2018年5月5日土曜日

20180505 比較的多くの方々に記事を読んで頂いて思うこと・・継続か技術の向上か?

おかげさまで、昨日投稿分の記事もまた、一昨日ほどではありませんでしたが多くの方々に読んで頂けました。また、その後に当記事内容に関連する他のいくつかの記事が読まれていたことから、関心を持ちつつ読んで頂いていることが伝わってきます。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、ここ数日も『思想・観念』を題材とした記事を作成してきましたが二年程前を思い返してみますと、こうした題材にて記事を作成、投稿してみても、あまり多くの方々に読んで頂けることはなく、また、たしかに当時作成した記事を現在読んでみますと、そこには何かしら面白いことが述べられていることもあるのですが、多くの場合、昨今作成されたものと比べ、いさかさか内容が散漫であり、また文章自体も読み難いように思われるのです。

しかし、であるからといって『昨今作成した記事の方が以前のそれに比べ面白いのか?』と考えてみますと、その判断は難しく、さらにまた、ブログをも含めた継続的な文章の作成の場合、その最先端とも云えるより現在に近い文章の方が、作成している本人からすれば読み易いのは当然であり、それは厳密には、もしくは客観的には、文章作成技術の向上とは云えないように思われます。

とはいえ、他方、さきに述べた閲覧者数の増加が現象として認識されますと『自信の作成する文章が向上したことにより多くの方々に読んで頂けるようになったのではないか?』とも考えられるところですが、ここをもう少し考えてみますと、それは文章作成技術の向上よりも、それ以前にある継続的な文章の作成により多く帰するのではないかと思われてくるのです・・。

また、それは実名にて作成し、さらに公表を前提とすることから生じる緊張感らしきものにより、何らかの効果も生じているのではないかとも考えられます。

つまり、継続的な文章作成であっても、それが個人的な日記のように公表を前提としないものであれば、こうした変化とは感知・認識することが困難であり、それ故、以前に述べた『ある程度の期間、自身を何かに投じること』とは、こうしたこと(実名による継続的なブログ記事の作成)もまた含まれるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、本日もまた、どちらかと云えば抽象的なことがらを題材としてきましたが、ここ数日は先日購入した我が国古代史に関する(ある程度)専門的な概説書を読んでおり、この著作は1984年の島根県出雲市の荒神谷遺跡の発見および1996年の同県雲南町での加茂岩倉遺跡の発見以前に執筆・刊行されたことから、古代の西日本における勢力図の様相の記述において、現在所与のものとされる歴史像とは多少異なるところがあるのですが、それでも、その全体としての記述には、現在においても十分に通じる価値があるように思われるのです。

そして、その要因について考えてみますと、その文章を読み、当時所与とされた知見を以て真摯に歴史像を述べていると認識されるからであると考えます。また、こうしたことは何も歴史像の記述のみならず、他のさまざまな文章においても同様の構造・事情といったものがあるように思われるます・・。また、我々の遠い祖先もこうした構造・事情を認識しており、そこに言霊なるコトバを充てていたようにも思われるのです・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。近年から現在までに列島各地にて生じた、現在も継続しているさまざまな大規模自然災害により被害を被った、被っている地域での諸インフラの回復および復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5













20180504 自分の文章にて書き続ける意味について・・(昨日投稿分記事から思ったこと)

昨日投稿しました書籍からの抜粋引用部は、おかげさまで投稿翌日にしては、かなり多くの方々に読んで頂けました。また、その閲覧者数は過去最高とはいきませんでしたが、これまでの全投稿記事のなかでも五本の指に入ると思われますので、あるいは『バズッた』と評しても良いかもしれません・・。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。


とはいえ、この多くの方々に読んで頂けた記事が、書籍からの抜粋引用であることは、その引用部選択のセンスにいくらかの自信を持って良いのか、あるいは、自身の文章でないことを悔しがるべきであるのか分かりませんが、何れにせよ、時には、こうした先哲が遺した興味深いと思われる文章をキーボード上にて書き写す作業も、全くの無意味であるとも云えませんので、今後も機会を見つけ、こうした記事を随時追加していきたいと考えています。

また、面白いことに書籍からの抜粋引用を用いた記事が多くの方々に読んで頂けますと、その反応としてか、他のそれに関連すると思しき書籍の記述が想起されるようであり、本日に関しても昨日と同様、書籍からの抜粋引用を以て記事にしようと考えましたが、それが癖となり、スムーズに自身の文章を作成出来なくなるおそれもあることから、本日は斯様に自身の文章にて記事を作成しています・・(苦笑)。

そしてまた、多少牽強付会の気味がありますが、こうしたことは創造性に関与する教育においても同様であり、たとえどんなに優れた手本となり得る既存の存在があったとしても、その『完コピ・複製』の作業を続けるばかりであっては、さまざまな進化発展の機会・契機は損なわれてしまい、また、そうした傾向を持つ社会においては次第に活気も創造性も失われていくのではないかと思われるのです・・。その意味において、現在も進化発展を続けているさまざまな情報機器は、まさに諸刃の剣であり、我々はそうした機器を全く拒絶するのでもなく、またそれに呑み込まれるのでもなく、それをあくまでも道具として用い、精神を駆動させ、能動的な活動を行うことにより、活気そして創造性をも保持することが出来るのではないかと思われるのです・・。

さらに、社会レベルにおいて、全く異論の余地がない権威・手本といったものが存在することも、ある程度長い期間(数十年くらい)にて考えてみますと決して望ましいものではないようであり、またこれは昨日投稿分の抜粋引用部ともいくらか関与することであるように思われます・・。

そして、ここまで書いて不図思い起こしたのは、ニーチェによる『ツァラトゥストラかく語りき』に登場するツァラトゥストラの口真似をする『ツァラトゥストラの猿』のことであり、それはもちろん自身に対しての警句であり、また次いでコスプレやカラオケといった『完コピ・複製』文化全般についてあまり警戒をしない、特に昨今の我々の社会傾向・文化に向けられても、それは必ずしも不当な批判ではないようにも思われるのですが、さて如何でしょうか・・?

そして最後に短いですが、書籍からの抜粋引用にて本日投稿分の記事を終えようと思います。

『でき上ったものが硬化しないように、
作りかえるために、
永遠の生きた活動が働いている。
・・・・・・・・・・
それは活動し、創造的に行動し、
先ず形をなし、ついで形を変える。
瞬間とどまることはあってもそれは外見だけである。
永遠なものは一切のもののうちに活動し続ける。
万物は存在に執着するならば、
崩壊して無に帰するほかはないのだから。』

ゲーテ 『神と世界』1821年10月作詩

『芽ばえつつある才能にとっては、シェイクスピアを読むことは危険である。シェイクスピアは否応なしに彼らをして自分を模作させる。それで彼らは自分の創作をしたつもりでいる。』

ゲーテ 『格言と反省』から 1809年

今回も、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。近年より現在までに日本列島にて生じた、現在も継続して生じているさまざまな大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。

~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5