2022年6月17日金曜日

20220616 祥伝社刊 山本七平著「日本人とは何か。」ー神話の世界から近代まで、その行動原理を探るーpp.70‐72より抜粋

祥伝社刊 山本七平著「日本人とは何か。」ー神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー
pp.70‐72より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4396500939
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4396500931

いずれにせよ韓国の成立史は、中国へのレコンキスタを連想させるから、日本にはその種の記録がないとはいえる。韓国では紀元前108年に漢が進出してきて楽浪郡以下四郡を置いたが、やがて三韓が生じ、ついて北で高句麗、南東部で新羅、南西部で百済が台頭し、313年に高句麗が楽浪郡を攻略し、つづいて帯方郡の北半を併合し、同じころ百済は帯方郡の南西部、新羅が南東部を取り、ここで三国は急激に発展してそれぞれの古代国家を形成した。

 これが三国時代で、その初期に日本は南部の任那に日本府を置いていたが、やがて駆逐された。6世紀末に隋が高句麗の征討をはじめ、ついで唐もこれを行ったが共に失敗した。ついで唐は新羅と協力して660年に百済を滅ぼし、つづいて668年に高句麗を滅ぼしたが、両国が滅びると新羅は唐と戦って百済・高句麗の故地を占領し、ここに半島の統一が形成された。

 津田左右吉博士がいわれているのは、このような「国家形成史」がなかったということを、それが「制なき時代」が出現する前提であったろう。

 以上のようにして、ゆるやかな文化的統合体としての日本が形成され、それがそのまま統治体制となったのが「骨(かばね)の代」であろう。

「骨の代」の氏族体制とは

 一体「骨」(かばね)とは何であろうか。それは大体氏族の首長もしくは中心的人物をいうと定義してよいであろう。これは韓国語の「骨」の用法を用いたと見るのが定説で、韓国では「真骨」もしくは「第一骨」といえば王族のこと、「第二骨」といえば貴族のこと、これが日本に伝わり、たとえば「武烈天皇紀」に「百済国守之骨族」という語が見える。この用法で、氏の首長すなわち「氏上」「伴造」「伴緒」の尊号を「骨」(かばね)といったものと思われる。

 となると問題は「氏」である。氏とは「うみすじ」(産筋)の意味、または「うち(内)」すなわち同一の一族の意、氏の韓音「チー」に「う」音を添えたもの等、さまざまな説があるが、大体「同一の一族」を示すと考えてよい。そして氏の長の名称が姓(かばね)である。

 そしてこの氏族が土地・人民を所有して半独立国のようになっており、時にはそれらが相争って「倭国の内乱」となるわけだが、その中のおそらく最大の氏族が天皇であり、他の氏族と違う点はおそらく祭儀権を持っていたことであろう。

 魏の記録を見ると、祭儀権を持つのは女王で、その弟か夫が諸氏族の争いを調整するのが統治で、その実態は多く古代の国に見られた宗教連合に似たものであったと思われる。

 そして大氏族は天皇の下で何らかの職務を行うことで、氏族連合政権のようなものを構成していたらしい。

 そして祭儀権者が亡くなり、この連合が崩壊すると混乱して内乱状態となる。こういう場合、中国から張政のような者が来て、祭儀権者の後楯となって混乱を収束させたものと思われる。この、女帝が祭儀権をもち、皇太子その他が統治権を行使するといった形態は、推古女帝と聖徳太子、皇極女帝と中大兄皇子、その他の例に見られる。

 では氏族体制の内部はどのようになっていたのか。これは明確にはわからないが、天皇も一氏族だからほぼこれと同じような形で、ただ全体を統一する祭儀権はなかったものと考えればよいであろう。