2017年2月28日火曜日

20170228 初期に作成された記事を読んで思うこと 『著す』とは・・?

以前に読んだ本を久しぶりに手に取り、読んでみると、その中に引かれた赤線や殴り書きの註釈の意味が過去の自身が行った行為であるにも関わらず、分からないことがあります・・(苦笑)。

また一方、とりあえず500記事程度もしくは20ヶ月程度、ブログ記事作成を続けておりますと、自身が過去に作成した記事においても、そのような現象が生じることがあるのではないかと、不図考えることがあります・・(笑)。

とはいえ、現在日々、過去の記事を読み返し、適宜わずかな改変、修正を行い再投稿する限りにおいては、そうした現象に出くわすことはありません・・。

あるいは、これはこれで成長がないということになるのでしょうか・・(苦笑)?

その一方で過去の自身の作成した記事を読み思うことは、その作成された時季によっても若干の相異が認められますが、概して古い段階に作成された記事とは、最初期の対話形式からの延長であることから、ハナシの主題がよく飛ぶ、変化する文体であることが認められます。

こうした文体の場合、ハナシを無理やり繋げることに対し、あまり抵抗はありませんので、自然、ある程度の文量を比較的容易に書くことが出来るようです・・(笑)。

しかしながら、この傾向とは、昨今においても時折見受けることが出来、また自身としては、この傾向に対し危機感を持つことは、むしろ『記事作成』にとって危険なことではないかと考えます。

それ故、そうした傾向の文体で書かれた記事であっても、それはあくまでもブレ、偏差のようなものであると割り切り、あまり気にすることなく、目標とする600記事まで作成することに主眼を置くこととします・・(笑)。

また、それと同時に思うことは、以前も記事に書きましたが『初期に書かれた記事の方が内容的に深いものが多い傾向がある』ことであり、これに関しては、単純に初期の記事とは、その作成に割ける時間が相対的に多かったことによるものと考えます。

そのため、昨今においても、記事作成に割く時間が比較的多い週末に作成された記事とは、あとになり読み返してみても、平日に作成された記事に比べ、多少練られた感があるのではないかと思われますが如何でしょうか・・(笑)?

それと同時に、自身が表現したい内容、考えを文章としてまさしく『著す』という意味においては、初期作成記事に比べ多少は上達、洗練してきているのではないかとも思われます・・。

また、その意味においては、たしかに『継続は力なり』というコトバの意味の深さを多少考えさせられるところでもあります・・(笑)。

そういえば、ここまで書いて不図思い出したことは、本日作成の記事は先日再読した橋川文三の西郷南洲翁(隆盛)についての記述の抜粋引用にて充てようと考えていたことです・・。

白状しますと、こうしたことは、これまでの記事作成において、何度もありましたが、結果的には、どちらが良かったのかとは、なかなか分かりにくいものです・・(苦笑)。

さて、そこからハナシは飛び(笑)結果的にこれまでに作成した記事数とは、おおよそ550であり、1記事が大体1000字程度と考えますと55万字程度書いたことになり、さらに書籍からの抜粋引用をそのうちの半分として除きますと、おおよそ30万字弱程度自身の文章を書いてきたことになりますが、これは何かしらの影響、効果を文章作成の上達、洗練以外に自身に与えているのでしょうか・・?
こうしたこともまた、なかなか分かりにくいものです(笑)。

本日もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年2月27日月曜日

20170227 昨日投稿の記事から思ったこと・・内発性・議論について

本日の首都圏は以前の肌寒さが戻ってきたように思われますが、それでも去る1月全般と比べますと徐徐に温暖になっている感じを受けます。

さて、昨日投稿した記事もまた思いのほか、多くの方々に閲覧して頂きました。

この記事を興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

このことから、時折は以前に投稿した記事の中で比較的反響の大きかったものを題材とするのもまた、悪くないことであると認識した次第です・・(笑)。

そういえば、以前読んだある著作の中で『明治維新以降の現代に至るまでの我が国とは、全体として精神を病んでいる』と表現したものがありましたが、この考えは夏目漱石が明治44年に行った講演、書籍化もされている『現代日本の開化』を媒介として自身としては納得できるものでした。

また、あるいはさきの著作も、その主題の基層には夏目漱石の講演があったのかもしれません・・。

ともあれ、我々とは日常において、そのようなことを考える暇もなければ、機会も十分にあるとはいえません・・。

しかしながら、やはりこのこと(夏目漱石の『現代日本の開化』を読んでみてください)とは、少なくとも近代以降の我々の社会を考える上において、最も重要な事柄(の一つ)ではないかと思われるのです・・。

我々は夏目漱石およびその著作を紙幣の図柄にもなる国民的作家そして国民的著作として称揚していながらも、日常的な話題において、それら著作の主題となっている『我々の持つさまざまな性質』および同様に『社会、文化についての言及』が取り上げられることはほぼ皆無といっても良いのではないでしょうか・・?

とはいえ、現今の我が国における近代初期の文学とは、そのような位置付けであり、また、それが一般的であるため、現今の首都圏(のマスメディア)を中心とする文化が発信する皮相的、他律的とも云える衒学性の方が余程上滑りであり、結果的に神経衰弱を招きかねないのではないかと思われます・・。

そして、ここまで書いており、また不図思ったことはいや、近代以降の我が国とは、現代に至るまで、このような皮相的、他律的な言説を自家嚢中のものの如く、さも権威であるかの如く、ただ大声で喚き散らし、あるいは(ただ)耳聞こえの良い調子にて説いてきた勢力により牽引され続けてきたのではないか・・?ということです・・。

そして、こうした状況をどうにか変革するためにはどうした良いかと考えてみますと、一つは教育による漸進的なものであり、次に我々が『内発的な動機』により、さまざまな著作を読み、それらの主題を考えて、議論をする風土を創り出すことではないかと思われるのですが、実はこうしたことは明治初期から云われてきたことでもあるのです・・。

そしてその象徴が港区三田の高台にある和洋折衷(なまこ壁)の特徴的な建造物です・・。

無論、自身も含めてそうですが、我々とは、その時代から多少なりとも進化しているのでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。







2017年2月26日日曜日

20170226 本質とは何でしょうか・・?【書籍からの抜粋引用あり】

今月二月ももうじき終わり、三月となりますが、ここで今月に多く閲覧されたブログ記事を取り上げてみようと思います。
これまでは、あまりそうした試みを行うことはありませんでしたので、いわば初めての試みということになります・・(笑)。

さて、今月作成した記事の中で最も読まれていた記事は2月4日に作成投稿された「どの程度の深さからの反応であるのか・・?」でした。

この記事に関しては、その主題が我が国社会が持つある種の傾向、特性を指摘したものであり、また、その内容全般に関しては特に加筆修正の必要性はないと考えます。

とはいえ、それと同時に思うことは、この記事に書かれた内容とは、あくまでも、我が国の首都圏、東京文化に対するものであり、あるいは国内他地域、地方においては、その内容とは、必ずしも適用することが出来るものではないのかもしれないということです・・。

また、本日が2月26日であることから考えることではありますが、現代において1936年・昭和11年のこの日に起きた2・26事件のことを何やら現今流行の経営戦略的な視点で論ずるのは、それがあくまでも国内の事件であり、対外的な戦争・戦闘でないだけにより一層何ともいえない苛立たしさをおぼえるのです・・(苦笑)。

また、三島由紀夫等が1970年・昭和45年に自衛隊市ヶ谷駐屯地にて盾の会事件を決行した主要な原因の一つとして、事件当時から既に社会に存在、顕在していた、そうした浅薄とも評し得る傾向に対する抗議の意味があったのではないかと思われます・・。

あるいはさらに時代を遡り、明治維新から神風連の乱西南戦争に至るまでの西郷隆盛をはじめ同様の過程を経た、かつての志士達にもまた、それと類似する心のメカニズムが働いていたのではないかとも推察することが出来ます。

そして、ここまで書いておりますと、つい先日読みました司馬遼太郎の対談集「日本人の顔」での
江崎玲於奈との対談を想起しました。
以下にその部分を抜粋引用し、示します。

司馬「日本人のいい面といえば、原理性から離れたところで物事を運営するのがうまいということでしょうか。
たとえば、日本航空は優秀ですな。
パリあたりの空港で途方にくれている場合、日本航空だとわれわれ乗客を低能として扱ってくれて(笑)-ずーっと至れり尽くせり誘導してくれるでしょう。スチュワーデスの制服にしても、いかにもキビキビ、マネジメントしているだろうという感じでしょう。
何だか昔の帝国海軍を見ている感じで、変な感じがするほどですね。(笑)」

江崎「日本航空は、一つの国策会社ですからね。(笑)」

司馬「運営という点で磨きあげられている感じがあって。
だけど独創的なところはないんじゃないですか。
椅子など機内の備品類でもよく磨いてありますね。
幕末に西洋から航海術を受け入れたころから、日本人は船内を清潔にせよという技術的習慣を学んだ。
だから飛行機でも、スチュワーデスは自分の担当の備品をきれいにする。
ところが非常に衛生を重んじるドイツの旅客機に乗ると、衛生はきちっとしてしているけれども、椅子など金属のところに傷がついていたり、その傷に黒っぽいアカがたまっているような感じだったり、何か汚らしい感じがしますが、日本のエアラインなら、ちょっとでも汚れるとすぐ新品ととりかえてしまう感じがありますね。
ドイツ人には、見かけは汚くても、衛生的であればいいんだという思想がありますでしょう。つまり衛生という原理さえしっかりしてればいい。」
(中略)
司馬「私が「坂の上の雲」という作品を書いていたとき、古い海軍さんに教えを請うたんです。
その海軍さんの話だと、ソ連の巡洋艦が寄港したとき、みんなで乗せてもらった。
ソ連の海軍はどんなレベルかと思って、ある人は船室の隅をほこりがついてないか指でなぜてみたというんです。
私は海軍のことは知りませんが、海軍さんはそうやって水兵をいじめていたそうですね。
これはイギリス海軍の伝統だそうで。
イギリス海軍は、船内を隅から隅まできれいにすることによって、自然に普遍的な海軍倫理をつくり上げていった。と
ころがイギリス海軍をお手本にした日本海軍は、清掃自体が至上命令のものになってしまった。
本来はそんなことはどうでもいいことですよ。
ソ連人が乗れば、汚く乗っていたっていいんで、その巡洋艦の機能さえよければいいんですが、日本人は非常に技術の末梢的なことを重要視することで精神性を見ようとしますね。

江崎「研究所にしても、きれいとか汚いとかの観念が西洋人と日本人とではだいぶ違うんじゃないですかね。
アメリカのわれわれの研究室は、壁なんか必要以上に塗りかえるわけです。
日本では塗りかえなんかはしないでぞうきんで一生懸命にふく。清掃すること自体に重きをおく。実際にきれいになるかどうかよりもね。

司馬「本質にいたらず、末梢にかかずらわってしまう。」

さて、上掲の抜粋引用部はその前に書いた記事主題の本質と多少は関わっていたでしょうか(笑)?

今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。






20170225 『計画性』『創造性』『散文』『手作業』『季節毎の仕事』について・・551記事

つい先日に総投稿記事数が550に到達することができましたので、本日も含め以降数日間、記事作成を休もうと思いましたが、以前に作成した記事を眺めておりますと、どうしたわけかまた何か書かなくては・・と思うに至り、現在このように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。

とはいえ、本日もまた特に記事の題材は決まっているわけではなく、漫然と『何か』が頭に思い浮かぶまで、その都度脳裏に浮かんだことを記していこうと思います・・(笑)。

果たしてこのような感じで良いのであろうか? 文章を書くのであれば、もう少し構想を練って、ある程度のハナシの構成が出来上がってから書くべきではないか・・?
とも思うところではありますが、しかし実際の多くの文章とは、そのような計画的なものではなく、いや、少なくとも、散文などの場合は書いてみないと分からない・・』といった感じではないかと思われるのです・・。

そして、こうした態度を『計画性がない』として非難する傾向のある社会とは、おそらく少なからず『創造性』を犠牲にしているのではないかと思います

一方『計画性』がないこともまた、それは問題であり、それにより社会全体が危ない方向に行ってしまうことも、さきと同程度にあるのではないかとも思われます・・。

しかし、こうしたブログなどにおいては、計画性云々よりも、とりあえず現段階においては、わずかでも創造的行為(書くこと)を継続することが重視されるべきであると考えますので、本日のような適当な着想が得られない場合であれば、このような文体で書くこともまた、それなりに有意義であるものと考えます・・(笑)。

そして、実際にそのように書くことにより、さきの『創造性と計画性』についての着想を得ることができました。

さらにここまで書いており、不図思ったことは、本日ある偶然により大変久しぶりに印象材、硬石膏の練和およびそれを採得された印象に注ぐといった作業を行うことになりました・・。

久しぶりであったわりには、特に問題なく一連の作業を行うことが出来たことは、自身としても安心するところであり、また同時にこれまでにそれなりの数を行ってきた作業、手技とは、そうすぐには身体が忘れるものではないことを実感しました・・。

加えて、それを行った場所が技工室等でなく、一般のご家庭の流し付近であったにも関わらず、その作業を滞りなくできたことに対し、わずかながら満足した次第です・・(笑)。

そして、ここまで書いて、さらに思い出されたことは、つい先日頂いた師匠(歯科理工学)からのお手紙の中に『やはり手を用いて作業をしていることは楽しい』と綴られていたことです。

そこから、今後しばらくしたら、再度そうした公募職種への応募を再度開始した方が良いのではないか?と思うところですが、さて、そうした職種とは上手いこと見つかるものでしょうか・・(笑)?

ともあれ、自身の希望する職種内容を考えてみますと、それは学部、学科は問いませんが、『季節毎』に
1):さまざまな試料作製・分析といった研究支援
2):導入部・教養課程での実習指導
3):求職活動の支援
などを担当する職種であればベストですが、これはいささか欲張りすぎであるかもしれません・・(笑)。

本日もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。



2017年2月23日木曜日

20170223 550記事到達に際し思ったこと、思い出したこと・・

A「本日の首都圏は日中気温も上昇し大変過ごし易かったです。
おそらく本日に関しては日中、暖房も必要ではなかったのではないでしょうか・・?

さて、今回の記事投稿によって総投稿記事数が550に至ります。
これにより600記事到達まで残り50記事ということになり、同時に500記事から600記事への丁度半分の地点に至ったことにもなります・・。

そして、この調子にて記事作成を継続してゆけば、おそらく4月中に600記事に到達することが出来るのではないかとも思えます。

今後も適宜休みを入れつつ、あまり無理をしないで、とりあえずの目標である600記事までの到達を目指そうと考えております。

そして、そこから先については、今現在考える必要はないと考えます・・(笑)。
それよりも残り50記事の題材とは、どうにかなるのでしょうか・・?

とはいえ、これまでも主題の重複はありながらも、ここまで継続して記事作成が出来ておりますので、残り50記事もどうにか作成することが出来るものと勝手に考えることにします・・(笑)。

また、記事題材に困った場合、書籍からの抜粋引用に加え、これまでによく読まれたブログ記事の紹介およびその解説などを行うことにより新たな記事作成が出来るかもしれません(苦笑)。
また、これに関してはこれまでに行ったことがありませんでしたので面白いかもしれません・・。

そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、鹿児島在住時代の2011年、何故か分かりませんが、突然文系学問の書籍が読めなくなり、また同時に文系学問の当然知っているはずのことまで頭に浮かばず、それを上手く発することが出来ない状態になったことです・・。

しかし、その他に身体に悪いところがありませんでした。未だにその原因は不明です。

ともあれ、この時はさすがに焦燥に駆られ、色々と試した結果、どうにかその窮地?から脱することが出来たように思います・・。

あるいは、このことは現在継続しているブログを始めた理由とも多少類似、関連した何かがあるのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、ハナシを戻し、さきほどの2011年の際は、その年の暮れ、あるいは翌2012年初頭より徐徐に回復し、元気になっていきました。

ここに如何なる要因が関与しているのかは未だ分かりません。

ただ、ここで思うことは『どのような状況、状態であれブログ記事作成のようなものであっても、何かしら創造的な行為を意識して継続することにより、時折到来するそうした精神の危機といったものを回避あるいはそこからの被害を最小限に抑えることが出来るのではないか?ということです。

これはこれまでブログ記事をある程度継続し作成した中で思ったことですが、さて如何お考えでしょうか・・?

ともあれ、おかげさまで550記事まで到達することができました。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」











2017年2月22日水曜日

20170222 自然の雰囲気と地域性

A「本日の首都圏は昨日同様あまり気温が上がりませんでしたが、風は昨日ほど強くなかったため、いくぶんかは過ごし易かったのではないかと思われます・・。

もうまもなく春の足音が聞こえてくるのではないでしょうか・・?

そういえば、これまで在住した地域とは、それぞれ春の訪れと共に大気全体が当地の自然の香りを帯び、一種何ともいえない雰囲気となっていたことが思い出されます。

とりわけ南紀の田辺みなべあたりの国道42号線から少しだけ内陸に入った山あいの地域では、今頃が丁度梅の開花であり、その香りが満ちているのではないかと思います・・。
そして、そうした雰囲気の中を自動車などで通る時は自然、陶然とした気分になるものです・・。

私は南紀に在住する以前には、こうした『自然の雰囲気に酔う』といったことはありませんでしたので、その感覚、体験とは大変鮮烈であり、未だ現在、身体レベルにてそれを記憶していると思います・・。

そして、おそらく前述の如く季節・地域毎の自然より招来される大気、雰囲気とは、そこに住む人々の持つ性質、すなわち『地域性』に少なからぬ影響をもたらしているのではないかと考えるのです・・。

そして、さらにハナシを進めれば、古今の間に、その地域の自然(住人をも含む)に大きな変動、断層等が認められない場合においては、極端に云えば、その地域から出土する、伝承される古来よりの事物等と、現代のその地域における事物等に共通、あるいはそれらを『貫く何か』があるのではないかと思われるのです・・。

また、民俗学とは極言するならば、こうした地域、国において『貫く何か』を解明する学問であり、そしてその目的とは、柳田國男曰く『予言力の涵養』ではないでしょうか?
しかしながら、この『予言力の涵養』とは、おそらく実利、実用的な目的による視座からは得ることが難しいのではないかと思われます・・。

しかしまたその一方、『予言力の涵養』とは過去・現在・未来に通じる『運命の把握』とも概念的に極めて近似すると考えられることから、それを恐れるといった場合も少なからずあるのかもしれません・・。

そして、そのように考えてみると三島由紀夫が民俗学を次第に薄気味悪く思うに至った原因とは、あるいは、こういったところにあるとも考えられます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、また、その後の復興を祈念しております。」











2017年2月21日火曜日

20170221 ブログ記事における新知見およびその指摘・・誰が判断するのか?

A「本日の首都圏は大変風が強く、そのためか体感気温もまた寒く感じられました・・。

さて、昨日投稿の記事に対してもまた、投稿直後に面白い反応が認められましたので、早速これを取り入れさせて頂きました・・(笑)。

ともあれ、大分前といっても良い時期に投稿した記事の内容を憶えていて、それを以て最前の投稿記事に対し即座に反応出来るという能力、才能とは、自身もここ最近は心掛けてはいることですが、なかなか難しいものです(苦笑)。

しかしまた、繰り返し昨日投稿の記事に関してですが、これは主に書籍からの抜粋引用でしたが、その割には、投稿翌日にしてはそこそこ多くの閲覧者数を得ることが出来ました・・。
どうです、この記事に述べられている指摘とは、多少は面白いものではなかったでしょうか・・(笑)。

そして、この記事に述べられている指摘の内容とは、これまでに紙面・文面にて読んだ記憶がありませんので、あるいは『初めて』であるのかもしれません・・(笑)。

如何なるものであれ、自身が関与した、こうした新知見(である可能性があるもの)とは、それなりに精神を高ぶらせる性質を持っているようであり、またそれが、偶然によって発見されるというところが大変面白いのです・(笑)。

とはいえ、その偶然に至るためには地道に何かを継続していなければならないようです・・(苦笑)。
こうしたことを『人事を尽くして天命を待つ』というのでしょうか・・(笑)。

また、そのように考えてみますと、それはさまざまな実験などにおいても同様のことが云えるのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか?

そしてさらに、ここまで書いており『自身が継続しているこのブログに対する寓言、アレゴリーでもあるのではないか?』と不図思い付いた次第であるのですが、もしそうであるとすればこのさき一体どのような天命が待っているというのでしょうか・・(笑)?

とはいえ、そういったことを考えはじめますと、肝心なブログ記事作成の着想が湧かなくなる傾向があると考えますので、今後気温も徐徐に上がり、ブログ記事の着想もまた、それに付随し多少は精度が上がり、面白くなることを信じ、まあ書き続けるより仕方がないのではと思います・・(笑)。

また、ここまで書いてきて再びハナシを戻して考えてみることは
これまでに作成したブログ記事全ての中に、文章化された新しい指摘・知見【学術的にも】といったものは実際にあるのだろうか』ということです・・。

もし、それら記事の中にそうした知見が一つでも認められる、あるいはそのタネとなりそうな指摘が一つでもあれば、ここまで継続してきた甲斐があるというものですが、しかし一体誰がそれを判断するのでしょうか・・(笑)。

ゲーテ曰く『博学はまだ判断ではない。』とは、あるいはそうした意味であるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


2017年2月20日月曜日

20170220 主に二著作からの抜粋引用「海底二万里」および「発掘から推理する」

本日の首都圏は特に風が強く、町中にて設置してある看板が風により転倒している光景が数例見受けられました・・。

とはいえ、こうした風の強い日が少し続き、そして徐徐に春めいてくるのではないかとも思われますので、寒い時期ももうしばらくで過ぎて行くのではないでしょうか・・?

さて、当ブログについてですが、昨日投稿記事も本日の日中も含め、思いのほか読んで頂いており、作成者としてはとても嬉しく思うところです・・(笑)。

興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
それら記事の中でわずかでも共感出来たり、考えさせられる要素が認められるのでしたら、こちらも作成した甲斐があるというものです・・(笑)。

とはいえ、本日作成のブログ記事に関しては、主に書籍(二点)からの抜粋になることを予めお伝えします。

まず、唐突ではありますが、古事記の日向を舞台とするハナシにおいて登場する豊玉毘売とは、大きなワニの化身であったと描かれております。

また、同様に、出雲神話での大国主の関連するハナシに因幡の白兎がありますが、ここにもワニが登場します。

しかしながら、いかにハナシの舞台が古代であり棲んでいる生物も現代と若干異なるとはいえ、我が国に在来生物としてワニが棲んでいたということは眉唾ものです・・。

それ故、これらの神話に登場するワニとは実はサメ、ウミヘビなどを含めた『海神を象徴するもの』というのが、どうやらそれら神話の解釈における通説のようです・・。

また、これらの神話と類似するハナシとは中国南部、東南アジアに分布しているため、おそらく何れかの経路により、それらハナシのスジが古代の我が国にもたらされたものと考えられております・・。


そして、これらのことを前提として、以下に二編の書籍からの抜粋引用を試みます。

岩波書店刊 ジュール・ヴェルヌ「海底二万里」上巻p.365より抜粋引用

「一月一三日、ネモ船長はチモール海に到着し、東経一二二度に位置する同名の島を確認していた。
この島は表面積が一六二五平方里、ラジャ(インドの王、王族)に支配されていた。
それらの王族は、みずからがワニの子孫、つまり人間の起源としてもっとも気高い先祖から生まれ出たものどと自称している。
それゆえ、この島の河にはこれら鱗の生えた先祖たちが多数あり、特別な崇拝の的となっている。ワニは保護され、甘やかされ、褒めそやされ、養われている。若い娘が餌として与えられることもあるし、よそ者がこの神聖なるトカゲに手をかけようものなら、たいへんな目にあう。」

岩波書店刊 金関丈夫著 「発掘から推理する」pp.65ー66より抜粋引用

「日本でシッポのあった部族は、豊後の緒方一族が、「平家物語」以来有名になっている。
緒方は尾形で、この一族の人びとには、からだに蛇の尾の形や、鱗の形があったという。
鱗形のほうは、自族が海神すなわち竜(蛇)神の子孫だ、という伝承が強くのこっている。
緒方は大神氏の一支だが、この氏族や、伊予の河野や越智一族の家紋は鱗形だ。
鱗を家紋とするものは、平氏の一族にもあり、伊豆、相模の北条にもある。
平氏の厳島、北条の江ノ島は、九州の宗像の女神のわかれで、江ノ島の弁財天が竜女であったことは、「太平記」の時政榎島参籠のくだりで有名だ。
シッポは消失しても、宗像神をまつる部族は、家紋に蛇の鱗をのこすものが多い。
宗像は古くは胸形で、胸形とは胸に鱗形のあったことだ、と私はみている。
三角形、つまり鱗形のいれずみだったと思う。」

各々著された年代は大きく異なる(前1870・後1975)ものの、それらを統合する風習、観念が何かしら存在するのではないかと考えられるのですが、さて、如何でしょうか・・?

また、世界各地の民俗風習記録の集大成とも云える「金枝篇」は「海底二万里」刊行から20年後の1890年に刊行されました。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


2017年2月19日日曜日

20170219 自然風土と精神の関係について・・躁と鬱およびハレとケガレ

おかげさまで昨日投稿した記事の閲覧者数は投稿翌日にしては増加しました・・。
読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、昨日も関連する既投稿記事の大変興味深いご指摘がありましたが、これも早速活用させて頂きました。
『ご指摘どうもありがとうございます!』

さて、昨日投稿記事の題材とは主に「躁状態」についてでしたが、これは作家の北杜夫によると季節と関連があるとのことでした・・。

たしかに自身の場合も気温の上昇に伴い徐徐にテンションが上がっていくような実感があります・・(笑)。

また、おそらくこのことは季節毎の既投稿記事を比較して読んで頂けますと多少は納得して頂けるのではないかと思われます・・。

さらに、こうしたことは居住地の移動などによっても大きな影響を受け、精神を含む身体が移住先に落ち着くまで、ある程度の期間を要し、また同様に心身に対しても負担を強いるのではないかとも思います・・。

それ故「ある程度の高齢になった場合、移住はしない方が良い」と一般に云われているのではないでしょうか・・?

そして自身に関しても、やはり鹿児島在住初年目、二年目はじめとは、あまり調子が上がらず、元気も出ず、また、その気候、暑さのためか茫然とすることが多く、日に何度も実験室の流し場で顔を洗っていたことが思い出されます・・。

そうした経験から、私見ではありますが、鹿児島の自然風土(人間は少し違うかもしれない・・)とは、はじめて訪れ在住する人々に対しあまり歓迎的ではないと思われます・・。

これは和歌山、南紀、福岡市などと比べてですが、その(鹿児島の)自然風土とは、九州最南端の南国的といっても良い立地にありながら、大昔の周辺火山噴火・降灰の影響により、その地味は決して豊かではなく、全般的に南国特有の植生の横溢、旺盛さなどは、本州南端の南紀と比較した場合、むしろ南紀の方に軍配が上がるのではないかと思われます。

一方、日射量に関しては、やはり南紀以上に南国的であり、さらに鹿児島市内では降灰も同時期にあることから、その自然風土とは、やはり、はじめて住む人々にとっては、少なくとも歓迎的であるとはいえないと考えます・・。

とはいえ、そこで数年過ごし、ある程度適応出来たと思われる状態になりますと、今度は変に元気になってしまい、特に2012年秋頃はピークといってもよく、和歌山市某所にて開催された勉強会において、修士課程の頃は詳細については分からなかった銅鐸(紀州全土に出土例が多く、また、その分布も興味深い)についてを鋳造技術(歯科理工学においては必須)と関連させ、さらにトーマス・マン著「魔の山」からの抜粋引用をそのイントロに用いた至極奇怪な報告を行っていました・・(苦笑)。

ああした報告は現在では出来ないのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、その報告の評判とは、そこまで悪いものでもなかったとも記憶しておりますが・・。

しかし、それを記憶として、現在、そういった(至極奇怪・現在では出来ない・そこまで悪いものではない)判断を下せるだけ、まだマシであるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、あの当時の『勢い』とは、現在になり考えますと、また訪れて欲しいと思わないこともありません・・(笑)。

いや、むしろ、その後の反動さえなければ積極的に来て欲しいと思います・・(笑)。

そして、ここまで書いておりますと、今度は民俗学で、特に谷川健一が述べていた『ハレ・ケガレ』などについてを想起してしまうのです・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨2016年に熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」










20170218 文章作成と躁状態について・・

ヒトは自身が何かを創造、創作している状態を客観視することは出来ない。」と云われますが、それは一般的な創造、創作行為全てにも適用することができるのではないかと思われます・・。

そして、その意味において昨日投稿した記事内容に創造的な要素は見受けられないと考えます。

しかしながら、その主題であった「口語→文語の変換そして文体の獲得」には、ある程度の妥当性、事実が認められるのではないかとも考えます。

一方、我々とは、あまり深刻にこうしたことを認め合うことはしませんが「文体の獲得」とは、誰であれ、それなりの困難を伴うものなのではないでしょうか・・?

いや、それ以上に、そうしたこと(文体の獲得)とは日常生活を送る上において積極的に必要でもないことから、それは日常的な話題にもならないのかもしれませんが・・。

無論、自身もまた「文体の獲得」に対し未だ半知半解でありますので、あまり知ったようなことは書けませんが、そうであっても上記に述べたこと大体、事実に即していると考えます。

また、文章を書く際においては日常と多少異なった心的状態にある方が自然であるといったことを書きましたが、これは換言すると一種の『躁状態』に近いのではないかと思われます・・。

そもそも、ある程度の躁状態でなければ、公表を前提とするような文章など書くことはできないのではないでしょうか・・(笑)。

いや、もう少し表現を和らげますと「公表を前提とする文章を書く際においては躁状態である方が都合が良いのではないか?」といった感じになりましょう・・(笑)。

また、かつての文筆家で、ある種の薬品摂取を日常としていた方々とは、一面において、薬品を摂取することにより、いわば人工的に躁状態となり、その「勢い」を用いて文章を作成していたのではないかとも思われるのです・・。

さて、2012~2013年の自身を振り返ると、薬品云々はさて置き、躁と鬱の間を不安定に行き来していたのではないかと思われます・・。

そして、後知恵にはなりますが、異郷の地にて不安定な精神状態であったにしては、どうにかそれをまさしく『生きて』脱することが出来たのは、ひとえに周囲の方々のお蔭であったのではないかと思われるのです・・。

また、現在こうしてブログ記事作成を継続することが出来ていますが、今後、その内容の更なる向上、洗練をはかるため躁状態になれたら良いのでは・・?と正直、時折思うこともありますが、その後に何らかの反動つまり虚脱、慢性疲労、知力・精力の減退といった状態にならなければ、それもまた良いのではないかと思います・・(笑)【この反動は生命力を大きく摩滅させる力があります。】

そして何より、客観的に見て、書かれた文章の向上、洗練が認められるのであれば・・(笑)。

しかし、そもそも我々の社会には、躁状態になっている人間に対し特に水を差すことはなく、その行状、言動の成り行きを見て、機に応じ、それを流行、時代精神の源泉としたり、あるいはまた非難の対象ともするような傾向があるのではないでしょうか・・(笑)。【社会での凝集性の核となる心理的な要素とは、ある種、躁的なものではないだろうか?】

それは大昔の狩人から族長預言者予言者巫女宗教家殉教者将軍騎士冒険家芸術家資本家技術者革命家文筆家フェミニスト政治家軍人神がかり参謀医学者科学者に至るまで・・。

たしかにそれは人工知能AIには真似出来ない仕業であるようには思われますが・・・。

去る2016年に熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。



2017年2月18日土曜日

20170217 口語→文語の変換装置とは・・

昨日の投稿記事において「文章を作成する際においては少しおかしくなっていた方が良いかもしれない・・」といった意味のとを記しましたが、これはある程度事実ではないかと思われます・・。

少なくとも文章を書いている間においては、多少異なった精神の相、あるいは対外的な応対時とは異なった状態でいる方が良いのではないかと思われます・・。

また、同じ言語を操るといった意味において、能弁、よく話す状態の方が文章が浮かぶかというと、それらはそう簡単には結節するものではなく、むしろあまり普段話さないでいる状態の方が文章は、よく浮かんで来るのではないかとも思われるのです・・。

何れにせよ、話し言葉と書き言葉あるいは口語と文語とは、少なくとも自身の場合においては簡単には結節する性質のものではなく、その結節に至るまでには、何かしらの変換装置らしきものを経ないと上手く行かないのではないかと思われます・・。

そして「では、その変換装置とは何か?」と問われた場合「おそらくそれは、習慣により醸成される文体ではないだろうか?」と返答します。

また極言すれば、これまで作成してきた一連のブログ記事とは、その継続においてはさまざまな要因が関与しておりますが、その当初よりの大きな「目的」とは「自らの文体の獲得」にあったということが出来ます。

このことは以前よりブログ記事にて度々取りあげてきましたが、これ(文体の獲得)が為されることにより、おそらく口語にて表現した事柄を文語に変換し整理して書くことを可能にするのではないかと思われるのです・・。

そして、その初期的な段階においては即物的な文章作成法ともいえる口語による対話形式が有効であったのではないかと現在においては考えます・・。

しかしながら、初期に多用した対話形式の文体とは、それをはじめた当初においては、自身の文章を書くことが出来ないことで、かなり真剣に悩んだ結果の苦肉の策であり、そこからはじめ、現在の状態までどうにか発展、継続出来たことは自身でも多少驚くことでもあるのですが・・(笑)。

また、この現在に至るまでの継続こそが、さきに述べた作動する口語➡文語の変換装置となり、あるいは完全とまではいかないが、部分的な意味での「文体の獲得」であったのではないかとも思われるのです・・。

そして、今後の課題とは、その更なる洗練、発展ではありますが、それがいかなる経緯により為されるのかとは、残念ながら現在では見当もつきません・・(苦笑)。

とはいえ、当初と比較した場合、ある程度の洗練、発展は認められるとも考えますので、ともかく記事作成を継続することにより、次の段階らしきものが見えてくるのではないかと思われます・・。

また、ハナシは変わりますが、本日は日中における閲覧者がいつになく多く「これは一体どうしたものか?」と思いましたが、何であれ、読んで頂いていた皆様、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において生じた大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

2017年2月17日金曜日

20170216 眺めた街並みから思ったこと・・文章について

本日の首都圏は日中、気温が四月並みまで上昇し、若干風は強く感じましたが、過ごし易かったと思います・・。

また、かなり久しぶりに井の頭線に乗りました・・。

乗車する電車が下北沢駅を通過の際は、その街並みを眺め、しばし感慨に耽っていました・・。

この街はかつて足しげく通い親しんだものでしたが、現在になり思い返してみますと、和歌山市のぶらくり丁、鹿児島市の天文館騎射場、福岡市の天神大名西新などの方がかえって味わい深いのではないかと思われます・・。

特に天文館は週末の夜になりますと、何ともいえない面白い雰囲気になるのです・・。

また、これは夏になると、さらに、さまざまな熱気により一層拍車が掛かるのではないかと思われます・・(笑)。

現在思い返してみますと、夏の夜の天文館とはどうも一種、夢の中ような感じを受けるのです・・(笑)。

また、鹿児島在住時の週末はよく天文館に出向いておりましたが、在住期間の後半(2012~2013)とは、以前もブログ記事に書いた通り少々おかしくなっていました・・(苦笑)。

いや、しかし一方、この当時とは、それまでの人生において最も文章が滑らかに涌出していた時期であったのではないかと思われますので、もしかすると、人間とは、案外、多少おかしくなっている方が文章などはよく書けるのかもしれません・・(笑)。

そういえば、司馬遼太郎は「漢詩などを書く際の人間とは、英雄豪傑の心境といった、一種酔い(詩境)が回っている状態である」といったことをどこかで述べていました。

また、北杜夫はどこかで完璧に近いドイツ語の文章にて「ヒュペーリオン」を書いたヘルダーリンは三十代半ばで統合失調症を発症し塔に幽閉されたとも述べていました・・。

さらに、三島由紀夫は「文章とは、酒のようにその効果が普遍的ではないが、ある種の文章がある種の人々を酔わす性質がある、つまり文章とは元来酔う性質のものなのである」といった意味のことをどこかで述べていました。

それらのことから、程度は随分異なると思われますが、やはり当時の自身とは、如何なる経緯によるものであるか明瞭には分かりませんが、多少、上記と類似するメカニズムが精神に作用していたのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

そしてまた、当時のことを、如上のように想起し述べますと、それに付随する景観として、天文館が浮かび上がってくるわけなのです・・(笑)。

とはいえ、であるからといって、天文館がそうした精神状態を惹起させるということではなく、あくまでも自身がそうした状態にあった時、偶然多く見た景観、街並みが天文館であったということです・・。

また、現在このようにブログ記事作成を継続している状況において、再度そのようになりたいか?と問われましたら、それは積極的に否定します・・。

ああした状態とは、他面において精神の燃焼速度が急加速している時でもあり、それが継続すると結果として何かしら反動的な効果、現象が生じるものと考えるからです・・。

それでしたら、現在のように多少呻吟しながらも、ほぼ毎日継続して書くことにより、わずかながらの漸進的な発展が為される方が余程良いと考えます・・(笑)。

しかし反面、かつての文筆家には破滅型とも分類される天才肌の方々が少なからずおりましたが、現在はそうした文筆家の存在とは、社会が許さなくなってきているのでしょうか・・?

そしておそらくこうしたことにも『時代精神』とは密接に関与しているのではないかと考えます。

あるいはまた、こうした題材とはトーマス・マン著「トニオ・クレーゲル」ともまた関連しているのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年の熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。」




2017年2月15日水曜日

20170215 眼の疲れおよびその改善から思ったこと・・

丁度140年前の1877年(明治10年)の本日2月15日、西郷隆盛を大将とする軍勢が東京の中央政府に向け出立しました。
そして、これが直接の契機となり、西南戦争がはじまりました。
その日は雪が降っていたとのことです・・。

さて、先日来より、どうも瞼が痙攣し、また眼の疲労感が続くため、色々と自分なりに試してみたところ、ここ最近遠くのものに焦点を当てて、ものを見るということをすっかり忘れていたことが思い出されました・・(笑)。

その後、意識して電車内などで遠くを見るように心掛けてから、この瞼の痙攣、眼の疲労感は大分改善されました・・。

そのことから、普段あまり意識しないで行っている行為の中に実は大切なことがある改めて認識した次第です・・(苦笑)。
また、それに加え、普段目にする景色、景観とは、なかなか重要なものであるのかもしれません・・。

そして、そのように考えてみますと鹿児島在住の頃は高温に熱せられた炉の中を覗いたり、同じく高温に調整されたバーナー炎を見ることが日常的にありましたが、やはりそれらの際とは、それなりに眼に負担をかけていたものと思われます・・。

それに加え、時間のかかる試料作製、実験の際は関連する先行論文、書籍などを作業合間に読みながら行っておりましたので、当時の方が余程眼を酷使していたのではないかと思われます・・(苦笑)。

しかしそれでも、当時は現在ほど、こうした眼の疲れを意識しなかったことは、単純に現在よりも若かったことによるのか、あるいは多分にそれらを楽しんで行っていたからであるのかもしれません・・(笑)。

そして、そのように考えて敷衍してみますと、二年前より継続し作成しているこのブログとは、たしかに現在でも度々その作成を面倒と思う反面、ここに至るまで疲労により挫折せず、どうにか継続出来ていることは、本質的に文章作成が好きであるからこそ可能であったのではないかとも思われるのです・・(笑)。

とはいえ、こうした自己に対する何かしらの判断とは、自他何れからによるものであれ、慎重に為されるべきであると考えますので、断定は差し控えますが・・。

そして、これもまた断定は出来ませんが、昨今よりの観察により、少なくとも投稿直後に多く読まれる記事とは、書籍からの抜粋引用よりも自身で作成したものの方が相対的に多いようです・。

これは記事作成者からすれば嬉しいことであり、またそれがこれまでの継続を可能にした主たる外的な要因であるのですが、よく分からないことは「それらの記事が一体どのように読まれているのか?」ということです・・。

とはいえ、このことは特に現在突き詰めて考える、詮索する必要性もありませんので、あまり考えることはありません・・。
しかしながら、一方で時折発見する直近に投稿した記事に対する反応としてか関連、対応する内容の既投稿記事が示されることがあるのです。

こうした反応が可能な方とは一体どのような人間であるのか?あるいはどの程度の知的作業によりそれら反応が為されているのか?とは、記事作成者側からすれば、自然、なかなか興味深く思うところなのです・・(笑)。

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

最近は岩波文庫版のジュール・ヴェルヌ著「海底二万里」上巻を読んでおります・・。

また、読んで頂いている皆様も時折は眼を十分に休ませましょう・・(笑)。

自身の場合、未だ慣れないためかスマホの画面は眼が特に疲れます・・。

昨年2016年に熊本、山陰東部および福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」








2017年2月14日火曜日

20170214 読んで頂いていた記事から・・主に書籍からの抜粋

丁度140年前本日の鹿児島の街とは大変なことになっていたのではないかと思われます・・。
明日2月15日とは西郷隆盛率いる軍勢が東京に向けて発った日です。
その日はこの地域のこの時期にしては珍しく雪が降っていたとのことです・・。
その当時の鹿児島には一体どのような『気風、精神風土』といったものがあったのでしょうか?
ここまで書いて不図、ある著作の一節を思い出しましたのでそれを下に示します。
そしてその内容に『地域の歴史を貫く何か』とは幾分含まれているのでしょうか・・?」

金関丈夫著 岩波書店刊 「発掘から推理する」pp.13-17

「中国の文献んで辺境の民族のことを記載するものに、しばしば「男逸女労」、すなわち女が労働す、男は遊んで暮らすように書いたものがある。台湾の高砂族や、琉球島民に関するものにも、その例が多い。
高砂族は最近まで、あるいは今なお、男は原則として労働はしない。ただ三年に一度、焼畑をするときに、山刀で山の木を伐る。これがほとんど唯一の労働である。
しかし、彼らは三年に一度の労働以外に、何もしないのではない。狩猟をする。それから、今は止まったが、敵対部族と戦争をする。そして、少なくとも一生に一度は、儀礼用の首狩りをする。
これが男の仕事だ。
狩りも戦争もないときは、のらくらと煙草をふかして遊んでいる。
ときどき子守りをおおせつかる。
その生活は江戸時代のさむらいそっくりだ。
といって、主君もちの養われ者ではない。
貧乏ではあっても、手内職をやるような落ちぶれ者でもない。さむらいの中でも、最も純粋なものだといえよう。
だから、日本の巡査どもが、道路を造るといってはひっぱり出す。宿舎を建てるからといって材木を担がせる。元来がさむらいの仕事ではない。強制と多少の賃金のほしさから、やるにはやるが、いさぎよしとしているわけではない。その賃金をごまかされたり、強制が過酷だったときに、山刀をふるって、役人どもの首をちょん切る。これが昭和五年(1930)の霧社事件の発端である。
大和朝廷が隼人を屈服させると、この徴用がやってくる。人に仕えることさえ知らなかったさむらいどもの耐え得るところではない。ある日、血の気の多いやつが、役人の首をちょん切る。
それがやがて大きな反乱にふくれあがる。これを繰りかえしたのが、大隅、薩摩の隼人の歴史だ、反乱以外に彼らの歴史はない。霧社の山人に霧社事件以外の歴史がないのと同様である。
昭和三十三年(1958)の夏、薩摩揖宿郡山川港付近の、成川の遺跡を発掘した。厚い火山灰砂層の下に、たくさんの隼人どもが眠っている。その文化は弥生期の終末から古墳期のはじめのものだから、ほぼ三世紀の初頭のものだ。
これを隼人と呼ぶには問題があろう。しかし欺かないのはその体質だ。頭は短頭で、身長は低い。頭形示数も推定身長も、現在の山川港付近の住民のものと、ぴったりと一致する。
脛骨のひどく扁平なことだけが、今の連中とちがっている。
これは彼らが脚の筋肉を今の連中よりもよく使用した、その生活の差からきたちがいだ。
三世紀から今日まで、薩南の住民に入れ替わりがなかったとすれば、その中間にいた隼人の、彼は近い祖先だということになる。
おもしろいのは、成川遺跡人の副葬品である。
男にも女にも、明らかに服飾具といわれるものはなに一つない。
男の墓には、ほとんど残らず鉄製の武器がある。
これだけ徹底的に服飾品がなく、またこれだけ旺盛な武器のでた遺跡は他にない。
その一角に立って見渡すと、古書にいう「男児辺野に死をいたす、馬革しかばねを包んで還葬さるべきのみ」といった気分が、この墓地にはみなぎっている。
彼らが尚武の民であったことは一目瞭然だ。その剛健の風は、婦女子にも及んでいた。真に薩摩隼人の名にふさわしい。
その当時彼らが、自らをハヤトと呼んでいたかどうかはわからない。
ハヤトはおそらくは他称で、自らはツォーあるいはこれに近い音で呼んだであろう。ツォーは熊襲(クマソ)のソウで、インドネシア一帯では「人」あるいは「我ら」をさす。
すなわち自族を意味する自称である。
肥前国風土記」は、値賀島の白水郎(あま)は隼人に似て、その容貌や言語は、普通人と違っているといい、「大隅国風土記」にのこる隼人の語彙は、多くの学者によって、南方語に結びつけられている。
これだけで直ちに、隼人が南方渡来民だというのではないが、彼らが南方語を使用していた疑いは濃厚である。
その疑いの一つを挙げると、薩摩や大隅の地名で、ここには頭にイの音をいただくものが多い。藺牟田、伊佐、伊佐敷、市来、入佐、入来、伊集院、納薩、伊作、指(揖)宿、伊敷、伊座敷などがそれである。
これらは日本語としては、意味のとれないものである。
一方例は少ないが、他の地方では見られない知覧、知林のごとく尻が撥音で終わるものがある、これも意味はわからない。
ところで、頭にイをのせ、尻でラン、ロンをひびかす地名は、琉球をへて、台湾の東海岸から、フィリピン、さらに南方には非常に多い。
地域内にも連絡があり、台湾以南では、それがインドネシア語の地名であるわけだから、これから推理される結果は、いわずとも知れている。
「国造本紀」には仁徳朝に、薩摩にヲサすなわち通訳官のいたことが記録されているし、「続日本紀」には養老六年(722)に、大隅薩摩の隼人の乱の平定に功のあった通訳官に、勲位を授けたらしいことが見えている。
この記録の解釈が正しければ、八世紀なってもまだ隼人との折衝に、通訳を要したことになる。
ともあれ、いまわれわれの身体の中には、なんとなく南方戦士の族を愛しあこがれる血が流れている。
爛熟した文明の頽廃から救うのに、この血が有効でないとはいえないだろう。」




2017年2月13日月曜日

20170213 総閲覧者数20万到達・・【歯科理工学・文系それぞれの師匠について】

本首都圏は日中は気温がそこそこ上昇しましたが、陽がかげるにつれ、また寒くなってきました・・。

そして、そのような中、週初めの月曜日から多少飛ばし過ぎの感がありますが地下鉄四駅程度分は徒歩にて移動しました・・(苦笑)。

首都圏、特に都心部にて複数の目的地に出向く際、地下鉄を用いると逆に遠回りになることも往々にしてあるため、これは妥当な選択であったのではないかと考えます・・。

とはいえ、やはり一方において飛ばし過ぎの感もまたありますが・・(苦笑)。

さて、投稿記事数ですが、今回の投稿を以て一区切りともいえる540記事に到達します。

そして今現在、特に大きな変化といったものはありませんが閲覧して頂いている方々の数は、以前記事に書いたとおり、ここ最近上昇しており、おそらく本日の記事投稿により200000人に到達するのではないかと思われます・・。

他の人気があるブログに比べた場合、その数とは大したものではないのかもしれませんが、ともかくブログ開設後1年8ヶ月程度にて、ようやくここまで到達しました(笑)。

これもひとえに読んで頂んでくださっている方々皆様のお蔭です。
どうもありがとうございます。

さて、以前投稿した歯科理工学のテキスト冒頭の文章を題材として記事を作成しましたが、これまで師事した師匠とは、そうした一見関連のなさそうな事物間の関連性を場面に応じ述べられる傾向がありました・・。

また、それは日常的な会話においても然りであり、歯科理工学の師匠とは、登山の最中、さまざまな植物を見て「これは食べることが出来る、これは出来ない」さらにはその調理法についても解説をされることもありました・・。

後になり北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」内にてこれと類似した描写を見つけた時は、いささか驚きました・・(笑)。

また、それまで都会を離れ暮らした経験はありましたが、こうした植物の知識を得ることはなかったため、それを熱心に聞き、丁度この時期(2月半ば)の登山の折であったと記憶しておりますが、多くの「ふきのとう」を見つけ、帰宅後それで佃煮を作ったことが思い出されました・・(笑)。

この時作った佃煮とは、それまで自作した料理の中で、最も野趣に富み、且つ美味であったものと記憶しております・・。

「ふきのとう」には植物の「芽吹きの力」のようなものが詰まっているのかもしれません・・。

そして、そうした経験を通じ野菜類を好きになったのではないかとも思えます・・(笑)。

また別の文系学問分野での師匠は、さきの師匠とはまた異なり、主として都会的な文化全般について独特の(良い)センスを持たれており、記憶にあり現在即座に思い起こすことは高田馬場界隈の昔ながらの映画館にて日活の超大河映画のリバイバル連続上映を観た後、これまた古めかしい近隣の喫茶店にて観た映画についてのさまざまな視点から説明を試みられていたことです・・。

この時は丁度今しがた観てきた映画の時代背景の中に我々がいるのではないかと錯覚を生じさせるといった、よく分からない感覚がありました・・(笑)。

とはいえ、そうした記憶、感覚があったことから後になり大西巨人著「神聖喜劇」、野上彌生子著「迷路」といった長編および同時代について扱った数々の著作を楽しみながら読むことが出来たのではないかとも思えます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において生じた大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。


















20170212 今後の希望について・・

本日は休日ということもあり、ブログ記事の更新は止めておこう・・と考えておりましたが、閲覧者数が思いのほか増加していたことから、記事作成をはじめた次第です・・(苦笑)。

また、その原因、理由は分かりませんが記事閲覧者数が顕著に増加しております。

興味を持って読んで頂いている皆様、それらの中に一つでも「面白い!」「有益であった!」「考えさせられた!」という記事があれば、それは作成者にとって『幸い』です。

今後も少なくとも600記事程度までは更新する予定ですので、どうぞよろしくお願いします(笑)。

さて、昨年秋より現在に至るまで大学職種求人への応募は行っておらず、また公募サイトも閲覧しておりません・・。

これには幾つか理由がありますが、その主たるものとは「とりあえず1年以上は現在就いている職にてある程度は頑張らなければ・・」と考えるからです・・。

たとえ胃粘膜の炎症程度が生じたとしても・・(苦笑)。

また、現在の職には不満もありますが、同時にそれなりにやりがい、意義もあり、そして今後大学職種に就いた場合において何かしら役に立つ部分も少なからずあると思われるのです・・。

時折、周囲の方々から「今から大学の教授になることはまずあり得ないから、現在の仕事を継続した方が良いのでは・・?」といった助言を頂くことがありますが、たしかに私は今後大学の教授になることはもとより望んでおらず、また、それに向いているとも考えておりません・・(笑)。

私もさまざまな学問分野での本当に優秀、スゴイ人々を見てきたという実感はありますので・・(苦笑)。

しかし一方、さまざまな学問の面白さを関連させながら伝える導入部での教養系学問あるいは研究支援専門職については、職務に就いた後、更なる努力が必要ではありましょうが、どうにか務めることができるのではないかと考えます・・。

また、それが幾つかの学問分野を横断してきた私の「強み」ではないかとも思われるのです・・。

そして、それに加え、先程述べたとおり、現在の職務での経験もまた何かしら補強・強化する要素となるのではないかと考えるのです・・。

当然といえば当然ですが、私は優秀、頭脳明晰でもなく、時には改良・改変を試みながらも基本的には愚直に何かを継続することにより、いくつかの分野において幾ばくかの知識を積重ねてきたと自覚しております。

また、その際において、さまざまな種類の読書の習慣を持っていたこと、かなり大きな意味を持っていたと考えます。

とはいえ、これはどちらかというと本能に近い習性といったものであり、またこの習性のため、何か他の大事なものを犠牲にしてきたのかもしれません・・(苦笑)。

いずれにせよ、今しばらく現在の職務を継続し、その後になり機を見て大学職種の公募サイトの閲覧そして応募を再度開始しようと考えております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございました。

昨2016年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震によって被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。





2017年2月12日日曜日

20170211 昨日投稿の記事からの試み・・対話形式

A「どうしたわけか昨日の閲覧者数はこれまでになく増加しました・・。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

それらの中で一つでも「面白い!」と感じられる記事があれば幸いです(笑)。

さて、昨日投稿記事もまた思いのほか、多くの閲覧者を得ることが出来ました。
それ故、後になり関連する動画を急きょ探し共有した次第です・・(笑)。

しかし一方、本日作成分の記事に関しては、今現在その主題が定まっておりません・・(苦笑)。

毎回とはいえませんが、多くの場合、こうした状況から書き出し、そしてある程度の文量をスジを持って書くという作業とは、これまでのブログ記事作成経験により、多少向上したのではないかとも思われます・・(笑)。

また、不思議なもので当初記事作成において多く用いてきた対話形式とは、現在となっては、どうもその様式を以て書くことが難しいのではないかと思われるのです・・。

しかし、これはおそらく単なる『思い込み』ではないかと思われますので、以下にその挑戦として対話形式にて書くことを試みます・・(笑)。

A「昨日の記事はなかなか面白く読ませてもらいましたよ
特にヴェルヌの「海底二万里」が我が国における幕末期を舞台にしているという指摘は当たり前かもしれないけれども、文章にて指摘されるとまた面白い視点が浮かび上がってきますね・・。」

B「はあ、それはどうも恐縮です・・
世界史的な通説では潜水艦を含む現代の戦争に用いられる多くの兵器が広く用いられるようになったのは20世紀初頭の第一次世界大戦であると云われていますけれども、さらにそれらの元祖といえるものは、実は1860年代のアメリカ合衆国南北戦争に多く登場していたと云われていますので、その時代、つまり幕末期でもある1860年代あたりを舞台として潜水艦の活躍?威力が示される物語が書かれたことには、それなりに歴史的な意味合いがあるのかもしれない・・と考えた次第です(笑)。」

A「なるほどねえ・・。
そのように考えてみると幕末維新の多くの戦闘に用いられた兵器の多くが南北戦争の後、処分に困った兵器であったことにも何かしら歴史的な意味合いがあるのかもしれませんね・・(笑)。
つまり当時、南北戦争の終結によって大量の余剰兵器を売りさばくための市場を欲していなければ、幕末期の幾多の戦闘も、その勝敗がどちらのものになっていたか分からないということになるのですが、しかし一方、それら兵器を用いた近代戦の戦場を若年において経験した薩長土肥あるいは幕府側将兵の多くが後年日清日露両戦役において戦場での指揮を執ったということもまた、同時に一つの歴史的な意味があるのかもしれません・・。」

B「ええ、そうですね・・。
その意味において我が国は運が良かったのか、近代戦の初期の段階に滑り込み、それをどうにか自身のモノとすることには成功したのではないかと思います。
また、日露戦争(1904~1905)においては、そうした1860年代の諸戦争に示された近代戦の特徴、傾向といったものが、より一層明瞭化、洗練され、その様相とは欧米各国の観戦武官、記者等により国元に報告され、約10年先の第一次世界大戦(1914~1918)にて応用されることになるのです・・。
しかし司馬遼太郎曰く「日露戦争の当事者であった我が国とは、その後から、どうもおかしな方向に行き始めた。」とのことなのです・・。
さらに、その後に勃発する第一次世界大戦の戦禍を我が国は殆ど全く被らなかったことから、それらを経験した国々との間に戦争、戦闘に対する観念、思想にズレが生じ、それが紆余曲折を経て太平洋戦争(1941~1945)の開戦、そしてそこで経験するさまざまな戦禍の遠因になったとも考えることが出来るのです・・。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しています。」









2017年2月11日土曜日

20170210 『ゴジラ』と『海底二万里』導入部が・・

A「本日も首都圏は時折雪が舞う大変寒い一日でした・・。

こうした寒い日はあまり外出はしたくありませんが仕方がありません・・(笑)。

さて、さきほど偶然見たインターネットでの広告によると昨年公開された映画「シン・ゴジラ」が来月後半にはDVD化されるようです。

この作品は以前ブログ記事にて触れ、そして観てみたいと思っておりましたので、この案外早いDVD化とは私にとっては少し嬉しいです・・(笑)。

また元祖モノクロ版は既に何度か観ておりますので、そのストーリーがどの様にアレンジされているかもまた楽しみです。

そしてここまで書いており不図思いついたことは元祖モノクロ版「ゴジラ」とは、その出現に至るまでの経緯がジュール・ヴェルヌ著「海底二万里」冒頭における描写をモデルとしたのではないかということです・・。

それは頻発する未知の巨大生物らしきものによる船舶の事故、調査団の派遣・・といったところですが、さて如何でしょうか?

また後者「海底二万里」は現在読んでも大変面白いのですが、この著作とは発行されたのが1870年であり、また、その作中年代とは1866年からはじまりますので、我が国でいえば丁度、維新回天の幕末期を舞台としていることになります・・。

さらに作中には「日本近海」といったコトバも何度か出てきておりますので、これら状況を関連させ新たな幕末を舞台とした物語もまた創作できるのではないでしょうか・・(笑)。

たとえば「いろは丸の衝突沈没事件とは実はノーチラス号によるものであった・・」などはどうでしょうか・・(笑)?

また、何故だかよく分かりませんがビーチ・ボーイズのある曲が思い出されます・・(笑)。

とはいえ、ハナシを戻し、丁度その当時(19世紀半ば)とは、現代の船舶、潜水艦においても通じる全体を金属で覆われた船舶が登場し、また南北戦争(1861ー1865)において、そうした構造を持つ潜水艦(艇)が実戦にはじめて使用された史実としての背景があります。

それ故、この「海底二万里」もまたそうしたことを踏まえて創作されたのではないかと思われます。

また、そのように考えてみますと元祖「ゴジラ」とは太平洋戦争での英霊の象徴あるいは原爆による破壊の象徴であると一般的に説明されることが多いですが、このたびの「シン・ゴジラ」とは一体何の象徴あるいは如何なる時代精神の要請によるものであったのでしょうか・・?

いや、あるいはそのような観念的な要請などといったものではなく、単に昨今流行しているかつての名作映画の焼き直しの一つであったのでしょうか・・?

それは来月DVD化されて観てからもう少し考えてみます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」



2017年2月9日木曜日

20170209 真似の『型』から脱する、破るについて・・

本日も首都圏は降雪もあり大変肌寒い一日でしたが天気報道によりますと西日本の方が全体的に降雪が多かったとのことです。

さらにこうした西日本の状況は今後数日続くとのことから、日本列島全土の春の訪れとは、まだ先のようです・・(嘆)。

さて、昨日投稿の記事とは投稿翌日にしては、これまた比較的多くの閲覧者を得ることができました。そして同時に昨日ブログ開設以来の総閲覧者数が199000人に到達しました。

今後おそらく550記事に到達するのとほぼ同時期に総閲覧者数が200000人に到達するのではないかと思われます・・。

しかし、こうした皮算用はあまりせずに、ただ記事作成を継続しようと思います・・(笑)。

そういえば、昨日投稿記事に記した事柄とは、また面白い偶然であるのか、ほぼ全員の師匠がこうしたことを好んでおられました・・。

そして、そうした効果により自身も更にその傾向を強めたのではないかともいえます・・(笑)。

とはいえ、こうした博識ぶりについては各々師匠に傾向といったものが認められ、さらに面白いことに独特の語り口、話し方もまた認められるのです・・(笑)。

そして、以前はそうしたことを積極的に真似しようとしておりましたが、何時の頃か「自身は自身の語り口、文体などのスタイルを持たなければ・・」と考えるようになりました。
また、そうした以前に受けた師匠からの影響とは、未だどこかに残存しているものとも思われます・・。

さらに、こうしたことは一般化され得る性質でもあると云え、時代をさかのぼると「金枝篇」内にて述べられている類感呪術のように、はるか太古より我々が保持していた(原始的な)性質ではないかとも思われるのです。

小林秀雄は、こうした古来よりの感覚に依って『教育』とは成り立っていると、どこかで述べていましたが、これは自身の経験からもその通りであると考えます。

その一方で、概して我々は徹頭徹尾他者から真似される、真似することを好まないことから、皆どこかで、その真似の『型』を脱する、破らなければならないのでしょう。
それこそが個々人の成長にとって重要な要素ではないかと思われるのです。

そして、これを自身に適用して考えてみますと、この一連のブログが自身の場合『型』を脱した、破った形態の一段階ではないかと評することが出来るのではないかと思われるのです・・。

無論それは決して真似した対象と比べ上等な内容を持つとはいえませんが、それでも自身が選らんだ手法を採り、その述べたいところを述べてきたものであることから、これは自身による一つの『型』であるとはいえるものと考えます・・。

そして願わくは、今後更なる発展、展開を期待したいところではありますが、こうしたことはあまり急ぐことなく、その経過を辿るのが良いのではないかと思われます・・。

その先に、おそらく自身の文体の獲得といったものがあるのではないかとも思われます。

さて、そうした経験、感覚とは、一体どのようなものなのでしょうか・・?

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。








2017年2月8日水曜日

20170208 頭の中の歯牙、あるいは頭部(口腔を含む)内の歯牙・・(笑)?

本日もまた一日を通して肌寒く、そして風の強い一日でした・・。さらに明日は主に西日本、東海にて降雪が予想されるとのことです。

立春も過ぎましたが、まだまだ春らしい日々は先のようです・・。さて、昨日投稿した記事は投稿翌日にしては多くの閲覧者数を得ることが出来ました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
そしてまた、本日の記事投稿により総投稿記事数が535に到達します。

これはあまり区切りの良い数ではありませんが、あと15記事の投稿によって投稿記事数が550に到達するという実感を得ることは出来ます・・(笑)。

また、昨年末に500記事から再スタートし、現在この程度というのは妥当であると思われます。

そして、この調子にて記事作成を継続すれば4月内に600記事に到達することも可能であるかもしれません・・。

とはいえ、あまり無理はせずに書いていこうと思います。

そういえば、昨日投稿記事にて「欧米の文学作品あるいは時折論文などにおいても冒頭に聖書の一句、格言などが書かれている」と記しましたが、これで不図思い出したのが米国の学生向け歯科材料テキストブックであり、その冒頭には以下のことが記されておりました・・。

This book is dedicated to Dental Students, for they are the future of dentistry, and to the Faculty Staff of Dental Schools because their expertise, dedication, and hard work make it all possible.

‘‘Every toooth in a man’s head is more valuable than a diamond.’’


Miguel de Cervantes, Don QuiXote (1605)

こうして読んでみますと、なかなかウィット、ユーモアがあると思われるのですが如何でしょうか・・・?

またそれに加え、当テキストブックの主題である歯科材料とはまったく関係のない著作(・・いや作中にて歯科医(当時は床屋も兼ねていた)が移動中は帽子、ヘルメットのように被っていた術中に用いる金属製の皿を、主人公が伝説の兜と思いこみ、これ(歯科医)に決闘を挑み奪い取るといった場面がありましたが・・)から、こうした文句を引用するのは我が国においては下手をすれば『衒学的』と評されるのかもしれませんが、それでもやはり何かしらの文化水準を示すのではないかと思われるのですが、これも如何でしょうか?

また、自身のこれまでの経験によると、欧米人からこうした種類のウィット、ユーモアを示されると、何故かわかりませんが固まってしまうのが我々戦後日本人の多くではないでしょうか・・(苦笑)?

ともあれ、これもまた文化の相違によるものであると思われますので悪しざまに論うつもりはありませんが、果たしてこうした傾向の淵源とは太平洋戦争の敗戦にあったのか、あるいはそれ以前の鎖国期より醸成されていたものなのでしょうか・・?

また現在、特に首都圏では英語熱が盛んなようですが、我々日本人がもっとも狂的であったともいえる昭和の15年戦争期に書かれた文章の多くは、それを読んでみると最も英語のそれに近かったのではないかとも思われるのですが、これは何か関係、意味があることなのでしょうか・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年の熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しています。」





2017年2月7日火曜日

20170207 『物語』として述べることにより・・関連性

本日の首都圏は日中より風が強く、その体感温度は実際の気温よりも低かったのではないかと思います・・。

さて、町中を歩いておりますと、その中で洋服の流行などが大体理解できることがあります。

このことは以前投稿した記事においても書きましたが、果たしてそれら流行とは一体どのようなメカニズムで生じているのでしょうか・・?

さらにまた、人によると、それら流行の具体的な内容にも周期らしきものがあるとのことですが、これについてもそのメカニズムが気になるところです・・(笑)。

そして、こうしたことを書いておりますと、不図、イギリスの経済学者で太陽黒点数の増減と景気循環の関連性を述べた方がいたことを思い起こします・・。

たしかに太陽の黒点数の増減により地球全体の気候に変化が生じ、それにより農作物の収穫高もまた変化し、さらにそれが景気循環に影響をもたらす大きな要因にはなるとは考えられます・・。

とはいえ、それは各々の『現象だけ』を時系列的に並べ観察してみても各々を結び付ける関係性を認識することは難しいものと考えます・・。

その意味では我々の日常において認識出来る現象とは雑多すぎるのかもしれません・・(笑)。

そうしたことから一つの説とは『物語として述べられる』ことにより、はじめて理解、認識することが出来、また、そうして得られた複数の物語(説)の間から、さらに異なった次元の関係性もまた理解、認識することが出来る可能性も生じてくるといえます・・。

それ故、現象の精確な認識と同時に、何かしら関係性があると思われる複数の現象を心に留めておき、それらを機に応じ(つながりのある)物語として形成する作業もまた理系、文系を問わず日常的に行っていた方が良いのかもしれません・・(我田引水)。

また、そう考えてみますと、欧米の文学作品あるいは時折論文などにおいても冒頭に聖書の一句、格言などが書かれていることが思い出されます・・。

またこれは欧州騎士の紋章に記されている文句も同様であるのかもしれません・・。


ともかく、おそらく、これらもまたさきに述べた事柄に関連するのではないかと思われるのです・・。

つまり、こうしたコトバとは著作『内容』全体を極度に集約したものであったり、同様にそれを明確に特徴付けるためのものであったりするのですが、何れにしましても、それは『物語全体を包括し抽出、表出された言語の連なり』という意味において、さきに述べた『何かしら関係性があると思われる複数の現象を心に留めておき、それらを機に応じ物語として形成』の一種であるといえます。

一方、我々日本人の場合、こうした伝統文化を全く見出せないというわけでもなく、おそらくそれと類似したものとして短歌、俳句などが挙げられるのではないかと思います・・。

ただ、欧米と我々との間で大きく異なっていることは、その思弁性、理屈っぽさではないかと思われます・・(笑)。

そして、こうしたことはさまざまな場面における彼我双方の軋轢、衝突そして対立の原因ともなっているのではないでしょうか?

しかしながら、これらはあくまでも双方培ってきた文化の相違であるともいえますので、それこそ理屈よって相手を捻じ伏せたり、あるいは感情的に怒り散らすのも、その過程においてはあるいは必要であるのかもしれませんが、一本調子であり続けると、あまり良いものではないのかもしれません・・(苦笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。







2017年2月6日月曜日

20170206 「八つ墓村」を立ち読みして思ったこと・・土着の風習、民俗

A「本日の首都圏は日中気温も上がり、あまり寒さを感じることがありませんでしたが、陽がかげるにつれ風が強くなり気温も一気に下がった感がありました・・。

明日はまた気温が下がり例年並みになるとのことですので体調管理に気を付け書き続けていこうと思います・・(笑)。

さて、先週末、神保町某書店の特価品コーナーに偶然立ち寄ったところ、かねてより読んでみたかった書籍が見つかり何だか得をした気分になり、これを購入しました・・(笑)。
今後徐徐に読み進めて行こうと思います。

また、それと同じ折に偶然立ち読みしたのが横溝正史著の「八つ墓村」であり、これは少々読み入ってしまいました・・。

横溝正史の金田一耕助シリーズは、これまでに一冊も読了したことがありませんが、その映画作品に関してはこれまでDVDにて、それなりの作品数を観ております。

また、これは金田一耕助シリーズの著作、映画双方にて共通すると思われることですが作中の『地域土着の風習、民俗』が物語の進行に大きな意味を持ちます。

さて、どうしたわけか、さきに述べたとおり、私は幼い頃より金田一耕助シリーズの映画を好んで観ておりました。
あるいはこれもまた私が大学院修士課程にて地域学(民俗を扱うことが多い)を専攻した遠因の一つであるのかもしれません・・(笑)。

いや、より精確に書くならば、元来そうした民俗一般を好む傾向があり、それに加え風習、民俗といったものの存在を強く感じ取ることができる地域、場所の中で在住する経験を通じ、より、その興味への拍車が掛かり専攻するに至ったものと考えられる・・といったところではないかと思われます・・(笑)。

しかしながら、実際地域に在住し、その中で徐徐に民俗に興味を持ちはじめるまでの具体的な経験およびその経緯といったものは、あまり理屈、順序立てて話す、書くことは少なくとも今現在では難しいように思われるのです・・。

また、それは忘却によるものではなく、むしろ逆であり、今現在、こうしたことを書いているだけで和歌山、南紀の季節の空気、さまざまな景色が脳裏に浮かんでくるのです・・(笑)。
これは未だ地域の自然風土から惹起される感情が大きい(大き過ぎる)ということになるのでしょうか・・?

そのように考えてみますと、これは九州、鹿児島においても同様であり、特に鹿児島においては夏の茹だるような暑さの日の印象は強烈であり「次のコンビニまで水分補給を我慢しよう・・」と自分に言い聞かせ、それが目前に迫ると「よし、また次のコンビニまで・・」といった感じで天文館から宇宿まで散歩?をしていました・・(笑)。

そして、その際、汗にまみれた顔を手で拭うと、決まって汗に細かい火山灰の粒子が混ざり皮膚がシャリシャリとするのです・・(笑)。

鹿児島市内は風向きの影響で春~夏に降灰が多いのです・・。

さて、民俗について、かつてどこかで読んだのですが三島由紀夫が一時期民俗学に興味を示しましたが、それを深く知るにつれ、どうも薄気味悪くなり、次第に民俗学から遠のいていったと記しておりました。

これはおそらく、三島由紀夫が実際にどこかの地域に一般人として、ある程度の期間在住した経験がなく、ほぼ一貫して東京に生まれ育ち、そして生活していたからではないかと私には思われるのです・・。

苦い経験と良い経験の双方が混淆された記憶を持つ自身の出身地以外での地域の記憶を持つことは少なくとも悪いことではないと考えます・・。

そして、民俗学への評価の良し悪しとは、その後の問題ではないかと思われるのです・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

昨年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。」



20170205 誰が読んで頂いているか分かりませんが・・

昨日投稿した記事は投稿翌日にしては多くの閲覧者を得ることが出来ました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、同時にその後の反応として読まれている記事をいくつか見ますと「ご名答!」といった反応が適当ではないかと思われます・・(笑)。

その一方、自身の作成した記事がこの程度まで深く、真剣?に読まれていることに対して、あらためて身の引き締まる思いがします・・。

また、こうした反応を認めることが出来なければ、ブログ記事の作成とは、現在まで継続することができませんでした。
それ故、今後も時折は面白いと思われる記事を書けるように心掛けます・・(笑)。

とはいえ、ある程度までブログ記事を書いておりますと、自身でも記事として書く内容の傾向が限られていることに否応なく気が付かされるのです・・(苦笑)。

これは自身でも「どうにかならないものであろうか?」と時折思うのですが、同時に、具体的にどのような変化、試行を試みれば効果的であるか分からないため、今回もまたいつもの調子にて、とりあえず記事作成を行っている次第ともいえます・・(苦笑)。

あるいは、こうしたことも記事作成を継続していくうちに「ハッと!」妙案がひらめくことがあるのでしょうか・・(笑)?

ともあれ、何れにせよ記事作成を継続することが大前提であると思いますので、今後もあまり過大な期待を抱かず、とりあえず600記事程度までは書いてみようと思います・・(笑)。

さて、そこまで書いて不図、竹山道雄のある文章を思い起こしましたので下に示します。

講談社刊 竹山道雄著 「昭和の精神史」pp.206-207より抜粋引用
「私は未来の自分の運命を考えることはやめよう。
あてのない問いをくりかえすことはやめよう。
結果を考えることはやめよう。
すべての今の刹那をみたしめよ。
今日を今日として迎え送り、明日のための今日とすることを断念せよ。
もちろん将来をめざして積み重ねてゆく現在ではあるけれども、その積みあげてゆくこと自体をもって結果としよう。
これまで私は社会からはとおく、いわゆる先物を買ったり便乗したりしたことはなかったが、これからも、あらゆる意味で先物を買うことはしまい。未来の自分の効果のために設計したり賭けたりすることはしまい。
「どうせ自分に何ができよう」「これこれのすることの意義が分かったらする。それまではやる気がしない」-こうした、私のこれまでの抜きがたかった性癖、それが私に行動を阻止し意力を麻痺させていたものを、できるだけ棄てるようにしよう。
このために私は過去に蒔いたものがすくなかったから、いまわが生の途のなかばに収穫するものとてもすくないが、すくないからとてとりいれずにおくことをやめよう。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」








2017年2月5日日曜日

20170204 どの程度の深さからの反応であるのか・・

昨日の記事投稿によって総投稿記事数が530に到達しました。そして今後はとりあえず今月中あるいは来月初旬までに550記事への到達を目標とします・・。

それにしても、これまで作成投稿してきた記事によって少しは何かが変わってきているのでしょうか・・?
まさに暗中模索ではありますが、とりあえずこれも実験と同様、作成し続けませんと分かりませんので継続しようと思います・・(笑)。

さて、昨日の投稿記事に書いた『観念的』についてですが、哲学あるいは思想などを扱う文系諸学問は実験を伴う理系諸学問と比較した場合、相対的に観念的であるといえます(当然ではありますが・・)。

また、これはあくまでも私見ではありますが、特に哲学、思想などを扱う文系学問の場合、その当初から明らかにセンスの有無がかなり重要な意味を持つと考えます。

それ故、大多数の方々は、こうした学問にどこかで接したとしても特に情熱を持つに至らず、通り過ぎて行くのではないかと思われます・・。

そして、これもまた私見ではありますが、この哲学、思想などを扱う学問のセンスとは、運動神経のように『少なくともあっても損はない』といった種類のものではなく、むしろ、そのセンスがあった方が変に悩み、そして疎外されることもまた多いのではないかと思われます・・(笑)。

また、自身はそのセンスが優れているとは考えません・・。

しかし一方、そうした学問がかねてより『好き』であり、また、そうした学問およびそうした雰囲気、環境に身を置いた経験はある程度ありますので、少なくとも他者からそうしたハナシを聞いた場合、どういった反応が適切であるかは感覚的に分かるのではないかとも考えます・・。

もとより、これはセンスではなく『慣れ』に分類されるものではありますが・・(笑)。

さて、現在書店に行きますと、昨今よりの古典、教養ブームが継続しているようであり、さまざまな関連書籍が出版され、中には大変面白そうな著作も少なからずありますが、それでも、それらの大半とは『当てを狙いに行っているのではなかろうか?』と思わせるものであり、さらにはテレビにて大々的に取り上げ宣伝している著作もあり、そうした異種連携の手腕には感心しますが、おそらく書籍とは本質的に食物と同様『本人がそれを食べたい、読みたいから食べる、読む』わけであり、そうした誘導戦術らしきものとは『どうも違うのでは・・?』と考えてしまうのです・・(苦笑)。

あるいはまた、そうしたものが時代精神を形成させる何かの力(凝集力)の要素ではあるのかもしれませんが・・。

しかしながら、ここで思うことは、そうした何処からのものであれ刺激に対する反応が、一体我々のどの程度の深さから生じている、発せられているのか?ということです・・。

このことは此処首都圏において特に強く感じ、考えさせられます・・。

また、おそらくそれは欧米諸国が我が国に対して古くから感じていることではないかとも思われます・・。

そして、そうした彼等の興味、関心に基づく実験が、我が国を何かの題材として扱ったさまざまな映画、書籍等が我が国において如何なる反応を示すか?ではないかとも考えられます・・(笑)。

先日公開された遠藤周作原作の映画「沈黙」とは、それが原作に忠実であるならば、現在の我が国において『反日』と認識されても仕方のない表現、文脈が少なからず見受けられると思われます。

それは数年前に公開されたアメリカ人女優が監督した映画作品「アンブロークン」と同程度に・・。

そして、ここまで書いており不図思い出したことは、以前実験の最中に話していた大学院生との雑談で、彼の出身地を舞台とした有名な小説があり、そのことについて尋ねてみますと、その返事とは、それまでとは変わってあまり浮かない声で
「・・いや、多分あそこに住んでいる人達のほとんどが、その作品の内容なんて実は知らない、気にしていないのだと思います・・。
実際にその作品を読み、内容を知っていたとしたら、それを観光に利用しようとは考えつかないと思うのですが・・。」

これは彼(愛郷心は強い)の考えが未だ若く、現実社会への認識が浅い、甘いのか、あるいは彼の述べる感覚が正しいのかわかりませんが、少なくとも、多少はさきに述べた内容にも関連するのではないかと思われましたが如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
おかげさまで530記事に到達しました。

昨年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。



2017年2月4日土曜日

20170203 季節毎に変る読む著作の傾向について・・

本日の首都圏は若干気温も上昇し日中は比較的過ごし易かったのではないかと思います。

また、帰宅途中に書店に立ち寄りましたら、面白そうな書籍をまた幾つか見つけました・・。

私の場合、季節によって好んで読む書籍の傾向があるようで、理由は分かりませんが、寒い季節になると思想、哲学分野といった観念的事象を扱った著作を好んで読む傾向があるのではないかと思われます・・。

また、かねてより好んで読んでいた歴史系の著作とは、記述内容の抽象度により思想、哲学にも分類されるものがあります。

そして当初はそれこそ、さまざまな戦記・伝記といった、どちらかというと抽象度の低い著作を好んで読んでおり、また、この時期はかなり長く続きましたが、何時の頃か基本的には同じ歴史を扱ってはいるものの、抽象度が高い思想、哲学にも分類される著作を読むことが出来るようになり、さらにその後、どちらかというと、そちらの方を好むようになっていきました。

しかしながら、こうした思想、哲学に分類されるような著作全般とは、私見として夏の暑い盛りに読むのは困難であると思われるのです・・(苦笑)。

歴史を題材とした思想、哲学といった抽象度の高い著作一般とは書かれている内容が指し示す歴史の流れ、出来事が多岐に渡り、あるいは重層的、多義的であることが多いと云い得ます。

そのような著作とは、読解において、自身の持つ様々な歴史の流れをその都度適用して考えなければならないため、少なくとも当初においては、それなりに面倒な思考作業であるといえます。

ともあれ、それも読み進むに伴い、著者の述べたい歴史の流れのモデルが概容として理解、把握出来てきますと、徐徐に読み進むスピードが速くなっていく傾向があります

こうした一連の流れ、過程とは、様々な機器のチューニング作業あるいは顕微鏡観察のピントを合わせる作業などとも幾分類似しているのではないかと思われますが如何でしょうか・・(笑)?

そして、上記のような過程により歴史を抽象、観念的に理解できる(と考える)ようになりますと、今度はそればかりに偏り、歴史の流れを把握する基礎となる文献、遺物、遺跡といったものの把握、理解が疎かになることもまた少なからずあるようです・・(苦笑)。

そして、こうした現象を『観念的』あるいは竹山道雄が述べるところに従えば『歴史の演繹的な理解』と評されるのではないかと思われます。

また、こうした視座つまり、ある前提となる観念的な定立に基づく(演繹的な)事物の把握、理解とは、その多くが間違った結論に至るとのとですが、この意見は自身の経験にも基づき妥当であると判断されます。

それ故、ハナシをふりだしに戻して考えてみますと、現在未だ寒いといえる季節において観念的著作を読むことを好んでいるものの、今後季節が春になりますと、実際に存在する事物に対しての興味へとまた移行するのではないかと思われます・・。

また、その時こそ、冬季に読んだ観念的著作と実在する事物との間の関連性がひらめき、それを文章として著し指摘することが出来るようになるのではないかとも思われるのです・・。

そして、この考えが単に観念的なものであるかどうかは、訪れる季節およびその時の自身が教えてくれるものといえます・・(笑)。

また最後に自己弁護のために書いておきますと、記述内容の全てにおいて、全くの自己矛盾がないというのもあまり面白くないのではないでしょうか・・(笑)?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。