの建設現場を指して「ほら、県立医大の薬学部が新たに設置されるから、あそこに、その建物を造っているんだ。」云った。そしてさらに、その道の先にある全国展開のファミリーレストラン横の道を曲がり、道なりに坂道を少し登ると、そこに小学校の校舎らしきものが見えてきた。兄はその校舎を指して「ここはね、もともと小学校だったのだけれど、中心市街地から人々が離れていく、まあ「ドーナツ化現象」によって児童が集まらなくなり廃校になった古くからの小学校で、たしか南方熊楠や松下幸之助が卒業生だって聞いたけれども、この廃校舎を再利用しようと手を挙げたのが、ほら、うちの近くにもキャンパスがあるT医療保健大学でね、ここがWに新たな看護学部をということで設置したのだが、こないだ営業に来たついでに聞いてみると、1学年90名くらいの学生さんのうち、6~7割が県内からの学生さんとのことで、かなり地元にも貢献していると思うよ。だから、おそらく、こないだ**が受けた編入試験もそうかもしれんが、何かしら大きな時流というのが、その基層にあるのではないかと思うなあ・・。まあ、そうしたこともあって、俺も最近は、この先の進路について、もう少し考えてみようと思うようになったんだ・・。」とのことであった。地域は違えど、それぞれでも生じている現象やその傾向には、共通する何かがあるのかもしれない・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2020年5月27日水曜日

20200526【架空の話】・其の19

【架空の話】
そこでしばらくコーヒーを飲みつつ読書をして8:30過ぎに兄に電話をかけると、すぐに出てきて「ああ、着いたか、え、駅前のミ*ドにいるのか、分かった。今から準備をして車で迎えに行く、大体30分で着くと思う。」とのことであった。


兄の云った通り、およそ30分程経った頃、店の外に写真で見覚えのある車が停まりハザードランプを出した。私は、書籍をリュックにしまって担ぎ、コーヒーカップとトレイを返却し、そのまま外に出た。私の姿を認めた兄は車から降りて後部トランクを開けてくれた。この車は四角張ったフォルムの四駆軽自動車(深緑)であり、兄の好みにマッチしているように思われた。そして荷物をトランクに積み、私は助手席に座って走り出すと、兄は「1月終わりだけれど、こっちは結構暖かいだろ。もうじき、県の南の方では梅の花が咲き始める頃だよ。しかし、この時期は釣りは厳しくてね・・。まあ、寒いとお魚さんも活性が落ちてしまうんだろうな・・。ああ、それはそうと、まだこっちに着いてからはドーナツくらいしか食べていないんだろ。今日の昼はWラーメン、まあ、地元では「中華そば」って云うんだけれども、これを食べよう。ラーメンは、**も好きだろ?」と云ってきたため、私は「ああ、本場のWラーメンは食べたことがないから、是非食べてみたいな・・。それと兄貴の家はここからどのくらいで着くの?」と聞き返した。すると「ああ、市内の南の方の職場に近いところでアパートを借りて住んでいるのだけれども、こっちのアパートは結構広くてね・・。ここから車で10分かからない程の場所だよ。それで、今日行こうと思っている、そのWラーメン(中華そば)のお店は11:00に開店だから、一先ずウチに荷物を置いて、少し休んでいたら良い時間になるから、そこから、また車で出よう。」とのことであった。また、そのような会話の途中でも運転しつつ兄は、走行している道路の右側にある、時代を感じさせる店構えのお店を指しながら「ほら、あれがWラーメンが全国区になるきっかけになったI商店だよ。ここはたしかに元祖で美味しいけれども、これから行くところとは、またちょっと感じが違うんだなあ。」などと、道路沿いにある店の情報などを説明してくれていた。

ともあれ、そうこうするうちに、9:30前にはW市郊外にある兄のアパートに着いた。このアパートは首都圏の基準であれば充分に広く、家族でも住むことが出来るタイプであったと思われる。兄の部屋は最上階の3階にあり、階段を登り部屋に入ると、そこには兄の趣味が広がっていた。以前ほど、フライト・ジャケットなどには凝らなくなってはきたものの、昔からお気に入りの数着は、まるで絵画かオブジェのように壁際に吊るされていた。また、新しい趣味である釣りに用いるロッドも数本、壁に掛けられていた。そして、私が滞在中の居室として通されたのは、使用していないという、たたみ畳敷きの8畳の和室であり、そこには布団が敷かれていた。そこに荷物を置き、手と顔を洗い、少しサッパリしたところで、リビングルームで兄と雑談をしていると、そのうちに時刻は10:20頃になっていたことから、財布やスマホなどの必要なものだけを持って、再び外にでた。首都圏と比べて温暖とはいえ、1月末のWも十分に寒く、一度家に着いてからの再びの外出が少しだけ面倒に思えた。一方、兄の方はテンションが高めであり、この程度ではあまり寒いとも感じていないようであった。そしてまた、自動車でW市街地にあるという、その中華そばのお店に向かった。市街地に入ると、左手にお城が見えてきたが、兄はそれには関心を示さず、丁度、城を過ぎたところの交差点で右手に曲がり、そこからすぐに小さな橋を渡ると、さらに右折し、堀川沿いの道を少し走ってから、左に曲がり、すぐに再度左折すると、右前方の方に、それらしき店が見えてきた。ここで兄は「しめた!一つ空いているぞ。」と店の専用駐車場に駐車することが出来た。その時、時刻は10:50を少し過ぎた頃であった。

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2020年5月26日火曜日

20200525【架空の話】・其の18

【架空の話】
また、兄の方も「うーん、実のところここ最近は、このまま会社に残っている自分を全く想像できなくなってきているから、何か目標を見つけたら、**のように、その方向に向かって動く方が吉かもしれないな・・。」とのことであった。そして、年末年始休みも終わり兄はWに戻り、私の方はいよいよ修士論文の仕上げに取り掛かった。論文の提出期限は、たしか1月半ばであり、この年末年始の期間は、さきの兄との会話などはあったものの、全体としては、自室に引きこもり、PCの前に座る時間が長かった。指導教員の方も12月後半での年内最後の研究経過報告を聞いてからは、あまり厳しい突っ込みや無茶な注文は云わなくなり、他方こちらは、それで良いのか逡巡したが、とりあえずカタチを整えて提出することが大事であると考え、提出までの3日間は、あまり寝ることなく、その頃盛んに売り出していたエナジー・ドリンクを毎日のように飲んでいたが、そのせいか最後の方は体調がおかしくなり、視界がモノクロのようになったりもしたが、どうにか期日正午に教務課窓口に論文を提出することが出来た・・。

とはいえ、提出出来れば良いと云うわけではなく、その後、主査・副査合わせて3名の教員による論文審査を受けて、これをパスしなければいけないのである・・。しかし、これまでの論文審査では、そこで審査をパス出来ずに1年留年といった前例はなく、どんなに厳しくとも論文の大幅な修正を求められての再提出で、どうにかパス出来ていたことから、そこまで怖くはなかったが、それでも、あの時期の院生研究室のどんよりした雰囲気や複写室(コピー機のある部屋・院生研究室の隣)のよく分からない緊張感は、一度経験してみるのも悪くないように思われる・・。

さて、論文の提出でようやく年が明けたことを実感することが出来るようになったものの、その次には論文審査が控えていて、その想定問答らしきものを自分なりに作成して、いざ本番に臨んだみたが、そこからの質問は出ることなく、意外と、自分の想定したことろよりも、浅い領域と思われるところからの質問が多かったことから、これはどうにか見苦しくなく、対処出来たのではないかと思われる。

学位審査の結果は学内掲示板に張り出されるとのことであり、その日は、そのためだけに大学まで行った。そして既に張り出されていた結果を見ると無事にパスしていて、少し肩の力が抜けた。またBについても、研究科は異なるが、無事に審査をパスしており、これで来年度は少し面白くなりそうな予感を持てるようになった。

その後、指導教員の研究室に行ってみると「会議のため不在」とのことであり、そのまますぐには帰宅せずにアルバイトをしているS駅近くの古着屋に立ち寄り、店長や他のスタッフとしばらく雑談をしていると、夕刻に近づくにつれ、いつも通りにお客さんが増え始めたことから、私はその場を辞することにした。

次にD先生の医院に立ち寄ると、こちらも診療中で、あまり対応出来そうな雰囲気でなかったことから「また後日ご連絡します。」とメモを残して去った。そして、夕刻過ぎ頃、意外に早く帰宅すると、両親は共に不在であり、一人で昨晩の残りを温めなおして食べて、リビングルームで寛いでいると「そうだ!兄に連絡しよう。」と思い立ち、携帯電話で掛けてみると、すぐに出て、審査結果の報告をすると「おお、それは良かったな。それじゃあまだ、Kに行くまでは少し時間があるんだろ。それなら一度こっちに来てみたら面白いぞ。」とのことであった。兄によると、こちらに来るのであれば、土日を完全に休みにして、次の月曜日も出来れば有給休暇を取るとのことであり、さらに宿泊は兄の居宅に泊まれば安上がりで、さらに向うでは自動車で移動出来るとのことであった。

私も一応自動車の免許は取得しているものの、それは多分に身分証明書代わりとしての意味あいが強く、それ以上に、首都圏で普通に学生をしていると、自動車を運転する機会があまりないのである・・。また、兄についても概ね私と同様であったはずが、ここにきて兄弟で自動車に乗るということが、やけに新鮮で面白そうに思えたのである・・。

というわけで、早速日程を調整し、w行きの夜行バスのチケットを予約し、その週末、金曜日の夜には、私は夜行バスの乗客となっていた。しかしながら、この夜行バスは2列ずつの4列シートであり、私の隣席にも乗客がいたことから、緊張してしまい、乗車中あまり睡眠を取ることが出来なかった・・。

それでも、バスは予定通り7:20頃、JRw駅前に到着した。こうした近畿地方の県庁所在地の駅前に一人で降り立った経験がこれまでになかったことから、少しうろたえたが、昨年の夏、編入試験を受けに行ったKでの状況も、大きくは違わないと気を取り直して駅前ロータリー左側にある全国展開のドーナッツ店に入り一休みすることにした。ちなみにこの時の旅には岩波文庫版のコンラッド著「闇の奥」とジョージ・オーウェル著「パリ・ロンドン放浪記」そして同著の原書ペーパーバックを持参していた。そこでしばらくコーヒーを飲みつつ読書をして8:30過ぎに兄に電話をかけると、すぐに出てきて「ああ、着いたか、え、駅前のミ*ドにいるのか、分かった。じゃあ、今から車で迎えに行く、大体30分でそこに着くと思う。」とのことであった。

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2020年5月25日月曜日

20200522 これまで【架空の話】を作成して思ったこと。

おかげさまで一連の【架空の話】は第17話まで続けることが出来ました。これらを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。そして、今後も続編を作成していこうと考えておりますので、よろしければ、そちらも御読み頂ければと思います。

また、おかげさまで当面の目標としていた5月内での1300記事も達成し、次は出来れば今月内に1310記事程度まで到達したいと考えています。またさらに、来る6月22日には、当ブログを始めてから丸5年となりますが、それまでには、あまり無理をせずに1320記事程度、投稿出来ていればとも考えています。

さて、先日の5月21・22日はどうしたわけか、何時になく閲覧者数が伸び、この2日間は両日各々500人以上の閲覧者数となりました。ここ最近は、この程度の閲覧者数となる日は滅多になく、自分でも驚いていましたが、そうした中、偶然であるのか、続けて、何人かの知人から連絡を頂きました。また面白いことに、それら知人は全て、これまでに作成した【架空の話】の登場人物のモデルとなった方々でもあり、そこに記載されているエピソードを、その方々が読んで頂ければ「これはもしかして・・。」と、ご理解して頂けるほどに、現実の出来事に基づいて書いていると云えます。

とはいえ、【架空の話】の登場人物は全員、ある実在の人をそのままではキャラクターとはせず、一人のキャラクターでも何人かの知人の持つ要素が混合してい描かれていたり、あるいは、実在する私の知るキャラクターと、既存の小説や物語に登場してきたキャラクターを混合していたりと、まさに「好き勝手に」キャラクターの設定を行っています・・。そして、こうした作業の中で、意外であり、あるいは発見したことは、この「キャラクターの設定」を行っている時が、なかなか面白いということです・・(苦笑)。

また、おそらく、これまでに投稿した【架空の話】記事の中で、最もキャラが立っていると多くの方々が感じられたのは、主人公**のA大学大学院での指導教員であるのではないかと考えていますが、如何でしょうか?もちろん、この作中の指導教員には、何人かのモデルがいらっしゃいますが、その基本的なキャラクターについては、かなり多くの部分を一人の人物に帰することが出来ると云えます。また、今後も新たなキャラクターを登場させたいと考えていますが、ここに来て少し面倒であると思われた点は、登場人物の具体的な名称を当初から設定せずに、アルファベット等で識別さえ出来ればと考えて、書き進めてきたことです・・。ともあれ、これは、今後の検討事項としますが、ある日、突然、登場人物に名前が付くこともあるかもしれませんが、その際は、あまり気にすることなく読み進めて頂ければと思います・・(笑)。

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2020年5月23日土曜日

20200522【架空の話】・其の17

【架空の話】
Bとの会話にて「就職に備えて歯をキレイにしておきたい」との要望を聞き、D先生の医院をBに紹介した。そしてBは定期的にPMTCとホワイトニングを受けることになった。これら行為は主に歯科衛生士の職分であるとのことから、同年代のK出身者同士であるBとCさんの会話は弾んだのではないかと思われる・・。

そういえば、指導教員に対して編入試験の合格を伝えると「ふむ、それは良かった。では、次は修士論文を頑張ってください。今のドラフトでは、まだまだ、詰めが甘いところがありますからね。」とのことであり、そうしたこともあってか、以降しばらく研究経過報告や研究指導では、厳しいダメ出しが続いた。ちなみに、この先生のダメ出しは、たしかに厳しいことは厳しいのだが、そこから落ち込むような精神的ダメージを受けることは少なく、ストレスが溜まらないといった特徴があったが、こうしたものは、人それぞれ相性といったものがあるのではないかと最近は考えている・・。

そして9月の末頃になると、修士論文ドラフトも、どうにかカタチになり、個々の章について、さらに詳説すべきところ、省いても良いところ、といった文章の明暗、メリハリをつける作業や、記述内容について、その文脈、背景の把握そして確認などを行う段階に入った。これら作業はたしかに面倒ではあるが、年内中に、ある程度仕上がった状態にするためには、この程度までは進めておく必要があった・・。

指導教員は、経過報告や研究指導の際は、さきのように厳しくなることもあったが、それ以外については、やや放任気味とも云えるほどに自由で、さらに学内外問わず気軽に話しかけてきた。また、笑いのセンスも独特であり、ローワン・アトキンソンやモンティ・パイソンといったコメディアン、コメディグループを知ったのは、この先生を介してであった。こうした情報は、もちろん会話の中から出てくることもあれば、あるいは、先生の研究室にて報告や指導の後に、雑談をしていると、自然、本棚に並んだ書籍や映像資料で目に入ってくるものを話題にすることがあり、そうしたことを契機として知ったものも少なからずあった。

ともあれ、そこで当時の私がスゴイと感じたのは、書棚に並ぶ、ある著作について質問すると、それについての説明が延々と出来ることである。さらにその中で、別の著作や映画作品などの名前を挙げ「これらも今話した著作と関連があるから、興味があれば、見ると面白いと思うよ・・。」と、またそこから更にハナシを展開出来るようなところであった・・。さまざまな分野での知識の多い人を「引き出しが多い」と評するが、先生の場合、引き出しの中にまた、別の引き出しがあり、さらに、そうしたさまざまな段階での引き出しは、それぞれが、どこかで繋がり、関連し合い、ある種の知識体系を形成しているように思われた。

また、編入試験の報告の際に、不図、ハナシに出たことであるが、この先生の家は、曾祖父の代から東京の所謂、山の手地域に住んでいるが、それ以前については、おそらくヤマト朝廷成立の頃から中国地方に住み、古い記録には県主(あがたぬし)との記載があり、時代がくだってからは在庁官人、西国御家人、国人そして土豪化し、乱世を含めた各時代をどうにか生き延び、江戸期に入ってからは、当地に封じられた大名から、土着の古い家として、郷士の格式を与えられたという。そして現在でも、この先生の苗字を冠した社が地域にあるとのことであったが、それは仏教の普及以前から、この地域に居たことを示す材料にはなるかもしれないが、あまり実感が湧かないと云うか、そうした感覚がイマイチよく分からないとのことであった。

さて、D先生の医院にPMTCとホワイトニングで通うことになったBであるが、そのうちに歯科衛生士のCさんと仲良くなったようであり、修士論文の作成で忙殺されていた12月初旬に少しあらたまった重い調子でBから「実はちょっと前からCさんと付き合っているのだが・・やはり**にはちゃんと伝えておこうと思って。」と云われた。私の方は、Cさんを気にはなっていたものの「恋をする」ではなかったため「ああ、それは良かった。そうすると期せずして私がキューピットになったわけだから、長く続くといいな。」と自然な感じで快活に返事をした。すると、Bの方は少し気になっていたのか、重い調子であったのが、いつもの調子に戻り「Kでの家探しは手伝うよ。来年になって修士論文の提出と審査を終えたら、一度一緒にKに行こう。」とのことであったが、これは後日、実現した。

そして年末にはW県から兄が帰省してきたが、私の方は、この年の年末年始はあまりゆっくりとは過ごせず、論文の推敲やら、調べものなど論文審査の準備をしていた。しかし、久しぶりに会う兄と話すことはやはり面白く、また、その服装は以前と比べてアメカジ色が薄くなったように思われた。そこで、そのことを訊ねてみると「ああ、あっちに住んでいると、服装にお金をかけることが面白くなくなってきて、それよりも釣りとかの方がなんだか面白くなってきてね・・。それと、最近、釣りで知り合った人が県立医大のお医者さんで、親切にも色々な釣りの情報を教えてくれるのだが、そのお医者さんに「君は26・27歳くらいでまだ若いのだから医学部の学士編入試験を受けたらどうか?」って云われたよ。それで、こないだ聞いた**の専門職大学編入の件について、俺の意見としては、このまま文系の院を出て職に就くよりかは、将来の選択肢を増やすことが出来るという意味で、とても良いと思うよ。でも、その歯科技工士って資格は、今まで聞いたことがないけれども、良さそうなのか?」と思わぬ方向に話は行った。私はD先生から耳学問で聞いたことを散りばめながら歯科医療や歯科技工について語った。理工学部出身の兄からすると、歯科技工界では、あまり自動化や機械加工の技術が、他の工業分野と比べて進んでなく、人間の手によって一つ一つ作成されていることがかなり驚きであったようだが、それが今後、変わってくるということで納得したようであった・・。

また、兄の方も「うーん、実のところ、ここ最近は、このまま会社に残っている自分を全く想像できなくなってきているから、何か目標を見つけたら、**のように、その方向に向かって動く方が吉かもしれないな・・。」とのことであった。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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ISBN978-4-263-46420-5

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2020年5月20日水曜日

20200520 河出書房新社刊ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.43‐46

河出書房新社刊ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.43‐46
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

「同様に、もし世界医療保健期間(WHO)が新しい疾病を認定したり、研究所が新薬を開発したりしたら、こうした進展を世界中の人間の医師全員に知らせることは不可能に近い。

それに対して、たとえ世界中に100億のAI医師が存在し、それぞれが一人の人間の健康状態をモニターしていたとしても、そのすべてを瞬く間にアップデートでき、それらAI医師はみな、新しい疾病や薬についての自分のフィードバックを伝い合える。

このような接続性と更新可能性の潜在的な恩恵はあまりに大きいので、少なくとも一部の職種では、すべての人間をコンピューターに取って代わらせることが理に適っているかもしれないーたとえ個別には、機械よりも腕の良い人間がいくらかいたとしても。

個々の人間をコンピューターネットワークに切り替えたら、個別性の利点が失われるとして、異論を唱える人がいるかもしれない。たとえば、一人の人間の医師が判断を誤まっても、世界中の患者を殺すこともなければ、すべての新薬の開発を妨げることもない。それに対して、もし医師全員が本当は単一のシステムにすぎず、そのシステムが間違いを犯せば、大惨事になりかねない。とはいえ実際には、統合されたコンピューターシステムは、個別性の恩恵を失わずに接続性の利点を最大化しうる。同じネットワークで多くの代替アルゴリズムを作動させることが可能だ。だから、辺鄙な密林の中の村にいる患者は、自分のスマートフォンを使って、単一の権威ある医師ではなく、実際には100の異なるAI医師にアクセスできる。それらのAI医師の相対的な実績は、絶えず比較されている。IBMの医師に言われたことが気に入らなかった?大丈夫。たとえあなたがキリマンジャロの斜面のどこかで立ち往生していたとしても、いとも簡単に百度(バイドゥ)の医師と連絡を取って、セカンドオピニオンが聞けるから。

 おそらく、人間社会が受ける恩恵は計り知れない。AI医師は何十億もの人に、これまでよりもはるかに優れた医療をはるかに安く提供できるだろう。とくに、現在は何の医療も受けていない人々には。学習アルゴリズムと生体センサーのおかげで、発展途上国の貧しい村人さえもが、現在、世界で最も裕福な人が最も進んだ都会の病院で得るものよりもはるかに優れた医療を、スマートフォンを通して享受できるようになるかもしれない。

 同様に、自動運転車はこれまでのものをはるかに凌ぐ輸送サービスを人々に提供できるのではないか。とくに、交通事故の死亡率を下げられるだろう。現在、交通事故で毎年125万人近くが亡くなっている(訳注 世界保健機関によると、2016年の交通事故の死者数は135万人)(これは、戦争と犯罪とテロで死亡する人の合計を上回る)。これら事故の九割以上は、いかにも人間らしい過失が原因だ)。飲酒運転をする人もいれば、運転しながら電子メールを送っている人や、居眠り運転する人、道路に注意を向ける代わりにぼんやりと空想に耽っている人もいる。31パーセントにアルコール濫用、30パーセントにスピードの出し過ぎ、21パーセントに運転者の注意散漫が絡んでいたという。自動運転車なら、こういうことはいっさいない。もちろん自動運転車特有の問題や制約はあるし、避けられない事故もあるが、人間の運転者をすべてコンピューターに替えれば、交通事故による死者数の数がおよそ九割減ることが見込まれている。言い換えると、自動運転車に切り替えれば、おそらく毎年100万人の命が救われる。

 したがって、人間の仕事を守るためだけに、交通や医療のような分野での自動化を妨げるのは愚行だろう。なにしろ、最終的に守るべきなのは、職ではなく人間なのだから。余剰になった運転者や医師は、何か他にすることを見つけるしかない。

モーツァルトと機械
 少なくとも短期的には、AIとロボット工学がさまざまな産業をそっくり排除することはなさそうだ。狭い範囲での定型化された業務を専門とする職は、自動化されるだろう。だが、幅広い技能を必要とし、予期できない筋書きに対処するような、あまり定型化されていない職で、機械が人間に取って代わるのは、はるかにむつかしい。医療を例に取ろう。多くの医師は、情報の処理にほぼ専念している。医療データを取り込み、分析し、診断を下す。それに対して看護師は、痛みを伴なう注射を打ったり、包帯を取り換えたり、暴れる患者を拘束するために、優れた運動技能や情動的な技能をも必要とする。したがってAIの家庭医をスマートフォンで持てるようになってからも、信頼できる看護ロボットが手に入るまでには何十年もかかるだろう。病人や幼児や高齢者などの世話をする対人ケア産業は、ずっと先まで人間の独擅場であり続ける可能性が強い。それどころか、人間の寿命が延び、少子化が進むにつれ、高齢者の介護は人間の雇用のうちでも、著しい成長を見せる部門の一つとなるだろう。」

2020年5月18日月曜日

20200518【架空の話】・其の16

【架空の話】
ほかにも、これに似たハナシはいくつもあるが、現在の兄は、洋服よりもバス釣りや自動車の方に興味が向いているようであり、私がK県に行く前に一度、訪問してみようと思った。この訪問については、また別の機会に書きたいと思う。

さて、初夏に編入試験の合格発表があり、そこから続く盛夏、晩夏は、論文作成のための調べもの、指導教員への研究経過報告、ドラフト執筆、そしてアルバイトに多くを費やし、季節を感じる余裕はなかった。

また、ドラフト執筆時にあらためて気が付いたことは、以前も述べたが、私の修士課程の研究テーマは、ジョセフ・コンラッドというポーランドに出自を持つ英国作家の著作から、当時の西欧文化、また時代精神の認識を試みることであるが、それら著作の中で、我が国で比較的知られているのが「闇の奥」(Heart Of Darkness)と云えるが、この「闇の奥」のテーマの一つが「居地の移動に付随する精神の変化」であり、まさに「今後の私の身に生じることにも相通じる部分があるかもしれない」のである。

この「闇の奥」は、これまで数度にわたり映画化され、それらの中で最も有名であるのがフランシス・フォード・コッポラ監督による「地獄の黙示録」(Apocalypse Now)であり、むしろ、我が国では、当映画作品の原作がコンラッドの「闇の奥」と云った方が通りが良いのではないかと思われる。もっとも、双方、時代や舞台背景は異なり、「闇の奥」は19世紀末のアフリカ中央部であり、「地獄の黙示録」は1960~70年代の東南アジア(ベトナムとその周辺)である。そして、これらから、さきにも述べたある種普遍的とも云える、居地の移動から生じる人間精神変容のメカニズムについて考えてみると「そうすると私の場合は今後一体どうなっていくのだろうか・・。」と思い至り、突如として不安になり、落ち着かなくなってくる・・。つまり、当時の私は、居地の移動の経験がないにも関わらず、精神の変化や、あるいは、それらが蓄積したものとも云える歴史や文化について、何やら知っている気でいたのだ・・。また、そのような状態を指して、おそらく「観念的」と云うのだろう・・。

他方、こうしたことはBに知らせても、あまり興味を持つことはなく、それよりも映画内で出てきたビル・キルゴア中佐のキャラの立ち振り・無双振りに甚く感心して「いやあ、実際ああいう人が上にいたら従ってしまうだろうね・・。」とのことであった。たしかに、それはわかるが、しかし、この著作・映画の一つの大きなテーマは「優れた資質を持っている人であっても(あるいは、であるからこそ)野蛮にして原初的な創造性を行使できる環境に身を置くことは、抗しがたい誘惑となるのか、あるいは、それとは反対に、優れた資質を持っていればこそ、徹底的に管理された社会・組織の中で自身の内面からの能動性を押し殺し、平穏無事に暮らすことが正しいのか。」といったところであると思われるのだが、おそらく、こうした大きな問いのようなものは、19世紀末から20世紀初頭の西欧社会全体を通じ、ある程度共有されていたのではないかと思われる。またそれは、対外的な帝国主義と、ある程度成熟した大規模市民社会の結合の所産であるとも評し得る。そして、さらにそこから少し時代がくだると、初の世界の国家同士による、大規模総力戦である第一次世界大戦がはじまるといった構図になるわけだ・・。
【その意味において、エルンスト・ユンガーの人生は象徴的であるように思われる・・。】

また、ハナシは少し変わるが、この「対外的な帝国主義と、ある程度成熟した大規模市民社会」が併存している時代の社会一側面を描いた著作がトーマス・マンによる「魔の山」であり、また同時に、それはジャン・ルノワール監督による映画「大いなる幻影」の舞台背景とも少なからず共通するものがあると思われるのだが、如何だろうか?

ともあれ、そうこうするうちに秋となり、本格的に論文を書き始めた次第であるが、それと同時に、引越しの準備なども少しずつ始めた。また、編入試験の合格以降、治療がなくともD先生の医院には週一程度で訪問し、色々と歯科にまつわる耳学問を仕入れている。Cさんとは、以前よりかは話せるようにはなり、Kでの出身地も聞くことが出来たが、生憎、私の方がKの地理感覚が乏しいため、あまり話しを展開することが出来なかった。くわえて、それとも関係するが、忘れてはいけないことは、Bが最終面接に通り、希望通りの地銀に入行することが出来たことと、同じK出身者であるからとBにCさんを引き合わせたことである。このハナシは単純であり、Bと話しをしていたら「就職後のために歯をキレイにしておきたい」とのことから、D先生の医院にBを連れて行ったからである。そして、そこでBは定期的にPMTCとホワイトニングを受けることになった。これらは主に歯科衛生士の職分であるとのことから、同年代のK出身者同士であるBとCさんの会話は弾んだのではないかと思われる・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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20200517【架空の話】・其の15

【架空の話】
「先日受けた説明によると13:00からHPにて掲示とのことであり、時刻を過ぎ、更進ボタンを押してみると、学科毎の合格者の受験番号が掲示されており、口腔保健工学科の欄を見てみると、果たして、そこには一つだけ番号が掲示されており、それは私の受験番号であった・・。

とはいうものの、いざ合格してみると、その実感らしきものはなく「そうすると、生まれて初めての引越しを経験することになるが、どうしたものか・・。」といったことの方が気がかりになり、そこで、すぐさまBにメールを送り、合格したことを伝えた。すると「良かったな。今後忙しくなると思うけれど、Kでの家探しでは協力できるかもしれない。」といった返事が来て、くわえて「最終面接まで行った。こちらは結果が出るまでもう少し時間がかかりそうだ。」とも記されていた。

次いでD先生の医院に電話を掛けると、ごく短時間ではあるるが、電話口に出てきてくれて「ああ、それは良かった。また今度夕食にでも行って、そこで話そう。」とのことであった。しかし、丁度あの時、歯が痛くなり、D先生の医院に行かなければ、このような事態には至らなかったと思われることから「偶然とはスゴイものである。」と同時に「あるいは、これは必然であるのかもしれない。」とも思い、そこから、偶然と必然の違いというものが、イマイチよく分からなくなった・・。

また、自宅に電話をかけて編入試験合格を伝えると、電話口に出た母親は「そお、受かったの・・それじゃあ、まあ頑張りなさい。」と、あまり気のない返事であった。おそらく、母親としては、二つ年上の兄も就職で既に家を出て、そのうえ私も遠いk県まで行くというのは、少なくとも手放しで歓迎出来る事態ではなかったのかもしれない・・。

そういえば、ここで兄がハナシに出てきたが、私には兄がいる。父親と同様、理工学部に進み、その分野での通例通り修士課程を修了し、某家電メーカーに就職し、現在は、近畿地方W県の事業所にて勤務している。仕事が忙しいのか、ここ最近は、あまり連絡がないが、以前に愚痴っていたのは「理系出身だから研究所に配属されると思っていたら、どうしたわけか、営業部署の配属になって大変だ。」といったことであった。しかし一方、W県での生活は、それなりに楽しんでいるらしく、向こうでバス釣りをはじめたことや、中古の自動車を購入したことを幾分誇らしげに伝えてきたこともあった。

また、私もそうした兄の様子を見て「何処か他の場所に行くのも悪くないのでは・・。」と思うようになっていたのかもしれない・・。

くわえて、兄からの他の影響と思われることは、古着も含めて洋服好きであるということである。傾向として兄は、所謂アメカジが好きであり、とりわけ第二次世界大戦頃の米陸軍航空隊のフライトジャケットを好み、各メーカーが製造しているレプリカのフライトジャケットは、片手では数えきれない程持っていた。おそらく、アルバイトで得た収入の多くを、そちらの方に費やしていたのではないかと思われる・・。

さらに、この趣味に拍車が掛かり、レプリカのあまり高価ではない布製フライトジャケット(たしかB‐10という型であった。)を購入し、サンドペーパーや洗濯機などを用いて布地にアタリや退色感が出るように加工し、背中に何やら絵を描いたりし、さらにジッパーを部品取りするために比較的安価な、状態の良くない1940年代のジャケットを購入し、ジッパーを外して加工したフライトジャケットの方に取り付け、いかにも本物のヴィンテージらしく見えるような加工をしていた。兄から聞いたハナシによると、このジャケットを都内のヴィンテージ古着を多く扱っていることで有名な店に、買取希望として持込み、店員によるチェックで本物のヴィンテージであると認められ、かなり高額での買取を申し出て来たという・・。

しかし、ここまでやると多少やり過ぎの感もあると云えるが、単純に兄は、自分の加工したジャケットをプロに評価してもらいたかったのだと思う。その証左として、兄はそのジャケットを店に売却せず、そのまま大学での作業着として愛用していた。

ほかにも、これに類したハナシはいくつもあるが、現在の兄は、洋服よりもバス釣りや自動車の方に興味が向いているようであり、私がK県に行く前に一度、訪問してみようと思った。この訪問については、また別の機会に書きたいと思う。」

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2020年5月16日土曜日

20200515【架空の話】・其の14

【架空の話】
「その日帰宅したのは24:00少し前であり、かなり久しぶりの飛行機による移動、そして何より、生まれてはじめての編入試験で疲れたのか、この日もストンと寝付くことが出来た。翌日は2限目からの講義であり、少し休めると思ったが、修士(博士前期課程)2年目になると、履修科目の状態は、このような感じになるのではないだろうか・・。

翌日2限目の講義に出席し、その後、あまり人に会わないように一人、学食テラス席にて岩波文庫版の カレル・チャペック著「山椒魚戦争」での山椒魚と人間の戦争が始まるくだり(英仏海峡事件のあたり)を読んでいると、横から聴き慣れた声で「やあ**君、今日は何を読んでいるのですか?」と訊ねてきた。声の主は指導教員であり、この先生の声は、若干オクターブが高く、言葉が明瞭に聞き取れるのは良いが、反面、あまり感情に訴える要素は少なく、どちらかというと、理性に訴えるような響きが強いと云える。こうした声の持ち主は、その後も何名か出会ったが、総じて、軽躁の気があったのではないかと思われる。そして、出来ることなら、自分もこうした声になり、さらに軽躁気味にもなりたいと願うようになったが、今のところ、そうした変化は全く見られない。

私は指導教員に「ああ、先生ですか。今日は「山椒魚戦争」を読んでいます。この作品は1920~30年代の世界情勢や時代精神を知るうえで、とても参考になりますね。」と著作を示しながら答えた。すると指導教員は「ははあ、その作品はたしかに面白くて、フィクションなのに芸が細かく、現実っぽく仕上げているところがとても秀逸ですね。あと、当時の世界情勢、時代精神についての君の指摘も間違っていないと思いますね。ええと、その著作はたしか1930年代半ば頃に刊行されたと思いますが、そこを基点として大体10年前に刊行のトーマス・マンの「魔の山」そして、大体10年後に刊行のジョージ・オーウェルの「1984年」の3作品をそれぞれ読んでみますと、何と云いますか20世紀前半の時代精神の推移といったものが見えてくるのではないかと思いますね。・・あ!これは学部ゼミの講義で使えるかもしれない・・。いや、いや、まあ、それは置いておいて、たしか先日、編入試験を受けてきましたよね?」と少しだけ真顔になって訊ねてきた。本日の指導教員は、先日より明るいブルーのブロード地ボタンダウンをこれまた腕まくりして着て、片手にコーヒー用の蓋付き紙コップを持ち、もう片方の手は濃いベージュの古風なパイプドステムのチノパンのポケットに入れていた。

こうしたことを訊ねてくるのも指導教員の務めの一つであるのか、あるいは単純な好奇心からであるのか不明であるが、この先生の場合、様子を見ていると、どうも後者の方が強いのではないかと思われる・・。ともあれ私は「ええ、昨日、編入試験を受けて深夜にこちらに戻ってきました。試験の出来はボチボチでしたね・・。英論文の翻訳は、院の講義で使う向こうの経済誌の翻訳などに比べれば、素直な文章で比較的訳しやすいと思いました。しかし、その意味はイマイチ分かりませんでしたが・・。あと、小論文と実技試験は、まあ、自分なりに頑張りましたので、あれで落ちていれば、まあ、仕方ないとあきらめます・・(笑)。」と少し先回り気味で返事をした。

すると、指導教員は「ふーん、そうですか・・。まあ「人事を尽くして天命を待つ」といったところでしょうかね・・。上手いこと行っているといいですが・・。あと、それはそうと、来年度からは私のところにも一人、新しい院生が来るかもしれません。まあ、君の今後の身の振り方が決まりましたら、また一緒に夕飯にでも行きましょう・・。」とのことであった。A大学は比較的小規模な大学ではあるものの、戦前の私立旧制高等学校の流れを汲んでおり、ところどころには、未だこうした教員と学生のあまり壁のない交流の文化が残存していたのかもしれない・・。

ともあれ、そのような会話ののち、私は図書館で少し調べものをしてから帰宅し、夕刻頃、D先生の医院に電話をかけた。「あ、先生どうも、昨日試験を受けて戻ってきました。そこで本日少しそちらにお邪魔したいのですが、よろしいですか?」と訪ねると「ああ、今日はあまり患者さんが多くないから、そうだな19:00頃に来てもらえればCさん共々相手出来るよ。」とのことであった。そこで指定の時刻に医院に着き、ノックをして待合室から診療室に入ると、先生はカルテに何か記入をしており、Cさんは治療に使用した器具の後片付けをしていた。両名とも私の姿を認めると、それぞれの作業を止め、D先生が「・・おお、よく来たね。それで昨日、試験の後、前に話した口腔保健工学科で教員をしている同期の友人から電話があってね。まあ、ハナシを聞かされたよ。いや、今回の口腔保健工学科の編入試験を受けたのはどうやら君一人だったようだね・・。これでもし、君が合格していれば、私は彼等から少しは感謝されてもいいのかもしれないね・・。まあ、先のハナシはまだ分からないけれども・・。」と云った。Cさんは「どのくらい志願者がいましたか?」聞いてきたため、私は「ええ、全体で20~30名ほどであったと思います。そのうち7~8割方は女性でしたが、歯科衛生士学科(口腔保健学科)の編入希望者は何人かいたのではないかと思います。」と当てずっぽうな返事をした。また、続けて「結果は1週間に郵送で知らせ、あと大学HPにも掲示されるとのことです。」と言い添えた。ともあれ、以上の報告を今回お世話になった二人にしてから、しばらく雑談をした後、医院を辞して帰路についた。そして、帰り道の途中でCさんのKでの出身地を聞くことを忘れていたことを思い出し、少し後悔した・・。Bに対しては、メールにて編入試験を無事終えたことを伝えていたが、夜になって「それはご苦労さん。こちらも2日後に二次面接だ。」と短いメールが届き、それに対し「頑張れ。来年二人してK行きになったら面白いな。」と返信した。

それから1週間はバイトや論文の調べもので費やされ、HPでの合格者掲示の日は、1時間ほど前から院生研究室にてHPを開いて待っていた・・。こういう時はやはり落ち着かないものであり、院生研究室から出たり入ったりを繰り返し、また、HPの更新ボタンを何度も押していた・・。先日受けた説明によると13:00から掲示とのことであり、時刻を過ぎて、更新ボタンを押してみると、学科毎の合格者の受験番号が掲示されており、口腔保健工学科の欄を見てみると、果たして、そこには一つだけ番号が掲示されており、それは私の受験番号であった・・。

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