2020年2月29日土曜日

20200228 読書による性質の変化について

今回の記事作成は、おそらく、これまでの中で最も体調がすぐれない中で作成したものになると云えます。また、そうであるならば、記事作成などせずに休んだ方が良いとも思われるところですが、かねてより、今月中での1252記事への到達を目標としていたことから、これを出来るだけ早めに達成するために、今回の記事作成を始めた次第です。

さて、体調がすぐれないと云いましても、おそらくは、最近取り沙汰されている新型コロナウィルスによるものでなく、この季節にありがちな単なる風邪であると思われます。また、風邪により体調が良くなくとも、こうした文章の作成については、思いのほか、どうにかなるようであり、この調子で今しばらく書くことが出来ればと考えています。

先日来から読み進めていた岡義武著「国際政治史」を読了し、新たに何か読み始めようと考えてはいますが、さきにも述べました戦間期そして第二次世界大戦期についての歴史の記述を読むことは、少なくとも自身にとっては、かなり消耗するものであると云え、今回の風邪もあるいは、それに関連があるのではないかとも思われます・・。

また、多少、牽強付会・我田引水気味ではありますが、我が国の歴史教育において、特に近現代史を出来るだけ避けて通りたがるといった傾向も、あるいは、こうした事情と何らかの関連があるようにも思われます。

しかし、遡って考えてみますと、自身の場合、小中学生の時分は、この時代に最も興味を持ち、特に各国の兵器や戦争の様相などに強い関心を抱いていました。そのおかげもあって、一応、歴史としての知識も持つように至ったと云えます。それが何時、そして何故、変化したのかと考えてみますと、未だ精確には分かりません・・。

ただ、一つの大きな変化であったと云えるのは、20代後半あたりから山本七平の一連の著作を読み始めたことです。それら著作で描かれている昭和初期の我が国の様相は、それまでに私が知っていた同時期の歴史とも相反するものでなく、それをさらに綿密詳細に世間知的なものとして示してくれ、あるいは、当時の時代精神を、現在とも密接な繋がりのある有機的なものとして示してくれたとも云えます・・。

そして一たび、こうした兵器・戦争への興味から積み重ねていった知識と、実際その時代を生きこられた方の射程の長い世間知とも云える思想・教養が自身内部にて反応しますと、自然と、より広範に人文社会科学分野の書籍を読むことが出来るようになり、また、それが自転運動を惹起し現在に至っていると云えます・・。

そして、おそらく、この過程のどこかで戦間期および第二次世界大戦期の記述を読むと消耗するような性質へと変化していったのだと云えます・・。

自身としては、これは一種の洗練であると同時に、弱体化であるとも感じられます。しかし、この弱体化は、動物が人間へと進化していく際に生じた物理的な意味での弱体化と同じ系譜に立つものであると私は考えています。

また、こうした内面における変化を、より多くの人々が経験した国と、そうした経験を生産活動に際して余分なもの、意味のない邪魔なものとする傾向が強い国では、あるいは当初の物理的な力、武力においては後者が強く、勝利を得る可能性が高いのかもしれませんが、長い目で見ますと、やはり前者の方が創造的な精神が継続し、新たな時代を切り拓いていくことが多いように思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2020年2月28日金曜日

20200227 大戦争による効果?

ここ最近は日照時間も以前に比べて長くなり、また、気温も徐々に上がっているように感じられますが、他方で、世界規模での新型コロナウィルスの感染拡大による、さまざまななイベント開催の延期・中止が相次ぐことから、現在の世情を表すコトバとしては「戦々恐々」が適切ではないかと思われます。

とはいえ、そうした中、私の方はよく移動しており、そこから、たしかに疲れが溜まっているのか普段とは違ったようなダルさがあると云えます。これはさきのウィルスと関係があるものか分かりませんが、いずれにしても今週末はゆっくり休もうと思います。

しかしながらブログの方は書き続けなければなりません・・(苦笑)。今月中に本投稿を含め、2記事作成する必要がありますので、これを出来るだけ早めに済ませたいと思うところです・・。

さて、先日来から読み進めていました岡義武による「国際政治史」は本日ようやく読了しました。第二次世界大戦が終結し、その後、資本主義・共産主義の二陣営による冷戦体制に至るところで当著作はむすびとなっていますが、この前段階である第二次世界大戦時においては、さきの記事にて述べたように、所謂、帝国主義の続きであると云え、その意味で、この終戦を境として、各国は帝国主義的な政策を少なくとも表立っては、とれなくなっていったと云えます・・。

そして、その主たる原因と思われるのが、それまで植民地であった主に東アジアの国々が第二次世界大戦時に一時的ではあれ解放され、戦後、植民地的な支配の継続が困難になったからであると思われます。

また、これと類似したことは、ナポレオン戦争時および、その後における南米大陸諸国にも云えるのではないかと思われます。これらの国々は、それまでは多くスペイン・ポルトガルの植民地でしたが、フランス革命からナポレオン戦争に至るまでのヨーロッパ全土における争乱の影響により、それまでの支配体制が不安定となり、こうした事態に至ったと云えますが、20世紀の第二次世界大戦は東アジアの国々において、同様あるいは類似した効果を持っていたのではないかと思われます。

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2020年2月26日水曜日

20200226 時代精神・地域性と人工知能

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1250に到達します。そして、今月中、新規にて2記事投稿出来れば、以前に述べた目標をクリアすることになります。そうしますと、残り3日の今月のうち、2日間投稿(1日1記事として)すれば良いということになりますが、果たしてコトはそこまで上手く運ぶのでしょうか・・。

さて、先日来から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、その後頁が進まず今に至っておりますので、出来れば近日中に読了し、新たな著作を読み始めたいと考えています。

新たな著作として現在考えているのはユヴァル・ノア・ハラリによる「21lessons 21世紀の人類のための21の思考」ですが、ここに来て、折角であれば、もうしばらく近現代史について扱った著作を読んでみてはどうかとも考え始めています・・(苦笑)。

さきにも述べました通り、近現代史、特に我が国の昭和初期のそれは大変に痛ましいものがあり、おそらく、どの頁を開いてみても眉間に皴が寄るような感じがあると云えます・・。

しかしながら、これもさきに述べました通り、我が国のこの時期の歴史に対し、ある程度クリアな認識を持っておくことが、さきの時代を考える上で極めて重要であるように思われるのです・・。

これは、あまり云われることは少ないのですが、ある時代・地域に生み出されたさまざまな事物は、それを生んだ時代精神を象徴するものと云えます。その意味において、昭和初期、特に昭和6年(1931年)あたりからのそれは、全体的に不自然であり、何と云いますか、のびのびとしたところが少ないように見受けられます。異言しますと、桎梏に喘ぐ人々が、そこから逃れ得ず、また、そこで苦しんでいるということを外に云えないような状況にある時に表現されたものであるといった感じを受けるのです・・。

とはいえ、こうしたことは後知恵であると評されても仕方がありませんが、それでも、この時代の事物には、感覚的に何かしら嘔吐感を催すものがあると感じられます・・。

そして、それと同じような感覚を最近の広告やテレビ番組を見ていますと、不図、感じることがありますが、これは「私が疲れているからなのであろうか・・?」とも思うのですが、他方で「そこには何らかの共通性があるのではないか?」と考えてしまう私もまたいるのです・・(苦笑)。

このような各時代・地域におけるさまざまな事物から、それぞれの時代精神や地域性を考えようとすることは、もっと広く行われても良さそうに思われるのですが、私の見聞きするところ、現今の我が国では、そうした試みは、あまり為されていないように見受けられます。

あるいはまた、こうした時代・地域毎のさまざまな事物と、それぞれの時代・地域に当て嵌まると思われる言語表現を、人工知能に学ばせていくことにより、ある程度の確率で、未だ評価が定まっていない時代・地域に対する時代精神・地域性の仮説のようなものを提示することが出来るのではないかとも思われます・・(笑)。

そして、今後、こうした人工知能ソフトが出来ましたら、現在の我が国社会に対しては、どのような評価の仮説が提示されるのでしょうか・・(笑)?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。





2020年2月25日火曜日

20200224 戦間期末期についての記述を読んで・・

ここ数日は新規の記事投稿はしていませんでした。さて、先日来から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、残り10頁程度となり、おそらく近日中に読了すると思われます。ここで描かれている時代は、さきのブログにもとり挙げた戦間期の末期、つまり、第二次世界大戦勃発直前の時代であり、それは丁度、4年前に読了した野上弥生子による「迷路」上下巻の背景とほぼ被り、また同時に、山本薩夫による長編映画「戦争と人間」とも被ると云えます。

この時代に関しては、他にもさまざまな作品があり、著名と思われるものを挙げますと、カズオイシグロによる「日の名残り」そして、それを原作としたジェームズ・アイボリーによる同名の映画作品がそうです。

そして現在、私が読み進めている箇所が、まさしく、この「日の名残り」の時代背景と被り、そこから、頁を進めてゆくなかで度々、当映画作品内の場面が想起せられます。

ともあれ、特にこの時代は、多くの国の人々にとって、後の第二次世界大戦による苦難の前兆とも云えることから、ここ焦点を当て、その歴史の推移・流れを認識していくことは、かなり辛いものがあると云えます。

自身の場合も、この時代に頁が差し掛かってきますと、必ずしも体調といった原因でなく、有意に読み進める速度が遅くなり、行間にある痛ましさや、国々の間に醸成・蓄積されつつある敵意、そして、その後の展開に考えが及び自然と眉間に皴が寄ってきます・・。

おそらく、この時代は、産業革命以降、洗練・先鋭化されていった諸々の帝国主義的な考えが、思想として体系化・結晶化され、そして、それが政治外交を行う際の背景思想となった、いわば、思想としての「帝国主義」が最も洗練された、最終段階の時代であると云えます。

あるいは、帝国主義をとる国々内部での先発組(イギリス・フランス)と後発組(ドイツ・日本・イタリア)との間の蓄積した軋轢が顕現化され、それに基づいて敵対する陣営が形成されてゆく経緯であるとも云えます。これは第一次世界大戦時においても、類似した様相が認められますが、第一次世界大戦を経ることにより、より国民国家としての色彩が強くなった諸国が、戦間期、そして大戦争の勃発に至るまで、どのような政治・外交上の選択を行ってきたかということが、帝国主義の先発・後発組諸国間にある相違を明瞭にし、さらにまた、それが「帝国主義」の最終段階とも評し得る所以とも云えます。

そして、そうした状況がさらに加速し、最終的に第二次世界大戦に至ったと云えますが、この第二次世界大戦は、特に我が国にとっては、今なお、いや、さきの見えない現在であるからこそ、かなり重要な意味を持つものであると云え、そしてまた、それ故に「何故、そのような事態に至ったのか?」と、そこに至るまでの歴史の流れ・経緯を認識することは、さきに述べた「痛ましさや、国々の間に醸成・蓄積されつつある敵意」などからも、辛いものがありますが、それでもやはり、この歴史の流れを、より多くの人々が、ピントの合った、血の通った歴史像として認識することが、重要ではないかと考えるのですが、さて如何でしょうか?

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2020年2月21日金曜日

20200220 歴史像をパズルのピースとして考えると

ここ数日間は、かなり移動が多く、さらに明日からもまた移動です。普段はあまりこのようなことはブログ記事として書きませんが、本日は、記事題材が速やかに浮かばないこと、そして、この移動のことが割合強く感じられることから、こうした書き出しとなりました・・(苦笑)。

いや、本来であれば本日は、新たな記事作成など行わず、明日のためのも休んでおこうとも考えていましたが、PCの前に座り、ブログ画面を開き、しばらく既投稿記事の再投稿操作などを行っていますと、このまま終えるのもどうもバツが悪くなり、こうして記事作成を行っている次第です。とはいえ、このまま作成したとしても2:00前には就寝としたいことから、今回作成の記事は、あまり手の込んだものにはならないと云えます・・(笑)。

さて、現時点でのブロガーでの総投稿記事数は1247記事であり、今回を含め3記事の新規投稿により、1300記事まで残り50記事となります。また、それは、これまでのペースにて行いますと、今月中には比較的余裕を持って達成可能であるように思われます。そのため、もう少し目標を高く定め、今月中での総投稿記事数は1252記事を目標とします。この程度でしたら、特に無理をすることなく、達成可能であると思われますので・・。

他方で、先日来から読み進めている岩波書店刊 岡義武著「国際政治史」は220頁を過ぎ、残り80頁を切り、また、そこで描かれている世界情勢は、第一次世界大戦の終結後、平穏な時代はあまり長く続かず、早くも1920年代から世界各地で新たな戦乱に向けて沸騰しつつある状況と云えます。

この時代については、多くの興味深い著作が刊行されており、また、そうした著作をいくらかは読んできたという自覚があることから、それなりに知っていると考えていましたが、当著作での記述は、これまで自身が読んだことがなかった、考えなかった視点にて歴史の流れが描かれていることが度々あり、大変興味深く読んでいると云えます。また、こうした歴史を扱った書籍を読む大きな楽しみの一つは、こうした新たな認識を、あたかも、パズルのピースのように獲得し、それを用いて、これまでとは違った歴史像がイメージ出来るようになることであると云えます。

また、これは、先日の投稿記事である『見える歴史像の倍率と分かり易さについて』とも大いに関連するところであり、今後、機会を見つけ、さらに書き連ねてみようと思います。しかし他方で、こうした歴史像に対して「倍率」や「パズル」などをたとえとして用い、述べた著作は、これまでに読んだ記憶がないことから(忘れているだけかもしれませんが・・(苦笑)。)このたとえを用いることにより、歴史像、あるいは歴史そのものに対する認識が、より理解出来るものになった方々がいらっしゃるのでしたら、それは眠気の中、ここまで当記事を作成した私にとって望外の僥倖と云えるのかもしれません・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


2020年2月18日火曜日

新潮社刊 夢野久作著 『死後の恋』内 『いなか、の、じけん』 内『郵便局』 pp.211-217

『鎮守の森の入口に、村の共同浴場と、青年会の道場が並んで建っていた。夏になるとその辺で、撃剣の稽古を済ました青年たちが、歌を唄ったり、湯の中で騒ぎまわったりする声が、毎晩のように田圃越ごしの本村まで聞こえた。
 ところが或る晩の十時過の事。お面お籠手の声が止むと間もなく、道場の電燈がフッと消えて人声一つしなくなった。……と思うと、それから暫くして、提灯の光りが一つ森の奥からあらわれて、共同浴場の方に近づいて来た。

「来たぞ来たぞ」「シッシッ聞こえるぞ」「ナアニ大丈夫だ。相手は耳が遠いから……」
といったような囁きが浴場の周囲の物蔭から聞こえた。ピシャリと蚊をたたく音だの、ヒッヒッと忍び笑いをする声だのが続いて起って、また消えた。

提灯の主は元五郎といって、この道場と浴場の番人と、それから役場の使い番という三つの役目を村から受け持たせられて、森の奥の廃屋に住んでいる親爺で、年の頃はもう六十四・五であったろうか。それが天にも地にもたった一人の身よりである、お八重という白痴の娘を連れ、仕舞湯に入りに来たのであった。

親爺は湯殿に這入ると、天井からブラ下がっている針金を探って、今日買って来たばかりの五分心の石油ランプを吊して火を灯つけた。それから提灯を消して傍の壁にかけて、ボロボロ浴衣を脱ぐと、くの字なりに歪んだ右足に、黒い膏薬をベタベタと貼りつけたのを、さも痛そうにランプの下に突き出して撫でまわした。

その横で今年十八になったばかりのお八重も着物を脱いだが、村一等の別嬪という評判だけに美しいには美しかった。しかし、どうしたわけか、その下腹が、奇妙な恰好にムックリと膨らんでいるために、親爺の曲りくねった足と並んで、一種異様な対照を作っているのであった。

「ホントウダホントウダ」「ふくれとるふくれとる」「ドレドレ俺にも見せろよ」「フーン誰の子だろう」「わかるものか」「俺ア知らんぞ」「嘘こけ……お前の女だろうが」「馬鹿云えコン畜生」「シッシッ」

というようなボソボソ話が、又も浴場のまわりで起った。しかし親爺は耳が遠いので気がつかないらしく、黙って曲った右足を湯の中に突込んだ。お八重もそのあとから真似をするように右足をあげて這入りかけたが、フイと思い出したようにその足を引っこめると、流し湯へかがんでシャーシャーと小便を初めた。

元五郎親爺はその姿を、霞んだ眼で見下したまま、妙な顔をしていたが、やがてノッソリと湯から出て来て、小便を仕舞ったばかりの娘の首すじを掴むと、その膨れた腹をグッと押えつけた。
「これは何じゃえ」
「あたしの腹じゃがな」
 と娘は顔を上げてニコニコと笑った。

クスクスという笑い声が又、そこここから起った。
「それはわかっとる……けんどナ……この膨れとるのは何じゃエ……これは……」
「知らんがな……あたしは……」
「知らんちうことがあるものか……いつから膨れたのじゃエこの腹はコンゲニ……今夜初めて気が付いたが……」
と親爺は物凄い顔をしてランプをふりかえった。
「知らんがナ……」
「知らんちうて……お前だれかと寝やせんかな。おれが用達ようたしに行っとる留守の間に……エエコレ……」
「知らんがナ……」
 と云い云いふり仰ぐお八重の笑顔は、女神のように美しく無邪気であった。

親爺は困惑した顔になった。そこいらをオドオド見まわしては新らしいランプの光りと、娘の膨れた腹とを、さも恨めしげに何遍なんべんも何遍も見比べた。
「オラ知っとる……」「ヒッヒッヒッヒッ」という小さな笑い声がその時に入口の方から聞えた。その声が耳に這入ったかして、元五郎親爺はサッと血相をかえた。素裸体のまま曲った足を突張って、一足飛びに入口の近くまで来た。それと同時に、「ワ――ッ」「逃げろッ」という声が一時に浴場のまわりから起って、ガヤガヤガヤと笑いながら、八方に散った。

そのあとから薪割用の古鉈をひっさげた元五郎親爺が、跛引き引き駆け出したが、これも森の中の闇に吸い込まれて、足音一つ聞こえなくなった。

その翌朝の事。元五郎親爺は素裸体に、鉈をしっかりと掴んだままの死体になって、鎮守さまのうしろの井戸から引き上げられた。又娘のお八重は、そんな騒ぎをちっとも知らずに廃屋の台所の板張りの上でグーグー睡っていたが、親爺の死体が担ぎ込まれても起き上る力も無いようす・・・そのうちにそこいらが変に臭いので、よく調べてみると、お八重は叱るものが居なくなったせいか、昨夜の残りの冷飯の全部と、糠味噌の中の大根やなっ葉を、糠ぬかだらけのまま残らず平らげたために、烈しい下痢を起して、腰を抜かしていることがわかった。

そのうちに警察から人が来て色々と取調べの結果、昨夜からの事が判明したので、元五郎親爺の死因は過失から来た急劇脳震盪ということに決定したが、一方にお八重の胎児の父はどうしてもわからなかった。

初めはみんな、撃剣を使いに行く青年たちのイタズラであろうと疑っていたが、八釜屋の区長さんが主任みたようになって、一々青年を呼びつけて手厳しく調べてみると、この村の青年ばかりでなく、近所の村々からもお八重をヒヤカシに来ていた者があるらしい。

それでお八重には郵便局という綽名がついていることまで判明したので、区長さんは開いた口が塞ふさがらなくなった。
すると、その区長さんの長男で医科大学に行っている駒吉というのが、ちょうどその時に帰省していて、この話をきくと恐ろしく同情してしまった。実地経験にもなるというので、すぐに学生服を着て、お八重の居る廃屋へやって来て、新しい聴診器をふりまわしながら親切に世話をし初めた。母親に頼んで三度三度お粥かゆを運ばせたり、自身に下痢止めの薬を買って来て飲ませたりしたので「サテは駒吉さんの種であったか」という噂がパッと立った。しかし駒吉はそんな事を耳にもかけずに、休暇中毎日のようにやって来て診察していると、今度はその駒吉が、お八重の裸体の写真を何枚も撮って、机の曳出に入れていることが、誰云うとなく評判になったので、流石の駒吉も閉口したらしく、休暇もそこそこに大学に逃げ返った。そうすると又、あとからこの事をきいた区長さんがカンカンに怒り出して、母親がお八重の処へ出入りするのを厳重にさし止めてしまった。

「お八重が子供を生みかけて死んでいる」という通知が、村長と、区長と、駐在巡査の家うちへ同時に来たのは、それから二三日経っての事であった。それは鎮守の森一パイに蝉の声の大波が打ち初めた朝の間の事であったが、その森蔭の廃屋へ馳けつけた人は皆、お八重の姿が別人のように変っていたのに驚いた。誰も喰い物を与えなかったせいか、美しかった肉付きがスッカリ落ちこけて、骸骨のようになって仰臥していたが、死んだ赤子の片足を半分ばかり生み出したまま、苦悶しいしい絶息したらしく、両手の爪をボロ畳に掘り立てて、全身を反り橋のように硬直させていた。その中うちでも取りわけて恐ろしかったのは、蓬々と乱れかかった髪毛かみのけの中から、真白くクワッと見開いていた両眼であったという。
「お八重の婿どん誰かいナア
 阿呆鴉か梟かア
 お宮の森のくら闇で
 ホ――イホ――イと啼いている。
 ホイ、ホイ、ホ――イヨ――」
 という子守唄が今でもそこいらの村々で唄われている。』

『死後の恋』 夢野久作傑作選 (新潮文庫)
ISBN-10: 4101206414
ISBN-13: 978-4101206417


2020年2月16日日曜日

20200216 最近の読書から「大掛かりな歴史の皮肉」

本日の徳島市は気温はそこまで低くなかったものの、終日風の強い一日でした。報道によりますと、今年の徳島での春一番は数日前に吹いたとのことであり、そこから、本日の強風についても、おそらく同様の気象状況から発生したのではないかと思われます。

また、当ブログにつきましては、その後、おかげさまで順調に記事の更新が為され、あと55記事の投稿により1300記事に到達する状況となりました。この55記事とは決して少ない数ではありませんが、これまでの記事作成経緯から考えてみますと、そこまで困難とは云えないことから、来る6月22日に迎えるブログ開始から丸5年までに、どうにか達成したいと考えています。

また、さきに述べましたように、ブロガーでの記事投稿は、順調に為されていますが、それらのアメーバ・ブログへの再投稿は、あまり順調に行われておらず、今後、機会を見つけて徐々にそれら記事を移し替えていきたいと思います。

さて、現在読み進めている岡義武著「国際政治史」は、ようやく200頁過ぎにまで至り、第一次世界大戦が終結し、パリ講和会議の開催そして大戦中に生じたロシア革命による欧州全土における緊張、そして、その一応の安定化といった状況が描かれていますが、この大戦後の敗戦国ドイツへのフランスを主とした周辺諸国の戦後処理には、なかなか峻烈なものがあり、ある意味、こうした事情があったことから、その後のナチス党の台頭さらには政権掌握も為し得たと云えます。

こうした歴史の流れからも、ある種「大掛かりな歴史の皮肉」といったものを看取することが出来ますが、しかしながら同時に、当時の当事者達としては、どうしてもそのような選択しか採り得ない経緯・背景もまた、あったのだと云えます・・。

そして、そのように考えてみますと「たとえ過去の歴史を詳細に知ったとしても、未来は変えることが出来ない。」といった、ある種の無力感・絶望感を覚えるわけですが、そうであっても、そうした歴史を知る人々が社会で徐々に増え、そして、何らかのカタチで発信し続けることにより、わずかではあれ、未来の方向性に対して影響を与えることが出来るのではないかとも思われるのです・・。

その意味で、インター・ネットを基盤とする現代の情報社会は、悪いものであるとは考えません。ただ、ここで大事になると思われることは、金銭・経済的なもの以前にある「何に価値があるか」を各々で考え、そしてお仕着せでない、能動的な議論を通じ、その相違点や共通項を見出していくことであるように思われます・・。

ともあれ、今後も当著作を読み進めていこうと考えていますが、250頁あたりにまで至りましたら、過日投稿のブログ記事にも書きましたユヴァル・ノア・ハラリによる「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」を購入し、読んでみようと思います。












20200215 先日の投稿記事が再度ランク・インしたことから思ったこと

先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インしたことを記しましたが、その翌日もまた、再度、順位が上がってのランク・インとなりました。こうしたことは、これまでになかったことから少し驚かされました。また、以前にも書きましたが「当記事の閲覧者数はあまり伸びないのでは・・。」と考えていたことから、これもまた不思議に思われるところです・・(笑)。

とはいえ、これまた以前に幾度か書いたことではありますが、自信の作成したブログ記事として比較的多くの方々に読んで頂いている場合であっても、そこからの効果や影響といったものは、これまで感じられたことはなく、そこから「おそらく当ブログ記事による周囲への効果は、大体その程度なのだろう・・。」と思うに至るわけです・・(苦笑)。

しかし、他方で、当ブログ記事が「その程度」のものであるからこそ、あまり傍目を気にせずに、現在に至るまで(好き勝手に)記事作成を継続出来ているようにも思われます。そのため、ブログ記事による効果や影響といったことは、少なくとも自身の場合、あまり考えない方が、継続的な記事作成のためには好都合であるように思われます・・(笑)。

さて、先日の投稿記事にてモテない、ロスジェネ云々といった、どちらかと云えば自虐的とも受け取れることを(苦笑)を書きましたが、他方において、大変充実していたと感じられる時期もあり、とりわけ、和歌山在住の修士課程院生の頃は、それまでの人生で最も多くさまざまな分野の書籍を読み、議論をしていたと云えます。そして、特に、ここでの議論の経験があるからこそ、対話形式でのブログ記事が作成出来ていると云えます。また、この頃は、自身が変わっていてもイジめられることもなく、いや、当時については、周囲にいた方々の方が自身などよりも変わっていたのかもしれません・・(笑)。ともあれ、ここで書籍を読む習慣が身体化され、そして必要であれば精読するような習性も、ある程度、身に付けたことから、現在に至るまで、その時々に必要とする文献、そして自身の興味に基づいた文献をも読み続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。

そして、当ブログについて考えてみますと、どうにか、ここまで記事作成が為されている要因として、さきに述べた経験と共に歯科生体材料学分野にいた時の経験そして記憶が、かなり大きなウェイトを占めると云えます。それは換言しますと、鹿児島在住時の経験・記憶であると云えますが、これについては「この時期のことを書きたい!」と比較的強く思う反面で、未だに自身でも理由が分からないのですが、それにブレーキを掛ける力が発動され、今に至るまで思うように書けないでいます・・。しかし、今後、この時期のことををスムーズに書くことが出来るようになる内面での変化を待ち、これを題材として、新たなブログ記事を作成していきたいと考えています・・。

また、感覚的なハナシではありますが、さきの和歌山在住時の経験は、ブログ記事を継続的に作成するための、どちらかと云えば技術的要素としてのウェイトが多く、他方で、鹿児島在住時の経験や記憶は、もちろん、さきの和歌山と同様、技術的要素も少なからずあるのですが、それと同時に、当ブログ継続のための推進力となる内面・精神的要素については、かなり多く、ここでの経験や記憶に依拠しているように思われるのです・・。

そうしたこともあり、この時期のことを記事題材としたいと考えているのですが、さきに述べたように、どうもここで抑制がかかってしまうのです・・。しかし、今しばらく書き続けていますと、また何らかの変化が生じるとも思われますので、性懲りもなく、続けようと思います・・(笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。










2020年2月13日木曜日

20200213 先日投稿の記事がランク・インして思ったこと・・

本日の徳島は気温が20℃まで上がり、春のような1日でした。また、この陽気は今週中は続くとのことですが、来週になりますと、また冬日に戻るとのことです。このようなことを書いていますと、不図「三寒四温」というコトバを思い出しましたが、このコトバはおそらく、丁度、今の時季を指すものであるように思われます・・。

くわせて、先日の投稿記事にも記しましたが、陽も以前に比べ長くなり、そうしたことから、季節が徐々に春へと推移していることがうかがわれます。

さて、おかげさまで、先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インとなりました。正直なところ「この記事の閲覧者数はあまり伸びないだろう。」と考えていたため、これには多少意外の感があります。そしてまた、「こうした内容の記事も寛容に受け入れて頂けるのであれば大変ありがたい。」というのが、このランク・インに対する率直な感想と云えます・・。

ともあれ、こうした内容の記事を書く自身ではありますが、子供の頃から変わっている、あるいは周囲から浮くことも少なからずあるためか、たびたびイジメられました・・(苦笑)。そしてまた、おそらく今後もそのような感じではないかと思われます・・。また、イジメられる悪影響としては、なかなか自然に自信を持てなくなることであるように思われます・・。

以前に比べますと、そうではなくなりましたが、それでも、権柄ずくな態度をされたり、こちらの意見を全く聞かずに勝手に罰ゲーム的に何かを押し付けてくるようなことをされますと、かなり腹立たしくなるのと同時に凹み、滅入ってきます・・。

また、それに加えて、イジメの後遺症によるものか、自然に自信があるように振舞えないことから、小中高から現在に至るまで異性にモテないことも、現在まで尾を引いていると云えます・・(苦笑)。

とはいえ、このようにモテなかったことから、いくつかの分野での知識や経験を積むことが出来たとも云えますので「自分にとってどちらが良かったのか?」と問うてみますと、「これはこれで良かったのではないか・・?」と思える時もしばしばあると云えます・・(苦笑)。

そしてまた、こうした「メゲない」のか「いいかげん」であるのか分からない(多分、これらはかなり親和性があるのではないかと思います・・(笑))自身が、ロスジェネ世代のど真ん中であることは、偶然であるのか、あるいは何らかの必然であるのか、これもまたイマイチよく分かりませんが、面白いところであるようにも思われます・・。

さらにここで、ロスジェネ世代と書いていて不図、岩波書店刊行の、だいぶ以前に読んだ記憶のある「きけわだつみのこえ」という著作が思い出され、少しだけ目頭が熱くなってきました・・(苦笑)。

20200213 創造や生産のジレンマについて・・

当記事を含めて、残り58記事の投稿により、総投稿記事数が1300に到達します。本日から毎日1記事の投稿を行いますと、来る4月の半ば前には達成出来る目算が立ちますが、さすがに毎日の投稿はキビしいと思われるため、出来るだけ毎日に近く続けていこうとは思いますが、それでも2日に1記事程度の更新となっても、そこまで悪くはないように思われます・・。

さて、昨日は文章が書けなかった時期のことについて書きましたが、この時期は現在思い返してもみても暗く、鬱々とした日々であり、またそれは、現在においてもなお、完全に晴れているわけではないのですが、いつか、これが晴れ渡る日は来るのでしょうか・・(苦笑)。

しかし、あるいはまた、こうして暗く、鬱々とした気分を現在に至るまで、いくらか引き摺っているからこそ、ブログ記事の作成を継続することが出来ているとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。

何故ならば「人は完全に安楽・快適な状態になると、そこから逃れるための創造をしなくなるからだ。」とも云われるからであり、これに関しては多少悔しくはあるものの、全くの的外れではないように思われます・・(苦笑)。

しかしながら、他方で、より多くの創造をするように、外部からの働きかけ・圧力によって出来るだけ安楽・快適な状態にならないように仕向け続けていると、遅かれ早かれ、いつか内面に破綻が生じるのではないかと思われます・・。

そして、おそらく、こうした一種の創造性や生産性についてのジレンマのようなものは、古来から存在し、あるいは、こうした様相・メカニズムについて、より良い解決をはかるための仕組みが、宗教であったり、さまざまな思想であるようにも思われます。

また、こうした宗教や思想が、何処で、どのようにして発生し、その後どのように伝播・発展していったかについて考えてみますと、さまざまな国や地域における宗教や思想といった所謂、形而上的なものに対する親和性・相性のようなものが分かるのではないかと思われます。

そして、それに対して、さきの創造性や生産性についてのジレンマをより具現化したものと云える、国・地域における支配・被支配の構造、そして、それらの歴史についてを重ね合わせて考えてみますと、宗教や思想といったものが、どのような条件下において繁茂し、また逆に、衰弱・枯死してしまうのか、ということが、ある程度理解出来るのではないかと思われるのですが、さて、その意味で、現在の我が国は、いかなる状況と云えるのでしょうか・・(笑)?

いや、あるいは我が国は元来、宗教や思想といったものからは縁遠く、古くからのリジッドな支配・被支配の構造が現在に至るまで続いているのでしょうか?こうしたことは多少本を読んだ今になってもイマイチよく分かりません・・(苦笑)。とはいえ、であるからこそ、やはり歴史は面白いのだとも云えるのかもしれません。






2020年2月12日水曜日

20200212 文章が書けなかった時期について

現在読み進めている岡義武による「国際政治史」は、半ば過ぎまで至り、この調子にて読み進めれば、来月初旬あたりには読了することも出来るのではないかと思われます。

他方で、当ブログに関しては、先日、2月9日の投稿により、総投稿記事数が1240に到達し、来る6月22日のブログ開始から丸5年の日迄に50数記事を新たに投稿することにより、5年間で1300記事を投稿してきたことになります。

しかし、これを達成するためには、今後2~3日に1記事の新規投稿を要するため、現在の自身にとっては、そこまで簡単であるとは云えません・・(苦笑)。しかしそれでも、以前の全くといって良いほどに文章を書けなかった時期と比べますと随分良くはなっていると云えます・・。

この全く書けなかった時期のことについて、もう少し詳細に思い出してみますと、それ以前はSNSなどを通じて普通に書くことが出来ていたことから、このいわば断層のような時期に一体何があったのだろうかと思うに至ります・・。

具体的に、その時期は2015年後半あたりからであり、この時期のことは思い出してみますと、未だに喉を絞められるような感じになり、おそらく当時は精神的に危機的な状況にあったのではないかと思われます。そして、その同時期から当ブログをはじめたわけですが、このブログがなければ、さきの危機的状況をどうにか乗り越えることが困難であったのではないかとも思われます・・。

そしてまた、こうした、おそらく内面の葛藤から生じる危機的状況を乗り越えるためには、それまでの全ての経験といった内的資産を燃料として投入するという覚悟がなければ、乗り越えることは困難であったのではないかと思われるのです。しかし、そうであっても、自身の場合、この時期は精神的に衰弱しきった中で、どうにか書籍からの抜粋引用を主とした記事作成を行っていたといった状態でした・・。

また、自身の文章による記事を作成してみても、作成した記事は徒に嫌悪感を齎すのみであり、こうした自分の作成した記事を読み返したくない時期も、ブログをはじめて、ある程度安定して記事作成を行う頃になってもしばらく続き、具体的に2016・2017年は、そうした時期であったと記憶しています。

とはいえ、現在になり、当時作成した記事を読み返してみますと、そこには文章表現としては稚拙と思われるものが多くあるものの、そこで述べられていることには、何と云いますか、現在にも繋がる「自身の考えの核」と云えるものがあるように感じられるのです。

そのように考えてみますと、この弱り切っていた時期にも、それなりの意味があったのかもしれません。またそれは、その時期から現在に至るまで、どうにか、このブログ記事の更新を通じ、前進しているという感覚を持ち続けることが出来たから、そのように考えることが出来るのかもしれません・・。

とはいえ、今後、何に導かれて当ブログを継続出来るのか分かりませんが、来る6月22日までは、どうにか続けて行きたいと思います。そして、その時の自分は当ブログの更なる継続について、どうのように思うのでしょうか・・。

現在の自身としては、とりあえず5年間継続することが出来たのであれば、そこで止めても問題はないようにも思えるのですが・・(笑)。














 

2020年2月11日火曜日

20200210 スランプの時にはどのような記事を作成すれば良いのか・・

ある程度の期間、継続的にブログ記事を作成していますと、滑らかに文章が出てくる時期と、そうでない時期があることに気が付かされます。おそらく、そこには何らかの原因があるとは考えますが、それが一体何であるかについては、未だによく分かりません・・(苦笑)。


以上のことを踏まえ、おそらく今現在の私は、そうでない時期、つまりはスランプに近い状態にあるのではないかと感じられています・・(苦笑)。

また、そうした状態であるならば、特に無理をして記事作成を行う必要もないと思われるのですが、他方において、以前と比べますと比較的容易にこうした文章を作成することは出来るようになり、また、こうしてある程度書き連ねて行きますと、興に乗ると云いますか、離陸滑走する飛行機のようにフワッとどこかで宙に浮かぶと云いますか、あるいは、何らかの主題らしきものを見出し、それに沿ってどうにか書き進めることが可能になるようであり、そしておそらく、その推進力の役割を果たしているのが、通常はあまり意識していない「文体」ではないかと思われます。

とはいえ、この「文体」についても、未だ現在「自分の文体を獲得した!」と十全に意識出来たことはなく、ただ、その進歩?については、かつて自分が作成した文章の加筆修正を行う際、以前と比べ、あまり考えずに比較的無造作な感じで出来ることが、その進歩らしきものを示しているのではないかとも思われるのです・・。

そして、面白いことに、この無造作に文章の加筆修正を行っている時に、何となく、自分が手作業で研磨などの仕上げ作業を行っているような感覚を持つのです・・(笑)。この感覚もまた、ここ半年程度の比較的最近のものであり、この感覚は未だ自身の中で普遍化し得るものであるかどうか不明ではありますが、文章として著しておけば、後になり、この感覚の自身にとっての普遍性を検討することも出来ますので、とりあえず、書いておくに越したことはないと思われる次第です・・(笑)。

とはいうものの、こうした感覚が、文体の確立に関係があるのか、もしくは文章力の向上を示しているのかについては、精確には分かりかねるところですが、そうであっても、文章の加筆修正が手研磨と同程度の感覚に至るということは「文章の身体化」とも評することが可能であることから、少なくともブログ開始当初の自身と比べますと、いくらかは進歩したのではないかと思われるのです。

そしてまた、今後のいくらか面白いであろうと思われることは「こうした作業を続けてゆくと、次はどのようなことが生じるのか?」ということであり、さらに続けて「その生じることは、これまでに読んだどの著作の記述に類似するのか?」ということです・・(笑)。

文体の獲得に関しての記述は、これまでに何度か読んだ記憶がありますが、概してそれらでは「比較的明瞭な経験」とのことでした。私は、自身を鋭敏な人間ではないと考えていますが、同時に、こうした「明瞭な経験」を見過ごすほどに鈍感でもないと考えています。そうしますと、今後、何かの拍子に「文体の獲得」という明瞭な経験をするのであろうと思われるのですが、果たしてそれは何時のことになるのでしょうか・・(笑)。

ともあれ、文章があまり滑らかに出てこない、こうしたいわばスランプの時期には、上記のような自身に対する懐疑・疑問といったものを書いてみますと、一ブログ記事程度の文章にはなり、また、そこに共感し得る何か、さらには普遍性らしきものがいくらかでもあれば、それはそれでブログ記事としては、そこまで悪くはないのかもしれませんが、同時にそこには、いくらかの記事作成者の甘えといったものもあると云えます・・(苦笑)。



















2020年2月9日日曜日

20200209 ブログ掲載情報についての対話形式

A「まだ寒い日が続いていますが、風邪などをひかずに元気で過ごしていますか。」

B「ええ、おかげさまでどうにか元気でやっています。また、ここ最近は少しだけ、陽が長くなってきたようにも思います。あと1カ月もしましたら、多少は春めいてくるのではないでしょうか?」

A「うん、そうですね・・。それで、先日、君のブログには色々と宣伝が出ていると聞いたのですが、それらは何か経緯・理由があってそのようなことをしているのですか?」

B「ああ、ブログに載せているいくつかの情報についてですね・・。もちろん、それらには色々と経緯がありまして、中でも医歯薬出版株式会社様が刊行している書籍については、2年以上にわたり掲載させて頂いています。もちろん、先方会社様には了解を頂いています。それと、当ブログでの情報掲載とは関係ないとは思うのですが、この書籍は、専門書に分類されるものであるにしては奇跡的にと云っても良いほど長期間に渡って売れ続け、重版され、さらには改訂版も刊行されたとのことで出版社の方も大層驚いていました(笑)。
ですので、私のブログが、そうした現象に対して何らかの寄与があったとは思いませんが、それでも、自分のブログで取り上げさせて頂いている書籍がこのようになることは、やはり少しは嬉しいとは云えますね・・(笑)。」

A「・・ははあ、そんなことがあったのですか・・。そうした事情は通常ご自身では、なかなか分からないことだと思いますので、君のブログでの情報掲載の効果であるかは分かりませんが、それはたしかに嬉しいかもしれませんね。それと他のブログ掲載情報については、何か変わったことは起きたりしたのですか?」

B「いえ、他の掲載情報も、何と云いますか、成り行きで掲載させて頂くようになった次第でして、あまりそれらについての効果などは直接的には聞いたことがありません・・。ただ、つい先日、出張で出向いた首都圏の電車内の広告で、私のブログに情報を掲載させて頂いている一つの大学のポスターが割合大きく貼りだされていましたので、これには少し驚きました。とはいうものの、こちらの大学につきましては、それ以前から首都圏での電車内や駅構内でポスター広告を見たことがありましたので、まあ、おそらく、その流れの延長線上にあるものだとは思いますが・・。」

A「へええ、そんなこともあったのですか・・。しかし、その例では効果のほどはイマイチよく分かりませんね・・(笑)。あと、ここ最近は政治家の方の情報を掲載されているようですが、それは一体どういった経緯なのですか?」

B「・・ああ、それにつきましても、さきと同様、成り行きで掲載させて頂いている次第です。東京方面に出張に行きますと、以前からお世話になっている大学や開業されている歯科医師の先生のところへご挨拶に伺わせて頂くようにしているのですが、その話題の中で、私のブログが出てきたことがありまして、そこからの流れで掲載させて頂く流れになった次第です・・。とはいえ、これは特に悪いことではありませんし、一応、私も歯科には全く縁がないというわけではありませんので・・。」

A「ああ、そういえば、ここ最近の君のブログに掲載されていますが、おそらく、ご実家のクリニックの動画でしょうか?あれも歯科関連ですからね・・。しかし、Bさんは現在、あまり歯科とは関係のないところにいるわけですよね・・。」

B「・・ええ、以前から時折そういったことを云われることがあります。そして、たしかに私の実家は歯科関連のクリニックを運営しています。また、何代か遡ってみますと、その中には医師、歯科医師といった方々が少なからず見受けられ、また大学に残り医学部の教授になられた方も何人かいます。しかしながら、皆が皆、そうした医学研究者や開業医になっているわけでもなく、人文社会科学分野の研究者になった方々も複数いますので、私は学位こそは歯科生体材料学で頂いてはいますが、その本質はどちらかと云うと人文社会科学系であると云え、あるいは、多少大風呂敷を広げさせて頂きますと、自身の存在によって、その背景全てを統合しているのではないかとも思えるのです・・(笑)。しかし、それでも人から「医師や歯科医師になれなかった。」というような意味のことを云われますと、以前は結構凹んでいました・・。しかし、ここ5年くらいでしょうか、かなり幅が広いと云える人文社会科学系分野で、ある程度専門的なことが分かるようになることは、必ずしも医師や歯科医師になることと比べても、そこまで簡単ではないということが分かるようになりました・・。もちろん、それは自分自身についての省察のみではデータ不足であり、周りのそういった方々を見て、また、それら方々の述べるところを聞いてみて、そのように考えるに至ったわけですが・・。とはいえ、おそらく、特にこういった意見については、極めて此岸的傾向が強く、ある種攻撃性が強いとも云える我が国社会では、拒否され、さらなるイヤミを云われるのがオチなのでしょうが・・(苦笑)。しかし同時に、そうしたイヤミを云うような視座は、本当の何代にもわたる人間の営みや性質、傾向といったものへの観察や視点を欠いた、いわば近視眼的な視野に立つものであり、またそれが現代の我が国社会にて主流を成す考えであると云えますので、まあ、仕方がないのかもしれませんが、しかし、それでも、私は少なくとも、自分の考えが全面的に間違っているとは、どうしても考えられませんね・・。」

A「うーん、なるほど・・。全面的にそのご意見には肯定は出来ませんが、まあ、そういった長期間の観察に基づく意見については、我が国ではどうもベタな紋切型になってしまう傾向があり、その内容についての興味深い、血の通った議論が為されるといったこともあまりないようですので、その見解の是非については留保させて頂きます。ただ、そのBさんのご意見も大変興味深かったとも云えますね・・。」

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
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20200208 見える歴史像の倍率と分かり易さについて

先日から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、漸く全体の半分程度にまで進み、扱っている時代も19世紀後半から20世紀代に至り、自身が比較的「知っている」と思える時代に入ってきたことから、若干、読み進む速度が上がったようにも感じられます。

とはいえ、当著作は、直近に読了した同著者による「転換期の大正」と比べますと、いくらか読み進むのに手間取っていると云えます。これは、それぞれ著作を理解しつつ読み進めるのに必要とする背景知識について、自身が双方について同程度の背景知識を持っていないことに因るのではないかと考えます。

また、それに加え、双方著作で、扱う歴史それぞれの抽象度が異なることも、理解しつつ読み進める速度に、何らかの影響を与えているのではないかとも思われます。扱う歴史の抽象度が異なるということは、たとえてみますと、顕微鏡を用いて、ある物体を観察するに際しての「倍率」が異なるということに近いのではないかと思われます。

当然ではありますが、一言で「歴史」と云いましても、その動態的な様相を構成するものは過去から現在を通じ、主として我々人類であり、これを対象として「倍率」が高いということは、極限では、歴史に意識・無意識を問わず参画している、ある個人を対象とすることになると云えます。そして、この、いわば高倍率にて歴史の様相を描いたものが、伝記・評伝あるいは同時代人による日記・手記のような著作であると云えます。

こうした高倍率にて歴史を描いた、あるいは特定の個人や、ごく少人数を視座とした歴史像を眺めてみますと、その歴史像そして、そこから見出される物語に、比較的容易に入り込む・感情移入することが出来るのではないかと思われます。また、それは、そうした視座からの眺めが、読み手である我々の日常的な視座とも、大きくは異ならないからであるように思われます。

これを異言しますと、歴史を舞台として、個人や少人数集団を軸として描いた演劇や映画やドラマや小説、そしてマンガなどが、古今東西を通じて多い理由は、読み手である我々が普遍的に、そうした視座から生じる世界観に比較的容易に入り込み、感情移入が出来るからであり、そしてそれは、読み手である我々の日常的な視座とも、隔絶とは云えないほどに、大きくは異ならないからであるということになります。

つまり、歴史を対象とした観察においては、倍率を高くしますと「歴史を生きたある個人」の描写といった性質が強まり、そこから、読み手としては具体性が高まり、理解し易くなるのではないかということになります。

反対に、歴史を対象とした観察における低倍率とは、それなりに抽象的な世界であると云え、これをある程度、自分なりに理解し、さらに、さきの高倍率での観察歴史像とも、齟齬なく、関連付けることが出来る歴史観を持ち、そして、その言語による論理的な説明が出来るようになるためには、ある程度の期間の努力が必要であると云えます。

そして、こうした背景事情を敷衍したものが、まさしく、当記事冒頭に述べました、先日読了の岡義武による「転換期の大正」と比べ、現在読み進めている同著者による「国際政治史」が、多少読み進めるのに手間取っている原因として述べた「背景知識の程度」にもつながるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
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2020年2月3日月曜日

20200203 対話形式「創造的活動が行われる場所について」

ブロガーにて現時点で公表している記事数は1237記事であり、あと63記事を作成投稿することにより1300記事に到達します。そして、今後、毎日のブログ記事作成を前提としますと2か月程度にて1300記事の投稿を達成出来ることになりますが、さすがにこれは困難であると思われることから、2日に1記事の投稿として考えてみますと、4ヶ月程度、つまり5月末頃までには、どうにか到達出来る見込みがつきます。とはいえ、2日に1記事であっても、現在では難しいと思われますので、その中間、2.5日に1記事程度の更新頻度にて、今後、来る6月22日まで記事作成を進めて行こうと思います。

そして、本日は「善は急げ」とのことで、新たに対話形式にて記事を作成していこうと思います。

A「最近もまた色々と本を読んでいるようですね。」

B「ええ、ここ最近は夜行バスに乗る機会が度々ありまして、そうした時はどうも上手く寝付けないことが多いため、どうも本を読んでしまいますね・・(苦笑)。しかし、そうしますと、向うに着いた後がなかなか大変でして、ここ最近は、そうしたよく分からない疲れのようなものがいくらか溜まっているようにも感じられますね・・。」

A「ふーん、夜行バスで読書ですか・・。私はあまりそうした機会は、これまでにありませんでしたね。しかし、その本を読む程度の座席スペースが確保出来るような夜行バスでしたら、寝ることもそんなに難しくはないようにも思われますが。」

B「ええ、実際によく寝れることもあるのですが、それでも何だか緊張して目が冴えてしまうことの方が多いように感じられます。また、それは夏目漱石の「三四郎」冒頭部で、主人公の三四郎が名古屋にて宿泊した時のような感じを薄めたようなものではないかとも先日の夜行バスの中で不図思いましたね・・(苦笑)。」

A「・・いや、しかし、あれは三四郎が一人でなかったから緊張したのでしょう。なので夜行バスの車内とは、また趣が大分違うようにも思われますが・・。」

B「ええ、まあ細かく分析してみますとたしかにそうですが、自分の感覚としては、そうしたものがあるように感じられるのです・・。」

A「なるほど・・まあ、詳細な状況よりも、そこから生じる感覚という意味では似ているということなのでしょうね。それで最近はブログに書かれている以外で何か面白い著作を見つけましたか?」

B「いえ、それがあまりないのです・・。最近読み進めている岡義武による『国際政治史」は、大変面白いのですが、そこで描かれている時代については、そこまで知識がありませんので、それなりに苦労しつつ読んでいます。しかし、こうした時にスマホはとても便利ですね。夜行バス車内の決して十分に明るいとは云えない読書灯の下で読書をしつつ、分からないコトバが出てきますと、一先ず栞を頁に挟んで本を閉じ、スマホで検索し、そのコトバの意味が大体分かりましたらスマホを傍らに置き、再度頁を広げ読み始めるわけですが、思いのほか私は、こうした少し暗い閉鎖的な空間での作業といったものが好きなのかもしれません・・(笑)。」

A「それは何だか面白いですね。たしか何かで読んだ記憶があるのだけれど、「大東亜戦争肯定論」で有名な評論家で作家の林房雄は、通常では普通の家に住んでいるのだけれど、文章を書く時は、真っ直ぐには立てないような狭い屋根裏部屋の中で書いていたということですが、これに通じるような何かがBさんにはあるのかもしれませんね・・(笑)。」

B「いえ、おそらく、そんな大層なものではありませんが、しかし、こうした作業を苦役としてでなく、割合好んで継続出来るような人々の多くは、何と云いますか、こうした場所に閉じ込められる・幽閉されるといった経験を持っている方々が多いのではないかとも思われますね・・。」

A「・・うん、実際、そうした典型例とも云える監獄にて著作を書いていた人も多いですからね。そうしますと、文章での表現を比較的得意とするような所謂、思想犯が多い時代は同時に作家・著述家が多く現れる時代であるのかもしれませんね・・(笑)。・・いや、あるいはニワトリ・タマゴの順番が逆であるのかもしれません・・(笑)。」

B「ええ、仰ること大体は理解出来ていると思います。また、おそらく文章表現のみならず、我々の創造的な作業の多くは、こうした比較的暗く、孤独な環境で行われるようなものではないでしょうか? また、そこから思うことは、おそらく現在の我々の社会は、こうしたギャップから何かが創造・生じるといった原理の様相を忘れ、何やら似非西洋的・浅知恵的な合理性で物事を判断するような癖が固着し、現在に至っているのではないかと思われるのです。」

A「・・ええ、それも何となくですが理解できますね・・。そしてこの先には、もっと明るい考えを自然に創造出来るような時代がやってくるのでしょうかね・・。」

B「どうでしょうか・・。しかし、それがどちらであったとしても、私は押付けではない教養教育と、手を用いる実習教育の双方が大変重要であるように思います。」

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。



2020年2月2日日曜日

20200202 ブログへの反応から思ったこと、および最近の読書から

これまで、ある程度の期間、ブログ記事の作成を行ってきましたが、当初の2年ほどは、しばしば直接・間接にて当ブログのことをくさすようなご意見を頂くことがありました。また、これは現在においても、なくはないと云えますが、それでも、当初の時期と比べますと、どうしたわけか減っているように感じられます。

他方で、当ブログに対し、褒めるとまでは行かなくとも、肯定的なご意見を頂くといったことも滅多になく、これまで1、2度ほど、そうしたことがあったと記憶しています。これは、当ブログを読んで頂いている方々が減少したことから、それに伴い、反応も少なくなってきたとも考えられますが、当ブログの閲覧者数は、開始後3年目がもっとも多く、その後、徐々に減少し、現在の水準にて落ち着いてきていますので、その考えは精確には当て嵌まらないと思われます。

ともあれ、記事閲覧者数の多寡ではなく、否定・肯定のいずれであれ、記事に対して少なからず反応があるということは、必ずしも、記事作成の継続のために、そこまで重要ではないと思われますので、端的に、あと70記事程度を今年の6月後半あたりまでに、どうにか投稿出来ればと考えています。

さて、つい先日から読み始めました岡義武著「国際政治史」は、その後も頁が進み、本日までで、全体の4分の1程度まで読み進みました。この時代のくだりもまた大変面白く、具体的には、19世紀前半のナポレオン戦争後の欧州を主とした世界情勢については、これまであまり概説的な著述を読んでいなかったことから、かなり新鮮な感じを受け、また同時に、トーマス・マンによる「魔の山」の社会背景様相がさらに深化して理解出来たようにも思われました。

その一方で、昨年暮れに購入した梶田昭著「医学の歴史」を少し手に取って読んでみたところ、これもまた興味深く、とりわけ、同著11章の「西欧医学と日本人」の、我が国における西欧医学萌芽期(江戸時代後期~)の記述が大変新鮮であり、今後、機会を見つけて、これに類する他の著作をあたってみようと思います・・(苦笑)。

とはいえ、経験上、あまり手を広げすぎるのも良くないと考えることから、とりあえずは、さきのブログにて述べましたように岡義武著「国際政治史」を半分程度まで読み進め、次いでユヴァル・ノア・ハラリによる新著「21 lessons :21世紀の人類のための21の思考」を並行して読んでみようと思います。しかし、さきにとり挙げましたあまり意図せずに読み始めた面白い著作も大事にし、そして機会を見つけてある程度集中的に読んでみたいと考えています。

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20200202 最近の読書から思ったこと・内容と著者の文体から

先日来から読み進めていました岡義武著「転換期の大正」を、つい先日、移動中の電車内にて読了しました。次いで同著者による「国際政治史」を新たに読み始めましたが、こちらは扱っている時代が以前に読んだポール・ケネディ著「大国の興亡」と概ね同様であることから、時折、意味が分からない言葉が出ては来るものの、それらの意味を調べつつ、比較的スムーズに読み進めることが出来ていると思われます・・。

また、当著作も、先日読了の「明治政治史」上下巻、「転換期の大正」同様、大変興味深く、特に著者である岡義武氏のテクニックであるのか、あるいは癖であるのか分かりませんが、著述にしばしば、そこに記されている人物についてのエピソードが挙げられているのですが、これが大変にセンスが良いと云いますか、秀逸であるように思われます。

後日、興味深いと思われた、こうした記述を当ブログに抜粋引用してみようと思いますが、その前にとりあえず、現在読み進めている「国際政治史」をもう少し読み進めたいと思います・・(苦笑)。また、ここまで書いていて不意に思い出されたことは、以前に、当ブログにてユヴァル・ノア・ハラリの新著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」を次に読んでみたいと述べていたことです・・(苦笑)。

おそらく、自分からの読み易さとしては、後者の方が優れていると思われますが、折角ようやく「国際政治史」の著述の間(ま)・文体に乗ることが出来るようになってきたと感じられることから、当著作を半分程度まで読み進みましたら、様子を見て、後者の方に手を出してみようと思います・・(笑)。

つい先日、日本近現代史についての著作を読み終え、そこから間を置かず主に16世紀以降の欧州を舞台とする国際政治・歴史についての著作を読み始めますと、やはり当初は相当に面食らうと云えますが、同時に両著とも、同じ著者によって書かれていることから、用いられている言葉・タームは、それなりに違うものの、その歴史著述の運びなどは、当然と云えば当然であるのかもしれませんが類似しており、そこから、何とか日本近現代からウェストファリア条約以降の欧州社会に飛び移ることが出来ているのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、こうしたことは書籍を読み進める上ではそれなりに重要であり、専門書はもとより、それは小説などの所謂「物語を読ませる」性質のものであれば、より一層重要であると云え、あるいは、こうしたことを人々に感じさせることの出来る文体を、どうにか体得することが出来るのであれば、それなりに苦労をしてみるのも悪くはないのかもしれません・・(笑)。

また、そこから思ったことですが、ここ数日は以前に投稿したブログ記事の加筆を行い再度投稿してきましたが、これはこれでやってみますと、色々と考えさせられて面白く、また、過去の自分(の文体)を、ある程度まで客観視することが出来るようにも思われることから、今後も継続して行きたいと思います。そして、案外、こうした過去の投稿記事への加筆作業の過程において、また、新たな記事作成の契機ともなるような、ひらめきを得ることが出来るのではないかとも思われるのです・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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